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第一話 誤差

 俺は、その日初めて、自分の意思でフレイムワーカーに乗った。


 あの観光施設で展示機へ乗り込んだ時も、確かに俺はフレイムワーカーを動かしていた。


 横倒しになった機体を起こし、モンスターの前へ立ち、腕を伸ばし、歩き、走ったらしい。


 だが、あの時の記憶は途切れ途切れだった。


 警報と悲鳴が響き、血の臭いのする操縦席の熱気。


 機体が立ち上がる時の軋む音。


 そして、拳へ残った感触。


 それ以外は、他人の記録を読んでいるように曖昧だった。


 自分が何を考え、何を見て、どのように身体を動かしたのかほとんど覚えていない。


 だから今日が初めてだった。


 恐怖や混乱に押されるのではなく、命を守るためでもなく。


 業務命令に従い、自分から搭乗口へ足を掛け、自分の意思で機体を動かす。


 本当の意味での初搭乗だった。


     *


 訓練用の搭乗棟は、局の建物から少し離れた場所にあった。


 背の高い格納庫、灰色の外壁、幅の広い搬入口。


 周囲には作業用の資材や交換用の装甲部品が、規則正しく並べられている。


 格納庫の中には、二機のフレイムワーカーが立っていた。


 戦闘用ではない復旧作業と現場監査に使われる、汎用作業機、塗装は白と濃い灰色。


 肩部には復興管理局の識別記号が入っているが武装はない。


 右腕には瓦礫を持ち上げるための補助器具、左腕には地下探査用のセンサー装置が装備されており、戦うための機体ではない。


 説明を聞いて少しだけ安心した。


 それでも五メートル近い鋼鉄の身体を見上げると、胸の奥が重くなる。


 あの日の展示機よりも細く装甲も薄い。威圧感は少ない。


 だが中へ人が乗りその動きに合わせて巨体が動く。その事実は変わらない。


「橘さん」


 整備担当者に呼ばれ、俺は顔を上げた。


「搭乗前確認を始めます」


「はい」


「体調に問題は」


「ありません」


「吐き気、頭痛、手足の痺れ」


「ありません」


「前回の緊急搭乗時に、感覚混乱があったと記録されています」


「少し」


「どの程度ですか」


 答えに困る。


 自分の腕と機体の腕が重なって感じられた。


 機体の手が何かへ触れると自分の掌へ感触が伝わった。


 実際には、神経へ疑似的な信号が返されているだけだと医師からはそう説明された。


 理屈は分かる。


 だがあの拳が自分の手ではないと思い切れない。


「思い出すと、右手に違和感があります」


 正直に答える。


「痛みですか」


「痛みではありません」


「では」


「何かを掴んでいるような」


 整備担当者は端末へ記録する。


 表情は変わらない。


「搭乗中に強い違和感があれば、すぐに申告してください」


「はい」


「我慢する必要はありません」


 その言葉が少し意外だった。


 適性が高く、人手不足のために業務命令がでた。


 ここまでの話を聞く限り、多少の不調は我慢しろと言われるものだと思っていた。


「途中で止めてもいいんですか」


「安全上の問題があれば」


「仕事が遅れても」


「搭乗者が倒れれば、もっと遅れます」


 もっともだった。


 整備担当者が機体を見上げる。


「フレイムワーカーは、人間を強くする機械ではありません」


「そうなんですか」


「人間の動きを大きくする機械です」


 整備担当者は続ける。


「良い動きも。悪い癖も。焦りも。判断の遅れも」


 そして。


「無理も、そのまま大きくなります」


 俺は機体を見る。


 あの日の恐怖も大きくなったのだろうか。


「では、搭乗してください」


 整備担当者に促され俺は梯子へ足を掛けた。


     *


 コックピットは外から想像していたより狭かった。


 人型の巨大機械なのだから、中も広いとどこでそう思っていた。


 だが実際には一人分の座席しかなく、身体を固定する器具かあり、左右へ並ぶ小型モニターと正面を覆う大型表示板、そして頭部と首筋へ接続する補助装置がある。それだけ。


 腕を大きく広げることもできない。座席へ身体を収めると機械の中へ入ったというよりも機械に飲み込まれたような感覚になる。


『搭乗者を確認』


 AIの音声が響く。


 女声で抑揚は薄い。


『氏名、橘蒼真』


「はい」


『業務権限、現場監査補助』


「はい」


『本機の操縦権限を一時付与します』


 左右の固定具が動き、腕、脚、胸と順番に固定される。


 あの日と同じで身体が僅かに硬くなる。


『緊張反応を検出』


「分かるんですか」


『心拍数、呼吸数、筋緊張、皮膚電位を観測しています』


「全部見られているんですね」


『安全管理に必要です』


 分かっているが、それでも気分は良くない。


 操縦席の左右には、補助操作用の操縦桿があった。


 完全な手動操作ではない。


 神経接続型の基本動作を補助し、細かな作業を調整するためのもの。


 俺は右の操縦桿へ手を置いた。


 掌に少し汗をかいていた。


『神経接続補助を開始します』


 首の後ろに軽い圧迫。


 背中が座席が身体へ密着する。


 視界は一度暗くなる。


 次の瞬間、格納庫全体が見えた。正面だけではなく左右、足元、背後。


 複数の外部カメラ映像が、視界の中で一つに組み合わされる。


 自分の目線の位置が突然五メートル近く高くなった。


「……高いな」


『外部視点への移行を確認』


 下を見る。


 整備担当者が足元にいる。気をつけなければと、そう思う。


 機体の足は人間より遥かに大きい。


 一歩間違えれば何かを壊し、誰かを傷つける。


『起立動作を開始してください』


「もう立っているのでは」


『機体固定具を解除します。搭乗者は身体を起こすよう意識してください』


 あの日言われたことと同じ。


 俺は背筋を伸ばし、足を床へ置く感覚。


 膝、腰、重心を自分の身体が立つ時と同じようにゆっくり力を入れる。


 機体の固定具が外れ、フレイムワーカーが僅かに揺れる。


 右脚と左脚の重量が床へ掛かるり機体が立つ。


 あまりにも自然だった。


「動いた」


『起立姿勢、安定』


 AIが答える。


 俺は自分の両手を見るつもりで機体の腕を動かす。


 右腕が上がる。


 少し遅れて巨大な鋼鉄の手が視界へ入る。


 左手を開くと指が同じように開く。


 思ったよりも簡単だった。


 あの日、俺はよく分からないまま動かしていた。


 記憶も曖昧で、自分が何をしたのか他人から聞かなければ、ほとんど分からない。


 だが今日は違う。


 自分が腕を上げた。


 だから機体の腕が上がった。


 自分が立とうと思った。


 だから機体が立った。


 俺は初めてフレイムワーカーを自分の意思で動かした。


 その事実に喜びはなかった。


 代わりに責任のようなものが肩へ乗った。


『歩行を開始してください』


 右脚を前に。そう考えると機体の足が上がる。


 高く足が上がる。そしてゆっくり足を降ろす。


 格納庫が僅かに揺れる。


 次に左脚を前に。そう考える。


 一歩、また一歩と前へ進む。


 怖いほど自然だった。


 この巨体が自分の身体に近づいていく。


 慣れればもっと速く、もっと滑らかに動かせる。


 そう思うと同時に、慣れたくないとも思った。


     *


 格納庫の搬入口が開く。


 外は明るい。


 訓練区画から現場へ続く搬送路。


 俺が乗る機体の隣へ別のフレイムワーカーが歩いてくる。


 濃い灰色。


 俺の機体より装甲に傷が多い。


 肩部の塗装は擦れ、使い込まれていた。


 通信が入る。


『新人か』


 低い男の声で、余計な抑揚がない。


「橘蒼真です」


『黒崎だ。現場監督をしている』


「よろしくお願いします」


『今日は俺に付いてこい』


「はい」


『返事だけは悪くないな』


 褒められたのかそうではないのか、分からない。


 黒崎の機体が俺の前へ出る。


 動きが滑らかだ。


 歩くだけ、それでも経験の差が分かる。


 足を置く位置、重心、腕の振り、周囲への注意。


 人間の歩き方と、ほとんど変わらない。


「元ワーカーだと聞きました」


『誰からだ』


「課長から」


『余計なことを』


「違うんですか」


『今は監督だ』


 否定ではない。


 黒崎は以前戦闘用機へ乗っていた。


 ワーカーをやめた理由は、理由は聞いていない。


 現場を離れたのか、離されたのか、自分から辞めたのか分からない。


『今日の仕事を確認する』


「はい」


『復興現場の監査だ』


「工程表と実作業の確認」


『それだけじゃない』


「ほかに何を」


『人を見る』


 黒崎は短く言う。


「人?」


『AIの工程表は、人間が予定通り動く前提で組まれる』


「休憩や疲労も計算されているはずです」


『数値ではな』


「数値以外に何が」


『行けば分かる』


 それ以上黒崎は答えなかった。


     *


 二機のフレイムワーカーは瓦礫の残る街へ入った。


 モンスター災害から三年。


 街はまだ傷だらけだった。


 遠くから見れば、復旧は進んでいるように見える。


 道路は通れる。電線も繋がっている。一部の建物は営業を再開している。


 だが、現場へ入ると時間が止まったままの場所がある。


 商店街だ。入口の鉄骨製のアーケードは大きく曲がっている。屋根材は、ほとんど剥がれ落ち、残った部分も黒く焼けていた。


 商店街の名前が書かれていたであろう看板が半分失われている。残った文字は読めない。


 道路脇には閉じたシャッター。


 その上に焦げた跡。


 窓は割れたまま建物の一部には。取り壊し予定立入禁止。そう書かれた紙が色褪せている。


 三年は長い。でも、この場所では昨日、起きたことのように見えた。


 その奥で作業員たちは重機で瓦礫を撤去している。


 油圧ショベル。搬送車。小型作業機。人が働いている。


 埃が舞い、けたたましいエンジン音と鉄と石の擦れる音。


 俺たちの機体が近づくと、何人かが手を上げた。


 黒崎も機体の腕を少し上げる。


 俺は真似をするがぎこちない。


『新人を連れてきた』


 黒崎が現場通信へ入る。


『橘だ。今日から監査へ入る』


『ああ、例の高適性か』


 誰かが言う。


 黒崎は間を置く。


『余計なことは言うな』


『悪い悪い』


 作業員達に知られている。それは嫌だった。


 自分が何をしたか。


 観光施設で展示機に乗り戦闘を行った記録。


 適性が知らないところで広がっている。


 俺は監査画面を開く。


 AIの工程表。


 予定進捗率七十三パーセント。


 実績六十一パーセント。


 十二パーセントの遅れ。


「この現場は少し遅れていますね」


『少し、か』


「数字では」


『現場にとって十二パーセントは少しじゃない』


「そうですね」


『そう思ってない声だな』


「書類上の数字しか見ていなかったので」


『なら、今日から見ろ』


 黒崎の声は冷たい。だが怒っているわけではなく、事実を突きつけている。


「遅れの原因は」


『複数ある』


「資材搬入」


『それも』


「重機不足」


『それも』


「作業員の不足」


『それもだ』


「では」


『全部だ』


 黒崎は曲がったアーケードの下をゆっくり進む。


『資材が遅れる。予定を組み直す。組み直した日に雨が降る。足場が崩れる。作業員が別現場へ回される。補充が来る。来た奴が現場に慣れるまで時間が掛かる』


 AIの工程表の画面は整っている。直線と色と数字。


 しかし、実際の現場は埃と疲れ。機械と作業員達は予定通りには動かない。


『AIは遅れを再計算する』


「はい」


『だが、再計算した工程もまた、次の予定でしかない』


「それを監査するのが」


『俺たちだ』


 その時だった。


 操縦席に短い警告音。


 モニターには赤の表示。


 それは、敵性生物の反応。規模は小。


 距離、二十メートル。推定位置、地下。


 俺の身体が固まり、呼吸が止まる。


 目の前の瓦礫の下に暗い空間。


 何かがいる。


 あの日の黒い甲殻、口、牙の記憶がよみがえる。


『恐怖反応を検出』


 AIは平坦に言う。


「分かってる」


 操縦桿を強く握る。


 右手に違和感。


 拳を振り下ろした感触。


 黒崎の声が入る。


『見えてるな』


「はい」


 短く答える。


 声が自分でも硬いと分かる。


『どう思う』


 突然聞かれる。


「どう、と言われても」


『監督だろ』


「初日です」


『だから聞いてる』


 俺は表示を見る。


 反応は小。地下二十メートル。変化なし。


 AIの推定は敵性生物である可能性三十八パーセント。


 地下空洞に二十九パーセント。


 破損した旧設備に二十一パーセント。


 その他が十二パーセント。


 モンスターではない可能性の方が高い。


 だが、ゼロではない。


 現場作業は続いている。


 人が近い。重機は地面へ振動を与える。


 もし、地下に本当に何かがいるなら。


「確認すべきだと思います」


 俺は答える。


 少しの沈黙。


 黒崎が僅かに笑った気がした。


『事務屋らしい』


「悪い意味ですか」


『半分はな』


「残り半分は」


『現場を止める判断は、数字だけじゃできない』


「なら、確認が必要です」


『そうだ』


 黒崎の声。


 すぐ冷たく戻る。


『だが、AIは安全側に判断する』


「安全側?」


 一瞬意味が分からなかった。


『リスクを大きめに取る傾向が強い』


「危険を見逃すよりはいいのでは」


『書類の上ではな』


「現場では違う」


『止まるからだ』


 黒崎は周囲を見る。


『作業員も。重機も。搬送も。全部』


「でも、安全のためなら」


『毎回止めればいいと思うか』


 答えられない。


『小さな反応。微細な振動。熱源。地下空洞。誤認識。全部拾う』


「見逃すより」


『それを一日に何度もやれば、作業は進まない』


「でも、一度でも本物なら」


『人が死ぬ』


 黒崎が先に言う。


 その言葉は短く重い。


「では」


『だから人間が判断する』


 その言葉。


 日記を思い出す。


 AIは答えを示す。


 採用するか決めるのは人間。


 責任を負うのは俺たち。


 現場作業員の一人が通信へ入る。


『監督』


 年配の男の声。


『止めるのか』


 黒崎は、すぐには答えない。


 フレイムワーカーの顔が俺を見る。


 通信越しで顔は見えない。


 それでもこちらへ判断を渡している。


「反応の変化は」


『なし』


 AIが答える。


「地表の異常は」


『確認されません』


「過去に、この地点で反応は」


『三回検出。いずれも敵性生物なし』


 誤差。


 そう思う。


 確率は低い。


 作業を止めればまた遅れる。


 十二パーセントさらに広がる。


 でも地下は見えない。


 人が近い。俺が続行を認め、何かが出たら。誰かが死ぬ。


 その責任を負えるのか。


「作業員を退避させて、確認するべきです」


 俺は言う。


 黒崎から返事はない。


「過去三回が誤差でも、今回が同じとは限りません」


『時間を使うぞ』


「分かっています」


『工程が遅れる』


「分かっています」


『現場から不満も出る』


「それでも」


 俺は息を吸う。


「確認せずに続ける理由にはならないと思います」


 沈黙。


 現場の通信。


 誰も話さない。


 その時年配の作業員が言った。


『誤差だと作業を進めたら』


 声が低い。


『三秒後に、仲間はいなくなっちまった』


 俺の身体が僅かに動く。


『小さい反応だった。監督も、AIの誤差だって言った』


 重機の音はまだ続いている。


 作業員の声がその音に押し潰されそうになる。


『そいつは地下から出た。俺の隣にいた奴を咥えて、そのまま潜った』


 想像してしまう。


 地面が割れ、人が消える。


『三秒だ』


 作業員が続ける。


『止めるって決めてから、全員に伝わるまで三秒あった』


 声は震えていない。


 だから余計に重い。


『誤差って何だ』


 怒鳴る。


 作業員は初めて感情的になる。


『命を懸ける俺たちに、誤差なんて言葉はねえんだよ!』


 通信が静かになる。


 黒崎は何も言わない。


 俺も言えない。


 誤差。


 数字。


 予測。


 確率。


 書類では小さな差。


 現場では人がいなくなる。


 黒崎が現場主任へ通信を入れる。


『作業停止』


 短い。


 迷いなし。


 数秒沈黙。


 主任の返事。


『了解』


 声色が僅かに安堵していた。


 作業員たちが一斉に動く。


 重機停止。


 エンジン音が落ちる。


 作業員が規定区域から離れる。


 点呼。


 誘導。


 無駄がない。


 何度も経験している。


 その動きは慣れている。


 それが怖かった。


     *


 俺たちは反応地点へ近づいた。


 瓦礫の山、崩れた建物、道路の下の旧配管。


 地下設備に何があるか表面からは分からない。


 黒崎の機体が左腕の探査装置を地面へ向ける。


『お前もやれ』


「はい」


 俺は機体の左腕を動かす。


 センサー装置を起動し地下へ低い振動を送る。


 反射を解析しモニターを見る。


 線、波形、立体図が表示される。


 だが見方が分からない。


「どこを見れば」


『形を見るな』


「では」


『変化を見ろ』


「変化」


『空洞。密度。熱。動き』


 黒崎と自分の機体のデータを共有する。


 二つを重ねる。


『一回の結果を信じるな』


「AIの解析は」


『参考だ』


「信頼しないんですか」


『信頼してる』


「なら」


『信頼することと、任せることは違う』


 黒崎の声は低い。


『AIは見つけたものを示す。見つけられなかったものは示せない』


「当たり前では」


『その当たり前を忘れるな』


 数分掛かる。


 長い何も動かない。


 だが、警告は消えない。


 地下反応微弱で一定。


 生物なら少しは動くはず。


 呼吸。


 体温。


 振動。


 でも、変化はない。


 解析結果を更新。


 敵性生物の可能性二十二パーセント。


 地下空洞五十六パーセント。


 さらに下がる。


 黒崎が聞く。


『どう見る』


「動きがない」


『それだけか』


「熱源もない」


『ほかは』


「形が」


 言いかけ形を見るなと言われた俺は。


 立体図と密度差を見る。


 規則性があり、横長い。


「自然な空洞ではない」


『理由は』


「幅が一定です」


『そうだ』


「旧設備」


『多分な』


 さらに過去の都市図面を照合。


 旧排水路。


 災害前。


 閉鎖予定。


 崩落が一部。


 記録欠損。


 反応位置は一致。


 AIの最終判定は、地下空洞があり、敵性生物反応なし。


 警告表示が黄色に変わり消える。


 俺は息を吐く。


 いつから止めていたか分からない。


『誤差だな』


 黒崎が冷静に言う。


 だが、作業を止めたことを責める声ではない。


「結果としては」


『結果はな』


「止める必要はなかった」


『違う』


 黒崎がすぐに否定する。


『確認する必要はあった』


「でも、誤差でした」


『だから何だ』


 俺は答えられない。


『誤差だったと分かったのは、確認した後だ』


 黒崎の言葉が続く。


『確認する前に誤差と決めるのは、判断じゃない』


「賭けですか」


『そうだ』


 現場主任へ黒崎は通信を入れる。


『地下空洞を確認。敵性反応なし。作業再開可能』


『了解』


 重機が再び動き出す。


 作業員も現場に戻る。


 先ほどの年配の男が機体を見上げ、手を上げる。


『確認してくれりゃ、それでいい』


 声が先ほどよりも落ち着いている。


『誤差で命を捨てたくねえからな』


 少し。笑う。


『これからも頼むぜ、新人監督』


 俺は何と答えればいいか、少し迷い。


「はい」


 結局それしか言えなかった。


 でも今度の返事は、格納庫でのものとは少し違った。


     *


 監査を終え。


 帰路。


 黒崎の機体の前には俺の機体。


 後ろでは日が傾いている。


 瓦礫の街に長い影が落ちる。


『今日、何を見た』


 黒崎が突然聞く。


「復旧作業の遅れ」


『それは書類にある』


「現場の状況」


『曖昧だ』


「人です」


 俺は答える。


『何を』


「AIの工程表には、作業員の不安までは書かれていなかった」


 黒崎は黙る。


「警告を無視された経験も」


『そうだな』


「遅れの原因は、資材や人手だけではない」


『続けろ』


「安全確認に時間が掛かる」


『当たり前だ』


「その当たり前が、工程表では遅れになる」


 黒崎は短く笑う。


『事務屋らしい』


「また悪口ですか」


『今は褒めてる』


「分かりにくいです」


『分かりやすくする必要がない』


 黒は前を見る。


『今日、作業を止めたことを後悔してるか』


「少し」


『なぜ』


「結果は空洞だった」


『結果論だ』


「分かっています」


『なら、次も止められるか』


 すぐには答えられない。


 止めれば作業が遅れる。


 金と人。


 工程へ影響。


 不満は増える。


 でも止めなければ、誰かが死ぬかもしれない。


「同じ条件なら」


 俺は言う。


「止めます」


『同じ条件なんて二度と来ない』


 黒崎が冷静に言う。


『次は反応がもっと小さいかもしれない。工程の遅れがもっと大きいかもしれない。止めれば病院の再建が遅れるかもしれない』


「では」


『そのたび考えろ』


「正解は」


『ない』


 黒崎は言い切る。


『正解があるなら、AIに任せればいい』


 その言葉が胸へ残る。


『俺たちは、正解がない時に決めるためにいる』


 俺はモニターを見る。


 AIの工程。


 現場記録。


 警告ログ。


 全部整っている。


 でも決めるのは人間。


「責任も」


『人間が負う』


 黒崎の答は短い。


「嫌な仕事ですね」


『今頃気づいたか』


「事務でも同じでした」


『なら、向いてる』


「適性があるからですか」


『違う』


 黒崎は少し間考え。


『嫌だと思えるからだ』


 それ以上黒崎は話さなかった。


     *


 帰宅したのは夜だった。


 玄関を開ける。


 家は明るい。


 料理の匂い。


 機械油、埃、汗。


 自分に付いた現場の臭いが急に、場違いに感じる。


「おかえりー!」


 声と共に居間から結衣が走ってくる。


 小学三年生、元気の塊のような子。


 少し前まで旅行で見た展示機の話を何度もしていた。


 あの日以降しばらくはフレイムワーカーの話をしなかった。


 でも最近少しずつ戻っている。


「ただいま」


「お父さん、今日フレイムワーカーに乗ったの!?」


 いきなりそれを聞く。


「誰から聞いた」


「お母さん」


 美咲が台所から顔を出す。


「仕事の予定表に書いてあったでしょう」


「そうだったか」


「忘れてたの?」


「覚えてた」


「今、誰から聞いたって聞いたでしょう」


「確認しただけ」


 結衣は待てない様子で。


「乗った?」


「乗った」


「動かした?」


「動かした」


「歩いた?」


「歩いた」


「走った?」


「走ってない」


「何で?」


「仕事だから」


 結衣の目が輝く。


「すごい!」


「歩いただけだ」


「でも、フレイムワーカーだよ」


「そうだな」


「大きかった?」


「中からは大きさが分かりにくい」


「高かった?」


「高かった」


「どんな感じ?」


 答えが難しい。


 自分の身体が大きくなる。


 自然に動く。


 怖いほど。


 そう言えば、結衣はどう受け取る?


「狭かった」


「中が?」


「コックピット」


「もっと格好いい感想ないの?」


「モニターが多かった」


「それだけ?」


「座席が固かった」


「お父さん、つまんない」


 結衣は口を尖らせる。


 でも、すぐに笑う。


「私も乗りたいな」


 美咲の手が止まる。


 包丁がまな板を叩く僅かな音。


 結衣は気づかない。


「大人になったら」


「何に」


「フレイムワーカー」


「乗るだけなら、見学でも」


「違う」


 結衣が胸を張る。


「ワーカーになりたい!」


 その言葉は初めて聞いた。


 以前、フレイムワーカーを格好いいと言っていた。


 展示を見たがっていた。


 でも、自分が乗る。仕事にすると、そう言ったのは初めて。


「ワーカーに?」


「うん!」


「どうして」


「人を助けるから」


「作業でも?」


「モンスターも倒す」


 美咲が台所から言う。


「駄目よ」


 声は強くはない。


 でも迷いがない。


 結衣は振り返る。


「何で?」


「危ない仕事だから」


「でも、お父さんも乗ってる」


「お父さんは監督」


「同じじゃん」


「違う」


「何が?」


 美咲が答えるまで少し時間が掛かる。


「戦わないから」


 俺はその言葉を聞く。


 約束をした。


 監督だけで戦わない。


 今日モンスター反応があった。


 もし、本物だったら自分はどうした?


「でも、ワーカーはヒーローじゃん」


 結衣は不満そう。


「モンスターを倒して、人を守るんだよ」


 美咲は黙り包丁を置く。


「ヒーローでも」


 一度息を吸う。


「人は変わるの」


 結衣は意味が分からない顔。


「何が変わるの?」


「いろいろ」


「分かんない」


「今は分からなくていい」


「お母さん、いつもそう言う」


 美咲は困った顔をして俺を見る。


 何か言ってほしいのか、それとも何も言わないでほしいのか、分からない。


「結衣」


「何」


「ワーカーになるのは、格好いいだけの仕事じゃない」


「分かってるよ」


「本当に?」


「危ない」


「それだけじゃない」


「じゃあ何?」


 今日作業員が誤差の判断で三秒後に仲間が消えた。


 判断と責任。


 でも小学三年生にどう話せばいい。


「誰かの命について、決めないといけないことがある」


 結衣は首を傾げる。


「助けるかどうか?」


「それも」


「助ければいいじゃん」


「助けるために、別の誰かを危険にすることもある」


「何で?」


「全部を助けられないことがあるから」


「お父さん、難しい」


「そうだな」


 結衣は少し考える。


「でも、私は助ける人になりたい」


 迷いがない。


 純粋。


 蒼真はその言葉を否定できない。


 美咲も否定しきれない。


 だから怖い。


 美咲は俺を見る。


「お疲れ様」


 普通の言葉。


 いつも言う。


 でも、その目は俺を確かめていた。


 何か変わっていないか。


 声。


 表情。


 話し方。


 フレイムワーカーに乗った日以前と同じ人間で帰ってきたか。


 俺は少しだけ不安になる。


「ただいま」


 もう一度言う。


 言葉が必要な気がした。


     *


 夕食の時、結衣の質問は止まらない。


「機体の色は?」


「白と灰色」


「武器は?」


「ない」


「本当に?」


「作業用だから」


「パンチはできる?」


「腕は動く」


「じゃあできるじゃん」


「やらない」


「キックは?」


「やらない」


「モンスターはいた?」


 箸が止まる。


 俺は少し迷う。


 美咲がこちらを見る。


「反応はあった」


「本物?」


「誤差だった」


 結衣は少し残念そう。


「何だ」


「何だ、じゃない」


「見たかったな」


「見たいものじゃない」


 声が思ったより強く出る。


 結衣は目を見開く。


「ごめん」


 俺はすぐに言う。


「怒ってない」


「怒ってる声だった」


「怒ってない」


「じゃあ何」


 言葉を探す。


 地下に反応。


 作業員が言った仲間。


「怖かった」


 結衣が見る。


「モンスター、いなかったのに?」


「いないと分かるまでは、いるかもしれなかった」


「でも、フレイムワーカーに乗ってたじゃん」


「乗っていても怖い」


「強いのに?」


「機体は強い」


「お父さんも強くなるんじゃないの?」


「ならない」


「どうして」


「中身は俺のままだから」


 結衣は少し考える。


「じゃあ、怖いお父さんが大きくなるの?」


 俺は一瞬答えられない。


 美咲も手が止まる。


「そうかもしれない」


 言う。


 結衣は笑う。


「変なの」


「俺もそう思う」


 でもその言葉は妙に正しい。


 フレイムワーカーは、人を強くする機械ではない、人間の動きを大きくする。


 良いものも悪いものも、恐怖も無理も全部、大きくする。


     *


 その夜ベッドへ入っても。


 地下の暗闇が頭から離れなかった。


 実際には何もいなかった。


 地下空洞。


 旧排水路。


 ただの誤認識。


 誤差。


 それでもモニターへ赤い警告が出た瞬間。


 身体はあの日へ戻った。


 警報。


 牙。


 黒い甲殻。


 拳。


 命。


 俺は右手を開く。


 暗い部屋。


 自分の手。


 何も握っていない。


 隣には美咲。


 眠っている。


 背中がこちらを向いている。


 寝ているのか分からない。


 俺は声を掛けない。


 美咲も何も言わない。


 沈黙。だけが長い。


 その時枕元のスマートデバイスが淡く光った。


 通知。


 業務AI。


 現場監査記録。


 更新。


 俺は。


 画面を開く。


 短いログ。


『観測ログ更新』


 次項目を表示。


『搭乗者 橘蒼真』


『地下敵性反応警告時』


『心拍数上昇』


『筋緊張増加』


『呼吸数増加』


『判断遅延 基準範囲内』


『退避判断 未実施』


『安全確認行動 実施』


 最後に一行。


『恐怖反応 正常』


 俺はその文字をしばらく見つめた。


 正常?何と比べて正常なのか。


 怖がった。


 だから正常。


 逃げなかった。


 それでも正常。


 AIは俺の恐怖を数値へ変える。


 心拍。呼吸。筋肉。反応時間。


 そして正常と分類する。


 だが、俺には分からない。


 恐怖を抱えたまま機体へ乗り続けることが、本当に正常なのか。


 怖くなくなることと、どちらが。人間として正しいのか。


 デバイスを消す。


 暗闇に戻る。


「起きてる?」


 美咲の声。


 背中を向けたまま。


「うん」


「怖かった?」


 今日のこと。


 それとも、これからのこと。


 分からない。


「怖かった」


 俺は答える。


 美咲が少し息を吐く。


「そう」


 それだけ。


 でも。安心したように聞こえた。


 俺はデバイスの消えた画面を見る。


 さっきの文字。


 まだ目に残っている。


 橘蒼真。


 恐怖反応。


 正常。


 怖いままでいることをAIは、異常とは判断しなかった。


 そのことに俺は少しだけ安心した。


 同時になぜ安心したのか自分でも分からなかった。


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