第八十五話 空いた場所のすべて
九月最初の日曜日、蒼真は、昴が味噌汁の中へ落とした豆腐を箸で探していた。
昴が自分で取ろうとするたび、柔らかい豆腐は箸先から逃げ、白い欠片になって椀の底へ沈んでいく。向かいに座る結衣は、二学期が始まってから最初の休みということもあり、まだ半分ほど眠っていた。箸を持つ手は動いているが、目はほとんど開いていない。
「今日は、七回目だよね」
美咲が焼き魚の皿を置きながら尋ねた。
「うん。救助と回収と退路維持。それから、戦闘も評価に入ってる」
「全部?」
「全部」
蒼真が答えると、結衣の目が少しだけ開いた。
「今までは、別々に試験してたんじゃなかった?」
「別々にできたから、一緒にできるか調べるらしい」
「学校だったら、まとめのテストみたいなもの?」
「多分」
「まとめのテストで問題を増やす先生は嫌われるよ」
結衣はそう言ってから、眠そうな顔のまま味噌汁を飲んだ。
蒼真も同じことを考えていた。
第三回から第六回までに行ったことを、今日は一つの区域で同時に求められる。損傷機役の機体を回収している間も標的は止まらず、負傷者役の人形を運んでいる間も退路を確認しなければならない。
実機を使うとはいえ、予定されているのは訓練である。相手は無人標的で、負傷者も人形だと説明されていた。
それでも、戦闘が起きる場所へ入ることに変わりはない。
「嫌なの?」
美咲の問いに、蒼真は箸を止めた。
「嫌だよ。訓練でも、攻撃されるのは同じだから」
「それでも、受けるのね」
「六回までの結果を確認するための試験だから」
美咲は蒼真の顔を見たあと、昴の椀へ箸を入れた。逃げ続けていた豆腐を一度でつまみ、小皿へ移す。
「今日は、何をして帰ってくるの?」
「損傷機役を二機と、負傷者役を四人。それから、参加する部隊全員」
「敵は?」
「必要なら止める」
「なら、それを忘れないで」
美咲が何を指しているのか、蒼真には分かった。
敵を倒すことではない。最初に口にしたものを、全部帰すことだった。
「分かりました」
昴が小皿の豆腐を口へ入れ、頬を膨らませたまま右手を上げる。
「りぽる、みんな、かえる!」
「そうだね」
蒼真が頷くと、結衣もようやく両目を開いた。
「お父さんも入ってるからね」
「分かってる」
「毎回言われてるけど、本当に分かってる?」
「毎回帰ってるよ」
「じゃあ、今日も帰ってきて」
当たり前のことを確認するような結衣の声に、美咲が小さく笑った。
蒼真は残っていた味噌汁を飲み、三人へ行ってきますと告げた。
*
第七回評価は、新川町の北にある旧流通団地で行われる予定だった。
町との間には幅の広い河川と堤防道路があり、団地側には閉鎖された倉庫が十数棟残っている。実機による救助と回収の訓練を行っても、住民の生活へ影響を出しにくい場所として選ばれていた。
参加機は、第三中隊の四機、第一中隊から随伴評価へ入った三浦機、そしてリポルの六機だった。
第三中隊と三浦は、区域の外周警戒と、蒼真が救援を求めた場合の対応を担う。区域内には損傷機を模した実機二機、負傷者役の人形四体、避難車両役の無人車が置かれ、複数の無人標的が、評価用AIの指示に従って進路を変えることになっていた。
蒼真はリポルの操縦席で、正面表示に重ねられた配置図を確認していた。
『橘、目的を確認する』
八神隊長の声が通信へ入った。
「損傷機役二機と負傷者役四名を南側回収線まで移送。退路を維持し、区域内の標的へ対処します」
『標的の全停止は目的に含まれない』
「はい」
『第一中隊と第三中隊は、救援要請があるまで区域外で待機する。危険だと判断した場合は、こちらから中止する』
「了解しました」
『橘さん』
三浦の声が続いた。
「はい」
『今日は近くにいます。無理なら呼んでください』
「お願いします」
正面表示の開始時刻が、一分を切った。
蒼真は操縦桿を握り、AIへ周辺監視と各機の位置更新を頼もうとした。
その直前、表示されていた評価用の地図が消えた。
代わりに、赤い警報画面が操縦席を覆う。
《中央防衛局緊急通報。新川町北部に敵性個体群が侵入。小型二十九、中型五を確認。追加反応を照合中》
予定された開始音は鳴らなかった。
通信回線の優先順位が切り替わり、評価班の声と同時に、町側から複数の通報が流れ込んでくる。
『北部工業道路で車両が――』
『新川小学校への避難誘導を開始。北側の住民が残っています』
『消防第二班、県道十八号で進行不能。敵性個体を目視』
八神隊長の声が、重なった通信を切った。
『全機、評価を中止。実戦装備を確認しろ』
蒼真は機体状態を開いた。
リポルの装備は実体剣、防盾、短距離防御砲。実機評価のため、無人標的用の出力制限は設定されているが、武装そのものは実戦用だった。
「リポル、出力制限を解除。実戦設定へ移行」
《解除には指揮官承認が必要です》
『承認する』
八神隊長の声と同時に、表示が切り替わった。
《実戦設定へ移行。短距離防御砲、残弾六。周辺地図を新川町へ更新します》
第三中隊の四機が、旧流通団地の東門へ向かって動き始める。三浦機も待機位置を離れ、その後ろへ続いた。
『町の常駐警備機は?』
三浦が尋ねた。
『南部復興区の警戒へ出ている。最短でも三十五分』
『近隣中隊は?』
『招集中だ。到着まで四十分以上』
八神隊長は短く答え、全機へ町の地図を送った。
新川町は、北側を山林、東側を河川、西側を旧市街の住宅地に囲まれている。敵性個体群は北の採石道路から侵入し、三つに分かれていた。
最も大きい群れは、中央の県道を南下している。中型三体と小型十五体。
東へ分かれた中型一体と小型六体は、河川沿いの道路から町の中心へ向かう。
西側住宅地には、中型一体と小型八体が入っていた。
住民の避難先は、南東にある新川小学校である。
北側の住民は、中央県道か西側住宅地の道路を通らなければ、学校へ向かえない。
『俺と片瀬、御堂は中央県道で主群を止める。安西は西側住宅地へ入り、消防と避難車両を南へ通せ』
八神隊長の指示に、三つの応答が重なる。
『三浦は東側。中型を河川道路で止めろ』
『了解』
『橘は中央県道と西側住宅地の間へ入れ。退路を維持しながら、必要な方へ支援しろ』
「了解しました」
評価で予定されていた役割と、似ている。
損傷機役も、負傷者役もいない。
代わりに町があり、道路には本物の車が止まり、家の中には逃げ遅れた人がいる。
失敗しても、試験をやり直すことはできない。
リポルは第三中隊の後ろから堤防道路を越え、新川町へ入った。
*
中央県道には、避難する車両が列を作っていた。
片側二車線の道路を南へ向かう車と、途中で乗り捨てられた車が混在し、交差点では消防隊員が手旗を振って流れを変えている。北側からは低い鳴き声と、何かが路面を削る音が近づいていた。
蒼真はリポルを中央分離帯へ立たせ、住民の車両と敵性個体群の間へ機体を向けた。
《中央主群、距離四百八十。八神機、片瀬機、御堂機が接触まで二十五秒》
「西側は?」
《安西機が中型一、小型八と接触。消防車両二、避難用小型バス一が後方にいます》
「東側」
《三浦機が中型一と交戦開始。小型六体のうち二体が南へ進路変更》
すべてを見ると、目の前の避難車両を見失う。
蒼真はAIへ、中央主群、三浦機、安西機の表示を画面の端へ縮小するよう指示した。
「町内の避難誘導を優先表示。敵が住民へ向かった時だけ、全画面へ戻してください」
《了解しました》
交差点の北側から、小型個体三体が現れた。
主群から先行した個体だった。背を低くし、道路に残された車の間を縫って南へ走ってくる。
消防隊員が住民を歩道へ誘導し、交差点から退避した。
蒼真はリポルを車線の中央へ進めた。
一体目は正面から来ず、停車した乗用車の屋根へ飛び乗った。二体目は中央分離帯へ回り、三体目は車の陰へ身体を隠したまま右側から近づく。
車両を盾にしている。
短距離防御砲を使えば、住民の車ごと破壊する。
蒼真は実体剣を抜き、防盾を胸の前へ構えた。
屋根の上にいた一体目が跳ぶ。
リポルは後ろへ下がらず、左足を乗用車の前へ置いた。防盾の上端を敵の腹部へ入れ、跳躍の勢いを上へ流す。小型個体の身体が盾を越えかけたところで左腕を外へ振り、中央分離帯へ投げ落とした。
二体目が、その着地点を避けてリポルの右脚へ入る。
蒼真は剣を振り下ろさず、右足を半歩引いた。敵の頭部が脚部装甲の前を通過した瞬間、剣の柄を首の後ろへ当て、そのまま地面へ押しつける。
刃を返し、首の付け根へ突き込んだ。
右側の車の陰から、三体目が飛び出す。
蒼真は剣を抜く動作を止めなかった。右腕を後方へ引く勢いへ腰の回転を重ね、左腕の防盾を右へ振る。
盾の側面が小型個体の肩へ当たり、身体が乗用車の前部へ叩きつけられた。ボンネットが潰れ、警報音が鳴り始める。
小型個体が起き上がる前に距離を詰め、胸部へ剣を差し込んだ。
最初に投げた一体が、中央分離帯から立ち上がる。
敵の背後には、まだ人を乗せた軽自動車が二台残っていた。
蒼真は敵と車の間へ防盾を置いた。
小型個体が盾へ噛みつき、爪を装甲の縁へかける。左腕が引かれ、リポルの上体が前へ傾いた。
《転倒予測、三十二》
蒼真は振り払わず、左腕をさらに前へ出した。
敵は抵抗が消えたことで身体を伸ばし、盾の奥へ頭部を入れる。
蒼真は左肘を閉じ、防盾と胸部装甲の間へ小型個体を挟んだ。動きを止めたところへ実体剣を下から入れ、腹部から胸へ貫く。
抵抗が消えた身体を路肩へ落とした。
《中央交差点の小型三体、停止》
背後で、消防隊員が残っていた二台へ手を振った。
軽自動車が交差点を抜け、南へ走り出す。
蒼真はそれを見届ける前に、北側の表示を開いた。
八神機、片瀬機、御堂機が中央主群と接触している。八神機が中型一体を引き受け、片瀬機と御堂機が小型を県道の北側へ押し返していた。
『片瀬、右側を通すな』
『了解しました。二体、こちらで止めます』
『御堂は左を抑えろ』
『はい。県道の外へは出しません』
三浦は東側で中型を河川敷へ寄せている。南へ抜けようとした小型二体も、道路脇へ追い込まれていた。
西側だけ、表示が乱れていた。
《安西機、姿勢情報消失。通信は継続しています》
『こちら安西。右脚をやられた。歩けねえ』
通信の向こうで、装甲へ何かがぶつかる音がした。
『腕は動く。俺が中型を止める。西側のバスを先に出せ』
《西側住宅地。小型バス一台が倒壊した電柱により停止。乗員十一。消防隊員五。中型一、小型六が接近しています》
「八神隊長」
『行け』
蒼真が状況を説明する前に、返事が届いた。
『中央は俺と片瀬、御堂で持たせる。安西と住民を帰せ』
「了解しました」
リポルは中央交差点を離れ、西側住宅地へ入った。
*
西側の道路は、古い住宅が両側へ迫る一車線だった。
南へ向かう小型バスの前には、道路を横切るように電柱が倒れ、電線が車体の屋根へ垂れている。先頭にいた消防車は通過していたが、後続の一台はバスの後ろで止まり、隊員たちが乗客を降ろそうとしていた。
バスには高齢者が多い。
消防隊員に支えられながら降りても、敵性個体が来る前に全員を建物へ移すことはできない。
安西機は、バスから北へ六十メートル離れた交差点で片膝をついていた。右脚の膝下が不自然に曲がり、地面へつけられない。防盾を持つ左腕で中型個体の前脚を受け、右手の武器で小型を牽制している。
中型の後方には、小型六体。道路には、安西機がすでに停止させた二体が倒れている。
うち二体が安西機を迂回し、住宅の塀を越えてバスへ向かっていた。
《迂回個体、乗員まで百十。到達予測、二十秒》
「安西さん、聞こえますか」
『聞こえてる』
「両腕は動きますか」
『動く。駄目なのは右脚だけだ』
「中型を、その場で止めてください。自分はバスを先に出します」
『分かってる。早く行け!』
安西機の盾へ、中型が頭部をぶつけた。
片脚で支えられない機体が後ろへ押され、背中が住宅の外壁へ当たる。壁の一部が崩れ、屋根瓦が道路へ落ちた。
蒼真はリポルをバスへ向かわせながら、短距離防御砲の照準を表示した。
塀の向こうを走る小型二体は、上半身だけが断続的に見える。直接狙えば、住宅へ砲弾が入る。
「塀の出口を予測」
《前方交差点、右側。十二秒後に一体目》
蒼真は砲口を、誰もいない交差点の路面へ向けた。
一体目が塀を越え、道路へ着地する。
照準が重なった瞬間、引き金を引いた。
砲声が住宅地へ響き、小型個体の胸部が後方へ弾けた。身体は着地できず、道路を転がって側溝へ落ちる。
二体目は、倒れた仲間を飛び越えてくる。
次弾を撃てば、背後のバスへ射線が重なる。
蒼真は砲口を下げ、リポルを前へ踏み込ませた。
小型個体が跳び上がり、防盾の上から頭部を狙う。
蒼真は左腕を持ち上げず、盾を僅かに外へ傾けた。敵の前脚が盾の縁を滑り、身体がリポルの右側へ流れる。
すれ違う位置へ実体剣を立てる。
小型個体は、自らの速度で刃へ入り、胸部から背中まで貫かれた。
リポルの右腕が敵の重さに引かれる。
蒼真は剣を振り払わず、切っ先を路面へ向けた。身体を地面へ滑らせ、重量が消えたところで刃を抜く。
《バスへ接近した二体、停止》
「消防の方、バスの乗員は降ろさないでください。車両を動かします」
『電線が屋根にかかっている!』
「送電は?」
《該当区画は緊急遮断済みです》
蒼真は実体剣を収納し、倒れた電柱へ近づいた。
電柱の中央を持ち上げれば、垂れた電線がバスの屋根を引く。まず防盾の上端を電線の下へ入れ、車体から離すように持ち上げる。その状態で右手を電柱の根元側へかけた。
左腕で電線、右腕で電柱を支える。
《右腕負荷、六十八。左肩負荷、五十九》
蒼真はリポルの腰を落とし、右足を道路脇へ置いた。
電柱を持ち上げるのではなく、折れた根元を軸にして道路の外へ回す。柱の先端が舗装を擦り、細かな破片を散らした。
バス一台分の幅が開く。
「前へ。止まらないでください」
消防隊員が運転手へ合図を送った。
バスのエンジン音が上がり、垂れた電線の下をゆっくり通過する。後ろの消防車も続いた。
蒼真は二台が南の角を曲がるまで、電柱と電線を支え続けた。
《中型個体が安西機の防盾を突破。小型四体が南下を開始しました》
電柱を路肩へ下ろし、リポルを反転させる。
安西機は、住宅の壁へ背中を預けたまま中型の前脚を両腕で受けていた。防盾は路上へ落ち、右手の武器も弾かれている。
小型四体は、安西機の横を抜けてバスを追おうとしていた。
蒼真は道路の中央を走った。
《小型四体まで七十。中型まで九十》
先頭の一体がリポルへ向きを変え、残る三体は左右の住宅へ分かれようとする。
「三体の進路を優先表示」
《了解しました》
正面から来る一体は、視界の中央から外す。
蒼真は防盾を身体の横へ畳み、実体剣を右肩の高さへ固定した。小型個体が低く飛び、リポルの脚部へ爪を伸ばす。
左足を敵の外側へ置き、身体を半歩だけ横へずらす。すれ違う頭部へ剣の柄を当て、突進の向きを道路脇へ変える。
敵が塀へぶつかったところで、首の付け根へ刃を押し込んだ。
剣を抜きながら、左腕を住宅側へ向ける。
塀を越えようとした一体へ防盾の縁を下から当て、身体を道路へ戻す。着地した敵の胸へ右足を踏み込み、舗装との間へ押さえつけた。
残る二体は、反対側の家屋の間へ入っている。
《一体は南へ移動。もう一体は安西機へ戻ります》
南へ向かった一体を逃がせば、バスへ追いつく。
安西機へ戻る一体を無視すれば、中型に押さえられている搭乗者が危険になる。
「バスとの距離」
《百九十。消防車両が後方を警戒しています。小型個体の到達まで四十六秒》
「安西機を先にします」
《了解しました》
蒼真は足元の敵へ実体剣を突き下ろし、安西機へ向かった。
中型は安西機の胸部へ体重をかけ、頭部を装甲へ押しつけている。その後ろから戻った小型が、動かない右脚へ噛みつこうとしていた。
「安西さん、左腕を離せますか」
『離したら、こいつが来る』
「三秒だけ、右へ流してください」
『三秒だな。遅れんなよ』
「はい」
蒼真はリポルを中型の左側へ入れた。
「今」
安西機が、両腕で受けていた中型の前脚を右へ振る。
支えを失った中型の上体が前へ落ち、頭部が安西機の左肩を越えた。
蒼真は中型の脇腹へ防盾を差し込み、左腕を持ち上げる。敵の胸部が浮き、安西機との間に僅かな隙間が生まれた。
リポルはその隙間へ右足を入れ、身体ごと中型を外側へ押した。
安西機が壁際から抜ける。
同時に、小型が壊れた右脚へ飛びついた。
安西機は左腕を伸ばし、敵の首を掴んだ。片膝をついた姿勢のまま地面へ叩きつけ、右手で拾った瓦礫を胸部へ押し込む。
『一体、止めた!』
「中型を引き受けます。牽引索を準備してください」
『分かった』
中型が、リポルへ身体を向け直した。
道路の幅は十二メートルほどしかない。左右は住宅と塀で塞がれ、後ろには歩行不能の安西機がいる。
避ければ、敵が安西機へ戻る。
蒼真は防盾を正面へ構え、右手の剣先を低くした。
中型が前脚を振り上げる。
爪が上から来ると見せかけ、頭部を下げて突進した。
《衝突予測》
警告より先に、蒼真は左足を引いた。
防盾を正面からぶつけず、下端を路面へつけ、上端を右へ傾ける。中型の頭部が盾へ当たり、そのまま表面を滑った。
衝撃が左腕から腰へ抜け、リポルの右足が半歩後ろへずれる。
蒼真は押し返そうとせず、敵の進行方向へ腰を回した。
中型はリポルの左側を通り、住宅の塀へ肩をぶつける。
塀が崩れ、敵の前脚が瓦礫へ沈んだ。
その背へ踏み込み、実体剣を首の付け根へ振り下ろす。
刃は装甲の隙間へ入ったが、骨格へ当たって止まった。
中型が身体を振り、リポルの右腕を剣ごと外へ弾く。
蒼真は剣を手放さなかった。右肩が引かれる方向へ一歩踏み出し、敵の背中へ近づく。離れて剣を抜こうとせず、柄を両手で握り直し、脚部と腰の出力を刃へつないだ。
リポルの上体が沈み、切っ先が内部へ進む。
中型の前脚が瓦礫を掻き、塀の残骸を周囲へ飛ばした。
左後方から、安西機の声が届く。
『牽引索、つけた!』
「先に南へ」
『一人でやる気か』
「バスへ向かった小型が一体います。追ってください」
安西機の返事が止まった。
中型を倒さなければ、蒼真はここから動けない。
しかし安西機が残れば、バスへ向かった小型へ誰も届かない。
『分かった。死ぬなよ』
「帰ります」
安西機は回収に備えて牽引索を腰部へ固定すると、左脚と両腕を使って南へ動き始めた。歩行ではなく、半ば地面を滑るような移動だったが、止まってはいない。
中型が上体を起こし、背中のリポルを壁へ押しつけようとする。
蒼真は剣から右手を離し、敵の肩へ当てた。左手だけで柄を保持し、右腕で身体を支えながら、リポルの右足を塀の基礎へ置く。
壁へ押される力を、脚部から右腕、敵の肩へ戻す。
中型の身体が止まった。
蒼真は右手を再び柄へ戻し、腰を捻る。
刃が首の内部を横へ切り、反対側の装甲へ当たった。
中型の前脚から力が抜け、巨体が道路へ崩れた。
《中型敵性個体、停止》
蒼真は剣を抜き、南側の表示を開いた。
バスは二百六十メートル先を走っている。
小型一体が、住宅の庭と路地を使いながら距離を縮めていた。
安西機はその後方から追っているが、損傷した右脚を引きずるため、速度が上がらない。
《小型個体、バスまで六十二。到達予測、十一秒》
「短距離防御砲、残弾」
《五》
住宅が射線を遮っている。
蒼真はリポルを走らせた。
*
小型個体が最後の住宅の角を曲がり、バスの後方へ出た。
消防車が道路を斜めに塞ぎ、隊員たちが車体の陰から銃を向けている。しかし、小型個体の速度に照準が追いついていない。
バスの窓から、乗客の顔が見えた。
敵は消防車を避け、歩道へ上がる。
《バスまで二十八》
蒼真は、住宅の間から道路へ出る直前に短距離防御砲を構えた。
射線の先にはバスがある。
「右側の街路樹で遮れますか」
《〇・八秒後、小型個体が街路樹と重なります》
照準が動く。
小型個体は歩道を走り、街路樹の陰へ一度だけ身体を隠した。
そこから前へ出る瞬間、蒼真は引き金を引いた。
砲弾は敵の右肩から胸部へ入り、身体を車道側へ弾き飛ばした。
小型個体は消防車の前へ転がったが、まだ前脚を動かしていた。
蒼真はリポルをバスと敵の間へ滑り込ませ、防盾を車両側へ向けた。右足で敵の胴を踏み、実体剣を首の付け根へ押し込む。
前脚が路面を掻き、やがて止まった。
《小型敵性個体、停止》
バスは止まらず、消防車の横を抜けて南へ走っていく。
蒼真は防盾越しに、車体が次の交差点を曲がるまで見送った。
『橘、安西機と合流した』
三浦の声が届いた。
東側の敵を止め、町を横断してきたのだろう。
「中型は?」
『停止させました。東側の小型も消防へ引き継いでいます。安西機を牽引します』
「お願いします」
『橘さんは?』
蒼真は周辺表示を確認した。
中央県道では、八神機、片瀬機、御堂機が主群を北側へ押し戻している。中型二体は停止し、残る一体も八神機と片瀬機に挟まれていた。
西側の小型八体のうち、七体は止めた。残る一体は安西機が仕留めている。
バスと消防車は、南側避難区域まであと四百メートル。
「西側の住民と安西機は帰せます」
『橘さん自身は?』
「機体は動きます」
『聞き方を変えます。帰れますか』
蒼真は操縦桿を握る手を見た。
震えはあるが、動く。呼吸も速いが、意識ははっきりしている。
「帰れます」
『了解。では、中央へ戻ります』
「三浦一尉は、安西機をお願いします」
『そちらも気になります』
「八神隊長がいます。安西機には、三浦一尉しかいません」
少しの間を置いて、三浦が息を吐いた。
『分かりました。南側で待ちます』
通信が切れる。
蒼真はバスが避難区域へ入ったことを確認し、リポルを中央県道へ向けた。
*
中央県道へ戻った時、戦闘は終わりかけていた。
八神機が中型の正面を押さえ、片瀬機と御堂機が左右から脚部を破壊している。小型の大半は路上へ倒れ、残る二体も北側へ逃げようとしていた。
『橘、南側は』
「避難用バスと消防車両二台、住民十一名、消防隊員五名が避難区域へ到達しました。安西機は三浦一尉が牽引しています」
『負傷者』
「住民に転倒二名。消防隊員一名が軽傷。安西さんは通信可能です」
『了解した』
八神隊長は、目の前の中型から視線を外さなかった。
『残り一体、止めるぞ』
「はい」
中型が、右側を押さえる機体へ前脚を振った。
八神機が正面から武器を打ち込み、敵の上体を左へ向ける。蒼真は空いた右側へ入り、防盾を傷ついた前脚へ押し当てた。
『御堂さん、後ろの二体をお願いします』
『分かりました。こちらで止めます』
中型の動きが止まる。
左側にいた片瀬機が、後脚へ刃を入れた。
巨体が傾いたところへ、八神隊長が胸部へ武器を突き込む。
中型は数歩後退し、中央分離帯へ倒れた。
《活動反応、低下》
「まだです」
蒼真は敵の首元へ実体剣を差し込み、八神隊長と反対側から押した。
二本の刃が内部で重なり、残っていた抵抗が消える。
《中型敵性個体、停止》
県道に静けさが戻った。
遠くでは、消防車と救急車の音が続いている。家屋の警報音や、乗り捨てられた車のクラクションも鳴ったままだった。
完全な静寂ではない。
それでも、敵性個体が地面を走る音は消えていた。
『全機、周辺警戒を継続。救助隊の進入路を空けろ』
八神隊長の指示に、蒼真は中央県道を見渡した。
倒れた敵性個体と、乗り捨てられた車両が道路を塞いでいる。このままでは、北側住宅地へ向かう救急車が通れない。
リポルは剣を収納し、最も大きな中型の死骸へ防盾を当てた。
『橘、何をしている』
「救助隊の道を空けます」
『機体負荷は』
《継続可能範囲です》
「継続できます」
八神隊長は何かを言いかけたが、止めなかった。
片瀬機と御堂機も武器を収め、道路上の小型個体を路肩へ移し始める。
三機で死骸と車両を寄せると、中央県道に一本の通路ができた。
待機していた救急車が、紫色のリポルの横を通り、北側住宅地へ向かう。
蒼真は最後の一台が通過するまで、その場を動かなかった。
*
新川町への敵性個体侵入は、発生から五十二分後に制圧された。
住民の死亡者はゼロ。
重傷者はなく、避難中の転倒や破片による軽傷者が七名。消防隊員二名が負傷したが、いずれも命に別状はなかった。
安西機は右脚部を大きく損傷し、単独帰還不能となったものの、搭乗者は軽傷だった。機体は三浦機に牽引され、南側の臨時整備区画まで回収された。
町へ侵入した敵性個体は、中型五体、小型二十九体。近隣部隊が到着する前に、評価へ参加していた六機と消防、警察によってすべて停止または拘束された。
予定されていた第七回評価は、開始前に中止されている。
そのため蒼真は、帰還後の指揮所で、次の日程を説明されるものだと思っていた。
しかし、正面の画面へ表示されたのは、新川町におけるリポルの行動記録だった。
「本日の第七回評価は、緊急事態発生により中止されています」
担当者が最初に確認した。
「はい」
「一方で、予定していた評価項目は、すべて実戦環境下で記録されました」
画面には、蒼真が通った経路が表示されている。
中央県道での退路維持。
避難用バスと住民十一名の救助。
消防車両二台の進路確保。
歩行不能となった安西機の救援と回収支援。
小型七体、中型一体の単独停止。加えて、第三中隊との共同で中型一体を停止。
救急車両の進入路確保。
「訓練用標的や人形を使用した場合より、実戦環境の方が条件は厳しく、取得できた情報も多いと判断されています」
「では、試験をやり直す必要はないんですか?」
「評価班としては、本日の実戦記録を第七回評価へ代替適用する案を提出します」
蒼真は画面の端にある機体負荷を確認した。
「予定していた評価と、状況が違います。損傷機は一機だけで、負傷者も人数が違います」
「予定された手順を再現できたかではなく、救助、損傷機回収、退路維持、敵性個体への対処を同時に成立させられたかを評価します」
担当者は、次の資料を開いた。
本来の評価では、三つの役割を三機へ分ける想定だった。
負傷者の救助と避難支援。
損傷機の回収。
退路維持と敵性個体への対処。
「橘二尉は、すべてを単独で行ったわけではありません」
「はい。第三中隊と三浦一尉、消防、警察がいました」
「そのとおりです。重要なのは、他者が担当する場所を奪わず、空いた場所へ移動し続けたことです」
中央県道では、第三中隊の戦線へ入らず、避難車両を通した。
西側では、安西機へ中型を任せ、先にバスの退路を開いた。
安西機が動けなくなると中型を引き継ぎ、安西機にはバスを追う小型の対応を頼んだ。
三浦が東側を終えたあとは、歩行不能機の牽引を任せ、自分は中央県道へ戻った。
「橘二尉が三機分の仕事を行った、と単純には評価しません。状況に応じて、自機と他機、消防、道路設備の役割を組み替え、どの場所も無人にしなかったと評価します」
三浦が腕を組み、画面へ残る西側の経路を見た。
「俺が安西機を回収できたのは、橘さんが西側の中型を止めたあとです。東側を放棄して向かったわけではありません」
「三浦一尉が東側を離れると、中型と小型が町の中心へ入る可能性がありましたから」
「ええ。だから行けなかった」
三浦は蒼真へ視線を向けた。
「でも、俺が行けない間を埋めました」
「安西さんと消防の人たちも動いていました」
隣に座っていた綾人が、額へ手を当てた。
「頼むから、少しだけ黙っていてくれ。正しい説明を加えるたびに、評価が上がってる」
「自分一人の実績になるのは違うと思います」
「その考えで他人を使えていることまで評価されてるんだよ」
蒼真には、反論の続け方が分からなかった。
八神隊長は、腕を組んだまま画面を見ていた。
やがて担当者が、リポルの評価分類を開く。
これまで付けられていた支援、救助、戦闘支援という三つの仮分類が灰色へ変わり、新しい文字が表示された。
《独立複合任務対応機》
「既存の支援機または戦闘機という分類では、本日の運用を正確に表せません。リポルと橘二尉の組み合わせを、一つの独立した戦術単位として扱う必要があります」
「一機を、一つの部隊として扱うんですか?」
「部隊ではありません。現時点では、戦術単位です」
「違いは?」
「今後決めます」
蒼真は答えを失った。
綾人が椅子へ深く座り直し、天井を見上げる。三浦は口元へ手を当てていたが、笑っているわけではなかった。
八神隊長だけが担当者へ尋ねた。
「上は、どう扱うつもりだ」
「第八回以降の結果を待つ、というのが正式回答です。ただし、本日の実戦記録を受け、前線部隊からは、特別戦術搭乗者として常設運用すべきだという意見が出ています」
「自分は、復興管理局の事務員です」
蒼真が言うと、担当者は資料を確認した。
「所属と評価は両立します」
「常設即応指定でもあります」
「そのため、制度上の障害はありません」
逃げ道になると思って口にした事実が、逆に障害がないことを証明してしまった。
綾人が両手で顔を覆った。
「蒼真君」
「はい」
「もう、自分から材料を出すのはやめてくれ」
「でも、所属の確認は必要です」
「必要だから止められないんだよ」
会議室の端で、誰かが小さく咳払いをした。
笑いを隠したようにも聞こえたが、蒼真には確かめられなかった。
*
新川町への敵性個体侵入は、夕方のニュースで報じられていた。
評価試験の詳細や搭乗者名は伏せられていたが、住民が撮影した映像には、住宅地で電柱を持ち上げる紫色の機体と、損傷したフレイムワーカーを守りながら中型個体と戦う姿が映っていた。
蒼真が帰宅すると、居間のテレビは音量を落とした状態で、その映像を繰り返していた。
玄関まで走ってきた昴は、蒼真の姿を見るなり両腕を上げた。
「ぱぱ、みんな、かえった?」
「帰ったよ」
「りぽるも?」
「リポルも」
「みうらさんも?」
「三浦一尉も帰った」
昴は満足したように頷き、蒼真の脚へ抱きついた。
居間の入口には、結衣と美咲が立っていた。
結衣はテレビの画面と蒼真を見比べている。美咲は笑っていたが、朝よりも口元が固かった。
「訓練じゃなかったの?」
結衣が先に尋ねた。
「始まる前に中止になった。近くの町へ敵性個体が入ったから、そのまま実戦へ出た」
「連絡できなかった?」
美咲の声は穏やかだった。
「作戦中はできなかった。終わったあと、端末を見た時には、もう美咲から連絡が来てた」
「無事です、の一文だけだったね」
「詳しい説明は、帰ってからの方がいいと思ったから」
「今回は、それでいいよ」
美咲はそう言ったが、蒼真の前へ来ると、仕事着の肩や腕へ視線を動かした。怪我がないことを自分の目で確認しているのだろう。
「町の人は?」
「死亡者はいない。軽傷者だけだった」
「第三中隊は?」
「八神隊長と片瀬さん、御堂さんは無事。安西さんも軽傷だった。安西機は歩けなくなったけど、三浦一尉が機体ごと回収した」
「蒼真は?」
「怪我はないよ」
美咲の肩から、僅かに力が抜けた。
結衣はテレビへ映る紫色の機体を指した。
「これ、お父さんだよね」
「リポルだね」
「中に乗ってるのはお父さんでしょ」
「うん」
「電柱を持ち上げて、バスを通したあと、中型と戦ったって言ってた」
「そうなった」
「それで、評価はどうなったの?」
「中止になったけど、実戦で必要な記録が全部取れたから、第七回として扱う案が出てる」
「本番で追試したみたいなもの?」
「追試ではないと思う」
「じゃあ、本番が試験になったの?」
「そうなるのかな」
結衣はしばらく考えたあと、眉を上げた。
「それで、また何か増えた?」
「まだ決まってないよ」
「何の話が出たの?」
蒼真は鞄を床へ置いた。
「リポルと自分を、一つの戦術単位として扱うらしい」
美咲の笑顔が止まった。
「どういう意味?」
「今後決めると言ってた」
「分からないまま帰ってきたの?」
「決まっていないことは、説明できないよ」
「決まっていないことが始まった、とは説明できるよね」
声は穏やかだったが、蒼真は背筋を伸ばした。
「説明しています」
「今、聞いたからね」
結衣が玄関の壁へ背を預けた。
「お父さん、それ、エースってことじゃないの?」
「違うと思う」
「何が違うの?」
「エースは敵をたくさん倒す人だよ」
「お父さんは、今日何体倒したの?」
「単独では小型七体と中型一体。最後の中型は第三中隊と一緒に止めた」
「十分多くない?」
「目的は住民と安西機を帰すことだったから」
「それもできたんでしょ」
「うん」
「じゃあ、もっと駄目じゃん」
「何が?」
「もう否定できないってこと」
結衣の方が、評価担当者の言葉を理解しているようだった。
美咲は蒼真の正面へ立ち、仕事着の肩へ触れた。
「怖かった?」
「怖かったよ。バスに間に合わないかもしれなかった。安西機も、置いていくことになるかもしれなかった」
「それでも、帰したのね」
「うん」
「蒼真も帰ってきた」
「うん」
美咲の指から力が抜けた。
「なら、今日はそれでいい」
昴が蒼真の脚へ抱きついたまま、顔を上げる。
「ぱぱ、えーす?」
「違うよ」
「えーす!」
「違うって」
「えーす、だっこ!」
昴が両腕を伸ばしたため、蒼真は抱き上げた。
結衣が吹き出し、美咲も口元を押さえて笑う。
「否定しながら抱っこするんだ」
「昴が抱っこと言ったから」
「エースに頼んでたよ」
「自分は父親として抱いただけだよ」
「はいはい」
家族が納得していないことは分かったが、蒼真はそれ以上説明しなかった。
少なくとも家では、戦術単位ではなく、父親でいられる。
昴の重さを腕に感じながら、蒼真は居間へ入った。
*
夜。
日記。
―――
九月六日。
第七回評価は、開始前に中止された。
評価地点の近くにある新川町へ、敵性個体が侵入したため、第三中隊、三浦一尉、リポルが即応した。
中型五体、小型二十九体だった。
自分は最初、中央県道の退路を維持した。
その後、西側住宅地で止まっていた避難用バスと消防車両二台を通し、住民十一名と消防隊員五名を避難させた。
安西機は右脚部を損傷した。
安西機と一緒に中型を止め、バスへ向かった小型を追ってもらった。
東側を終えた三浦一尉が、安西機を牽引した。
中央県道では、第三中隊と一緒に最後の中型を止めた。
死亡者はいなかった。
住民、消防隊員、第三中隊、三浦一尉、リポルは帰還した。
予定されていた試験は行っていない。
ただし、救助、損傷機回収、退路維持、敵性個体への対処について、実戦記録が取れたため、第七回評価へ代替適用する案が出ている。
評価班から、リポルと自分を一つの独立した戦術単位として扱う必要があると言われた。
意味は、今後決めるらしい。
前線部隊からは、特別戦術搭乗者として常設運用する意見が出ている。
自分は復興管理局の事務員で、常設即応指定でもあると説明した。
綾人さんから、自分で材料を出すのはやめるように言われた。
所属の確認は必要だったと思う。
帰宅後、結衣からエースではないかと聞かれた。
自分は違うと答えた。
敵を多く倒すことが目的ではなく、住民と安西機を帰すことが目的だった。
以前の自分なら、倒した数を先に考えていたと思う。
今日は、死亡者がいなかったことを先に確認した。
変わったのかもしれない。
戦いたいとは思わない。
危険な場所へいたいとも思わない。
それでも、戦わなければ帰せない時に、何をすればいいかは分かるようになっている。
美咲から、住民と安西機を帰したことと、自分も帰ったことを確認された。
昴からは、エースと呼ばれた。
違うと説明したが、聞いていなかった。
残り三回。
第七回として認められた場合、本日の実戦が七回目になる。
新川町から帰還した。
以上。
―――
*
同時刻。
中央戦術支援統合網の非公開解析領域では、新川町における全通信、機体位置、敵性個体行動、避難車両、住民および搭乗者の生体情報が統合されていた。
第七回評価は、開始前に中止されている。
予定された標的、損傷機役、負傷者役、避難車両役は使用されなかった。
代わりに、実在する町、住民、消防、警察、損傷した第三中隊機、本物の敵性個体が存在した。
取得された記録は、予定されていた評価条件を上回る。
橘蒼真は、複数の役割を順番に完了していない。
中央県道の退路を維持しながら、西側住宅地の状況を監視した。
避難用バスの進路を確保しながら、安西機へ中型個体の拘束を継続させた。
安西機の救援時には、安西機へ小型個体の追跡を割り当て、自身は中型個体を引き受けた。
三浦直人が東側を離れられる状態になると、歩行不能機の牽引を任せ、自身は中央県道へ戻った。
周辺戦力を奪わず、空いた役割だけを引き受けることで、戦線と救助を同時に維持している。
第一中隊または第三中隊へ救援を求めなかった判断は、自己能力の過大評価ではない。
三浦直人が東側を離れた場合、中型一体と小型個体群が町の中心へ進入する可能性があった。
第三中隊が中央県道を離れた場合、中型三体と小型十五体が避難車列へ到達する可能性があった。
橘蒼真は、自身の危険を減らすために、別区域の危険を増やす選択を行わなかった。
同時に、単独で全状況を解決しようとはしていない。
消防へ避難誘導を任せ、安西機へ小型個体の追跡を任せ、三浦直人へ損傷機回収を任せた。
対象は、支援要員、救助要員、戦闘要員のいずれか一つへ分類できない。
搭乗者、機体制御AI、リポル、消防、警察、他の搭乗者、町の道路設備を一つの系統として運用している。
橘蒼真とリポルの組み合わせは、一つの独立した戦術単位として評価可能である。
前線部隊における呼称。
エース。
従来定義では、撃破数、単独戦闘能力、作戦成功率を基準とする。
橘蒼真の通算撃破数は、現役上位搭乗者と比較して少ない。
しかし、同一戦場へ投入された部隊の損傷率、救助成功率、住民避難率、帰還率は有意に改善する。
敵を多く排除する搭乗者だけが、戦場の結果を変えるわけではない。
橘蒼真は、帰還可能人数を増加させることで、作戦結果を変化させる。
第七回評価への実戦記録代替適用。
妥当。
特別戦術搭乗者としての運用提案。
妥当。
第八回および第九回評価では、対大型用試作武装を使用する。
評価終了数、七。
正式運用に必要な資料は、さらに増加した。
本人への追加通知は不要。
観察を継続する。
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