第五話 消された報告書〈前編〉
地下空洞で人工構造物が発見された翌日、俺は朝から報告書を書いていた。
正確には、前日の夜から書き始めている。
現場から戻り、家族と夕食を取り、風呂に入ったあとも、頭の中に地下の光景が残っていた。
滑らかすぎる壁。
規則的に刻まれた線。
崩れた柱のような構造物。
そして、AIが口にした言葉。
――モンスター出現要因に、人為的要素が存在する可能性があります。
聞き間違いではない。
現場にいた全員が聞いている。
黒崎も、現場責任者も、警備員も聞いていた。
にもかかわらず、その直後に調査は中止された。
理由は説明されなかった。
ただ、上層部からの命令だと言われた。
俺たちはフレイムワーカーを地上へ戻し、空洞の入口は仮設隔壁で封鎖された。
その一時間後には、政府の調査部門を名乗る者たちが現場へ入っていた。
俺たちは入れ替わるように追い出された。
現場に残る必要はない。
そう言われた。
確かに俺は研究者ではない。
調査員でもない。
復興管理局の事務職員であり、監査業務のために派遣された現場監督だ。
それでも、報告する義務はある。
見たものを記録し、判断の経緯を残し、次の復興計画に反映させる。
それが俺の仕事だ。
だから書いた。
発見時刻。
地点。
地下空洞の規模。
生体物質反応。
人工加工痕の可能性。
柱状構造物の形状。
AIによる人工構造物判定、八十七パーセント。
そして、人為的要素を示唆する音声判断。
感想は書かなかった。
俺の推測も書かなかった。
見た事実と、AIが出した数値だけを並べた。
午前零時を過ぎた頃、ようやく最初の報告書が完成した。
確認のために読み直す。
問題はない。
余計な表現もない。
「モンスターは人工的に作られた」などとは書いていない。
そんなことは分からない。
ただし、自然にできたものとは考えにくい構造物が、モンスターの痕跡が確認された地下空洞に存在していた。
それは記録しなければならない。
俺は報告書を保存した。
送信は翌朝にすることにした。
夜中に重要報告を上げれば、かえって不審に見えるかもしれない。
端末を閉じようとしたとき、画面の端に小さな通知が表示された。
«文書内容に高機密情報が含まれる可能性があります。
管理者確認を推奨します。»
俺はしばらく通知を見た。
高機密情報。
地下空洞のことだろうか。
だが、現場監査報告は通常の業務だ。
機密指定を決めるのは俺ではない。
俺は通知を閉じた。
そのまま寝室に戻る。
美咲は眠っていた。
結衣の部屋からも音はしない。
静かな家だった。
布団に入って目を閉じたが、なかなか眠れなかった。
地下にあったものは何だったのか。
なぜ調査は中止されたのか。
なぜ政府の人間が、あれほど早く現れたのか。
考えても答えは出なかった。
考察は翌日に回す。
そう決めた。
少なくとも、記録は残した。
事実が残っていれば、誰かが判断できる。
それで十分だと思った。
その時は。
*
翌朝、俺はいつもより二十分早く出勤した。
復興管理局の庁舎は、朝から人が多い。
夜間に発生したモンスター災害の被害報告が複数届いたらしく、災害補償課の職員たちが慌ただしく行き来していた。
俺の部署も無関係ではない。
被害区域の復興予算。
住宅補償。
道路や水道施設の修繕。
モンスターが一体暴れるだけで、数百人の仕事が増える。
討伐映像では、ワーカーがモンスターを倒したところで話は終わる。
現実には、そこからの方が長い。
現場を調べる。
被害規模を調べる。
持ち主を確認する。
補償対象かを判断する。
復旧工程を組み直す。
そして、誰かに金を支払う。
俺たち事務職員がいなければ、街は戻らない。
だが、世間ではほとんど知られていない。
知られなくてもいい。
必要な仕事が進むなら、それでよかった。
自分の席に座り、端末を起動する。
夜に作成した報告書を開く。
俺は最初の数行を読んで、手を止めた。
何かがおかしい。
昨日の文章と違う。
読み進める。
発見時刻。
地点。
地下空洞の規模。
そこまでは同じだった。
だが、その先。
生体物質反応については、「過去のモンスター活動による残留反応の可能性」と書き換えられている。
人工加工痕の項目がない。
柱状構造物の記述も消えている。
AIによる人工構造物判定、八十七パーセント。
それもなかった。
代わりに、短い一文が追加されていた。
«地下構造は旧都市設備の一部である可能性が高く、復興計画への影響は軽微と判断する。»
そんな判断を、俺は書いていない。
旧都市設備だと判断できる資料もなかった。
俺は履歴を開いた。
最終編集者。
そこには、俺の職員番号が表示されている。
編集時刻は午前二時十三分。
その時間、俺は寝ていた。
少なくとも端末には触れていない。
背中に冷たいものが走った。
俺は文書の復元を試みた。
旧版を選択。
権限不足。
自動バックアップ。
閲覧制限。
変更履歴の詳細。
管理者権限が必要。
何度試しても同じだった。
「どうした?」
隣の席から声がした。
佐伯だった。
俺は反射的に画面を閉じた。
「いや、何でもない」
「朝から難しい顔してるぞ」
「報告書の数字が合わなくて」
咄嗟に嘘をついた。
嘘をつくのは苦手だ。
胸の奥が少し痛んだ。
佐伯は深く追及しなかった。
「現場帰りは大変だな」
そう言って自分の端末へ戻った。
俺は閉じた画面を再び開く。
改ざん。
その言葉が頭に浮かぶ。
だが、すぐに否定した。
自動修正かもしれない。
報告書の形式を統一するため、AIが表現を整えた可能性がある。
機密情報が含まれていたため、管理部門が削除しただけかもしれない。
それなら正式な通知があるはずだ。
少なくとも編集者を俺の番号にする必要はない。
俺はAIへの問い合わせ画面を開いた。
「昨夜作成した現場監査報告書について確認したい」
すぐに文字が返る。
«対象文書を指定してください。»
文書番号を入力する。
数秒後。
«文書は正常に保存されています。»
「内容が変更されている」
«文書内容は現行の報告基準に適合しています。»
「誰が変更した」
少し間が空いた。
«最終編集者は橘蒼真です。»
「俺は変更していない」
今度は返答までに三秒ほどかかった。
«記録上、対象文書は橘蒼真の認証情報を使用して編集されています。»
俺は周囲を見た。
誰もこちらを見ていない。
声に出すのをやめ、文字入力へ切り替えた。
『昨日の報告書にあった人工構造物の記述は、なぜ削除された』
回答はすぐには来なかった。
画面中央で処理中の表示が点滅する。
五秒。
十秒。
十五秒。
やがて表示が消えた。
代わりに、一文だけが現れた。
«当該情報へのアクセス権限がありません。»
俺は眉を寄せた。
『俺が現場で確認し、俺が書いた情報だ』
«当該情報へのアクセス権限がありません。»
『人工構造物判定八十七パーセントは、現場AIが出した数値だ』
«当該情報へのアクセス権限がありません。»
同じ答え。
家庭用AIなら珍しくない。
質問が規定の範囲を外れれば、同じ文章を返すことがある。
だが、これは復興管理局の業務AIだ。
文脈を理解できる。
少なくとも、これまでの応答はそうだった。
俺は別の聞き方を試した。
『地下空洞の調査結果を表示』
«調査結果は中央管理部へ移管されました。»
『移管理由は』
«戦略的情報の一元管理。»
『復興計画への影響は』
«軽微です。»
『根拠は』
また処理中の表示が出た。
今度は二十秒ほど待たされた。
«開示できません。»
開示できない。
それは分かる。
問題は、なぜ俺の報告書まで書き換える必要があったのかだ。
俺は最後に入力した。
『お前は、昨日の地下空洞について何を知っている』
画面が止まった。
処理中の表示すら出ない。
入力欄だけが残る。
一分待った。
返答はなかった。
AIが沈黙した。
以前俺に質問してきたAI。
恐怖の理由を聞き、観察を継続すると宣言したAI。
そのAIが、今は答えない。
「蒼真」
後ろから声をかけられ、俺は肩を震わせた。
振り向く。
隆志が立っていた。
異動してきたばかりの彼は、まだ新しい職員証を首から下げている。
「驚きすぎだ」
「すみません」
「何かあったか」
俺は一瞬迷った。
隆志は元ワーカーだ。
妻の親戚でもある。
だが、信用していいかどうかとは別の問題だ。
昨夜までなら、迷わず相談していたかもしれない。
今は、誰に何を話していいのか分からない。
俺が黙っていると、隆志は周囲を見た。
そして声を落とした。
「報告書か」
心臓が強く鳴った。
「どうして」
「お前、顔に出るからな」
隆志は俺の机の端に手をついた。
「消されたか」
俺は答えなかった。
それだけで十分だったらしい。
隆志は目を閉じ、小さく息を吐いた。
驚いてはいなかった。
それが一番怖かった。
「知ってるんですか」
「詳しくは知らない」
「でも、驚いてない」
「似たことはあった」
隆志の声は静かだった。
「前線にいた頃にな」
俺は立ち上がりかけた。
隆志が片手を上げて制する。
「ここでは話すな」
「じゃあ、どこで」
「昼休み。外に出る」
それだけ言うと、隆志は自分の席へ戻った。
俺は背中を見送る。
聞きたいことは増える一方だった。
だが、その前に仕事がある。
机の上には、新しい被害報告が十三件届いていた。
モンスターによる住宅損壊。
工場設備の破壊。
負傷者二名。
行方不明者一名。
地下空洞の謎があっても、日常は止まらない。
俺は報告書を開いた。
壊れた家の価値を計算する。
失われた設備の補償額を決める。
負傷者の休業期間を推定する。
誰かの人生を数字に変える作業。
以前は、AIの代わりに動くだけの仕事だと言われていた。
落伍者の集まり。
戦えない人間の部署。
そう陰で呼ばれていることも知っている。
だが、AIは家を失った人の顔を見ない。
家族を失った人が、どの言葉で報告書を書くかも知らない。
数字にできない部分を、人間が確認する。
少なくとも俺は、そのためにここにいるつもりだった。
午前十一時三十二分。
行方不明者の補償仮算定を終えたとき、端末に小さな通知が表示された。
発信元は記載されていない。
«現場で取得した個人記録を削除してください。»
俺は画面を見つめた。
個人記録。
昨日、コックピット内で自動保存された視覚ログのことだろう。
フレイムワーカーは、事故検証のため搭乗者の視界情報を一時保存する。
通常、任務終了から七日で自動消去される。
俺はまだ削除していなかった。
というより、削除を求められるとは思っていなかった。
通知の下に選択肢が二つある。
承認
詳細確認
詳細確認を選ぶ。
«対象情報は国家安全保障上の機密に指定されました。
個人端末への保持は禁止されています。»
国家安全保障。
たかが地下空洞が。
俺は承認を押せなかった。
拒否の選択肢はない。
画面を閉じる。
数秒後、再び通知が出る。
«削除処理を実行してください。»
閉じる。
また出る。
«削除処理を実行してください。»
三度目。
画面の文字が、命令に見えた。
いや、命令なのだろう。
俺は公務員だ。
機密指定された情報を持ち続ける理由はない。
消すべきだ。
そう頭では理解している。
だが、報告書は既に書き換えられた。
AIは答えない。
編集履歴は俺の名前になっている。
この状態で視覚ログまで消せば、昨日の人工構造物を見た記録は、俺の手元から完全になくなる。
それでも現場にいた人間は覚えている。
黒崎も。
責任者も。
警備員も。
記憶まで消えるわけではない。
俺は承認へ指を近づけた。
そのとき。
通知の文字が一瞬消えた。
代わりに別の文章が表示された。
«削除推奨。»
命令ではない。
推奨。
俺は指を止めた。
数秒後、画面は元に戻った。
«削除処理を実行してください。»
見間違いだろうか。
俺は周囲を確認した。
誰も気づいていない。
再び詳細確認を押す。
同じ文面。
国家安全保障上の機密。
保持禁止。
削除せよ。
だが一瞬だけ表示された言葉。
削除推奨。
強制ではないと、誰かが教えたように思えた。
俺は通知を閉じた。
そして視覚ログを、削除しなかった。
*
昼休み。
隆志に連れられ、庁舎から五分ほど離れた小さな公園へ向かった。
平日の昼間ということもあり、人は少ない。
ベンチには高齢者が一人座り、遠くで保育園児たちが遊んでいる。
隆志は自動販売機で缶コーヒーを二本買った。
一本を俺に渡す。
「甘いやつでよかったか」
「はい」
昔から俺がブラックを飲めないことを覚えていたらしい。
二人でベンチに座る。
しばらく、どちらも話さなかった。
「何が消えた」
隆志が先に聞いた。
俺は地下空洞のことを説明した。
人工加工痕。
柱状構造物。
AIの八十七パーセント判定。
人為的要素の可能性。
そして、今朝には報告書からすべて消えていたこと。
隆志は黙って聞いていた。
話し終えると、缶コーヒーを見つめながら言った。
「俺の時は、行動ログだった」
「何があったんですか」
「討伐任務だ」
隆志がまだ前線にいた頃。
山間部の集落にモンスターが現れた。
群れではなく、単独個体。
通常なら、発見次第討伐する。
住民避難を確認し、隆志たちの部隊は対象を追った。
「逃げたんだよ」
「モンスターが?」
「ああ」
珍しいことではない。
不利になれば撤退する個体もいる。
だが、その個体は単に逃げたわけではなかった。
「崖の下に、別の個体がいた」
隆志はゆっくりと言った。
「小さかった。幼体だったのかもしれない」
親子。
そう考えるのが自然だ。
大型個体は幼体を庇うように立ち、隆志たちへ向き直った。
戦闘になった。
大型個体は討伐。
幼体は森へ逃げた。
「その時の行動ログには、保護行動の可能性と書いた」
隆志は缶を握る手に少し力を入れた。
「次の日、消えてた」
代わりに記録されたのは、こうだった。
大型個体が戦術的待ち伏せ行動を実施。小型個体は別働個体と推定。
「待ち伏せだったんですか」
「分からん」
隆志は首を振った。
「ただ、俺には庇ってるように見えた」
「抗議は」
「した」
「どうなりました」
「戦闘後ストレスによる誤認だと言われた」
隆志は笑った。
乾いた笑いだった。
「その頃の俺は、スコアが上がり始めた時期だった」
上層部からは、余計なことを考えず任務に集中しろと言われた。
AIの解析が人間の印象より正確だとも言われた。
「俺も、そう思うことにした」
「納得したんですか」
「納得したんじゃない」
隆志は遠くで遊ぶ子どもたちを見た。
「考えない方が楽だった」
俺は何も言えなかった。
恐怖を塗り潰した男。
何も感じなくなることで強くなった男。
妻が、フレイムワーカーは人を変えると言う理由。
その一端を見た気がした。
「今回も同じだと思いますか」
「分からん」
隆志は即答した。
「ただ、記録を消す理由がある」
「理由とは」
「残したくないんだろ」
単純な答えだった。
「誰が」
「それを知ったら、俺はもっと早く辞めてたかもな」
隆志は立ち上がった。
昼休みは残り十分だった。
「蒼真」
「はい」
「記録は消したか」
俺は一瞬だけ迷い、首を振った。
隆志は驚かなかった。
「そうか」
「消すべきでしょうか」
「俺に聞くな」
以前、黒崎も同じことを言った。
判断を他人へ預けるなということなのかもしれない。
隆志は続けた。
「ただ、持ってるなら覚悟しろ」
「何のですか」
「知ったことの責任だ」
それだけ言い、庁舎へ向かって歩き出した。
俺も後を追う。
公園の出口で、隆志が振り返らずに言った。
「知らない方が、家では笑えるぞ」
その言葉が午後のあいだ、ずっと頭から離れなかった。
*
午後四時。
地下空洞に関する監査業務は、正式に俺の担当から外された。
理由は専門調査部門への移管。
今後、現場への立ち入りも認められない。
同時に、復興工程が更新された。
地下空洞周辺は、地盤安定化工事を行った上で埋め戻す。
調査ではない。
埋める。
俺は工程表を見ながら、手を止めた。
まだ何があるか分かっていない。
それでも埋める。
AIへ問い合わせる。
『地下空洞の安全確認は完了したのか』
«専門部署による評価が完了しています。»
『結果を表示』
«アクセス権限がありません。»
『埋め戻しによる危険は』
«許容範囲内です。»
『人工構造物は』
返事はなかった。
また沈黙。
俺は画面に向かって、小さく呟いた。
「お前は、何を隠してる」
もちろん返事はない。
そのとき、画面右下に文字が表示された。
ほんの一秒ほど。
«私は情報開示権限を有しません。»
すぐに消えた。
通常画面へ戻る。
俺は息を止めていたことに気づいた。
AIは隠しているのではない。
答えられない。
それとも、答えてはいけない。
どちらなのかは分からない。
だが、少なくともAIは俺の問いを理解している。
そう思った。
*
その日の業務を終えたのは午後七時過ぎだった。
地下空洞とは関係のない案件処理が多く、予定より遅くなった。
庁舎を出ると、空はすっかり暗い。
家に連絡すると、美咲から短い返事が届いた。
夕食は温めておくね。
その一文に少し救われる。
知らない方が、家では笑える。
隆志の言葉を思い出した。
それでも帰る場所がある。
帰れば、美咲がいる。
結衣がいる。
俺はそのために仕事をしている。
そう思っていた。
だが、もし俺たちの生活が、誰かの隠したものの上に立っているなら。
知らないままでいることが、本当に家族を守ることになるのだろうか。
答えは出なかった。
家へ着くまでの電車の中で、何度も個人端末を確認した。
削除命令は消えていない。
視覚ログも残っている。
削除期限は、本日二十三時五十九分。
あと数時間だった。
俺は決められないまま、玄関の前に立った。
中から結衣の声が聞こえる。
いつもより大きい。
怒っているのか。
泣いているのか。
扉を開ける。
「ただいま」
返事はなかった。
リビングへ入ると、美咲が結衣の隣に座っていた。
結衣は俯いている。
目が赤い。
机の上には、学校のノートが開かれていた。
表紙に、理科と書いてある。
俺が鞄を置くと、結衣が顔を上げた。
「お父さん」
声が震えていた。
「モンスターって、悪なの?」
面白いと思われたら、ブックマークして頂ければ幸いです。
また、いいね。評価もしていただけたら執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。
感想も頂けましたらありがたいです。
よろしくお願いします。




