第七十八話 紫の亡霊
八月一日。
朝の情報番組は、天気予報と交通情報を伝えたあと、前日に行われた市街地再奪還作戦を取り上げた。
明るい色で統一されたスタジオの中央には、半円形の机が置かれている。司会者の榊は手元の進行カードへ一度視線を落とし、隣に座る女性アナウンサーが話し終えるのを待ってから、正面のカメラへ身体を向けた。
「昨日、モンスター群によって占拠されていた北西部の市街地で、大規模な再奪還作戦が行われました。街が奪われてから、まだ四日しか経っていません」
背後の大型画面へ、上空から撮影された街が映る。
窓を失った建物が並び、路上には放置された車両と瓦礫が残っている。画面の端を十五機のフレイムワーカーが進み、そのさらに上を、映像を撮影している別のドローンが横切った。
「今回の作戦には、三つの中隊から十二機の戦闘機、さらに三機の支援機が参加しました。作戦中、周囲のモンスターを統率するとみられる大型個体が確認されましたが、これを停止。搭乗者を含む作戦参加者に死亡者はなく、後方の支援要員も全員無事だったということです」
司会者が一呼吸置く。
「その大型個体を停止させた、こちらの紫色の機体が注目を集めています」
画面が切り替わった。
大型個体の正面では、三浦機が戦斧を構えている。左肩を損傷しながらも退かず、振り下ろされる前肢を避けて、傷を負った後脚へ回り込もうとしていた。
その映像の右下を、紫色の機体が一瞬だけ横切る。
撮影用ドローンは追わない。
画面の中心には大型個体と三浦機が残り、紫色の機体は建物の陰へ消えた。
映像が別の角度へ変わる。
三浦機が大型個体の前脚へしがみついた。その背後から、先ほど消えたはずの紫色の機体が現れる。長い武器を脇腹へ突き立て、二度の衝撃で外殻を貫いた。
巨体が傾く。
紫色の機体は逃げようとしているが、足元が動かない。三浦機が右腕を掴み、大型個体が倒れる直前に引きずり出す。土煙の中から二機が立ち上がったところで、映像は止まった。
司会の榊は画面を振り返り、映像が完全に停止したことを確認してから出演者へ向き直った。
「この機体について、防衛局は、運用評価中の試験機であることだけを認めています。正式な機体名、所属、搭乗者の氏名、詳しい任務内容はいずれも公表していません。皆さん、この映像をどうご覧になりましたか?」
最初に身を乗り出したのは、若手俳優の瀬戸だった。
「いや、格好いいですよね。最初は別の場所にいたのに、次に映ったら大型の後ろですから。あの一撃を入れるために、ずっと機会を待っていたんじゃないですか?」
隣に座る人気アイドルの小鳥が、胸の前で両手を握る。
「私もそう思いました。紫の機体が秘密兵器で、前の機体が大型を引きつけて、最後に出てくる作戦だったのかなって」
「やっぱり、そう見えますよね」
瀬戸が嬉しそうに頷く。
二人の向かいでは、芸人の宮本が眠そうな目を画面へ向けていた。机へ片肘をつきかけ、女性アナウンサーの視線に気づいて姿勢を戻す。
「でも秘密兵器にしては、映像から普通に消えてません?」
「隠れるためじゃないですか?」
小鳥が尋ねると、宮本は首を傾けた。
「報道ドローンが追わなかっただけでしょ。秘密兵器が格好よく登場するなら、もうちょっと撮りやすいところを走ってほしいですよ」
「戦っている人は、撮影のことまで考えませんよ」
「だから、最初から秘密の登場作戦じゃなかったんじゃないかって話です」
スタジオに小さな笑いが起きる。
司会の榊は笑みを残したまま、机の端に座る専門家へ視線を移した。
「防衛戦術を研究されている名取さんは、どう見ますか?」
名取は、すぐには答えなかった。
停止映像の中にいる二機を見比べ、手元の資料を一枚めくる。
「この映像だけで、最初から計画された攻撃だったと判断することはできません」
「そうなんですか?」
瀬戸が驚いたように顔を向ける。
「紫の機体は、作戦開始時には前線から離れた後方へ配置されています。また、大型個体へ向かう前に、一度南へ移動していることが確認されています」
画面へ市街地全体の簡略図が表示された。
中央広場に大型個体、その正面に第一中隊。第三中隊と西部方面隊は、左右へ分かれている。紫色の試験機は、そこから大きく南へ離れた場所にいた。
「南には何があったんですか?」
女性アナウンサーが尋ねる。
「後方医療拠点があります。ただし、防衛局は現時点で、紫の機体が南へ移動した理由を公表していません」
「医療拠点を守りに行った可能性は?」
「可能性はあります。しかし、確認された事実と推測は分ける必要があります」
名取は、熱を帯びかけた出演者たちへ釘を刺すように言った。
司会の榊が頷き、進行カードを置く。
「ここまでで分かっているのは、紫色の試験機が後方から南へ移動し、その後、大型個体の背後へ現れたこと。そして第一中隊の機体と連携し、大型個体を停止させたことまでです」
「それだけでも、すごいと思います」
小鳥は画面を見たまま言った。
「前でも戦えて、後ろへも行けるんですよね。最初から大型を倒すために用意された機体ではないんですか?」
小鳥は画面から目を離さないまま尋ねた。名取が答えるより先に、宮本が眠そうな目を細める。
「それなら、最初から大型の近くへ置きませんか?」
「正体を隠すために、後ろへ置いたとか」
瀬戸が声を弾ませると、宮本は大型画面の配置図を顎で示した。
「秘密兵器を隠すにしても、報道用ドローンが飛んでいる作戦へ出します? しかも全国放送で、だいぶ綺麗に撮られてますよ」
スタジオへ小さな笑いが広がったが、小鳥はまだ納得していないようだった。
「でも、名前まで秘密なんですよね」
女性アナウンサーが手元の資料を確かめる。
「防衛局が公表しているのは、運用評価中の試験機という点だけです。映像に記録された機体が、過去の現場へ投入された同型機と同一かどうかについても、正式な回答はありません」
「そこまで分からないのに、昨日は大型を倒して帰ったんですね」
宮本が呟くと、今度は笑いが起こらなかった。分からないことの多さが、画面の紫色をかえって際立たせていた。
榊は一度だけ名取へ目を向ける。
「既存の役割へ当てはめにくい機体、ということでしょうか」
「役割が分からない、と表現する方が正確です」
「新型機だからですか?」
瀬戸の問いに、名取は首を横へ振る。
「それも分かりません。外見だけなら既存のフレイムワーカーとは異なりますが、公開されている情報は非常に少ない。機体性能だけで、昨日の動きを説明できるかも不明です」
「搭乗者がすごい可能性もある?」
「その可能性もあります」
「元エースが、こっそり復帰したとか?」
小鳥の声が弾む。
「それは推測です」
名取が即座に戻す。
「完全自動のAI機だったりしませんか?」
瀬戸が続ける。
「それも推測です」
「夢がないですね」
宮本が名取を見る。
「情報番組で夢を膨らませすぎると、あとで訂正することになります」
「大人の答えだ」
司会の榊は、出演者たちのやり取りが落ち着くのを待ってから、正面のカメラへ向き直った。
「紫色の試験機が、なぜ後方へ配置され、どのような判断で大型個体へ向かったのか。機体の正式名称や搭乗者を含め、まだ分からないことは多く残されています。防衛局は本日、作戦結果について追加の発表を行う予定です」
大型画面に、もう一度だけ大型個体の背後へ現れる紫色の機体が映る。
「以上、北西部市街地再奪還作戦についてお伝えしました」
司会者が進行カードをめくり、番組は夏の行楽情報へ移った。
出演者が口にした推測は、その場で終わらなかった。
番組公式サイトでは、放送された映像と文章による要約が別々に掲載された。
動画の画面上に、視聴者の言葉は流れない。
大型個体と三浦機の戦闘、画面から消える紫色の機体、背後から穿杭槍を突き立てる場面が、放送時と同じ映像として再生される。
その下にある投稿欄へ、番組を見た者の言葉が一つずつ積み上がっていった。
――投稿欄――
【機体沼の住人】
《あの紫、既存機じゃなくない?》
【北西区ウォッチャー】
《防衛局が言ったのは試験機ってことだけ。機体名も型式も出てない》
【現場映像収集班 → 機体沼の住人】
《別のニュースにも映ってる。南側の倉庫へ着地した紫と同じ機体》
【疑ってすまんな】
《新型の量産試験機じゃないの?》
【機体沼の住人 → 疑ってすまんな】
《量産前提の機体が、立体駐車場から建物を伝って飛ぶか?》
【安全圏から失礼】
《映像に飛んでるところなくない?》
【夜勤明け】
《秘密兵器なら最初から大型へ出せばよくない? なんで後ろに置いてたんだ》
【現場映像収集班】
《名取が言ってた医療拠点、何かあったんじゃね?》
【ソースをください → 現場映像収集班】
《公式が言ってないことを事実みたいに書くな》
【夜勤明け → ソースをください】
《じゃあ南まで散歩しに行ったのかよ》
――――
映像に映っていない時間が長いほど、書き込める推測は増えた。
新型機説、完全自動機説、第一中隊の予備戦力説。大型個体用の兵装試験が本来の目的であり、市街地再奪還作戦そのものが偽装だったという話まで現れた。
どの説にも、確かな根拠はない。
それでも、画面の中で紫色の機体が見せた動きは消えなかった。
大型個体の正面には、最初から三浦機がいる。
紫色の機体は、そこから離れた後方にいた。映像の端を南へ走り、一度姿を消す。次に確認された時には、大型個体の背後から現れ、誰も見たことのない武器を突き立てている。
役割を説明しようとする者たちは、自分がよく知る競技の中から、近い存在を探し始めた。
――別の投稿欄――
【週末リベロ】
《サッカーでいうリベロだろ。後ろから全体を見て穴を埋める》
【ベンチの切り札 → 週末リベロ】
《リベロが相手のエースを直接倒してるんですが》
【週末リベロ → ベンチの切り札】
《必要なら前まで行く。それがリベロ》
【ベンチの切り札】
《バスケならシックスマン。必要な時に入って流れを変える役》
【安全圏から失礼 → ベンチの切り札】
《十五機全部出てるのにシックスマンとは》
【九回裏二死】
《野球なら代打の切り札だな》
【夜勤明け → 九回裏二死】
《代打で出て、そのまま捕手と外野と抑えまでやった感じ》
【第三ドライバー】
《レースなら第3の男。エースが作れない結果を違う役割で拾う》
【機体沼の住人】
《どの競技に例えても仕事が多すぎる》
【ソースをください】
《正式な役割が分からないのだけは分かった》
――――
冗談の中に、少しずつ事実が混ざり始めた。
過去の報道映像を保存していた者が、同じ紫色の機体を見つけたからだった。
最初に発見されたのは、精製施設で撮影された短い映像だった。
技術者を乗せた輸送車が停止し、その前へ紫色の機体が立っている。中型個体の進路へ身体を入れ、攻撃を受けながら車両を退避させていた。
次に、石灰石採掘場の映像が見つかった。
斜面で動けなくなった損傷機へ近づき、肩を貸すように立たせる。中型個体が迫ると前へ出るが、自分で倒そうとはせず、到着した三浦機へ敵を任せて損傷機を後退させていた。
さらに古い復興現場の記録では、瓦礫を退け、動けなくなった作業機を引き出し、作業員を安全区域まで運んでいる。
いずれの映像でも、紫色の機体は中心にいない。
撮影者が見ているのは、崩れた施設や救助された人間、前線で戦う別の機体だった。紫色の機体は画面の隅から現れ、必要なものを動かすと、また後方へ戻っていく。
誰かが、それらを一本の動画へまとめた。
動画の題名は、《大型個体を倒した紫の機体 過去の記録》だった。
映像には説明用の字幕だけが入り、視聴者の投稿は重ならない。
再生画面の下で、投稿欄が急速に伸びた。
――投稿欄――
【現場映像収集班】
《同じ機体だ。左肩と背部フレームの形が一致してる》
【機体沼の住人 → 現場映像収集班】
《塗装だけじゃなく、装甲の継ぎ目も一致。たぶん同一機》
【夜勤明け】
《今まで戦ってなかったんじゃなくて、ずっと救助してたのか》
【疑ってすまんな】
《戦えるのに、なんで後ろにいたんだ?》
【週末リベロ → 疑ってすまんな】
《逆だろ。後ろにいた奴が、必要になったから前へ出た》
【北西区ウォッチャー】
《採掘場でも第一中隊の機体と組んでる。今回が初連携じゃない》
【帰宅最優先】
《敵を倒す機体じゃなくて、味方を帰す機体なんじゃない?》
【安全圏から失礼 → 帰宅最優先】
《それなら今回、大型を倒した理由は何だよ》
【帰宅最優先 → 安全圏から失礼】
《倒さないと誰かが帰れなかった、とか》
【ソースをください → 帰宅最優先】
《想像で美談を作るな》
【夜勤明け → ソースをください】
《秘密兵器説よりは映像と合ってる》
――――
蒼真の行動へ最も近い書き込みは、それ以上注目されなかった。
正解だと証明できる情報がなかったからである。
その代わり、人々は映像の中にある分かりやすい特徴を選んだ。
紫色であること。
必要な場面に突然現れること。
撮影者が追おうとした時には、別の場所へ移っていること。
前線にいたと思えば後方へ戻り、後方にいたと思えば大型個体の背後にいること。
昼過ぎ、一つの切り抜き動画が投稿された。
最初の場面では、三浦機が大型個体と戦っている。画面の端を紫色の機体が南へ走り、建物の陰へ消える。
映像は、そこで一度暗くなった。
次の場面では、大型個体の背後に紫色の機体がいる。
穿杭槍を突き立て、巨体を倒す。土煙が晴れると、紫色の機体だけが大型個体の前に立っていた。
動画の上へ、視聴者の言葉は流れない。
映像が終わったあと、黒い画面の中央へ投稿者がつけた題名だけが表示された。
《大型個体の背後に現れた紫の亡霊 PURPLE PHANTOM》
その下の投稿欄に、最初の言葉が書かれた。
【夜勤明け】
《パープルファントム、か》
次の者が続く。
【安全圏から失礼】
《誰が名付けたんだよ》
【現場映像収集班 → 安全圏から失礼】
《この切り抜きの投稿者。映像の最後に出てる》
【週末リベロ】
《知らん。でも、もうそれにしか見えない》
【第三ドライバー】
《第一中隊が正面、パープルファントムが背後》
【ソースをください】
《消えたんじゃなくて、南へ行ってただけだろ》
【北西区ウォッチャー】
《その南で十二体止めたって話が出てる》
【ソースをください → 北西区ウォッチャー】
《公式発表にない。今はデマ扱い》
【北西区ウォッチャー → ソースをください】
《支援要員が五十一人いたのは発表済み》
【ソースをください → 北西区ウォッチャー】
《紫が守ったとは発表されてない》
【機体沼の住人】
《大型の前に十二体が本当なら、そっちの方がおかしい》
【週末リベロ】
《パープルファントムなら、それくらいやるだろ》
【夜勤明け → 週末リベロ】
《もう設定が盛られ始めてて草》
呼び名には、根拠がなかった。
軍が決めたものでも、報道機関が取材して確認したものでもない。一人の投稿者が、短い動画へつけた題名にすぎなかった。
それでも覚えやすかった。
映像の中にいる紫色の機体と、突然現れて消える動きが、言葉だけで伝わった。
動画は別の場所へ転載され、題名が短くなった。
《パープルファントム、大型個体を撃破》
《パープルファントムの過去映像》
《支援機か秘密兵器か パープルファントムの正体》
午後になる頃には、最初からその名前で呼ばれていたかのように使われ始めた。
*
同じ日の夜、公共放送の報道特集は、再奪還作戦だけでなく、街が占拠されてからの四日間を取り上げた。
画面には、五日前まで人が暮らしていた商店街が映る。
買い物袋を持った人々が歩き、学校帰りの子どもが自転車で通り過ぎる。日付表示が一日進むと、同じ通りを避難車両が埋めていた。荷物を抱えた住民が誘導員に急かされ、窓から振り返る子どもの顔が、揺れる映像の端へ小さく残っている。
落ち着いた男性の声が、映像に重なった。
『五日前、この街の北側へ出動した一個中隊が、モンスター群との交戦によって全滅しました。防衛線を失った街には緊急避難指示が出され、住民は生活に必要なものの多くを残したまま退去しています』
人の消えた街では、信号だけが誰もいない交差点の色を変えていた。商店の軒先には避難の途中で倒された商品箱が残り、公園の砂場には、子どもが置いていった赤いシャベルが半分埋まっている。
古びた廃墟ではない。ほんの数日前まで続いていた生活を、突然止められた街だった。
『街が占拠された翌日、防衛局は三個中隊と支援部隊を統合し、最初の奪還作戦を実施しました。しかし、即席で編成された大隊は指揮と情報共有に混乱を生じ、組織的に行動するモンスター群を突破できないまま撤退しています』
番組は、大型個体が倒れる映像をすぐには使わなかった。
三個中隊が互いの動きを掴めず、救援の声と指示が通信網で重なった初日の記録。その反省から占拠二日目に始まったシミュレーター演習。部隊ごとに分かれていた情報を一つへ集め、十二機を一つの大隊として動かすまでの訓練が、順を追って紹介された。
避難所で取材を受けた女性は、避難当日の朝まで暮らしていた家の写真を端末へ表示していた。玄関先には、日が暮れたら片づけるつもりだった子どもの自転車が倒れている。
「着替えだけ持って出ました。すぐ帰れると思っていたので、洗濯物も、学校の荷物もそのままです。でも、取り返すために誰かが亡くなるくらいなら、待ちます。昨日の映像を見ても、すぐ帰れるとは思えません」
商店街で食料品店を営む男性は、半分だけ閉じられたシャッターを映像で見つめた。避難を促された時、店を閉め切る時間さえなかったという。
「冷蔵庫も商品も置いたままです。避難指示が出るまで、あそこで普通に商売をしていました。街が戻ったと言われても、まず中を確かめないと、喜んでいいのかも分かりません」
占拠三日目まで続けられた演習の映像が終わると、番組は占拠四日目に行われた再奪還作戦へ移った。
三つの中隊が市街地へ入り、大型個体の周囲にいた群れを押さえる。左右へ分かれた部隊の間に、後方へ通じる道が開く。
『防衛局によると、大型個体は周囲の敵性個体を統率し、人間側の部隊を誘導した可能性があります。後方にいた支援要員五十一人に危険が迫りましたが、詳しい経緯は現在も検証中です』
紫色の機体が南へ走る映像が流れる。
途中で建物の陰へ消え、次の映像では配送倉庫の屋根から地上へ降りていた。
『この試験機は、作戦開始時、戦闘部隊の後方へ配置されていました。大型個体へ投入することを前提とした位置ではありません』
映像は過去へ遡る。
精製施設で輸送車を守る紫色の機体。採掘場で損傷機を回収する同型機。復興現場で瓦礫を動かし、作業員を運ぶ試験機。
『この機体は、これまでも複数の現場へ投入されています。ただし、その任務は敵性個体の討伐より、救助、損傷機の回収、退路の維持を中心としていました』
ナレーションは、理由を推測しなかった。
搭乗者が戦いたくなかったことも、管理局の現場監督だったことも、公開されていない。番組が伝えられるのは、記録で確認できた行動だけだった。
『大型個体を停止させる能力を持ちながら、なぜ、この機体は後方支援を中心に運用されてきたのか』
『今回も、なぜ前線から離れた場所へ配置されていたのか』
『防衛局は、機体の正式名称、詳しい性能、搭乗者の氏名、今後の運用について明らかにしていません』
画面の中で、三浦機が大型個体の前脚へしがみつく。
その背後から紫色の機体が現れ、穿杭槍を突き立てた。
『一つだけ確認できるのは、第一中隊が正面で大型個体を引きつけ、紫色の試験機が背後から攻撃することで、初めて停止に至ったという事実です』
大型個体が倒れる。
土煙が晴れ、損傷した二機が並んで立っている。
『この街が完全に解放されたわけではありません。北部には、なお複数の敵性個体が残っているとみられます。住民が戻るまでには、安全確認と復旧作業が必要です』
最後に、街の外から撮影された夕景が映った。
沈む日の向こうに、建物の影が並んでいる。大型個体の姿は、もうなかった。
『再奪還作戦は、人が戻るための最初の一歩です。そして、作戦の中心にいなかったはずの紫色の機体が、なぜ最後に大型個体を倒すことになったのか。多くの謎が残されています』
番組は、答えを作らないまま終わった。
その慎重さが、かえって人々の関心を集めた。
放送終了後、番組公式サイトに掲載された文章記事には、数時間で多くの反応が寄せられた。動画は記事の上部へ置かれ、投稿欄はその下に分かれている。
――投稿欄――
【北西区ウォッチャー】
《初めて街そのものの経緯を知った》
【帰宅最優先】
《大型を倒したから明日帰れる、って話じゃないんだな》
【現場映像収集班】
《紫の機体、昔からいたのか》
【夜勤明け】
《ずっと救助してた機体が、今回だけ大型を倒した理由が気になる》
【疑ってすまんな】
《搭乗者が違う可能性は?》
【機体沼の住人 → 疑ってすまんな】
《機体が同じでも、中の人まで同じとは限らない》
【深夜の陰謀係】
《正式名を隠してるのは秘密部隊だからだろ》
【帰宅最優先】
《搭乗者に家族がいるなら、名前は出さない方がいい》
【ソースをください】
《詮索するなよ》
【安全圏から失礼 → ソースをください】
《もう別の掲示板で候補者一覧が作られてる》
――――
番組が避けた詮索を、ネットは避けなかった。
第一中隊の予備搭乗者。過去に退役した元エース。機体開発へ関わった試験搭乗者。完全自動戦闘AI。
候補と呼ばれるものが並べられたが、どれも蒼真には届かなかった。
出撃名簿は公開されていない。報道映像には位置と時刻の遅延処理があり、作戦後に紫色の機体から降りた蒼真はヘルメットの遮光板を下ろしていた。
何より、多くの人間が搭乗者を軍人だと思い込んでいた。
管理局から出向している現場監督が、臨時の支援員として乗っているとは考えない。
過去映像に映る現場も、防衛局の基地、復興施設、採掘場、管理局の作業区域と一定していない。画面の周囲には毎回、多数の職員と技術者がおり、一人の顔へつながる情報は残っていなかった。
正解から遠い候補ほど、詳しい説明がついた。
元エース復帰説には、過去の撃破記録が添えられた。
新型AI説には、紫色の機体が他機より速く動いた場面が使われた。
秘密部隊説には、搭乗者名が公表されていないことが根拠として挙げられた。
誰も、戦いたくない管理局職員へは辿り着かなかった。
その間にも、呼び名だけは広がった。
《パープルファントムの搭乗者は元エースか》
《完全自動機パープルファントムの可能性》
《紫の支援機パープルファントム 過去の救助記録》
最初は投稿欄で使われていた言葉が、まとめ記事の題名へ移り、動画配信者が口にし、深夜の情報番組が《ネットでパープルファントムと呼ばれる機体》として紹介した。
一日も経たないうちに、誰が言い始めたのか分からなくなった。
*
蒼真がその名前を知ったのは、翌朝、管理局へ出勤してからだった。
入口を通ると、受付にいた職員がこちらを見た。目が合う前に端末へ顔を戻したが、隣の職員と何かを話している。
廊下でも、何人かが振り返った。
搭乗者名は公表されていない。
しかし、管理局内ではリポルへ乗っている職員が誰か知られている。外部の人間に辿り着けなくても、同じ組織にいる者へ隠すことはできなかった。
執務室へ入ると、佐伯が机の横へ立っていた。
「おはようございます」
「おう。来たか、パープルファントム」
蒼真は足を止めた。
「誰ですか?」
「お前だよ」
「自分は橘です」
「そういう意味じゃない」
佐伯は笑いながら、自分の端末を蒼真へ向けた。
画面には、大型個体の背後へ現れるリポルの切り抜き映像が表示されている。題名の末尾には、大きな英字で《PURPLE PHANTOM》と書かれていた。
「ネットで、お前の機体がそう呼ばれてる」
「リポルという名前があります」
「知ってるよ。でも世間は、こっちの方が気に入ったらしい」
「正式名称ではありません」
「当然だ。防衛局がパープルファントム一機、出動、なんて命令したら笑うわ」
佐伯はそう言って、自分で想像したらしく声を上げて笑った。
周囲の職員も、端末や書類へ顔を隠しながら肩を震わせている。
蒼真は自分の机へ鞄を置いた。
「搭乗者名は出ていないはずです」
「外にはな。ここじゃ、全員知ってる」
「仕事に影響しますか?」
「今のところ、俺が朝から笑って仕事にならないくらいだ」
「それは困ります」
「誰のせいだと思ってる」
「呼び名をつけた人です」
佐伯は机へ手をつき、また笑った。
久賀は少し離れた席で、昨日の会議録を確認していた。蒼真と佐伯のやり取りが終わると、顔を上げる。
「《パープルファントム》は、特別機リポルを指す非公式呼称です。現時点で、橘二尉個人を示す呼称としては定着していません」
「そうなんですね」
蒼真は少し安心した。
「ただし、映像記事の四十二パーセントが、機体と搭乗者を一体の存在として扱っています」
安心は短かった。
「どういう意味ですか?」
「搭乗者が交代可能な機体ではなく、《パープルファントム》という特定の存在として認識され始めています」
「実際には、リポルはほかの人も動かせると思います」
執務室にいた何人かが、同時に首を横へ振った。
蒼真は、その動きを見回した。
「なぜですか?」
「そういうところだよ」
佐伯が笑いながら言った。
「相馬さんにも言われました」
「じゃあ、覚えとけ」
「意味を説明してください」
「説明して分かるなら、こうなってない」
蒼真が納得できずにいると、机の端末へ結衣から短い連絡が届いた。
《学校でもパープルファントムの話してる》
その下に、続けて文章が表示される。
《お父さんだとは言ってない》
蒼真はすぐに返した。
《言わなくていいよ》
少し間を置き、結衣から答えが来る。
《分かってる。でも、みんな秘密兵器って言ってる》
《違うよ》
《知ってる》
《完全自動のAI機だって言う子もいる》
《それも違う》
《訂正できないから困る》
蒼真は返信しようとして、指を止めた。
自分が搭乗者だと明かさず、正しい情報だけを伝えることは難しい。結衣が友人へ説明すれば、なぜそこまで知っているのかと聞かれる。
《何も言わなくていいよ》
そう送ると、今度はすぐに返事が来た。
《お父さんが言われてるみたいで、変な感じ》
機体の呼び名であっても、中に乗っていたのは蒼真だった。
外の人間が知らなくても、家族には切り分けられない。
《ごめん》
《何でお父さんが謝るの?》
それには、答えられなかった。
仕事を始めようと端末を閉じると、今度は美咲から動画が届いた。
再生すると、自宅の居間が映る。
昴が紙製リポルを片手に持ち、画面の前へ突き出している。
『ぱぱ、ぱーぷる!』
後ろから美咲の声がする。
『リポルでしょ』
『ふぁんとむ!』
『誰に教えてもらったの?』
『てれび!』
昴は紙製リポルを床へ置き、二本の紐を引いた。機体は真っ直ぐ進まず、横向きに倒れる。
『ぱーぷる、ぴょーん!』
昴が自分で持ち上げ、画面の外へ投げた。
美咲の笑い声が入り、映像はそこで終わった。
蒼真は美咲へ電話をかけた。
『もしもし』
「昴が、変な名前を覚えてる」
『朝からニュースで何度も言ってるから』
「リポルという名前があるよ」
『本人に説明して』
電話の向こうで、昴の声が近づく。
『ぱぱ、ふぁんとむ!』
「違うよ。パパは橘蒼真」
『ぱぱ、ぱーぷる!』
「紫色なのはリポル」
『ぱぱ、りぽる?』
「それも違う」
昴は混乱したらしく、しばらく黙った。
『ぱぱ、ぱぱ?』
「そう。パパはパパ」
『ぱぱ、ふぁんとむ!』
戻った。
電話の向こうで、美咲が笑っている。
「訂正できない」
『二歳児だからね』
「久賀さんは話が通じてた」
『久賀さんがすごいの』
蒼真は通話を切り、机へ端末を置いた。
佐伯が隣から覗き込む。
「家庭内でも定着したか」
「していません」
「息子公認だな」
「認めていません」
否定しても、呼び名は消えなかった。
管理局の休憩室では、紫色の紙コップへ誰かが《専用》と書いた。格納庫では、整備員がリポルの仮表示へ小さく《PF》と入力し、牧野に見つかって削除させられた。
防衛局の廊下では、搭乗者たちがリポルの正式名称を知りながら、会話の中だけで《紫》と呼んだ。
報道機関は、《ネット上ではパープルファントムと呼ばれている》という形で使用し始めた。
誰も正式名称だとは言わない。
誰も責任を持って名付けない。
それでも、同じ言葉を使う者だけが増えていった。
*
同日夜。
中央戦術支援統合網の非公開解析領域では、市街地再奪還作戦後に公開された報道、映像、通信量の変化が記録されていた。
特別機リポルに関連する情報量は、作戦前と比較して三百十二倍に増加した。
内容の大半は、機体性能、搭乗者、運用目的に関する推測である。
正確な情報は少ない。
橘蒼真が管理局職員であること。
常任搭乗を拒否していること。
戦闘への恐怖と忌避感を保持していること。
大型個体へ向かう前に、後方医療拠点へ進行した十二体を停止させたこと。
これらは公表されていない。
一方、映像によって確認可能な行動は繰り返し共有されている。
後方配置。
映像からの消失。
大型個体背後への出現。
高出力穿杭槍による停止。
過去の救助および損傷機回収。
公開情報のみで橘蒼真へ到達する可能性は、現時点では低い。
ただし、機体と搭乗者を一体の存在として認識する傾向は、継続的に上昇している。
非公式呼称の使用件数を集計。
《紫の機体》
《紫の支援機》
《新型機》
《パープルファントム》
時間の経過とともに、最後の呼称が他を上回った。
発信元は、個人が投稿した切り抜き映像である。
公式性なし。
軍事的意味なし。
運用上の識別名として採用する必要なし。
しかし、社会的認知の指標として記録する価値はある。
主要呼称。
《パープルファントム》
橘蒼真は、この呼称を否定している。
否定による使用率の低下は確認されない。
特別機リポルを、後方支援のみを行う無名の機体として運用することは、困難になりつつある。
搭乗者の追加通知は不要。
観察を継続する。
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