第九十一話 倒して、帰る
八月十七日。
枕元の端末が振動するより少し早く、蒼真は目を覚ました。
カーテンの隙間にはまだ夜の色が残っており、隣では美咲がこちらへ背を向けて眠っている。布団を揺らさないように身体を抜き、着替えを抱えて寝室を出たものの、階段を下りる途中で味噌汁の匂いに気づいた。
台所には明かりがつき、美咲が弁当箱を保温袋へ入れていた。起こしてしまったのかと思った蒼真が足を止めると、美咲は振り返らないまま口を開く。
「おはよう。顔を洗ったら食べて」
「起きてたの?」
「今日は早いって聞いてたから」
食卓には焼いた鮭と卵焼きが並び、湯気の立つ味噌汁の隣には蒼真の茶碗だけが用意されていた。普段なら、寝癖を残した結衣が時間を確かめながら階段を駆け下り、昴が眠そうな顔で美咲に抱かれてくる頃だが、午前四時を回ったばかりの家は静かなままだった。
「二人は?」
「寝てるよ。昨日、蒼真から話したんでしょう?」
「リポルで山へ行くとは話した。大型のことは結衣にだけ」
「昴に説明しても、りぽる、たおす、って喜ぶだけだものね」
美咲は向かいの椅子へ座ったが、自分の朝食は用意していなかった。湯飲みを両手で包んだまま、鮭の身をほぐしている蒼真を黙って見ている。
食べるように言った本人が何も口へ運ばないため、蒼真は箸を止めた。
「今日は三つの中隊が参加する。大型を一機で倒す試験ではないし、自分は最初から前へ出るわけでもないよ」
「最後には出るんでしょう?」
「その予定にはなってる」
「だったら、最初に出るか最後に出るかは、私にはあまり関係ないかな」
美咲は責めるような言い方をせず、湯飲みへ視線を落とした。まだ熱いはずの器を、指先だけでゆっくりと回している。
「帰ってきたら、今日あったことを話して」
「分かってる」
「遅くなるなら連絡して。何も決まっていない時も、決まっていないって連絡して」
「うん」
「それから、無事に帰ってきて」
最後の言葉だけは、返事を待つように顔を上げて言った。
蒼真が頷くと、美咲の指が湯飲みの上で止まる。
「帰ってくるよ」
「なら、早く食べて。冷めるから」
美咲の口元がようやく緩んだので、蒼真は箸を動かした。口へ入れた卵焼きは、いつもと同じように甘かった。
食事を終えて玄関へ向かうと、美咲も保温袋を持ってついてきた。蒼真が靴を履いて立ち上がる間に、曲がっていた襟を直し、袋を手渡す。
「結衣たちには、帰ってからもう一度話すよ」
「昴が起きて、蒼真がいないって泣いたら?」
「帰ってきたら謝る」
「謝るだけ?」
「抱っこもする」
「なら、いいかな」
美咲の指が襟元から離れた。蒼真が扉を開けると、夜明け前の冷たい空気が玄関へ流れ込んでくる。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
いつもと変わらない言葉に送り出され、蒼真は眠っている子供たちのいる家をあとにした。
*
市街地を抜ける頃には東の空が白み始めたものの、輸送車列が山間部へ入ると、朝日は尾根の向こうへ再び隠れた。
目的地は、標高八百メートルを超える山の中腹に残された旧採石場だった。麓から先へ続く搬出路は大型車両が通れる幅こそ保っていたが、長く使われていない舗装には亀裂が走り、路肩の一部は谷へ崩れている。輸送車両は車体の下で草を擦りながら九十九折りの道を登り、退避場所を見つけるたびに速度を落として、後続との間隔を調整した。
窓の外を流れていた杉林が途切れると、山腹を段状に削った採石場が現れた。
最も低い場所には屋根の落ちた資材置き場と錆びた重機が残り、その先には、かつて採掘した岩を積み込むために使われていた平場が広がっている。さらに上を見れば、切り立った岩壁の下で横坑が黒い口を開け、そこへ至る斜面には、崩れかけた作業道と排水路が幾つも走っていた。
輸送固定を解除されたリポルへ乗り込んだ蒼真は、機体を立ち上げると同時に横坑へ視線を向けた。画面には坑内で捉えた大型の熱源が赤く浮かんでいるが、光も電波も奥までは届かず、その身体がどちらを向いているのかさえ判別できない。小型と中型の反応も斜面の各所に重なり、事前調査で確認された数をすでに超えていた。
《坑内を含む敵性個体数は確定できません》
「現在見えている範囲だけで構いません」
《小型二十三、中型五、大型一。斜面および採石設備の陰に、未確認個体が存在する可能性があります》
蒼真が配置図を開くと、第一中隊の進入経路が横坑の左右へ分かれていた。大型が身体を外へ出すまで岩棚に隠れ、坑口を離れたところで背後へ回り込み、巣へ戻る道を塞ぐ計画になっている。
その下では第二中隊が上段と中段をつなぐ斜面へ広がり、大型の周囲へ集まろうとする小型と中型を遮断する。押し返された個体は、さらに下で待つ第三中隊が引き受け、再び上段へ向かう前に撃破する。
二つの中隊の間に置かれた紫色の印を見て、蒼真は表示を拡大した。第二中隊が敵を止めている限り、リポルの前には大型の背後へ続く道が残るが、遮断を抜けた個体にとっても同じ道がリポルへの進路になる。
前へ進む時も、敵を迎える時も、使うのは一つの道だった。
蒼真が各機との距離を確かめていると、通信へ八神隊長の声が入った。
『各中隊、予定位置へ移動。確認できる敵は事前予測を超えている。配置が完了するまで交戦を避けろ』
返答が順に重なり、その中に三浦の声も混じった。
『第一中隊、上段へ移動します』
リポルの前方を横切った三浦機は、防盾と実体剣を装備していた。どちらも大型専用に造られた武器ではなく、機体にも特別な改修は施されていないが、三浦は残る三機の位置を確かめると、そのまま上段へ続く作業道へ入っていった。
反対側では第二中隊が斜面へ向かい、中央にいる相馬機が前後の間隔を整えている。少し遅れて展開した第三中隊は、安西、御堂、片瀬の各機が採石設備の残骸や崩れた排水路を確認しながら持ち場へ入った。
『橘』
「はい」
『大型が出るまで待機しろ。第二中隊から敵が抜けても、こちらで処理する』
蒼真はリポルが右腕に抱えている短槍型パイルへ視線を落とした。実体剣より重い武器を支えるため、肩と腰にはすでに姿勢補正が働いている。
「自分へ向かってきた場合は?」
『接触する個体だけ止めろ。追うな』
「了解しました」
大型へ打ち込む杭と射出機構は、短槍の穂先に収められている。使用後は敵の体内へ残るため、リポルは先端を切り離さなければ姿勢を戻せない。帰還する時には手元に残っていないことを前提として造られた武器だった。
蒼真が石突きを地面へつき、右肩へかかる重さを確かめたところで、八神隊長から作戦開始の命令が届いた。
第二中隊が斜面へ足を踏み入れると、採石設備の残骸に隠れていた小型が次々に姿を現した。
岩棚から飛び下りた鳥型は、翼を広げて落下の勢いを抑えながら、先頭機の頭部へ脚の爪を伸ばした。相馬機は剣を振り上げず、敵が機体の前を横切る位置へ刃を差し込むと、腹部を受けて斜面の外へ弾き飛ばす。
落ちた個体が砕石の上を転がっている間にも、崩れた排水路から二体が飛び出した。第二中隊は防盾を並べたまま前進を続け、隊列へ入り込もうとする小型を受け流しながら外側へ押し出していく。
そこには第三中隊が待っていた。
安西機の剣が軍鶏型の脚を払い、倒れた身体を御堂機の防盾が地面へ押さえ込む。反対側では、採石設備の陰を回った小型が片瀬機へ跳びかかったものの、片瀬は噛みつかれる前に機体を沈め、敵の胸元へ肩を入れて岩壁へ押しつけた。
蒼真から見えるのは、設備の隙間を通る機体の上半身と、時折その上へ跳ね上がる小型だけだった。第三中隊が何体と交戦しているのかは分からず、剣と爪がぶつかる音や、短く交わされる通信を聞きながら、画面に現れる反応を追うしかない。
小型の流れが途切れないうちに、岩の裂け目から豚に似た中型が現れた。
低い頭部をさらに下げた中型は、鼻先から第二中隊の防盾へ衝突し、後脚で地面を掻きながら機体ごと押し戻そうとする。その隣では、脚の長い馬型が斜面を駆け上がり、豚型へ対応した機体の脇を抜けようとしていた。
相馬機は馬型の正面へ回らず、側面から首元へ剣を当てると、走る力を利用して進路を第三中隊側へ変えた。押し返された馬型が斜面を滑り落ちた先では片瀬機が待っていたが、第二中隊が空けた場所へは、排水路から飛び出した別の小型がすぐに入り込んでくる。
敵を退けるたび、その後ろから次の個体が現れた。
第二中隊は大型から群れを引き離すどころか、横坑へ向かわせないために防衛線を保つだけで動けなくなりつつある。第三中隊の撃破報告も続いていたが、画面に表示される敵の反応はほとんど減らず、むしろ斜面の奥から新しい反応が加わっていた。
「予測より、かなり大きい巣ですね」
《未確認の地下空洞が複数存在する可能性があります。第二中隊前面の敵性個体密度は、作戦開始時から三十二パーセント上昇しています》
「第一中隊の配置は?」
《上段へ到達。岩壁により、機体映像は取得できません》
蒼真が上段へ目を向けても、三浦たちの姿は岩棚に隠れていた。位置情報は横坑の左右に分かれているが、大型が出てきた時に四機がどの程度動けるのかまでは見えない。
その時、横坑の奥から低い音が響いた。
岩壁の表面から砂が落ち、斜面に散っていた小型が一斉に鳴き始める。それまで第二中隊へ押し返されていた中型も退くことをやめ、豚型は防盾へ身体を押しつけ、馬型は何度斜面から落とされても上段へ戻ろうとした。
黒い坑口の内側から一本の太い爪が現れ、岩へ食い込んだ爪が縁を削ると、続いて太い前脚が身体を引き出してきた。丸みを帯びた頭部には角質化した皮膚が装甲のように重なり、口から覗く二本の前歯は、岩を噛み砕いて広げた坑口の表面を擦っている。
小さければ愛嬌を感じたかもしれない顔も、フレイムワーカーを上回る大きさになれば、別のものにしか見えなかった。
大型は坑口へ肩を擦りつけながら巨体を押し出し、前脚に続いて後脚まで上段へ乗せた。地面へ近い胴体を四本の太い脚が支え、首から背中を覆う硬い皮膚には古い傷が幾つも残っている。
その身体が坑口から完全に離れた瞬間、岩棚に隠れていた第一中隊が動いた。
『第一中隊、坑口を封鎖します!』
二機が左右から大型の背後へ回り、巣穴との間へ身体を入れる。残る一機が斜面側への逃げ道を塞ぐ間に、三浦機は大型の正面へ進み、下で戦っている部隊へ向かわせないように防盾を構えた。
大型は中段へ向けていた頭を戻し、坑口の前に並んだ機体を見た。喉の奥から漏れた低い鳴き声が採石場へ響き、次の瞬間には四本の脚が地面を蹴っていた。
三浦は真正面から受け止めず、右へ踏み込みながら防盾を鼻先へ当てた。丸い頭部を盾の表面で滑らせ、突進を岩壁側へ流そうとしたものの、大型は前脚の爪を地面へ突き立て、強引に向きを戻してくる。
左右から二機が前脚へ剣を入れたが、刃は角質化した皮膚を僅かに割っただけで止まった。大型は身体を振って二機を遠ざけると、三浦機へ前脚を振り下ろす。
三浦が防盾を斜めに差し出して受けたところへ、長い爪が盾の表面を削りながら滑り、その先端を左肩へ食い込ませようとした。左腕を外側へ押し出して軌道を逸らした三浦は、空いた顎の下へ実体剣を突き上げたが、大型は刃が届く前に頭を引き、そのまま開いた口で防盾の上端へ噛みついた。
金属が潰れる音が、離れたリポルの操縦席まで届いた。大型が首を振るたびに三浦機の左腕が引かれ、両足の下から砕石が崩れていく。
蒼真は右足へ力を入れかけた。
『橘、待機を維持しろ』
八神隊長の声で上段だけに向いていた意識を戻すと、大型まで続く斜面では第二中隊が小型と中型を押し返していた。蒼真が今そこへ入れば、敵を外側へ流すために残された空間をリポルが塞ぎ、第二中隊は前から大型、後ろからリポルに挟まれる形になる。
踏み出しかけた右足を戻した蒼真は、短槍を握る手へ力を移した。
「待機しています」
大型の口から防盾を抜いた三浦は、前歯の形にへこんだ盾を捨てず、その縁を首へ押し当てて坑口から遠ざけた。大型が戻ろうとするたび、残る三機も側面から肩や前脚を押して進路を変えるが、地面に近い巨体は四本の脚を開いて踏ん張り、四機の力を受けても倒れない。
大型は下で続く戦闘へ目も向けず、巣穴へ戻るために第一中隊だけを排除しようとしていた。
その動きに応じるように、第二中隊の前でも敵の勢いが増した。豚型が防盾を押し上げ、その陰から鳥型が機体の頭部へ群がり、斜面の端を駆ける馬型は第二中隊の外側から横坑へ回り込もうとしている。
第一中隊を助けるには、第二中隊が群れを止めている場所を通らなければならない。しかし、そこが一歩でも退けば小型と中型は大型へ合流し、リポルの接近経路そのものが消える。
『第二中隊、中央を開ける! 橘、準備しろ!』
相馬の声とともに、斜面を塞いでいた機体が左右へ分かれた。
大型の背中まで、細い道が生まれた。
蒼真が短槍を持ち上げた直後、その奥へ馬型の中型が身体をねじ込んだ。相馬機が反転して追ったものの、中型は長い脚で砕石を蹴り、開いた経路をリポルへ向かって駆け下りてくる。
短槍の射出部を中型へ使えば、大型へ決定打を与える武器がなくなる。
蒼真は左半身を前へ出し、突き出された中型の頭部を防盾の曲面で受けた。衝突する瞬間に腰を回し、盾の表面を滑らせながら鼻先を谷側へ向けると、中型の前脚が砕石へ乗り上げ、長い胴体が斜面側へ傾いた。
その脇を抜けようとしたリポルの右脚へ、中型が首を振って噛みつこうとする。蒼真が短槍の柄を胸元へ押し当てて距離を保ったところへ、追いついた相馬機の剣が後脚を払い、中型を開いた経路の外へ転がした。
『行け!』
蒼真は返事をするより先に、斜面へリポルを踏み込ませた。
短槍を右脇へ抱え、雨水に削られた溝を避けながら、岩盤が露出している場所へ足を置いていく。右側では第二中隊が豚型を防盾で押し返し、左側では別の一機が、頭部へ群がろうとする小型を腕で払い落としていた。
採石設備と斜面に遮られた第三中隊の姿は見えず、誰が無事で、何機が損傷しているのかも分からない。それでも砲声は途切れずに続き、敵を受け止める機体が辛うじて残してくれた道も、次の一体が入り込めば閉じようとしていた。
蒼真は大型の背中から視線を外さず、速度を落とさなかった。
大型はリポルの接近に気づかず、巣穴へ戻ろうと第一中隊へ身体を押しつけている。四本の脚で踏ん張るたびに太い胴体が左右へ揺れ、後脚の付け根では、硬い皮膚の隙間から赤黒い部分が覗いていた。
《大型敵性個体を短槍型パイルの有効範囲に捉えました》
「射出できる状態になったら教えてください」
《了解》
大型が前脚を持ち上げ、三浦機へ爪を振り下ろした。
三浦は後ろへ避けず、大型の懐へ入った。へこんだ防盾を捨て、両手で握った実体剣を前脚と地面の間へ滑り込ませると、大型の爪が刃へ乗り上げ、岩盤を掴めなくなる。
大型の重量を剣と両腕で受けた三浦機は、膝を曲げながら砕石へ沈んでいった。それでも三浦は剣を抜かず、坑口とは反対側へ前脚を押し続ける。
第一中隊の二機が大型の肩へ入り、もう一機が巣穴へ続く隙間を塞いだ。四機の動きが重なったことで、大型の身体が僅かに斜面側へ傾く。
『まだです!』
三浦の声に、普段の余裕はなかった。
蒼真は短槍を構えたまま距離を詰めた。
大型は三浦機を振り上げようと頭部を下げ、後脚へ力を込める。丸い背中が沈み、右後脚が地面を蹴った瞬間、付け根を覆う硬い皮膚が大きく開いた。
《射出可能です》
「三浦一尉、離れてください!」
『了解!』
三浦は実体剣から手を放し、第一中隊の三機も大型の正面から左右へ跳んだ。押さえていた力が消えたことで、大型は巣穴へ向かって身体を押し出したが、右の前脚が三浦の残した剣を踏み、爪を岩盤の上で滑らせる。
右側へ傾いた巨体の下へ蒼真はリポルを踏み込ませ、持ち上がった後脚の付け根へ短槍を突き込んだ。穂先が柔らかい皮膚を破り、その奥の硬い組織へぶつかると、右腕から肩を抜けた衝撃が腰まで達し、リポルの両足が砕石へ沈んだ。
大型は初めて背後の存在に気づき、丸い頭部をこちらへ向けようとした。
《射出部の接触を確認》
振り返った黒い目が、リポルを捉える。
蒼真は右手の指を動かした。
「撃ちます」
短槍の内部で火薬が弾け、穂先から射出された杭が、大型の体内へ打ち込まれた。
衝撃で胴体が内側から持ち上がり、押し出された空気が低い鳴き声となって口から漏れる。右後脚が大きく跳ね、リポルの肩を短槍ごと引き上げた。
《右腕負荷、許容値を超過。射出部を切り離してください》
蒼真が分離操作を行うと、射出機構を残したまま短槍の柄が外れた。右腕を引いた勢いでリポルは大型の腹の下を抜けようとしたが、振り向いた前脚の爪が背後から迫ってくる。
後ろへ退けば届く。
蒼真は大型の身体へ近づく方向へ踏み込み、振られた前脚の内側へ入った。長い爪がリポルの背後を通過し、巻き起こされた風と砕石が背面装甲へぶつかる。
大型は前脚を戻し、今度は身体ごとリポルを押し潰そうとした。
そこへ、武器を失った三浦機が側面から飛び込んだ。
三浦は両腕を大型の頭部へ押し当て、リポルへ向こうとする力を岩壁側へ逸らした。第一中隊の残る三機も反対側から肩と胴体を押し、大型の身体を傾いたまま支える。
右後脚が地面を掴もうとして伸びたが、体重をかけたことで、内部に残った杭がさらに深く沈んだ。
四本の脚が同時に強張り、丸い背中が大きく波打つ。前脚の爪は岩盤を掻いたものの、支えを失った巨体は頭から斜面へ崩れ、砕石を押し流しながら中段の手前まで滑り落ちた。
蒼真は追わず、爪の届かない位置までリポルを下がらせた。
大型の背中が、呼吸に合わせて一度だけ持ち上がった。
次の動きはなかった。
《大型敵性個体の活動停止を確認しました》
AIの声は、出発前に機体の状態を読み上げた時と変わらなかった。
蒼真は操縦桿を握ったまま、倒れた大型を見下ろした。
放置すれば、ここで増えた敵性個体が山を下り、いつか誰かの暮らす場所へ辿り着く。だから倒した判断は間違っていないはずなのに、動かなくなった巨体を見ても、胸には安堵も達成感も浮かばなかった。
操縦桿を握る指には、撃つ直前よりも強い力が残っていた。
『橘さん』
三浦に呼ばれ、蒼真は大型から視線を外した。
「はい」
『終わりました』
その声を聞いて周囲へ意識を戻すと、斜面の下では小型と中型の鳴き声が重なり、第二中隊と第三中隊の交戦も続いていた。第一中隊にも損傷が出ており、目の前に立つ三浦機の左脚には消えない負荷警告が表示されている。
大型を倒しただけだった。
「まだです」
蒼真は第二中隊の方へリポルを向けた。
「全員が帰るまで、終わっていません」
射出部を失った短槍の柄が、大型の傍らで砕石に埋もれていた。
面白いと思われたら、ブックマークして頂ければ幸いです。
また、いいね。評価もしていただけたら執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。
感想も頂けましたらありがたいです。
よろしくお願いします。




