第三十八話 そういうところ
十二月十八日。
第三会議室の中央画面には、ノストスの比較試験で得られた結果が表示されていた。
試験へ参加した支援隊員は三名。全員が基本操作、資材移動、牽引、負傷者搬送、損傷機回収の課題を合格している。複合作業の完了時間にも大きな問題はなく、支援機として必要な水準を満たしていた。
蒼真は、画面に並ぶ数字を見ながら、ひとまず安心していた。
ノストスは、自分にしか使えない機体ではなかった。
搭乗者によって操作方法は異なる。それでも、三名とも十二名分の救助対象を退避させ、損傷機まで回収した。訓練を重ねれば、さらに時間を短縮できる可能性もある。
現場支援制度を広げるうえで、十分な結果だった。
会議へ出席しているのは、第三中隊から神代隊長と蒼真、整備部門から牧野、管理局から藤堂と久賀だった。比較試験へ参加した支援隊員を代表して、宮田も席に着いている。
前方には、支援制度の評価を担当する課長と、防衛隊の機体運用を管理する職員が並んでいた。
課長が資料を切り替えた。
「最初に、現場支援制度についての評価をお伝えします。試験運用を行ったすべての現場で、退避開始までの時間、負傷者数、作業中断後の混乱に改善が見られました。また、敵性個体が出現した現場では、戦闘部隊の平均損傷率も低下しています」
中央画面へ、制度導入前後の比較が表示される。
支援隊員がいない現場では、管理局、消防、防衛隊がそれぞれの判断で動くため、敵性個体の出現後に情報が分かれることがあった。
管理局は作業員の退避を優先する。消防は負傷者の救助へ向かう。防衛隊は敵性個体を戦闘区域へ閉じ込めようとする。
どれも必要な判断だった。
しかし、それぞれが別の目的を優先するため、退避車両と消防車両が同じ通路へ入り、戦闘部隊の射線を塞ぐことがある。敵から離れようとした作業員が、知らずに別の敵性個体へ近づくこともあった。
現場支援隊員は、その間に立つ。
作業を止め、作業員を退避させ、消防の進入路を確保し、防衛隊へ現場の状況を伝える。戦闘が始まれば、負傷者と損傷機を後方へ運び、部隊が退くための道を残す。
一つ一つは、以前から誰かが行ってきた仕事だった。
制度として一人の支援隊員へ権限と責任をまとめたことで、各組織の判断が同じ方向へ向くようになった。
「現場支援制度は、正式運用へ移行できる水準に達したと判断します」
課長の言葉に、藤堂と久賀が顔を見合わせた。
派手に喜ぶ者はいなかった。
しかし、二人の表情が少しだけ緩んだことを、蒼真は見ていた。
久賀が確認する。
「試験運用という扱いは、いつまでになりますか?」
「年度末までに運用要綱を改訂します。正式制度への移行は、来年度初日を予定しています。それまでは現在の試験要綱を継続します」
「支援隊員の人数は?」
「第一段階として、各地域へ計二十四名を配置します。すでに課程を修了した十二名に加え、次期候補者の選定を始めます」
「一人で判断できる範囲は変わりますか?」
「基本的には変えません。ただし、作業の全面停止と区域外退避については、判断記録の保存を義務化します」
久賀は頷いた。
作業を止める権限があっても、理由を残さなくていいわけではない。正しい判断だったとしても、後から検証できなければ、別の現場へ経験を引き継げない。
それは、蒼真たちが試験運用の間に何度も確認してきたことだった。
課長は、ノストスの比較資料へ画面を戻した。
「次に、支援機についてです。今回、三名の支援隊員がノストスへ搭乗し、全員が基準を満たしました。これにより、ノストスの支援能力は、橘さんだけに依存したものではないと確認できました」
蒼真は、そこで小さく息を吐いた。
神代隊長が横から見る。
「安心したか」
「はい」
「何にだ」
「ほかの人でも使えました」
「疑っていたのか?」
「比較するまでは、分からなかったので」
神代隊長は、それ以上聞かなかった。
課長が説明を続ける。
「同型支援機の配備については、前向きに検討します。ただし、現在のノストスをそのまま量産することは困難です。機体価格だけでなく、整備設備と人員も不足しています」
藤堂が量産案を表示した。
現在のノストスより、背部が小さい。牽引装置は二基から一基へ減らされ、補助アームも左右一対だけになっている。
救護籠と広域感知装置は残されていた。
「量産型では、主に救助と一機分の牽引を想定します」
藤堂が説明する。
「二基の牽引装置を同時に使用したのは、比較試験では橘さんだけでした。ほかの支援隊員は、一基でも基準時間内に課題を完了しています。装備を減らせば重量も整備項目も抑えられ、配備できる機体数を増やせます」
「補助アームも減らすんですか?」
蒼真が聞いた。
「二本あれば、救護籠の保持と負傷者の収容はできます。四本を別々に動かすには、搭乗者側の負担も大きいです」
「運用AIで補助できませんか?」
「可能です。ただ、それだけ制御系も複雑になります。量産機は、誰にでも安定して使えることを優先します」
「そうですか」
蒼真は画面に表示された量産型を見た。
できることは、現在のノストスより少ない。
しかし、一機を完全に再現するより、簡略化した機体を二機、三機と配備できるなら、その方が助けられる現場は増えるかもしれない。
限られた費用と人員の中で制度を広げるなら、藤堂の案は合理的だった。
「分かりました」
蒼真は答えた。
「牽引装置が一基でも、損傷機の回収はできます。補助アームも二本あれば、救護籠は使えます」
藤堂は少し意外そうな顔をした。
「反対されると思っていました」
「できることは減りますが、配備数を増やせるなら意味はあると思います。ただ、必要になった時に装備を追加できる構造は残してください」
「拡張機能ですか?」
「現場によって必要な装備が違うかもしれません。牽引を優先する地域と、救助を優先する地域で、同じ機体にする必要はないと思います」
藤堂は量産案へ、装備接続部を追加した。
「検討します。最初からすべて載せるのではなく、必要に応じて交換できる構造なら、費用も抑えられるかもしれません」
「お願いします」
制度と量産型支援機についての評価は、それでまとまった。
蒼真は、自分がこの会議へ呼ばれた目的のほとんどが終わったと思った。
しかし、課長は資料を閉じなかった。
次に表示されたのは、量産型の設計案ではなく、現在のノストスと蒼真の操作記録だった。
「ここからは、現行のノストスと橘さんの運用について検討します」
蒼真は画面へ目を戻した。
「量産型とは別に、現行機を残すんですか?」
「その予定です。現在のノストスは、支援機能の研究と新装備の試験に使用できます。簡略化した量産型を作るためにも、すべての機能を持つ原型機を残す必要があります」
「誰が乗るんですか?」
「橘さんです」
返事が早かった。
蒼真は少しだけ間を置いた。
「自分が?」
「現時点では、橘さん以外へ割り当てる理由がありません。ほかの三名でもノストスは運用できましたが、全機能を同時に使えたのは橘さんだけです」
課長は、比較試験の結果を表示した。
宮田たちの平均完了時間は八分五十四秒。
蒼真は四分二十六秒。
作業結果だけを見れば、全員が合格している。しかし、ノストスが持つ装備をどこまで使えたかという点では、大きな差があった。
「現行のノストスを、橘さんの専用機として継続運用する案が出ています」
「専用機」
その言葉には、少し抵抗があった。
ノストスは、防衛隊が保有する支援機である。蒼真個人の所有物ではない。
「ほかの人は乗れなくなるんですか?」
「必要があれば乗れます。ここでいう専用機は、主たる搭乗者を橘さんに固定するという意味です。操縦設定や装備調整も、橘さんの運用を基準にします」
牧野が説明を補う。
「現在も、実質的には橘さんの設定を基準にしています。ただ、比較試験のたびに設定を変更すると、調整と確認に時間がかかります。主たる搭乗者を決めておけば、出動時の状態を安定させられます」
「量産型の試験には使わないんですか?」
「必要な時には使います。その場合も、橘さんに協力していただくことになります」
蒼真はノストスの記録を見た。
救助装備。
二基の牽引装置。
複数の補助アーム。
広域感知装置。
防盾。
救護籠。
量産型では減らされる機能が、現行機にはすべて残る。
「現場支援には、引き続き出られますか?」
「もちろんです」
「なら、問題ありません」
また即答したため、課長の方が確認した。
「よろしいんですか?」
「はい。今までと変わらないので」
神代隊長が、椅子へ深く座り直した。
「橘」
「はい」
「専用機だぞ」
「主たる搭乗者を固定するだけだと説明されました」
「そういう意味じゃない」
「ほかに何がありますか?」
神代隊長は答えなかった。
課長も、説明を諦めたように資料を閉じた。
「では、現行ノストスは、橘蒼真専用の現場支援機として登録手続きを進めます」
「分かりました」
蒼真にとっては、それだけだった。
*
会議が終わると、藤堂と久賀は管理局へ戻った。
宮田は次の訓練予定を確認するため、課長と一緒に別室へ向かった。神代隊長も通常業務へ戻り、会議室には蒼真と牧野だけが残った。
牧野は資料を整理しながら、蒼真へ尋ねた。
「橘さんは、ノストスをそのまま使いたかったんですか?」
「量産型より、という意味ですか?」
「はい」
「できれば」
牧野は端末を閉じ、少しだけ笑った。
「やはり、愛着が湧いたんでしょうか」
蒼真は、質問の意味を考えた。
ノストスへ初めて乗った日のことは覚えている。
訓練場で立ち上がり、牧野から壊してもいいと言われた。四月十四日には安西を助けるため、初めて実戦で前へ出た。
右肩へ傷を受け、帰還後に何度も映像を見た。
旧処理場では人を運び、物流倉庫では退路を守った。崩れかけた建物を牽引索で支え、動けなくなった機体を引いて帰った。
思い出はある。
しかし、ノストスを使いたい理由として、最初に浮かんだのは別のことだった。
「いえ。できることが多ければ、それだけ多くの人を助けられると思いますので」
牧野の手が止まった。
「愛着ではないんですか?」
「使いやすいとは思っています」
「それは、機体として?」
「はい。牽引装置が二基あります。補助アームも複数使えますし、救護籠もあります。量産型より、対応できる状況が多いです」
牧野は、しばらく蒼真を見ていた。
「ノストスでなければ嫌、というわけではないんですね」
「同じことができるなら、ほかの機体でも構いません」
「そうですか」
牧野は、もう一度資料へ目を落とした。
声はいつもと同じように柔らかい。
しかし、その返事までに少し間があったことを、蒼真は不思議に思った。
「何か問題がありますか?」
「問題ではありませんよ」
「では、なぜ黙ったんですか?」
「分かったつもりでいたんです」
「何をですか?」
「橘さんのことをです」
ますます分からない。
会議室の外では、片瀬と安西が待っていた。二人とも、専用機の話をすでに聞いたらしい。
「おめでとうございます」
片瀬が言った。
「何がですか?」
「ノストスが正式に専用機になるんでしょう」
「主たる搭乗者を固定するだけです」
「そういうところは細かいですね」
安西が牧野を見る。
「橘は、喜んでないのか」
「使える機能が多いから、助けられる人も増えるとおっしゃっていました」
牧野が説明すると、安西は蒼真を見た。
片瀬も見る。
二人とも、何も言わない。
「どうしたんですか?」
蒼真が聞くと、片瀬が先に目を逸らした。
「いや。橘さんらしいと思っただけです」
「自分もそう思います」
牧野が答える。
安西は一度だけ息を吐いた。
「分かってたつもりだったけどな」
「何を?」
「もういい」
三人とも、説明してくれなかった。
*
午後、蒼真は専用機登録に必要な書類を受け取った。
搭乗者情報、機体設定、緊急時の代替搭乗者、整備責任者。確認する項目は多かったが、内容そのものは今までの運用と大きく変わらない。
変わるのは、ノストスの設定を蒼真へ合わせたまま維持できることだった。
比較試験のたびに別の搭乗者用へ変更し、その後、蒼真用へ戻す必要がなくなる。
整備側の負担が減るなら、専用機として登録する意味はある。
蒼真が書類を確認していると、神代隊長が執務机の前へ来た。
「橘」
「はい」
「ノストスを専用機にする理由を、どう考えている?」
「自分が一番長く使っているからだと思います」
「それだけか」
「全機能を同時に使ったのが、自分だけだからとも説明されました」
「自覚はあるんだな」
「記録に出ていますから」
「自分にしかできないとは思わないのか」
「訓練すれば、ほかの人にもできる可能性があります」
神代隊長は、しばらく蒼真を見た。
「宮田は、もう諦めていたぞ」
「何をですか?」
「お前に説明することをだ」
「なぜ?」
「自分で考えろ」
神代隊長も、それ以上は教えてくれなかった。
蒼真は書類へ戻った。
理由を説明せずに考えろと言われても、分かるはずがない。
*
別棟の評価室では、蒼真が提出した書類とは別の資料が作られていた。
《現場支援制度・正式運用評価》
その報告書には、支援制度の有効性、量産型支援機の必要性、支援隊員の育成方針が記載されている。
それとは別に、閲覧権限を制限した個人評価資料があった。
《対象・橘蒼真》
ノストス搭乗時の操作速度。
防衛隊運用AIの補助率。
複数装備の同時処理能力。
危険の先行検出。
対象同行時の部隊損傷率。
民間人と隊員の生存率。
本人搭乗機の損傷率。
これまで、蒼真の成果は複数の要因によって説明されてきた。
現場監督としての経験。
支援制度の効果。
ノストスの性能。
第三中隊の練度。
比較試験によって、それらを一つずつ分けても、なお説明できない差が残った。
支援制度は有効だった。
ノストスも優秀だった。
その上で、搭乗者である橘蒼真も、通常の範囲から外れていた。
評価担当者は、資料の最後へ新たな項目を追加した。
《他機種適性・未評価》
現時点で、蒼真の高い機体親和性がノストスに限られたものか、フレームワーカー全般に共通するものかは分からない。
通常機を使った適性評価が必要だった。
ただし、標準シミュレーターで蒼真の入力速度を測定できるかについては、すでに疑問が出ていた。
評価担当者は、開発部門が保有するシミュレーターの一覧を開いた。
その中に、正式採用を見送られた新鋭機の名があった。
開発記号。
FW-X12。
通称。
ゴースト。
評価担当者は、その名称を候補欄へ移した。
まだ、決定ではなかった。
*
帰宅したのは、午後六時十五分だった。
美咲は台所で夕食の準備をしていた。
結衣は食卓で教科書を開き、昴は床の上で紙のノストスを歩かせている。修理した脚の長さが違うため、前へ進ませるたびに右側へ傾いていた。
「ただいま」
「おかえり」
美咲が振り返る。
「今日は早かったね」
「会議だけだったから」
「手を洗ってきて。もうすぐできるから」
「うん」
蒼真が洗面所へ向かおうとすると、昴が紙のノストスを持って追いかけてきた。
「ぱぱ、みて!」
「歩けるようになったね」
「なおった!」
「少し傾くけどね」
「これでいいの」
昴は満足している。
食卓へ戻ると、結衣が教科書から顔を上げた。
「お父さん、今日何かあった?」
「どうして?」
「少し考えてる顔してる」
「いつもじゃない?」
「今日は、いつもより考えてる」
蒼真は、仕事のことを家へ持ち込んでいたつもりはなかった。
それでも結衣には、少し違って見えたらしい。
「ノストスが、専用機になることになった」
「専用機?」
「お父さんだけが乗るの?」
「主たる搭乗者を固定するだけだよ。必要なら、ほかの人も乗れる」
「それ、専用って言うの?」
「自分も同じことを思った」
結衣は少し考えた後、笑った。
「お父さん専用ノストス」
「言い方が変だよ」
「色は変わる?」
「変わらない」
「名前は?」
「ノストスのまま」
「全然特別じゃないじゃん」
「特別にする必要はないからね」
結衣は興味を失ったように教科書へ戻った。
夕食が始まると、話題は学校の合唱発表と、昴が昼間に何度紙のノストスを倒したかへ移った。
仕事の話は、それ以上出なかった。
*
夕食後、結衣と昴が風呂へ入った。
蒼真は台所で、美咲が洗った食器を布巾で拭いていた。
美咲が水を止める。
「ノストス、専用機になるの?」
「うん」
「よかったじゃない」
「そうなのかな」
「嫌なの?」
「今までと変わらないよ。ただ、ほかの人が乗るたびに設定を変えなくてよくなる」
「あなた、ノストスが好きなんでしょ」
蒼真は手に持った皿を見た。
「使いやすいよ」
「好きかどうかを聞いたの」
「同じじゃないの?」
「違うよ」
美咲は次の皿を洗い始めた。
「長く乗ってきたんでしょ。ほかの機体より愛着があるから、専用機になって嬉しいんじゃないの?」
「愛着があるかは、牧野さんにも聞かれた」
「何て答えたの?」
「できることが多ければ、それだけ多くの人を助けられると思うって」
美咲の手が止まった。
「それ、愛着があるか聞かれて答えたの?」
「うん」
「ノストスじゃなきゃ嫌ってわけじゃないのね」
「同じことができるなら、ほかの機体でもいいよ」
「思い出はないの?」
「あるよ」
「どんな?」
「安西さんを助けた。作業員も運んだし、損傷機を牽引した。崩れそうな壁を支えたこともある」
美咲は、洗い終えた皿を蒼真へ渡した。
「全部、仕事の話ね」
「ノストスでやったことだから」
「今日、職場でも同じことを言った?」
「うん」
「みんな、どんな顔してた?」
蒼真は会議後のことを思い返した。
牧野は、分かったつもりでいたと言った。
片瀬も安西も、途中から何も言わなくなった。神代隊長には、自分で考えろと言われた。
「少し静かになった」
「でしょうね」
「どうして?」
「分かってないの?」
「何を?」
美咲は水を止め、蒼真を見た。
「そういうところよ」
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