第五十九話 本当の前線
黒滝谷前進討伐任務の説明は、通知が届いた一時間後に始まった。
第三会議室の正面へ、谷の立体地図が表示されている。
東部山岳防衛線の内側にある黒滝谷は、南北へ細長く伸びていた。谷底には林道と細い川が並んで走り、その両側を急な斜面が囲んでいる。下流へ進めば地形は緩やかになり、二十六キロ先で二つの集落へ道が分かれていた。
敵性個体の群れは、谷の上流から下流へ移動している。
小型十五体。中型四体。
発見時から大きな増減はない。
現在は谷の中ほどにある古い砂防堰堤の周辺で動きを止めていた。
「止まっている理由は?」
蒼真が尋ねると、防衛局の担当者は無人観測機の映像を拡大した。
灰色の堰堤の下に、黒い影が点在している。一部は川岸へ身体を伏せ、残る個体は斜面の木々を掘り返していた。
「確認できていません。休息、捕食、周辺個体の待機などが考えられます」
「群れが増える可能性は?」
「あります。そのため、三日後を予定していた作戦を前倒しします」
画面へ新しい時刻が表示された。
翌朝、午前六時出発。
作戦開始予定、午前八時三十分。
「住民の避難は?」
「現時点では行いません」
「理由は?」
「群れが谷を抜けるまで、最短でも九時間以上かかります。第一中隊が予定区域で停止させられない場合、その時点で避難を開始しても十分に間に合います」
担当者は二つの集落を指した。
「避難準備だけは、自治体と現地警備隊へ通知済みです。住民へは、山岳部で危険生物が確認されたため、林道へ入らないよう案内しています」
蒼真は谷の下流を見た。
集落の建物は、地図上では小さな四角でしかない。
そこに住む人々は、自分たちへ向かって敵性個体が移動していることを知らない。今夜も普段どおりに食事をし、明日の仕事や学校の準備をしているのだろう。
「討伐区域は?」
「砂防堰堤から下流一・八キロまで。第一中隊は下流側から進入し、群れを堰堤周辺へ押し戻します」
青い線が谷の下流へ引かれる。
リポルの初期位置は、その線から上流へ二百メートル。第一中隊の後方だが、これまでの救助任務より敵に近い。
「回収可能範囲は、青線から上流五百メートル以内です」
神代が説明を引き継いだ。
「第一中隊は、それより先へ出ない。敵が堰堤の上流へ退いた場合、追撃せずに作戦を終了する」
「下流へ突破した場合は?」
「第一中隊が可能な限り止める。抜けた個体はリポルが進路を遮り、戦列へ戻す。停止できなければ後方警備線へ連絡し、住民避難へ切り替える」
「自分だけで追わない?」
「追うな」
神代の返事は短かった。
「リポルの役割は、討伐区域から出た個体を倒すことではない。進路を変え、第一中隊へ戻すことだ。戻せなければ報告し、後退する」
蒼真は地形図の下流にある林道を確認した。
谷が狭いため、敵の進路は限られる。リポルが防盾で林道を塞げば、一体か二体なら向きを変えられる可能性は高い。
しかし、中型が複数同時に抜ければ止められない。
「中型二体以上が突破した場合は?」
「煙幕と短距離防御砲で足を止め、第一中隊の支援を待つ。支援が間に合わなければ後退する」
「集落へ向かっても?」
「後方警備線がある」
「そこを抜けた場合は?」
神代は蒼真を見た。
「お前一機で中型二体を止める方が、突破される可能性は高い。後ろへ知らせることを優先しろ」
理屈は分かる。
それでも、集落へ向かう敵へ背を向けて下がることを想像すると、胸の奥が重くなった。
「無理だと思うか?」
神代が尋ねる。
蒼真はすぐには答えず、第一中隊の配置を見た。
三浦機が中央。その左右に二番機と三番機。四番機が少し後ろから射撃支援を行う。リポルは三浦機の右後方百二十メートルから始め、損傷機が出れば青線まで回収する。
通信が切れれば後退。
御堂機が谷の東斜面から全域を監視する。
神代は青線の後方にある移動指揮車から命令を出す。
条件は、シミュレーションで確認したものと同じだった。
違うのは、失敗した時に消えないことだけである。
「無理だとは思いません」
「参加するか?」
蒼真は三浦を見た。
三浦は参加を求める言葉を口にしなかった。自分の端末へ視線を落とし、蒼真の判断を待っている。
目の前に救助する民間人はいない。
敵が集落へ到達しなければ、住民は明日も普段どおりの一日を過ごす。けれど、それを自分が助けたとは、今も思えない。
それでも、第一中隊の四人は見える。
その四人を帰す役割も、地図の中にある。
「参加します」
三浦が顔を上げた。
「理由は?」
防衛局の担当者が記録を開く。
「第一中隊を帰すためです」
「住民被害の予防については?」
「必要だと思います。でも、それを自分の救助だとは、まだ思えません」
「それでも参加する?」
「はい。第一中隊が敵を止めるなら、自分は第一中隊を帰します」
担当者が記録を確定した。
神代は全員へ向き直る。
「評価のために敵を倒すな。住民へ到達させないために止める。橘のために損傷するな。損傷した時は、橘へ渡して戻れ」
『了解』
第一中隊の四人が答えた。
「橘」
「はい」
「全機を一度に助けようとするな。指示された機体を帰せ」
「了解しました」
作戦参加が決まった。
*
その日の夕方、蒼真が帰宅すると、結衣は居間の床へ発表用の紙を並べていた。
自由研究の原稿を、読む順番どおりに置いているらしい。端へ小さな数字が書かれ、蒼真が近づくと、結衣は慌てて紙を両手で押さえた。
「踏まないで」
「踏んでないよ」
「風で動くから、そっち歩いて」
蒼真は壁際へ寄り、大きく回って食卓へ向かった。
美咲は台所で米を研いでいる。水の音に紛れないよう、少し声を上げた。
「明日の任務、参加することにした」
美咲の手が止まった。
水を流したまま、蒼真へ顔を向ける。
「明日?」
「予定が早まった。朝六時に出る」
「理由は?」
「敵の群れが止まっていて、増える可能性があるから」
美咲は蛇口を閉め、濡れた手を布巾で拭いた。
「そうじゃなくて、蒼真が参加すると決めた理由」
「第一中隊を帰すため」
蒼真が答えると、美咲は少しだけ表情を緩めた。
「必要だと言われたからじゃない?」
「自分が断っても、第一中隊は通常編成で出る。後方警備線もある。自分がいなければ作戦ができないわけじゃない」
「それも確認したのね」
「うん」
美咲は食卓へ来て、蒼真の向かいへ座った。
結衣も床の紙を重しで押さえ、椅子へ移る。
「何体いるの?」
「小型十五体、中型四体」
結衣の目が大きくなる。
「この前より多いじゃん」
「多いよ」
「パパも戦うの?」
「自分から倒しには行かない。第一中隊を抜けた敵を戻す。機体が壊れたら回収する」
「四人を帰すの?」
「うん」
結衣は机の上で両手を重ねた。
「町の人は?」
「敵が谷を抜けたら避難する準備はできてる。でも、谷で止められれば、何も知らないまま一日を過ごすと思う」
「誰を助けたか、分からないまま?」
「そうなる」
「それでもいいって言ったでしょ」
「覚えてるよ」
「なら、いいじゃん」
結衣は簡単に言ったあと、すぐに真顔へ戻った。
「行ってほしいって意味じゃないからね」
「分かってる」
「パパも帰るんだよ」
「帰るよ」
美咲は二人の会話を聞きながら、蒼真が持ち帰った資料を開いた。
谷の地形、敵の数、回収範囲、通信断絶時の撤退条件を、一つずつ確認していく。
「中型二体が抜けたら、蒼真は戻るのね」
「止められない場合は」
「追わない?」
「追わない。後ろへ連絡して、住民を避難させる」
「本当にできる?」
美咲の目が、資料から蒼真へ移る。
「指示どおりにする」
「指示がなくても?」
「条件として決まってる」
「目の前で、町の方へ行っても?」
蒼真はすぐに答えられなかった。
美咲は、その沈黙を見逃さなかった。
「約束できない?」
「追えば、自分も抜かれて連絡できなくなる可能性がある。だから戻る方が正しい」
「正しいかどうかじゃなくて、できるか聞いてる」
蒼真は資料に引かれた後方警備線を見た。
自分が後退しても、そこで別の部隊が待っている。敵の接近が伝われば、二つの集落は避難できる。
一人で止めようとするより、多くの人が助かる可能性は高い。
「戻る」
「約束?」
「約束する」
美咲は、そこでようやく頷いた。
「なら、待つ」
床で遊んでいた昴が、会話に気づいて顔を上げた。
「まつ?」
「明日、パパがお仕事へ行くから、また一緒に待とうね」
美咲が言うと、昴は紙製ノストスを抱えて食卓へ来た。
「りぽる?」
「リポルに乗るよ」
「いっぱい?」
「何が?」
「わるいの、いっぱい?」
蒼真が答える前に、結衣が昴の隣へしゃがんだ。
「いっぱいだけど、パパが全部と戦うんじゃないよ。強い人たちを連れて帰る係」
「つれてかえる?」
「そう。迷子にならないように」
「みうら、まいご?」
昴が聞き覚えのある名前を口にした。
蒼真は一瞬、返事に迷った。
「迷子ではないよ」
「でも、連れて帰るんでしょ?」
結衣が面白そうに尋ねる。
「帰れなくなりそうな時だけ、手を貸す」
「じゃあ、迷子になりかけ」
「本人には言わないで」
美咲が口元を押さえて笑った。
緊張が少しだけほどける。
「明日の朝、起きる?」
蒼真が結衣へ尋ねると、結衣は首を横へ振った。
「この前、起きたからいい」
「眠かった?」
「すごく」
「じゃあ寝てて」
「でも、今日のうちに行ってらっしゃいって言う」
「うん」
結衣は蒼真の顔を見て、少し間を置いた。
「行ってらっしゃい。まだ行かないけど」
「行ってきます。明日だけど」
二人で笑った。
美咲は資料を閉じたが、手元からは離さなかった。
今夜、もう一度読むのだろう。
蒼真は、聞かれる前に右肩の状態を話した。
「固定具の痕は、ほとんど消えた。痛みもない」
美咲が少し驚いた顔をする。
「聞かれなくても言えたね」
「約束したから」
「合格」
「まだ何の試験も受けてないよ」
「家の方」
蒼真は頷いた。
*
翌朝、玄関で見送ったのは美咲と昴だけだった。
結衣の部屋からは、静かな寝息が聞こえている。昨夜のうちに言葉を交わしたため、起こさなかった。
美咲は弁当を鞄へ入れ、端末と予備電源をもう一度確認した。
「現場に着いたら連絡して」
「うん」
「終わった時も」
「うん」
「戻るって約束、忘れないで」
「忘れない」
昴は眠そうな顔で、紙製ノストスを両手に持っていた。
「ぱぱ、みうら、かえる?」
「三浦一尉も、ほかの三人も帰すよ」
「りぽるも?」
「一緒に帰る」
「ぱぱも?」
「帰るよ」
昴は四人と一機と蒼真を、頭の中で数えようとしたらしい。紙製ノストスを片手へ持ち替え、空いた指を一本ずつ折ったが、途中で分からなくなった。
「いっぱい、かえる」
「そうだね。みんなで帰る」
蒼真は昴の頭を撫で、玄関を出た。
*
午前八時十二分。
第一中隊とリポルは、黒滝谷下流の展開地点へ到着した。
谷を流れる川の音が、機体の外部収音器を通して操縦席へ届く。両側の斜面には背の高い杉が並び、朝の光はまだ谷底まで十分に入っていなかった。
湿った土の匂い。
川から上がる冷たい空気。
救助車両のエンジン音も、作業員の声もない。
人がいない。
あるのは、第一中隊の四機とリポル、斜面へ上がった御堂機、後方の指揮車だけだった。
前方の観測画面には、十九の赤い反応が表示されている。
動いていない。
『各機、通信確認』
神代の声が入る。
『第一、良好』
『御堂、良好。全域確認』
「リポル、良好」
『第一、前進開始。橘、距離を維持』
『了解』
「了解」
四機が谷の上流へ向かって歩き始める。
中央に三浦機。その左右を二番機と三番機が進み、四番機が後ろから銃口を前方へ向けている。
リポルは百二十メートル後方から追った。
林道には、昨夜の雨でできた浅い水たまりが残っていた。第一中隊の足跡が水を濁らせ、その同じ場所をリポルが踏む。
六百メートル進んだところで、御堂が報告した。
『群れ、動きます』
赤い反応が一斉に広がった。
谷底を下るもの。
両側の斜面へ上がるもの。
その場に残るもの。
十九体が、一つの群れではなく、三つに分かれる。
『正面、小型六。中型一』
三浦機が長剣を抜いた。
『右斜面、小型五』
御堂の視界へ、木々の間を走る影が映る。
『左斜面、小型四、中型一。残り中型二、堰堤下』
神代の指示が飛ぶ。
『第一、正面を止めろ。御堂、右を監視。左は後方警備へ共有』
『了解』
『了解』
三浦機が走る。
二番機と三番機が左右へ広がり、四番機が射撃を開始した。
谷の静けさが、一瞬で消えた。
銃声が斜面へ反響し、木々から鳥が飛び立つ。
先頭の小型二体が水しぶきを上げて川へ入り、三浦機の側面へ回ろうとする。二番機が槍を横へ振り、一体を林道へ戻した。三番機は防盾で一体の突進を受け、足元を滑らせながらも進路を塞ぐ。
三浦機は中央から動かない。
中型個体が小型の後ろから姿を現す。
低い頭部から二本の突起が伸び、太い前肢が林道の土を削っていた。
『中型、取る』
三浦機が前へ出る。
中型個体が頭部を下げた。
突進。
三浦は正面から受けなかった。
直前で右へ踏み、長剣を敵の左肩へ沿わせる。すれ違う勢いを利用して刃を引き、外皮を深く裂いた。
中型個体が方向を変える。
三浦機を追おうとした側面へ、四番機の射撃が集中する。
敵が頭部を上げた瞬間、三浦機が戻った。
長剣を両手で持ち、開いた胸部へ斜めに振り上げる。
一撃で黒い外皮が裂けた。
敵の前肢が三浦機へ伸びる。
三浦はさらに内側へ入った。
肩で敵の腕を受け、長剣の柄を腹へ押しつける。機体を回し、巨体の向きを下流ではなく斜面側へ変えた。
止まらない。
三浦機の動きに迷いがない。
救助車両も、守るべき建物もない。自分と敵の間にある距離だけを見て、最短の位置へ踏み込んでいる。
蒼真は後方から、その戦いを見た。
これまで見ていた三浦とは違った。
救助現場でも強かった。
しかし、今は一つの動作が次の攻撃へつながり、足を止める時間がほとんどない。敵が身体を起こす前に次の位置へ入り、向きを変える前に刃を置いている。
これが、三浦の本来の戦場だった。
『右斜面、二体が下流へ抜けます!』
御堂の声。
蒼真は三浦機から視線を外した。
右斜面の木々が揺れ、小型個体二体が林道へ飛び降りる。
第一中隊の後方。
リポルの前方五十メートル。
二体は第一中隊を追わず、谷の下流へ頭を向けた。
『橘、突破阻止』
「了解」
リポルは林道の中央へ出た。
防盾を斜めに構える。
一体目が川側へ寄る。
蒼真も半歩動き、通れる幅を消した。
二体目は斜面側へ回る。
リポルの左腕が届かない外側を走ろうとしている。
蒼真は短距離防御砲を斜面へ向けた。
敵ではなく、その前方の地面を撃つ。
乾いた破裂音。
土と小石が跳ね、二体目が足を止めた。
一体目が盾へ飛びつく。
衝撃は軽い。
リポルは右腕を下げず、そのまま機体を左へ回した。盾へ爪を立てた敵の身体が、下流から上流へ向きを変える。
二体目が横から跳ぶ。
左腕を上げ、胸部への直撃を防ぐ。
爪が前腕装甲を擦り、黄色い警告が一度だけ点いた。
蒼真は敵を掴まなかった。
腕を外へ振り、林道の中央へ落とす。
「二体、戻します」
『四番、受けろ』
『了解』
第一中隊四番機が後退し、銃口を二体へ向けた。
リポルは前へ出ない。
敵が上流へ向きを変えたことを確認し、林道の下流側へ残った。
四番機の射撃が始まる。
一体が倒れ、もう一体が斜面へ逃げようとする。四番機は追わず、射線だけで正面戦列の方向へ戻した。
突破は止まった。
『左斜面、中型が下ります!』
御堂の警告。
斜面の木が折れた。
太い幹が林道へ倒れ、その後ろから中型個体が滑り落ちてくる。
狙いはリポルではない。
正面で小型三体を押さえている三番機の側面だった。
『三番、左!』
三番機が振り向く。
間に合わない。
中型個体の前肢が機体の左肩へ当たった。
三番機が林道から川岸へ弾き飛ばされる。片膝が水へ入り、左腕が不自然な角度で垂れた。
『三番、損傷!』
『歩行は』
『可能。左腕不能』
『橘、回収』
「了解」
リポルは林道を上流へ走った。
その前を小型個体が横切る。
蒼真は追わない。
四番機が射撃で止める。
三番機へ向かう最短の道だけを見る。
中型個体が三番機へもう一度頭部を向けた。
二番機が横から槍を突き入れる。
敵の前肢を完全には止められない。槍の柄がしなり、二番機の足が林道を滑る。
『早くしろ!』
「到着します」
リポルは三番機と川の間へ入った。
右腕を差し出す。
「掴んで」
『右は使える』
三番機がリポルの腕を掴む。
蒼真は引き上げず、立ち上がる方向へ機体を支えた。三番機の右脚が川底を踏み、左脚が林道へ戻る。
中型個体が二番機の槍を外した。
頭部が二機へ向く。
『橘、下がれ!』
二番機が敵の前へ残る。
「三番、歩けますか」
『歩ける』
「青線まで戻ります」
『了解』
リポルは三番機の動かない左腕側へ立った。
二機で下流へ向かう。
背後では、二番機が中型個体の突進を避け、林道の中央へ引き戻している。三浦機は最初の中型個体を停止させ、こちらへ向かっていた。
『二番、離れろ』
『了解!』
三浦機が二番機と入れ替わる。
長剣が中型個体の頭部へ振り下ろされた。
蒼真は後ろを見続けなかった。
三番機の歩幅が一度乱れる。
「脚も損傷していますか」
『左膝、出力低下。まだ歩ける』
「速度を落とします」
『戦列へ戻れなくなる』
「戻りません。回収指示です」
三番機から返事がない。
「帰るために下がっています」
『……了解』
歩幅を三番機へ合わせる。
急げば早く青線へ着く。しかし、損傷した膝へ無理をさせれば、途中で歩けなくなる。
一歩ずつ、確実に下がる。
青線まで残り百メートル。
『正面、中型二体が動く!』
御堂の声が響いた。
堰堤下に残っていた二体が、同時に林道へ下りてくる。
第一中隊は、三浦機、二番機、四番機の三機。
中型三体と、残る小型を相手にすることになる。
『三番を置いて戻れ!』
三浦の声。
蒼真は青線を見た。
あと七十メートル。
三番機は歩けるが、左膝の出力が落ちている。
「置けません」
『こちらが持たない!』
『三浦、戦列維持』
神代が割って入る。
『橘は回収を続けろ。二番と四番、左右を狭めろ』
『了解!』
『了解』
『……了解』
三浦も答えた。
蒼真は速度を変えなかった。
三番機を青線の後ろへ運ぶ。
後方待機位置には、回収班がいる。三番機がそこへ着けば、自分は前へ戻れる。
背後から連続した銃声が聞こえる。
振り返らない。
三番機の足元を見る。
残り五十メートル。
三十メートル。
十メートル。
『回収班、受け入れます!』
「三番機、左腕不能、左膝出力低下。歩行可能」
『引き継ぎます』
回収班の支援機が三番機の左側へ入った。
蒼真は腕を離す。
「帰ってください」
『お前もな』
「まだです」
リポルは上流へ向き直った。
戦況表示では、三浦機が中央で中型一体と交戦している。二番機と四番機は左右へ広がらず、互いの背を守れる距離まで寄っていた。
中型二体と小型四体が、その三機を囲もうとしている。
『橘、右後方へ戻れ』
神代の指示。
「了解」
リポルが走る。
林道の水たまりを踏み、泥を跳ね上げる。
距離が縮まるにつれ、戦闘音が大きくなった。
四番機が小型二体を射撃で止める。
二番機は槍で中型個体の正面を避けながら、三浦機の側面へ入らせない。
三浦機の長剣が、敵の前肢を断った。
中型個体が倒れる。
三浦は止めを刺さず、次の一体へ向きを変えた。
倒れた個体は四番機が引き受ける。
役割が次々に入れ替わる。
リポルが右後方へ到着した。
「戻りました」
『待ってた』
三浦の声が短く返る。
その直後、中型個体一体が二番機の槍を弾いた。
身体を低くし、三機の間を抜ける。
下流へ向かう。
『抜けた!』
「止めます」
リポルは林道の中央へ出た。
中型個体が加速する。
正面から止められる重量ではない。
蒼真は防盾を左へ傾け、敵の右肩へ狙いを定めた。
距離、二十メートル。
十メートル。
衝突の直前、リポルは左足を斜面側へ踏み込んだ。
盾の外側へ、敵の突起を滑らせる。
衝撃が右腕から肩へ抜けた。
足元の泥が崩れ、機体が川側へ押される。
止めない。
敵の力を横へ流す。
リポルは腰を回し、防盾を上流へ振った。
中型個体の頭部が下流から横へ向く。
前肢が林道を外れ、川岸の柔らかい土へ沈んだ。
巨体が傾く。
「今です」
『取る!』
二番機の槍が、敵の左脇へ入った。
突き刺すのではなく、柄を使って林道へ押し戻す。
中型個体が上流へ向きを変える。
三浦機が正面へ来た。
『離れろ』
「了解」
リポルは防盾を引き、下流へ二歩下がった。
三浦機の長剣が走る。
敵の頭部へ一撃。
避けようと上がった前肢へ二撃。
体勢を崩した首元へ三撃目が入る。
中型個体が林道へ落ちた。
三浦は止まらない。
長剣を引き抜きながら身体を回し、四番機へ向かっていた小型個体を横から切り払う。
『右、二』
四番機が叫ぶ。
『見えてる』
三浦機は小型一体を肩で弾き、もう一体へ長剣を突き込んだ。
二番機が中型個体の前肢を槍で押さえる。
四番機の射撃が、その胸部へ集中する。
リポルは戦列へ入らず、下流側を維持した。
一体でも抜ければ止める。
損傷機が出れば回収する。
それ以外は動かない。
目の前で三浦機の撃破数が増えていく。
一体を倒した直後には、すでに次の敵へ向いている。二番機と四番機も、三浦機が開けた位置へ攻撃を重ねる。
第一中隊は三機しかいない。
それでも、戦列が崩れない。
蒼真が三番機を回収したことで、二番機と四番機は前へ残れた。突破した敵はリポルが戻す。背後へ回る必要がないと分かっているため、三浦は正面から目を離さない。
『中型、残り一! 小型三!』
御堂の報告。
戦闘開始から、まだ十四分しか経っていなかった。
中型個体が斜面へ上がろうとする。
三浦機が追う。
『前進限界まで百二十』
御堂が告げる。
三浦は速度を落とさない。
『八十』
二番機と四番機も続く。
『五十』
蒼真は青い線からの距離を見た。
回収可能範囲の端が近い。
「三浦一尉、戻ってください」
『あと一体だ』
「範囲を出ます」
『倒せる』
「帰せなくなります」
三浦機の足が止まった。
中型個体は斜面へ入り、木々の向こうへ逃げていく。
三浦は長剣を構えたまま、その背を見ていた。
『三浦、後退』
神代の命令。
『……了解』
三浦機が下がる。
二番機と四番機も戦列を保ったまま後退を始めた。
残る小型三体は追ってこない。
中型個体のあとを追い、堰堤の上流へ姿を消した。
『敵性個体、討伐区域外へ後退』
御堂が全域を確認する。
『下流への流出、零』
神代が指示を出す。
『第一、青線まで後退。残敵を監視。橘、全機確認』
「了解」
リポルは後退してくる三機を見た。
三浦機。二番機。四番機。
大きな損傷は見えない。
「一番機、歩行」
『正常』
「二番機」
『正常。右肩に軽度損傷』
「四番機」
『正常。残弾三十二パーセント』
三番機は、すでに後方回収班へ渡している。
「第一中隊四機、帰還可能」
『討伐数』
御堂が記録を確認する。
『小型十二。中型三。残敵、小型三、中型一』
十九体のうち、十五体を停止。
戦闘時間、十六分四十二秒。
第一中隊は青線の後ろへ戻った。
残敵は上流へ退き、下流へ向かう反応はない。
『作戦終了。全機帰投』
神代の声が届いた。
蒼真は三浦機の右後方へリポルをつけた。
行きと同じ配置で、五機が谷を下る。
途中、三浦機の歩幅が僅かに遅くなり、リポルと並んだ。
『残しました』
「四体ですね」
『倒せたと思います』
「追ったら、回収できませんでした」
『分かっています』
三浦は少し間を置いた。
『止めてくれて、ありがとうございます』
「敵を?」
『俺をです』
蒼真は返事に迷った。
「神代隊長の指示です」
『その前に、橘さんが言ったでしょう』
「帰せなくなるので」
『はい』
三浦機が再び半歩前へ出た。
『全員で帰れます』
「それが評価です」
『そうですね』
谷の出口に、輸送車両と整備班が見えてきた。
その向こうの空は明るく、二十六キロ先の集落から煙が上がっている。
火事ではない。
朝食か、仕事のために焚かれた火なのだろう。
住民は、谷で戦闘があったことを知らない。
敵が近づいていたことも、十五体が停止され、四体が上流へ退いたことも知らないまま、いつもの朝を過ごしている。
蒼真は、それを自分が守ったとは思えなかった。
けれど、隣には三浦機がいる。
後ろには二番機と四番機。
先に帰った三番機も、後方回収地点にいる。
帰すと決めた四人は、全員帰る。
今は、それでよかった。
*
機体を降りた蒼真は、整備班の横に置かれた簡易椅子へ座った。
吐き気はない。
右肩と背中には、固定具が当たった鈍い痛みがある。それでも、前回の救助任務より身体への負担は軽かった。
牧野がリポルの損傷記録を確認し、蒼真の前へ来る。
「損傷率、八・六パーセントです」
「低いですね」
「前線へ出た機体の数字ではありません」
「戦闘へは一度しか入りませんでした」
「一度でも入っています」
牧野は防盾の表面を指した。
中型個体の突起が滑った場所に、深い傷が一本走っている。左腕にも小型個体の爪痕が残っていたが、駆動部への損傷はない。
「第一中隊は?」
「集計中です。ただ、三番機以外は自力で格納位置まで戻っています」
「三番機も歩けます」
「知っています。回収班へ渡した時の記録も見ました」
牧野は端末を閉じた。
「橘さん」
「はい」
「また、数字を出しましたね」
「まだ集計中では?」
「リポルの損傷率だけでも十分です」
蒼真は防盾の傷を見た。
「敵を一体も倒していません」
「その評価ではなかったでしょう」
「そうですが」
牧野は第一中隊の格納位置へ目を向けた。
三浦機が戻り、整備員たちが周囲へ集まっている。続いて二番機と四番機も入った。少し離れた場所には、左腕を吊った三番機が立っている。
「全機、帰ってきています」
「はい」
「なら、結果は出ています」
蒼真は端末を取り出した。
《任務終了。第一中隊四機、全機帰還。自分も怪我なし。リポルの損傷率は八・六パーセント。これから管理局へ戻る》
美咲へ送信する。
すぐに既読がついた。
《分かりました。みんなで待っています》
蒼真は返信を読み、画面を閉じた。
その時、第一中隊の記録担当者が三浦のもとへ走ってきた。
端末を見せながら、何かを伝えている。
三浦は画面を見たあと、驚いたようにリポルへ顔を向けた。
蒼真には、何を言われたのか聞こえなかった。
ただ、少し遅れて自分の端末にも、暫定評価が届いた。
《第一中隊平均損傷率 十二・四パーセント》
《中破一機、小破三機》
《全機帰還》
《討伐区域外流出 零》
《三浦直人 個人停止数 過去最高》
最後に、作戦時間が表示される。
過去の同規模任務平均と比べ、十一分三十六秒短縮。
蒼真は数字を見た。
自分がしたことは、突破した敵を二体戻し、損傷した三番機を一機帰しただけだった。
それでも、画面に並ぶ結果は、第一中隊がこれまで記録したどの同規模任務よりも良かった。
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