第四十三話 リポル
北部第三交通結節点での出動から十二日後、ノストスはまだ第三格納庫の整備架台に立っていた。
損傷した牽引装置はすでに取り外され、新しい駆動部への交換が進んでいる。背部フレームに生じたわずかなずれも修正され、過熱した左脚は、関節部の部品を組み直せば動作確認へ入れるところまで来ていた。
大きな損傷ではなかったが、救助や牽引を担う機体である以上、少しの歪みを残したまま現場へ戻すことはできない。
蒼真は格納庫の前を通るたび、整備架台のノストスを見上げていた。
作業の邪魔をしないよう近づくことはなく、整備員へ進捗を尋ねることも控えている。牧野からは、予定どおりなら数日後には動作確認へ入れると聞いていた。
ノストスが使えない間、蒼真は第三中隊の支援担当として、出動記録の整理や退避計画の確認を行っている。緊急出動があった場合は、管理局の現地班と第三中隊をつなぐ後方支援へ回ることになっていた。
フレームワーカーへ乗らなくても、帰ってくる人を増やす仕事はできる。
蒼真はそう考えていたが、ノストスがまだ動けないことは、やはり気になった。
それを愛着と呼ぶのかどうかは、自分でも分からなかった。
*
午前十時を過ぎた頃、神代隊長から会議室へ来るよう連絡が入った。
端末に記載された用件は、《特別運用機登録搭乗者説明》となっている。
緊急性はなく、予定時間も一時間だけだった。
蒼真が会議室へ入ると、神代隊長のほかに、神代奈緒と新井田虎雄が座っていた。牧野も整備班の立会人として出席しており、机の中央には何冊かの資料と登録用の端末が置かれている。
「失礼します」
蒼真が空いている席へ座ると、奈緒が一冊の資料を差し出した。
表紙には、《特別運用機FW-X03リポル運用要綱》と記載されている。
「リポル?」
蒼真が読み上げると、新井田が頷いた。
「開発コード、ゴーストの正式名称です。実証検査が終わり、正式運用へ移ることになったため、機体名が付けられました」
「正式運用が決まったんですか?」
「先週、関連予算と運用案が議会を通過しました」
奈緒の説明は、それだけだった。
どのような議論があり、誰が賛成し、誰が反対したのかについて、資料には書かれていない。蒼真も聞かなかった。必要な手続きを経て決まったのであれば、現場で働く自分が知るべきなのは、これから何を求められるのかだった。
神代隊長が資料を開いた。
「リポルは、第三中隊へ配備される」
「第三中隊が受領するんですね」
「そうだ。機体の管理は中隊と整備班が行う。お前個人へ貸与されるものではない」
「分かりました」
蒼真は資料の最初のページへ目を通した。
リポルは一般部隊への配備を前提とした量産機ではなく、特別運用機に分類されている。機体の反応速度と接続感度が通常の安全基準を超えているため、規定された操縦適性を持つ者以外の搭乗は認められない。
「特異操縦適性というのは、ゴーストの検査結果ですか?」
「それだけではありません」
奈緒が答えた。
「ノストスによる支援記録、標準型前衛機での適性検査、ゴーストで行った二度の検査を基に、新しい登録基準が作られました。機体との接続状態だけではなく、反応速度や精密操作、複数の状況へ同時に対応する能力も含まれています」
「その基準を満たした人が、登録搭乗者になるんですね」
「はい。リポルへ乗るためには、軍の操縦資格とは別に登録が必要です」
蒼真はそこで、机の上にある端末を見た。
今日ここへ呼ばれた理由を、ようやく理解したらしい。
「自分が登録手続きをするんですか?」
神代隊長が頷く。
「現在、基準を満たしているのはお前だけだ」
「ほかにはいないんですか?」
「過去にゴーストへ乗った評価搭乗者も再判定されましたが、登録基準には届きませんでした」
新井田が補足する。
「今後、別の候補者が見つかれば検査を行います。基準を満たせば、登録搭乗者として追加することは可能です」
「なら、リポルは自分の専用機というわけではないんですね」
会議室に短い沈黙が落ちた。
制度上は、そのとおりである。
リポルの所有者は軍であり、配備先は第三中隊となる。橘蒼真個人のために保有される機体ではなく、特異操縦適性を持つ者が運用する特別機だった。
ただし、現時点で適性を認められているのは蒼真一人しかいない。
神代隊長は、嘘を言わなかった。
「規定上は専用機ではない」
「分かりました」
蒼真は、それで納得した。
第三中隊が新しい機体を受領し、自分は現在唯一の登録搭乗者になる。今後、同じ基準を満たす者が現れれば、その人も乗ることができる。
本人の中では、それ以上でも、それ以下でもなかった。
奈緒は、蒼真の認識を訂正しなかった。
「登録搭乗者になると、任務内容に応じてリポルへ搭乗することになります。ただし、橘さんは現在の所属と職務を維持します。第三中隊の現場支援隊員であることに変わりはありません」
「常にリポルへ乗るわけではないんですね」
「任務による」
神代隊長が答える。
「救助、牽引、復興現場の支援では、ノストスを使う。敵性個体の出現が確認され、前衛での対応が必要な任務では、リポルを優先する場合がある」
「ノストスの方が適していると思った場合は、意見を言えますか?」
「言える。ただし、最終的な機体配置は指揮官が決める」
「分かりました」
前衛機へ乗ることへの抵抗は残っている。
それでも、リポルの登録搭乗者になったからといって、ノストスから降ろされるわけではない。そのことを確認できただけで、蒼真は少し安心した。
牧野は、その表情を見ていた。
「ノストスの修理は、もうすぐ終わります。脚部を組み直した後、動作確認に問題がなければ現場へ戻せますよ」
「自分も、また乗れますか?」
「もちろんです。ノストスは第三中隊の支援機として残りますから」
「良かった」
リポルの正式採用を聞いた時よりも、蒼真の反応は分かりやすかった。
新井田は少しだけ苦笑する。
「リポルも、悪い機体ではありませんよ」
「動かしやすいとは思います」
「それだけですか?」
「救助装備が少ないので」
「戦闘特化機ですからね」
「ノストスと同じ装備を載せることはできないんですか?」
新井田は、整備担当である牧野へ視線を向けた。
「簡易救助装備と牽引索は追加できます」
牧野は資料を開き、リポルの改修箇所を表示した。
「ただし、ノストスと同じ数の補助アームや牽引装置を載せると、リポルの重量配分が変わります。反応速度や運動性能を損なう可能性があるため、同じ構成にはできません」
「そうですか」
蒼真は残念そうだった。
「でも、牽引索はあるんですよね?」
「はい。検査で使ったものを実戦用に強化しました。前腕部にも、救助対象者を傷つけないための出力制御を追加しています」
「なら、戦う以外にも使えますね」
「使うつもりなんですか?」
新井田が尋ねると、蒼真は当然のように答えた。
「必要なら」
奈緒は黙ったまま、そのやり取りを聞いていた。
殲滅を目的として開発された機体へ、正式運用の段階で救助用の出力制御が追加された。開発当初には想定されていなかった変更だが、橘蒼真を登録搭乗者にする以上、不要だと言い切れる者はいなかった。
「リポルという名前には、どういう意味があるんですか?」
蒼真が聞く。
新井田が説明する。
「フィリピン語に由来しています。殲滅、破壊、一掃という意味です」
蒼真の眉がわずかに寄った。
「物騒ですね」
「モンスターを倒すために開発された機体ですから」
「倒さずに済む時もあると思います」
新井田は返答に困り、奈緒を見た。
奈緒は助けなかった。
「正式名称は変わりません」
「分かっています。名前を変えてほしいと言ったわけではありません」
蒼真は資料へ視線を戻した。
リポルがどのような名前であっても、任務の目的まで機体名によって決まるわけではない。倒す必要があれば戦う。倒さずに人を帰せるなら、そちらを選ぶ。
その点も、ノストスに乗っていた時と変わらなかった。
神代隊長が登録端末を蒼真の前へ置いた。
表示されているのは、機体を受領するための書類ではない。特別運用機へ搭乗する際の規則と、身体情報の利用、操縦記録の保存に関する説明を確認したことを証明する登録手続きだった。
蒼真は内容を最後まで読み、分からない箇所を二つ質問した。
一つは、緊急時にリポルへ乗るかどうかを誰が決めるのか。もう一つは、自分が搭乗できない時に、ほかの隊員が代わりに乗る可能性があるのかだった。
「搭乗を決めるのは、任務の指揮官です。ただし、橘さんの身体状態に問題がある場合は、整備班と医療担当者が停止を求められます」
奈緒が答える。
「橘さんが搭乗できない場合、現在はリポルも出撃しません。未登録者を緊急搭乗させることは、規則上認められていません」
「第三中隊に機体はあるけど、自分がいないと使えないんですね」
「現時点では、そうなります」
「もったいないですね」
蒼真の感想は、それだけだった。
専用機を与えられたとは考えない。
登録者が一人しかいないため、運用できる機会が限られている。そのことを、設備の稼働率が低いのと同じように、もったいないと思っている。
説明を聞き終えた蒼真は、端末の確認欄へ署名した。
《FW-X03リポル登録搭乗者 橘蒼真》
登録されたのは人間であり、機体を受領したわけではない。
手続きを確認した神代隊長が、端末を閉じた。
「登録は完了だ。明日から、リポルの実機訓練へ入る」
「ノストスの動作確認は?」
「そちらも参加してもらいます」
「両方ですか?」
「両方だ」
蒼真は少し嫌そうな顔をした。
「仕事が増えていませんか?」
「増えたな」
否定されなかった。
*
説明が終わった後、蒼真は新井田へ確認した。
「これで、適性検査は全部終わったんですよね?」
新井田は一瞬黙り、それから頷いた。
「はい。私が担当する検査は、すべて終了です」
「良かったです」
「そこまで安心されると、少し複雑ですね」
「検査は終わるためにするものでは?」
「そのとおりです」
反論できず、新井田は笑った。
「これで私の担当も終わります。今後の調整は、開発班と第三中隊の整備班が引き継ぎます」
「ありがとうございました」
蒼真は素直に頭を下げた。
新井田は、標準型前衛機では測れなかった蒼真の能力を、そのまま測定不能として終わらせなかった。過去の資料からゴーストを探し出し、最後には蝶々結びまでさせて、適性検査を完了した。
その結果、リポルは正式運用へ移り、蒼真は唯一の登録搭乗者になった。
それが蒼真にとって良い結果だったのか、新井田にも分からない。
ただし、検査員として与えられた仕事は終わった。
「もう会わないというわけではありません」
新井田が続ける。
「リポルの運用記録は、中央訓練評価施設にも送られます。設備や制御系統に確認が必要になれば、基地へ来ることもあります」
「検査ではないんですよね?」
「おそらく」
「おそらく?」
「世の中に絶対はありません」
蒼真は、分かりやすく嫌そうな顔をした。
その表情を見て、新井田は初めて声を上げて笑った。
*
新井田と奈緒が会議室を出た後、牧野は蒼真を第三格納庫の奥へ案内した。
普段は大型の整備隔壁で仕切られている区画で、第三中隊が受領したリポルの最終調整が行われている。蒼真が来たのは、自分の機体を受け取るためではない。登録搭乗者として、実機へ施された改修と安全装置を確認するためだった。
牧野が操作盤に触れると、整備隔壁がゆっくりと左右へ開いた。
その向こうに立っていたのは、検査時に見た黒いゴーストではなかった。
深い紫色の装甲が、格納庫の照明を鈍く反射している。角度によっては黒に近く見えるが、肩や胸部の曲面には濃い紫が浮かんでいた。
肩から前腕へ黄色い識別線が伸び、胸部と腰部にも同じ色が入っている。膝から足首まで続く黄色いラインによって、暗い場所でも機体の手足がどの位置にあるのか判別できるようになっていた。
牽引索の射出口と救助時に使用する固定部は、ほかの場所より広く黄色く塗られている。
蒼真は隔壁の前で足を止めた。
「紫になったんですね」
「正式運用に合わせて、外装と塗装を仕上げました」
牧野もリポルを見上げる。
「検査時に黒く見えていたのは、開発中の保護塗装です。正式外装には耐熱性と放熱性を持つ被膜が使われていて、その素材が深い紫色になります。上から別の色を重ねることもできますが、塗膜を増やすと放熱効率へ影響するため、この色をそのまま使っています」
「黄色は、救助用ですか?」
「はい。部隊識別と、煙や暗闇の中での視認性を確保するためです。腕や脚の位置が分かれば、救助される側も機体へ近づきやすくなります」
蒼真は、紫色の装甲を横切る黄色い線を目で追った。
「かなり目立ちませんか?」
「見つけてもらうための色ですから」
「前衛機ですよね?」
「橘さんが登録搭乗者でもあります」
牧野は穏やかに答えた。
蒼真がリポルへ乗れば、敵を倒すだけでは終わらない。負傷者を運び、損傷した僚機を引き、逃げ遅れた人間へ手を伸ばそうとする。
それなら、救助される側から見つけやすい機体である方がいい。
「塗装は第三中隊が決めたんですか?」
「基本案は開発班です。黄色の識別範囲は、私たち整備班と神代隊長で調整しました」
「自分の意見は聞かれていませんけど」
「機体を受領したのは第三中隊ですから」
「そうでした」
蒼真は、あっさり納得した。
自分は登録搭乗者であり、機体の所有者ではない。配備を受けた第三中隊と、管理を担当する整備班が必要な塗装を決めたのであれば、それで問題はなかった。
「気に入りませんか?」
「嫌いではありません。でも、戦場では目立つと思います」
「裏エースさんが、今さら何を言っているんですか?」
「それは非公式の呼び方です」
「リポルは正式名称ですよ」
「そちらではなく、裏エースの方です」
蒼真が真面目に訂正すると、牧野は小さく笑った。
「では、実機の確認を始めましょう。操縦席の緊急停止装置と、救助用の出力制御から説明します」
蒼真はリポルの足元へ向かった。
殲滅を意味する名前を持つ、紫と黄色の前衛機。
第三中隊が受領し、特別な適性を持つ者だけが乗る機体。今のところ、自分以外に登録者はいない。
客観的に見れば、完全な専用機だった。
それでも蒼真にとっては、第三中隊へ新しく配備された機体に、自分が担当者として登録されただけだった。
*
その夜、夕食を終えた蒼真は、家族へリポルの機体図を見せた。
端末へ表示された紫と黄色の機体を見て、結衣が最初に口を開く。
「悪役みたい」
「やっぱり、そう見える?」
「紫と黄色だよ。強そうだけど、味方っぽくはない」
「黄色いところは、救助の時に見つけやすくするためだって」
「じゃあ、腕だけ黄色でよかったんじゃない?」
「暗いところでは脚の位置も分かった方がいいらしい」
「どこにいるか、すぐ見つかりそう」
「目立つよね」
蒼真も同じことを思っていた。
美咲は端末を受け取り、機体図を拡大した。
「ずいぶん細い機体ね」
「ノストスより軽いよ」
「これが、正式採用されたの?」
「うん。第三中隊へ配備される。自分は登録搭乗者になった」
「ほかに乗る人は?」
「今はいないけど、適性を持つ人が見つかれば増えるらしい」
「では、今のところはあなたしか乗れないのね」
「そうなる」
美咲は何か言いたそうな顔をしたが、蒼真が専用機だと思っていないことには触れなかった。
「名前は?」
「リポル」
「どういう意味?」
蒼真は少し答えにくそうにした。
「殲滅とか、破壊という意味らしい」
「あなたに合わない名前ね」
「自分もそう思う」
「それでも乗るの?」
「必要な任務では」
その会話を聞いていた昴が、美咲の隣へ来て端末を覗き込んだ。
「のすとすは?」
「ノストスも、もうすぐ直るよ」
「ぱぱ、のる?」
「乗るよ」
「こっちは?」
昴が紫の機体を指差す。
「リポル。お父さんが乗ることもある」
「りぽる?」
「うん」
昴は紙のノストスを持ってきて、端末の横へ置いた。白と灰色の紙の機体と、画面の中に立つ紫と黄色のリポルを見比べる。
「のすとすがいい」
「お父さんも、ノストスの方が好きだよ」
「じゃあ、のすとす」
「でも、リポルに乗らないといけない時もあるんだって」
昴は納得していない様子で、紫の機体を見つめていた。
しばらくして、画面へ指を触れる。
「りぽるも、かえる?」
「帰るよ」
「ぱぱと?」
「一緒に帰る」
「のすとすも?」
「ノストスも帰るよ」
昴は紙のノストスを端末へ少し近づけた。
「じゃあ、いっしょ」
何が一緒なのか、蒼真には分からなかった。
同じ部隊の機体という意味かもしれない。父親を家へ連れて帰る機体という意味かもしれない。
昴にとって大切なのは、正式名称でも、機体の分類でもなかった。父親と一緒に帰ってくるのなら、それでいい。
「そうだね。一緒だよ」
蒼真が答えると、昴はようやく納得したようだった。
「むらさき」
「紫だね」
「きいろもいる」
「暗いところでも見つけられるようにするんだって」
「すばる、みつける」
「見つけてくれる?」
「うん!」
昴は紙のノストスを抱えたまま、何度もリポルの機体図を見た。
「これも、つくる」
「紙で?」
「うん」
「紫の厚紙がいるね」
「きいろも」
「明日、買いに行こうか」
「いく!」
話は機体から、明日の買い物へ変わった。
どの店なら紫の厚紙があるか。黄色い部分は紙を切るより、テープを貼った方が作りやすいのではないか。結衣まで口を挟み、美咲は夕食を片付けながら、必要な材料をメモしている。
蒼真は端末を閉じた。
第三中隊が、新しい特別運用機を受領した。
自分は、その機体へ乗る資格を持つ最初の登録搭乗者になった。
現在は一人しかいないが、今後、同じ適性を持つ者が現れる可能性はある。だから蒼真は、リポルを自分だけの機体だとは考えていなかった。
明日になれば、昴と一緒に紫の厚紙を買いに行く。
橘家では、そちらの方が大きな予定だった。
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第四十三話 終
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