第七十話 必要なものだけ
合同シミュレーター訓練の初日、十五機は敵に触れる前に動けなくなった。
正確には、機体が故障したわけではない。
第一中隊も第三中隊も、西地区中隊も、予定された進入地点へ到達している。三機の支援機も後方に揃い、仮想市街地の南側には補給車両まで再現されていた。
問題は、全員の画面に同じ情報が表示されたことだった。
リポルの正面モニターには、市街地を埋める赤と青と黄色の印が重なっていた。敵性個体の位置、移動方向、推定速度、各機との距離。十二機分の弾薬残量と装甲損傷。三機の支援機が保有する補修資材、担当可能時刻、到達予測。さらに退路の障害物、建物の倒壊可能性、後方車両の移動予定まで、一つの画面へ押し込まれている。
情報を統合する。
会議では簡単に聞こえた。
実際に全てを表示すると、必要なものがどこにあるのか分からなかった。
『中央支援、第一中隊二番機の表示が点滅している。故障か?』
「違います。中型個体の予測進路と重なった警告です」
『橘、第三中隊の弾薬残量がこちらにも出ている。見なくていいのか?』
「消して構いません。多分」
『多分で消すな』
神代の声へ答える前に、別の通信が重なった。
『支援右翼、応急処置対象を第一中隊三番機と表示しています。担当変更ですか?』
「変更していません。候補機として表示されているだけです」
『候補と命令の色が同じです』
「少し待ってください」
蒼真は表示設定を開いた。変更項目の一覧が画面の半分を覆い、さらに敵の位置が見えなくなる。
《敵性小型個体三、第一中隊左側面へ移動。推定接触まで十一秒。中型個体一、第三中隊正面で停止。西地区中隊二番機の左膝部温度が標準値を四・二パーセント超過。支援左翼機の冷却材使用可能量は――》
「待ってください。今は第一中隊の警告だけでいいです」
《第一中隊に関連する情報へ限定します。敵性小型個体三、第一中隊左側面へ移動。第一中隊三番機の短距離防御砲残弾六。第一中隊四番機は建物との距離が規定値を下回っています。第一中隊支援を担当する支援左翼機は――》
『橘さん、左側面というのは、俺から見てどちらですか?』
三浦の声は落ち着いていた。しかし、蒼真が返答するより先に第一中隊二番機が左へ向き、三番機は反対へ銃口を振った。
「三浦機の西側です。地図では右です」
『画面上の右で統一してください』
「分かりました」
『小型、入るぞ!』
相馬の声が割り込んだ。
第一中隊の側面へ向かっていたはずの小型三体が、建物の間で進路を変え、西地区中隊の正面へ飛び出す。全機の画面には移動予測が表示されていたが、古い線が消えず、新しい線と交差していた。
相馬中隊の一番機と三番機が同時に動いた。互いに同じ敵を狙っていることへ気づき、どちらも射撃を止める。その一瞬に小型個体が二機の間を抜けた。
『必要な情報だけ寄越せ!』
「全部必要だと言われました」
『今は要らない!』
蒼真は相馬中隊の画面から弾薬と支援情報を消そうとした。だが、設定変更には対象と理由の入力を求められる。短い理由を書いている間に、第三中隊からも警告が届いた。
『中央支援、正面の中型は攻撃対象か、参考表示か』
「確認します」
『その返事を待っていたら来る』
神代が自分で判断し、第三中隊へ迎撃を命じた。
同時に第一中隊が、側面へ現れた別の中型個体へ向きを変える。二つの中隊の間に開いた道路へ、小型個体が流れ込んだ。
大型個体の咆哮が響く。
画面上で十を超える予測線が一斉に折れ曲がった。警告表示が重なり、赤く染まった市街地の中心で、どの線が確定した移動で、どれが推測なのか判別できない。
『中央支援、優先目標を』
『支援左翼、移動許可を』
『橘、退路の表示が消えた』
『二番機が被弾!』
『橘さん、聞こえていますか』
「聞こえています。順番に――」
返答を整理しようとした時、リポルの画面が暗転した。
《第一中隊二番機、行動不能。第三中隊四番機、操縦席損傷。後方補給車両二台、敵性個体の侵入により喪失。訓練継続条件を満たしていません》
仮想市街地から音が消えた。
《第一回大隊統合運用訓練を終了します》
開始から、十一分三十二秒だった。
*
シミュレーター室を出た蒼真は、休憩室の長椅子へ座ると、紙コップの水を両手で持った。
実際には一発も撃たれていない。機体も壊れておらず、誰も怪我をしていない。それでも首の後ろには汗が溜まり、薄い訓練服が背中へ張りついていた。
目を閉じると、赤い線と警告表示が瞼の裏に残っている。
「同じ戦場を見せろとは言った」
向かいの椅子へ腰を下ろした神代が、冷たい水の蓋を開けた。
「全部見せろとは言っていない」
「何が必要か分からなかったので、最初は全て表示しました」
「結果は?」
「何も分からなくなりました」
「そうだな」
神代は一口飲み、容器を机へ置いた。責める口調ではなかったため、余計に反論できない。
三浦が遅れて入ってきた。普段どおりに椅子を引き、蒼真の隣へ座る。
「橘さん。情報を減らしてください」
「何を消せばいいですか?」
「俺が見なくても戦えるものです」
「それが分かりません」
三浦は少し考えたあと、机の上の端末を開いた。訓練中に自分の画面へ表示されていた項目を一つずつ消していく。
「第三中隊の弾薬は要りません。支援機の資材量も、後方車両の到着時刻も必要ありません。自機の弾薬と損傷は、元から機体側で把握できます」
最後に残ったのは、自分の視界に入っていない敵の接近方向と、味方が塞いでいる退路だけだった。
「これだけですか?」
「戦っている最中に見るなら、これでも多いでしょう」
蒼真は端末を覗き込んだ。
自分なら、残弾も損傷も支援機の位置も見ておきたい。何か起きた時、誰を助けられるか判断するために必要だからだ。
だが、三浦は目の前の敵を倒す。その間、後ろの情報まで読ませれば、三浦が本来できることを邪魔してしまう。
「俺は敵の位置が欲しい」
入口から相馬が言った。
濡れた髪をタオルで拭きながら、空いている椅子へ乱暴に腰を下ろす。
「ただし、今いる場所だけだ。十秒前の予測線を残すな。敵が曲がったら古い線は消せ」
「消すと、どこから来たか分からなくなります」
「それを見るのはお前だろ」
相馬がタオルを肩へかけ、蒼真を真っ直ぐ見た。
「全員に同じ情報を渡すことと、全員に同じ画面を見せることは違う。お前が全部見て、必要なものだけこっちへ出せ」
「それだと、自分の判断を待つことになります」
「待たせるな」
「無理です」
「じゃあAIにやらせろ」
蒼真は言葉を止めた。
AIは全ての情報を集められる。誰へ何を見せるかという条件さえ決めれば、蒼真が一件ずつ選ぶ必要はない。
しかし、その条件を決めるには、各中隊が何を必要としているか知らなければならない。
休憩室へ入ってきた支援員二名にも、蒼真は端末を向けた。
「何が必要ですか?」
唐突に尋ねられた二人は顔を見合わせた。
その日の二回目は、表示する情報を大きく減らした。
敵の位置は現在地だけ。支援情報は担当機の損傷と要請だけ。退路は通行不能になった時だけ表示する。
画面は見やすくなった。
十五機は最初の交差点を越えた。
代わりに、第一中隊の死角を通った小型個体を誰も追跡せず、後方の整備車両が襲われた。
三回目は、情報を消さずに蒼真が選別した。
第一中隊へ敵の迂回を伝え、第三中隊へ西側の空白を知らせ、西地区中隊へ地下道からの移動を送る。後方車両へも退路変更を指示するための情報を渡した。
全て正しかった。
だから、全員が蒼真の返答を待った。
支援左翼機が動けるか尋ね、第一中隊が前進可能か確認し、第三中隊は表示された敵が確定情報か問い合わせる。蒼真の通信欄には未回答が積み重なり、やがて先頭の三浦機まで交差点で停止した。
「自分を通さないでください」
終了後、蒼真は訓練担当者へ頼んだ。
「橘二尉が情報統合担当です」
「自分がいなくても流れるようにしないと、自分が別の作業をした時に止まります」
「情報統合担当が、別の作業をする前提なのですか?」
「支援員なので」
訓練担当者は返答に困り、神代は横で額を押さえた。
四回目は、中隊ごとに必要な情報を自動配信した。
第一中隊には正面と左右百八十度の敵。第三中隊には担当区域へ流入する個体と第一中隊の位置。西地区中隊には地下経路を含む広域情報。支援機には全機の損傷と資材状況。
今度は三つの中隊が滑らかに動いた。
しかし大型個体が小型を第一中隊の担当範囲から第三中隊へ跨がせると、同じ個体の表示色が途中で変わった。第一中隊には《追跡終了》、第三中隊には《新規脅威》と表示され、前回と同じ分断が別の形で生まれた。
五回目から、敵性個体の識別情報だけは担当区域を越えて維持した。
中隊が必要とする情報はそれぞれ違う。それでも、同じ敵を同じ敵として見るための番号と移動履歴だけは共通にする。
支援機の情報も、全てを共有するのではなく、《対応中》《移動可能》《資材不足》の三つへ整理した。詳しい作業内容は、必要になった時だけ開く。
訓練を終えるたび、蒼真は三浦や神代、相馬、二人の支援員へ何が足りなかったかを聞いた。
その答えをAIへ渡し、表示条件を変える。
翌日には、同じ質問をしなくても済むようになった。
三日目には、通信量が初日の半分以下へ減った。
五日目、十二機は一機も失わずに大型個体のいる広場へ到達した。
*
最終評価の日。
観測室には、防衛局の担当者と臨時大隊指揮官、八神、綾人が並んでいた。
八神は訓練初日から全ての記録へ目を通している。綾人は最終評価だけの参加だったが、席へ着くなり初日の損害表示を見つけ、眉を上げた。
「十一分で壊滅しかけたのか」
「情報を全て表示した結果です」
担当者が答える。
「橘君らしいな」
「どういう意味でしょうか」
「必要かもしれないものを捨てられない」
綾人は初日と現在の画面を並べた。
初日の画面は情報で埋まり、機体の位置すら見えにくい。現在の画面に表示されているのは、各機に関係する敵の現在位置と、部隊全体が維持すべき三本の経路だけだった。
「ずいぶん減らしたな」
「情報そのものは減っていません」
八神が答えた。
「各機へ常時表示する項目を減らしました。統合情報は中央支援機と指揮所が保持し、条件に該当した時だけ対象機へ配信されます」
「橘君が選ぶのか?」
「通常時はAIが条件に従って選別します。想定外の重複、支援任務の競合、退路喪失が発生した場合に限り、橘二尉が確認します」
綾人は画面の中央にいる紫色の機体を見た。
「つまり、あいつが何もしない時間を作ったのか」
「何もしていないわけではありません」
「分かっている。だが、全部を本人に処理させるよりはまともだ」
仮想市街地で、三個中隊が進み始めた。
第一中隊は南側大通りを直進する。三浦機の画面には、正面の中型二体と、右の建物を回る小型三体だけが表示されていた。第三中隊がその小型を担当すると、表示は消えず、青い縁取りへ変わる。味方が対応しているという意味だった。
三浦は振り向かなかった。
正面から飛び込んだ中型個体の爪を半歩で避け、側面へ銃口を向ける。敵が建物へ逃げ込む前に一発目で前脚を砕き、倒れた頭部へ二発目を撃ち込んだ。
もう一体が三浦機へ向きを変えた時には、第一中隊二番機と四番機が左右へ開いている。逃げ道を失った敵へ三番機が射撃し、三浦はその横を止まらずに抜けた。
第三中隊は、第一中隊の右側を進んでいた。
小型三体が住宅の塀を越え、二つの中隊の間へ入ろうとする。神代の画面では三体のうち一体だけが赤く、残る二体には黄色の印がついていた。
先頭は第三中隊へ向かう確定脅威。後ろの二体は、まだ第一中隊へ曲がる可能性がある。
『三番、先頭。四番、後ろを見ろ』
神代の指示は短かった。
三番機が先頭を防盾で受け、四番機は銃口を上げたまま待つ。後ろの二体が左右へ分かれた瞬間、画面の色が赤と青に変わった。赤くなった一体だけを四番機が撃ち、第一中隊側へ向かった個体は二番機が追う。
誰も蒼真へ確認しなかった。
西地区中隊は地下鉄入口を封鎖せず、その周囲を通過した。地下へ消えた敵の識別番号は残り、別の出口へ向かう予測だけが相馬の画面へ出る。
『二番、出口を押さえろ。深追いするな』
相馬中隊二番機が脇道へ入り、地下から現れた中型個体へ盾を向ける。倒そうとせず、残る三機が通り過ぎるまで出口へ押し戻した。
三個中隊の間隔は広がらない。
大型個体が咆哮し、小型と中型が一斉に移動しても、同じ識別番号が各機の画面を渡っていく。担当は変わる。敵は増えない。
リポルの操縦席で、蒼真は全体図を見ていた。
初日のような通信の洪水はない。AIが通常の移動を処理し、蒼真の画面には判断が競合した情報だけが上がってくる。
《支援左翼機および支援右翼機が、第一中隊三番機への対応候補として重複しました》
「左翼機を第一中隊へ。右翼機は現在任務を継続」
《反映します》
《西地区中隊の進路と後方車両退路が四十七秒後に交差します》
「相馬中隊へ速度維持。車両を十二秒遅らせてください」
《指揮所へ提案を送信。承認されました》
答えるのは、それだけだった。
十二機は前回たどり着けなかった中央広場へ入った。
大型個体がゆっくりと身体を起こす。
第一中隊が正面へ展開し、第三中隊は右側、西地区中隊は左側から小型と中型を押さえる。三方向から包囲しながら、実際に大型を倒すのは三浦機だった。
正面攻撃。
最初に検証する、最も単純な方法である。
『行きます』
三浦機が踏み込んだ。
大型との距離が百二十メートルまで縮まる。第三中隊が右から入る小型を撃ち、西地区中隊が左側の中型を盾で押し止めた。
大型は動かない。
三浦機が八十メートルへ入った時、広場の地下から小型個体が現れた。
五体ではない。十二体だった。
潜伏していた個体が、三浦機と大型の間だけへ集まる。三浦が右へ進路を変えると、群れも右へ寄った。第一中隊二番機が群れの側面を撃つが、倒れた個体の身体を乗り越え、次の個体が隙間を塞ぐ。
『止めます』
三浦機が足を止め、短距離防御砲を連射した。
先頭の三体が砕ける。その後ろから中型個体が二体現れ、倒れた小型を盾にして前へ出た。
第三中隊が大型へ近づこうとすると、今度は右側の小型が全て神代たちの前へ集まった。相馬中隊も同じだった。包囲が狭まる場所へ敵が集中し、十二機の足を止めていく。
味方は分断されていない。
敵の数も見えている。
それでも、大型へ届かない。
「三浦一尉、左へ十二メートル空きます」
『見えています。ただ、誘われています』
三浦は動かなかった。
左側の空間は、大型へ続く唯一の道に見える。その先には半壊した建物があり、陰に中型個体二体の反応が残っていた。入れば左右から挟まれる。
大型は、三浦が来ることを待っている。
制限時間が尽きた。
《正面攻撃による討伐条件を達成できませんでした》
仮想市街地の動きが止まる。
観測室では、誰もすぐに口を開かなかった。
大隊運用は成功している。一機も失わず、大型を包囲した。前回とは違い、撤退経路も残っている。
それでも、街を取り戻す目的だけは達成できない。
「正面以外の案へ移行します」
訓練担当者が次の条件を読み上げた。
遠距離からの集中射撃。
大型は小型個体を建物の陰へ退避させ、射撃直前に散開させた。遮蔽物と味方の位置が重なり、有効弾を得られない。
第三中隊による陽動。
大型は反応したが、三浦機が動いた瞬間に正面へ向き直った。
西地区中隊を加えた同時突入。
三方向へ分かれた小型と中型が、それぞれの接近路を塞いだ。大型は自分で戦わず、脅威が近づく順番に群れを動かした。
どの方法でも、三浦機だけは早い段階で見つけられる。
訓練担当者が最後の条件を読み上げた。
「第一中隊が正面で攻撃を継続。第三中隊と西地区中隊は護衛個体を引き離す。支援機一機を非主要脅威として側面から接近させます」
リポルの開始位置が、後方から市街地東側へ変更された。
「自分が行くんですか?」
蒼真は分かっていたことを尋ねた。
『シミュレーター上の可能性を確認するだけだ』
神代が答える。
『無理なら止めろ』
「分かりました」
訓練が再開された。
大型の正面で三浦機が動く。群れの半数以上が第一中隊へ向いた。第三中隊と相馬中隊も左右から圧力をかけ、残る護衛個体を広場の外へ引き出していく。
リポルは崩れた商業施設の裏を通り、大型の左後方へ近づいた。
敵から見れば、攻撃機ではない。
これまで損傷機を運び、退路を守り、戦場の端を移動していた紫色の支援機である。
百メートル。
八十メートル。
大型は三浦機を見ている。
六十メートルへ入ったところで、頭部が僅かに動いた。
赤い目がリポルへ向く。
《敵性大型個体から主要脅威として認識されました》
「早くないですか?」
《前回の実戦記録を行動学習条件に含めています。大型個体はリポルによる構造物の倒壊を記憶している想定です》
大型が前肢を振るった。
まだ届かない距離だったが、路面に積もった瓦礫がまとめて飛ぶ。蒼真は左へ避けようと操縦桿を倒した。リポルは一歩踏み出し、直後に身体を起こす。
オートバランサーが、急な傾きを転倒の兆候と判断して戻したのだ。
飛んできたコンクリート片が左肩へ当たった。
《左肩部装甲損傷。戦闘継続可能》
「今、どうして戻したんですか?」
《搭乗者による急激な左方向への入力を検出したため、転倒および脚部損傷を回避する姿勢補正を実行しました》
「補正があると、攻撃を避けられません」
《安全性を維持した回避経路を再計算します。右後方へ二歩移動した後、建物を遮蔽物として使用する経路を推奨します》
「それで大型へ近づけますか?」
《接近経路から外れます。大型個体への再接近には二十六秒を要し、その間に護衛個体三体が合流する可能性があります》
正面では三浦機が小型を撃ち続けている。第三中隊と相馬中隊も、リポルのために護衛個体を引きつけていた。
安全な経路へ戻れば、全員が作った二十六秒がなくなる。
「回避時の姿勢補正だけ解除できますか?」
《可能です。ただし、搭乗者の入力が機体の安定限界を超えた場合も自動復帰を行いません。転倒、関節部の過負荷、搭乗者への衝撃が発生する危険があります》
「出力制限は残します。オートバランサーだけ解除。AIは敵の位置と転倒限界を表示してください」
《安全性の低下を確認しました。訓練評価中のため、解除操作は記録されます》
「構いません」
《操縦者主導へ移行します。オートバランサー解除》
機体の感触が変わった。
それまでリポルの中心にあった見えない支えが消え、重量が操縦桿と足元へ直接乗ってくる。少し倒せば少し傾く。戻さなければ、そのまま倒れ続ける。
不安定になったはずだった。
蒼真には、先ほどより分かりやすかった。
大型が二度目の瓦礫を飛ばす。
蒼真は操縦桿を左へ倒した。リポルの上体が傾き、巨体が転ぶ直前まで沈む。飛来物が頭上を抜けるより早く右脚を踏み込み、倒れかけた力を前進へ変えた。
紫色の機体が、横へ避けながら十メートル近く前へ滑った。
大型が身体を向け直す。
リポルは止まらない。左足を建物の壁へつき、崩れる外壁を蹴って方向を変える。通常ならAIが禁止する傾きのまま大型の側面へ回り、振り下ろされた前肢の内側を抜けた。
距離、十二メートル。
《近接攻撃可能範囲です》
蒼真は武器を振らなかった。
評価目的は接近経路の成立である。大型へ触れる必要も、倒す必要もない。
「到達しました」
訓練終了を求めた直後、仮想市街地が静止した。
大型の爪は、リポルの背後で止まっている。三浦機との間を埋めていた小型と中型も、全て動きを失っていた。
《側面接近条件を達成しました》
蒼真は操縦桿から手を離した。
数秒しか動いていない。それでも両手には汗が滲み、呼吸が浅くなっていた。
観測室では、綾人が停止映像を見たまま動かなかった。
リポルが最初の瓦礫を受けたところから、映像を戻す。オートバランサーが解除され、機体が左へ沈む。その後の動きを低速で再生すると、倒れかけるたび、蒼真は機体を起こしていなかった。別の方向へ足を置き、傾きを次の移動へ使っている。
「今まで、あの動きをしたことは?」
綾人が訓練担当者へ尋ねる。
「ありません」
「できなかったのか?」
「記録上、橘二尉がオートバランサーを解除したのは、先日の構造物倒壊時だけです。その時は直線的な押圧と離脱でした」
八神がリポルの運用記録を開く。
「通常任務における機体出力は、最大値の三十一パーセントから四十八パーセントで推移しています」
「制限されていたのか?」
「安全制御は有効です。ただし、搭乗者本人が性能を制限する指示を継続していた記録はありません」
八神は蒼真とAIの対話記録へ目を落とした。
「任務達成に必要な出力しか使用していなかったと考えられます」
綾人の表情から、僅かな笑いが消えた。
「誰も、あれが全力ではないと考えなかったのか」
答える者はいなかった。
訓練終了後、蒼真たちは再び評価室へ集められた。
壁面画面には、最終評価の結果が表示されている。
大隊の中央広場到達。
全機生存。
退路維持。
支援任務競合、二件。いずれも自動配分後に解消。
情報統合運用は、有効と判断された。
「正面攻撃による大型個体の討伐成功率は、十八パーセントです」
担当者の説明とともに、三浦機の進路が表示される。
「遠距離攻撃、陽動、三方向からの同時接近を含めても、最大値は三十二パーセントでした」
次に、紫色の線が大型の左後方へ伸びた。
「非主要脅威機による側面接近を加えた場合、討伐成功率は六十七パーセントです」
「非主要脅威機とは、リポルですか?」
蒼真が尋ねる。
「今回の条件では、そうなります」
「自分は大型を倒していません」
「接近役が大型の注意を引いた時点で、三浦機の正面経路が開きます。リポルが攻撃する必要はありません」
画面では大型がリポルへ向き、群れの一部が側面へ移動している。その隙に三浦機が残った敵を突破し、致命部位へ射線を通していた。
蒼真は表示された二本の線を見た。
自分は大型を倒さなくていい。
ただし、爪が届く場所まで近づかなければならない。
「他の支援機では駄目なんですか?」
「大型個体の攻撃に対する回避成功率が基準へ届きません」
「戦闘機を一機、武器を使わずに近づける方法は?」
「主要脅威として認識される時刻が早くなります」
自分以外の可能性を尋ねるたび、画面から候補が一つずつ消えていく。
蒼真は綾人を見た。
「自分が行かない方法を探していたはずなんですが」
綾人は画面を見たまま、ゆっくり息を吐いた。
「君は、自分が行けば成功する理由を揃えたんだよ」
「そんなつもりはありません」
「知っている」
綾人の答えが早かったため、蒼真はそれ以上何も言えなかった。
画面の端へ、AIによる追加評価が表示された。
《特別機リポルの高機動運用を確認》
《オートバランサー解除後の動作は、登録済み搭乗者の標準操作モデルと一致しません》
《搭乗者固有の機体親和性による可能性が高く、他者による再現は困難と推定します》
《実戦投入に際しては、搭乗者の戦闘忌避、恐怖反応、機体負荷および帰還可能性を別途評価する必要があります》
蒼真に読めたのは、最後の一文だけだった。
「別途評価ということは、また試験ですか?」
防衛局担当者は、すぐには答えなかった。
その沈黙が、答えの代わりになっていた。
*
中央戦術支援統合網の非公開解析領域では、最終評価の操作記録が従来データと比較されていた。
橘蒼真は、特別機リポルの性能を意図的に秘匿していたわけではない。
救助、回収、退路維持において、最大出力と高機動を必要としなかった。
必要がなかったため、使用しなかった。
今回、作戦成立条件を満たすためにオートバランサーを解除した。
恐怖反応は上昇。
判断速度に低下なし。
回避動作中も、味方機の位置、退路、作戦継続時間を認識している。
戦闘能力の上限は、依然として確認できない。
大型個体への側面接近役。
適性あり。
本人への追加通知は、正式な再討伐計画決定後に行う。
観察を継続する。
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また、いいね。評価もしていただけたら執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。
感想も頂けましたらありがたいです。
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