第七十二話 開けられた道
午前六時五十五分。
十二機の戦闘機と三機の支援機は、朝靄の残る市街地へ入った。
割れた信号機が風に揺れ、赤と青の灯りを失った交差点の上では、報道用の無人機が三機、一定の距離を保ちながら旋回している。住民が消えた通りには、置き去りにされた車と、開いたままの店の扉が並んでいた。看板だけが朝日を受けて明るく、その下にある生活の跡は、昨日まで人がいたことをかえって強く感じさせた。
リポルの操縦席で、橘蒼真は右肩越しに後方映像を開いた。
機体の背部から右腰にかけて、見慣れない長い武器が固定されている。鈍い灰色の槍身はリポルの身長に近く、先端には打ち込んだ後で機体を固定するための三枚の爪が閉じていた。柄の内部へ段階的に点火する推進薬を収め、装甲ごと杭を押し込む、対大型個体用高出力穿杭槍。
出動前、整備班から説明を受けた時には、最後まで使わないことを前提とした装備だと言われた。
第一中隊が大型個体を止められなかった場合に限り、リポルが側面から接近して使用する。反動を受け止められる機体が他にないため、今回の十五機の中で装備しているのはリポルだけだった。
初めて持つ武器の重さは、操縦桿へ直接伝わるものではない。それでも歩くたび、背中へ知らない荷物を括りつけられているような感覚が消えなかった。
《穿杭槍の固定状態は正常です。使用時には右腕部出力制限の解除、腰部固定爪の展開、および反動制御への主導権移譲が必要です》
「使う予定はありません」
《作戦計画上、使用可能性は十二・八パーセントです》
「低いですね」
《無視できる数値ではありません》
いつもと変わらない声だった。
大型個体が待つ街へ入っても、AIは数字を読み上げる速さを変えない。蒼真は正面へ視線を戻し、統合戦術画面の端に表示された武器欄を縮小した。
『橘さん』
三浦からの通信が入った。
中央通りの先を進む第一中隊は、すでに交差点を一つ越えている。先頭に立つ三浦機の背中が、倒れた街路樹の向こうに小さく見えた。
『大型はこちらで止めます。後ろをお願いします』
「分かりました」
『その武器は、帰ってから整備班へ返してください』
三浦の声音は穏やかだったが、冗談を言っているわけではなかった。
「最初から、そのつもりです」
短い返答のあと、通信が切れる。
蒼真は戦術画面を広げた。
以前の撤退戦では、三つの中隊がそれぞれの見ている敵を追い、同じ道を塞ぎ、別の道を空けた。支援機同士の連絡さえなく、誰が何を確認しているのかも分からなかった。
今は違う。
第一中隊の青、第三中隊の緑、西部方面隊の黄。その後方にいる三機の支援機が得た情報は、一つの地図へ重ねられている。敵性反応には識別番号が付けられ、建物の陰へ消えても最後に確認された位置と予測経路が残った。
最初の敵が、右手の商店街から現れた。
四体の小型個体が、シャッターの降りた店舗を突き破り、崩れた商品棚と硝子片を路上へ撒き散らす。先頭の一体が第三中隊へ向けて身を低くした瞬間、神代の声が共有回線へ通った。
『右、四。二番機、壁を作れ。三番機は奥を見る』
『了解』
二番機が盾を立て、石畳を削りながら突進を受け止めた。衝突音が建物の間で反響し、遅れて飛び出した二体目が盾の横を抜けようとする。
三番機は目の前の一体へ加勢せず、半歩だけ後ろへ下がった。射線を商店街の入口へ通し、奥に残っていた二体を牽制する。その間に四番機が横から長刀を差し込み、盾へ食いついた個体の前脚を切り払った。
敵が倒れた場所へ、別の中隊は寄らない。
第一中隊は速度を落とさず中央通りを進み、西部方面隊も左側の路地を塞いだまま持ち場を保っていた。
《敵性個体、右側四。識別番号を付与。R一からR四。第三中隊の対応範囲内です》
「第一と西部は、そのまま」
《共有済みです》
蒼真が言い終えるより早く、地図上の進路が更新される。
第三中隊が四体を処理している間にも、第一中隊の前方では中型個体が二体、車列を押し退けて現れた。片方は乗用車を前脚で弾き、もう片方は中央分離帯を踏み潰しながら走り出す。
三浦機は避けなかった。
右足を前へ踏み込み、長柄の戦斧を腰の高さで構える。突進してくる中型個体の頭が届く直前、機体を左へ滑らせると同時に、斧の石突きを舗装へ突き立てた。
回転の支点を得た巨体が、敵の肩口をすれ違う。
振り抜かれた刃は首を狙わず、前脚の付け根へ斜めに食い込んだ。中型個体の重さと速度が、そのまま傷を押し広げる。黒い体液を撒きながら敵が横転すると、後続の一体は倒れた身体を越えようとして足を止めた。
『今だ』
第一中隊の二機が左右へ分かれた。
片方が頭部へ射撃を集中させ、もう片方が後脚を断つ。逃げ場を失った中型個体の胸部へ、三浦機の戦斧が正面から沈んだ。
撃破表示が二つ、ほとんど同時に暗くなる。
蒼真は、その光景を後方から見ていた。
三浦は速い。
ただ速いのではなく、他の機体がどこまで動けるかを分かったうえで、自分が最初の一撃だけを引き受けている。後ろを気にしなくていいと言ったのは三浦自身だが、彼が前にいることで、他の三機も自分の仕事だけを選べていた。
目の前の人を救うことは大切だが、襲われる前に討伐できれば、より多くの人を助けることになる。
出動前に言われた言葉が、戦闘の形になって見えた。
納得したわけではない。
倒された個体が動かなくなるたび、胸の奥には小さな重さが残る。それでも、あの二体が避難所や復旧現場へ到達することは、もうない。
《中央経路、確保。第一中隊、予定より三十六秒先行しています》
「先行分を詰めないでください。左右と合わせます」
《各隊へ速度調整を提案します》
前に出た第一中隊が速度を落とし、商店街を抜けた第三中隊と、西側の道路を確保した方面隊が追いつく。三つの色は離れすぎず、重なりすぎず、訓練で何度も見た配置へ戻った。
市街地の中心へ近づくにつれて、道路の損傷はひどくなった。
建物の一階部分が抉られ、傾いた歩道橋が通りを半分塞いでいる。風が吹くたび、誰もいない集合住宅のベランダで洗濯物が揺れた。その向こうに、焦げたように黒い外殻が見え隠れする。
大型個体だった。
四階建ての建物と並ぶほどの背丈があり、太い前肢を道路へつくたび、窓硝子が細かく震える。前回より位置は北へ移っていたが、周囲には中型六、小型二十を超える反応が集まっていた。
大型個体が頭を上げる。
空気を押し潰すような低い咆哮が街を抜け、リポルの操縦席まで振動が届いた。
同時に、周囲の個体が動く。
前回は、それだけで表示が乱れた。各中隊が別々の敵を追い、報告の中で同じ個体が二度数えられた。
今回は、数字が増えない。
《敵性個体の再配置を確認。識別情報を維持します。大型一、中型六、小型二十三。未確認反応なし》
『全隊、番号で見ろ』
八神隊長の命令が飛ぶ。
『追うな。割り当てを待て』
統合画面上で敵の番号と迎撃担当が結ばれた。
第一中隊の正面へ中型三。第三中隊の右側へ小型九。西部方面隊の左へ中型二と小型六。残る個体は大型の周囲から動かず、一体だけが倒壊した建物の陰へ入った。
蒼真は見失った番号へ印を付けようとしたが、その前に西側支援機から位置情報が上がった。
『L七、地下駐車場へ進入。出口は二つ』
「南側出口を監視します」
『頼む』
三機の支援機が、初めて一つの現場を同時に見た。
蒼真は敵の動きを追いながら、各中隊の残弾、損傷、退路を確認する。第三中隊の二番機は左膝に軽度の負荷。西部方面隊の四番機は冷却効率が落ちているが、いずれも戦闘継続に問題はない。
何かが起きるたび、誰かの知らないところで穴が開く状態ではなくなっていた。
そのはずだった。
『第一、前へ出ます』
三浦の声が入る。
大型個体まで二百八十メートル。
第一中隊の四機は中央通りに横一列で並ばず、三浦機を先端にした浅い楔形を作った。二番機と三番機が左右から射撃し、近づこうとする小型個体を道路の外へ押し返す。四番機は半歩遅れて後方を向き、建物の間を警戒していた。
大型個体の前へ残った中型三体が、三浦機へ殺到する。
最初の一体は正面から来た。
三浦機は戦斧を両手で持ち上げ、振り下ろされた前肢を柄で受ける。金属が軋み、機体の踵が舗装へ沈んだ。力で押し返そうとはせず、右肩を落としながら柄を傾ける。敵の爪が滑った瞬間、斧を手放した右手で顎を押し上げ、左の膝を胸部へ叩き込んだ。
浮いた身体へ、二番機の砲撃が突き刺さる。
二体目は左から回り込み、三体目は倒れた仲間を盾にして距離を詰めた。
『左を取る』
『三番、正面』
短い声が交わされる。
三浦機は拾い直した戦斧を横へ払った。左から来た個体が跳び退き、その空いた場所へ二番機が入る。正面の一体は三番機が盾で押さえ、四番機の射撃が後脚を削った。
一機が一体を倒す戦いではない。
四機が位置を入れ替えるたび、敵の向きが変わり、そのたびに別の機体の武器が届く。大型個体へ続く中央通りが、少しずつ開いていった。
百八十メートル。
大型個体が再び吠える。
右側にいた小型個体が一斉に第三中隊へ向かったが、神代は動じなかった。二機を前へ出し、残る二機を建物側へ置く。狭い入口へ敵を集め、同時に飛び込める数を減らしてから、一体ずつ射線へ押し出した。
西側では中型二体が方面隊の前衛へぶつかっている。相馬機が一体の攻撃を盾で逸らし、隣の機体が脇腹へ刃を入れた。
『橘、左は持つ』
「損傷は?」
『塗装が減った』
相馬の返答に、蒼真は機体情報を確かめた。実際には右前腕の装甲が削られていたが、駆動部へ影響はない。
「右腕、軽度損傷です」
『そういうところだよ』
通信の向こうで、相馬が笑ったようだった。
百二十メートル。
三浦機が最後の中型個体を戦斧の柄で押し倒し、その身体を踏み越える。大型個体は下がらない。太い尾を建物へ打ちつけ、外壁を崩しながら正面を向いた。
《第一中隊、大型個体への接触まで二十七秒》
統合画面の中央で、青い先端が大きな赤い印へ近づいていく。
訓練どおりだった。
敵の番号は失われていない。中隊同士が射線を奪い合うこともなく、損傷機も出ていない。三浦が大型へ到達するまで、第三中隊と西部方面隊が周囲の敵を押さえ続ける。
前回できなかったことが、今回はできている。
蒼真の目にも、作戦が成功へ近づいているように見えた。
大型個体が、前肢を持ち上げた。
三浦機へ振り下ろすには、まだ距離がある。
その爪は地面へ突き刺さり、道路を深く抉った。砕けた舗装が跳ね上がり、土煙が中央通りを覆う。三浦機は速度を落とさず煙の中へ入った。
『視界を切られた。位置を』
「正面、九十。動いていません」
『了解』
報道用の無人機が高度を上げ、煙の向こうにいる大型個体を映している。共有された補助映像の端で、黒い輪郭が身体を低くした。
突進するつもりだと、蒼真は思った。
だが、大型個体は前へ出なかった。
喉の奥から、先ほどとは違う短い音を三度続けた。
《敵性個体の行動変化を確認》
右側で、小型個体の群れが二つに分かれた。
一群は第三中隊へ正面から飛び込み、もう一群は建物の間を抜けて東へ走る。その先には、市街地の外周へ通じる生活道路があった。放置すれば、包囲線の外へ出る。
『第三、東を塞ぐ。二番、三番、来い』
神代が二機を回した。
正しい判断だった。
西側では、地下駐車場へ入った一体が南側出口から姿を現した。同時に、中型二体が反対側へ走り、方面隊の退路に置かれた支援車両へ向きを変える。
『西部、下がれ! 車両へ行かせるな』
相馬機が中型個体を追い、残る三機も左右へ広がった。
それも、正しい。
第一中隊の背後には、大型の周囲に残っていた小型が回り込もうとしている。四番機だけでは止め切れない。二番機が足を止めて後ろを向き、三番機も三浦との距離を広げた。
正面の大型を三浦が押さえ、他の機体が側面と後方を守る。
間違っていない。
統合画面は混乱していなかった。敵の動きはすべて表示され、担当の割り当ても重複していない。八神隊長の承認が入り、各中隊は最短の経路で必要な場所へ動いている。
だからこそ、蒼真は画面の中央に生まれた空白へ気づくのが遅れた。
三つの中隊が、それぞれ正しい脅威へ対応した結果だった。
第三中隊は東へ。
西部方面隊は西と南西へ。
第一中隊は大型個体を中心に、北側へ引きつけられている。
戦闘を行う十二機の間に、中央通りから南へ抜ける細長い空間ができていた。そこには敵性反応がない。建物の倒壊も少なく、後方へ続く道路だけが、不自然なほど真っ直ぐに空いている。
「この道は、誰が見ていますか?」
《中央南進経路は、後方支援機二機が監視しています。現在、脅威反応はありません》
蒼真は地図を拡大した。
道そのものではなく、その下に、細い灰色の線が走っている。
旧共同溝。
電力線と上下水道を収めるために造られた地下設備で、街が放棄された後は点検されていない。入口の一つは大型個体のいる広場の近くにあり、もう一つは市街地南端の保守施設へ続いている。
「地下を確認してください」
《地中走査は建造物および地下水の影響を受けます。精度は三十二パーセントです》
「それでいいです」
《走査を開始します》
リポルの観測範囲が地下へ向けられる。
その瞬間、広場の大型個体が三浦機へ前肢を振り下ろした。
三浦機は横へ跳び、落ちた爪が道路を割る。機体を低くしたまま大型の懐へ入り、戦斧を後脚へ叩きつけた。硬い外殻に火花が散り、刃が浅く食い込む。
『入った』
第一中隊から声が上がった。
三浦機が斧を引き抜き、もう一度踏み込む。大型個体の身体が傾き、傷を負った後脚が僅かに沈んだ。
成功する。
誰もが、そちらを見た。
蒼真も一瞬だけ、中央映像へ目を移した。
直後、地下走査の結果が戦術画面へ重なった。
灰色だった共同溝の線が、赤く染まる。
一つではない。
いくつもの熱源が狭い地下道を南へ移動している。互いにぶつかるほど密集しながら、地上の戦闘には目も向けず、一直線に進んでいた。
「数は」
《解析中です》
蒼真は共同溝の出口を指で追った。
市街地南端の保守施設。
そこから南へ延びる道路の先に、後方医療拠点がある。
三・二キロ離れているはずの五十一人の反応が、画面の下端で青く点滅していた。河野がいる。負傷者を受け入れる医療班がいる。機体に乗らず、武器も持たず、帰ってくる者を待っている人たちだった。
保守施設の地表が、内側から膨らんだ。
監視映像の中で、古いコンクリートの蓋が持ち上がり、砕けて落ちる。最初の小型個体が地上へ這い出し、その後ろから黒い身体が次々に続いた。
近くにいる機体を探す。
第一中隊は北。
第三中隊は東。
西部方面隊は南西へ引かれている。
支援機は三機とも、戦闘用の武装が足りない。リポルから出口までの直線距離は最も短いが、間には倒壊した商業施設と、高低差のある鉄道跡が横たわっている。道路を使えば大きく迂回しなければならず、通常経路の到着予測は敵より遅い。
誰も、届かない。
統合画面は正常に動いていた。
命令も間違っていなかった。
十二機は訓練どおりに連携し、目の前の脅威へ最適に対応している。
その正しさを積み重ねた先に、後方へ続く一本の道が開けていた。
大型個体が、三度目の短い声を上げた。
南へ出た群れが、一斉に走り出す。
《優先警告。敵性個体十二。後方医療拠点へ進行中》
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