第八十四話 終わるほど遠くなる
第三回評価の日、蒼真の前に用意されていたのは、壊れた町だった。
本物の市街地ではない。中央防衛局が訓練用に使っている広大な区画へ、解体予定だった住宅や店舗の資材を運び込み、二本の道路と四棟の建物を再現したものだった。外壁は途中から崩され、車道には折れた電柱や乗用車の残骸が横たわっている。窓枠だけになった二階部分からは、風に煽られたカーテンが覗いていた。
安全のために組み直された場所だと説明を受けていても、蒼真には、人がいなくなった町の一角に見えた。
《第三回評価を開始します。通信状態は区域内の遮蔽物により変動します。設定された三地点を通過し、目標機を回収地点まで移送してください》
正面表示に経路が現れたが、建物の内部までは示されていない。目標機は北東の路地にあり、リポルの現在位置から直線で二百七十メートル。道路をそのまま進めば短いものの、途中に倒壊した歩道橋がある。
「周辺構造の照合をお願いします。移動経路は自分で決めます」
《了解しました。ただし、内部を確認できない建物が三棟あります》
「分からない場所は、分からないままで表示してください」
AIが作った最短経路は、情報のない建物の脇を通っていた。蒼真はその線を選ばず、南側の広い交差点へリポルを向けた。
『遠回りになりますよ』
区域外から三浦の声が届く。今回も第一中隊から随伴しているが、瓦礫の中には入らず、南側の入口で待機していた。
「見えない場所を通るよりは早いと思います」
リポルは車道を塞ぐ乗用車へ防盾を当て、押し潰さない程度に向きを変えた。空いた幅は機体の肩がようやく通るほどしかない。右肩を引いて横向きに抜け、交差点へ入ったところで、建物の陰から小型個体を模した無人標的が飛び出した。
蒼真は剣を抜かなかった。半歩下がって突進を外し、標的が崩れた外壁へ入り込む前に、防盾で道路の中央へ戻す。そのまま盾の縁を胸へ当てて停止させると、二階から落下してきた別の標的が、リポルの背後へ着地した。
《後方、距離九》
振り返れば、防盾で押さえた一体が自由になる。
蒼真は左腕の力を緩めず、右足で車道に転がる標識柱を後方へ蹴った。金属の柱が舗装を滑り、跳びかかろうとした標的の前脚へ当たる。崩れた姿勢が視界へ入ったところで腰を回し、実体剣の腹を肩へ叩き込んだ。
二体を停止させたあとも、蒼真は崩れた建物へ近づかなかった。
そこに何があるか分からないのなら、分かる場所へ敵を出せばいい。第一回の山林とは異なる方法だったが、結果としてリポルが通った距離は、評価班の想定より短くなった。
北東の路地で動けなくなっていた目標機を発見すると、蒼真は牽引索を接続し、元来た広い道路を使って回収地点へ戻った。途中で通信が二度途切れたものの、復旧を待って足を止めることはなかった。
評価終了後、担当者は、通信遮蔽下での単独判断と瓦礫上の姿勢維持に問題はなかったと記録した。
蒼真が気にしたのは、別の数字だった。
「搭乗候補者は、どうなっていますか?」
「一名が歩行と停止に成功しました。二名が、転倒せず十秒間の姿勢を維持しています」
「実機へ移る予定は?」
「まだありません」
「何が不足していますか?」
担当者は答える前に、八神隊長へ視線を向けた。腕を組んでいた八神隊長は、蒼真の質問を止めなかった。
「入力と機体反応の差を、搭乗者が予測できていません。AIに補正を増やすと立てますが、自分で動かそうとした時に補正と競合します」
「なら、補正を段階ごとに分けた方がいいと思います。立つ時と、歩く時と、止まる時で必要なものが違うので」
三浦が隣で小さく息を吐いた。
「橘さん」
「はい」
「評価項目を増やすつもりはないんですよね?」
「候補者の話です」
「分かっています」
三浦はそれ以上何も言わなかったが、八神隊長は額へ手を当てた。
蒼真には、二人が何を気にしているのか分からなかった。
*
第四回評価は、その四日後に行われた。
場所は、河川敷に設けられた円形の封鎖区域だった。背の低い草が夏の日差しに焼かれ、ところどころで地面が白く乾いている。中心に立つリポルを囲むように、小型個体を模した二十四体の無人標的が配置されていた。
開始と同時にすべてが動く。
八体はリポルへ向かい、六体は区域の東側へ、残る十体は速度を落として外周を回る。東側には避難車両を模した無人車があり、西側には損傷機が置かれていた。
すべてを倒す試験ではない。
避難車両へ到達する標的を止めながら、損傷機までの退路を維持し、十五分後に両方を区域外へ出す。それが第四回の目的だった。
《標的二十四。東へ向かう六体の到達予測、三十八秒》
「外周の十体は?」
《現時点では、保護対象への進路を取っていません》
「監視だけ続けてください」
蒼真は東へ向かう六体の正面へ回り込んだ。
最初の二体を防盾で受け止めると、左右から三体が抜けようとする。蒼真は一体を追わず、無人車との間にリポルの身体を置いた。右側を抜けた標的は車両へ向かえず、紫色の脚部を避けて外へ膨らむ。その先へ剣の腹を置き、速度を利用して転倒させた。
左側の二体は同時に来たが、防盾で一体の進路を内側へ変えると、もう一体と肩がぶつかった。重なったところへ盾を押し込み、地面へ倒す。
八体がリポルの背後へ迫っていた。
蒼真は振り返らず、無人車を前進させた。背後から接近する標的の位置はAIへ任せ、二体が同じ側へ寄った瞬間だけを知らされる。腰を回し、防盾を後ろへ薙ぐと、先頭の一体が隣の標的へ倒れ込んだ。
それでも、外周を回っていた十体には手を出さなかった。
十五分後、無人車と損傷機が南側の線を越えた時、停止させた標的は十四体だった。残る十体は一度も保護対象へ進路を取らないまま、区域内を回り続けている。
「第四回評価を終了します」
蒼真が申告すると、標的の動きが止まった。
評価班は、二十四体のうち十体を残したことを減点しなかった。むしろ、脅威になっていない対象を追わず、二つの保護対象へ注意を残したことが、適切な配分として記録された。
「十体も残っていますけど」
蒼真が確認すると、担当者は端末から顔を上げた。
「全滅させる試験ではありません」
「分かっています」
「なら、問題ありません」
自分が言ってきたことを返され、蒼真は黙るしかなかった。
*
八月の終わりが近づくと、橘家の食卓には、蒼真の評価試験よりも差し迫った問題が置かれるようになった。
結衣の夏休みの宿題である。
「自由研究は終わってる」
夕食の席で結衣はそう主張したが、美咲は冷蔵庫へ貼られた予定表を指した。自由研究の欄には丸がついているものの、読書感想文と数学の問題集には何も記されていない。
「終わっていないものが二つ見えるけど」
「見えてるなら、聞かなくていいじゃん」
「いつ終わるのかを聞いてるの」
結衣は箸を止め、助けを求めるように蒼真を見た。
蒼真は味噌汁を飲んだ。
「お父さん、明日は第五回なんでしょ」
「そうだよ」
「準備、終わってる?」
「資料は確認した」
「私も内容は確認してる」
「確認しただけでは終わらないと思う」
「裏切った」
結衣が眉を寄せる横で、美咲が笑いを堪えている。昴は事情を理解しないまま、「ねえね、しゅくだい」と嬉しそうに繰り返した。
「お父さんの試験は、あと何回?」
結衣が不満そうな顔のまま尋ねる。
「明日で五回目だから、あと半分」
「終わったら、もう乗らなくていいの?」
蒼真は答えようとして、箸を置いた。
評価は十回と決められている。しかし、十回終わればリポルから降りられると、誰かに言われたわけではない。
「それを決めるための評価だと思う」
「乗るかどうかを?」
「どう運用するかを」
結衣は少し考え、冷蔵庫の予定表へ視線を向けた。
「宿題より終わりが分かりにくいね」
「宿題は終わらせれば終わるからね」
「そっちは分かってる」
美咲に言われ、結衣は渋々食事を再開した。
蒼真も箸を取ったが、先ほど答えられなかった問いが残った。
十回が終わったあと、自分はどうなるのか。
半分まで来ても、最初より分からなくなっていた。
*
第五回評価では、小型個体と中型個体を模した無人標的が同時に投入された。
広い採掘場跡の底へ、第一中隊の三浦機とリポルが並ぶ。北側の斜面から小型十二体が下り、その後方を中型三体が続いていた。
これまでと違うのは、蒼真一人で対応する試験ではないことだった。
『中型は俺が止めます』
三浦の声は、戦闘が始まる前の穏やかさを保っていた。
「小型を止めます。抜けた場合は知らせてください」
『お願いします』
開始信号と同時に、三浦機が前へ出た。
踏み込んだ一歩で地面が抉れ、中型の先頭へ斬撃を叩き込む。標的は防御姿勢を取り、左右の二体が三浦を挟もうと広がった。
その隙間を、小型が走り抜けてくる。
蒼真は三浦を追わなかった。リポルを斜面の狭まる位置へ置き、防盾を正面へ構える。三浦の背後から来る小型は、一度に三体までしか並べない。
一体目を盾で右へ流し、二体目の肩へぶつける。三体目が盾の下を抜けようとすると、リポルは左膝を落とし、盾の下端を地面へ押しつけた。行き場を失った標的が足を止めたところへ、実体剣の柄を胸へ当てて押し返す。
『一体、そちらへ行きます』
三浦から短い通信が届いた。
右側の中型が戦列を離れ、リポルへ向かってくる。その背後では、三浦が残る二体を引き受けていた。
「確認しました」
蒼真は小型へ向けていた防盾を半歩だけ開いた。
正面に隙間ができたことで、三体の小型が一斉に入り込もうとする。蒼真は後退しながら進路を左へ寄せ、中型の接近線へ重ねた。
中型は速度を落とせず、小型の群れへ踏み込んだ。
標的同士の接触判定が重なり、前列が崩れる。蒼真はその横を抜け、中型の右膝裏へ実体剣を振った。脚部を失った標的が前へ倒れると、防盾を肩へ押しつけ、起き上がれない角度まで身体を回す。
「中型一、停止」
『こちらも終わります』
三浦機の刃が最後の中型を貫き、斜面へ固定した。
残った小型を二人で挟むまで、それほど時間はかからなかった。
評価班が注目したのは、撃破時間ではなく、二人の通信量だった。開始前に役割を決めたあとは、相手へ渡す敵の数と方向しか話していない。それでも、三浦は背後を確認せず中型へ集中し、蒼真は三浦の動きを妨げずに小型を集めていた。
「第一中隊で正式に組ませる案が出ると思います」
評価後、綾人が資料を閉じながら言った。
心理面の外部評価者として同席していたが、口調には諦めに近いものが混じっている。
「自分は第三中隊です」
「知っている。三浦君も第一中隊だ。ただ、合同運用は所属を変えなくてもできる」
「毎回ではないと思います」
「そうだな。毎回ではないという案が、最初に出るだろうな」
綾人は何か言いたそうに蒼真を見たあと、八神隊長へ顔を向けた。
「隊長からも、何か言ってください」
「何をだ」
「このままだと、本人だけが順調に試験を消化していると思っています」
「違うんですか?」
蒼真が尋ねると、綾人は目を閉じた。
「違わない。違わないから困ってるんだ」
三浦は困ったように笑いながらも、否定はしなかった。
*
第六回評価は、九月に入って最初の週末に実施された。
午前六時から午後六時までの十二時間、リポルを継続稼働させる長時間評価だった。戦闘だけを続けるのではなく、指定区域の巡回、障害物の撤去、模擬損傷機の牽引、定期的に投入される無人標的への対処を組み合わせ、機体と搭乗者の疲労を測定する。
朝の空気が残っていた開始時刻から、舗装の照り返しが強くなる正午を越え、照明塔の影が東へ伸びる夕方まで、蒼真は同じ区域を回り続けた。
最初の三時間は、予定より早かった。
倒木を模した障害物を道路脇へ寄せ、停止機を牽引し、接近する小型標的を必要な数だけ止める。AIが提示した予定表は十五分ずつ余裕を増やし、昼の休止時間には四十七分の先行が生まれていた。
《現在の進行は予定より四十七分早い状態です。次項目を前倒しできます》
「前倒ししません」
《理由を確認します》
「十二時間の評価です。早く終える試験ではありません。休止時間を予定通り取ります」
《搭乗者の現時点の疲労値は継続可能範囲です》
「現時点では、です」
蒼真はリポルを待機位置へ座らせ、操縦桿から手を離した。指を開くと、手袋の内側で汗が冷えている。水分を取り、目を閉じて首を背もたれへ預けた。
以前の自分なら、早く終えられる仕事を残すことに抵抗を覚えたかもしれない。しかし、前倒しした分だけ後半の負荷が増え、判断が鈍れば、予定を守ったことにはならない。
午後三時を過ぎると、身体の変化は数字より先に現れた。
右側から接近した標的を確認した時、操縦桿を倒すまで僅かな遅れが生じる。リポルは間に合ったが、午前中なら一歩で済んだ位置へ二歩を使っていた。
《直前の回避行動は、午前平均より〇・四秒遅延しています》
「次の巡回経路を短縮。東側の確認を無人機へ移せますか?」
《可能です。ただし、建物内部の確認精度は低下します》
「内部に保護対象はいません。異常を検出した場合だけ、自分が確認します」
《了解しました》
蒼真は疲れていないふりをしなかった。右手の反応が落ちれば、左側を向けた姿勢で待つ。視線を動かす回数が増えれば、AIへ監視区域を分ける。最後の一時間には予定より生まれていた余裕を使い、移動速度そのものを落とした。
午後五時五十八分、最後の模擬損傷機が回収線を越えた。
残り二分を使ってリポルを停止位置へ戻し、蒼真は出力を待機状態へ落とした。
《十二時間評価、完了。機体は継続稼働可能。搭乗者疲労値、基準内上限に接近》
「終了します」
天蓋が開くと、夕方の風が操縦席へ入り込んだ。
蒼真は立ち上がろうとして、膝へ力が入らないことに気づいた。外の足場には牧野が待っており、無言で右手を差し出している。
「自分で下りられます」
「下りられるかどうかは聞いていません。疲れていない人は、そんな顔をしませんよ」
「どんな顔ですか?」
「十二時間、機体に乗り続けた人の顔です」
意味は分からなかったが、蒼真は差し出された手を借りた。
地上へ下りると、八神隊長と三浦、綾人が揃って待っていた。
「結果はどうでしたか?」
蒼真が尋ねると、綾人が呆れたように額へ手を当てる。
「先に水を飲め」
「機体の記録だけでも」
「橘」
八神隊長の声に止められ、蒼真は牧野から渡された水を飲んだ。
冷たい水が喉を通り、ようやく自分が思っていた以上に疲れていると分かる。
「機体に異常はない。お前は、休止と負荷の配分を含めて基準を満たした」
「では、第六回は終了ですね」
「ああ」
八神隊長は答えたあと、続けて言った。
「それから、今日までの結果を受けて、第七回の内容が変更された」
蒼真は水の容器を持ったまま顔を上げた。
指揮車両の画面へ、新しい評価区域が表示される。
市街地を模した区画の中央に、複数の敵性個体が配置されていた。北側には停止した二機のフレイムワーカー、西側の建物には負傷者を示す印、南側には退路となる一本の道路がある。
「当初、第七回は回収と救助だけを行う予定だった。しかし、第三回から第六回までの結果により、戦闘区域内での複合評価へ変更された」
「複合評価?」
「敵性個体へ対処しながら、損傷機二機と負傷者を回収し、南側の退路を維持する。第一中隊と第三中隊も参加するが、それぞれ別の交戦区域を担当する」
「自分は、救助へ向かうんですか?」
「救助へ向かい、必要なら戦う」
八神隊長の表情は険しかった。
それは、蒼真がこれまで現場で行ってきたことだった。ただし、偶然発生した状況へ対応するのではない。最初から戦闘と救助の両方を任せるために作られた試験である。
「三浦一尉は?」
「東側の中型群を担当する予定です」
三浦が蒼真の隣へ立った。
「すぐには行けません」
「分かりました」
「それでも、行くんですね」
蒼真は画面の中にある二機の印を見た。
評価用の無人機だと分かっている。建物の中に置かれる負傷者も、人形か遠隔端末になるだろう。
それでも、助けを待つ場所として示された印を無視することはできなかった。
「それを調べるための評価だと思います」
三浦は返事をせず、綾人は深く息を吐いた。
「六回終わったんですよね」
蒼真が念のため確認すると、綾人は疲れた顔のまま頷いた。
「終わった。終わるたびに、次の内容が重くなってるけどな」
残りは四回だった。
数字だけなら、終わりへ近づいている。
しかし、次の画面に置かれた紫色の印は、これまでより明らかに戦場の中心へ近づいていた。
*
帰宅すると、結衣は居間の机へ突っ伏していた。
横には書き終えた読書感想文と、最後のページまで印がついた数学の問題集が重ねられている。昴は姉の背中へ玩具の車を走らせ、美咲は台所から二人の様子を見ていた。
「終わった?」
蒼真が尋ねると、結衣は顔だけを横へ向けた。
「全部終わった。お父さんは?」
「第六回まで終わった」
「あと四回?」
「うん」
「終わり、見えた?」
昼間にも似たことを聞かれた気がした。
蒼真がすぐに答えなかったため、美咲が台所から出てくる。笑ってはいなかったが、急かすこともせず、蒼真の前に立った。
「次は、何をするの?」
「戦闘区域の中で、損傷機と負傷者を回収する。退路も維持する」
「今までやってきたことと、何が違うの?」
「今までは、誰かが損傷したから助けに行った。次は、最初からそれをするために入る」
美咲の視線が、蒼真の顔から僅かに下がった。手に持った空の水筒と、まだ力の戻りきらない指を見たのだろう。
「嫌?」
「嫌だよ」
「でも、受けるのね」
「六回の結果で決まった評価だから。それに、救助と戦闘を同時にできるかは、調べた方がいいと思う」
「そう」
美咲はそれ以上止めなかった。
結衣が机から身体を起こし、終わった宿題の山を見たあと、蒼真へ目を向ける。
「私の宿題は、終わったら終わりだったよ」
「そうだね」
「お父さんのは、終わってるのに増えてない?」
蒼真は否定しようとしたが、第三回から第六回までの資料を思い返すと、適切な言葉が見つからなかった。
美咲の口元へ、薄い笑みが浮かぶ。
「ようやく気づいた?」
「まだ四回あるよ」
「そういう意味じゃないと思う」
結衣が呆れた顔をする。
昴は姉の背中から玩具の車を落とし、床へ転がったそれを追いかけながら声を上げた。
「ぱぱ、ななかいめ!」
「まだ行ってないよ」
「かえる?」
「帰るよ」
答えると、美咲の笑みが少しだけ柔らかくなった。
「なら、まず今日は六回目から帰ってきたことにして、ご飯にしよう」
蒼真は頷き、水筒を置いた。
終わりがどこにあるのかは分からない。
ただ、一回ずつ帰ることだけは、最初から変わっていなかった。
*
夜。
日記。
―――
九月二日。
第三回から第六回までの評価が終了した。
第三回は瓦礫区域で、通信が途切れる状態で損傷機を回収した。
第四回は二十四体の小型標的から、避難車両と損傷機を守った。脅威にならない十体は停止させなかった。
第五回は三浦一尉と、小型と中型の混成群へ対応した。最初に役割を決めたことで、通信は少なく済んだ。
第六回は十二時間の継続評価だった。
途中から反応が遅くなったため、巡回範囲とAIの担当を変更した。予定より早く進んでいたが、前倒しせず、休止時間を取った。
疲れていることを認めた方が、最後まで予定を守れる。
現場監督をしていた頃にも、似たようなことがあったと思う。
余裕があるうちに仕事を詰め込むと、何かが起きた時に対応できない。
評価は六回終わった。
搭乗候補者は、一名がシミュレーターで歩行と停止に成功している。二名も姿勢を維持できるようになった。
自分以外が乗れる可能性は高くなっていると思う。
その一方で、自分の評価内容も増えている。
第七回は、戦闘区域で損傷機と負傷者を回収し、退路を維持する複合評価になった。
戦うことと、帰すことを同時に行う。
これまでも現場では行ってきた。
しかし、最初からそれを役割として与えられることには、やはり抵抗がある。
結衣から、評価は終わっているのに増えていないかと聞かれた。
増えている。
いつ増えたのかは分からないが、自分が結果を出したあとに増えている。
美咲は、ようやく気づいたかと話していた。
残り四回。
少なくとも、一回ずつ帰る。
以上。
―――
*
中央戦術支援統合網の非公開解析領域では、第三回から第六回までの評価結果が統合されていた。
瓦礫、通信遮蔽、多数目標、複数保護対象、混成群、他部隊との連携、長時間稼働。
条件を変更しても、橘蒼真の判断原則に大きな変化はない。
不明な情報を推測で補わず、確認可能な範囲を基準に経路を選ぶ。
脅威となる対象だけを選別し、排除数そのものを目的としない。
他の搭乗者へ役割を渡した場合、相手の行動を阻害せず、自身の担当範囲を維持する。
疲労による反応低下を認識した場合、隠蔽せず、行動範囲とAIへの委譲量を変更する。
対象は、高出力を継続することで成果を維持しているのではない。
状況ごとに必要な出力、情報、移動、交戦対象を削減することで、結果を安定させている。
環境適応性。
複数任務処理能力。
他部隊との連携適性。
長時間運用における自己管理。
すべて、基準を満たす。
搭乗候補者用制御設定は改善を継続している。
一名が歩行と停止、二名が起動姿勢の維持に成功した。
同時に、候補者用制御の最適化には、橘蒼真が異なる環境で示した判断記録が必要となる。
代替搭乗者の育成が進むほど、基準搭乗者としての橘蒼真の価値も上昇している。
第七回評価は、救助、回収、退路維持、敵性個体への対処を同時に実施する。
目的は、対象を支援要員または戦闘要員のいずれかへ分類することではない。
複数の役割を同時に成立させた場合、その運用単位を確定することにある。
評価終了数、六。
正式運用に必要な資料は、増加を継続している。
観察を継続する。
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