表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/51

ep.1 プロローグ 望んでいない才能

 小型モンスターは、地面へ叩きつけられても止まらなかった。


 黒い甲殻を擦りながら転がり、四肢をばらばらに動かす。


 人間であれば、骨の一本や二本では済まない衝撃だったはずだ。


 それでも異形は地面へ爪を立てた。


 身を起こし、裂けたような口の奥から、濁った息が漏れた。


 牙の間から先ほど噛みついた係員の血が糸を引いている。


 蒼真の呼吸が止まる。


 まだ生きている。


 いや、こちらを殺すつもりでいる。


『敵性個体の活動継続を確認』


 AIの声が、操縦席へ静かに響く。


「見れば分かる」


『右手部の機能低下』


 視界の端に機体図が映る。


 右手が黄色く表示されている。


 鋼鉄の指が二本、僅かに歪み、開閉が遅れていた。


 噛みつかれただけでこんなに壊れる。


 蒼真は、自分の右手を見るような感覚で、機体の手を動かした。


 指が軋む。その振動が自分の骨へ伝わってくる気がした。


「気持ち悪い」


『生体同期率が急速に上昇しています』


「下げろ」


『手動制御では反応速度が不足します』


「なら、どうすればいい」


『現在の同期状態を維持してください』


「嫌だ」


『敵性個体が再接近します』


 小型モンスターが、低い姿勢を取る。


 腹が地面へ触れそうなほど身体を沈める。


 後ろ脚の筋肉が膨らむ。


 来るのが分かる。


 自分の身体で相手の動きを見ているようだった。


 蒼真は腕を上げるが右手は使えない。


 左腕を前へ出し肘を曲げる。


 何をすればいい。


 殴るのか。


 掴むのか。


 避けるのか。


 後ろには人がいる。


 避ければモンスターは避難者へ向かう。


 受けるしかない。


 怖い。


 怖い。


 怖い。


 心臓の音が機体の警告音より大きく聞こえる。


「来るな」


 声が震える。


「来るなよ」


 小型モンスターは止まらない。


 黒い身体が地面を蹴る。


 弾かれたように跳んだ。


 牙を剥き口を大きく開く。


 蒼真の視界を埋める。


 左腕を前へだす。モンスターの顎が装甲へ噛みつく。衝撃で機体が大きく傾く。


「うっ……!」


 座席の固定具が胸へ食い込む。


 機体の左腕に異形がぶら下がる。


 顎が閉じ、金属が潰れる。


『左前腕部装甲に損傷』


「離れろ!」


 腕を振るが外れない。


 もう一度強く腕を振り下ろす。


 小型モンスターの身体が地面へぶつかる。


 それでも牙が食い込んだまま離れない。


 蒼真は右手を動かすが歪んだ指の動きは遅い。


 それでもモンスターの首へ伸ばす。


 甲殻を掴むと、硬くて滑る


「離せ」


 力機体の右手に力を込め黒い首を締める。


 モンスターが暴れる。


 四肢で装甲を引っ掻くたびに火花が散る。


 視界が警告で赤く染まる。


 「離せ!」


 蒼真は叫び機体の腕を引く。


 右手で首を掴み左腕を引き抜く。


 牙が装甲板を削り金属片が飛ぶ。


 ようやくモンスターの口が外れる。


 蒼真は黒い身体を両手で持っていた。


 重く機体の腕が下がる。


 小型モンスターが暴れる。


 手の中で生きている。


 人間より大きい生き物。


 それを自分が掴んでいる。


『敵性個体を拘束中』


「この後は」


『敵性個体の排除を推奨します』


「排除って」


『活動停止処置』


「どうやって」


 AIは一瞬も迷わない。


『頸部の圧壊、地面への高速度衝突、胸部中枢への打撃が有効です』


 淡々と何の感情もない。


 蒼真の手の中でモンスターが身体を捩る。


 口を開き牙を鳴らす。まだ生きている。


 殺そうと人を噛んだ。


 放せば次も人を襲う


 誰かが死ぬ事は分かっている。


 それでも蒼真の腕は動かなかった。


「動きを止めるだけでは」


『一時的な拘束は可能です』


「それでいい」


『拘束設備がありません』


「警備機に渡す」


『警備機は大型個体と交戦中です』


 外部映像に大型モンスターと警備機がぶつかり合っている。


 防盾はひしゃげている。


 もう一機は小型二体を相手にして、とても余裕はない。


『現在位置で拘束を継続した場合、他の敵性個体への対応は困難です』


「俺は対応する人間じゃない」


『緊急搭乗者です』


「違う」


『敵性個体の抵抗が増大しています』


 右手が滑りモンスターの首の甲殻を掴みきれない。


 左腕は損傷し力が弱い。


 このままでは逃げる。


 背後には避難者。美咲と結衣も居る。


 蒼真は外部映像の端に二人を探す。


 赤い誘導灯で補助通路に人の流れが出来ている。


 そこに美咲が結衣の肩を抱いている。


 二人ともこちらを見ていた。


 自分が何をするのか見ている。


 この巨人が怪物をどうするのか。


 結衣の顔は遠い。


 それでも表情が見える気がした。


 怯えている。


 泣いている。


 蒼真は息を吸い静に吐く。


 何をすればいい。


 何が正しい。


 答えなどない。


 生かしておけば小型モンスターは誰かを傷つくけ殺す。


 自分が殺すかどちらかを選ぶしかない。


 AIは答えない。


 いや、答えは出している。


 活動停止が最適解。


 蒼真はそれを選びたくない。


 でも選ばなければならない。


「見ないでくれ」


 誰へ言ったのか分からない。


 美咲に?結衣に?自分に?


 蒼真はモンスターを地面へ押さえつける。


 機体の左膝を黒い胴体へ当てる。


 小型モンスターが暴れ、爪で地面を掻き、舗装を削る。


『胸部中枢が露出しています』


 視界にはモンスターの胸が。甲殻の隙間に淡く脈動する部分が映る。


 機体の右拳を握るが歪んだ指が完全には閉じない。


「一度で終わるか」


『適切な角度と出力であれば』


「失敗したら」


『再度の打撃が必要です』


 嫌だ。二度も、三度も殴りたくない。


 蒼真は胸を狙う。


 自分の拳だか人間の拳ではない。


 鋼鉄の巨大な拳。


 これを振り下ろせば壊れる。


 生き物が壊れる。


 腕が震えていた。


 機体の腕も僅かに震えている。


『打撃動作の遅延を確認』


「黙れ」


『敵性個体の拘束限界まで残り推定五秒』


「黙れ!」


『四秒』


 モンスターが身体を捩り、膝の下から抜けようとする。


『三秒』


「やめろ」


『二秒』


 蒼真は拳を振り下ろした。


 音は聞こえなかった。


 いや大きすぎて理解できなかった。


 右拳がモンスターの胸へ落ちる。


 黒い甲殻が砕け地面が割れる。


 機体と腕が止まる。


 何か潰れる感触。


 人間の手では知るはずのない感触。


 それが自分の掌へ伝わった。


 小型モンスターの四肢が一度、大きく跳ねる。


 その後でふと力が抜けた。


 動かない。


『敵性個体の活動停止を確認』


 AIの声は静かだが変わらない。


 蒼真は拳を上げられなかった。


 機体の腕がモンスターの胸へ沈んだまま止まっている。


「終わったのか」


『対象個体の生命反応は消失しました』


 生命反応消失。殺した。


 蒼真が自分の手で殺した。


 吐き気が襲う。喉が熱く息ができない。


 視界は狭くなる。


「お父さん!」


 外で結衣の声が聞こえた気がした。


 蒼真は顔を上げる。


 補助通路。


 人々が動いている。


 美咲が結衣を引く。


 今度こそ避難していく。


 生きている。


 二人とも。


 生きている。


 それだけでよかった。本当にそれだけで。


 足元にはふモンスターの死骸。


 見ない。


 見られない。


『新たな敵性個体が接近』


「もう無理だ」


 蒼真は呟く。


『距離、四十二メートル』


「動けない」


『小型個体一。進行方向は避難通路』


 外部映像は森側を映す。


 もう一一番機を抜けた。


 避難通路へ。美咲と結衣はまだ完全には入っていない。


「嘘だろ」


 右拳をようやく持ち上げる。


 黒い液体の破片が装甲へ付着。


 見ない。


 見ない。


 今は考えない。


 フレイムワーカーを一歩前へ動かす。


 機体の損傷は右手、左腕、肩、胸に警告が点滅している。


 それでも歩く。


 次の一歩は自分の脚のよう。


 いや自分の脚ではない。


 分からなくなる。


 蒼真の身体は座席へ固定されている。


 でも足裏に地面がある。


 五メートルの高さ。


 風、熱、振動。すべて自分の感覚。


 小型モンスターがこちらに気づく。


 方向を変える。


 避難者ではなく蒼真への方に来る。


「こっちへ来い」


 声は震えている。


「俺の方へ来い」


 モンスターが走る。


 蒼真と機体を前へ走らせる。


 走り方は知らない。


 それでも身体が覚えている。


 右脚。左脚。腕を振る。


 重心を前に。


 巨大な機体がぎこちなく。


 確かに加速する。


『走行動作を確認。緊急搭乗者の運動伝達精度、基準値を超過』


「今言うことか」


 距離が縮まるりらモンスター型が跳ぶ。


 先ほどと同じ。


 牙。


 口。


 蒼真は同じよさ巨大モンスターの身体へぶつかる。


 衝撃で小型モンスターが空中で回転し地面へ落ちる。


 蒼真は止まら近づく。


 足を上げ踏む。


 できない。


 また足が止まる。


 モンスターが身体を起こす。


 迷っている間、相手は待たない。


 爪を機体の脚へ。


 深く食い込む。


 警告が鳴り、膝の力が抜ける。


「うわっ!」


 機体が片膝をつく。


 小型モンスターが脚へ噛みつく。


 蒼真は左手を伸ばす。


 掴んで今度は頭部ではなく、後ろ脚を持ち上げる。


 逆さだけのモンスターは暴れる。


 口は届かない。


 それでも殺し方が分からない。


 考えたくない。


 振り回して遠くへ投げる。


 森は避難者のいない方向。


 腕を振り放す。

 

 小型モンスターの身体が宙を飛ぶ。


 樹木へ衝突し幹がさ折れる。


 黒い身体が地面へ落ち、動かない。


『対象個体の反応低下』


「死んだのか」


『生命反応を確認。行動不能状態です』


 生きている。


 蒼真は安堵した。


 安堵してしまった。


 人を襲った怪物が生きていることに。


 自分でもなぜ安心分からなかった。


 警備機が一体近づく。


『展示機の緊急搭乗者、聞こえるか!』


 男の声。


「聞こえます」


『その場から後退しろ! こちらで処理する!』


「避難通路は」


『間もなく閉鎖! 一般客は地下へ入る!』


 美咲。


 結衣。


 外部映像が見える。


 二人が補助通路の奥へ入る。


 扉が閉じ始める。


 結衣が最後までこちらを見ている。


 蒼真は機体の腕を上げようとする。


 大丈夫。そう伝えるため。


 でも。腕が動かない。


 損傷。


 警告。


 力が抜ける。


 扉が閉じ二人の姿が消える。


 その瞬間。蒼真の身体からすべての力が抜けた。


「よかった」


 声が漏れる。


 もう立っている理由がない。


 機体も膝をつく。


『姿勢制御の低下を確認』


「降りたい」


『戦闘区域内です』


「降ろしてくれ」


『安全地点への移動を推奨』


「動けない」


 呼吸が速く、指は震える。吐き気もする


 視界は点滅。


 モンスターの死骸。


 黒い液体。


 自分の拳。


「俺がやったのか」


『第一小型個体への活動停止処置は、緊急搭乗者の操作によるものです』


「聞いてない」


『質問を確認しました』


「聞いてない!」


 叫ぶ。


 何へ。


 AIへ。


 自分へ。


 分からない。


 右拳が汚れている。


 外部カメラ。


 別映像に切り替える。


 見たくない。


 でもどこへ切り替えても。


 戦場。


 大型モンスターと警備機。


 壊れた会場。


 血。


 瓦礫。


 倒れた人。


 助けたワーカー。


 瓦礫の陰。


 まだあそこにいる。


「救助した人」


『搭乗者を指していますか』


「そうだ。生きてるか」


『外部生体センサーでは詳細を確認できません』


「戻る」


『推奨されません』


「戻る」


 機体を立たせる。


 脚部損傷。


 一歩引きずる。


 警備機が前へ出る。


『待て! 大型がまだいる!』


「人がいる!」


『救助班を向かわせる!』


「どこに」


『あと二分!』


 二分。


 長い。


 あの呼吸。


 浅かった。


 蒼真は歩く。警備機が大型へ向かう。


 もう一機小型を追う。


 展示機。


 壊れた機体。


 武装なし。


 蒼真はそれでも。


 救助した男のところへ戻る。


 瓦礫の陰に見える人影。


 動いている男。


 先ほどまで気を失っていたワーカーが上体を起こしていた。


 ヘルメットは外れている。


 顔からは血が流れているが、目を開いている。


 蒼真をいや、展示機を見ている。


 意識があるよかった。


 蒼真は機体を止める。


『搭乗者』


 男の声は弱い。


 外部音声が拾う。


『聞こえるか』


「聞こえます」


『誰だ』


 蒼真は答えようとする。


 名前は橘蒼真。


 でも言葉が出ない。


 視界が揺れる。


 吐き気がし、頭が痛い。


『おい』


「家族が」


『何だ』


「家族は避難した」


『そうか』


「よかった」


 それだけ言う。


 座席に背中が沈む。


 緊張の糸が切れる。


 AIの声。


『緊急搭乗者の意識水準が低下』


「眠い」


『意識を維持してください』


「無理」


『戦闘区域内です』


「もういいだろ」


『良くありません』


 妙に人間らしく聞こえた。


 でも、多分気のせい。


 蒼真は目を閉じる。


 閉じてはいけない。


 分かっている。


 でも。重い。


 最後に見えたのは瓦礫の陰からこちらを見ている救助した男の顔だった。


 知っている。


 やはりどこかで見たことがある。


 そう思った。


 名前を思い出す前に。


 蒼真の意識は途切れた。


     *


 目を覚ました時白い天井が見えた。


 消毒液の臭い。


 遠くで機械音。


 病院。


 そう理解するまで少し掛かった。


「蒼真」


 美咲の声の方に顔を向ける。


 椅子に美咲が座り隣には結衣。


 目が赤い。


「……無事か」


 最初に出た言葉。


 美咲の表情が崩れる。


「それはこっちの台詞」


「結衣」


「いる」


 結衣が小さく答える。


「怪我は」


「膝だけ」


「美咲は」


「肩を打っただけ」


「そうか」


 蒼真は息を吐く。


 全身が痛い。


 筋肉痛のように長時間、運動した後のよう。


 腕。脚。背中。特に右手が痛む。


 自分の手を見る。


 緊急ハッチを開けた時の切り傷。


 でも痛みの感覚はそれだけではない。


 拳が、何かを潰した感触を思い出す。


 黒い甲殻の小型モンスター。


 蒼真の呼吸が止まる。


「大丈夫?」


 美咲。


「……俺は」


 どこまで覚えている?


 警報。森。倒れた機体。救助。


 家族の方へ向かうモンスター。


 操縦席に立つ。


 その後の映像は断片。


 拳。衝撃。


 でも現実感がない。


 夢。


 悪い夢。


「俺、乗ったのか」


 美咲は答えない。


 結衣が蒼真を見る。


「乗ったよ」


 声が硬い。


「お父さんが」


「そうか」


「分からなかった」


「何が」


「最初は、誰が乗ってるか」


 結衣は膝の上で手を握る。


「でも、声で分かった」


「そうか」


「逃げろって」


「……言ったか」


「覚えてないの?」


「少し」


 蒼真は天井を見る。


「全部は」


 美咲が黙っている。


 怒っている。


 いや、怒るより怖がっている。


「約束したのに」


「ごめん」


「乗らないって」


「ごめん」


「救助だけって」


「そうするつもりだった」


「分かってる」


 美咲の声が震える。


「分かってるから、怒れないの」


 その言葉が重かった。


 責められる方が楽だったかもしれない。


「助けた人は」


 蒼真が聞く。


「生きてる」


 美咲。


「重傷だけど、命に別状はないって」


「そうか」


「あなたが外へ出したから」


「なら」


 よかったと言おうとする。


 美咲が先に言う。


「よくない」


「美咲」


「あなたも死ぬところだった」


「でも」


「でもじゃない」


 初めて声が強くなる。


 結衣が肩を揺らす。


 美咲は息を吸い声を抑える。


「ごめん」


 誰へ謝ったのか。


 蒼真。


 結衣。


 自分。


 分からない。


「私、分かってる。あの人を置いて逃げたら、あなたは後悔した」


「……うん」


「結衣たちを見て、乗ったことも」


「うん」


「分かってる」


 美咲は蒼真の手を強く握る。


 「でも、分かりたくない」


 蒼真は何も言えなかった。


 結衣が俯いたまま聞く。


「モンスター、倒したの?」


 蒼真の手が僅かに動く。


 美咲も答えない。


「ニュースで」


 結衣は続ける。


「展示機に乗った人が、小型を一体倒したって」


「……そうらしい」


「お父さんが?」


「多分」


「覚えてないの?」


「少ししか」


「怖かった?」


 蒼真は娘を見る。


 結衣の目は揺れている。


 答えを待っている。


 格好よかった。


 すごかった。


 そういう言葉ではない。


 怖かったか。


 蒼真は嘘をつかない。


「怖かった」


「でも、戦った」


「戦いたかったわけじゃない」


「じゃあ、何で」


「お母さんと結衣がいたから」


「私たちがいなかったら?」


「乗ってない」


 即答。


 結衣は少し驚いた顔。


「助けた人がいても?」


「救助はした」


「でも、戦わない?」


「戦わない」


「モンスターが人を襲っても?」


 難しい。


 子供の問いは単純。


 でも答えは単純ではない。


「逃げられるなら逃げる」


「倒せるのに?」


「倒せるかどうか、あの時は分からなかった」


「でも倒した」


「結果として」


「同じじゃないの?」


「違う」


 蒼真は言う。


「倒せたことと、倒したいことは違う」


 結衣は黙る。


 分からない。


 当然蒼真自身もきちんと説明できない。


「格好よかったよ」


 結衣は小さく言う。


 蒼真は胸が痛んだ。


「そうか」


「でも」


 結衣の声はさらに小さい。


「怖かった」


「何が」


「フレイムワーカーが倒れた時」


 展示機。


 最初の操縦者。


「中に人がいるって、分かったから」


「うん」


「お父さんが乗ってからも」


「うん」


「壊れたら、お父さんも死ぬって」


 結衣は涙を拭う。


「テレビだと、そんなふうに思わなかった」


 蒼真は娘の言葉を聞く。それだけ。


 自分が何かを教えたわけではない。


 見せたくもなかった。


 でも結衣は見てしまった。巨人の中に人がいる。


 当たり前のこと。


 誰も考えなくなったこと。


「ごめん」


 蒼真は言う。


「何でお父さんが謝るの」


「怖い思いをさせた」


「助けてくれたのに?」


「それでも」


 結衣は困った顔。


 美咲と同じ。


 分かる。


 でも分かりたくない。


 家族三人。


 誰も。


 正しい答えを持っていなかった。


     *


 蒼真は二日後に退院した。


 診断は軽度の脳震盪。


 全身の筋肉疲労。


 手掌の裂傷。


 急激な神経接続による感覚混乱。


 大きな後遺症はない。


 医師は運がよかったと言った。


 適性のない人間が緊急接続を行えば。


 吐き気。失神。神経障害。


 最悪意識が戻らないこともある。


「では、俺には適性があったんですか」


 蒼真が聞く。


 医師は端末を見る。


「簡易計測では、高い数値が出ています」


「高い?」


「正式な検査ではありません」


「どのくらいですか」


「私からは」


 言葉を濁す。


「専門部署から説明があるでしょう」


 蒼真はその時大した意味を持たせなかった。


 たまたま動かせた。


 緊急時。


 家族を守るため。


 それだけ。


 もう二度と乗らない。そう思っていた。


     *


 自宅へ戻ってから数日、蒼真は休暇を取った。


 家の中は静か。


 結衣は学校。


 美咲は仕事。


 一人何もすることがない。


 テレビつけない。


 端末見ない。


 ニュース見たくない。


 それでも通知は届く。


 観光施設モンスター襲撃。


 警備部隊。


 大型個体撃破。


 小型個体三体処理。


 負傷者。


 施設被害。


 そして、正体不明の一般人が展示用フレイムワーカーを操縦し避難者を救った。


 映像が拡散される。


 機体が立ち上がる。


 小型モンスターへ向かう。


 蒼真は再生しなかった。


 自分が何をしたのか映像で確認する気にはなれなかった。


 夜眠る時折に拳を振り下ろす感覚で目を覚ます。


 右手を握っている。


 指を開く。


 震える。


 美咲は何も言わない。


 ただ蒼真が目を覚ますたび背中へ手を置く。


 それがありがたく、苦しかった。


     *


 休暇の四日目。


 昼過ぎ玄関の呼び鈴が鳴った。


 配送ではない。


 画面には男。


 額に包帯。


 片腕を固定。


 蒼真は少し考える。


 誰か。


 知っている。


 扉を開ける。


「橘蒼真」


 男が名前を呼ぶ。


「はい」


「やっぱり、お前か」


 低い声。


 顔をじっと見る。


 蒼真は記憶を探す。


 学校。


 昔。


 教室。


 同級生。


 でも。


 名前が出ない。


「すみません」


「何が」


「どなたでしたか」


 男の顔が固まる。


 次に呆れと苛立ちが混ざる。


「本気か」


「顔は見たことがある気がします」


「気がする」


「すみません」


「相馬だ」


 名前を聞く。


 記憶にはある。


 遅れて顔と名前がつながる。


「相馬」


「そうだよ」


「高校の」


「同級生」


「同じクラスでしたか」


「二年と三年」


「……すみません」


「本当に覚えてないのか」


「名前は」


「今言ったからだろ」


「はい」


 相馬は額へ手を当てようとして、固定された腕を動かせずに顔をしかめる。


「変わってないな」


「そうですか」


「人に興味がない」


「そんなつもりは」


「昔からそうだ。喧嘩もしない。群れない。頼まれれば手伝う。終わったら帰る」


「悪口ですか」


「褒めてない」


「そうですか」


「でも」


 相馬は蒼真を見る。


「助けられた」


 蒼真は黙る。


 この男はあの日、展示機へ乗っていたワーカー。


 瓦礫の中で血を流していた。


「体は」


「見ての通り」


「命に別状はないと」


「医者はそう言ってる」


「よかった」


「お前は」


「俺も」


「そうじゃない」


 相馬は家の奥を見る。


「入っていいか」


「どうぞ」


 居間。


 蒼真は茶を出す。


 相馬は片腕が使えない。


 蒼真が蓋を開ける。


「悪い」


「いえ」


「昔なら、こんなことしてくれたか」


「頼まれれば」


「そういうところだよ」


「何がですか」


「まあいい」


 相馬は少し茶を飲む。


「本当は、来たくなかった」


「では、なぜ」


「確認したかった」


「何を」


「あの日の記録」


 相馬は端末をテーブルへ置く。


 画面。


 機体ログ。


 数字。


 線。


 蒼真には意味が分からない。


「展示機には、搭乗記録が残ってた」


「俺が乗ったから」


「そうだ」


「問題になりますか」


「問題しかない」


「すみません」


「謝るな。緊急避難扱いだ。責任は問われない」


「なら」


「問題は、操作記録だ」


 相馬が画面を動かす。


 二つの波形。


「ここまでが俺」


 前半。


「ここからが、お前」


 後半。


 別。


 明確に分かれている。


「生体認証も別々に記録されてる」


「そうでしょうね」


「不正操作じゃない」


「はい」


「正式に、二人目の搭乗者として認識された」


「そうですか」


「反応速度」


 相馬が数値を示す。


「運動伝達」


「はい」


「空間認識」


「はい」


「損傷機への補正」


「はい」


「分かってないだろ」


「分かりません」


 相馬は息を吐く。


「全部、異常だった」


「悪い意味で?」


「良すぎる」


 蒼真は黙る。


「俺より高い」


「相馬は」


「現役ワーカーだ」


「そうでしたね」


「展示の仕事だけじゃない。警備部隊所属。実戦経験もある」


「それでも」


「お前の緊急記録の方が高い項目がある」


「壊れていたのでは」


「機体が?」


「記録が」


「技術班もそう思った」


「なら」


「三回確認した」


 相馬の声は硬い。


「壊れてなかった」


 蒼真は茶を見る。


 湯気が揺れる。


「俺は、操作方法も知らなかった」


「神経接続型は、基本動作なら身体の動きで伝わる」


「誰でも」


「誰でもじゃない」


「でも」


「適性が必要だ」


「たまたま」


「そう思いたいか」


「はい」


 即答。


 相馬は笑わない。


「俺も、そう思いたかった」


「なぜ」


「お前が」


 一度。言葉を止める。


「腰抜けだと思ってたから」


 蒼真は。


 少し考える。


「昔からですか」


「高校の頃」


「何かしましたか」


「何もしなかった」


「なら」


「そういうところだ」


 相馬は苛立ったように言う。


「体育祭も、部活も、喧嘩も。前に出ない。誰かが揉めてても、話を聞いて、最後は引かせる。自分が勝とうとしない」


「争うのが嫌だったので」


「だから腰抜けだと思ってた」


「そうですか」


「変人だって噂も聞いてた」


「今もですか」


「お前の部署」


「ああ」


「落伍者の集まり」


「よく言われます」


「気にしないのか」


「給料は出ます」


「本当に変わってないな」


 相馬は少し笑ったが、すぐ顔を歪める。


 傷が痛むようだ。


「でも、あの日」


 笑いが消える。


「俺は見てた」


「気を失っていたのでは」


「お前に外へ放り出された時、目が覚めた」


「放り出した」


「引きずり出した後、瓦礫の陰へ投げただろ」


「すみません」


「謝るな。助かった」


 相馬は蒼真を見る。


「立ち上がるところから」


 その言葉に蒼真の身体は硬くなる。


「見てた」


「そうですか」


「最初は、誰が乗ったか分からなかった」


「はい」


「動きが素人だった」


「そうでしょうね」


「でも、途中から」


 相馬が眉を寄せる。


「素人じゃなくなった」


「記憶がありません」


「小型の突進を肩で流した」


「そうですか」


「相手の脚を掴んで投げた」


「そうですか」


「最初の一体は」


「それは」


 蒼真は止める。


「言わなくていいです」


 相馬は蒼真の顔を見る。


「覚えてるのか」


「感触だけ」


 部屋は静か。


 時計の音が響く。


 相馬が視線を落とす。


「悪かった」


「何が」


「聞くべきじゃなかった」


「いえ」


「俺たちは慣れる」


 相馬は言う。


「モンスターを倒すことに」


 蒼真は何も言わない。


「慣れなきゃ、やってられない」


「そうでしょうね」


「最初は吐いた」


「はい」


「眠れなかった」


「はい」


「でも、何度も出れば」


 相馬の声は低い。


「害獣だと思えるようになる」


 蒼真は娘の言葉を思い出す。


 学校で習った。


 害獣は処分するもの。


「楽になりますか」


「なる」


「それは」


 蒼真は少し考える。


「良いことですか」


 相馬は答えない。


 長い沈黙。


「分からない」


 ようやく言う。


「ただ、怖がってたら、仲間を守れない」


「そうですか」


「お前は、怖かったんだろ」


「はい」


「外部音声に残ってる」


「消せますか」


「もう報告へ入ってる」


「そうですか」


「ずっと怖いって言ってた」


「覚えてません」


「それでも動いた」


「家族がいたから」


「理由は何でもいい」


「よくないです」


「何が」


「俺は、ワーカーではない」


「今はな」


 相馬は端末を閉じる。


「部署移動があるかもしれない」


「ありません」


「断言するな」


「事務職です」


「適性者は不足してる」


「乗りません」


「俺に言っても仕方ない」


「なら、誰に」


「上」


「断ります」


「業務命令なら」


「退職します」


 即答。


 相馬が目を見開く。


「家族がいるだろ」


「だからです」


「仕事を失うぞ」


「死ぬよりはいい」


 蒼真は本気だった。


 相馬はその顔を見て何も言わない。


「お前」


「はい」


「本当に戦いたくないんだな」


「はい」


「力があるのに」


「あるかどうかは知りません」


「記録が」


「一度だけです」


「それでも」


「俺は」


 蒼真は自分の右手を見る。


「もう、あれをやりたくない」


 相馬はその手を見る。


 そして小さく頷いた。


「分かった」


「上へ言ってくれますか」


「俺に止める力はない」


「そうですか」


「ただ」


 相馬は立つ。


「お前がどういう人間かは、伝える」


「腰抜けだと」


「違う」


 相馬は玄関へ向かう。


「俺が間違ってた」


 蒼真は言葉を返せなかった。


     *


 職場復帰したのは襲撃から十日後だった。


 被害補償・復旧調整課。


 いつもの机。


 画面。


 報告書。


 変わらないように見えても、同僚の視線は違う。


「橘さん」


「何ですか」


 佐伯が近づく。


「本当に、あれ」


「その話はしたくないです」


「そうですよね」


「はい」


「でも」


「何ですか」


「怪我なくてよかったです」


 蒼真は少しだけ力を抜く。


「ありがとうございます」


 それ以上佐伯は聞かない。


 ありがたかった。


 午前の仕事は集合住宅の特例申請。


 承認。


 高齢夫婦。


 追加補償。


 蒼真は画面を見る。


 正しい判断をした人が損をしない。


 少し救われた気がした。


 昼前。


 課長が全員を集める。


「業務連絡」


 嫌な予感。


「復旧作業の遅延について、現場監査体制を強化する」


 課内がざわめき。


「AI予測と実工程の乖離が、複数の区域で確認された」


 画面表示。


 復旧率。予定。実績。差。


「業者選定、資材搬入、現場判断。どこに原因があるか、書類上では把握できない」


 課長は続ける。


「そのため、現場監査員を派遣する」


 誰かが手を上げる。


「現場へ行くんですか」


「そうだ」


「生身で?」


「危険区域も含まれる」


 ざわめきが大きくなる。


「よって」


 課長は一度、間を置く。


「フレイムワーカー適性試験を実施する」


 蒼真は目を閉じたくなった。


「全員ですか」


「全員だ」


「事務職員ですよ」


「だからだ。適性者を把握していない」


「拒否は」


「業務命令だ」


 言葉が重く響く。


 蒼真は相馬との会話を思い出す。


 業務命令なら退職する。


 でも今回は戦闘員の選抜ではない。


 現場監査。


 復旧作業。


 戦わなくていい。


 そう説明されるはず。


 そしてその言葉に自分は縋る予感がした。


     *


 適性試験は三日後局内訓練施設で行われた。


 集められた職員十八名。


 年齢性別は、ばらばら。


 全員不満そうで不安そう。


 期待している者も少しいる。


 フレイムワーカーに乗ってみたい。そういう人間。


「戦闘用ではありません」


 検査官が言う。


「今回の試験は、作業用機体への搭乗適性を測るものです」


 蒼真は少しだけ安心する。


「試験内容は、身体運動と神経伝達の確認です」


 大きな機械。


 運動室。


 マット。


 棒。


 ロープ。


「では、歩いてください」


 最初はただ歩く。端から端。


 次。


「座ってください」


 椅子に座る。


「立ってください」


 立つ。


「もう一度」


 座る。


 立つ。


 周囲は戸惑い。


 笑いがおこる。


 冗談のようでも検査官は真剣。


 センサーで全身の動き を測る。


「片足で立ってください」


 右。


 左。


「座ったまま、右脚を上げてください」


 上げる。


「腕を前へ」


 伸ばす。


「水平を維持」


 維持。


「そのまま真上へ」


 上げる。


 簡単。


 子供でもできる。


 次。


 走る。


 止まる。


 方向転換。


 跳ぶ。


 屈む。


 物を拾う。


 目を閉じて。


 腕の位置を合わせる。


 蒼真は言われるままやる。


 難しくない。


 周囲。


 転ぶ者。


 バランスを崩す者。


 蒼真は崩れない。


 なぜか分からない。


 最後にロープ。


「蝶々結びを作ってください」


 職員は笑う。


「これが適性と関係あるんですか」


「指先の空間認識と左右協調を確認します」


 蒼真はロープを結ぶ。


 一度形を整える。


 終わり、検査官が見る。


 次。


「もう一度。手元を見ずに」


「見ずに?」


「はい」


 蒼真は前を見る。


 手を動かす。


 輪を作り通し引く。


 結び目が完成。


 検査官が黙る。


「何か」


「いえ」


 次の職員。


 試験は。一時間ほど。


 それだけ。


 蒼真は拍子抜けする。


 あの日の操縦席。


 神経接続に吐き気。


 恐怖に比べれば遊び。


 結果は後日。


 そう言われる。


 蒼真は何も起きないことを願った。


     *


 何も起きなかったのは二日だけだった。


「橘」


 課長が呼ぶ。


 会議室の中には検査官、人事担当、知らない男。


 制服。


 嫌な予感。


 確信に変わる。


「座ってください」


 蒼真は座る。


 画面に自分の名前と数値が並ぶ。


「適性試験の結果です」


 検査官。


「はい」


「総合適性」


 画面に大きな数字。


「九六・八」


 蒼真には意味が分からない。


「満点は」


「百です」


「そうですか」


「そうですか、ではありません」


 人事担当の声が硬い。


「局内平均は五二・四」


「はい」


「作業用搭乗基準が六〇」


「はい」


「戦闘用候補基準が七五」


 蒼真は画面を見る。


 九六・八。


「検査の誤りでは」


「再計算しました」


「機器」


「正常です」


「以前の搭乗記録も照合しました」


 制服の男。


 現場運用部。


「緊急搭乗時の数値と一致傾向がある」


「俺は」


「非常に高い適性を持っています」


「望んでいません」


「適性は希望で変わりません」


「戦闘員にはなりません」


 会議室が静かになる。


 課長が困った顔で。


「その話ではない」


「では」


「現場監督だ」


「現場監督」


「復旧作業の遅れを監査する」


「フレイムワーカーで」


「作業用機体を使用する」


「戦わなくていい」


 蒼真は確認する。


「戦闘任務ではない」


「違う」


「モンスターが出た場合は」


「警備部隊が対応する」


「俺は」


「退避する」


「武装は」


「ない」


 安全、作業監査、戦闘行為無しの言葉が並ぶ。


 蒼真が欲しい答え。


「拒否できますか」


 課長は目を逸らす。


「業務命令だ」


 分かっていた。それでも聞いた。


「退職も考えます」


 人事担当が表情を変える。


 課長が口が開く。


 先に現場運用部の男。


「橘さん」


 落ち着いた声。


「あなたを戦闘員にする命令ではありません」


「でも、乗る」


「はい」


「危険区域へ行く」


「復旧現場です」


「モンスター被害のあった」


「警戒解除後の区域です」


「完全に安全ではない」


「完全に安全な現場はありません」


 正しい。


 正しい言葉。


 だから嫌だった。


「現場の遅れによって、生活が戻らない人がいる」


 男は画面を変える。


 仮設住宅。


 避難者。


 止まった工事。


「AIの予測では、終わっているはずの工事です」


 蒼真は見る。


「実際には遅れている」


「はい」


「原因が分からない」


「書類だけでは」


「だから人が行く」


「はい」


「俺が」


「高適性者で、補償と復旧工程を理解している」


 条件は合う。


 蒼真は嫌。


 でも仕事。


 自分の仕事。


 数字の向こうに居る人。


 家へ帰れない。


 生活は戻らない。


「戦わなくていいんですね」


 もう一度確認。


「はい」


「監督として行くだけ」


「はい」


「それ以上は」


「命じません」


 蒼真は画面を見る。


 九六・八。


 望んでいない才能。


 何のためにあるのか分からない。


「分かりました」


 言う声が自分でも遠く聞こえた。


     *


 家族へ隠すことはできなかった。


 知らせない選択肢はある。


 現場へ出る日だけ、仕事と嘘をつく。


 でも蒼真にはできない。


 美咲へ。


 結衣へ。


 あの日乗らないと約束した。


 約束を破った。仕方なかった。


 それでも破った。


 次は隠す。


 そんなことをすればもっと戻れなくなる。


 夕食後蒼真は二人を居間へ呼んだ。


 結衣は不思議そう。


 美咲はすぐに何かを察する。


「仕事の話」


 蒼真。


「異動?」


 美咲が聞く。


「完全な異動ではない」


「乗るの」


 早い。


 蒼真は黙るが程なくして答える。


「乗るんだ」


 結衣の目が少し明るくなる。


 すぐ、あの日を思い出したのか表情が変わる。


「戦うの?」


「戦わない」


「本当に?」


「作業用」


「でも、フレイムワーカー」


「そう」


 美咲は蒼真を見る。


「断った?」


「断ろうとした」


「断れなかった」


「業務命令」


「辞めるって言ってたでしょう」


「考えた」


「考えただけ」


「美咲」


「危険じゃないって言われた?」


「警戒解除後の復旧現場」


「危険じゃないって言われた?」


 同じ質問。


 蒼真は答えられない。


「完全に安全ではない」


「なら、危険なんでしょう」


「でも、戦闘任務では」


「あの日も展示だった」


 言葉が刺さる。


 安全な観光、それでもモンスターは来た。


「そうだ」


 蒼真は認める。


「だから嫌だ」


 美咲。


「俺も行きたくない」


「なら」


「でも」


 蒼真は画面の資料を見せる。


 復旧遅延。


 避難者。


「仕事なんだ」


「今の仕事でもできるでしょう」


「書類では分からない」


「他の人が」


「適性がある人間が少ない」


「あなたじゃなくても」


「俺が一番高かった」


 言った後に後悔した。


 結衣の目が大きくなる。


「一番?」


「局内では」


「すごい」


 純粋なその言葉が嬉しくない。


「すごくない」


「でも一番」


「望んでない」


「どうして」


 結衣が聞く。


「あんなに動かせたのに」


「動かしたくなかった」


「才能があるんだよ」


「才能があるから、やらないといけないのか」


「だって」


 結衣は迷う。


「できない人の代わりに」


「それを続けたら」


 蒼真は娘を見る。


「できる人は、嫌でもずっとやらなきゃいけない」


「でも、困ってる人が」


「いる」


「助けられる」


「かもしれない」


「じゃあ」


「だから、監督には行く」


 結衣は分からない顔をしている。


「戦うのは嫌。でも、仕事には行くの?」


「そう」


「変なの」


「そうだな」


 美咲は黙っている。


 怒っているか?悲しい?怖い?


 全部。


「命を奪うのが嫌なんだ」


 蒼真は言う。


 結衣を見る。


「モンスターの?」


「そう」


「でも、害獣だよ」


 あの日と同じ学校で習った言葉。


「人を襲うし」


「そうだ」


「倒さないと」


「そうだ」


「じゃあ、何で嫌なの?」


 蒼真は答える。


「生きているから」


 結衣が眉を寄せる。


「でも」


「人を襲う」


「うん」


「だから、誰かが止めないといけない」


「うん」


「それでも、命を奪うことに何も感じなくなるのが怖い」


 結衣は黙る。


「必要なことなら、平気にならないといけないの?」


「……分からない」


「俺も分からない」


「お父さんなのに?」


「お父さんでも分からない」


 結衣は少し不満そう。


 子供は大人が答えを持っていると思う。


 でも持っていない。


 蒼真は持っているふりをしたくなかった。


「学校では」


 結衣。


「害獣は処分するって」


「そう習ったんだな」


「人を守るために」


「間違ってない」


「じゃあ」


「間違ってないことが、一つとは限らない」


「分からない」


「うん」


「お父さんの言うこと、難しい」


「ごめん」


「謝らないで」


 結衣は困る。


「答えを急がなくていい」


 蒼真は言う。


「今すぐ、どっちが正しいか決めなくていい」


「でも」


「どう向き合うかが大切なんだと思う」


 自分へも言っている。


 モンスター、仕事、才能、恐怖。


 何も答えを出ていない。


 それでも逃げずに考える。


 今の蒼真にできること、それだけ。


 美咲が静かに息を吐く。


「兄も」


 蒼真は顔を向ける。


「フレイムワーカーに乗ってた」


 初めて美咲が詳しく話す。


「知ってる」


「親戚ってだけしか話してなかった」


「うん」


「兄みたいな人だった」


「みたいな?」


「血は繋がってない。親戚の家で、よく一緒にいた」


 美咲の手が膝の上で握られる。


「優しかった」


 声が遠い。


「虫も殺せない人だった」


 蒼真は黙って聞く。


「適性が高かった。最初は作業用。次に警備。戦闘」


「今は」


「生きてる」


 美咲はすぐに言う。


「でも、変わった」


「どう」


「怖いって言わなくなった」


 蒼真の胸が僅かに痛む。


「最初は、毎回吐いてた。眠れないって。もう乗りたくないって」


「それが」


「強くなった」


 美咲は言葉を選ぶ。


「褒められた。戦果が増えた。怖がらなくなった」


「良いことでは」


「みんな、そう言った」


「美咲は」


「怖かった」


 蒼真の目を見る。


「笑うようになったの。モンスターを倒した話をしながら」


 結衣が母を見る。


「昔なら、絶対にそんな顔しなかった」


「慣れた」


「そう」


「仕事を続けるために」


「分かってる」


 美咲の声は苦しそう。


「分かってるけど、あれは人を変える」


 蒼真は何も否定できない。


 相馬も言っていた。


 慣れて害獣だと思える。


 楽になる。


 そうしなければ仲間を守れない。


「あなたも」


 美咲。


「変わるかもしれない」


「戦わない」


「乗る」


「監督として」


「最初は、みんなそう言う」


「俺は」


 言葉が止まる。何を保証できる?何も保証できない。


「怖い」


 蒼真は言う。


「今も」


 美咲を見る。


「あの日のことを思い出すと、手が震える」


 右手を見せる。


 僅かだが本当に。震えている。


「もう一度やれと言われても、できると思えない」


「それでも行く」


「仕事だから」


「怖くなくなるかもしれない」


「分からない」


「蒼真」


「でも」


 蒼真は美咲の手へ自分の手を重ねる。


「怖くなくなったら、言う」


「何を」


「怖くなくなったことを」


「自分で分かる?」


「分からないかもしれない」


「なら」


「二人が言ってくれ」


 美咲と結衣を見る。


「変わったら」


「止めろって?」


「うん」


「聞く?」


 結衣。


「聞く」


「仕事でも?」


「聞く」


「絶対?」


 絶対とは、あの日戻って言えなかった。


 今も簡単には言えない。


「できる限り」


「ずるい」


「絶対と言って破る方が嫌だ」


 結衣が口を尖らせる。


 でも少し笑う。


 美咲は笑わない。


 それでも蒼真の手を握り返す。


「監督として行くだけ」


「うん」


「戦わない」


「うん」


「危険だと思ったら帰る」


「努力する」


「帰る」


「……帰る」


「約束」


「約束する」


 今度は言った。


 破るかもしれない。


 また。


 状況に追い込まれれば。


 それでも今は言わなければ。


 家族は眠れない。


 蒼真自身も前へ進めない。


 結衣が蒼真を見る。


「フレイムワーカー、乗るんだね」


「乗る」


「格好いい?」


「まだ乗ってない」


「乗ったでしょう」


「あれは」


 言葉を探す。


「格好よくなかった」


「みんなは格好いいって」


「そう見えたなら、そうなんだろう」


「お父さんは?」


「怖かった」


 また同じ答え。


「ずっと?」


「ずっと」


 結衣は少し考える。


「怖いのに動けるの?」


「動けないと思ってた」


「でも動いた」


「お母さんと結衣がいたから」


「それって」


 結衣は言う。


「勇気じゃないの?」


 蒼真は答えられない。


 勇気?自分には似合わない。


 怖い。逃げたい。それでも身体が動いた。


 それを勇気と呼ぶのか。


 分からない。


「どうだろう」


「またそれ」


「分からないから」


「大人なのに」


「大人でも」


 蒼真は少し笑う。


「答えがないことはある」


 結衣は納得していない。


 それでもそれ以上は聞かなかった。


     *


 その夜。


 蒼真は眠る前机へ向かった。


 紙の薄い冊子。


 日記。


 昔美咲からもらった。


 毎日書くわけではない。


 何か残したい時だけ書く。


 日付。


 記す。


『業務命令が出た。


 作業用フレイムワーカーに乗り、復旧現場の監督をする。


 戦わなくていいと言われた。


 その言葉を、信じたいと思っている。


 適性が高いらしい。


 望んだものではない。


 才能と呼ばれても、嬉しくない。


 結衣は、怖いのに動くことを勇気と言った。


 俺には分からない。


 ただ、怖くなくなるよりは、怖いままでいたいと思う。


 美咲が、兄のことを話してくれた。


 人は変わる。


 機械が変えるのか。


 戦いが変えるのか。


 慣れることが変えるのか。


 それも分からない。


 監督として行くだけだ。


 戦わない。


 その約束を守りたい。


 でも。


 今日、この話ができたことだけは。


 業務命令が出て、よかったと思う』


 蒼真は。


 最後の一文を。


 何度か読む。


 よかった。


 本当にそう思う。


 危険な仕事。


 望んでいない。


 乗りたくない。


 それでも美咲が話した。


 結衣が問いかけた。


 自分も答えがないと言えた。


 家族三人。


 同じものを怖がり。


 違うことを考えた。


 それでいい。


 今は答えを急がなくてもいい。


 蒼真は日記を閉じる。


 寝室へ。


 美咲は眠っている。


 隣へ入る。


 暗闇。


 自分の右手を見る。


 あの日、何かを潰した手。


 今は人間の手。


 小さい。


 何も壊せないように見える。


 蒼真は指を開く。握る。震えが僅かに残っている。


 その震えがいつか消えるのか。


 消えた時自分は何になるのか分からない。


 だから蒼真は震える手を美咲の手の近くへ置く。


 触れない。


 ただ。


 そこにあることを確かめる。


 そして目を閉じた。


 明日から訓練が始まる。


 戦うためではない。


 働くため。


 人を守るためでもない。


 少なくとも今の蒼真はそう思っている。


 現場を見る。


 遅れの理由を探す。


 書類と現実の間に立つ。


 それだけ。


 それだけのはずだった。


 けれどこの日から橘蒼真の日常は少しずつ戦場の側へ引き寄せられていく。


 戦いたくないと願うほど戦わなければならない場所へ。


 誰よりも怖がりながら誰よりも長く。


 恐怖を手放せないまま。


 それでも彼はフレイムワーカーへ乗ることになる。


 これは英雄になりたい男の話ではない。


 強くなりたい男の話でもない。


 戦うことへ憧れた男の話ですらない。


 これは最後まで戦いたくないと願い続けた男の記録。


 戦わない男のフレイムワーカー日誌である。


---


プロローグ 完

面白いと思われたら、ブックマークして頂ければ幸いです。

また、いいね。評価もしていただけたら執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。

感想も頂けましたらありがたいです。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ