第六十九話 敗北の使い方
翌朝、中央防衛局の会議室には、街を取り戻せなかった十五機分の記録が並んでいた。
正面の大型画面には、作戦開始前の市街地が表示されている。第一中隊、第三中隊、西地区中隊を示す青い印は、南側から整然と進入していた。三つの支援機はその後方へ等間隔に配置され、さらに外側には補給車と整備車両が待機している。
図だけを見れば、失敗するようには見えなかった。
蒼真は長机の端に座り、固定具を巻かれた右手首を膝の上へ置いていた。大型個体へ連絡通路を倒した際、操縦桿を強く握りすぎたらしい。腫れはほとんどなく、河野からも数日で治ると言われている。
それでも、美咲へは帰宅前に連絡した。
怪我をしたことより、たいしたことがないと自分で決めて黙って帰る方が怒られる。これまでの経験から、そこだけは正しく判断できた。
隣では神代が資料を読んでいる。その向こうに三浦が座り、さらに二席離れた場所には相馬がいた。三浦はいつもと変わらず背筋を伸ばしていたが、相馬は時折、正面の画面と三浦の横顔を見比べている。
蒼真も少し気になっていた。
昨日の通信記録を確認した時、三浦の声だけが普段と違っていた。
『橘、走れ』
『遅い』
『なら下がれ』
戦闘中は誰でも言葉が短くなる。蒼真も丁寧に説明している余裕はなかった。だが、普段の三浦であれば、同じ状況でも「急いでください」くらいは言いそうだった。
三浦本人は、そのことに気づいているのだろうか。
「右手は?」
突然尋ねられ、蒼真は顔を上げた。
三浦はこちらを見ている。口調はもう、いつもの穏やかな敬語へ戻っていた。
「少し痛みますが、動かせます」
「河野医師の判断は?」
「搭乗は三日間禁止です」
「なら、動かさない方がいいでしょう」
「会議中なので、操縦はしません」
「そういう意味ではありません」
三浦の眉が僅かに寄った。
蒼真が何を間違えたのか考えていると、会議室の後方で椅子を引く音がした。
「三浦君も慌てることがあるんだな」
九条綾人が、薄い端末を片手に近づいてくる。
外部評価者として呼ばれた綾人は軍服ではなく、濃紺のシャツに灰色の上着を着ていた。首元に締めるものがないだけで、同じ会議室にいる防衛局職員より随分と気楽に見える。
三浦は椅子へ座ったまま、綾人を見上げた。
「慌ててはいません」
「そうか?」
綾人は蒼真の後ろを通り、空いていた席へ腰を下ろした。端末を机へ置くと、昨日の通信記録を表示する。
「口が悪くなっていたぞ。走れ、遅い、下がれ。まるで昔に戻ったみたいだった」
「必要な指示を、必要な長さで伝えただけです」
「橘君が大型の爪を受けそうになった時だけ?」
三浦は答えなかった。
机の上へ視線を落とし、資料の頁を一つ進める。表情は変わっていないが、端末へ触れた指先が、同じ場所を二度押していた。
相馬が耐えきれずに横を向いた。肩が一度だけ揺れる。
「相馬一尉」
三浦が静かに呼ぶ。
「何も言っていません」
「笑っていますね」
「気のせいです」
相馬は口元を手で隠したが、目まで笑っているため意味がなかった。
蒼真は自分が原因で三浦がからかわれていることに申し訳なさを覚えた。しかし謝れば、三浦がさらに何か言われるような気がする。判断がつかずに綾人を見ると、綾人は小さく首を横へ振った。
何も言うなという意味らしい。
会議室の扉が開き、臨時大隊指揮官と防衛局の担当者が入ってきた。続いて、内閣情報局の八神が資料を抱えて現れる。
八神は室内を一度見渡したが、蒼真と目が合っても表情を変えなかった。昨日の撤退を提言した時と同じ、感情の置き場所が見えない顔で、正面に近い席へ座る。
雑談はそこで終わった。
「作戦評価会議を開始します」
防衛局担当者の声とともに、正面画面の時刻が動き始めた。
青い十二機が市街地へ入り、三方向へ分かれる。最初の十分間、敵性個体の動きに目立ったものはない。小型は前衛へ接近し、中型は建物を利用しながら射線を避けていた。
変化が見え始めたのは、第一中隊が最初の交差点へ到達してからだった。
第一中隊の前にいた小型二体が建物の裏へ消え、二十六秒後に第三中隊の側面へ現れる。第三中隊が向きを変えると、中型個体が地下道を抜け、西地区中隊の正面へ移動する。
映像の上では、敵が逃げ回っているように見えた。
全体図へ切り替わると、意味が逆になる。
敵性個体の赤い軌跡が三つの中隊を外側へ引き、青い印の間隔を少しずつ広げていった。大型個体が咆哮するたび、複数の軌跡が同時に向きを変える。人間の側はそれぞれの正面に現れた敵を報告し、同じ個体を別の敵として数え続けていた。
映像が止まった。
「作戦結果を確認します」
担当者が表示を切り替える。
「市街地奪還は未達。敵性大型個体は健在。先の中隊を全滅させた個体と同一である可能性は九十四パーセント。市街地内には、作戦前と同等以上の敵性反応が残存しています」
誰も動かなかった。
「人的損失はありません。中破二、小破七。支援機一機に装甲損傷。後方車両を含め、投入した人員と装備は全て市街地外へ撤収しました」
同じ結果の中に、失敗と成功が並んでいる。
蒼真は右手首の固定具へ目を落とした。
全員が帰ったことには安心している。しかし、街は敵の手に残った。昨日、南側幹線路の入口に立っていた大型個体は、人間が引き返したことを理解しているように見えた。
あの場所へ戻らなければ、いずれ繁殖が進む。
戻れば、今度は敵も同じやり方では待っていないだろう。
「敗因は、敵性大型個体の統率能力を想定していなかったことです」
臨時大隊指揮官が口を開いた。
「個別の敵性個体を排除しながら大型へ接近する計画だった。しかし実際には、大型が小型と中型を移動させ、三個中隊を分断した。数で上回っていると判断して進攻を続けた結果、各中隊の間へ敵を入れた」
指揮官は言い訳をせず、自分の判断を画面へ表示した。
進攻継続。
第一中隊の前進許可。
第三中隊への側面確保命令。
西地区中隊への地下鉄出口封鎖命令。
その一つ一つに理由はあった。どれも、各中隊から届いた情報だけを見れば誤りには見えない。
「問題は、情報が届かなかったことですか?」
蒼真が尋ねると、会議室の視線がこちらへ集まった。
質問しただけなのに、発言を求められたような空気になったため、蒼真は少し姿勢を正した。
「情報は届いていた」
指揮官が答える。
「各中隊から、敵の数、位置、交戦状況は報告されていた。支援機からも、損傷と補給の情報は届いている」
「では、なぜ同じ敵だと分からなかったんですか?」
「報告を、中隊ごとの案件として処理していたからだ」
指揮官は三分割された当初の戦況画面を表示した。
「第一中隊の小型二。第三中隊の小型二。西地区中隊の小型三。指揮所では、それぞれの脅威へ必要な判断を返した。個体の特徴と消失方向を時刻順に重ねれば重複に気づけたかもしれないが、交戦中の報告を全て手作業で照合する余裕はなかった」
「AIは?」
「中隊単位で支援していた。大隊全体を統合する設定にはなっていない」
蒼真は正面の画面を見た。
自分が管理局で担当していた工事現場でも、似たことは起きた。資材担当は資材の遅れを見て、重機担当は重機の故障を見て、現場責任者は工程全体を見る。情報がないのではない。同じ時刻と場所へ重ねなければ、一つの遅れが別々の問題に見える。
「支援機も同じです」
八神が淡々と言った。
画面に三機の支援機が表示される。
「各支援機は、それぞれの担当中隊へ接続されていました。左翼支援機は第一中隊四番機への補給を把握し、右翼支援機は第三中隊二番機の応急固定を把握していました。しかし中央支援機であるリポルからは、その作業内容を確認できませんでした」
「通信が切れていたわけではありません」
蒼真が付け加えると、八神は小さく頷いた。
「はい。通信機能は正常でした。ただし、支援員三名が状況を共有する共通系統と、支援任務を再配分する担当者が存在しませんでした」
事実だけを聞けば、ひどく単純な欠陥に思える。
十五機を集めた。
三個中隊へ支援機を一機ずつつけた。
それで大隊になったつもりだった。
実際には、中隊が三つ同じ場所にいただけである。
「自分が左翼支援機の作業を確認できたのは、機体共有網に残っていた履歴を照会したからです」
蒼真が説明すると、防衛局担当者が資料へ視線を落とした。
「通常の支援員に許可されていない操作ですか?」
「許可されていないわけではありません。安全確保を目的とした一時照会として処理しました」
「なぜ、その方法を知っていたんですか?」
「管理局でも使いますから」
蒼真が当然のこととして答えると、相馬が片手で額を押さえた。
神代は目を閉じ、三浦は僅かに口元を引き締めている。綾人だけが予想していたような顔で椅子へ背を預けた。
「橘」
相馬が低い声で呼ぶ。
「何ですか?」
「戦闘部隊の人間は、普通、管理局の業務で使う照会方法を知らない」
「でも、支援員は管理局から来ています」
「全員がお前じゃない」
「それは知っています」
「そういうところだよ」
昨日ほど大きな声ではなかった。相馬は疲れたように息を吐き、椅子へ深く座り直した。
「質問があります」
八神の声が会話を戻した。
「橘二尉は、敵性個体の分析を行おうとして照会を始めたのですか?」
「違います。相馬中隊から二番機の救援を頼まれました」
「なぜ、そこから敵性個体の統合画面が作られたのでしょうか」
「自分が中央を離れてもいいか確認するために、他の支援機の作業を調べました。次に相馬中隊までの経路を決めようとして、各中隊が報告している敵の数を見ました。数が合わなかったので、同じ個体が含まれていないかAIに確認させました」
「大型個体の統率行動に気づいた経緯は?」
「咆哮のあと、複数の敵が同時に動いたからです」
「撤退時の帰還条件を作成した理由は?」
「敵が退路へ先回りしたからです」
八神は質問するたび、蒼真の答えを端末へ記録した。声音も表情も変わらないため、何を確認したいのかが分かりにくい。
「つまり、指揮をする意思はなかった」
「ありません」
「大隊全体の戦況を把握する意思も、当初はなかった」
「自分は損傷機を助けに行こうとしていただけです」
「結果として、十五機と後方車両の移動に必要な三条件を提示し、その画面を全部隊が使用しました」
「それは作戦責任者が承認したからです」
「はい」
八神はそこで質問を止めた。
蒼真には、何を納得されたのか分からなかった。指揮していないことを確認してくれたのなら助かる。しかし、八神の端末には、こちらに有利な結論が書かれているようには見えなかった。
綾人が小さく息を吐く。
「橘君。たぶん、君が思っている方向には進んでいないぞ」
「どういう意味ですか?」
「君が指揮をしようとしたかどうかと、君の情報で部隊が動いたかどうかは別の話だ」
「命令はしていません」
「だから、もっと厄介なんだ」
蒼真は綾人を見たが、それ以上の説明はなかった。
正面画面に、八神が作成した評価項目が表示された。
「今回の運用を、個人の偶発的な対応で終わらせるべきではありません」
八神は臨時大隊指揮官へ視線を向けた。
「大隊運用時には、三個中隊の観測情報を時刻と位置に基づいて統合し、各機が同一の戦況を参照できる機能が必要です。また、三機の支援機についても、担当中隊の損傷情報だけでなく、支援任務、作業進行、移動可能時刻を共有し、再配分できる仕組みを設ける必要があります」
「システム改修には時間がかかる」
「恒久的な改修を待つ必要はありません。リポルが作成した一時統合画面を基礎に、既存システム上で暫定運用できます」
「誰が管理する」
その問いに、蒼真は嫌な予感を覚えた。
八神の顔はこちらを向いていない。感情もない。ただ、正面画面に表示された運用案の中央に、《情報統合支援》という新しい枠があった。
「最初の訓練では、橘二尉が適当です」
「待ってください」
蒼真の声が、考えるより先に出た。
八神がようやくこちらを見る。
「自分は、昨日たまたま必要な情報を集めただけです」
「その手順を再現できるか確認するための訓練です」
「再現できたら、担当になるんですか?」
「現時点では決定していません」
「できなかった場合は?」
「別の方法を検討します」
「できた場合は?」
「有効な方法として記録します」
聞き覚えのある答えだった。
試験を受ける。
真面目に行う。
結果が出る。
本人が望んでいない方向へ、結果だけが先に進む。
蒼真は右手首の固定具を左手で押さえた。痛みは強くない。それでも、何かを掴まれているような気がした。
「まずはシミュレーター訓練です」
防衛局担当者が補足する。
「三個中隊の連携、指揮所との情報共有、支援機三機の任務再配分を含めた大隊運用を訓練します。昨日と同一の市街地データを使用し、敵性個体の行動条件を変更しながら検証します」
「自分は前線へ出るんですか?」
「後方支援位置です」
蒼真は僅かに肩から力を抜いた。
前へ出なくていい。
少なくとも、昨日のように大型個体の正面へ立つ試験ではない。
その安心が胸へ広がりきる前に、正面画面が切り替わった。
大型個体へ倒した連絡通路の映像だった。
紫色のリポルが橋脚を押し、大型の爪を掠めながら離脱する。落下した構造物は大型を二十七秒以上停止させ、その間に第一中隊が交差点から抜けた。
「もう一つ、検討事項があります」
臨時大隊指揮官が言った。
先ほどまで情報統合について説明していた時とは、僅かに声が違った。言いづらいことを、それでも言わなければならない人間の間があった。
「市街地を奪還するには、大型個体の排除が必要だ」
会議室の空気が変わる。
「小型と中型を先に減らそうとしても、大型が移動させる。三個中隊を再び分断される可能性が高い。次回作戦では、初期段階で大型の統率能力を失わせる必要がある」
「三浦一尉を突入させるんですか?」
蒼真が尋ねると、三浦は答えずに映像を見ていた。
「正面から接近すれば、昨日と同じだ。大型は小型と中型を壁にして距離を保つ。第一中隊が近づけば、敵は第一中隊を最大の脅威として認識する」
大型を倒せるのは三浦だ。
しかし、三浦が倒しに来ることを、敵も知っている。
指揮官は映像を止めた。
連絡通路の下で、大型個体がリポルへ前肢を振り上げている。紫色の機体は武器を構えていない。大型へ向かうのではなく、道路脇の橋脚を押していた。
「敵が、攻撃役として警戒していない機体を接近させる」
蒼真の胃が縮んだ。
「それは、誰ですか?」
尋ねる必要はなかった。
画面の中央にはリポルがいる。
「現時点では作戦案の一つだ」
「自分は大型を倒していません。建物を倒しただけです」
「だから接近できた」
「次も同じことはできません。敵も覚えています」
「その点は同意します」
三浦が静かに言った。
普段の口調だった。
「橘さんを同じ位置へ向かわせても、今度は先に攻撃されるでしょう。ただし、第一中隊が正面で大型の注意を引き、別方向からリポルが接近する形なら可能性はあります」
蒼真は三浦を見た。
「三浦一尉も、自分が行く方がいいと思うんですか?」
三浦はすぐには答えなかった。
昨日、自分へ走れと怒鳴った人間と、今ここで作戦を考えている人間は同じだった。心配したから危険な役目を否定する、という簡単な答えにはならない。
「戦術上は、最も成功率が高いと思います」
「戦術以外では?」
「行ってほしくありません」
三浦は蒼真から目を逸らさなかった。
「ですが、俺が正面を突破できなければ、後方にいる橘さんへ敵が届きます。大型が統率している限り、安全な後方は作れません」
目の前の人を助けることだけが、誰かを守る方法ではない。
襲われる前に敵を止めることは、より多くの人間を助けることに繋がる。
以前、三浦から言われた言葉が、違う重さを持って戻ってきた。
「反対だ」
神代が低く言った。
「橘は後方支援として参加した。大型への攻撃役は職務範囲を超えている」
「承知しています」
指揮官は神代の方へ身体を向けた。
「現段階で命令するつもりはない。大隊運用訓練を行い、正面突破、遠距離攻撃、誘導、囮を用いた接近を比較する。その結果として、リポルを使わない方法が最善なら採用する」
「リポルを使う方法が最善だった場合は?」
「改めて協議する」
神代の表情は険しいままだった。
蒼真は綾人を見た。
外部評価者として呼ばれた綾人なら、戦いたくない人間を前へ出すべきではないと言ってくれるかもしれない。以前、自分へ乗る理由を探すなと話した人でもある。
綾人はすぐに助け船を出さなかった。
机の上で指を組み、停止した映像をしばらく見ている。
「橘君」
「はい」
「君は、どうしたい?」
「行きたくありません」
迷わず答えると、八神の指が記録欄へ動いた。
「大型の近くにも、前線にも行きたくないです。昨日も怖かったですし、次も帰れるとは限りません」
「それでいい」
綾人は頷いた。
「理由を探すな。街を守るため、仲間を帰すため、家族を守るため。どれも間違いではないが、並べ続ければ、君は断れなくなる」
「でも、誰かが行かなければいけないんですよね」
「それを決めるのは、今の君ではない」
綾人の声は穏やかだったが、逃げ道だけを与える言い方でもなかった。
「訓練結果を見て、他の方法を探し、それでも君に頼むしかないと判断した時に、初めて考えればいい。今から自分を説得する必要はない」
蒼真は頷こうとして、止まった。
「その時、断ってもいいんですか?」
「断る権利があるかは、防衛局が説明する。俺が言っているのは、断りたいと思うことまで捨てるな、という話だ」
防衛局担当者は否定しなかった。八神も、蒼真の発言をそのまま記録している。
会議はその後、訓練日程と必要なシステム改修の確認へ移った。
三個中隊は、一週間後から合同シミュレーター訓練へ入る。
中隊ごとに分かれていた敵性情報は、一つの時刻軸へ統合される。支援機三機にも共通回線を設け、誰がどの機体を支援し、いつ動けるかを全員が確認できるようにする。
情報統合支援の試験担当には、橘蒼真の名前が入った。
大型個体討伐の接近役は、《未定》と記された。
蒼真はその二文字を見ていた。
自分の名前が書かれていないことには安心する。
しかし、候補から外れたわけではないことも分かっている。
会議が終わると、出席者が順番に席を立った。相馬は次の訓練資料を端末へ移し、神代は防衛局担当者を呼び止めて、第三中隊を分ける場合の指揮権について確認している。
三浦は椅子を引いたあと、綾人の前で足を止めた。
「九条さん」
「何だ?」
「先ほどの話ですが、俺は慌てていません」
綾人は一瞬きょとんとしたあと、口元を緩めた。
「まだ気にしていたのか」
「事実と違う評価が記録に残るのは困ります」
「八神さん、今のも記録へ」
端末を閉じかけていた八神が顔を上げる。
「必要性が確認できません」
「ほら。記録されないそうだ」
「そういう問題ではありません」
三浦の眉間へ、今度こそはっきり皺が寄った。
相馬がまた横を向く。神代は聞こえないふりをしていたが、書類を持つ肩が僅かに揺れている。
蒼真は三浦へ謝るべきか迷い、結局、何も言わなかった。
昨日よりは、正しい判断だったと思う。
*
夜。
日記。
―――
昨日の合同作戦について、評価会議が行われた。
街を取り戻すことはできなかった。
大型個体も倒せていない。
投入された人員は、全員帰還した。
作戦は失敗で、撤退は成功だったと説明された。
同じ結果の中に失敗と成功があることは、少し分かりにくい。
ただ、全員が帰ったことは良かったと思う。
三個中隊は、同じ場所で戦っていたが、同じ敵を見ていなかった。
敵の情報も、支援機の仕事も、それぞれの中隊に分かれていた。
自分は相馬中隊の損傷機を助けに行くため、必要な情報を確認した。
その結果、全部隊が使う画面を作ったことになっていた。
自分は指揮をしていない。
命令もしていない。
それでも綾人さんから、指揮する意思がなかったことと、自分の情報で部隊が動いたことは別だと言われた。
まだ、よく分からない。
次はシミュレーターで、大隊運用の訓練を行う。
自分は後方から情報をまとめる。
前線へ出なくてもよいと聞いた時は、安心した。
そのあと、大型個体を倒すために、リポルを接近させる案があると説明された。
行きたくないと答えた。
綾人さんから、今から乗る理由を探すなと言われた。
自分は、理由を探していたのかもしれない。
街には、以前住んでいた人がいる。
今も帰れる日を待っていると思う。
大型個体を残せば、小型と中型が増える可能性がある。
その個体が別の街へ向かえば、誰かの家族が襲われる。
それでも、自分は前線へ行きたくない。
どちらも本当だと思う。
答えは、まだ出さなくていいと言われた。
今は、出さないことにする。
なお、三浦一尉は昨日、慌てていなかったと主張していた。
綾人さんは、口が悪くなっていたと言っていた。
自分には判断できないが、今日の三浦一尉はいつもどおりだった。
以上。
―――
*
同じ夜。
中央戦術支援統合網の非公開解析領域では、次回シミュレーターへ投入する条件が生成されていた。
三個中隊。
戦闘機十二。
支援機三。
統合戦況表示。
支援任務共有。
敵性大型個体による群統率。
第一評価項目。
橘蒼真が、後方支援位置から情報統合を再現できるか。
第二評価項目。
統合情報を得た臨時大隊が、敵性大型個体へ到達できるか。
第三評価項目。
通常の攻撃編成で到達できない場合、敵から主要脅威と認識されにくい機体を接近させることで、討伐経路を成立させられるか。
候補機。
特別機リポル。
候補搭乗者。
橘蒼真。
本人の戦闘忌避と前線配置への拒否感は、明確に記録されている。
現時点で、実地運用の承認は行わない。
まず、可能性のみを検証する。
観察を継続する。
第六十九話 終
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