第六十四話 帰れなくなった街
翌朝、蒼真は管理局へ持っていく端末を鞄へ入れ、玄関で靴を履いていた。
前日の復興現場では、仮設道路の舗装まで終わっている。今日は給水管の接続確認と、集合住宅へ入る資材の搬入経路を調整する予定だった。ノストスの作業器具も、昨夜のうちに変更されている。
前線へ出ない一日が、今日も続く。
そう思えることに、昨日ほどの後ろめたさはなかった。復興現場でも人を帰せる。前線とは違う方法で生活を守っている。その答えだけで十分ではないとしても、間違ってはいないと考えられるようになっていた。
「ぱぱ、のすとす?」
居間から走ってきた昴が、蒼真の鞄へ両手を伸ばした。昨日持ち上げられなかったことを忘れたのか、今日も取っ手を掴もうとする。
「今日はノストスだよ」
「りぽる、やすみ?」
「休み」
昴は満足そうに頷き、今度は玄関へ置かれた蒼真の靴を指差した。
「くがさん、くる?」
「まだ日程を確認してると思う」
「ながい」
「久賀さんにも事情があるんだよ」
「くる、じじょう」
二歳児の中では、事情は来るためにだけ存在するらしい。
美咲が台所から弁当を持ってきた。昴の頭を撫でてから、蒼真へ細長い包みを渡す。
「今日も遅くならない?」
「昨日と同じなら、六時半までには帰れると思う」
「同じなら?」
「現場なので、何も起きないとは言えないよ」
昨日、久賀から言われた言葉と似ていることに気づき、蒼真は少し嫌な気持ちになった。
美咲は返事をせず、弁当を受け取った蒼真の顔を見た。いつもの確認だった。隠していることはないか、決まったことを話しているか。それを確かめる視線に、蒼真は頷く。
「何か決まったら連絡する」
「うん。行ってらっしゃい」
階段の上から、制服姿の結衣が降りてきた。肩に掛けた鞄を直しながら、玄関にいる三人を見る。
「今日は管理局?」
「うん」
「モンスターとは会わない?」
「その予定だよ」
予定という言葉に、結衣は僅かに眉を寄せた。それでも何も言わず、先に家を出るため靴を履く。
「じゃあ、お父さんより先に行くね」
「気をつけて」
「お父さんも」
結衣が扉を開けると、朝の光が玄関へ細長く入った。昨日までと同じ通学路へ向かう背中を見送り、蒼真も一歩遅れて外へ出た。
車へ乗り込もうとした時、端末が鳴った。
表示されたのは、第三中隊からの緊急呼出だった。
*
第三中隊の会議室へ入った時、すでに全員が揃っていた。
壁面の照明は落とされ、正面画面に市街地の航空映像が映っている。朝の光を受ける建物の間から、何本もの黒煙が上がっていた。映像だけを見れば火災のあとの街に見えるが、道路を走る消防車も、煙から離れようとする人の姿もない。
神代は画面の横に立ち、蒼真が席へ着くのを待ってから口を開いた。
「昨夜二十一時四十分、東部第七防衛区へ出動した一個中隊との通信が途絶えた」
画面が切り替わり、四機分の戦闘記録が表示される。映像は途中で乱れ、最後には傾いた道路と、接近する複数の脚だけを映して途切れた。
「今朝までに、所属機四機の行動不能を確認した。搭乗員の生体反応はない」
会議室の空調音が、急に大きく聞こえた。
蒼真は四つ並んだ機体番号を見た。名前は表示されていない。それでも、その中には昨日まで出勤し、食事をし、誰かへ帰宅時間を伝えていた人が乗っていた。
「全員、亡くなったんですか」
「現時点では、そう判断されている」
「回収は?」
「できていない」
神代の答えには余計な言葉がなかった。
次に表示されたのは、市街地全体の状況だった。東部第七防衛区の中心には住宅地と商業施設が集まり、北側に物流倉庫、南側に河川と地下排水路がある。赤い印は道路だけでなく、建物内部や地下道にも広がっていた。
「市街地は昨夜、放棄された。一部住民は避難済みだが、残留者数は確定していない」
「逃げ遅れた人がいるんですね」
「いる可能性が高い」
蒼真は地図を拡大した。避難所として使われていた学校の反応は消え、病院の非常電源も停止している。生体反応は敵と住民を完全には識別できず、赤い印の中に人が混じっているかどうかも分からなかった。
「どうして、街へこれだけ入られたんですか」
安西が尋ねる。
神代は河川沿いの排水路を示した。
「地上の防衛線へ注意を集め、その間に小型個体が地下排水路から侵入したと見られている。内部で避難経路を分断され、中型個体が正面から入った」
「偶然ですか?」
「現時点では判断できない」
偶然でなければ、敵は街の構造と人間の動きを理解していることになる。
会議室の後方で、誰かが椅子へ深く座り直した。金属の脚が床を擦る音に、何人かの視線が動く。
「このまま放置した場合、物流倉庫と地下道が生息域になる。水路を通じて周辺区域へ出れば、次の街まで防衛線を作れない」
神代が画面を切り替えると、東部第七防衛区から周辺地域へ伸びる複数の矢印が現れた。赤い線の先には、小さな町や復興途中の住宅区がある。
昨日、蒼真が仮設道路を完成させた南西第二区画も、その一つだった。
「南西第二区画まで来る可能性もあるんですか」
「すぐではない。ただし、市街地を繁殖拠点として使われれば、いずれ範囲へ入る」
昨日、手を振っていた作業員たちの姿が浮かんだ。ようやく通れるようになった道路も、これから人が戻る住宅も、前線で止められなければ再び失われる。
復興現場と前線は、別の仕事ではなかった。
離れた場所で、同じ生活を挟んでつながっている。
「作戦は?」
三浦が尋ねた。
神代が、臨時編成表を表示する。
「単独中隊での再突入は行わない。第一中隊、第三中隊、別防衛区から選抜された一個中隊を統合し、臨時大隊を編成する」
戦闘機、十二。
その後方へ、三つの支援機が配置されていた。
「支援機は、損傷機回収、退路確保、残留住民の捜索、補給線の維持を担当する。橘、お前も入る」
予想していなかったわけではない。緊急呼出を見た時から、管理局へ行くだけでは終わらないと思っていた。
それでも、自分の名前が配置図へ表示されると、指先が冷たくなった。
「前線へ出るんですか」
「前衛十二機の後方だ。討伐任務は命じない」
「リポルで?」
「そうだ」
今日は休みだと、昴へ話したばかりだった。
「ノストスでは駄目なんですか」
「市街地内では、損傷機を守りながら敵を止める可能性がある。ノストスでは防御力が足りない」
前線へ出なくていい。
その言葉は守られている。正式な配置は後方支援であり、敵を倒す役目は十二機の戦闘部隊が担う。
しかし、一個中隊を全滅させた敵がいる街で、前と後ろを安全に分けられるはずがなかった。
「拒否できますか」
神代はすぐに答えなかった。机の端へ手を置き、蒼真から目を逸らさずに言う。
「今回の支援派遣は、第三中隊の任務として決定されている。だが、お前を搭乗者として指名することには、まだ異議を出せる」
「自分が外れた場合は?」
「別の支援員が入る」
「その人は、リポルに乗れますか」
「標準支援機になる」
尋ねるべきではなかったと思った。
自分が外れても、支援員が一人減るわけではない。ただ、リポルの防御力と回収能力を使えなくなる。その違いを知れば、断ることが誰かへ危険を渡すように感じてしまう。
綾人から、乗る理由を探すなと言われたばかりだった。
理由は、探す前から配置図に書かれている。
「少し考えさせてください」
「出発は十四時だ。正午までに答えろ」
神代は選択する時間を与えた。それ以上、リポルの能力も、蒼真が参加した場合の生存率も説明しなかった。
説明すれば、蒼真が何を選ぶか分かっているからかもしれない。
*
会議が終わると、三浦は格納庫へ向かう廊下で蒼真を待っていた。
窓の外では、第一中隊の整備員が長剣と予備弾倉を搬送している。いつもの訓練準備より人が多く、誰も立ち止まらない。
「三浦一尉は行くんですね」
「第一中隊なので」
「怖くないですか」
「今朝も答えました」
三浦は短く笑ったが、目は笑っていなかった。
「今回は、昨日までの話とは違います。前線へ出れば被害を減らせるかもしれない、という可能性の話ではない。すでに一つの街が失われ、四機が戻っていない」
「だから行くんですか」
「だから行きます」
三浦は窓越しに、自分の機体を見た。
「あの街から外へ出せば、次の街でも同じことが起きる。より多くの命を守るために、前で止めます」
「自分は後ろです」
「そこにいてください」
返事は迷いなく返ってきた。
「俺たちが倒す。橘さんは、戻れなくなった機体と、まだ街にいる人を帰してください」
「全滅した四機も?」
三浦は一度、唇を結んだ。
「可能なら」
生きて帰すことはできない。それでも、置いたままにしないことはできる。
蒼真は廊下の床へ視線を落とし、握っていた端末を持ち直した。
「三浦一尉が損傷した場合は?」
「指示が出るまで来ないでください」
「またですか」
「十五機で動くんです。橘さん一人の判断で配置を崩さないでください」
八神に言われた言葉と同じだった。迷いながら前へ出れば、自分だけではなく周囲も危険に晒す。
「分かりました」
「今度は、返事だけではないですよね」
「努力します」
「そこは、守ると言ってください」
「守ります」
三浦はようやく頷き、格納庫へ向かった。
蒼真はその場に残り、正午までの時間を端末で確認した。
あと一時間二十六分。
*
管理局へ、今日の出向中止を連絡すると、最初に出たのは藤堂だった。
『現場へは、こちらから説明します』
「申し訳ありません」
『橘さんが謝ることではありません。何があったんですか』
答えてよい範囲を確認し、東部第七防衛区の放棄と、第三中隊への招集を伝えた。通信の向こうから、机を引く音が聞こえる。
『前線へ行くんですか』
「後方支援です」
『橘さんの言う後方は信用できません』
「正式な配置です」
『それなら、その正式な配置から動かないでください』
昨日、仕事へ口を出すなと言った時と同じ調子だった。ただ、声は少し硬い。
「森下さんは?」
『今、昨日の現場にいます。代わりましょうか』
「お願いします」
藤堂が保留操作をしたらしく、通話の向こうが一度静かになった。しばらくして風がマイクを撫でる音と、金属板の上を歩く足音が入る。昨日、蒼真がノストスで工程を戻した復興現場は、今日も動いているのだろう。
『橘さん?』
森下の声は、周囲の作業音に混じっていた。
「今日の出向は中止になりました」
『聞きました。どこへ行くんですか』
「東部第七防衛区です。リポルで、後方支援に入ります」
『前線へ出るつもりはないと、昨日確認しましたよね』
「前衛には入りません」
答えながら、蒼真は廊下の窓の外へ目を向けた。駐機場に並んだフレイムワーカーの向こうで、輸送車の屋根が動いている。戦闘区域へ入るのに、前線へ出ないという説明は、自分で聞いても苦しかった。
『それは、前線へ行かないという意味にはなりません』
「はい」
『戻ってから、自分で説明してください』
「分かりました」
『必ずです』
森下は藤堂へ電話を戻した。
『久賀さんにも代わります』
また保留音が流れた。今度は待つ時間が少し長く、蒼真は壁に背を預け、手の中の端末を持ち直した。
『橘さん。東部第七防衛区への緊急派遣と、本日の出向中止について確認しました』
久賀の声は、職場で聞くいつもの調子だった。情報を確認し、必要な事実だけを順番に置いていく。
『昨日お伝えした現行配置の継続は、重大な事態が発生しないことを条件としていました。今回の事件により、その条件は成立しなくなっています』
「はい」
『ただし、管理局は橘さんの前線運用を承認したわけではありません。緊急派遣と恒常運用は分けて記録します』
「お願いします」
そこまでは、予想していた話だった。けれど、切る前に伝えることを思い出した蒼真は、口調を少しだけ家でのものへ戻した。
「あと、昴が怒っています」
電話の向こうが静かになった。
『私にですか』
「はい。久賀さんが家へ遊びに来ないので、怒っています」
事実だけを報告したつもりだったが、久賀はすぐに返事をしなかった。局内で書類をめくる音だけが、微かに届く。
『帰還後、訪問日を調整します』
「帰ってから、自分で説明してください」
『分かりました』
たった数分の電話の間に、同じ言葉を二度も返すことになった。蒼真は、これも正しい運用なのかと考えながら通話を終えた。
次に美咲へ連絡しようとして、指が止まった。
まだ自分の参加を決めていない。決まっていないことを話せば心配させるだけだという考えが浮かび、すぐに消した。
決まっていないからこそ、話す。
それが橘家で決めたことだった。
発信すると、美咲は三回目の呼出音で応答した。
『どうしたの?』
「今日の管理局出向は中止になった」
『何かあった?』
「街が一つ、モンスターに襲われた。防衛に出た中隊が全滅した」
美咲の息が止まる。
「三個中隊で作戦をする。支援機も三機出る。自分も候補に入ってる」
『候補?』
「正午までに返事をする」
『断ったら?』
「別の人が支援機で行く。リポルは出ない」
言い訳のように聞こえることは分かっていた。自分が行かなければ、誰かが行く。それを理由にすれば、どんな任務も断れなくなる。
美咲は長い間、何も言わなかった。電話の向こうで食器が触れ合い、水道の流れる音がする。朝食の片づけをしていたのだろう。
『行きたいの?』
「行きたくない」
『怖い?』
「怖い」
『それでも行くと思ってる?』
蒼真は廊下の窓から、準備を進める十二機を見た。
「まだ街に人がいるかもしれない。戻っていない四機もある」
『それは、行く理由を聞いてるんじゃないよ』
綾人と同じことを言われた。
「自分で行くと決めるか、ってこと?」
『うん』
必要だからではなく、誰かに言われたからでもなく、自分で引き受けるのか。
昨日、自動制御を切った時、蒼真は戦闘の結果を自分が負うとAIへ伝えた。今回も同じ言葉が必要なのかもしれない。
「行く」
声にすると、恐怖が一段近くなった。
「後方支援として行く。前衛の指示を守る。勝手に前へ出ない。それでも、帰せる人がいるなら行く」
美咲はすぐに許すとも、やめろとも言わなかった。
『分かった』
「ごめん」
『謝るなら、帰ってからにして』
「うん」
『結衣には私から話す。昴には、一緒に説明して』
「分かった」
通話を終えると、正午まで一時間以上残っていた。
蒼真は待たずに会議室へ戻った。
神代は一人で配置図を見ていた。蒼真が入ると画面を閉じず、扉の前に立ったままの蒼真へ目を向ける。
「行きます」
「理由は」
問われるとは思っていなかった。
「残留している人と、戻っていない機体を回収するためです」
「それは任務内容だ」
神代は表情を変えない。必要だから、という答えだけでは受理しないつもりらしい。
蒼真は、美咲へ話した言葉を思い返した。自分が行かなければ誰かが行く。リポルの方が防御力も回収能力も高い。どれも事実だが、その事実へ押されて座るのなら、綾人が止めたことと同じになる。
「行きたくはありません」
「そうだろうな」
「怖いです。できれば、今日も管理局へ行きたいと思っています」
言葉にすると、胸の奥に残っていた安心が、まだ消えていないことが分かった。
「それでも、自分で行くと決めました。後方支援として、命令された位置を守ります」
神代は数秒間、蒼真を見た。迷いが消えたかを確認しているのではない。迷いを隠していないかを見ているようだった。
「分かった。参加を承認する」
「ありがとうございます」
「礼を言うことではない」
机の端に置かれていた端末へ、神代が蒼真の名前を追加する。配置図の後方中央に、紫色の機体表示が現れた。
神代が参加登録を終えた直後、会議室の扉が開いた。入ってきたのは、濃紺のスーツを着た女性だった。
以前、新しい部署の創設に関する会議で顔を合わせたことがある。八神の妹であり、内閣情報局政策評価部に所属する特別運用評価官だった。
彼女が持つ端末には、防衛局とは異なる識別表示が点灯している。八神は神代と蒼真へ一礼したあと、上座には座らず、壁際に用意された政府関係者用の席の横に立った。
「橘二尉の参加が確定したと聞きました」
「今、決めました」
「承知しました。私に部隊運用を命じる権限はありません。東部第七防衛区の放棄と、それに伴う緊急作戦の運用を確認し、内閣内の関係部署へ情報を共有するために派遣されています」
それだけを聞けば、単なる記録係にも思える。しかし、八神の端末には、戦闘部隊の損耗記録だけでなく、防衛区の避難率、隣接自治体の受入能力、上下水道と電力網の切断範囲まで、組織の境目を越えて表示されていた。
「政府も、今回の事態を大変憂慮しています」
八神の声は静かだった。大きな言葉を使っているのに、脅すような響きはない。それでも、神代が配置図から目を上げ、八神へ視線を向けた。
「一つの街を放棄したことは、一つの防衛区を失っただけでは済みません。次の避難命令が住民に受け入れられるか、隣接する自治体が何人を受け入れられるか、そして街の復旧が可能なのか。各部署が判断するために、今回の作戦記録が必要になります」
「討伐の成果も、ですか」
蒼真が尋ねると、八神は否定しなかった。
「コロニー化が確認された場合、街を取り戻すためには、そこにいる敵性個体を排除する必要があります。今日の作戦目的は生存者の捜索と部隊の回収、および繁殖状況の確認です。しかし、確認した結果によっては、次の作戦は討伐が中心になります」
明日以降の話であるはずなのに、蒼真は自分の右手に、昨日のシミュレーターで拳を振り下ろした時の感触を思い出した。今回は支援だと、たった今、神代へ自分で言ったばかりだった。
「なぜ、その話を自分にするんですか」
「支援機の運用によって、十二機が戦闘を継続できる時間が変わるからです」
八神は感情を読ませない表情のまま、配置図の後方中央に置かれた紫色の印を指した。
「橘二尉へ討伐を命じる意図はありません。ただし、前衛が崩れた場合、戦闘と支援の区分を維持できる保証もありません」
嘘は言わない。安心させるために、起こり得ることを小さく見せることもしない。久賀とは違う話し方だったが、事実を積み重ねた結果、蒼真の逃げ場が少しずつ減っていくところは似ていた。
「自分が前線で戦えると報告するんですか」
「現時点では報告できません。私が報告するのは、実際にどの位置で、何を行い、その結果が作戦全体にどのような影響を与えたかです」
八神は端末を閉じた。
「その結果をどの部署が、どのように使用するかは、私の権限で決められません」
それは蒼真に安心を与える言葉ではなかった。八神が正確に記録するほど、第一中隊は蒼真が必要だと主張できる。防衛局は、リポルを後方に留める損失を数字で示せる。前線の人手不足を知る部署なら、使える人材を遊ばせるべきではないと考えるだろう。
八神は蒼真の反論を待つように、テーブルの向こうに立っていた。その姿からは、彼女がその結果を望んでいるのか、避けたいのか、まったく読み取れない。
「分かりました」
蒼真が答えると、八神は短く頷いた。記録用端末に、また一つ、事実が追加された。
*
格納庫へ戻ると、朝にはノストスの周囲にいた整備員たちが、今度はリポルへ集まっていた。
右腕へ新しい防盾が固定され、背部には回収用ワイヤーと追加電源が取り付けられている。短距離防御砲の弾倉を運ぶ整備員の間を、牧野が端末を持って行き来していた。
「今日はノストスだと聞いていました」
蒼真が声をかけると、牧野は作業の手を止めずに答えた。
「私もそう聞いていました」
「リポルは休みだと、昴にも言いました」
「二歳児への訂正は、搭乗者の担当です」
牧野は防盾の接続値を確認し、整備員へ増し締めを指示した。昨日停止した右肘は、シミュレーター上の損傷である。実機の関節は問題なく動く。それでも、同じ場所を念入りに確認しているように見えた。
「昨日の評価記録を、戦闘制御へ反映していますか?」
「反映していません。オートバランサーを切った動きは、橘さんが自分で行ったものです。機体側へ学習させれば、別の搭乗者まで同じ動きをする可能性があります」
「危険ですか?」
「危険です」
牧野は即答し、ようやく蒼真を見た。
「橘さんにも、もう一度やってほしくありません」
「必要になれば?」
「必要にしないでください」
無理な注文だと思ったが、牧野の表情を見て口には出さなかった。
「今回も損耗率が低ければ、褒められますか?」
「十五機、全部が戻れば褒めます」
「自分一人では決められません」
「だから、一人で前へ出ないでください」
どこへ行っても、同じことを言われる。
牧野は作業端末へ視線を戻し、リポルの各部へ流れる起動電力を確認した。胸部、脚部、右腕、左腕。すべての表示が順に緑へ変わっていく。
「壊しても構いません」
朝とは反対の言葉に、蒼真は牧野を見た。
「十五機で帰ってください。機体は、そのために使ってください」
「分かりました」
牧野は頷いたが、笑わなかった。
*
午後一時、三個中隊と支援要員三名が、中央防衛局の第一格納区へ集められた。
十二機の戦闘用フレイムワーカーが、四機ずつ三列に並んでいる。第一中隊の機体は前衛用の長剣と重火器を装備し、第三中隊は防盾と中距離装備を中心に構成されていた。別防衛区から到着した一個中隊は、市街地での包囲と流出阻止を担当するため、複数の投射索と近接武器を積んでいる。
その後方には、三機の支援用フレイムワーカーが並んでいた。
中央がリポル。
両側の二機は、標準型の支援機である。一機は補給物資と予備弾倉を運び、もう一機は回収用ワイヤーと応急修理器具を搭載していた。
合計十五機。
これまで蒼真が参加したどの任務よりも多い。
格納区正面の大型画面へ、作戦区域が表示された。
「臨時大隊の目的は、東部第七防衛区に定着した敵性個体群の封鎖、残留住民の捜索、全滅した四機の確認および回収だ」
作戦責任者の声が格納区へ響く。
「市街地奪還は、現場状況を確認したうえで判断する。敵性個体の殲滅を優先し、無理な救助によって戦線を崩すことは禁止する」
蒼真はリポルの足元で、その言葉を聞いていた。
無理な救助。
何をもって無理と判断するのか。助けられる可能性が何パーセントなら諦めるのか。AIなら数値を出す。しかし、最後に決めるのは現場にいる人間だった。
神代が第三中隊の前へ立つ。
「第三中隊は第一中隊の右後方を進む。支援機はさらに二百メートル後方。橘は中央、残り二機は左右へ分かれろ」
「了解」
現場へ入る前の返事は短かった。
「橘」
「はい」
「お前の任務は、敵を倒すことではない」
「回収と退路維持です」
「そうだ。必要な時は指示する。それまでは前へ出るな」
「了解」
神代は蒼真の目を見たまま、もう一度確認する。
「一人で判断するな」
「了解」
今度の返事に迷いはなかった。
昇降機で操縦席へ上がると、リポルの内部には大型防盾の接続表示と、回収装備の一覧が並んでいた。短距離防御砲は装備されているが、弾数は最小限に抑えられている。
《搭乗者を確認》
「橘蒼真」
《作戦支援設定を読み込みます》
「戦闘自動制御は標準に戻ってる?」
《標準設定です》
昨日は、自分で切った。
今日は、すぐには切らなかった。十五機で動く以上、自分の動きだけを優先するわけにはいかない。
「戦闘提案は簡略表示。退路、民間人、味方の損傷を優先」
《設定しました》
格納庫の扉が開く。
先頭の四機が動き、続いて第二列、第三列が前進する。巨大な足音が重なり、床から操縦席へ伝わってきた。
リポルの左右でも、二機の支援機が歩き出す。
十二機の戦闘機。
三機の支援機。
合計十五機。
蒼真は全機の反応を画面へ表示し、先頭から最後尾まで一つずつ確認した。
「全機、見えています」
『第三中隊、前進』
神代の指示に従い、リポルを歩かせる。
行き先は、昨日まで人が暮らしていた街だった。
今は、誰も帰れない街である。
十五機は、そこから一人でも多く連れ帰るため、中央防衛局を出発した。
面白いと思われたら、ブックマークして頂ければ幸いです。
また、いいね。評価もしていただけたら執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。
感想も頂けましたらありがたいです。
よろしくお願いします。




