第三十四話 任せる
十一月十二日。
第一期支援隊員候補の研修が始まってから、六週間が過ぎた。
十二名の候補者たちは、座学と模擬訓練を終え、復興現場での実地研修へ進んでいる。
最初の実地研修では、候補者が単独で現場を判断することは認められていなかった。正規の支援隊員が責任者として同行し、候補者は設備や人員配置の確認、消防との情報共有、退避経路の設定などを部分的に担当した。
二回目以降は、候補者が現場支援を主導する。
ただし、作業中断と退避の最終権限は、同行する正規支援隊員が持っている。候補者の判断に危険がある場合は、即座に介入することになっていた。
その介入基準を巡って。
蒼真は、朝から困っていた。
「どこまで任せればいいんでしょうか」
第三中隊の格納庫で尋ねると、神代は点検中のノストスを見たまま答えた。
「危険な判断をしたら止めろ」
「危険になる前に、何か言わなくていいんですか」
「候補者が気づく前にお前が全部言ったら、誰の研修になる」
「でも、気づかなかったら事故になります」
「事故になる前に止めるのがお前の役目だ」
「その前は?」
「黙って見ろ」
蒼真は少し考えた。
「難しいですね」
「お前が候補者だった時も、周りは同じように思っていた」
「自分には研修期間がありませんでした」
「だから余計に困った」
神代は、ようやく蒼真を見た。
「候補者が判断する前に答えを出すな。質問されたら、知っている情報は伝えろ。ただし、何をすべきかまでは教えるな」
「危険が迫っていても?」
「間に合ううちは待て。間に合わなくなる前に止めろ」
「どこまでなら間に合うんですか」
「それを判断するのが、今日のお前の仕事だ」
候補者より。
同行する方が難しいのではないか。
蒼真はそう思った。
点検を終えた牧野が、ノストスの足元から声をかける。
「今日は橘さんが操縦して、候補者の方が現場を指揮されるんですよね」
「はい。候補者の判断に従って、ノストスを動かします」
「少し珍しいですね」
「普段は自分で決めてから動かしているので」
「操作する方と判断する方を分ける検証でもありますから、先に動かないようにしてくださいね」
「神代隊長にも言われました」
「心配されているのではなく、橘さんなら先に気づくと思われているんですよ」
「気づいたら言った方がいいのでは?」
牧野は少し考え、柔らかく笑った。
「ご自宅で、昴君が蝶々結びをしている時はどうされていますか」
「自分でやると言われたら、見ています」
「途中で紐を持ってあげますか」
「頼まれたら」
「結び目が違っていたら?」
「出来上がるまで待ちます。本人が気づくかもしれないので」
「今日は同じようにしてみてはいかがですか」
「候補者は二歳ではありません」
「それはご本人へ言わない方がいいと思います」
牧野は笑いながら、ノストスの点検記録を蒼真へ渡した。
*
今回の実地研修が行われるのは、東部第三区画にある旧市立第二中学校だった。
校舎は戦災で北側の一部を失っていたが、体育館と南校舎は比較的原形を保っている。周辺地域の再建に合わせ、校舎を解体し、同じ場所へ新しい学校を建設する計画が進められていた。
今日の作業は、南校舎から残された備品を搬出し、北側の損傷区画との間に仮設壁を設置することだった。
作業員は二十八名。
設備班は七名。
消防が八名。
管理局からは藤堂、久賀、森下が参加している。
第三中隊からは、正規支援隊員の蒼真とノストス。
支援隊員候補として、管理局で七年間現場監督を務めてきた宮田が参加していた。
宮田は三十代半ばで、口数は多くない。模擬訓練では作業員の配置と工程の把握が早く、三つの作業班が同時に動いていても、誰がどこにいるのかを正確に記憶していた。
一方で、負傷者が出た場合には消防へ判断を任せすぎる傾向があり、支援機を使った救助や搬送の指示が遅れることがあった。
今日の研修では、宮田が現場支援を主導する。
蒼真はノストスを操縦するが、宮田から指示を受ける立場だった。
作業前の会議で、宮田は校舎の構造図と人員配置を表示した。
「作業区域は南校舎の一階と二階です。北側損傷区画へは入りません。境界となる中央廊下へ仮設壁を設置し、その後、南側に残された備品を搬出します」
宮田は一階の平面図を拡大した。
南校舎から外へ出る経路は三つある。
生徒用玄関だった東口。
体育館へ続く南通路。
校庭へ直接出られる西側非常口。
「通常の搬出には東口を使います。南通路は消防と救助用に空けてください。西側非常口は第二退避経路にします」
森下が質問する。
「二階の作業員は、どの階段を使いますか」
「東階段を主経路、西階段を第二経路とします。ただし、西階段は北側損傷区画に近いため、作業中も構造変位を監視します」
久賀が構造図を確認した。
「北側の壁に変位が出た場合、西階段を先に閉鎖するという判断でよろしいですか」
「はい。南通路側へ誘導し、東階段へ集中させないよう、二階の作業班を時間差で下ろします」
藤堂は仮設壁の資材を確認する。
「一枚が二百八十キロあります。廊下が狭いので、ノストスを校舎内へ入れることはできません。玄関前まで機体で運び、そこから先は小型搬送機を使います」
「ノストスは東口の外へ待機させます。大型資材の搬出と、車両故障が起きた場合の牽引をお願いします」
宮田が蒼真を見る。
「橘さん、それで問題ありませんか」
判断を聞かれた。
作業前であれば、気づいたことを伝えてよい。
蒼真は人員配置を確認した。
「体育館には誰か入りますか」
「入りません。南通路の先を消防待機場所として使います」
「体育館の扉は開けておいた方がいいと思います。南通路へ煙や埃が入った場合、一時的に人を逃がせます」
宮田は体育館の構造を確認した。
「北側の外壁に損傷はありますが、南半分は安全区域になっていますね。消防の待機場所を南側へ寄せ、扉を開放しておきます」
「それなら大丈夫だと思います」
宮田は退避図を修正した。
午前九時。
ノストスが東口前へ配置され、作業が始まった。
*
午前中の作業は順調だった。
南校舎一階では、机や棚、残された教材が分類されている。再利用できるものは東口から搬出し、破損した備品は校庭側へ用意された仮置き場へ運ばれていた。
二階では、設備班が照明と配線を取り外している。
中央廊下では、北側損傷区画との境界へ仮設壁を設置する準備が進んでいた。
ノストスは東口の外で、大型資材を運ぶ作業を補助していた。
蒼真の操縦席には、校舎内の映像と作業員の位置が表示されている。全体通信には宮田の指示が入り、藤堂、久賀、森下から送られる情報も同時に共有されていた。
蒼真は普段と同じように現場全体を見ていた。
ただし。
今日は自分で現場を動かさない。
気づいた異常があっても、すぐに結論を伝えるのではなく、宮田がどの情報を見ているのかを確認する。
午前十時十五分。
二階の設備班から通信が入った。
『西階段付近で、細かな埃が落ちています』
宮田は構造監視画面を開いた。
「久賀さん、変位は出ていますか」
『北側壁面の数値に変化はありません。作業振動の可能性もありますが、原因はまだ分かりません』
「二階西側の作業を止めます。設備班は工具を置き、西階段から離れてください。東階段へ移動できる準備をお願いします」
『了解しました』
宮田はすぐに全面停止を選ばなかった。
異常が出た二階西側だけを止め、他の作業班には作業速度を落とすよう伝えた。
蒼真は北側壁面の映像を見る。
埃が落ちた位置は、西階段の上部。
壁に新しい亀裂は見えない。
しかし、西階段と北側損傷区画の間には、図面上で閉鎖された小さな準備室がある。その室内には監視機器がなく、現状を直接確認できない。
蒼真は宮田が、その部屋へ気づいているかを確認したくなった。
通信を開きかける。
そこで。
神代に言われたことを思い出した。
候補者が判断する前に、答えを出すな。
蒼真は通信を止めた。
宮田は藤堂へ尋ねた。
「西階段の上にある準備室は、確認済みですか」
蒼真は少し安心した。
藤堂が図面と現場記録を確認する。
『昨日は扉の外から確認しています。室内には入っていません。北側損傷区画へ近いため、閉鎖したままです』
「室内に旧設備はありますか」
『空調用の配管が通っています。すでに停止していますが、天井裏に断熱材が残っている可能性があります』
「埃は断熱材ですか」
『映像だけでは判断できません』
宮田は消防へ連絡した。
「防護装備を着けた二名で、準備室の扉まで確認をお願いします。室内へは入らず、扉と周囲の温度、煙、異臭の有無を見てください」
『了解しました』
消防二名が南通路から二階へ上がる。
宮田は二階西側の作業員を東階段の近くへ移動させた。他の作業は止めず、ノストスにも新しい指示は出さない。
蒼真は自分ならどうするかを考えた。
ほぼ同じ判断をしたと思う。
ただし、自分なら消防を向かわせる前に、準備室の天井と北側壁面の接続を藤堂へ確認していたかもしれない。
その違いが。
危険なのか。
手順の違いでしかないのか。
今はまだ分からない。
消防が準備室の前へ到着した。
『煙と異臭はありません。扉の表面温度にも異常なし。床へ白い粉が落ちています』
藤堂が映像を拡大する。
『断熱材です。天井裏から落ちています』
「配管が外れた可能性は?」
『あります。ただ、構造材の破片ではありません』
宮田は二階西側の作業停止を継続し、設備班へ天井裏の遠隔確認を依頼した。
異常は、空調配管を固定していた金具の腐食だった。
作業中の振動によって金具が外れ、配管が数センチ下がったことで、周囲の断熱材が隙間から落ちていた。
建物の崩落へ繋がる異常ではない。
それでも、配管の下で作業を続ければ、落下による負傷者が出た可能性がある。
設備班が配管を仮固定し、周辺への立ち入りを禁止する。二階西側以外の作業は、そのまま続けられた。
宮田は必要な範囲だけを止め、原因を確認し、安全な区域の作業を継続した。
最初の異常から、対応完了まで二十八分。
全面停止は行われなかった。
蒼真は記録へ、《介入不要》と入力した。
*
問題が起きたのは、昼休憩を挟んだ後だった。
午後一時四十二分。
東口から大型の保管棚を搬出している最中、小型搬送機の右側車輪が床の亀裂へ落ち込んだ。
保管棚は高さ二・四メートル、重量は四百キロ近い。
搬送機が傾いたことで棚も東側へ傾き、その上部が廊下の壁へ接触した。
作業員二名が棚を支えようとする。
宮田の声がすぐに通信へ入った。
「触らないでください。棚から離れて、東口の外へ退避してください」
作業員が手を離す。
棚は壁へ寄りかかった状態で止まった。
通路の半分以上が塞がれ、東口を退避経路として使うことはできない。
宮田は全作業を止めた。
「東口が塞がれました。校舎内の作業員は南通路を主経路、西側非常口を第二経路へ変更してください。二階の班は東階段を使わず、西階段の安全区域まで移動してください」
午前中に異常が出た西階段。
配管の仮固定は終わっているが、作業区域としてはまだ閉鎖されていた。
久賀が確認する。
『北側壁面の変位はありません。西階段は退避に使用できます。ただし、準備室前を通る際は一列で移動してください』
「分かりました。森下さん、二階班の誘導をお願いします」
『了解しました』
宮田は次にノストスへ連絡した。
「橘さん、東口の保管棚を支えてください。壁へ押しつけるのではなく、倒れないよう上部だけを保持してください」
「了解しました」
ノストスは校舎の外から東口へ近づき、本体左腕を扉の内側へ入れた。
保管棚は壁へ寄りかかっている。強く押せば壁を壊し、手前へ引けば搬送機ごと倒れる可能性がある。
蒼真は手のひらを棚の上部へ添え、荷重を受けた。
「保持しました」
「搬送機の周辺に作業員を入れられますか」
「棚は支えられます。ただ、車輪を亀裂から上げるには、機体をもう一歩入れる必要があります」
「東口の幅は?」
「両肩は通りません。正面からは入れません」
「補助アームだけで搬送機を引けますか」
蒼真は角度と荷重を確認した。
「右側の補助アームを搬送機の下へ入れられます。ただ、棚を左腕だけで支えながら操作することになります」
「危険ですか」
「出来ます。ただし、壁か棚のどちらかが動いた場合、すぐに中止します」
「分かりました。お願いします」
宮田の判断は妥当だった。
蒼真は右側の補助アームを伸ばし、搬送機の車体下部へ入れた。
持ち上げるのではなく、亀裂から外れる分だけ右へ引く。
出力を上げようとした時。
ノストスの上部映像で、何かが動いた。
東口の上。
校舎外壁の一部から、小さな破片が落ちた。
棚が接触した廊下の壁ではない。
東口の庇を支えている外側の柱だった。
蒼真は操作を止めた。
「宮田さん。東口上部の庇から、破片が落ちました」
『位置を送ってください』
蒼真は映像を共有した。
宮田は久賀へ構造確認を頼む。
『久賀さん、東口上部の変位を確認してください』
『今見ています。柱の数値に、僅かな変化があります』
藤堂も映像を確認した。
『保管棚が壁へ接触した衝撃が、扉枠を通じて外側へ伝わった可能性があります。庇の固定部に、以前から亀裂があったのかもしれません』
宮田は数秒間、黙った。
東口を塞ぐ保管棚を動かすには、ノストスが庇の下へ近づかなければならない。
しかし、庇の固定部に異常があるなら、ノストスの振動や搬送機を動かす衝撃で落下する可能性がある。
校舎内には、まだ作業員がいる。
東口は使えないが、南通路と西側非常口から退避できる。
棚を今すぐ動かす必要があるのか。
蒼真には、答えが見えていた。
先に人を出す。
東口の処理は、その後でいい。
宮田も。
同じ情報を持っている。
蒼真は口を開かなかった。
『橘さん』
宮田から通信が入る。
「はい」
『棚を保持したまま、ノストスを下げることはできますか』
「補助アームを搬送機から外せば、一歩ずつ下がれます。ただ、棚は壁へ戻ります」
『壁がもつ可能性は』
藤堂が答える。
『現在の荷重であれば、すぐに倒れる可能性は低いと思います。ただし、棚の固定が外れれば廊下側へ倒れます』
『校舎内の全員が退避するまで、保持を続けられますか』
「できます」
『では、そのまま保持してください。棚と搬送機は今動かしません。森下さん、全員を南通路と西側非常口から退避させてください』
『了解しました』
宮田は、保管棚の撤去を後回しにした。
消防の進入路として使う予定だった南通路も、人員退避へ使う。消防車両は校庭側へ移し、西側非常口から接近できるよう配置を変えた。
作業員たちは班ごとに校舎を出る。
一階にいた十六名が南通路から退避し、二階の十二名は西階段を下りて非常口へ向かった。設備班七名も、工具を置いて南側から出る。
森下が人数を確認する。
『一階班、十六名退避しました。二階班は西階段を移動中です』
宮田は校舎内の映像と、庇の変位を交互に見ている。
ノストスは左腕で保管棚を支えたまま、東口の前から動かない。
庇から、もう一度小さな破片が落ちた。
久賀が報告する。
『変位が少し大きくなっています。急激ではありませんが、固定部の状態を確認するまで庇の下へ人を入れないでください』
『分かりました。消防も東口へは近づけないでください』
残る作業員は、二階の四名。
西階段を下りている。
そこへ、二階班の責任者から通信が入った。
『一名、いません』
宮田がすぐに聞き返す。
『誰ですか』
『備品確認を担当していた笹森さんです。休憩後は一階にいたと思っていました』
森下が入退場記録を確認する。
『笹森さんは退場していません。位置端末の信号は、南校舎二階の中央付近です』
全員退避まで。
あと一人。
宮田は二階の平面図を開いた。
『本人へ連絡します』
応答はなかった。
位置信号は動いていない。
候補者の判断を待つ。
しかし。
人が一人、校舎内に残っている。
東口の庇は変位を続けているが、残された人間は東口付近にはいない。南通路と西側非常口は、まだ使える。
蒼真は時間を確認した。
今すぐ介入する必要はない。
宮田は消防へ指示した。
『消防二名で二階へ向かってください。西側非常口から入り、西階段を使ってください。残る六名は校庭で待機をお願いします』
消防の現地隊長が答える。
『了解。二名、進入します』
『橘さん、棚を保持したまま、ノストスの映像を二階へ送れますか』
「機体からは見えません。校内の監視機器へ接続します」
『お願いします。森下さんは、笹森さんの位置信号を消防へ共有してください』
『分かりました』
二名の消防隊員が西側非常口から校舎へ入った。
笹森の位置は、二階中央の教材準備室を示している。
扉は閉まっていた。
消防隊員が呼びかけても、返事はない。
扉を開ける。
室内では、男性作業員が床へ倒れていた。
意識はある。
備品棚を移動させた際に足を挟まれ、身動きが取れなくなっていた。通信端末も身体の下に入り、応答できなかったらしい。
『要救助者を確認。右足が棚の下です。意識あり』
宮田は状態を確認した。
『棚は二人で動かせますか』
『試します。ただし、中身が入ったままです』
『無理に持ち上げないでください。周辺の備品を外へ出し、重量を減らしてください。必要なら追加二名を向かわせます』
『了解』
消防隊員が棚の中身を取り出す間、宮田は庇の変位と東口の状態も見続けていた。
正面の問題だけへ集中していない。
一階では、ノストスが保管棚を支えている。
二階では、消防が負傷者を救助している。
校庭では、退避した作業員の人数確認が進んでいる。
宮田はそれぞれの担当者へ必要な情報を求め、現場を繋いでいた。
数分後。
軽くなった棚が持ち上げられ、笹森の足が抜かれた。
右足首と膝に痛みがあるものの、骨折は見られない。消防隊員に肩を借りれば歩くこともできた。
『要救助者を確保。西階段から退避します』
『分かりました。西階段の準備室前は一列で通過してください』
宮田は午前中の異常も忘れていなかった。
消防二名と笹森が西側非常口から出る。
森下が最後の一人を確認した。
『作業員二十八名、設備班七名、全員退避しました』
そこで初めて。
宮田はノストスへ次の指示を出した。
『橘さん、棚を壁へゆっくり戻し、東口から離れてください。搬送機と棚は構造確認が終わるまで動かしません』
「了解しました」
蒼真は保管棚へかけていた力を少しずつ緩めた。
棚は廊下の壁へ戻り、そのまま止まった。
ノストスが東口から離れた直後。
庇の端から、コンクリート片が落下した。
大きさは、人の頭ほど。
ノストスが棚を動かし続けていれば、さらに強い振動で固定部が外れた可能性がある。
庇全体は落ちなかった。
それでも。
人が下にいれば。
負傷していたかもしれない。
宮田は校舎全体の立入禁止を決めた。
午後の作業は中止された。
*
現場検証は、校庭に設置された仮設会議室で行われた。
作業員の笹森は消防の処置を受けた後、病院へ向かった。右膝と足首の打撲で、入院の必要はないと判断されている。
東口の庇には、以前から内部亀裂があった。
保管棚が廊下の壁へ接触した衝撃が扉枠を通じて外壁へ伝わり、亀裂が広がったと考えられている。
小型搬送機の車輪が落ちた床の亀裂も、新しいものではなかった。汚れによって隠れており、作業前の確認で見落とされていた。
宮田は時系列に沿って、自分の判断を説明した。
「搬送機が傾いた時点で、最初に作業員を棚から離しました。棚は壁へ寄りかかっていましたが、ノストスで保持できると判断し、東口を空けるため搬送機の移動を依頼しました」
研修責任者が尋ねる。
「庇の破片が落ちた後、搬送機の移動を中止していますね」
「はい。東口を使える状態へ戻すことより、校舎内の人員を別経路から退避させる方が安全だと判断しました」
「ノストスで棚を支え続けた理由は?」
「保持をやめると、棚が廊下側へ倒れる可能性がありました。作業員の退避経路は南通路と西側非常口へ変更したため、ノストスを東口へ残しても退避の妨げにはなりませんでした」
「笹森さんがいないと分かった後は?」
「消防二名を西側非常口から向かわせました。ノストスを使うことも考えましたが、校舎内へ入れず、東口の棚を支える必要もあったため、配置は変えませんでした」
「蒼真さんへ判断を求めようとは思いませんでしたか」
宮田は少し迷った後、蒼真を見た。
「何度か聞こうと思いました」
「聞かなかった理由は?」
「橘さんが何も言わなかったからです」
研修責任者が蒼真を見る。
「どういう意味ですか」
宮田が答える。
「危険な判断をしていたら、橘さんが止めることになっていました。何も言われない間は、自分で判断を続けていいのだと思いました」
「橘さんは、どう考えていましたか」
蒼真は、作業中の記録を見た。
「東口上部から最初の破片が落ちた時点で、棚と搬送機を動かすべきではないと思いました。ただ、宮田さんも同じ情報を受け取っていたので、先に判断を待ちました」
「別の判断をした場合は?」
「棚の移動を続けるなら止めました」
「どの時点で?」
「補助アームへ出力をかける前です。藤堂さんと久賀さんの確認で、庇の変位と棚の接触が関係している可能性が出ていました。そこから先に動かせば、落下する危険がありました」
研修責任者は時刻を確認する。
蒼真が操作を止めた時刻と、宮田が棚の移動中止を決めた時刻には、十二秒の差があった。
「その十二秒を、長いと思いましたか」
蒼真は少し考えた。
「長く感じました」
「危険でしたか」
「ノストスは停止していました。庇の下にも人はいません。待てる時間だったと思います」
「介入しなかった判断は正しかった?」
「結果だけなら。でも、宮田さんが何を見ているのか確認できていなかったので、次からは判断を待つ時も、共有されている情報を確認した方がいいと思います」
宮田が端末へ記録する。
「橘さんが何も言わないことを、安全の確認として受け取ったのも問題ですね」
「どうしてですか」
「橘さんが見落としている可能性もあります。正規支援隊員が黙っているから大丈夫だと考えるのではなく、自分の判断理由を先に伝えるべきでした」
「自分も、黙って見ているだけでは駄目でしたか」
研修責任者が答える。
「答えを教える必要はありません。ただ、候補者がどの情報を確認したのかは共有させるべきでしょう」
蒼真は神代から言われたことを思い出した。
候補者が判断する前に答えを出すな。
しかし。
判断を奪わないことと。
何も話さないことは。
同じではなかった。
「次からは、何を見て判断したのか聞きます」
「それがいいと思います」
現場で起きた問題は、宮田だけの教材ではなかった。
蒼真も。
同行する側として。
学ぶ必要があった。
*
基地へ戻った後、宮田の実地研修評価が行われた。
作業中断。
退避経路の変更。
支援機の配置。
消防への救助要請。
行方不明者の確認。
すべて、制度上の基準を満たしていた。
支援員候補として、初めて《単独判断可能》の項目へ仮承認が付いた。
「合格ですか」
蒼真が研修責任者へ聞いた。
「今回の項目については合格です。次は、支援機を自分で操縦しながら、同じ判断ができるか確認します」
「出来ると思います」
「今日の結果だけで?」
「自分とほとんど同じ判断をしました」
「同じではありません」
「十二秒の差ですか」
「時間だけではありません。橘さんは庇から破片が落ちた時点で、操作を止めています。宮田さんは映像と久賀さんの報告を確認した後で、棚の移動を中止しました」
「必要な情報を確認したからですよね」
「はい。宮田さんの判断は正しいです。ただ、橘さんは情報を言葉にされる前に機体を止めています」
蒼真は記録を見た。
庇から小さな破片が落ちた。
ノストスの操作を止めた。
久賀が変位を確認した。
藤堂が衝撃の伝達を説明した。
宮田が移動中止を決めた。
順番は確かに違う。
「破片が落ちたので、止めただけです」
「それを見て、棚を動かすことと関係があると判断した?」
「可能性があると思いました」
「宮田さんは、関係を確認してから止めています」
「確認してからの方が正しいのでは?」
「手順としては、そうです」
「なら、問題ありません」
研修責任者は否定しなかった。
「今回は問題ありません。十二秒の差で事故は起きませんでした。宮田さんの判断も、制度が求める基準を満たしています」
蒼真は頷いた。
同じ情報を見て。
少し違う順番で考えた。
それでも。
同じ場所へ辿り着いた。
制度は。
機能している。
「誰でも出来ますね」
蒼真が言うと、研修責任者は少し笑った。
「まだ一人目です」
「一人出来たなら、他の人も出来ると思います」
「そうなるといいですね」
蒼真は。
疑っていなかった。
*
帰宅すると、居間の床へ大きな紙が広げられていた。
「ただいま」
「おかえり」
結衣は色鉛筆を持ち、紙の中央へ大きな文字を書いている。
昴も隣へ座り、紙の端に丸らしいものをいくつも描いていた。
「何してるの?」
「文化祭の案内」
結衣が答える。
「どうして家で作ってるの?」
「学校で終わらなかったから」
「手伝っていいの?」
「文字だけなら。絵は美術部の子が明日描く」
「昴のこれは?」
「水玉らしい」
「みずたま!」
昴が色鉛筆を持ち上げた。
文化祭の案内には見えない。
紙の右下に、赤、青、黄色の丸が重なっている。
「これも学校へ持っていくの?」
「持っていかないよ。昴が描きたいって言うから、端に紙を足したの」
よく見ると、大きな紙の横へ別の紙が透明なテープで繋がれていた。
昴が描いているのは、文化祭の案内ではない。
隣に自分の場所を作ってもらったらしい。
「お父さん、ここ押さえて」
結衣が言う。
「どこ?」
「紙の端。丸まるから」
蒼真は結衣の向かいへ座り、紙を押さえた。
結衣は定規を当て、大きな文字の下へ日付を書き始める。
「十一月二十一日?」
「来る?」
「仕事がなければ」
「またそれ」
「まだ予定が確定してないから」
「お母さんは来るって」
「自分も行けるようにするよ」
「平岡のところも、お母さんが来るって」
「平岡君は何をするの?」
「展示の説明」
「何の?」
「モンスター被害からの復興」
結衣の手が少し止まった。
「平岡が、自分でそれ選んだ」
「そう」
「私も手伝ってる」
「喧嘩しない?」
「するかもしれない」
「しないとは言わないんだ」
「意見が違うから仕方ないでしょ」
結衣はもう一度、日付を書き始めた。
「でも、前よりは話せる」
「何が変わったの?」
「分かんない」
「そう」
「聞かないの?」
「分からないなら、今聞いても分からないでしょ」
結衣は少し考え、笑った。
「お父さんも、今日何かあった?」
「研修の現場で、候補の人が一人合格した」
「お父さんみたいな人?」
「同じ支援隊員」
「同じように出来た?」
「出来たよ」
「じゃあ、良かったじゃん」
「うん」
結衣にとって。
それで話は終わった。
制度。
再現性。
判断までの十二秒。
家では。
必要のない話だった。
「ぱぱ!」
昴が紙を指差す。
「みて!」
丸が増えていた。
「何を描いたの?」
「みんな!」
「水玉じゃなかったの?」
「みんな、いる!」
それぞれの丸が。
人らしい。
「お父さんは?」
昴は赤い丸を指差した。
「これ!」
「お母さんは?」
黄色。
「ねえねは?」
青。
「昴は?」
昴は少し考え。
すべての丸の中央へ。
新しい丸を描いた。
色は。
複数が混ざって。
よく分からなくなっていた。
「まんなか!」
「どうして真ん中なの?」
「すばる、だから!」
理由には。
なっていない。
結衣が笑う。
「昴が一番偉いんだ」
「えらい!」
「偉くないよ」
美咲が台所から言った。
「二人とも、片づけて。夕飯にするよ」
昴は紙を片づけようとしない。
「まだ、かく!」
「ご飯の後にしなさい」
「いま!」
「ご飯、いらないの?」
昴は鉛筆と台所を交互に見た。
悩んだ末。
色鉛筆を置いた。
「ごはん」
判断は。
早かった。
*
夜。
日記。
---
十一月十二日。
支援隊員候補の宮田さんが、実地研修で現場支援を担当した。
旧市立第二中学校で、小型搬送機が床の亀裂へ落ち、保管棚が東口を塞いだ。棚が壁へ接触した衝撃で、東口上部の庇にも変位が出た。
宮田さんはノストスに棚を保持させ、作業員を南通路と西側非常口から退避させた。東口を先に直そうとしなかった。
作業員一名が校舎内へ残っていたが、消防二名を向かわせて救助した。負傷は右膝と足首の打撲で、入院はしない。
自分は宮田さんの判断へ介入しなかった。ただ黙って待つのではなく、何を見て判断したのかを共有してもらうべきだったと分かった。
宮田さんは、単独判断可能の項目で仮承認を受けた。
自分と判断の順番は少し違ったが、全員を帰すことが出来た。
制度は機能していると思う。
家では、結衣が文化祭の案内を作っていた。平岡君と、モンスター被害からの復興について展示するらしい。
昴は隣の紙へ、家族全員を丸で描いた。本人は中央にいた。
以上。
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日記を閉じた後、蒼真は今日の十二秒を思い返した。
庇から破片が落ちた瞬間に、蒼真はノストスを止めた。
宮田は久賀と藤堂から情報を受け取り、庇の変位と棚の接触が関係している可能性を確認してから、移動の中止を決めた。
判断の順番は違う。
使った時間も違う。
それでも、どちらも棚を動かさなかった。
誰も庇の下へ入れず、残された作業員も消防が救助した。作業は中止されたが、負傷者を一人も増やさずに全員が帰った。
同じ手順を使えば、同じ結果へ辿り着ける。
少なくとも。
今日は。
そうだった。
支援隊員は、自分だけの仕事ではなくなり始めている。
蒼真は。
そのことを。
素直に嬉しいと思った。
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