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第九十話 全員が帰る手順

 八月十五日の朝、蒼真が食卓へ着くと、昴はスプーンを右手に持ち、左手で見えない何かを放り出していた。

「やり、ぽい!」

 昨日から何度目になるか分からない動きだった。勢いをつけた手が味噌汁の椀へ近づいたため、美咲が昴の手首をそっと押さえ、食卓の中央から遠ざける。

「槍は捨ててもいいけど、スプーンは捨てないでね」

「ぽい、だめ?」

「食べ終わるまでは駄目」

 昴は納得したのか分からない顔でスプーンを握り直し、卵焼きを小さく崩し始めた。その隣では、結衣が欠伸を隠そうともせず、片手で髪をまとめている。夏休みに入ってから朝が遅くなり、今日は蒼真より少し遅れて起きてきた。

「お父さん、今日は本物の槍を投げるの?」

「シミュレーターだから、本物は使わないよ。投げるんじゃなくて、抜けなかった時に手を放すだけだけど」

「そこはもういい。何回聞いても、昴の中では投げることになってるから」

 結衣は髪を結び終えると、蒼真の前に伏せてある端末へ目を向けた。画面には、三個中隊を統合した大隊による合同訓練の開始時刻だけが表示されている。

「大型が二体いた時の練習もするんだよね?」

「する予定だよ」

「二体いたら帰るって言ってなかった?」

「帰ろうとしたんだけど、帰ったあとに大型が町へ来る可能性があるって綾人さんに言われた」

 結衣が箸を止めた。

「それ、帰ったことにならないじゃん」

「自分たちは帰ってるよ」

「家がなくなったら、帰る場所がないでしょ」

 蒼真は味噌汁へ伸ばしかけた手を止めた。

 昨日、綾人から指摘された時も、評価試験を中止することと、残った大型個体への対応を別々に考えていた。結衣が言っているのは、さらにその先だった。

 機体と搭乗者が基地へ戻っても、敵が生活圏へ到達すれば、任務としては帰ったことにならない。

「そうだね」

「だから、今日は帰り方を決めるの?」

「一体を倒して、もう一体を置き型の杭がある場所へ動かす。小型と中型は第三中隊が離して、第一中隊が大型を囲む。その間に、自分が短槍で近づく」

 説明しながら、蒼真は自分の言葉が、昨日までよりずっと具体的になっていることへ気づいた。

 誰が何をするのか。

 どの順番で動くのか。

 どこまでできれば全員が帰れるのか。

 まだ一度も成功していない作戦が、すでに頭の中では手順へ変わり始めている。

「シミュレーターなら、失敗しても怪我はしないのよね」

 美咲が、昴の口元についた卵を布巾で拭きながら尋ねた。

「身体には負荷がかかるけど、実機よりは安全だよ」

「聞いたのは、機械の安全性じゃないよ」

 蒼真が顔を上げると、美咲は笑っていた。ただ、いつもの朝より目元が少しだけ固い。

「失敗した時に、誰が帰れなかったかまで見るんでしょう?」

「見ると思う」

「何度見ても、今日の失敗は今日に置いてきてね。本番で同じことをしないための練習なんだから」

「分かった」

「本当に?」

「持って帰るのは、成功した手順だけにする」

 美咲は数秒ほど蒼真を見てから、ようやく目元の力を抜いた。

「なら、行ってらっしゃい」

「ぱぱ、りぽる、かえる?」

 昴がスプーンを握ったまま、蒼真を見上げる。

「今日は基地から出ないから、必ず帰るよ」

「みうらも?」

「三浦一尉も、相馬さんも帰る」

「みんな?」

 蒼真は、すぐには答えられなかった。

 今日決めるのは、そのための手順である。

「みんなで帰る練習をしてくるよ」

 昴は意味をすべて理解したわけではないだろう。それでも満足したように頷き、今度はスプーンを口へ運んだ。

*

 合同シミュレーター訓練は、中央防衛局の地下演習区画で行われた。

 第一中隊、第三中隊、相馬が所属する中隊の各四機に、リポルを含む後方支援三機を加えた十五機分の操縦席が、円形の演習室へ並んでいる。前回の市街地奪還作戦と同じ、三個中隊を統合した大隊編成だった。

 各席は独立しているが、視界、通信、機体反応は同じ仮想戦場へ接続されている。後方支援のうち、リポル以外の二機は谷の南側へ配置され、通信中継、損傷機の回収、撤退路の監視を担当する。

 再現された第十回評価地点は、山間部にある古い採石場だった。

 北側には切り立った岩壁があり、その下に大型個体の営巣地と推定される空洞が開いている。南へ向かって谷が広がり、途中で東西二本の林道へ分かれる。東側は崩落した斜面で行き止まりに近いが、西側は復興中の幹線道路へつながり、その先に市街地がある。

 置き型へ転用する重装杭打ち機は、営巣地から南へ八百メートル離れた谷の狭窄部へ三基設置されていた。左右の岩盤へ固定し、中央だけを大型個体一体が通れる幅で開けてある。大型が直進すれば、前方と左右から杭を打ち込める配置だった。

 ただし、そこへ入らなければ何の意味もない。

『第一回は、大型個体一体で行う』

 八神隊長の声が全部隊へ届いた。

『第一中隊は大型を営巣地前に拘束。第三中隊は小型と中型を分離し、リポルの進入路を作る。相馬所属中隊は南側を防衛し、全隊の撤退路と後方支援区域を維持。橘は進入許可が出るまで南側待機』

「了解」

 蒼真はリポルの短槍を握り、谷の入口に表示された待機線へ立った。

 視界の左端には、第一中隊の四機が青い印で表示されている。三浦機が大型の正面へ入り、残る三機が左右と後方へ広がっていた。その外側で第三中隊が小型十八体と中型三体を受け持ち、相馬所属中隊はさらに南へ横一列に展開している。

 相馬機は四機の中央より僅かに北へ出ていた。第一中隊と第三中隊の状況を自分の中隊へ渡し、後方へ抜けた敵がいれば最初に対応できる位置だった。

『開始』

 空洞から大型個体が姿を現した。

 六本の脚が岩盤を踏み、胸部を覆う甲殻がゆっくり持ち上がる。左右へ張り出した前脚はフレイムワーカーの胴より太く、その先端が地面を掻くたび、砕石が谷へ転がった。

 三浦機が真正面から接近する。

 大型が右の前脚を振り上げると、三浦は左へ走り、攻撃が地面へ落ちる直前に進路を変えた。前脚が空振りし、巨体の正面が僅かに左へ向く。そこへ第一中隊の左翼機が実体剣を入れ、大型の注意を営巣地側へ戻した。

 四機が囲んでいるように見えても、実際には同じ位置へ留まっていない。大型の正面を順番に受け渡しながら、谷の中央から外へ出さないよう動かしている。

 その外側では、第三中隊が小型の群れを二つに分けていた。

 八神機が中型一体を岩壁側へ押し、安西機がその後ろから続く小型を防盾で止める。御堂機と片瀬機は南側へ回り、リポルが通る予定の細い帯だけを空けようとしていた。

 その動きに合わせて、相馬は第三中隊の左側が薄くなったことを所属中隊へ伝えた。

『左から小型四。二機、北へ寄せてもらえますか』

『了解』

 相馬所属中隊の二機が前へ出て、御堂機の外側へ入る。

 開始から四十秒で、右側の中型が進路を変えた。

 第三中隊へ向かわず、大型の後方を抜けて第一中隊の右翼機へ突進する。

『右から中型!』

 右翼機が大型への包囲を解き、防盾を中型へ向けかけた。

『第一中隊、そのまま! 俺が行きます!』

 相馬機が南側の配置を離れ、第三中隊の間を抜けて加速した。中型が第一中隊へ到達する直前に側面から防盾を当て、進路を岩壁へ逸らす。

 第一中隊の包囲は維持された。

 しかし、相馬がいた南側では、所属中隊へ送られるはずだった第三中隊の位置情報が一度途切れていた。

 相馬機の移動に合わせて前へ出た一機が、誰も受け持っていない小型三体を追い、その隣の機体も間隔を詰める。南側に残された二機の間へ、後方支援区域まで続く一本の空白が生まれた。

 空いたのは数秒だった。

 小型三体は後方支援二機の間を抜け、通信中継機へ飛びかかった。防盾で一体を止めたものの、残る二体が脚部へ取りつき、中継機の反応が停止する。

《後方支援一機、行動不能。第一、第三、相馬所属中隊間の共有情報を制限》

 相馬が中型を止めたことで、第一中隊の包囲は崩れなかった。

 それでも、三個中隊をつないでいた情報と撤退路が同時に失われた。

『橘、待機継続』

 八神隊長の命令が届く。

 リポルから大型まで、三百十メートル。短槍を持って走れば届く距離だったが、南側では相馬所属中隊が後方へ戻り始め、第三中隊との間に小型と中型が残っている。

 ここで入れば、撃つ場所までは行けても、戻る場所がない。

「待機します」

 第一中隊が大型を拘束したまま三十秒を経過したところで、後方支援区域の損害判定が上限へ達した。

《後方支援区域、防衛失敗。全隊の継続戦闘能力を喪失》

 視界が暗転する。

 第一回は、大型を営巣地前へ留めたまま失敗した。

*

「第一中隊による大型の拘束は維持されました」

 管制室の中央画面へ、十五機の移動軌跡が表示される。

 八神隊長は相馬機が南側の配置を離れた場所を指し、その外側へ第三中隊と相馬所属中隊の配置を重ねた。

「問題はその後だ。相馬が中型へ出たことで、所属中隊の二機が相馬の動きへ追従した。残る二機は後方支援を見たが、誰も全体の配置変更を共有していない」

『俺が直接埋めに行ったのが原因です』

 相馬の声が通信へ入る。

『中型を第一中隊へ入れないことだけを見ました。自分の中隊へ、元の位置を維持するよう伝えていません』

『中型は第三中隊が引き受ける予定だった』

 八神隊長は相馬を責める調子ではなく、途切れた通信記録を表示した。

『間に合わなければ、第一中隊へ一時的に受けさせればいい。お前が動くなら、先に所属中隊へ役割を渡せ』

『目の前で抜けるのが見えたら、行きたくなりますよ』

「相馬さんが移動すると、相馬さんのいた場所に新しい穴ができます」

 蒼真が言うと、相馬は中央画面越しにこちらを見た。

『そういうところだよ。間違ってないけど、もう少し言い方はないのか?』

「ありません」

 管制室の端で、綾人が僅かに視線を伏せた。

 高校時代、同じ教室にいた蒼真と、相馬はまともに言葉を交わしていない。それでも、必要なことだけを淡々と告げ、相手がどう受け取るかを後回しにする男だったことは、同級生の多くが知っていた。

『高校の頃から、そういうところは変わってないな』

「相馬さんのことは覚えていませんでした」

『それも知ってるよ』

 相馬は苦笑し、それから自分の軌跡を南側の開始位置へ戻した。

『次は動く前に伝える。俺が穴を埋めるんじゃなく、穴を埋める機体をつなげばいいんだろ』

「はい。その方が早いです」

 八神隊長は三個中隊の配置を初期状態へ戻した。

「次は第三中隊を一段内側へ置く。リポルの道は最初から空けない。必要な時に開ける。相馬所属中隊は後方防衛を維持し、相馬は三個中隊の変更だけを伝えろ。自分で穴へ入るな」

 蒼真は表示された地形を見た。

「進入路を作るまで、自分は動けないんですね」

『そうなる』

 三浦が答えた。戦闘中の短い声ではなく、普段どおりの落ち着いた口調へ戻っている。

『橘さんが早く入れば、俺たちは大型を長く止めずに済みます。ただ、戻れない場所へ入れるわけにはいきません』

「三浦一尉が長く止めればいい、という話でもないですよね」

『もちろんです。ですが、数秒なら作れます』

 中央画面の端で、牧野が第一中隊の機体負荷記録を開いていた。シミュレーター上の数値ではあるが、三浦機だけが短い加速と急停止を繰り返し、脚部と腰部の負荷が突出している。

「数秒を何回続けられるかは、別の問題です」

 牧野が告げると、三浦は否定せずに頷いた。

『だから、一回で通しましょう』

「その一回を決める訓練です」

 牧野の返答に、三浦は小さく息を吐いた。

 第二回では、第三中隊を第一中隊へ近づけ、相馬所属中隊を南側の防衛線へ固定した。

 小型と中型を大型から引き離すのではなく、第一中隊の外周に沿って受け止め、リポルが動き始める直前だけ進入路を開く。

 開始から一分十二秒。

 八神機と安西機が中型二体を東側へ押し、御堂機と片瀬機が小型の群れを南へ引いた。相馬は両中隊の移動を所属中隊へ伝え、南側の二機を後方支援区域へ残したまま、残る二機だけを第三中隊の外側へ動かした。

 大型の右側から南へ、機体一機分の細い道が生まれる。

『橘、進入』

「了解」

 リポルは待機線を越えた。

 短槍を胸の前へ引きつけ、左右で戦う第三中隊の間を走る。小型一体が横から飛び込もうとしたが、片瀬機の防盾がその頭部を押し戻した。

 大型まで残り百メートル。

 三浦機が正面から右へ抜け、大型の頭部を追わせる。空いた左胸部へ第一中隊の一機が斬撃を入れ、巨体がそちらへ向き直る前に後退した。

 胸部甲殻の薄い位置が、蒼真の正面へ現れる。

「射出位置へ入ります」

『三秒作ります』

 三浦機が大型の左前脚へ接近した。

 振り下ろされた脚を外側へかわし、着地した関節の内側へ実体剣を当てる。切断を狙わず、脚を畳ませる方向へ刃の腹で押すと、大型の上体が左へ沈んだ。

 蒼真は沈んだ胸部へ短槍を向け、右足を踏み込んだ。

「射出」

 杭が甲殻を貫き、大型の反応が消える。

 短槍は胸部へ残ったままだった。

 蒼真は両手を開き、後方へ跳ぶ。倒れ込む大型の前脚が地面を薙ぎ、リポルがいた場所を通過した。

《大型敵性個体、停止。装備放棄から危険範囲離脱まで、一・一秒》

『撤退開始』

 八神隊長の指示で全部隊が南へ向きを変えた。

 蒼真も進入してきた道を戻ろうとしたが、第三中隊は小型の群れを南へ引きつけたまま、第一中隊の退路を空けている。相馬所属中隊も後方支援区域を維持するため、その場を離れられない。行きに使った細い道は、倒れた中型と小型六体によって塞がれていた。

 右へ回れば岩壁、左へ回ればまだ動いている中型がいる。

「戻れません」

『橘、北側で待て。こちらから開ける』

 八神隊長が第三中隊を反転させる。

『第三中隊が戻れば、第一中隊の左が空きます。こちらから二機出します』

 相馬が所属中隊を動かしたが、その時点で別の小型群が南側の林道へ入り、後方支援区域への侵入判定が表示された。

 大型は倒した。

 リポルも損傷していない。

 しかし、リポルを迎えに戻ったことで大隊の役割が順にずれ、第三中隊の一機と後方支援区域が失われた。

 第二回も、失敗だった。

 蒼真が操縦席を降りると、演習室の床には冷房が効いていた。それでも背中には汗が残り、右手の指が短槍を握った形のまま固くなっている。

「倒せても、帰れませんでした」

「前回の武器評価と同じだな」

 八神隊長が水の入ったボトルを渡した。

「今回は、武器ではなく配置が原因だ」

「自分の帰る道を、第三中隊と相馬さんの中隊が作り続ける必要があります」

「違う。三個中隊と後方支援が使う撤退路を維持する。その一部を、お前も使う」

 蒼真はボトルの蓋へ指をかけたまま、八神隊長を見た。

「自分のために残す道ではないんですね」

「お前専用の道を作れば、お前が来なかった時に穴になる。誰が最後尾でも使える道にする」

 作戦本部は、蒼真一人を前提にした作戦を標準化しない。

 大型を倒す役割がリポルに与えられても、帰る仕組みまでリポル専用にしてはならない。

「分かりました」

 蒼真は水を一口飲み、中央画面へ戻った。

 第三回から、大型個体は二体へ増やされた。

 一体目は営巣地前に留まり、二体目は戦闘開始から三十秒後、東側斜面の林から現れる。事前の熱源探査では確認できなかった個体を想定していた。

 西側の市街地方向には、置き型杭打ち機による防衛線がある。二体目は相馬所属中隊が受け持ち、一体目を短槍型パイルで倒したあと、第一中隊を合流させる。第三中隊は小型と中型の分離を継続し、後方支援二機は最後まで撤退路を監視する。

 手順だけを聞けば、成立するように思えた。

 実際には、二体目は置き型パイルの正面へ進まなかった。

 第一中隊が一体目を拘束し、第三中隊が小型と中型を分離している間に、二体目は谷の途中で速度を落とした。正面に並ぶ三基の杭打ち機を見たあと、左の斜面へ前脚をかける。

 岩と樹木に覆われた急斜面は、フレイムワーカーなら進路に選ばない場所だった。しかし、大型は六本の脚を別々の高さへ置き、身体を傾けながら登り始める。

《大型敵性個体、防衛線を迂回。西側林道への到達予測、百九十秒》

『見えている罠へ、正面から来る理由がないか』

 三浦の声が聞こえた。

「置き型を隠しますか?」

『隠せば、射線も塞がれる』

 八神隊長が答える。

『杭で道を作るな。地形で道を作って、杭は最後に置け』

 訓練は中断され、設置位置が変更された。

 三基を谷の中央へ並べるのではなく、一本を東側の崩落斜面へ向け、二本を西側林道の手前へ下げる。敵へ進路を示す柵ではなく、大型が自分で選んだ先に待つ障害物として、岩陰と高低差へ紛れさせる。

 さらに第三中隊と相馬所属中隊の役割が分けられた。

 第三中隊は四機すべてで小型と中型を大型から離し、リポルの進入路を必要な時だけ開く。相馬所属中隊は二体目が現れるまでは南側の防衛線を維持し、出現後は四機で市街地方向と迂回路を塞ぐ。進入路を作るために前へ出すぎず、後方支援二機が守る撤退路へ敵を入れない。

 第一中隊は四機すべてを大型への拘束に残す。

 中型が包囲へ入った場合も、第一中隊は対応しない。第三中隊が間に合わなければ、リポルの進入を遅らせる。

 大型を早く倒すことより、役割を混ぜないことが優先された。

 四回目。

 一体目への進入路は作れたが、蒼真が近づく前に三浦機が大型の攻撃を二度続けて避け、予定より東へ流れた。大型の胸部は開いたものの、射出後に倒れる方向が撤退路と重なった。

「撃てません」

『見えています。戻します』

 三浦機が大型の正面へ入り直し、注意を西へ向ける。しかし、その数秒で二体目への位置共有が遅れ、相馬所属中隊の二機が同じ側へ寄った。空いた斜面を二体目が下り、置き型パイルの一本を側面から踏み壊した。

 五回目。

 蒼真は射出位置へ入ったが、二体目の市街地方向を塞ぐ相馬機と大型の間隔が狭すぎた。置き型パイルを作動させれば、相馬機まで射出範囲へ入る。

『そのまま下がれ!』

 八神隊長の声で相馬機が離れた時には、大型が射線を抜けていた。

『すみません。止めることを優先しすぎました』

 安西が苦笑を含んだ声で言った。

「杭の前で止めようとしないでください。通る位置だけ合わせれば、あとは杭が止めます」

『分かってるんだが、あれが後ろにいると、どうしても手前で止めたくなるな』

「自分も短槍を持っていると、近づきすぎます」

『それをお前に言われるとは思わなかったよ』

 六回目を始める前に、綾人が管制室から訓練を止めた。

『成功した回数を増やす前に、失敗する条件を整理しろ』

 中央画面へ、これまでの五回で作戦が崩れた場所が重ねられた。

 第一中隊が大型以外へ対応した時。

 第三中隊が進入路を早く作ろうとして前へ出た時。

 大型を予定された場所で倒すことを優先し、味方との距離が近づいた時。

 置き型パイルを敵へ見せ、進路を選ばせた時。

 リポルが射出位置へ急ぎ、帰還路の確認を後回しにした時。

『どれも、敵を早く止めようとして役割を越えた時に起きている』

 綾人の言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。

 蒼真は五回分の軌跡を一つずつ消し、最後に残った地形だけを見た。

「順番を固定しましょう」

『どうする』

「第三中隊が退路を確保したことを確認するまで、自分は進入しません。第一中隊は、大型がどこを向いていても、進入許可が出るまで倒す位置を作らないでください」

『好機があっても待つんですか』

 三浦が尋ねる。

「その好機で倒しても、戻れなければ失敗です」

 蒼真は二体目の移動経路へ、置き型パイルの射線を重ねた。

「二体目は、杭の場所へ連れていこうとしません。市街地方向へ出さない位置だけを維持して、選べる道を減らします。最後に残った道へ杭があればいい」

『馬を柵へ追うんじゃなく、柵のない方を塞ぐのか』

 相馬が言った。

「多分、その方が警戒されません」

『多分か』

「実物で試していないので」

『正直でよろしい』

 八神隊長は中央画面を見たまま、各隊へ修正した手順を送った。

 六回目。

 空洞から一体目の大型が現れ、第一中隊が四方へ広がる。三浦機は正面へ固定せず、攻撃のたびに左右へ位置を変えた。大型が一機を追おうとすれば別の機体が側面へ入り、向き直れば三浦が逆側から前脚を叩く。

 倒すための攻撃ではない。

 巨体の注意を四機の間で回し、谷の北側へ留めるための動きだった。

 第三中隊は外周へ広がらず、南北に長い配置を取った。八神機と安西機が中型三体を引き受け、その後ろで御堂機と片瀬機が小型の抜けた個体だけを止める。

 相馬所属中隊は第三中隊より南側で横に広がり、後方支援二機の前へ防衛線を作った。相馬機は中央から動かず、第一中隊と第三中隊の配置変更、二体目の移動方向を所属中隊へ順に伝えている。

 南へ続く林道には、最初から一機分の幅が残っていた。

 二体目が東側の林から現れる。

『第二目標、東側から出現。右翼二機による斜面封鎖と、左翼一機の西側林道への移動を要請します。俺は中央で情報をつなぎます』

『相馬所属中隊、了解。その配置で動く』

 相馬の通信に合わせ、所属中隊の二機が東側斜面へ向かう道を塞いだ。残る一機は西側へ回り、市街地へ続く林道の正面へ立つ。大型は三機を見比べ、相馬機が距離を保つ中央の谷を南へ進んだ。

 その先に置き型パイルは見えない。

 相馬所属中隊の右翼機が接近して大型の向きを僅かに西へ変え、すぐに元の位置へ戻る。第三中隊は小型と中型を引き受けたまま、中央の道を空けている。

『第二目標、想定経路へ入ります。第三中隊の位置、変更なし。第一中隊は一体目を継続』

 相馬は自分で穴へ走らず、三個中隊が今いる場所を言葉でつないだ。

《第二大型個体、想定誘導区域へ進入》

『退路確保』

 八神隊長の報告が届く。

『第一中隊、射出位置を作ってください』

 蒼真が告げると、三浦機が一体目の真正面へ走った。

 大型が右前脚を振り上げる。

 三浦は止まらず、その脚が落ちる場所の内側へ踏み込んだ。前脚が背後の地面を叩き、巨体の胸部が前へ沈む。三浦機は左肩を大型の脚へ当て、そのまま外側へ抜けた。

 大型の身体が三浦を追って左へ回る。

 第一中隊の二機が反対側から剣を入れ、回転を止める。残る一機が後脚の前へ立ち、後退だけを封じた。

 胸部甲殻が南へ向いた。

『橘さん、今です』

「進入します」

 リポルは短槍を両手で持ち、南側の待機線から走った。

 御堂機と片瀬機の間を抜け、八神機の背後を通る。右では二体目の大型が谷を下り、相馬所属中隊の四機が一定の距離を保ちながら、市街地方向と二つの迂回路だけを塞いでいる。

 蒼真はそちらを一度確認し、進行方向へ視線を戻した。

 残り五十メートル。

 三浦機が大型の左前脚へ剣を当て、振り払われる前に離れる。大型が追おうとして一歩踏み出し、胸部がさらに低くなった。

 残り十メートルで、蒼真は歩幅を狭めた。

 勢いのまま突けば、杭の位置がずれる。右足を甲殻へ向け、左足を後方へ置き、脚部から腰、肩、両腕までを一本につなぐ。

《上体傾斜、十一。転倒予測、二十九。射出姿勢、許容範囲内》

「射出」

 短槍の内部で杭が放たれた。

 反動が両腕から腰へ抜け、リポルの左足が砕石を削る。穂先は胸部甲殻を貫き、大型の内部反応が急速に低下した。

 巨体が前へ崩れる。

 蒼真は抜けないと判断した時点で両手を開き、右後方へ跳んだ。大型の胸部が地面へ落ち、短槍の柄が折れて砕石の中へ消える。

《第一大型敵性個体、停止》

「離脱します」

『そのまま南へ』

 八神隊長の声が返る。

 リポルは倒れた大型の右側を回り、空けられた退路へ向かった。

 同時に、二体目が谷の狭窄部へ入る。

 前方の岩陰から一基目の置き型パイルが作動した。斜めに打ち出された杭が右前脚の付け根へ刺さり、大型の身体が左へ傾く。避けようと向きを変えた先で、二基目が胸部側面へ杭を入れた。

 大型は止まらなかった。

 二本の杭を引きずりながら前進し、固定具が岩盤を削る。完全に倒す威力ではなく、動ける範囲を狭めるための防衛線である。

『第一中隊、第二目標へ移行』

 三浦機を先頭に四機が南へ走る。

 第三中隊は退路を塞ぐ小型と中型だけを排除し、置き型パイルへ近づかない。相馬所属中隊は第一中隊が合流するまで大型の三方向を囲み、市街地側だけを開けない。大型の動きは二本の杭によって遅くなり、向きを変えようとするたび、固定された射出部が巨体を谷の中央へ引き戻した。

 第一中隊四機が左右へ展開する。

 三浦機が前脚の攻撃を引きつけ、残る三機が同じ側面へ攻撃を重ねた。大型が三浦へ向き直ろうとしても、杭が胸部を引き、回転を途中で止める。

 七十六秒後、二体目の反応も消えた。

『全機、撤退』

 今度は、誰も来た道を作り直す必要がなかった。

 後方支援二機が維持していた南側の道へ第三中隊が入り、相馬所属中隊、第一中隊の順に下がる。三浦機は最後尾へ残ろうとしたが、八神隊長が先に退路へ入るよう指示し、相馬機と安西機が中隊間の最後尾を引き受けた。

 リポルは短槍を失っていたが、両手は空き、脚部にも損傷はない。

 蒼真は自分を含む十五の味方反応が南側の帰還線を越えるまで、自機を止めずに進んだ。

《参加全機、帰還区域へ到達》

 表示を確認してから、操縦桿から手を離した。

 視界が暗転し、演習室の照明が戻る。

 六回目で、初めて全員が帰った。

『固定再現を終了します』

 管制室から告げられた言葉に、蒼真は操縦席を降りかけた手を止めた。

「終了ではないんですか?」

『ここまでの六回は、修正内容を比較するため、敵性個体の出現位置と基本行動を固定していました。次からは行動変動へ移行します』

 正面画面へ、新しい訓練条件が表示される。

 地形と敵の総数は変わらない。

 しかし、大型が誰を優先して狙うか、どの道を選ぶか、小型と中型がどこへ集まるか、二体目が現れる時刻は固定されない。過去の戦闘記録で確認された範囲から、各個体が味方の配置と攻撃に応じて行動を選択する。

『六回目の動きを、そのまま繰り返しても成功しません』

「先に言ってもらえませんか?」

『固定条件で手順が成立する前に変動を加えても、失敗原因を分離できません』

 説明としては正しい。

 蒼真は操縦席へ座り直し、開きかけた固定具を締めた。

『行動変動訓練は十二回を予定しています』

「今日中にですか?」

『搭乗者負荷が中止基準へ達した場合は、翌日以降へ分割します』

 蒼真が通信を切らずに黙っていると、三浦から穏やかな声が届いた。

『橘さん。今日は帰れますよ』

「分かっています」

『顔が見えなくても、少し不安になりますね』

 相馬が笑いを堪えるように息を吐き、八神隊長が訓練再開を命じた。

 行動変動の一回目では、大型が三浦機を追わなかった。

 第一中隊の左翼機が側面へ剣を入れた瞬間、巨体は三浦の誘導を無視してそちらへ向き直り、岩壁との間へ追い詰めようとした。三浦機が正面へ入り直しても、大型は攻撃を受けた機体だけを狙い続ける。

『交代します』

 三浦は無理に注意を奪い返さず、自分がいた位置を空けた。狙われた機体が谷の中央へ大型を引き、三浦機は後方へ回って退路を塞ぐ。第一中隊の四機が役割を一つずつ横へずらし、包囲を維持した。

 蒼真は予定より二十七秒遅れて進入したが、退路は残っていた。

 二回目では、二体目の大型が現れたのは、一体目を短槍型パイルで停止させたあとだった。

 リポルはすでに武器を失い、第一中隊は一体目の周囲から離脱中だった。相馬所属中隊だけが即座に二体目の前へ入れる。

『第二目標、出現。第一中隊は合流まで四十八秒。第三中隊は現在位置を維持してください』

 相馬は自分で大型へ突っ込まず、所属中隊へ進路封鎖を要請した。四機は大型を倒そうとせず、市街地方向と二つの斜面を塞ぎ、中央の谷を下がりながら時間を作る。

 第一中隊が到着した時には、置き型パイルまで残り百二十メートルだった。

 三回目では、一基目の置き型パイルが作動しなかった。

 大型の踏み込みによって地盤が崩れ、固定具が想定角度から七度傾いたため、味方を射線へ巻き込むと判定された。

『一基目、使用不能』

 管制室の報告と同時に、蒼真は二基目だけでは大型の動きを止めきれないと判断した。

「短槍の射出を中止します。全機、第二防衛線まで下がってください」

『大型はまだ拘束できています』

 三浦の声が返る。

「今なら、です。自分が一体目を撃ったあとでは、二体目を止める火力が足りません」

 八神隊長が中止を承認し、大隊は大型を谷の北側へ残したまま、置き型パイルより南へ設定された第二防衛線まで後退した。

 討伐には失敗した。

 それでも、十五機は一機も失われなかった。

 五回目では通信中継機が損傷し、第一中隊と相馬所属中隊の直接通信が途切れた。相馬は第三中隊の回線を介して情報を渡し、八神隊長は命令を一度第三中隊へ集めてから各隊へ送り直した。

 命令は平均三・八秒遅れた。

 蒼真は進入を急がず、遅れを含めて退路が維持されていることを確認してから動いた。

 八回目では小型の半数が大型から離れ、後方支援区域へ向かった。第三中隊はリポルの進入路を作らず、後方へ下がって群れを受け止める。第一中隊は大型を倒す位置まで追い込んでいたが、三浦は好機を捨てて包囲を広げた。

 リポルが進入したのは、最初の機会から一分以上あとだった。

 十回目では二体目が置き型パイルを避け、営巣地側へ戻ろうとした。市街地から遠ざかる動きであっても、一体目を拘束する第一中隊と合流されれば、二体を同時に自由にすることになる。

 相馬は進路を塞ぐのではなく、二体目が選んだ道を各隊へ伝え続けた。第三中隊が小型と中型を東へ引き、第一中隊が一体目を西へ動かすことで、大型同士の距離を広げる。

 置き型パイルは使えなかったが、一体目を短槍で停止させたあと、三個中隊で残る一体を谷の奥へ押し戻した。

 搭乗者負荷を確認する休憩を挟みながら続けたため、十二回目が終わった時、演習室の時計は開始から七時間を越えていた。

 行動変動訓練、十二回。

 大型個体の停止と十五機全機の帰還を両立した回数は、九回。

 置き型パイルの不作動、退路への敵集中、二体目の出現位置が想定範囲を外れたことによって討伐を中止した回数は、三回。

 三回とも、大隊は第二防衛線へ後退し、十五機すべてが帰還した。

 撃破できなかった回はあった。

 帰れなかった機体はなかった。

*

 訓練後の評価会議では、固定再現の成功一回や行動変動で討伐に成功した九回より、作戦を中止した三回と、固定再現で失敗した五回の記録に長い時間が使われた。

 三個中隊が役割を越えた時間、相馬が自分で穴を埋めに動いたことで連絡が途切れた場所、リポルの進入を許可した位置、撤退路が塞がった理由、置き型パイルを大型が迂回した経路が、順に確認されていく。

「置き型杭打ち機は有効です」

 蒼真が言うと、綾人は正面の記録から目を離さなかった。

「ただし、置くだけでは避けられます。地形と部隊配置で大型が選べる道を減らし、最後に残る場所へ設置する必要があります」

「その判断は誰がする」

「事前の地形調査は作戦本部です。実際に大型が出た位置と移動方向は、現場で修正するしかありません」

「誰が修正するのかを聞いている」

 蒼真は答えようとして、中央画面を見た。

 六回目では、自分が二体目の移動経路を確認し、相馬へ進路を塞ぐ位置を伝えている。相馬が三個中隊の状況と重ねて八神隊長へ報告し、八神隊長が命令を出した。各機が実行したが、最初に地図へ線を引いたのは蒼真だった。

「見えている人が、でしょうか」

「随分と便利な答えだな」

 綾人は疲れたように眉間を押さえた。

「自分でなければ見えないとは言っていません。今回は相馬さんが各中隊へ伝えています」

「そう言えば、次は相馬へ集めた情報を全員へ同じように見せる仕組みを作る話になる」

「その方がいいと思います」

 綾人の手が眉間で止まった。

 八神隊長は中央画面を見たまま何も言わず、三浦は僅かに視線を伏せている。相馬は腕を組み、自分の役割が増えたことを理解した顔で天井を見ていた。

「橘さん」

「はい」

「今は、第十回評価の話だけにしましょう」

 三浦の声は穏やかだった。

「そうですね」

 蒼真が頷くと、綾人は深く息を吐いた。

 牧野が、固定再現六回と行動変動十二回の機体負荷を中央画面へ表示する。

「もう一つあります。行動変動十二回のうち、三浦一尉の機体は十回で脚部駆動の瞬間負荷が上限へ接近しています。最も長い回では、大型一体目を止めていた時間が三分二十二秒。その後も二体目への移行で同じ動きを続けています」

「継続不能ですか?」

 蒼真が尋ねると、牧野は首を横へ振った。

「シミュレーター上では、帰還できています。ただし、地面の沈み方、装甲への細かな衝撃、人工筋繊維の個体差までは完全には再現できません」

「実戦では壊れる可能性がある?」

「あります。三浦一尉が間違えなくても、機体が同じ動きを最後まで続けられる保証はありません」

 三浦は自分の負荷記録を見上げた。

「動きを減らせば、大型を止められません」

「分かっています」

 牧野は感情を挟まずに答え、最大負荷へ達した十一か所へ印をつけた。

「だから記録します。壊れたあとで、想定外だったと言わないためです」

 会議室が静かになる。

 固定再現の六回目と、行動変動で討伐を完了した九回を見れば、作戦は成功していた。

 大型が一体でも、二体でも、十五機すべてが帰還区域へ到達した。

 残る三回は、敵を倒さずに第二防衛線へ戻っている。

 しかし、行動変動で再現されたのは、過去の戦闘記録で確認された敵の選択肢だけである。地形、個体数、出現位置、機体性能が記録にない範囲まで外れた場合、同じ結果になる保証はない。

 実物の山は、画面と同じ硬さではない。

 大型も、予定された秒数で攻撃してはくれない。

 機体は、数値が限界へ達した瞬間に都合よく訓練を止められない。

「今日決めた手順を、第十回評価の基本案とする」

 八神隊長が告げた。

「ただし、実戦で手順どおりにならない場合は、撃破より撤退路を優先する。置き型が機能しなければ、増援到着まで市街地方向を塞ぐ。橘が射出位置へ入っていても、退路が消えた時点で中止する」

「了解」

「三浦」

「はい」

「お前の機体負荷は、実戦前にもう一度確認する。数秒を作るために、帰れなくなる動きは許可しない」

「了解しました」

 三浦は普段と変わらない声で答えた。

 蒼真は、中央画面に並んだ十五の帰還記録を見た。

 全員が帰る手順はできた。

 それでも、全員が帰れると決まったわけではなかった。

*

 蒼真が帰宅すると、昴は居間から走ってきた。

「ぱぱ! みんな、かえった?」

「帰ったよ」

「みうらも?」

「三浦一尉も帰った」

「そうまも?」

「相馬さんも帰った」

「やがみも?」

「八神隊長も、安西さんも、御堂さんも、片瀬さんも帰った」

 昴は途中から名前を理解していなかったようだが、全員という意味は伝わったらしく、満足そうに蒼真の脚へ抱きついた。

 居間では、結衣がソファに座り、夏休みの課題を広げていた。蒼真を見ると、鉛筆を置いて顔を上げる。

「何回失敗したの?」

「最初の固定訓練では、五回」

「そのあとは?」

「敵の動きが変わる条件で十二回やった。九回は大型を止めて全員帰った。三回は倒すのを中止して、全員で第二防衛線まで戻った」

「倒せなかった三回は、失敗なの?」

 結衣の眉が寄った。

「討伐だけを見れば失敗だよ。でも、無理に続けたら帰れなくなる条件は確認できた」

「じゃあ、帰る練習としては成功?」

「そうなると思う」

「ならいいけど」

 納得しきってはいない顔だったが、結衣は鉛筆を持ち直した。

 美咲は台所から出てくると、蒼真の顔より先に、右手を見た。

「痛いの?」

 蒼真は、自分が無意識に右手を握ったり開いたりしていたことへ気づいた。

「槍を握る動作を繰り返したから、少し固いだけ」

「シミュレーターでも、身体は疲れるのね」

「実機と同じ操作をするから」

「今日やった十八回は、置いてこられた?」

 朝に言われたことを思い出し、蒼真は玄関の方を振り返った。

 靴は脱いだ。

 鞄も置いた。

 けれど、大隊の撤退路が失われた表示や、相馬が自分で穴を埋めようとして後方を空けた軌跡、三浦機の脚部負荷が上限へ近づいた記録は、まだ頭の中に残っている。

「全部は、置いてこられてない」

「そう」

 美咲は責めずに答え、昴を蒼真の脚から離した。

「じゃあ、手を洗ってきて。夕食までに仕事の話が終わらなかったら、食卓には持ち込まないでね」

「分かった」

「成功した回も、中止した回も、今日は玄関に置いてきていいから」

「成功した方も?」

「家では、もう全員帰ってきたんでしょう?」

 蒼真は昴を見た。

 昴は両腕を広げ、見えない十五機をまとめて抱えるような動きをしている。

「みんな、かえった!」

「そうだね」

 蒼真は右手を開き、今度こそ力を抜いた。

*

 夜。

 日記。

―――

 八月十五日。

 第一中隊、第三中隊、相馬さんが所属する中隊の三個中隊と、後方支援三機による、第十回評価前の合同シミュレーター訓練が行われた。

 第一中隊は大型個体を拘束し、第三中隊は小型と中型への対応とリポルの進入路を担当する。

 相馬さんの中隊は、市街地方向の防衛、二体目の大型個体への対応、後方支援区域の維持を担当する。

 後方支援二機は、通信中継、損傷機の回収、全部隊の撤退路を維持する。

 自分は、退路が確保されたあとに進入し、短槍型杭打ち装備で大型個体を一体停止させる。

 最初の訓練では、相馬さんが第一中隊へ向かった中型個体を止めるために配置を離れた。

 大型個体への包囲は維持されたが、相馬さんの中隊がその動きへ引かれ、後方支援区域へ小型個体が侵入した。

 二回目は、大型個体を停止させたが、自分の撤退路がなくなり、第三中隊が迎えに戻ったことで後方へ敵が抜けた。

 大型個体を倒しても、全員が帰れなければ成功ではない。

 大型個体が二体いる条件では、置き型杭打ち装備を見た大型個体が斜面へ迂回した。

 敵を杭の場所へ追うのではなく、市街地方向と迂回路を部隊で塞ぎ、最後に残った道へ杭を置く手順へ変更した。

 六回目で、大型個体二体を停止させ、十五機すべてが帰還区域へ到達した。

 ここまでの六回は、敵の出現位置と基本行動を固定した訓練だった。

 その後、敵が味方の位置と攻撃に応じて行動を変える条件で、十二回訓練した。

 大型個体を停止させ、十五機すべてが帰還したのは九回だった。

 置き型杭打ち装備が使えない場合、敵が退路へ集中した場合、二体目の出現位置が想定から外れた場合は、討伐を中止した。

 中止した三回も、十五機すべてが第二防衛線まで帰還した。

 敵を倒せなかったため、討伐としては失敗になる。

 ただし、帰れない条件で攻撃を続けないことは確認できた。

 三浦一尉の機体は、脚部と腰部の負荷が何度も上限へ近づいていた。

 シミュレーターでは帰還できたが、実際の地面や機体の損耗を完全には再現できないと牧野さんから説明された。

 手順ができたことと、実戦でも同じ結果になることは別らしい。

 帰宅すると、昴から全員帰ったか尋ねられた。

 今日は全員帰ったと答えられた。

 美咲から、成功した回も、中止した回も、今日行った十八回を家へ持ち込まなくていいと言われた。

 家では、すでに全員帰っているからだと思う。

 第十回評価でも、同じ返事ができるようにする。

 以上。

―――

*

 中央戦術支援統合網では、合同シミュレーター訓練の記録が、成功と失敗に分けず解析されていた。

 第一中隊による大型個体の拘束。

 第三中隊による周辺個体の分離。

 相馬所属中隊による第二大型個体の進路制限と後方防衛。

 相馬による三個中隊間の情報接続。

 全隊共通の撤退路維持。

 短槍型杭打ち装備による一体目の先行停止。

 置き型杭打ち装備による残存個体の移動制限。

 固定再現の六回目において、すべて成立。

 参加全機が帰還区域へ到達した。

 続いて、過去の戦闘記録から確認された行動範囲を用い、敵性個体の標的選択、移動経路、出現時刻を変動させた十二回の追加訓練を実施。

 討伐完了および全機帰還。

 九回。

 討伐中止および全機帰還。

 三回。

 搭乗者喪失。

 ゼロ。

 ただし、成功条件は限定される。

 大型個体の出現位置。

 地形強度。

 置き型杭打ち装備の固定状態。

 三個中隊および後方支援の通信維持。

 三浦直人機の脚部および腰部駆動の継続。

 橘蒼真による戦域情報の確認と進入判断。

 いずれかが想定範囲を外れた場合、討伐手順の再現率は低下する。

 ただし、役割の優先順位、進入中止条件、第二防衛線への後退手順は維持された。

 特に三浦直人機は、現行量産機の設計上限に近い加速、制動、方向転換を反復している。

 搭乗者の操作に誤りはない。

 機体性能が、搭乗者の要求へ追従できない可能性がある。

 合同訓練によって、敵の動きが変化した場合にも、全員が帰るための判断基準は作成された。

 同時に、その手順を成立させるため、誰が最も長く危険区域へ留まるかも明確になった。

 第十回評価。

 大型敵性個体に対する実地評価。

 準備を継続する。

 観察を継続する。

―――

第九十話 終


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