第四十四話 二機分
五月二十二日。
朝。
蒼真が第三中隊の格納庫へ入ると、整備架台に固定されたノストスが最初に目に入った。
右肩を覆っていた作業足場は撤去され、爪痕の残っていた装甲も新しいものへ交換されている。周囲の装甲よりわずかに色が明るく、そこだけ新しくなったことは分かるものの、機体そのものは蒼真が見慣れた姿へ戻っていた。
太い脚部。作業用の補助腕。背中に収められた二基の牽引装置。
戦うために作られた機体ではない。
けれど、戦いが起きた場所から人を帰すために必要なものは、一通り備えている。
蒼真が格納庫の入口で立ち止まっていると、右脚の点検口から牧野が顔を出した。
「おはようございます、橘さん」
「おはようございます」
「ちょうどよかったです。少し動かしていただけますか?」
「修理は終わったんですか」
「修理そのものは終わっています。右肩の外装も、牽引装置も問題ありません。ただ、最終確認だけは橘さんにお願いしたいんです」
牧野は点検口から降りると、手にしていた端末を操作した。ノストスの全身図が表示され、交換された部品と調整された箇所が青く示される。
高架道路でバスを支えた際、右肩だけでなく、腰部と両脚にもかなりの負荷がかかっていたらしい。外から見れば軽微な損傷だったが、姿勢制御系には細かなずれが残っていた。
「部品の交換だけなら昨日のうちに終わっていました。ただ、こちらの調整に時間がかかりまして」
牧野が画面を切り替える。
表示された線は、整備前と整備後の操縦補正を比較したものだった。蒼真には数値の意味までは分からなかったが、二本の線がほとんど重なっていることは分かる。
「元に戻したんですよね?」
「機械的には戻しました。ただ、制御系は元に戻していません」
「どういう意味ですか?」
「ノストスが学習した、橘さんの操縦傾向を残しています」
牧野はそう答えると、少し困ったように笑った。
「正確には、残さざるを得なかった、ですけれど」
蒼真はもう一度、端末の画面を見た。
「問題があるんですか?」
「橘さんが使う分にはありません。むしろ、以前より反応は良くなっています」
「では、誰が使ってもよくなったということですか?」
「反対です」
牧野は柔らかな口調のまま、はっきりと否定した。
「現在のノストスは、橘さん以外が動かすと補正が合いません。訓練で使うだけなら問題ありませんが、現場での運用を認められる状態ではなくなっています」
「前は、ほかの人も動かせましたよね」
「はい。もともとは支援隊員制度の標準機として、複数の搭乗者が扱えるように設計されています。ただ、現場での学習を重ねるうちに、橘さんの入力を基準にするようになってしまいました」
「初期化はできないんですか?」
「できます」
牧野はすぐに答えた。
「学習記録をすべて消去して、出荷時の制御へ戻せば、ほかの人でも扱えるようになります」
「では、その方がいいと思います」
蒼真がそう言うと、牧野は驚かなかった。予想していたらしく、わずかに眉尻を下げただけだった。
「そうおっしゃると思いました」
「ノストスを使える人が自分だけでは、支援機として不便です。必要な現場が重なったら、一方にしか出せません」
「それも検討しました。ただ、今回は学習記録を残すことになりました」
「どうしてですか?」
「ノストスが記録しているのは、単なる操縦の癖ではないからです」
牧野は、画面に高架道路での記録を表示した。
バスの車体を支えた時の出力配分。牽引装置を一基だけ外し、安西機を引き上げた時の重心移動。装置が過熱したあと、脚部と機体そのものを使って荷重を受けた時の姿勢制御。
どれも、ノストスの設計時には想定されていなかった動きだった。
「橘さんは、その場にあるものを見て、必要な役割を決めます。ノストスは、その判断に追従するための補正を積み重ねてきました。これを消してしまうと、同じ状態へ戻すのにどれだけかかるか分かりません」
「でも、自分以外は使いにくい」
「はい」
「支援機なのに?」
「支援機だからこそ、です」
牧野はノストスを見上げた。
「戦闘型であれば、求められる動きはある程度限定できます。速く移動し、敵を捉え、武器を当てる。もちろん、それだけではありませんけれど、目的は明確です」
牧野の視線が、ノストスの背中にある牽引装置へ移った。
「支援機は違います。何を助けるのか、現場へ着くまで分かりません。人かもしれない。車両かもしれない。建物かもしれないし、損傷した僚機かもしれません。そのたびに違う動きを要求されます」
「それを、自分に合わせて覚えた?」
「そういうことです」
牧野は端末を閉じた。
「現在のノストスは、橘さんが現場で行ってきた判断を、機体の側から支えられる状態になっています。初期化して誰でも乗れる機体へ戻すより、この状態を保存した方が、現場での価値が高いと判断されました」
蒼真は納得できないまま、ノストスを見上げた。
使える人が多い方が、運用できる場所も増える。助けられる人も多くなるはずだった。
しかし、牧野の話が正しいのなら、初期化したノストスでは、今までと同じ救助ができなくなる可能性がある。
「学習記録を複製することはできませんか?」
「試しています。ただ、別の機体へ移しても、搭乗者の入力と一致しなければ補正が過剰に働きます。橘さんにとって自然な制御が、ほかの方には先回りしすぎるんです」
「自分は、普通に動かしているだけです」
「そうですね」
牧野は穏やかに頷いた。
否定はしなかった。
けれど、その返事が同意ではないことは、蒼真にも分かった。
「当面、ノストスの現場運用者は橘さんだけになります。ほかの支援隊員候補には、別の機体を使って訓練を続けてもらいます」
「当面ですか?」
「適性の合う方が見つかるか、学習内容を一般化できるまでは」
「分かりました」
それならば、いずれはほかの人も乗れるようになる。
蒼真はそう理解した。
「では、確認をお願いします」
牧野に促され、蒼真は搭乗用の昇降機へ向かった。
背後で牧野が小さく息を吐いたことには気づかなかった。
*
午前中は、ノストスの機能確認に使われた。
格納庫の外に設けられた試験区域で歩行を始めると、蒼真はすぐに以前との違いを感じた。
右足を踏み出した時の重さがない。旋回へ入る直前の重心移動も、蒼真が意識して操作するよりわずかに早く始まる。
機体が勝手に動いているわけではない。
蒼真が次に何をしようとしているのか、ノストスが知っているように感じられた。
「右肩はどうですか?」
牧野の声が通信から聞こえる。
「問題ありません。補助アームを展開します」
蒼真が入力すると、背部に収納されていた補助アームが滑らかに展開した。地面へ置かれた試験用の瓦礫を掴み、指定された場所へ移す。
一つ目はコンクリート片。
二つ目は変形した鉄骨。
三つ目は、人間を模した救助訓練用の人形だった。
人形の右腕には負傷を示す赤い帯が巻かれている。蒼真は胸部を圧迫しないよう補助アームの角度を変え、本体の左腕を背中へ添えて持ち上げた。
「圧力、規定値内です」
「移送します」
ノストスは人形を抱えたまま歩き、救護区域に設置された担架へ降ろした。
機体が大きくなればなるほど、人間一人を扱う動作は難しくなる。持ち上げるだけなら簡単だが、負傷者を増やさずに運ぶには、機体の重量と力を細かく制御しなければならない。
以前は、補助アームの圧力を表示で確かめながら何度か調整していた。
今日は、最初から適切な位置で止まった。
「終了です」
牧野の声が聞こえた。
「もう一体あります」
「それは次の試験用です」
「運んでおいた方が早くないですか?」
短い沈黙のあと、牧野が答えた。
「では、お願いします」
蒼真は試験区域の端に残っていた人形も拾い上げ、担架の隣へ運んだ。
格納庫へ戻ると、牧野と数人の整備員が記録を確認していた。
「何か問題がありましたか?」
蒼真が尋ねると、牧野は首を横へ振った。
「ありません。ありませんから、確認が早く終わりました」
「よかったです」
「本当に、そうですね」
牧野は笑っていたが、周囲の整備員たちは難しい顔で画面を見つめている。
蒼真は邪魔をしない方がいいと思い、着替えのために控室へ向かった。
*
午後からは、リポルと第三中隊の連携訓練が行われた。
深い紫色の装甲に、救助区域を示す黄色い線が走っている。格納庫の中ではまだ新しい機体に見えたが、屋外へ出ると印象が変わった。
日陰に入った紫色の装甲は輪郭が見えにくくなる。その一方で、肩や胸部、四肢に引かれた黄色い線だけが妙に鮮明に浮かんでいた。
片瀬は自機の足元からリポルを見上げ、率直に言った。
「やっぱり、不気味ですね」
「正式採用された機体です」
蒼真が答える。
「性能の話ではありません。見た目の話です」
「視認性は高いそうです」
「黄色い線だけは見失わないでしょうね」
隣にいた安西もリポルを見上げた。
「暗いところで、線だけ動いて見えそうだな」
「救助対象から見つけやすいなら、その方がいいと思います」
「橘さんが言うと、全部正しい使い方に聞こえるんですよ」
片瀬が苦笑する。
「正しい使い方では?」
「そういうところです」
最近、似たことをよく言われる。
蒼真が理由を尋ねようとしたところで、神代から集合の指示が出た。
今回の訓練は、リポルを前衛として運用するためのものではない。第三中隊の陣形へ加わった際、各機の移動や射線にどのような影響が出るのかを確かめることが目的だった。
リポルの推進性能は、ノストスより大幅に高い。
問題は、蒼真がその速度を使った時、第三中隊の四機が追従できるかどうかだった。
「橘」
搭乗前、神代が言った。
「今日は助けに入るな」
「訓練中に問題が起きてもですか?」
「機体に異常があれば訓練を止める。お前がどうにかする必要はない」
「分かりました」
「本当に分かっているか?」
「手を出さず、報告します」
神代は蒼真の顔をしばらく見たあと、頷いた。
「それでいい」
搭乗準備を終えた五機が、訓練区域へ出る。
先頭は神代機。片瀬機と安西機が左右に開き、御堂機が射撃位置を取る。リポルは最後尾から全体を確認する配置だった。
「開始する」
神代の合図と同時に、各機が動き始めた。
最初は、一定速度での隊形移動だった。
リポルの操縦席にいる蒼真は、前を進む四機との距離を保ちながら、周辺表示を確認した。通常の移動であれば、性能差を感じることはない。前の機体に合わせて出力を落とせばいいだけだった。
訓練区域の中央を一周したところで、片瀬機が速度を上げた。
予定にはない動きだった。
『片瀬』
神代の低い声が飛ぶ。
『少し確認するだけです』
片瀬機は右側から離れ、訓練区域の外周へ向かった。
『橘さん。ついて来られますか?』
「必要ですか?」
『性能確認です』
「今日の訓練項目にはありません」
『真面目ですね』
「仕事なので」
片瀬機がさらに加速した。
蒼真は神代の指示を待ったが、止める声は来なかった。代わりに、短いため息が通信へ混じる。
『一周だけだ。ほかは隊形を維持』
許可が出たため、蒼真はリポルの出力を上げた。
片瀬機との距離が縮まる。
急いで追いかけたつもりはなかった。外周の曲線に沿って歩幅を調整し、旋回時に余分な減速をしないようにしただけだった。
片瀬機が次の直線へ入った時には、リポルはその斜め後ろに並んでいた。
『もう来たんですか』
「追いつくように言われたので」
『まだ全開ではありませんよ』
「そうですか」
片瀬機が再び加速する。
リポルも速度を上げた。
今度は、直線の半ばで横へ並んだ。
紫色の機体が片瀬機の動きに合わせながら、そのすぐ隣を走る。リポルにはまだ余裕があったが、これ以上速度を上げると合流時にほかの機体へ負担をかける。
蒼真は片瀬機を追い越さず、同じ速度を保った。
『橘さん』
「はい」
『もしかして、待っています?』
「合流地点まで並走する訓練だと思っていました」
『そういう訓練でしたっけ』
『違う』
神代の声が割り込んだ。
『片瀬、戻れ。橘もだ』
「了解」
『了解しました』
二機が速度を落とし、隊列へ戻る。
戻ってきた片瀬機を、安西機がわざとらしく避けた。
『勝手に競争を始めるなよ』
『競争ではありません。性能確認です』
『それで、結果は?』
片瀬は少し間を置いた。
『追いつかれました』
『見れば分かる』
御堂の声には、わずかに笑いが混じっていた。
『しかも、橘さんは一度も片瀬さんの前へ出ませんでしたね』
『あれは余裕があったということですか』
「前へ出る必要がなかっただけです」
蒼真が答えると、通信の向こうがしばらく静かになった。
『次へ移る』
神代だけが、何事もなかったように訓練を進めた。
*
次の項目は、損傷機の回収を想定した連携だった。
安西機が右脚を損傷したという条件で移動を停止し、片瀬機と神代機が周囲を警戒する。御堂機は援護射撃の位置を確保し、リポルが安西機を安全区域まで運ぶ。
ノストスであれば牽引装置を使う。
リポルには、同じ装備はない。
その代わり、機体そのものの出力が高く、戦闘型一機を支えながら移動できる。
「右側から支えます」
『了解です』
蒼真はリポルを安西機の横へつけ、相手の右腕を肩へ回した。安西機の重量を受け止めると、足元の地面がわずかに沈む。
「荷重を確認。移動します」
『お願いします』
二機は、歩幅を合わせて進み始めた。
安西機が足を引きずる動きに対し、リポルの姿勢制御が即座に反応する。相手を引っ張るのではなく、倒れない分だけ支える。
安全区域までの移動を終えると、蒼真は安西機をゆっくりと座らせた。
『回収完了』
神代の判定が出る。
安西は立ち上がらず、その場から蒼真へ通信を送ってきた。
『橘さん』
「はい」
『高架道路の時も、こんな感じだったんですか?』
「何がですか?」
『俺を引いた時です。ノストスの牽引装置を、バスから一基外したでしょう』
「必要だったので」
『あの時、俺は自分の機体のことしか見えていませんでした』
安西の声は、普段より静かだった。
『右脚が落ちて、姿勢を戻せない。下には避難車両がいる。倒れたら巻き込む。そればかり考えていました』
蒼真は返事をせず、続きを待った。
戦闘中の通信なら、必要な言葉だけでいい。
しかし、今は訓練であり、安西は報告ではなく、自分の考えを伝えようとしていた。
『橘さんが来た時、助かったと思いました。でも、あとで映像を見て、ノストスがバスを支えていたことを思い出しました。俺を引くために牽引装置を外せば、その分だけバスを支える力が減る。橘さんは、両方を落とさないようにしたんですよね』
「結果としては、そうなりました」
『また、その言い方ですか』
「ほかに言い方がありますか?」
『助けた、でいいでしょう』
「一人ではできていません。安西さんも姿勢を戻していましたし、第三中隊も戻ってきました」
『それでもです』
安西は一度言葉を切った。
『次からは、もっと早く報告します。自分で戻せると思って状況を抱えたせいで、橘さんに無理をさせました』
「安西さんは無事でした。ノストスも修理が終わりましたから、問題ありません」
『それでは、また同じことが起きます』
安西の声が、わずかに強くなった。
『無事だったから終わりではありません。報告が遅れたのは俺の判断ミスです。次は直します』
蒼真は少し考えた。
謝罪を受け取るというより、安西が今後の手順を確認したいのだと理解した。
「分かりました。次は早めに教えてください」
『はい』
「自分も、ノストスの負荷を早めに伝えます」
『お願いします』
今度は、安西の声が少しだけ軽くなった。
『ただ、橘さんが先に無理を申告するとは思えませんけどね』
「必要ならします」
『その必要の基準が信用できないんですよ』
片瀬の笑い声が通信へ混じった。
『安西。ようやく分かったんですか』
『お前にだけは言われたくない』
『俺は前から分かっています。橘さんは止めないと、できるところまでやります』
「作業は、できるところまでやるものでは?」
『ほら』
片瀬と安西の声が重なった。
蒼真には、何が「ほら」なのか分からなかった。
*
最後の項目は、御堂機との射線確認だった。
複数の標的が不規則に移動する中、リポルが前方で進路を制限し、御堂機が後方から射撃する。
標的を破壊する必要はない。
リポルが敵役の進行方向を変え、御堂機の射界へ送る。実戦なら、蒼真が初めて前へ出た日に行ったことと同じだった。
『いつでもどうぞ』
御堂から合図を受け、蒼真は正面の標的へ接近した。
標的はリポルを避けるように左へ動く。
蒼真は追いすぎず、右側へ回り込む余地だけを塞いだ。逃げ道を一方向に限定すると、標的は御堂機の射線へ自ら入っていく。
一発。
御堂の射撃が標的の中央を捉えた。
次の標的は二体だった。
一体へ接近しながら、もう一体との間へ機体を入れる。二体の進路が分かれた瞬間、蒼真は近い方の脚を払った。
転倒した標的へ御堂機の照準が移る。
しかし、発射されない。
御堂が狙っているのは、もう一体だった。
蒼真は倒れた標的をそのままにし、立っている方の進路を左へ変えた。御堂機の射線と重なった瞬間、一発の模擬弾が命中する。
続いて、倒れていた標的にも射撃が入った。
『二体、命中。次へ』
神代の声が響く。
訓練はそのまま続き、すべての標的が停止したところで終了した。
格納庫へ戻る途中、御堂から個別通信が入った。
『橘さん。少しいいですか』
「はい」
『さっき、二体目を先にこちらへ流しましたよね』
「御堂さんが、そちらを狙っていたので」
『分かったんですか?』
「照準が動いていました」
『射撃表示を確認したんですか』
「表示は見ていません」
『では、どうして?』
蒼真は御堂機の位置を確認した。
訓練中、振り返って見る余裕はなかった。それでも、御堂がどちらを狙っているのかは分かっていた。
「機体の向きと、移動した位置です」
『それだけで?』
「射線を考えれば、そうなると思います」
御堂はすぐには返事をしなかった。
『四月十四日の時も、そうでしたか』
初実戦の日。
蒼真は、安西機の右後方から襲いかかった個体の脚を補助アームで掴み、御堂機の射線へ流した。
あの時は、何をすべきか考える前に身体が動いていた。
「多分」
『多分なんですね』
「当時は、考えていませんでした」
『今日は?』
「今日は考える時間がありました」
『それで同じことができた』
「訓練ですから」
御堂が小さく笑った。
『それだけではないと思います』
「何がですか?」
『橘さんは、私が撃ちやすい場所を探しているのではありません』
御堂は前を歩く自機の速度を落とし、リポルの横へ並んだ。
『私が次に狙う場所を先に作っているんです』
「同じでは?」
『違います。少なくとも、私にとっては』
蒼真には違いがよく分からなかった。
射撃する人間が撃ちやすいよう、相手の動きを変える。結果として射撃が成功するのなら、どちらでも同じに思える。
「今までの現場でも、自分は同じようにしていたんでしょうか」
『していましたよ』
御堂は即答した。
『橘さんが後方にいると、敵の動きが読みやすくなります。退路も塞がれません。損傷した機体は、倒れる前に下げられます。今までは支援が上手いのだと思っていました』
「違ったんですか?」
『支援が上手いことは間違いありません。ただ、それだけではなかったということです』
「では、何ですか?」
『それを今、調べているのでしょうね』
御堂はそれ以上答えなかった。
二機は並んだまま格納庫へ戻った。
*
訓練終了後、第三中隊の控室には珍しく全員が残っていた。
神代は訓練記録の確認へ向かい、牧野はリポルの点検を始めている。残された片瀬、安西、御堂、蒼真の四人は、それぞれ飲み物を手にして休んでいた。
「紫の幽霊」
片瀬が缶飲料を開けながら言った。
蒼真は自分の周囲を見た。
「何ですか?」
「リポルの呼び名です。整備員の間で、そう呼ばれ始めています」
「正式名称があります」
「知っています。ですが、遠くから見ると本当にそう見えるんですよ」
安西も頷いた。
「紫の機体が影に入ると、黄色い線だけが動いて見えるからな。今日も、片瀬の後ろに急に出てきたみたいだった」
「自分は普通に追いついただけです」
「幽霊も、そう言うかもしれません」
御堂が静かに付け加えた。
蒼真は返事に困った。
正式名称がある以上、それを使えばいい。紫の幽霊と呼ぶ必要はないと思う。
「それより、第三中隊にも別の呼び名がついていますよ」
片瀬が話題を変えた。
「帰還中隊です」
「誰が呼んでいるんですか?」
「ほかの中隊ですよ。俺たちが難しい現場へ回されるようになったのに、機体も搭乗者も帰ってくるから」
「毎回、全員というわけではありません」
「だから、帰還率です。以前より明らかに上がっています」
「第三中隊全体の成果ですね」
蒼真が答えると、片瀬は缶を口へ運びかけたまま止まった。
「そこで本当に中隊全体の話にするんですね」
「第三中隊の呼び名なので」
「橘さんが来てから呼ばれ始めたんですよ」
「時期が重なっただけでは?」
安西が大きく息を吐き、椅子の背もたれへ身体を預けた。
「もう、本人に説明しても無駄なんじゃないか」
「最近、ようやく少しは考えています」
蒼真が言うと、三人の視線が一斉に集まった。
片瀬が身を乗り出す。
「何をですか?」
「自分は、少し機体との相性がいいのかもしれません」
誰も答えなかった。
空調の音だけが、妙に大きく聞こえた。
「今、何と言いました?」
御堂が念を押すように尋ねる。
「機体との相性が、少しいいのかもしれないと」
片瀬は両手で顔を覆った。
安西は天井を見上げる。
御堂は口元へ手を当て、笑うべきか迷っているようだった。
「違いますか?」
蒼真が尋ねる。
「違うというか……」
片瀬が顔から手を離した。
「ようやく気づいたことは喜ぶべきなんでしょうけど、その程度の認識なんですか?」
「ノストスとリポルの両方へ登録されたので、少し普通とは違うのかもしれません」
「ノストスも、現場では橘さんしか使えなくなったんですよね?」
安西が確認する。
「今のところは」
「リポルも?」
「適性のある人が見つかるまでです」
「それを二機分と言うんですよ」
「何がですか?」
「専属登録です」
「一時的なものです」
三人は互いの顔を見た。
誰が説明しても同じだと判断したのか、それ以上は何も言わなかった。
しばらくして、片瀬が思い出したように口を開く。
「帰還中隊には、別の呼び方もありますよ」
「まだあるんですか?」
「帰宅部」
蒼真は眉を寄せた。
「中隊なので、部ではありません」
「訂正するのはそこですか」
「組織区分が違います」
安西が声を上げて笑い、御堂も堪えきれずに笑った。
片瀬だけは机へ突っ伏した。
「もう、それでいいです」
「何がですか?」
「何でもありません」
控室の扉が開き、神代が入ってきた。
笑っていた三人が姿勢を戻す。
神代は室内を見回したあと、片瀬へ視線を向けた。
「反省したか」
「何についてでしょうか」
「訓練中の無断加速だ」
「性能確認です」
「始末書を書くか?」
「深く反省しました」
返答だけは速かった。
神代は片瀬から視線を外し、蒼真を見る。
「橘」
「はい」
「明日は待機だ。ノストスとリポルの点検結果が出るまで搭乗予定はない」
「分かりました」
「二機とも異常がなければ、運用登録を確定する」
「適性のある人が見つかった場合は、変更できますか?」
神代は一度、蒼真の後ろにいる三人を見た。
片瀬は首を横へ振り、安西は諦めたように目を伏せている。御堂だけが、静かな笑みを残していた。
「制度上は可能だ」
神代が答える。
「では、分かりました」
「ただし、現時点で候補はいない」
「これから見つかるかもしれません」
「そうだな」
神代は否定しなかった。
片瀬が小さな声で「隊長まで」と呟いたが、神代は聞こえなかったことにした。
*
帰宅すると、居間のテーブルに見慣れない紫色の紙細工が置かれていた。
「ただいま」
「おかえり」
台所から美咲の声が返ってくる。
昴はテーブルへ向かい、作りかけの紙細工を両手で持ち上げた。
「ぱぱ、みて」
「リポル?」
「うん」
紫色の折り紙と厚紙を組み合わせた機体は、まだ片腕しかなかった。脚の長さも左右で違い、黄色いテープが胸と肩を横切っている。
ノストスを作った時よりも複雑な形になっているが、実物に似ているかと聞かれれば、答えるのは難しい。
それでも、紫と黄色が使われている以上、昴にとっては間違いなくリポルなのだろう。
「上手にできてる」
「まだ」
昴は紙の機体を裏返した。
背中には、途中まで折った部品がテープで留められている。
「ここ、できない」
「お父さんも作り方は分からないよ」
「のってるのに?」
「乗るのと作るのは違うから」
昴は納得できない顔で蒼真を見た。
「牧野さんなら分かるかもしれない」
「まきのさん?」
「ノストスとリポルを直す人」
「すごい?」
「すごいよ」
「ぱぱより?」
「自分には直せないから、牧野さんの方がすごい」
昴は素直に頷いた。
その会話を聞いていた美咲が、台所から顔を出す。
「今度は昴まで職場へ連れていくつもり?」
「連れていかないよ」
「牧野さんに会わせようとしてる」
「聞かれたから答えただけ」
「そうやって、いつの間にか話が進むの」
美咲は釘を刺すように言ったが、怒ってはいなかった。
蒼真が鞄を置いていると、結衣が自分の部屋から出てきた。
「お父さん、今日リポルに乗ったの?」
「訓練で」
「どうだった?」
「普通に動いたよ」
「普通って?」
「問題がなかったということ」
「速かった?」
「ノストスよりは」
「戦った?」
「標的を御堂さんの射線へ動かした」
「それ、戦ってるんじゃないの?」
「訓練だから、標的は動く人形だよ」
結衣はまだ聞きたそうだったが、美咲が食卓へ皿を並べ始めると、それ以上は質問しなかった。
家では、仕事の話を必要以上にしない。
蒼真も、以前のように一日の出来事をすべて説明しようとは思わなくなっていた。結衣が聞けば答える。美咲が聞かなければ、無理に話さない。
職場で起きたことは、日記へ書けばいい。
食事が始まると、話題は結衣の学校のことへ移った。
体育の時間にクラス対抗の競技をするらしいが、種目がまだ決まっていないという。結衣は綱引きを嫌がり、美咲は運動会なら綱引きでもいいのではないかと言う。
「手が痛くなるんだよ」
「終わったら洗えばいいでしょ」
「汚れる話じゃない。縄が擦れるの」
「手袋をすれば?」
「使っていいか分からない」
「先生に聞いてみればいいよ」
蒼真が言うと、結衣は箸を止めた。
「お父さん、何でも確認すればいいと思ってるでしょ」
「分からないことは、確認した方がいいよ」
「先生に聞いたら、やる気があると思われるじゃん」
「ないの?」
「綱引きにはない」
「では、別の種目を提案すればいい」
「そういう話じゃないんだよなあ」
結衣が美咲を見る。
「お母さん、お父さんに説明して」
「面倒だから嫌」
「お母さんまで」
昴は話の内容を理解しないまま、両手を前へ出した。
「すばる、ひっぱる!」
「昴が出るなら、勝てるかもしれない」
蒼真が言う。
「無理でしょ」
「人数には数えられる」
「戦力にならないよ」
「応援はできるよ」
「それ、綱を引いてないじゃん」
結衣が笑う。
昴も、自分が褒められたと思ったのか笑った。
夕食が終わる頃には、リポルの話は完全に消えていた。
それでよかった。
*
夜。
家族が寝静まったあと、蒼真は居間のテーブルで日記を開いた。
今日の出来事を思い返しながら日付を書いたものの、その先で手が止まった。
ノストスが戻ってきたこと。リポルで第三中隊との連携訓練をしたこと。そして、自分が二機の現場運用者として登録されること。
事実を並べるだけなら簡単だった。
けれど、その意味まで書こうとすると、どう表現すれば正確なのか分からなくなる。
蒼真はしばらく考えてから、ゆっくりとペンを動かした。
---
五月二十二日。
ノストスの修理が終わった。
右肩と牽引装置に異常はなく、現場へ戻れる状態になった。ただし、今のノストスを現場で動かせるのは、自分だけになった。
牧野さんの説明では、操縦補正の学習が自分に合わせて変化しすぎているらしい。学習した記録を初期化すれば、ほかの人でも使えるようになる。それでも、牧野さんは今の状態を残すと決めた。
もったいないと思う。
ノストスは、戦うためだけの機体ではない。人を運ぶことも、壊れた機体を引くことも、崩れそうな建物を支えることもできる。
自分以外にも使える人が増えた方が、助けられる人は多くなると思う。
午後は、リポルと第三中隊の連携訓練を行った。
片瀬さんは速かった。訓練だからと追いかけてきたらしいが、途中で神代隊長に止められた。
安西さんは、高架道路で自分にノストスを無理させたことを気にしていた。次からはもっと早く状況を報告すると言ってくれた。
自分としては、安西さんが無事だったので問題はないと思う。
そう答えると、少し困った顔をされた。
御堂さんからは、自分が射線に合わせて動いていると言われた。意識してやっていたわけではない。撃ちやすい位置に敵がいれば、その方が早く終わると思っただけだった。
それも少し違うらしい。
今日、初めて、自分はほかの人より少しだけ機体との相性がいいのかもしれないと思った。
美咲に話すと、今さらだと言われた。
職場の人たちも、とっくに気づいているらしい。
牧野さんたちも知っているのかと聞いたら、多分、自分以外はみんな知っていると言われた。
そこまでではないと思う。
今のところ、ノストスとリポルを現場で動かせるのは自分だけだが、適性のある人が見つかれば変わる。それまでは、自分が使えばいい。
第三中隊は、一部で帰還中隊と呼ばれ始めているらしい。
全員で帰ってくる中隊という意味なら、悪い名前ではないと思う。
帰宅部とも呼ばれている。
そちらは中隊なので、正しくない。
以上。
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ペンを置いた蒼真は、書いた内容を最初から読み返した。
自分は、ほかの人より少しだけ機体との相性がいい。
やはり、それ以上の書き方は思いつかなかった。
日記を閉じたところで、寝室から美咲の声が聞こえた。
「蒼真、まだ起きてるの?」
「もう寝る」
「さっきも聞いた気がする」
「今度は本当に寝る」
「日記、長くなった?」
蒼真は閉じたばかりの日記を見た。
「今日は少しだけ」
「何を書いたの?」
「仕事のこと」
「それは見れば分かる」
「自分が、少しだけ人と違うかもしれないって」
寝室からの返事が途切れた。
数秒後、美咲が戸口から顔を出す。眠そうだったが、その目には呆れたような色が浮かんでいた。
「少しだけ?」
「うん」
「そこからなのね」
「何が?」
「何でもない。早く寝て」
美咲はそれ以上追及せず、寝室へ戻ろうとした。
「美咲」
「何?」
「職場の人たちも、気づいていると思う?」
美咲は振り返った。
「今さら?」
「知ってたの?」
「職場の人たちも、とっくに気づいてると思う」
「牧野さんたちも?」
「多分、あなた以外はみんな」
「でも、自分は少し相性がいいだけで――」
「だからよ」
美咲はそれだけ言うと、今度こそ寝室へ戻った。
蒼真はしばらく戸口を見つめた。
何が「だから」なのか、説明してもらっていない。
寝室へ向かおうとして、テーブルの端に置かれた二体の紙細工に気づいた。
灰色のノストスは、以前よりも少し潰れている。その隣には、昴が作り始めた紫色のリポルが置かれていた。まだ片腕しかなく、黄色い線も片側にしか貼られていない。
完成していないリポルとノストスは、一本の黄色いテープでつながれていた。
朝、それを見つけた蒼真が理由を尋ねると、昴は当然のように答えた。
「いっしょに、かえるから」
二機をつなぐ必要はないと思ったが、昴の中では必要なのだろう。
蒼真は紙の機体を倒さないよう、二体を揃えてテーブルの奥へ移した。
ノストスとリポル。
二機を現場で動かせるのは、今のところ自分しかいない。
それでも蒼真は、いつかほかの適性者が現れると本気で信じていた。自分が特別なのではなく、まだ見つかっていないだけなのだと考えている。
居間の明かりを消し、寝室へ向かう。
その背後で、二体の紙の機体は黄色いテープにつながれたまま、暗くなった部屋に並んでいた。
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