第五十五話 行くと決める
第三会議室の正面には、北西沿岸物流区の航空写真が表示されていた。
海岸線に沿って、長方形の倉庫が六棟並んでいる。敷地の南には大型車両用の正門、北には防潮管理道路へ抜ける保守門があり、倉庫の間を幅の広い搬送路が通っていた。
画面の右上には、撮影時刻が表示されている。
十五時二十二分。
つい三十分ほど前の映像だった。
上空から見る限り、施設に異常はない。倉庫の屋根も、敷地を囲む防護柵も壊れていない。正門近くの駐車場には、作業員が使用していた車が整然と並んでいる。
ただ、人の姿だけがなかった。
蒼真が第三会議室へ入ると、神代はすでに中央の席へ座っていた。向かいには防衛局の担当者、その隣には第一中隊の三浦がいる。壁際には久賀と御堂、安西も立っていた。
「橘二尉、座ってくれ」
担当者に促され、蒼真は神代の隣へ座った。
机上の端末へ、任務資料が送られてくる。
《北西沿岸物流区・第三防潮倉庫群 地下反応調査および作業員救助》
作戦開始予定は、翌朝七時三十分。
現時点で確認されている施設内作業員は四十三名。そのうち三十七名は第二倉庫の管理区画へ避難済み。残る六名は、第五倉庫の地下設備室へ取り残されている。
通信は維持されている。負傷者は一名。荷崩れによる左脚の負傷で、意識はある。
「警備隊が入っていないんですか?」
資料を読みながら蒼真が尋ねると、担当者は航空写真の西側を拡大した。
第二倉庫と第五倉庫の間を通る地面に、細い亀裂が何本も走っている。
「十五時四分、地下観測装置が複数の移動反応を検出しました。同時刻に第五倉庫地下で配管が破損し、床の一部が隆起しています。地上へ出た敵性個体は、まだ確認されていません」
「反応だけですか?」
「はい。推定は小型四体から七体。移動速度と振動波形は、これまで確認された地中移動型と一致しています」
画面へ地下の推定経路が重ねられる。
赤い線は第五倉庫の下から始まり、第二倉庫の方向へ伸びていた。途中で二つに分かれ、一方は北の保守門へ、もう一方は正門側へ向かっている。
「今夜のうちに出ない理由は?」
「地下設備室へ通じる通路の一部が浸水しています。施設側が排水を進めていますが、夜間は照明設備も不安定です。作業員は安全区画におり、通信も食料も確保されています。現場指揮は、夜間突入による危険の方が高いと判断しました」
蒼真は第五倉庫の断面図を開いた。
地下設備室は地下一階。外部へ通じる非常階段が東西に一つずつある。西階段は配管破損によって浸水し、東階段は荷崩れで塞がれていた。取り残された六名は、設備室北側の制御区画へ退避している。
「東階段の荷物は、作業員だけでは動かせない?」
「一部は可能ですが、負傷者を運びながら通れる幅を確保できません。明朝までに施設外から小型重機を入れ、地上側から撤去する予定です」
「敵性個体が地上へ出た場合、その重機と作業員が危険になります」
「そのため、第一中隊と第三中隊を配置します」
担当者が作戦図へ切り替えた。
第一中隊は第五倉庫の南側へ展開し、地上へ出た敵性個体を迎撃する。第三中隊は第二倉庫の避難者三十七名を正門から退避させながら、第五倉庫の救助通路を確保する。
御堂機は第三倉庫屋上の監視位置。安西機は小型重機と救急車両に随伴する。片瀬機は第二倉庫と正門の間を維持し、神代機は二つの区域が見える中央搬送路へ置かれる。
リポルの初期位置は、第一中隊の右後方。
第五倉庫の南東角だった。
蒼真は配置図を拡大した。
「ここから第二倉庫は見えません」
「御堂三尉が監視します」
「通信が切れた場合は?」
「リポルは前線配置を解除し、中央搬送路まで後退します。神代隊長または御堂三尉との通信が回復しない場合、従来の後方支援位置へ戻ります」
「第一中隊が交戦中でも?」
担当者が答える前に、三浦が口を開いた。
「戻ってください」
蒼真は三浦を見た。
三浦は机へ両腕を置き、配置図から目を逸らさなかった。
「通信が切れた状態で橘さんが前に残っても、こちらから支援を頼めません。橘さんも、俺たちが何をしようとしているか分からない。その状態では、近くにいる意味より、互いの動きを邪魔する危険の方が大きい」
「損傷機が出ていた場合は?」
「通信が切れる前に救助指示が出ていれば、その機体を連れて戻る。出ていなければ、第一中隊で対応します」
三浦の声に迷いはなかった。
シミュレーションの時にも、指示がなければ助けに来ないでほしいと言われた。あの時と同じように、蒼真が来ることを拒んでいるのではない。来ない場合も含め、自分たちの役割を成立させようとしている。
「分かりました」
蒼真は次に、地中反応の推定経路へ目を戻した。
「大型個体の可能性は?」
「現時点では確認されていません」
「確認されていない、というのは、いないという意味ですか?」
担当者の指が資料の上で止まった。
「大型個体に一致する反応は検出されていない、という意味です」
「検出範囲外にいる可能性は?」
「否定できません」
蒼真は航空写真の北側を指した。
保守門の先には、防潮管理道路が海岸線に沿って延びている。その外側は防潮林で、さらに北西には使われていない旧資材置場があった。
「地中反応の一つが、保守門の方向へ向かっています。施設から出たあと、旧資材置場の下へ移動すれば、観測範囲から外れませんか?」
御堂が手元の端末を操作した。航空写真の範囲が広がり、地下観測装置の位置が青い円で表示される。
旧資材置場の北半分だけ、円の外へ出ていた。
「外れます」
御堂が答える。
会議室の視線が画面へ集まった。
「北側へ追加の観測機を置けますか?」
蒼真が尋ねると、担当者は別の資料を開いた。
「移動式地中探査装置が一台あります。ただし、現場到着は明朝六時五十分の予定です」
「どこへ配置する予定でしたか?」
「正門付近です」
「北へ置いてください。正門側は施設の観測装置で見えています」
担当者は神代を見た。
神代は旧資材置場と第五倉庫の距離を確認し、短く頷いた。
「北へ回す。御堂の監視範囲にも入れろ」
「了解しました」
配置図へ移動式探査装置が追加される。
蒼真は、ほかに見落としているものがないか、正門から保守門までをもう一度見た。
避難経路は二つある。
第二倉庫の三十七名は正門から出る。第五倉庫の六名は、救助後、中央搬送路を通って正門へ運ぶ予定になっていた。
「保守門側へ救急車両は入れませんか?」
「道路幅はありますが、通常は施錠されています」
「鍵は?」
「施設管理者が保管しています」
「開けておいてください。中央搬送路が使えなくなった場合、第五倉庫から北へ出せます」
「保守門の外は防潮管理道路です。大型車両の通行には制限があります」
「救急車一台なら?」
担当者が施設図を確認する。
「可能です」
「なら、負傷者用の車両を北へ一台置いてください」
再び配置図が変わる。
正門だけに集められていた救急車両のうち一台が、保守門へ移された。
久賀が腕を組んだまま、蒼真を見た。
「ほかには?」
試すような声ではなかった。
参加を決めるために、必要なものをすべて出せという意味だった。
蒼真は第五倉庫の地下図へ戻った。
「負傷者の状態を、出発前にもう一度確認したいです。悪化しているなら、朝まで待たずに救助方法を変更する必要があります」
「施設の医療担当が一時間ごとに遠隔確認しています。記録を共有します」
「地上の作業員は、今夜中に全員退避させてください。明朝入るのは、救助作業に必要な人だけにする」
「すでにその予定です」
「小型重機の操縦者は?」
「施設側から二名です」
「交代要員まで入るんですか?」
担当者が資料を見直した。
「作業時間は三十分以内の見込みです。一名でも運用できます」
「なら、一名だけにしてください」
「了解しました」
会議室が静かになった。
配置図には、最初より多くの線と印が増えている。
北側の観測装置。保守門の救急車。予備退避路。現場へ入る作業員の削減。
蒼真は、それらがすべて反映されたことを確認した。
神代が尋ねる。
「この任務を、無理だと思うか?」
蒼真はすぐには答えなかった。
敵性個体は地中にいる。数も正確ではない。大型個体がいないと保証されたわけでもない。四十三名のうち六名は、自力で退避できない場所へ取り残されている。
安全な任務ではない。
しかし、危険がどこにあるかは見えている。見えない場所には観測装置を置き、退路は二つに分けた。前線と後方の役割も、シミュレーションで確認した形に近い。
「無理だとは思いません」
「参加するか?」
行きたいわけではない。
前線へ置かれることが嫌であることも変わっていない。
それでも、任務内容を聞く前から、自分が必要だから行くと決めていたわけではなかった。配置図を確認し、足りないものを加え、その結果として判断できる。
蒼真は神代の目を見た。
「参加します」
「理由を記録へ残す」
担当者が端末へ手を置いた。
蒼真は航空写真を見ながら答えた。
「前線配置の条件が満たされています。自分が拒否しても通常編成で任務を行えることも確認しました。そのうえで、第五倉庫の救助と第一中隊の支援を同時に行うには、リポルが前にいる意味があると思います」
「拒否感は?」
「あります」
「参加判断との矛盾は?」
「ありません。嫌ですが、条件を確認したうえで、自分で行くと決めました」
担当者が記録を確定する。
神代は立ち上がり、配置図の中央へ指を置いた。
「作戦指揮は俺が執る。御堂は第三倉庫屋上から全域監視。片瀬は第二倉庫の避難路。安西は第五倉庫の救助班。橘は第一中隊右後方から始める」
指が南から北へ動く。
「通信断絶時、橘は中央搬送路まで後退。御堂の監視が失われた場合も同じだ。救助指示が出ている機体があれば連れて戻れ。なければ、第一中隊へ任せる」
「了解」
「前線で大型反応を確認した場合は?」
三浦が尋ねる。
「第一中隊が正面を止める。リポルは救助班と避難車両の防護へ移る。大型個体の撃破支援には入れない」
「了解しました」
神代は全員の顔を見た。
「これは橘のための試験ではない。四十三名を帰す任務だ。評価の成立を優先するな」
誰も異議を唱えなかった。
「明朝五時四十分集合。六時出発。以上」
会議が終わる。
蒼真は席を立つ前に、美咲への連絡画面を開いた。
《任務の説明を受けた。北西沿岸物流区の倉庫で、作業員四十三名を救助する。条件を確認して、参加すると決めた。明朝六時出発。帰ってから詳しく話します》
送信ボタンを押す指は、少しだけ重かった。
それでも、誰かに決められた結果を報告している感覚ではなかった。
自分で見て、自分で条件を出し、自分で行くと決めた。
そのことまで、帰宅したら美咲へ話そうと思った。
*
家へ帰ると、夕食の匂いが玄関まで届いていた。
煮物の甘い匂いと、焼いた魚の香り。その中に、卵焼きの匂いも混じっている。
昴が居間から走ってきた。
「ぱぱ、おかえり!」
「ただいま」
蒼真の脚へ抱きついたあと、昴は顔を上げた。
「あした、りぽる?」
蒼真は一瞬だけ言葉を止めた。
「どうして分かったの?」
「まま、あまい」
昴が食卓を指差す。
皿の上には、少し濃い黄色の卵焼きが並んでいた。
ご褒美の甘い卵焼き。
出動前にも作るものになったらしい。
「まだ帰ってきてないけど」
「先に食べてもいいでしょう」
美咲が台所から顔を出した。
「おかえり。先に着替えてきて」
「話は?」
「ご飯を食べながら聞く」
「食事中に話していいの?」
「子どもたちも、もう知ってるから」
居間を見ると、結衣が食卓へ箸を並べていた。
蒼真と目が合うと、少しだけ口を尖らせる。
「明日なの?」
「うん。朝六時に出る」
「早いね」
「五時前には起きるよ」
「起こして」
「結衣は寝てていいよ」
「起こして」
同じ言葉を、今度は少し強く繰り返した。
「分かった」
蒼真が答えると、結衣は箸を置く作業へ戻った。
着替えを済ませ、家族四人で食卓を囲む。
昴は甘い卵焼きを最初に口へ入れ、頬を膨らませた。結衣は塩味の方を自分の前へ寄せている。美咲は二種類を別の皿へ盛っていたが、蒼真の前には甘い方だけが置かれていた。
「ご褒美は、帰ってからじゃなかった?」
「前払い」
「何の?」
「帰ってくる分」
美咲はそう答え、味噌汁へ口をつけた。
蒼真も卵焼きを一つ取った。甘さはいつもより少し強かった。
「任務の場所は、北西沿岸物流区の倉庫」
蒼真は、会議で確認した内容を家族へ説明した。
地中に小型の敵性個体がいること。作業員四十三名のうち、六名が地下へ取り残されていること。第一中隊と第三中隊が一緒に出ること。御堂が全体を監視し、神代が指揮すること。
北側の見えない場所へ観測装置を追加し、退路も二つにした。任務内容を見たうえで、無理ではないと判断した。
「大型はいないの?」
美咲が尋ねる。
「反応は出ていない。でも、絶対にいないとは言えない」
「出た場合は?」
「自分は戦闘支援から外れて、救助班と避難車両を守る。第一中隊が止める」
「蒼真が前へ出て戦うことはない?」
「大型個体の撃破には入らない。退路を塞がれたり、車両を守る必要があれば、間へ入ることはある」
美咲は頷かず、しばらく蒼真を見ていた。
「その条件で、行くと決めたのね」
「うん」
「必要だと言われたからじゃなくて?」
「自分が断っても、通常の編成で任務は行われる。それを確認した。配置も自分で見て、足りないと思ったものを追加してもらった。そのうえで決めた」
美咲の肩が僅かに下がった。
安心したわけではないだろう。ただ、昨夜決めた条件が、形だけではなく使われたことを確認できたのだと思う。
「分かりました」
「反対しない?」
「行ってほしくはないよ」
美咲はすぐに答えた。
「でも、蒼真が自分で決めたことは分かった」
「うん」
「だから、帰ってきて」
「帰ってくる」
「ぱぱ、かえる」
昴が卵焼きを持ったまま繰り返す。
「帰るよ」
「りぽるも?」
「一緒に帰す」
昴は満足したように卵焼きを口へ入れた。
結衣はしばらく黙って魚の身をほぐしていたが、箸を置いて蒼真を見る。
「パパが助ける人も、家に帰るんだよね」
「そうだね」
「その人たちの子どもも、待ってるかもしれない?」
「いるかもしれない」
「なら、行かないでとは言えないね」
結衣は大人びたことを言おうとしているように見えた。
蒼真は首を横へ振った。
「言っていいんだよ」
「でも、困るでしょ」
「困っても、結衣が思ったことは聞く」
結衣は蒼真の目を見たあと、少しだけ俯いた。
「行ってほしくない」
「うん」
「でも、助けて帰ってきて」
「分かった」
矛盾しているようで、矛盾していなかった。
美咲も同じことを言っていた。
行ってほしくない。
それでも行くと決めたなら、帰ってきてほしい。
どちらか一つに整理する必要はないのだろう。
夕食のあと、蒼真は端末と予備電源を確認し、翌朝の服を枕元へ置いた。美咲は弁当の準備を始め、結衣は目覚まし時計を五時へ合わせている。
昴だけは早起きする理由が分かっておらず、紙製ノストスを抱えたまま、いつもと同じ時間に眠った。
夜中、蒼真は一度だけ目を覚ました。
隣では美咲が眠っている。寝返りを打った手が、布団の上から蒼真の腕へ触れていた。
起こさないように、その手へ自分の手を重ねる。
怖くないわけではない。
行くと決めたことで、恐怖が消えるわけでもなかった。
それでも明日は、自分で決めた場所へ向かう。
蒼真は目を閉じた。
*
午前四時五十二分。
目覚ましが鳴る前に、蒼真は目を覚ました。
隣の美咲も、ほとんど同時に目を開ける。
「まだ鳴ってないよ」
「起きたから」
美咲は布団から出て、台所へ向かった。
蒼真が着替えを終え、端末の充電を確認していると、廊下から足音が聞こえた。
結衣が眠そうな顔で立っている。髪は片側だけ跳ね、目も完全には開いていない。
「起こすって言ったのに」
「まだ五時前だよ」
「起きた」
「自分で?」
「目覚まし鳴った」
結衣の部屋から、今になって小さな電子音が聞こえてきた。
「今、鳴ってるよ」
「先に起きた」
結衣は眠そうなまま居間へ向かった。
朝食は、おにぎりと味噌汁、昨夜の残りの卵焼きだった。
美咲が弁当を包み、蒼真の鞄へ入れる。
「終わったら連絡して」
「現場が落ち着いた時になると思う」
「それでいい」
「出発前にも連絡する」
「うん」
結衣は食卓へ頬杖をつき、何度も欠伸をしていた。それでも部屋へ戻ろうとはしない。
「もう出るよ」
蒼真が立ち上がると、結衣も椅子から降りた。
玄関までついてきて、曲がっていたネクタイを直す。
「昨日から準備してたのに、なんで曲がるの?」
「鏡では真っすぐに見えたんだけど」
「見えてないじゃん」
「誰かに見てもらう方がいいみたいだね」
蒼真が言うと、結衣は少しだけ笑った。
美咲も玄関へ来る。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
「帰ってきてね」
「帰ってくる」
寝室の方から、昴の泣き声が聞こえた。
話し声で目を覚ましたらしい。
美咲が迎えに行こうとしたが、その前に小さな足音が廊下を走ってきた。
昴は紙製ノストスを抱え、涙を浮かべたまま蒼真へぶつかった。
「ぱぱ、いく?」
「行ってくるよ」
「すばるも」
「昴はママと待ってて」
「いや」
昴の腕が蒼真の脚へ強く回る。
蒼真は膝をつき、同じ高さまで顔を下げた。
「パパは、仕事でみんなを帰してくる。昴は、ここでノストスと待ってて」
「りぽる?」
「リポルに乗る」
「ばんばん?」
「できればしない」
昴の後ろから、美咲が続けた。
「撃たなくていいようにお仕事するの。必要だったら撃つ。でも、パパもリポルも帰ってくる」
昴は涙の残った目で美咲を見てから、蒼真へ向き直った。
「かえる?」
「帰るよ」
「いっしょ?」
「リポルと一緒に帰る」
昴はしばらく蒼真を離さなかった。
やがて紙製ノストスを抱え直し、小さく頷く。
「まつ」
「お願いします」
蒼真は昴の頭を撫で、立ち上がった。
玄関を出る。
まだ日が昇りきっていない空は薄い青色で、道路には夜の冷たさが残っていた。
扉が閉じる直前、美咲と結衣、昴の姿が見えた。
家族に見送られて前線へ向かうことが、当たり前になってはいけない。
そう思いながら、蒼真は車へ乗り込んだ。
*
午前六時二分。
第三中隊の車列が管理局を出発した。
空は明るくなっていたが、低い雲が海側を覆っている。道路脇の建物が途切れるにつれ、潮を含んだ風が車体を揺らした。
蒼真は輸送車内で、現場から届く最新情報を確認していた。
地中反応は五つ。
夜間に一度、六つへ増えたが、同じ反応を二つの観測装置が重複して捉えた可能性が高い。現在は第五倉庫の地下に三つ、保守門から旧資材置場の間に二つ確認されている。
取り残された六名の状態に変化はない。負傷者の痛みは増しているが、意識と循環状態は安定。浸水は止まり、東階段の荷崩れも広がっていない。
「北側、増えていませんね」
向かいに座る御堂が画面を見た。
「今のところは」
「大型反応もない」
「探査装置が着くまで分かりません」
蒼真が答えると、御堂は僅かに笑った。
「橘さんらしいですね」
「何が?」
「大丈夫だとは、まだ言わないところが」
「現場を見ていないので」
「見たら言いますか?」
「見て、大丈夫なら」
御堂は笑ったまま、端末へ目を戻した。
神代は車両前方で通信系統を確認している。片瀬と安西は救助班の配置について話していた。会話は普段の出動時と変わらない。
誰も蒼真の実地評価について触れなかった。
今回の目的は試験ではなく、四十三名を帰すことだと、全員が理解している。
午前六時四十八分。
車列が北西沿岸物流区へ入った。
遠くに倉庫群の屋根が見える。海から吹く風に、防潮林の枝が同じ方向へ傾いていた。
正門前には消防車と救急車が並び、警戒線の外で施設責任者が待っている。作業員の家族らしい人影もあったが、管理局員に案内され、離れた待機場所へ移動していた。
車両を降りると、風の音の間に低い機械音が聞こえた。
移動式地中探査装置が、北側へ向かう管理道路を走っている。
「予定どおり北へ回しています」
現地担当者が報告した。
「保守門は?」
「開放済み。救急車一台を外側へ配置しました」
「地下の六名は?」
「通信維持。負傷者も変化ありません」
蒼真は正門の内側を見た。
倉庫の間を通る搬送路には、人の姿がない。昨日の航空写真と同じように、建物も車両も残っているのに、施設だけが止まって見える。
地面には、第五倉庫へ近づかないよう赤い警戒線が引かれていた。その先で舗装が僅かに盛り上がり、細い亀裂が第二倉庫の方向へ続いている。
蒼真はしゃがみ、亀裂の縁へ目を向けた。
新しく剥がれた舗装の断面は濡れていない。夜間に広がった形跡もなかった。
「地下反応は動いていますか?」
「午前五時以降、大きな移動はありません」
「大きな?」
「一メートル以内の変動はあります。位置誤差の可能性もあります」
蒼真が立ち上がると、神代が隣へ来た。
「現場を見た。判断は変わるか?」
蒼真は第五倉庫、北の保守門、正門前の救助車両を順に見た。
配置は会議で確認したとおりだった。北側の探査装置も、予備の救急車もある。作業員は必要な人数まで減らされている。
「変わりません。参加します」
「了解した」
神代はそれだけ答え、各隊へ展開を指示した。
格納輸送車の後部が開く。
曇った朝の光の中へ、紫色のリポルが姿を現した。
整備員の牧野が、機体の足元で最終確認をしている。蒼真に気づくと、工具を腰へ戻した。
「今回は前から始めるそうですね」
「右後方です」
「前は前です」
牧野はリポルの右腕へ装着された防盾を見上げた。
「盾は強化型へ替えています。前回のシミュレーションと違って、本物は壊れたら戻りません」
「分かっています」
「機体もです」
「はい」
「あなたもです」
蒼真が牧野を見ると、牧野は真っすぐにこちらを見返した。
「壊してもいいとは言いましたが、壊すために出したわけじゃありません。危なくなったら、評価より先に戻してください」
「神代隊長からも、評価を優先するなと言われています」
「隊長が言ったかどうかではなく、橘さんが分かっているか聞いています」
蒼真はリポルを見上げた。
前線へ出るための機体ではない。
救助し、退路を作り、人と機体を帰すための支援機である。その役割は、配置が前へ変わっても同じだった。
「危険だと判断したら戻します。評価は後です」
「なら、乗せます」
牧野が搭乗用リフトを起動する。
蒼真はリフトへ足をかけた。
上昇する途中、端末を取り出す。
《現場に到着した。参加する。これから乗る》
美咲へ送る。
すぐに返信が届いた。
《分かりました。待っています》
短い文章を確認し、端末を胸元へしまった。
操縦席へ入る。
固定具が肩と腰へ触れ、周囲の音が僅かに遠くなる。
主電源を入れると、暗かった画面へ施設の映像が広がった。
第一中隊の四機が第五倉庫南側へ向かっている。三浦機は列の中央。神代機は中央搬送路。御堂機は第三倉庫屋上へ上がり、安西機と片瀬機はそれぞれの救助位置へ移動していた。
『各機、通信確認』
神代の声。
『第一、良好』
『片瀬、良好』
『安西、良好』
『御堂、全域確認』
「リポル、良好」
『配置へ移動』
リポルが歩き出す。
実機の足が舗装へ触れるたび、仮想映像にはなかった重い振動が操縦席へ届いた。風が機体装甲を鳴らし、足元の小石が踏みしめられる音まで拾われる。
前方に第五倉庫。
右には第一中隊。
背後の中央搬送路では、小型重機が東階段へ向かう準備をしている。
蒼真は三浦機の右後方へリポルを止めた。
距離、二十二メートル。
前回の試験で指定された配置と、ほぼ同じだった。
しかし、目の前にある倉庫も、地面の亀裂も、今度は光の映像ではない。
失敗しても消えない。
やり直すこともできない。
『御堂、状況』
『全域に変化なし。第二倉庫、避難開始可能』
『片瀬、誘導開始』
『了解』
第二倉庫の扉が開き、作業員が二列になって出てくる。ヘルメットを被り、互いの肩へ手を置きながら正門へ向かっていた。
『安西、救助班を入れろ』
『了解。重機、前進』
小型重機が第五倉庫へ入る。
リポルは動かない。
前線の右後方で、第一中隊と救助通路の両方を見た。
地下探査の表示では、三つの反応が第五倉庫の下にある。北側の二つも、旧資材置場付近から動いていない。
一分。
二分。
作業員の列が正門へ近づく。
重機は東階段の荷物を一つずつ搬送路へ出していた。
何も起きない。
このまま全員を帰せるなら、それでいい。
評価のために敵が出る必要はない。
『地下反応、移動』
御堂の声が変わった。
蒼真の画面で、第五倉庫地下の三つの印が動き始める。
一つは東階段へ。
二つは、第一中隊が立つ南側へ向かっていた。
『第一、構え』
三浦機が長剣を抜く。
ほかの三機も間隔を広げ、第五倉庫の外壁へ向いた。
地面ではなく、倉庫の壁が内側から膨らんだ。
金属板を固定していた留め具が一つずつ弾ける。壁面が軋み、大きく前へ傾いた。
『来るぞ』
壁が破裂した。
折れた金属板と砂埃が、第一中隊へ降り注ぐ。
その奥から、黒い前肢が伸びた。
小型ではなかった。
倉庫の開口部を押し広げながら現れた頭部は、第一中隊の機体の胸元に届くほど大きい。
地下探査画面では、二つあった反応が一つに重なっている。
大型反応として検出されなかった理由を、蒼真は理解した。
一体ではない。
二体が、重なったまま移動していた。
先頭の中型個体の背へ、もう一体が張りついている。
『中型、二!』
三浦の声が飛ぶ。
一体目が地面へ降りた瞬間、その背から二体目が跳んだ。
第一中隊の頭上を越える。
狙いは戦闘機ではない。
東階段へ入った小型重機だった。
『橘!』
「行きます!」
リポルは、前線の右後方から初めて踏み出した。
面白いと思われたら、ブックマークして頂ければ幸いです。
また、いいね。評価もしていただけたら執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。
感想も頂けましたらありがたいです。
よろしくお願いします。




