第九十二話 焼けば食えるだろ
大型の活動停止が確認されても、斜面の下で続いていた戦闘は終わらなかった。
第二中隊へ押し返されていた小型と中型は逃げるどころか、倒れた大型の脇を抜け、横坑へ戻ろうとしている。大型を援護するために動いていたのなら、指揮する個体を失った時点で散ってもおかしくないが、鳥型は翼を広げて斜面を跳び上がり、豚型は防盾へ鼻先を押しつけたまま後脚で地面を掻いていた。
『第二中隊、坑口への経路を維持! 第三中隊は流れた個体を止めろ!』
八神隊長の命令を受け、第二中隊が斜面へ防盾を並べ直した。相馬機は大型の死骸を迂回して上段へ入ろうとした馬型へ向かい、横から首元へ剣を当てて進路を変える。
押し戻された中型の前には、すでに第三中隊が回り込んでいた。
安西機が正面から剣を振り下ろすと、馬型は長い前脚で地面を蹴り、刃の外へ身体を逃がした。しかし、着地しようとした場所へ御堂機の防盾が入り、胸元を押し上げられた中型は後脚だけで立つように身体を起こす。
片瀬機はその横を抜け、がら空きになった脇腹へ実体剣を突き入れた。馬型が暴れて後脚を跳ね上げるより早く、御堂が防盾を前へ倒し、片瀬の剣ごと地面へ押さえ込む。
それでも、小型は二機の間を抜けようとした。
リポルへ向かって飛び込んできた鳥型を見て、蒼真は射出部を失った短槍の柄を両手で握った。嘴が頭部へ届く前に横から打ちつけると、鳥型の身体は軌道を変え、斜面へ落ちていく。
倒し切れてはいない。
起き上がった個体は翼を引きずりながら、それでも横坑へ向かおうとした。
「逃げようとしているわけではないんですね」
《確認できる敵性個体は、横坑へ接近する行動を継続しています》
「大型は停止しています」
《大型敵性個体の停止後も、行動傾向に変化はありません》
AIの回答を聞きながら、蒼真は再び短槍の柄を構えた。
第二中隊の防衛線へ牛型の中型がぶつかり、防盾を構えた一機が斜面を滑り落ちる。そこへ小型が群がろうとしたが、安西機が横から割り込み、剣ではなく腕全体を振って三体をまとめて弾き飛ばした。
『数が減ってる。ここで押し切るぞ!』
『安西さん、前へ出すぎです』
『分かってる!』
御堂に返した直後にも、安西機は一歩前へ出ていた。
片瀬機がその右側を埋め、斜面の端から回ろうとした豚型へ防盾をぶつける。鼻先を外へ逸らされた中型が身体を横へ向けたところへ、相馬機の剣が上段から振り下ろされ、太い首へ食い込んだ。
第二中隊が止め、第三中隊が倒すという役割は崩れていない。それでも、両方の中隊が同じ敵へ対応しなければならないほど、横坑へ向かおうとする力は強かった。
蒼真は大型の死骸へ近づこうとする小型だけを、短槍の柄と防盾で押し返した。実体剣なら一撃で止められる距離でも、今のリポルが持っているのは先端を失った棒に近い武器しかない。
敵を追って戦線を乱すことはせず、第二中隊が作った壁から抜けた個体だけを受け止める。鳥型の嘴を防盾で逸らし、翼の付け根へ柄を押し当てて地面へ落とすと、追いついた第三中隊の一機が剣で動きを止めた。
戦闘が続くにつれて、採石場に響く鳴き声は少しずつ減っていった。
最後まで横坑へ向かおうとしたのは、前脚を失った豚型の中型だった。
斜面を登る力を残していないにもかかわらず、後脚で身体を押し、鼻先で砕石を掻き分けている。第二中隊の機体が正面へ立っても進路を変えず、防盾へ額を押しつけたまま足を動かし続けた。
前脚を失っても防盾を押し続ける中型の側面へ、八神隊長の機体が回り込んだ。振り下ろされた剣が首の付け根へ入ると、中型の後脚から力が抜け、防盾に額をつけたまま地面へ身体を沈めていく。その動きが完全に止まってからも各機は警戒を解かず、斜面や排水路へ武器を向けていたが、しばらく待っても新たな敵性反応は現れなかった。
《採石場内で活動中の敵性個体を確認できません》
AIの報告を受けても、蒼真は短槍の柄を下ろさず、上段に開いた横坑を見た。
外にいた個体は、最後まであそこへ戻ろうとしていた。
『全機、現在位置で警戒を維持。坑内の確認が終わるまで近づくな』
八神隊長の命令が各中隊へ伝わり、戦闘を終えた機体が少しずつ間隔を広げた。
蒼真が周囲の反応を確認すると、第一中隊の識別表示が一つ、上段に残っている。ほかの三機は大型から距離を取り始めているのに、三浦機だけがその場を動いていなかった。
「三浦一尉?」
『聞こえています』
「左脚が動かないんですか?」
『動かそうとはしています』
返事に続いて、三浦機の腰が僅かに持ち上がった。しかし、左膝が伸びる前に警告音が通信へ入り、機体は再び姿勢を落とした。
《三浦機左脚部の駆動負荷が許容値を超過しています。継続動作による関節部損傷の可能性があります》
「それ以上、動かさない方がいいと思います」
『そうですね。俺も今、同じ結論になりました』
三浦の口調は普段どおりに戻っていたが、倒れかけた大型を押し続けた機体の左脚は、膝から下が僅かに外側へ向いている。
蒼真はリポルを近づけ、三浦機が岩壁側へ倒れないように左肩を支えた。
『橘さんは戻って構いません』
「回収機が来るまで、このままにします」
『リポルも右腕へ負荷が出ていますよ』
「支えるだけなら問題ありません。二機とも動けなくなりそうなら、やめます」
『分かりました』
三浦はそれ以上断らず、機体の出力を待機状態まで落とした。
第一中隊の隊員が大型の周囲へ警戒線を作る間に、坑内偵察用の小型機が横坑へ入っていった。送られてくる映像には、大型が身体を擦った跡や、爪で削られた岩盤が映っている。
坑道は奥へ進むにつれて広がり、人工的に掘られた横坑から、自然にできた空洞へつながっていた。床には植物の根や木片が集められ、その周囲に、小型の羽毛や中型の体毛が落ちている。
「食べた跡ですか?」
《映像だけでは判別できません。寝床、または保温材として集められた可能性があります》
偵察機が空洞の奥へ照明を向けると、岩陰で何かが動いた。
《活動反応を確認》
蒼真は三浦機を支えたまま、送られてくる映像を拡大した。
「残存個体ですか?」
《大きさが一致しません》
最初は、岩が照明を反射しただけに見えた。しかし、丸い影の一つが僅かに動くと、その隣にあった二つの影も身体を寄せるように動いた。
小さな前脚が地面を掻き、照明から逃れようとして岩陰へ入り込む。頭部の形も、口元から覗く前歯も、倒した大型によく似ていたが、その身体は人が両腕で抱えられるほどしかない。
「……は?」
誰の声だったのか、通信だけでは分からなかった。
偵察機の照明が近づくと、三体は互いの背中へ顔を押しつけ、空洞の奥で丸くなった。背中を覆う皮膚は成体のように硬く変質しておらず、前脚の爪も岩盤を削れるほど長くない。
《大型敵性個体と形態が近似しています。成長前の個体である可能性があります》
『全機、その場を動くな』
八神隊長の声が低くなった。
幼体であっても敵性個体に変わりはない。しかし、抵抗できない三体をその場で殺すのか、生きたまま捕獲するのかを、現場の判断だけで決めることはできなかった。
偵察映像と戦闘記録が作戦本部へ送られ、採石場には再び待機命令が出た。
返答が届くまでの間も、三体の幼体は岩陰から動かなかった。外にいた小型と中型が、なぜ大型の停止後も巣穴へ戻ろうとしていたのか、誰も口にはしなかったが、同じ映像を見た全員が同じ可能性を考えていた。
およそ二十分後、作戦本部から全頭を生体捕獲するよう命令が届いた。
現場にある装備だけでは安全に収容できないため、生体回収班と専用の収容設備が派遣される。三浦機を運ぶ機体回収班も同時に向かっているが、山道を登る時間を考えれば、到着は夕方になるという。
『周辺警戒を三個中隊の交代制へ移行する。第二中隊は現在の配置を維持。第一中隊は坑口を監視し、第三中隊は機体を下段へ移して休憩しろ』
八神隊長の指示に従い、第三中隊の機体が資材置き場の近くへ集まった。
安西、御堂、片瀬が操縦席から降り、機体の足元へ置かれた折り畳み椅子へ腰を下ろす。朝から続いた移動と戦闘で、三人とも顔に疲労が残っていた。
蒼真は三浦機を第一中隊の二機へ任せると、リポルを第三中隊の近くまで移動させた。右腕に大きな動作をさせないように膝をつき、機体を待機状態へ移してから操縦席を降りる。
地面へ足をつけた途端、山の空気に混じって、生臭さと獣脂に似た臭いが流れてきた。大型の死骸は中段に残され、その周囲では調査員が体表の状態や体温を記録している。
蒼真が携行食の残りを確認しようとした時、近くから長い音が聞こえた。
ぐううううううう。
御堂と片瀬が同時に顔を上げる。
安西は腹へ手を当て、自分でも予想していなかったらしく、僅かに眉を寄せていた。
「腹減ったなあ」
「今の音、全員に聞こえましたよ」
御堂に指摘されても、安西は悪びれず、中段に倒れている大型へ顔を向けた。
「なあ。あいつ、焼けば食えるだろ」
片瀬が大型と安西を交互に見た。
「食べるつもりですか?」
「カピバラは旨いって聞いたことがあるぞ。あれも似たようなもんだろ」
「似ていれば食べられるという理屈は、おかしいと思います」
「火を通しても駄目か?」
「そういう問題ではありません」
御堂の声には、戦闘中よりもはっきりした拒絶が混じっていた。
安西は二人の反応に納得していないようだったが、蒼真は大型の死骸から目を離せなくなっていた。
食べられるかどうかは、調べなければ分からない。毒性や病原体を持っている可能性もあり、現場で焼いて確かめるわけにはいかない。
しかし、安全性を確認できた場合は話が変わる。
あれほど大きな死骸を山中から運び出し、解体して処分するには、人員も車両も費用も必要になる。肉を食用へ回せるなら処分量を減らせるうえ、背中を覆う厚い皮には耐衝撃素材としての利用価値があるかもしれない。岩を削る爪や前歯、骨、脂肪まで使えるなら、営巣地を駆除するために使った費用の一部を、資源として回収できる。
これほど大きな身体を構成している肉や皮、骨を、すべて廃棄物として処分する必要があるのか。安全性と加工適性を調べないまま埋設や焼却を選べば、利用できる可能性まで失うことになる。
蒼真の頭の中で、提案書の題名が浮かんだ。
敵性個体の討伐後資源利用に関する調査提案。
目的は、死骸処分費用の削減と、復興用資材としての利用可能性の確認。必要な調査項目には、毒性、病原体、寄生虫、食肉としての安全性、皮膚の耐熱性と耐衝撃性、爪や前歯の加工適性を入れる。
民間事業者へ研究を委託できれば、軍だけで費用を負担する必要もない。
概要まで組み上がったところで、蒼真は提出先が分からないことに気づいた。
敵性個体の死骸は中央防衛局の管轄だが、食肉や民間利用まで含めれば、衛生、農業、産業の各部署にも関係する。復興管理局へ提出した場合は藤堂から仕事へ口を出すなと言われそうだったため、蒼真が次の候補として思い浮かべたのは久賀だった。彼女なら適切な部署を見つけ、必要な資料も揃えてくれるだろうが、一度必要性を認めれば、本人が止めようと思っても最後まで進めてしまう可能性が高い。
「橘、どうした?」
八神隊長に呼ばれ、蒼真は大型の爪を見たまま答えた。
「提出先を考えています」
「何の話だ?」
「敵性個体の資源利用に関する調査提案です。食肉として利用できなくても、皮や爪は素材になる可能性があります」
八神隊長はすぐには返事をせず、安西へ顔を向けた。
「お前が余計なことを言うからだ」
「俺は腹が減ったと言っただけですよ」
「焼けば食えるとも言っただろう」
「食えるかもしれないじゃないですか」
安西が大型へ視線を戻したところで、御堂が小さく首を横へ振った。
「それで、もう提案書を作ったんですか?」
「頭の中では、概要まで」
「休憩してください」
「考えているだけです」
「疲れていない人は、そんな顔をしませんよ」
牧野にも似たようなことを言われた覚えがあり、蒼真は反論せず、携行食の入った袋を開いた。
*
生体回収班が採石場へ到着したのは、日が西側の尾根へ近づき始めた頃だった。
防護服を着た隊員たちが、麻酔器具と三つの収容箱を横坑へ運び込む。三個中隊は周辺警戒を続け、坑内の映像だけが各機へ共有された。
幼体は偵察機が見つけた場所から動いていなかった。
一体目は、麻酔を打たれると短い前脚で地面を掻き、その場へ身体を伏せた。二体目はさらに奥へ逃げようとしたが、回収班が広げた網に進路を塞がれ、鳴き声を上げながら捕まった。
三体目は、二体が運び出されたあとも岩陰へ身体を押し込み、頭だけを外へ向けていた。回収班が近づくと短い爪を振ったものの、防護盾へ届く前に網をかけられ、身体を丸めたまま収容箱へ移された。
三体すべての捕獲が終わると、坑口から回収班が戻ってきた。
蒼真はリポルの足元に立ち、運び出される箱を見ていた。
一つ目と二つ目は、厚い布を被せられたまま目の前を通り過ぎた。最後の箱だけは布がずれ、金網の内側が見えている。
幼体は奥で身体を丸めていたが、運搬台がリポルの前へ来ると、小さな鼻先を持ち上げた。
黒い目が蒼真を見る。
蒼真も、目を逸らせなかった。
幼体は短い前脚を金網へかけ、鼻先を近づけた。
「キューン」
弱い鳴き声だった。
朝から聞いていた小型や中型の鋭い声とも、大型が出した地面を震わせる声とも違う。怯えた犬に似た声を残し、幼体の入った箱は蒼真の前を通り過ぎていった。
頭の中で完成しかけていた提案書から、文字が消えた。
題名も、目的も、調査項目も、提出先の候補もなくなり、何も書かれていない用紙だけが残る。
「で、食えると思うか?」
隣に立っていた安西が尋ねた。
蒼真は収容車へ運ばれていく箱を見送りながら、すぐには答えられなかった。
「今、それを聞かないでください」
「なんでだ?」
「目が合って、鳴かれました」
「俺は食うとは言ったけど、子供を食うとは言ってないぞ」
蒼真は大型の死骸へ視線を移した。
「親ならいいんですか?」
「……そう言われると困るな」
安西も黙り、二人で中段に横たわる巨体を見た。
収容車が三体の幼体を乗せて採石場を下り始めても、蒼真の頭の中にあった提案書は、白紙のままだった。
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