第七十一話 映される作戦
大型個体の再討伐作戦が正式に決まったのは、シミュレーター最終評価から二日後だった。
蒼真が呼ばれた会議室では、前回のように戦況映像が再生されていなかった。正面画面へ表示されているのは、奪還できなかった市街地と周辺道路を上空から撮影した現在の写真である。
雨の跡が残る屋根の間を、小型個体が数体歩いている。中央広場には大型個体の黒い背中があり、その周辺には、以前より広い範囲へ瓦礫が集められていた。
人間が置いていったものではない。
大型個体を中心に、小型と中型が道路を塞ぎ、建物の一部を崩して運んでいる。南側幹線路には、前回リポルが倒した連絡通路の残骸まで移されていた。
敵も、次に人間が来ることを考えている。
「監視開始から、敵性個体の市街地外への移動は確認されていません」
防衛局担当者が説明する。
「現時点では、街を拠点として維持する行動を優先していると見られます。ただし、繁殖に伴って群れの規模が拡大した場合、周辺地域へ行動範囲を広げる可能性があります」
画面が切り替わり、市街地の外側にある住宅地と、避難住民が暮らす仮設居住区が示された。
最も近い場所まで、直線で十一キロメートル。
今は遠い。
大型が群れを動かす速さを知った後では、十分な距離には見えなかった。
「作戦開始は四日後、午前七時です」
担当者の声とともに、新しい配置図が開いた。
三個中隊、十二機の戦闘機。支援機三機。後方車両八台。
前回と同じ数だったが、機体を結ぶ線は変わっている。
各中隊が個別の通信へ分かれるのではなく、敵性個体の識別情報だけは大隊全体で共有する。支援機三機の作業状況も、《対応中》《移動可能》《資材不足》の三段階で全機へ反映される。
指揮権は臨時大隊指揮官が持ち、各中隊長が担当区域で判断する。蒼真の名前は、後方中央の《情報統合支援》へ入っていた。
シミュレーターで完成させた形が、実際の作戦図になっている。
「橘二尉」
臨時大隊指揮官に呼ばれ、蒼真は画面から目を離した。
「情報統合支援は、訓練時と同じですか?」
「基本的には同じだ。ただし、実地では未観測個体と通信遅延が発生する。AIの確定情報と推定情報を混同するな」
「分かりました」
「各中隊から問い合わせが集中しても、全てに答えようとする必要はない。通常条件はAIへ処理させ、競合した案件だけを確認しろ」
「それも分かっています」
初回訓練で十一分しか持たなかったことを思い出し、蒼真は小さく頷いた。
画面の右下には、もう一つ紫色の線があった。
後方中央から市街地東側へ移動し、大型個体の左後方へ至る経路である。実線ではなく、途中から薄い点線になっていた。
「これは、実行するんですか?」
「予備案だ」
指揮官の返答は早かった。
「第一中隊による正面接近が成立しない場合に限り、リポルを非主要脅威機として側面へ移動させる。お前が大型を討伐する計画ではない。大型の注意を引き、三浦一尉の経路を開く」
蒼真は点線の終点を見た。
大型まで十二メートル。
シミュレーターで到達したのと同じ距離だった。
「敵は、前回のことを覚えている可能性があります」
「その前提で組んでいる」
「シミュレーターでも、途中で自分を見ました」
「だから予備案だ。正面攻撃が成功すれば、お前は後方を動かない」
「成功率は?」
「第一案だけなら、十八パーセントだ」
低い。
自分が動く案を加えれば六十七パーセントになることも、既に聞いている。
「拒否することはできますか?」
蒼真が尋ねると、会議室の空気が僅かに止まった。
神代は蒼真の隣で腕を組み、正面の指揮官を見ている。三浦は机の上へ両手を置いたまま動かなかった。相馬は視線を点線から蒼真へ移したが、何も言わない。
「現時点で、お前へ側面接近を命令してはいない」
指揮官は言葉を選んだ。
「作戦中に必要と判断した場合、実行前に状態を確認する。機体損傷、搭乗者の状態、周辺の敵性個体、退路の成立。いずれかが基準を満たさなければ実行しない」
「全部満たしていた場合は?」
「命令の可否を、その時点で判断する」
「自分の意思は?」
「確認する」
「確認したあと、命令する可能性があるんですね」
「ある」
曖昧に濁されなかったため、蒼真は次の言葉を失った。
行きたくないと答えれば、それで終わるとは言われていない。かといって、必ず行けとも決まっていない。
作戦当日まで、点線は点線のまま残る。
「橘さん」
三浦が静かに呼んだ。
「正面経路は、第一中隊が開きます」
「十八パーセントですよね」
「以前の条件では、です。訓練で改善した部分もあります」
三浦は安心させるためだけに言っているのではなかった。自分の役割として、大型へ到達するつもりでいる。
「橘さんが動かずに済むよう、最初からそのつもりで戦います」
蒼真は三浦の顔を見た。
「自分が後ろにいる方が、三浦一尉は戦いやすいと言っていませんでしたか?」
「言いました」
「なら、無理に前へ出ない方がいいと思います」
「それを橘さんに言われるとは思いませんでした」
三浦の口元に、ごく僅かな苦笑が浮かんだ。
相馬が机へ肘をつき、深く息を吐く。
「お互いに前へ出るなって言い合って、誰が大型を倒すんだよ」
その通りだった。
誰も答えなかったため、相馬は自分で言ったことに疲れたように額を押さえた。
「次に、後方医療拠点について説明します」
担当者が画面を切り替えた。
市街地から南へ三・二キロメートル。前回、指揮車両と補給車が待機していた区域より、さらに外側に医療用天幕と救護車両が配置される。
前線で負傷者が出た場合、支援機が市街地境界まで搬送し、そこから車両で医療拠点へ移す。
「医療責任者は河野医師です」
蒼真は表示された名前を見た。
前回の撤退後、右手首を診察した医師でもある。戦闘へ出るたびに顔を合わせるようになっている気がした。
「医療拠点の防衛機は?」
「固定配備はありません。市街地外周の監視機と無人防衛装置で対応します」
「敵が向かった場合は?」
「大型と群れを市街地中央へ拘束することが今回の作戦です。医療拠点まで敵性個体が到達する可能性は低いと判断しています」
低い。
ない、とは言わなかった。
蒼真は医療拠点から市街地までの道路を確認した。幹線路は一本。途中に旧物流施設があり、その脇から生活道路が枝分かれしている。
「監視範囲を統合画面へ入れてください」
「医療拠点までですか?」
「後方車両の退路なので」
担当者は少し考え、臨時大隊指揮官を見る。
「追加しろ」
「承知しました」
画面の端が南へ広がり、医療拠点を示す白い枠が加わった。
それで安心できるわけではない。それでも、見えないままにしておくよりはよかった。
「もう一点あります」
今度は、内閣情報局の八神評価官が口を開いた。
八神隊長も同じ室内にいるため、呼び方がはっきり分けられている。隊長の方は壁際に立ち、腕を組んだまま黙っていた。評価官の八神は正面に近い席で、政府側の資料を開いている。
「今回の再奪還作戦について、限定的な映像公開が決定しました」
蒼真は聞き間違いかと思い、画面から八神評価官へ目を移した。
「公開するんですか?」
「完全な生中継ではありません。報道用ドローンが取得した映像から、部隊位置、通信、作戦上の機密情報を除去し、数分の遅延を設けて配信します」
「なぜですか?」
「当該市街地の住民には、避難生活が続いています。一個中隊の全滅後、敵性個体の繁殖拠点となる可能性も公表されています。政府には、作戦状況を説明する必要があります」
八神評価官の説明に、期待や不安といった感情は混じらない。
「奪還に成功する前提なんですか?」
「成功を目指す作戦です」
「失敗した場合も流れますか?」
「配信中止基準は設定されています。ただし、作戦結果自体を非公表にはできません」
「自分も映るんでしょうか」
「戦闘区域へ入る全機が撮影対象です」
蒼真は自分の席へ座り直した。
前回も、作戦記録用のドローンは飛んでいた。映像を見られる相手は防衛局と評価担当者だけだった。今度は、知らない人間も見る。
「搭乗者の名前は出ますか?」
「通常は中隊名と機体区分のみです。個人情報は、本人または家族の安全に配慮して非公開とします」
「なら、誰が乗っているかは分からないんですね」
「通常の運用であれば」
最後の言い方が、少し気になった。
「通常ではない場合があるんですか?」
「顕著な戦果、救助活動、作戦上重要な行動が発生した場合、作戦終了後に公開範囲が再検討されます」
「自分は情報をまとめるだけです」
「予定上は、そうなっています」
八神評価官は事実だけを答えた。
蒼真がそれ以上尋ねようとすると、壁際にいた八神隊長が初めて口を開いた。
「後方にいろ」
低い声だった。
「予備案が使われなければ、お前が映像の中心になることはない」
「使われた場合は?」
「今は考えるな」
蒼真は八神隊長を見た。
隊長はリポルの試験運用を知っている。誰もまともに歩かせられなかった機体を、蒼真が初めて動かした時も記録を確認していた。
シミュレーターでオートバランサーを解除した件について、八神隊長はまだ何も言っていない。
「隊長は、リポルがもっと動くと知っていたんですか?」
会議室の空気が、僅かに変わった。
三浦が八神隊長へ目を向け、綾人も手元の資料から顔を上げる。
八神隊長は腕を組んだまま、しばらく答えなかった。
「可能性は知っていた」
「どうして言わなかったんですか?」
「言えば、限界試験を求められる」
「試験をした方が、安全に使える範囲が分かったのでは?」
「お前は限界を調べたあと、その範囲を使わずにいられるのか」
問い返され、蒼真は口を閉じた。
必要な時に使えると分かっている力を、使わないでおけるのか。
先日のシミュレーターでも、最初から解除するつもりはなかった。安全補正が邪魔になり、大型へ届かなくなったから、自分で外した。
実地で同じことが起きれば、また外すかもしれない。
「少なくとも、これまでは必要なかった」
八神隊長が言った。
「救助と回収には、今の出力で足りていた。なら、余計な試験を増やす理由はない」
「自分を庇っていたんですか?」
「運用上、不要だったと言っている」
隊長は感情を認めなかった。
だが綾人は、その横顔を見て小さく息を吐いた。
「橘君。黙っていてもらえたことには、素直に感謝しておけ」
「でも、もう知られました」
「君が自分で外したからな」
「必要だったので」
「知っている。だから隊長も言いたくなかったんだろう」
八神隊長は綾人を睨んだが、否定はしなかった。
会議は、作戦当日の通信手順と撤退基準の確認へ進んだ。
大型個体を中央広場から動かせなかった場合。
三個中隊の間隔が規定を超えた場合。
敵性個体が市街地外へ一定数以上流出した場合。
情報統合が機能しなくなった場合。
いずれも、作戦責任者が進攻中止を判断する条件として記録された。
医療拠点へ敵性個体が向かった場合について、蒼真はもう一度確認した。
「最優先で阻止する」
指揮官はそう答えた。
誰が阻止するのかまでは、決まっていなかった。
*
その日の夜、蒼真は夕食が終わるまで、作戦の話をしなかった。
隠していたわけではない。
結衣が翌日の部活動について話し、昴が味噌汁の中へ落とした豆腐を箸で追い続けていたため、話す時機を待っていただけである。
それでも食器を片づけ終えた美咲が、向かいの席へ戻ってきた時には、既に何かを察している顔をしていた。
「決まった?」
「四日後」
蒼真が答えると、結衣も居間から顔を出した。中学校の鞄から取り出したノートを脇に抱え、食卓の端へ寄る。
「また、あの街?」
「うん」
「今度は倒しに行くの?」
「大型個体を倒して、街を取り戻す作戦だよ」
昴が自分の名前を呼ばれたと思ったのか、積み木を持ったまま走ってきた。
「りぽる、たおす?」
「自分が倒す予定ではないよ」
「のすとす、たおす?」
「ノストスは行かない」
「りぽる、いく?」
「行く」
昴はそこだけ理解し、紫色に塗られた紙の機体を玩具箱から探し始めた。
美咲は昴の背中を一度見てから、蒼真へ視線を戻した。口元には穏やかな笑みがある。しかし、目の周りから少しずつ柔らかさが消えていった。
「どこにいるの?」
「最初は後方。三個中隊の情報をまとめる」
「最初は?」
言葉を拾われた。
蒼真は湯飲みへ手を伸ばしかけ、何も入っていないことに気づいて戻した。
「第一中隊が大型へ近づけなかった場合、リポルが横から近づく案がある」
「戦うの?」
「大型の注意を自分へ向けて、その間に三浦一尉が倒す」
「それを、囮って言うんじゃないの?」
結衣が眉を寄せた。
「作戦資料では、非主要脅威機による側面接近になってる」
「長くしただけで囮じゃん」
「多分、そうだと思う」
「思うじゃなくて、そうでしょ」
結衣の声が少し強くなる。
美咲は止めなかった。笑顔も消していない。ただ、指先で湯飲みの縁をゆっくり撫でていた。
「断ったの?」
「まだ命令されていない。必要になった時、自分の状態を確認して決めると言われた」
「誰が決めるの?」
「作戦責任者」
「蒼真は?」
「意思は確認される」
「断ったら行かなくていいの?」
「そこまでは言われなかった」
美咲の笑みが、ほんの少し深くなった。
怒っている時の変化だった。
「確認するのに、断れるとは言ってないんだ」
「うん」
「その説明で帰ってきたんだ」
「他にも聞いたよ」
「何を?」
「機体損傷と、自分の状態と、敵の位置と、退路が条件を満たさなければ実行しない」
「全部満たしたら?」
「行く可能性がある」
美咲は湯飲みから手を離した。
結衣が椅子の背へ腕を置き、蒼真をじっと見ている。昴だけは紙のリポルを食卓へ乗せ、倒れた積み木を助ける遊びを始めていた。
「お父さん、また自分で条件を全部揃えるんじゃないの?」
結衣の一言が、蒼真の胸へ刺さった。
「今回はAIが確認する」
「そのAIに、どう聞けば欲しい答えが出るか知ってるんでしょ」
「それは仕事だから」
「ほら」
結衣は呆れたように息を吐いた。
美咲が目を伏せ、少しだけ笑う。先ほどまでの怖い笑顔とは違い、困り果てた時の笑いだった。
「蒼真」
「はい」
「行きたい?」
「行きたくない」
「なら、それを忘れないで」
「でも、必要になったら――」
「まだ必要になってない」
綾人と同じことを言われた。
「今から行く理由を作らなくていいの。行きたくないと思ったまま、後ろで仕事をして。そこで終われば、それが一番だから」
「分かった」
「本当に?」
「今は考えない」
美咲は蒼真の顔をしばらく見たあと、ようやく頷いた。
「それでいい」
食卓の上では、昴のリポルが倒れた積み木を一つずつ玩具箱へ運んでいた。
「りぽる、かえる」
昴が言う。
「うん。帰るよ」
蒼真が答えると、美咲と結衣は何も言わなかった。
*
作戦前日、報道用ドローン三機が後方拠点へ搬入された。
白い機体の側面には、撮影機材であることを示す青い帯が入り、軍用観測機とは異なる識別番号が記されている。
整備員が飛行経路を確認する横で、報道担当者が配信遅延と映像加工の手順を説明していた。
撮影映像は一度、防衛局の配信管理室へ送られる。
正確な位置情報を削除する。
部隊通信を消す。
搭乗者名と機体識別番号を非表示にする。
その後、数分遅れて各報道機関へ提供される。
国民が見るのは作戦そのものではなく、安全に見せられる範囲へ切り取られた映像である。
蒼真は格納庫へ向かう途中でドローンを見上げたが、足を止めなかった。
自分は後方にいる。
映るとしても、他の支援機や車両と同じように、画面の端を横切るだけだろう。
格納庫では、牧野がリポルの右肩装甲を確認していた。前回の撤退戦で剥がれた部分は交換され、外見だけなら損傷前と変わらない。
「オートバランサーの解除履歴、見たぞ」
蒼真が近づくと、牧野は装甲から手を離さずに言った。
「シミュレーターです」
「分かってる。実機じゃないから、今すぐ壊れはしない」
牧野は点検灯を消し、足場の上から蒼真を見下ろした。
「でも、お前が同じ動きを実機でやったら、こいつは壊れる」
「一度でですか?」
「一度で壊れる場所もある。何度か持つ場所もある。どこまで行けるかは、誰も試してない」
「試験運用では?」
「そこまで動かせた奴がいなかった」
蒼真はリポルを見上げた。
紫色の機体は固定台の上に立ち、いつもと同じ姿をしている。特別な装備が増えたわけでも、形が変わったわけでもない。
「普通に動いていますよね」
「お前が乗ってからはな」
「なら、他の人も慣れれば動かせるのでは?」
牧野は数秒黙り、それから深く息を吐いた。
「そういうところまで含めて、明日壊すなよ」
「壊す予定はありません」
「敵を倒す予定もないんだろ」
「自分の担当ではないので」
「分かった。もういい」
牧野は諦めたように手を振り、足場を降り始めた。
蒼真はもう一度リポルを見た。
明日は後方で情報をまとめる。
第一中隊が大型を倒せば、側面接近案は使われない。
報道映像にも、紫色の支援機が後方にいたという記録しか残らない。
それで終わるはずだった。
*
作戦当日、午前六時五十二分。
三機の報道用ドローンが、薄明るい空へ順番に浮かび上がった。
その下では、十二機の戦闘機と三機の支援機が市街地へ向けて並んでいる。
前方に第一中隊。
右に第三中隊。
左に相馬の西地区中隊。
リポルは二機の支援機とともに、隊列の後方中央へ立っていた。
正面画面に、全機共通の統合戦況表示が開く。
《登録機十五。後方車両八。医療拠点、生体反応五十一。通信状態、正常》
五十一人。
河野を含め、医療要員、車両要員、作戦開始前から搬入された負傷者がそこにいる。
「医療拠点も、監視対象に入っていますか?」
《統合監視範囲に含まれています》
「敵性反応が向かった場合、最優先で表示してください」
《了解しました。ただし、当該条件は既に優先警告として登録されています》
「確認です」
《確認しました》
蒼真は操縦桿へ手を置いた。
自分から大型へ近づく理由は、まだない。
リポルの安全制御も、出力制限も、オートバランサーも有効になっている。
前方で三浦機が動き、続いて十二機が歩き始めた。
上空のドローンが、その隊列を追う。
数分後、加工された映像が全国へ流れることを、蒼真も知っていた。
ただ、その映像の中心に自分が入るとは、まだ考えていなかった。
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