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第八十二話 一人分では足りない

 八月十二日、朝。


 以前は夏休み中に二回あった出校日が、今年から一回へ減った。


 その唯一の出校日を迎えた朝、結衣は見事に寝坊した。


 階段を駆け下りる足音が聞こえた時、蒼真は食卓で二杯目の味噌汁を飲んでいた。美咲から三度起こされても布団へ戻った結衣は、片方の靴下だけを履き、制服の上着を腕へ引っ掛けて居間へ飛び込んでくる。


 時計を見た途端に足を止め、長い針の位置を二度確かめたあと、何も見なかったことにするように椅子へ座り、用意されていた御飯へ箸を伸ばした。


「あと十五分しかないよ」


 蒼真が伝えると、結衣は口へ入れた卵焼きを飲み込んでから、恨めしそうに顔を上げた。


「分かってるなら、もう少し早く起こしてよ」


「三回起こしたよ」


「二回しか知らない」


「寝ていたからね」


「最後の一回は、起きるまで起こす一回にして」


「去年は二回とも起きられたのに、どうして一回になった今年は寝坊したの?」


「一回しかない方が忘れやすいの!」


「忘れていたの?」


「忘れてない。寝てただけ!」


 要求の意味を考えていた蒼真の隣で、子ども用の椅子に座る昴が、味噌汁の椀を両手で抱えた。自分も話へ加わりたいらしく、口の周りに豆腐をつけたまま結衣を見る。


「ゆい、がっこう、わすれた?」


「忘れてない!」


「ねてた」


「寝てただけ!」


「ゆい、おそい」


「昴に言われたくない」


「すばる、はやい」


「お母さんに起こしてもらっただけでしょ」


「はやい!」


 昴が胸を張った拍子に椀が傾き、美咲が横から手を添えた。零れる直前で戻された味噌汁を見て、結衣は笑いながら御飯を急いでいる。昨夜のうちに準備したらしい通学鞄は居間の入口へ置かれていたが、片方の靴下と髪を整える時間までは計算に入っていないようだった。


「今日は会議なんだよね」


 美咲は昴の椀を食卓へ戻してから、蒼真へ視線を向けた。


「第一回評価の結果確認。次の試験内容も決まると思う」


「乗るの?」


「今日は乗らないよ」


「りぽる、ねる?」


 昴が尋ねたため、蒼真は少し考えた。リポルは眠らないが、二日前の評価で付着した泥を落とされ、各部の検査を受けている。人間に置き換えれば、休んでいると言えなくもない。


「今日は整備してもらってる」


「ねてる?」


「多分、寝ているのに近いかな」


「じゃあ、起こさないであげて」


 結衣は立ち上がりながら残っていた牛乳を飲み、空になったコップを流し台へ運んだ。二階へ靴下を取りに戻る時間はないと判断したらしく、洗濯物を畳んだ籠の前へしゃがみ込む。


「それ、昴のだよ」


「分かってる」


「分かっていて、どうして手に取ったの?」


「急いでるから!」


 美咲が笑いを堪えながら結衣の靴下を差し出す。受け取った結衣は片足で立ち、もう片方へ靴下を履こうとしてよろめいたため、蒼真は倒れそうになった椅子を押さえた。


「今日さえ行けば、夏休みが終わるまで学校のことを考えなくていいのに」


「その今日を忘れかけていたよ」


「寝坊しただけだってば!」


「行ってきます!」


「髪」


 玄関へ向かいかけた結衣が止まる。美咲から手渡された櫛で前髪だけを整え、今度こそ外へ飛び出していった。


 扉が閉じると、急に静かになった食卓で昴が首を傾げた。


「ゆい、かえってくる?」


「学校が終わったら帰ってくるよ」


「あしたも?」


「明日は休み」


「ずっと?」


「夏休みが終わるまで」


 昴は玄関の方を見ながら、少しだけ考えた。


「ゆい、また、わすれる?」


「聞こえてないところで言ってあげて」


 美咲が笑いながら注意すると、昴は声を潜めるように口元へ両手を添えた。


「ゆい、わすれる?」


「小さくしても駄目だと思うよ」


「ぱぱも?」


「会議が終わったら帰ってくる」


 昴は二人の帰宅を確かめると、安心したように残っていた味噌汁を飲み始めた。


 美咲は空いた茶碗を重ねながら、蒼真の前に置かれた鞄を見た。


「次が決まったら、今日話せる?」


「決まった範囲は話す」


「決まってないことを、自分で増やさないでね」


「増やす予定はないよ」


 美咲は何も言わず、僅かに目を細めた。


 その表情の意味を蒼真が理解する前に、昴が空になった椀を掲げたため、朝食はそこで終わった。


*


 中央防衛局の評価会議室では、第一回評価の記録が三つの画面へ分けて表示されていた。


 中央には、旧採石場の谷を再現した立体地図が浮かび、リポルと敵性個体の動きが色の違う光点で示されている。左の画面には機体出力と各部への負荷、右の画面には蒼真の心拍数、呼吸、視線の移動、操縦入力が時間軸に沿って並んでいた。


 蒼真は八神隊長と三浦の間へ座り、逃走する小型個体へ照準を合わせた場面を見ていた。


 紫色の光点が斜面で止まり、照準を示す線だけが敵の背中を追う。発砲までに要した時間は、二・八秒だった。


「接近してくる個体への平均反応時間は〇・四秒です」


 防衛局の担当者が、画面上へ比較値を表示した。


「これに対し、逃走する個体への攻撃判断には二・八秒を要しています。照準の不調や機体側の遅延は確認されていません」


「自分が迷った時間です」


 蒼真が答えると、右斜め前に座る九条綾人が資料から顔を上げた。


「何を迷った?」


「追う必要があるのか、です。こちらから離れていましたから」


「逃がした場合の危険は理解していたんだろう」


「AIから増援を誘導する可能性を提示されました。巣へ戻れば、後方にいる三浦一尉や待機部隊へ危険が広がると思いました」


「なら、撃った判断を後悔しているか?」


 蒼真は画面に映る小型個体の背中を見たまま、すぐには答えなかった。


 後悔していると言えば、あの場で逃がすべきだったことになる。しかし、同じ状況になれば、今度も撃つと思う。必要だったと理解していることと、迷わず引き金を引けることは、やはり同じではなかった。


「撃たなくて済むなら、その方がよかったとは思います。ただ、逃がした方がよかったとは思っていません」


 綾人は数秒だけ蒼真を見たあと、手元の資料へ視線を戻した。


「心理評価としては、その答えを記録してください。迷いがなくなることを、成長として扱わないように」


「迷わない方が、反応は速くなるのではありませんか?」


「速ければ何でもいいなら、搭乗者を人間にする必要がない」


 綾人の言葉に、会議室の一部が静かになった。


 内閣情報局から参加している八神評価官は、表情を変えずに端末へ記録を加えた。その隣では、開発部と整備班を代表して出席している牧野が、機体負荷の画面を拡大している。


「搭乗者の心理面とは別に、機体側の結果を説明します」


 牧野が操作すると、中央画面から戦闘映像が消え、リポルの骨格図へ切り替わった。


「第一回評価における最大出力は、設計値の四六パーセントでした。左肩は瞬間的に許容範囲の上限へ近づきましたが、構造部材に異常はありません。右前腕の損傷は表面装甲のみ。腰部へ複数回の偏荷重が掛かっていますが、これも交換が必要な損傷には至っていません」


「戦闘内容に対して、出力が低すぎませんか?」


 大隊運用を担当する防衛局の責任者が尋ねると、牧野は骨格図の横へ一般機の記録を並べた。


「低いというより、必要な場所にしか出していません。橘二尉は機体全体の出力を上げず、踏み込む脚、盾を支える肩、剣を押し込む腰へ順番に出力を移しています。同じ動作を一般機で行った場合、全身出力は六十から七十パーセントまで上がります」


「リポルの性能によるものですか。それとも、搭乗者によるものですか」


「切り分けられていないので、最低十回の評価が必要です」


 牧野はそこで言葉を切り、蒼真へ目を向けた。


「ただし、現在までの記録では、リポルが自動でやっているわけではありません。機体の姿勢制御へ橘さんが先回りして入力しています」


「AIの予測表示を見ています」


「表示を見た全員が同じことをできるなら、試験運用の時に誰かが歩かせています」


 牧野の声は淡々としていたが、最後の言葉だけが僅かに強かった。


 リポルは、蒼真が乗る前にも複数の搭乗者によって試験されている。安全制御を有効にした状態では動きが遅れ、解除すれば反応が鋭すぎて立っていることも難しかった。蒼真はその記録を知っていたが、失敗した搭乗者が何を見て、どこで操作を諦めたのかまでは分からない。


 防衛局の担当者が、第二回以降の評価案を中央画面へ表示した。


「第一回では、不整地機動、姿勢回復、混成個体への対応、長時間稼働、営巣地接近が同時に発生しました。取得できた記録量は多い一方、個々の条件を切り分けるには適していません。第二回は平坦地での基準測定へ戻します」


 画面には、旧物流集積地の航空写真が映った。周囲の移転は完了し、建物も撤去されているため、広い舗装面だけが残っている。現在、小型個体の群れが定期的に侵入しているものの、営巣地はなく、付近に住民もいない。


「敵性個体が確認されない場合は、無人標的を用いて動作のみを測定します。確認された場合も追跡は行わず、指定範囲へ侵入した個体への対処に限定します。三浦一尉は今回と同じく随伴。第三中隊は区域外で待機します」


「心理評価は?」


 八神隊長が綾人へ尋ねる。


「第二回の前後に行います。今のところ、中止を求める理由はありません。ただし、撃てたという結果だけを見て、抵抗感がなくなったとは判断しないでください」


「そのつもりはない」


 八神隊長は短く答えた。


 第二回の実施予定日は四日後だった。


 蒼真は画面の端に並ぶ評価項目へ目を通した。不整地を外し、平坦な場所で同じ入力を繰り返せば、第一回より比較しやすい記録が取れる。武装も標準型の実体剣と防盾のままであり、条件を増やす要素は少ない。


「この記録は、量産型へ反映されるんですか?」


 蒼真が尋ねると、防衛局の担当者は資料を一枚戻した。


「リポルのデチューン案を含む、次期支援機の設計資料として使用します。ただし、第一回の記録だけでは橘二尉固有の操作と、機体性能を分離できません」


「十回終われば分かりますか?」


「傾向は把握できます。しかし、搭乗者が一人である以上、完全な分離は困難です」


 蒼真は、リポルの骨格図へ視線を戻した。


 自分がどこまで動かせるかを調べても、それが自分だけにできる動きなら、次の機体へそのまま移すことはできない。出力を抑え、反応速度を落とせば誰でも扱えるかもしれないが、どこまで下げれば安全なのかを決めるためにも、比較する人間が必要になる。


「なら、現行のリポルに乗れる人を増やした方がいいのではありませんか?」


 蒼真が言うと、牧野の指が画面の上で止まった。


 三浦は隣で僅かに顔を向け、八神隊長は資料から目を上げた。綾人だけはすぐに反応せず、何かを聞かなかったことにするように一度目を閉じている。


「橘二尉」


 防衛局の担当者が、言葉の意味を確かめるように名前を呼んだ。


「それは、リポルの複数搭乗者運用を提案しているということですか?」


「最初から実機へ乗せる必要はありません。操縦系を再現したシミュレーターで、どの段階まで動かせるか確認できます。安全制御が動きを止めるなら、搭乗者の入力とAIの補助範囲を個別に調整すればいいと思います」


「簡単に言いますが、試験運用では、それを行った結果として全員が不適合になっています」


 牧野が口を挟んだ。怒っているわけではないが、整備記録を知る者として聞き流せなかったらしい。


「一律に調整したからではありませんか?」


「搭乗者ごとの補正も試しています」


「AIへ役割を指定しましたか?」


 牧野の眉が僅かに動いた。


「役割?」


「姿勢制御、安全判断、周辺監視を全部同じ優先度で処理させると、搭乗者の入力と競合します。自分の時は、戦闘中の機体操作をこちらへ移し、AIには退路と周辺情報の整理を優先させました。搭乗者によって、AIへ残す仕事を変えればいいと思います」


 会議室の正面で、記録用の表示が蒼真の発言を文章へ変換していく。


 八神評価官は、表示された文字を最後まで読み、初めて端末から顔を上げた。


「その調整方法を、他の搭乗者へ教えることはできますか?」


「手順にすれば可能だと思います」


「橘二尉以外が同じ結果を出せる保証は?」


「ありません。そのために試験します」


 蒼真が答えると、八神評価官は静かに頷いた。感情の変化は見えなかったが、端末へ入力する速度だけが先ほどより僅かに速くなった。


「提案として記録します。現行リポルの操縦系を再現した訓練環境を用意し、搭乗者ごとにAIの支援範囲を変更する。複数名の記録が得られれば、デチューン型の設計根拠としても利用できます」


「待ってください」


 綾人が声を上げた。


 それまで心理評価に関する発言だけをしていたため、会議室の視線が集まる。綾人は一度、蒼真を見た。蒼真がなぜ止められたのか分からない顔をしていることを確認すると、諦めたように息を吐いた。


「それは、橘君の負担を減らす案ですか。それとも、リポルを正式な戦力として運用する案ですか」


 防衛局の担当者は、すぐには答えなかった。


 八神評価官が代わりに口を開く。


「両方になり得ます。複数の搭乗者が運用できれば、橘二尉一人へ依存する状態は解消されます。同時に、現在は試作機であるリポルを、正式採用へ進める根拠にもなります」


「正式採用されれば、運用機会は増える」


「必要性が認められれば、そうなります」


 綾人はもう一度蒼真を見た。


「分かっていて言ったのか?」


「ほかの人が乗れるようになれば、自分が毎回乗る必要はなくなります」


「そこだけは合っている」


 綾人は額へ手を当てた。


 八神隊長も椅子へ深く座り直し、腕を組んだまま天井を見ている。三浦は笑ってはいけない場面だと理解しているらしく口元を引き締めていたが、僅かに肩が動いていた。


「何かおかしいですか?」


 蒼真が尋ねると、三浦は一度咳払いをした。


「橘さんの提案は、間違っていません」


「なら、なぜ笑ったんですか?」


「笑っていません」


「肩が動いていました」


「呼吸です」


 明らかに苦しい説明だったが、蒼真が追及する前に、防衛局の責任者が話を戻した。


「複数搭乗者による評価は、現行の十回とは分けて検討します。橘二尉の評価は、リポルの基準性能と実戦運用の確認です。候補者による試験は、搭乗者育成とデチューン型の設計評価になります」


「同じ試験にはできないんですか?」


「目的が異なります」


「記録を共有すれば、回数を減らせると思います」


「減る可能性はありますが、現時点で確約はできません」


 蒼真は少し考え、資料へ視線を落とした。


「では、先に自分の十回を進めた方がいいですね。基準があれば、候補者の記録と比較できます」


 今度は、三浦だけでなく八神隊長も目を閉じた。


 綾人は額へ置いた手を動かさず、心の中で何度目になるか分からない言葉を飲み込んでいた。


 墓穴を掘るのはやめてくれ。


 しかし、蒼真の言っていることは間違っていない。比較の基準を先に作り、候補者の安全を確保するという説明に、評価者として反対する理由はなかった。


「橘二尉の意見を採用します」


 八神評価官が淡々と告げた。


「最低十回の基準評価は予定どおり継続。同時に、複数搭乗者運用のためのシミュレーター計画を作成します。実機評価へ進む条件は別途設定し、現行リポルへの搭乗は、安全性が確認された候補者に限定します」


「候補者の選定には、現場指揮官の意見を入れろ」


 八神隊長が天井から視線を戻した。


「適性値だけで選ぶな。本人が何のために乗るのか、途中で降りられるのかも確認する」


「妥当です」


 八神評価官は即答し、その条件も記録へ加えた。


「第三中隊は、指定どおり区域外で待機する。随伴機については、第一中隊へ引き続き協力を要請してくれ」


 八神隊長の言葉を受け、防衛局の担当者が三浦へ向き直った。


「三浦一尉、第二回も随伴をお願いできますか?」


「はい」


 第一中隊から参加している三浦は、今度こそ笑わずに答え、蒼真へ向き直った。


「僕がついていますから」


「第一回も聞きました」


「何度でも言います」


「三浦一尉の評価項目には入っていないと思います」


「俺の仕事には入っています」


 普段の穏やかな口調で言い切られると、蒼真は反論できなかった。


 会議終了時、第二回評価への参加欄には、蒼真と三浦の名前が並んでいた。


 その下には、新しく《複数搭乗者運用検討》という項目が追加されている。


 蒼真は、自分以外にもリポルへ乗れる人間が増えれば、一人だけが危険な場所へ向かう状態を変えられると思っていた。


 そのために必要な基準を、自分が先に作ることになる。


 道がどちらへ続いているのか、理解しているつもりだった。


*


 会議が終わり、蒼真が資料を鞄へ入れていると、綾人が隣へ立った。


「少し話せるか」


「美咲への説明ですか?」


「どうして最初にそれが出るんだ」


「前回、家へ来てもらったので」


「今回は行かない」


 綾人は即答した。大型個体の戦闘後、説明役として橘家へ呼ばれ、権限もない会議の内容まで責任を負わされた記憶は、まだ薄れていないらしい。


 二人は会議室を出て、人通りの少ない渡り廊下へ移った。窓の外には夏の日差しが落ち、隣棟の屋上で空調設備が低い音を立てている。


「乗る理由を探すな」


 綾人は窓際へ立ち、外を見たまま言った。


「探していません」


「今、お前が会議で説明したのは、後進のために自分が乗り続ける理由だ」


「基準値を作る人は必要です」


「それが、お前でなければならない理由を積み上げるなと言っている」


「今のところ、自分以外にリポルを動かせる人がいません」


 綾人は蒼真へ顔を向けた。その答えが返ってくることは分かっていたようで、怒るのではなく、困ったように眉を寄せている。


「前にも言ったが、正しい理由は人を止めてくれない。お前は戦いたくないと言いながら、乗る必要がある条件を一つずつ自分で作っている」


「ほかの人が乗れるようになれば、その条件はなくなります」


「その日まで、お前が乗ることになる」


「はい」


 蒼真が頷くと、綾人は窓枠へ片手をついた。


「そこを迷わず認めるようになったことを、美咲は怖がると思う」


 蒼真は答えられなかった。


 以前なら、辞表を出してでも乗らないと考えていた。今も危険な場所へ行きたいわけではなく、敵を倒すことへ達成感もない。しかし、自分が乗らなければ誰かが危険な場所へ入ると分かった時、乗らないという選択だけを守ることは難しくなっている。


「乗ることを隠すつもりはありません」


「隠すな。止められなくても、話せ」


「分かっています」


「それから、今日の会議で決まったことだけを話せ。自分の予想を決定事項のように説明するな」


「綾人さんは来ないんですか?」


「行かない」


 綾人は念を押すように繰り返した。


「俺は心理評価のために呼ばれたオブザーバーだ。リポルの正式採用にも、お前の配置にも決定権はない。説明責任まで負わされる理由はない」


「美咲は第三者の説明があった方が分かりやすいと言っていました」


「お前が分かりやすく話せ」


 もっともな要求だったため、蒼真は頷いた。


 綾人は安心するどころか、かえって不安そうな顔をした。


*


 夕食後、橘家の反省会は、朝より一人多い状態で始まった。


 結衣は宿題を食卓の端へ寄せ、昴は蒼真の隣で積み木を重ねている。美咲は四人分の麦茶を用意すると、朝と同じ席へ座った。


「それで、次は?」


「四日後。旧物流集積地で、平坦な場所での基準測定をする。敵がいなければ無人標的だけ。敵が来ても、指定された範囲から追わない」


「三浦さんは?」


「随伴する」


「第三中隊も?」


「区域の外で待機する」


 美咲はそこまで聞くと、一度頷いた。前回より安全だと決めつけることはせず、蒼真の顔を見ながら次の言葉を待っている。


「それから、リポルに乗れる人を増やすための試験を提案した」


「誰が?」


「自分が」


 美咲の笑顔が、その形を保ったまま止まった。


 結衣も鉛筆を置き、蒼真を見た。積み木を五つまで重ねた昴だけが、静かになった理由を分からず、六つ目をどこへ置くか考えている。


「それは、お父さんが乗らなくてよくなる話?」


 結衣が先に尋ねた。


「ほかの人が安全に動かせるようになれば、自分だけが乗る必要はなくなる」


「いつ?」


「候補者を選んで、最初はシミュレーターで――」


「お父さんの試験は?」


「最低十回は続ける」


「減ってないじゃん」


 結衣の指摘に、蒼真は言葉を止めた。


「将来的には減ると思う」


「今は増えたの?」


「自分の評価と、ほかの搭乗者の評価は別に行うことになった」


「増えてるじゃん」


 同じ結論を二度言われたが、否定できなかった。


 美咲は笑顔を崩さないまま、湯飲みを両手で包んだ。


「朝、何て言ったか覚えてる?」


「決まっていないことを、自分で増やさないように」


「覚えていたんだ」


「増やす予定はなかったよ」


「予定にないのに増やしたの?」


「会議で必要だと思ったので」


 美咲は湯飲みを置き、隣に座る結衣を見た。結衣も母親を見返し、二人は言葉を交わさないまま何かを確認したらしい。


 蒼真には、その内容が分からなかった。


「反省会を始めます」


「もう始まっていたのでは?」


「ここまでは事実確認」


「これからが反省会なんだ」


 結衣が楽しそうに鉛筆を置き直した。


「まず、お父さんは何のために人を増やそうとしたの?」


「自分しか乗れない状態では、デチューン型を作るための比較ができない。それに、ほかの人が乗れれば――」


「違う」


 結衣が途中で止めた。


「仕事の説明じゃなくて、お父さんがそうしたかった理由」


 蒼真は答えを探し、積み木へ手を伸ばす昴を見た。


 自分の仕事が成功したと証明したいわけではない。リポルを正式採用させたいわけでも、前線へ出る人数を増やしたいわけでもなかった。


「一人しか乗れないと、その人が休めないから」


「その人って、お父さんでしょ」


「今は」


「だったら、自分が休めるようにって言えばいいのに」


「それだけではないよ。今後、同じような機体へ乗る人が出た時に、安全に帰れる方法があった方がいい」


 美咲は蒼真の答えを聞き、笑顔を少しだけ緩めた。


「うん。それなら分かる。でも、その方法を作っている間に、自分が帰ってこないことだけは駄目だからね」


「分かってる」


「一回目で、任せて帰ることも覚えたんでしょ」


「少しだけ」


「二回目も、一回分だけ帰ってきて」


 朝とは違い、今度の言葉の意味は迷わず理解できた。


「うん」


 蒼真が頷いたところで、昴が六つ目の積み木を塔の上へ置いた。大きく傾いた塔は一度だけ耐えたものの、七つ目を持ち上げた瞬間に崩れ、食卓へ木の音が広がる。


「ふえたら、たおれた」


 昴が驚いた顔で言った。


 結衣は数秒黙ったあと、堪えきれずに笑い出した。美咲も口元を手で覆い、蒼真は崩れた積み木と自分の話にどのような関係があるのかを考える。


「偶然だよ」


「昴の方が、お父さんより分かってるかも」


「二歳だよ」


「二歳でも、増やしすぎると倒れるって分かったよ」


 昴は褒められたと思ったらしく、胸を張ってもう一度積み木を並べ始めた。


 蒼真も手伝おうとしたが、美咲から反省会はまだ終わっていないと言われ、伸ばした手を戻した。


*


 夜。


 日記。


---


 八月十二日。


 第一回評価の確認会議が行われた。


 逃走する敵性個体へ攻撃するまで、二・八秒かかっていた。


 接近する敵性個体より長い。


 必要性を判断するために時間がかかった。


 九条綾人さんから、迷いがなくなることを成長として扱わないようにと言われた。


 同じ状況になれば、次も攻撃すると思う。


 それでも、迷わない方が良いとは思わない。


 第一回評価で、リポルは最大四六パーセントまでしか出力を使っていなかった。


 自分は必要な場所へ出力を移していたらしい。


 意識していた部分と、意識していなかった部分がある。


 第二回は、旧物流集積地の平坦な場所で行われる。


 四日後。


 三浦一尉が随伴する。


 現行リポルに乗れる人を増やす試験を提案した。


 自分一人の記録だけでは、機体性能と搭乗者の違いを比較できない。


 ほかの人が乗れるようになれば、自分だけが乗り続ける必要はなくなる。


 搭乗者ごとに、AIへ任せる役割を変更する方法も使えると思う。


 最低十回の評価は、そのまま継続する。


 複数搭乗者の試験は別に行われる。


 結衣から、試験が減らずに増えていると言われた。


 そのとおりだった。


 増やすつもりはなかった。


 ただ、比較する人がいなければ、自分の記録を次へ渡せない。


 後から乗る人が、自分と同じように一人で方法を探すことは危険だと思う。


 自分が乗りたいわけではない。


 自分しか乗れない状態を終わらせたい。


 そのために、自分が先に基準を作る。


 九条綾人さんから、それが乗る理由を作っていることになると言われた。


 否定したが、完全には否定できなかった。


 美咲から、方法を作っている間に帰らなくなることは駄目だと言われた。


 第二回も、一回分だけ帰る。


 以上。


---


*


 同時刻。


 中央戦術支援統合網では、第一回評価の結果と、橘蒼真が会議中に行った提案が関連づけられていた。


 対象は、現行リポルの複数搭乗者運用を提案した。


 目的は、自身への依存解消、および後続搭乗者の安全確保である。


 対象に、リポルの正式採用を求める意図は確認されない。


 前線配置を希望する傾向も確認されない。


 しかし、提案を実現するためには、現行リポルの操縦系統、AI支援範囲、搭乗者別補正、教育手順を正式な評価対象とする必要がある。


 試作機として限定運用を続ける場合、複数搭乗者育成の費用対効果は低い。


 正式採用を前提とした場合、デチューン型開発および後続機設計へ転用可能である。


 橘蒼真の最低十回の基準評価は、複数搭乗者計画における比較基準としても有効となる。


 本人の提案により、評価継続の必要性が増加した。


 対象は、自身への依存を解消するため、自身が必要とされる条件を追加している。


 論理的矛盾は存在する。


 行動目的に矛盾は存在しない。


 リポル正式採用検討。


 開始条件、一部成立。


 第二回評価後、再判定する。


 本人への追加通知は、現時点では不要。


 観察を継続する。

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