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第五十八話 返す相手

 休憩を終えて評価会議室へ戻ると、正面の画面から山間部の地形図が消えていた。

 代わりに表示されていたのは、九つの評価項目だった。

 第一中隊の平均損傷率。

 中破以上の機体数。

 損傷機の回収開始までに要する時間。

 全機帰還率。

 敵性個体の討伐区域外への流出数。

 リポルの損傷率。

 リポルによる直接戦闘の回数。

 第一中隊の行動変化。

 作戦終了までの時間。

 先ほどまで画面の上部にあった《撃破数》は外されている。

 蒼真が席へ戻ると、防衛局の担当者が資料を更新した。

「前進討伐任務における追加評価の目的を、第一中隊の戦闘効率向上から、部隊全体の損傷抑制と全機帰還へ変更します」

「作戦終了時間が残っています」

 蒼真が尋ねると、担当者は最後の項目を指した。

「戦闘時間が長引けば、損傷率が上がる可能性があります。ただし、短縮そのものを成功条件にはしません。時間を縮めるために危険な戦闘を行った場合は、失敗要因として評価します」

「第一中隊の行動変化は?」

「リポルがいることで、通常より危険な攻撃を選択していないか確認します。過去の同種任務と比較し、前進距離、攻撃継続時間、被弾回避行動を分析します」

 三浦が資料を開き、項目を上から順に確認した。

「俺たちが無理をした場合、橘さんではなく第一中隊側の減点ですか?」

「そうなります」

「リポルが回収することを前提に、損傷を許容した攻撃を行うことは禁止?」

「評価中は明確に禁止します」

 三浦は隣に座る第一中隊の記録担当者へ視線を向けた。相手が頷くと、資料へ承認を入れる。

 神代は別の項目を開いた。

「橘の戦闘参加条件を明確にしろ」

「リポルは敵性個体の撃破を目的とした攻撃を行いません。損傷機の回収、退路維持、敵性個体の突破阻止を担当します」

「突破阻止の範囲は?」

「第一中隊の戦列を抜け、討伐区域外へ向かう個体への防御行動です」

「三浦機が交戦中の敵へ、橘から近づくことは?」

「原則として行いません。三浦一尉または指揮官から支援要請があった場合に限り、敵の進路変更、拘束、姿勢制御を認めます」

 蒼真は《姿勢制御》という言葉を見た。

「敵の向きを変えたり、倒れないように支えたりすることですか?」

「後者は必要ありません」

 担当者が真顔で答えたため、会議室の端で小さな笑いが起きた。

「敵性個体の向きを変える、突進を逸らす、第一中隊が攻撃できる位置へ留める行動を指します」

「それは戦闘では?」

「防御支援として分類します」

「言い方を変えただけでは?」

「その面はあります」

 前にも似た返事を聞いた。

 蒼真は資料へ目を戻した。

 撃破を目的としなくても、敵へ触れれば攻撃を受ける。防御支援と呼ばれても危険は変わらない。

「戦闘参加回数が増えた場合は?」

「前線支援が救助と退路維持の範囲を越えたと判断し、配置を失敗と評価します」

「何回からですか?」

 担当者が一瞬言葉を止めた。

「状況によって異なります」

「それでは、現場で判断できません」

 蒼真が答えると、綾人も担当者を見た。

「回数だけで線を引くのは難しいでしょう。ただし、要請のない接触は零とできます」

「要請がなければ、敵へ近づかない?」

「突破個体への対応を除いては」

「通信が切れた場合は?」

「前線配置を解除する」

 神代が答えた。

「損傷機があれば回収し、なければリポル単独で後方待機線まで戻る。第一中隊を追わない」

「第一中隊が前へ進みすぎた場合は?」

「お前は進まない」

「支援範囲から出ても?」

「出た側を戻す」

 神代は三浦へ視線を向けた。

「第一中隊の前進限界は、リポルの回収可能範囲を基準に設定する。越えた場合は、橘ではなく第一中隊を後退させる」

 三浦は異議を唱えなかった。

「了解しました」

 担当者が地形の模式図を表示する。

 谷の入口から二キロ進んだ地点に、青い線が引かれた。

 リポルはそこから三百メートル以内を移動する。第一中隊も、敵を追って青い線から五百メートル以上離れてはならない。

 敵性個体がさらに奥へ退いた場合は、追撃せず、別任務として再編する。

「自分がいることで、第一中隊の行動範囲が狭くなりませんか?」

「狭くなります」

 三浦が答えた。

「それでも評価になりますか?」

「前進討伐は、どこまでも追う任務ではありません。決められた区域から敵を出さず、可能な範囲で停止させる。橘さんがいることで範囲を守れないなら、配置しない方がいいという結果になります」

「三浦一尉は、それでいいんですか?」

「いいですよ」

 三浦は地形図の青い線を指でなぞった。

「敵を追って部隊が分かれる方が危険です。普段は俺が止める側ですが、今回は橘さんがいるので、どこまで下がれば全員を回収できるかが分かりやすい」

 蒼真は三浦の顔を見た。

 前へ進むことを好む人だと思っていた。敵がいるなら追い、倒せるなら倒す。しかし、どこまでも追いたいわけではないらしい。

「敵を残して帰ることもあるんですか?」

「あります」

「倒せる場合でも?」

「追えば帰れなくなるなら」

 三浦は当然のように答えた。

「俺も、戦場で死にたいわけではありません」

 蒼真は少し驚いた。

「そう見えていましたか?」

「戦闘記録を見る限りでは」

「前にも同じことを言われましたね」

 三浦は苦笑した。

「敵を倒すことは好きです。自分が一番うまくできる仕事だとも思っています。でも、生きて帰らなければ次を止められない」

「何も起きない日を増やすため?」

「そうです」

 三浦は笑みを消し、蒼真を見た。

「それに、待っている人がいなくても、帰る理由はあります」

 蒼真は返事を止めた。

 三浦は独身だと言っていた。家で待つ妻や子どもはいないのかもしれない。それでも、帰る理由がないことにはならない。

 仲間がいる。次の任務がある。自分の人生もある。

 誰かに待たれている人だけが、帰るべき人なのではない。

「その四人を、自分が帰すんですね」

「俺たちも自分で帰ります」

 三浦は少しだけ口元を緩めた。

「橘さんには、帰れなくなりそうな時に手を貸してほしい」

「その方が分かりやすいです」

 会話を聞いていた神代が、机を指先で一度叩いた。

「分かりやすくなったところで、条件を確認する」

 画面へ、最終案が表示された。

 評価目的は、第一中隊の全機帰還と損傷抑制。

 リポルの個人撃破数は評価しない。

 リポルは、三浦機の右後方から損傷機回収と退路維持を担当する。

 敵性個体への接触は、突破阻止、指揮官または第一中隊からの支援要請、直接攻撃を受けた場合に限定する。

 通信断絶時は前線配置を解除する。

 第一中隊の行動範囲は、リポルの回収可能範囲内に制限する。

 リポルの存在を前提とした危険な攻撃を禁止する。

 評価はシミュレーション一回、実地一回。実地評価への参加は、シミュレーション結果を確認したあと、蒼真本人が改めて判断する。

 実地任務の内容を確認した段階でも、拒否できる。

「追加条件はあるか?」

 神代が蒼真へ尋ねた。

 蒼真は一つずつ読み返した。

 討伐前線へ置かれること自体への恐怖は消えない。

 目の前に民間人がいない場所で、敵と第一中隊だけを見ることにも、まだ違和感がある。

 しかし、自分へ求められているのは、敵を倒すことではない。第一中隊が帰れなくなりそうな時に手を貸し、部隊が戻れる場所を維持することだった。

「評価終了後、第一中隊だけでなく、自分も参加して運用を決めること」

「追加する」

「今回の結果が良くても、常設配置にはしないこと」

「任務ごとの限定運用とする」

「三浦一尉が別の中隊へ異動した場合や、神代隊長が指揮しない場合は、評価をそのまま使わないこと」

 担当者が顔を上げた。

「個人へ依存する条件になります」

「今の評価自体が、三浦一尉と自分の連携を調べるものではないんですか?」

 担当者は答える前に資料を見た。

 綾人が静かに口を開く。

「橘君の指摘が正しいでしょう。今回の試験で得られるのは、支援機を前線へ置く一般的な効果ではない。三浦一尉が率いる第一中隊と、橘君を乗せたリポルが同じ場所で動いた結果です」

「条件が変われば、再評価が必要ということですね」

「そうです」

 担当者が条件へ追加した。

 神代は最終案を確認し、蒼真へ向き直る。

「条件は確定した。シミュレーションへ参加するか?」

 蒼真は正面の画面を見た。

 まだ実地任務ではない。

 今回決めるのは、前進討伐区域を再現したシミュレーションへ参加するかどうかである。

 できなければ、実地へは進まない。

 できた場合も、結果と任務内容を見て、もう一度断ることができる。

「参加します」

「理由は?」

「第一中隊を帰す役割が、自分にできるかを確認するためです」

「何も起きなかった一日を守るためではない?」

 久賀が尋ねた。

「それは、まだ自分には分かりません」

 蒼真は正直に答えた。

「でも、第一中隊の四人が帰ることなら、目の前で確認できます」

 久賀は僅かに頷いた。

 参加予定者の欄へ、橘蒼真の名前が追加される。

 その横に、三浦直人をはじめとする第一中隊四名の名前も並んだ。

*

 その日の夕方、蒼真は条件をまとめた資料を持って帰宅した。

 夕食前の食卓では、結衣が自由研究の発表用原稿を声に出して読んでいた。

「人工知能は、人の仕事をすべて奪うものではありません。人工知能に任せる仕事と、人が続ける仕事を分けることが……」

 そこで蒼真が居間へ入ったため、結衣の声が止まる。

「おかえり」

「ただいま。続けていいよ」

「もう終わるところだったから」

 結衣は原稿を伏せた。

 美咲は台所で夕食の準備をしている。昴は床に紙製ノストスと玩具の車を並べ、一台ずつ機体の後ろへ置いていた。

「今日は、何の会議だったの?」

 結衣が資料を見た。

「この前の任務の評価と、次の試験の話」

「また試験?」

「まだシミュレーションだけ」

「今度は何を助けるの?」

 蒼真はすぐには答えられなかった。

 美咲が手を止め、こちらを見る。

「夕食のあとにする?」

「うん。先に食べよう」

 食事中は、結衣の自由研究の話をした。

 AIによってなくなる可能性がある仕事だけでなく、人が判断しなければならない仕事も書いたらしい。結衣はケアマネジャーの仕事が残る理由を説明しようとして、途中で蒼真の仕事ではないことに気づき、美咲へ話を振った。

「パパの仕事は、AIにできる?」

「記録や計算はできると思う」

「現場は?」

「一部はできる。危険な場所を見つけることも、避難経路を計算することも、人より速い」

「なら、パパは要らなくなる?」

「今のところは、ならないみたい」

「なんで?」

「AIが出した答えを、そのまま使っていいか決める人が必要だから」

 蒼真が答えると、美咲が鍋を運びながら笑った。

「それ、自由研究に入れたら?」

「パパを?」

「仕事の例として」

 結衣は少し考えたあと、原稿の余白へ何かを書き込んだ。

「名前は書かないからね」

「書かなくていいよ」

 夕食が終わり、昴が先に風呂へ入ったあと、蒼真は資料を食卓へ置いた。

 結衣も席へ残っている。

「今度の試験には、助ける作業員はいない」

 蒼真が説明を始めると、結衣の目が僅かに動いた。

「敵が町へ来る前に、山の中で第一中隊が倒す。その後ろへ、リポルを置く試験」

「誰もいないなら、パパは何するの?」

「第一中隊の機体が壊れたら回収する。敵が第一中隊を抜けたら、町の方へ行かないように止める。みんなが戻れる道を守る」

「モンスターを倒すの?」

「自分からは倒さない。頼まれた時に、向きを変えたり止めたりすることはある」

 結衣は資料の図を見た。

「それなら、この前と同じじゃない?」

「守る人が、その場にはいない」

「第一中隊の人がいるじゃん」

 結衣は簡単に答えた。

 蒼真は言葉を止めた。

「その人たちは、戦う人だよ」

「戦う人は助けなくていいの?」

「そういう意味じゃない」

「なら、パパはその人たちを助けるんでしょ?」

 中学生の結衣には、民間人と戦闘員の違いより、そこに人がいるかどうかの方が重要らしい。

 美咲は結衣の言葉を聞きながら、資料を一頁ずつ確認していた。

「蒼真が悩んでいるのは、第一中隊を助けることじゃないんでしょう?」

「うん」

「敵を倒すための任務へ、自分から行くこと?」

「そうだと思う」

 美咲は画面に表示された集落の印を見た。

「三浦さんは、何て言ったの?」

「敵が町へ着く前に倒せば、助けなければならない人を減らせる。町にいる人は、敵が来たことも知らないまま、いつもの一日を過ごせる。それを守るのが仕事だって」

「蒼真は?」

「理屈は分かる。でも、その人たちを自分が助けたとは思えない」

「思う必要はある?」

「分からない」

 美咲は資料から顔を上げた。

「蒼真は、助けたと思うために仕事をしてるの?」

「違うよ」

「なら、町の人に知られなくてもいいんじゃない?」

「それはいい。でも、自分が討伐前線へ行く理由になるかは別だと思う」

「第一中隊を帰すことは?」

「それは、理由になる」

 蒼真は資料の中に並ぶ四機を指した。

「三浦一尉たちは、今までも自分たちで帰っていた。でも、誰かが壊れると、残った機体が回収へ回る。その間に敵を止める機体が減って、戦いが長くなる。リポルが回収を担当すれば、ほかの機体は前を維持できる」

「その結果、敵を早く倒せる?」

「多分」

「蒼真は、敵を倒さない?」

「撃破数は評価に入らない。敵へ触る条件も決めた」

 美咲は条件をすべて読んだ。

 通信が切れれば戻る。第一中隊が支援範囲を出れば、蒼真が追うのではなく、第一中隊を戻す。リポルがいることを前提とした危険な攻撃は禁止。実地任務を聞いたあとでも拒否できる。

「今回は、まずシミュレーションだけなのね」

「うん」

「参加するって、もう答えた?」

「答えた」

「どうして?」

「第一中隊を帰す役割が、自分にできるか確認したいから」

 美咲は蒼真の顔を見た。

「必要だと言われたからじゃなくて?」

「条件が決まるまでは、参加を保留にしてもらった。条件を見て、自分で決めた」

「嫌じゃない?」

「嫌だよ」

「怖くない?」

「怖い」

「それでも行く?」

「シミュレーションには行く。実地は、結果と任務を見てから決める」

 美咲はすぐには答えなかった。

 反対したい気持ちと、蒼真が自分で決めたことを尊重したい気持ち。その両方が表情に現れているように見えた。

「分かりました」

 やがて、美咲は資料を閉じた。

「シミュレーションが終わったら、結果を全部話して」

「うん」

「実際の任務へ行く時は、また一緒に考える」

「うん」

「結衣は?」

 美咲が尋ねると、結衣は腕を組んで資料を見た。

「行ってほしくはないけど、第一中隊の人も帰らないといけないから」

「それだけ?」

「あと、町にモンスターが来ない方がいい」

「それはそうだね」

「でも、町の人はパパが守ったって知らないんでしょ?」

「知らないと思う」

「なら、パパも知らなくていいんじゃない?」

「何を?」

「誰を助けたか。第一中隊の人を帰して、モンスターが町へ来なかったら、それでいいじゃん」

 結衣は、そこで話が終わったように立ち上がった。

「お風呂入ってくる」

 居間を出ていく背中を見送り、美咲が小さく笑った。

「結衣の方が、割り切ってるね」

「中学生だから?」

「関係ないと思う」

 蒼真は資料を見た。

 誰を助けたか分からなくてもいい。

 助けたと思えなくてもいい。

 第一中隊を帰し、敵が町へ来なければ、それでいい。

 結衣の言葉は単純だったが、三浦の説明より、蒼真には近く感じられた。

「今、少し納得した?」

 美咲が尋ねる。

「少しだけ」

「三浦さんが聞いたら、複雑だろうね」

「結衣の説明の方が分かりやすかったって?」

「うん」

 蒼真は僅かに笑った。

「言わないでおく」

*

 前進討伐を想定したシミュレーションは、四日後に行われた。

 仮想区域は、緩やかな谷に沿って森が続く山間部だった。

 第一中隊の四機が谷の中央を進み、リポルは三浦機の右後方百二十メートルへ配置される。神代は後方指揮所から全体を監視し、第三中隊の御堂機が谷の斜面へ上がって死角を補う。

 敵性個体は、小型十二体、中型三体。

 民間人も、避難車両もない。

 開始から七分で第一中隊三番機が左脚を損傷した。

 リポルは戦列へ入らず、後退してくる三番機の左側へついた。敵の一体が追ってきたが、三浦機が正面へ入り、進路を止める。

 蒼真は三番機を後方待機線まで連れ帰り、再び回収位置へ戻った。

 その間、第一中隊は三機で戦列を維持した。

 十一分後、二番機の右腕が動かなくなる。

 今度は四番機が二番機を戦列から離し、リポルへ渡した。蒼真は二番機を回収しながら、残る二機へ退却経路を送った。

 第一中隊は敵を追わず、リポルの回収可能範囲まで後退した。

 そこで三浦機と四番機が中型個体を一体ずつ引き受け、リポルは二番機を安全線へ運んだ。

 二十四分後、残る二機も作戦区域から離脱した。

 敵性個体は、小型三体、中型一体が残った。

 すべてを倒してはいない。

 しかし、討伐区域の外へ出た個体は零。

 第一中隊四機、全機帰還。

 評価は成功と表示された。

 蒼真は敵を一体も倒していなかった。

 戦闘支援要請も、一度もなかった。

 それでも、作戦終了まで第一中隊の帰還経路は途切れなかった。

 シミュレーション終了後の評価室で、三浦は結果を見ながら腕を組んでいた。

「不満ですか?」

 蒼真が尋ねると、三浦は首を横へ振った。

「残り四体を倒せなかったことは、少し」

「不満なんですね」

「でも、追わない条件でした」

 三浦は画面へ表示された四機の帰還記録を見た。

「普段なら、三番機が損傷した時点で二番か四番を回収へ回します。その後、二番機も損傷すれば、俺と四番の二機で二機を守りながら下がる。敵へ向けられる機体がなくなります」

「今回は、自分が二機を回収した」

「はい。俺と四番は最後まで前を向けた」

「それでも、敵は残りました」

「全員で帰りました」

 三浦は自分に言い聞かせるように答えた。

「敵を残して帰る判断も、評価されるんですよね」

「自分に聞かれても」

「橘さんが止めた線なので」

「神代隊長が決めた線です」

「でも、橘さんがいなければ、あそこに線はありません」

 蒼真は地形図の青い線を見た。

 自分が第一中隊を止めたわけではない。

 ただ、リポルが回収できる範囲が決められ、その外へ出るなら支援できないと示されていた。三浦たちは、その線を越えずに戻った。

 いることで、前へ進ませるのではない。

 戻る場所を決める。

 それも前線支援の一つなのかもしれなかった。

 評価担当者が結果をまとめる。

「第一中隊の平均損傷率は二十八・一パーセント。過去の同条件平均より六・七ポイント低下。中破二機、小破二機。全機帰還。敵性個体の区域外流出は零」

「リポルは?」

「損傷率七・三パーセント。直接戦闘零。損傷機二機を回収しています」

 蒼真はリポルの損傷率を見た。

 七・三パーセント。

 平均より低い。

 だが、今回は敵の攻撃をほとんど受けていない。損傷の多くは、二機の回収時に生じた腕部と脚部への負荷だった。

「第一中隊の行動変化は?」

「過剰攻撃傾向は確認されません。むしろ、回収可能範囲を基準に後退判断が早くなっています」

 三浦が小さく息を吐いた。

「良い結果ですか?」

「評価上は」

「敵を四体残しても?」

「全機帰還と区域外流出零が成功条件です。全滅は条件に含まれません」

 三浦は納得しきれない顔をしていた。

 蒼真には、その表情が少し意外だった。

 自分が目の前の人を置いて帰れないように、三浦は目の前の敵を残して帰ることが難しいのだろう。

 役割は違っても、似ているところがある。

 神代が二人を見比べた。

「橘」

「はい」

「三浦が残敵を追おうとしたら、どうする」

「指示がなければ、追いません」

「三浦」

「戻ります」

「不満でも?」

「戻ります」

 神代は頷いた。

「なら、次は実地候補を探す。ただし、今日の結果だけで参加は決めない」

 蒼真へ視線が向く。

「候補任務の内容を確認してから、お前が決めろ」

「分かりました」

*

 候補任務が発生したのは、それから九日後だった。

 東部山岳防衛線、黒滝谷。

 無人観測機が、谷の上流から下流へ移動する敵性個体の群れを発見した。

 推定、小型十五体。

 中型四体。

 群れが谷を抜けた場合、二十六キロ先にある二つの集落へ到達する可能性がある。

 民間人の避難は、まだ開始されていない。

 第一中隊が谷の中で停止させれば、住民へ敵性個体の接近を知らせる必要もないと判断されている。

 任務予定は、三日後。

 第一中隊、出動可能。

 神代、指揮可能。

 リポルの回収可能範囲を確保できる地形。

 前進討伐評価の条件と一致。

 蒼真の端末へ、正式な説明通知が届いた。

《黒滝谷前進討伐任務。参加判断は、説明後でよい》

 画面には、谷の下流にある二つの集落が表示されている。

 そこに住む人たちは、まだ何も知らない。

 蒼真は通知を閉じず、しばらく集落の印を見ていた。

 誰を助けるのかは、分からない。

 それでも、帰す相手は分かっていた。


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