ep.1 プロローグ 倒れた巨人
森が割れた。
最初に見えたのは、黒い影だった。
木々の間を押し潰しながら、何かが斜面を下ってくる。
枝が折れる。
土煙が上がる。
鳥の群れが一斉に空へ逃げた。
その中心を巨大な生き物が進んでいた。
四本の脚。山肌を削る太い爪、背中には、岩のような隆起。頭部は低く、前へ突き出している。
口の端からは長い牙。体表は獣の毛ではない黒い甲殻で濡れたような光沢。
大きさは展示されていたフレイムワーカーよりも、さらに一回り大きい。
五メートルの機体が小さく見えた。
観客の誰かが。
「本物だ」
と呟いた。
その声をきっかけに会場が崩れた。
「逃げろ!」
「シェルターはどこだ!」
「子供を先に!」
「押すな!」
人が一斉に出口へ向かう。
安全柵が倒れ椅子が蹴られる。
荷物が踏まれる。
係員が拡声器で叫ぶ。
『走らないでください! 順番に移動してください!』
誰も聞かない。
赤い照明。
警報。
遠くから近づく地響き。
巨大な生き物。
落ち着けと言われて落ち着ける人間はいなかった。
「結衣!」
蒼真は娘の腕を掴む。
細い。
強く掴みすぎたかもしれない。
だが離せなかった。
「痛い!」
「我慢して」
「お父さん、あれ」
「見なくていい」
「でも」
「前を見て」
美咲の手も掴む。
冷たい。指先が異様に冷えていた。
「美咲」
返事がない。
「美咲!」
「……うん」
「歩ける?」
「うん」
声だけ。
身体は動いていない。
美咲の視線は戦闘姿勢を取ったフレイムワーカーへ向いている。
機体が地面を蹴った。
重い巨体が観客席の前へ出る。
モンスターと人々の間に立つ。
操縦者の声が外部スピーカーから響いた。
『避難を続けてください! こちらで足止めします!』
若い男の声。
落ち着いているように聞こえた。
だが最後の言葉だけ僅かに震えた。
蒼真は気づいた中にいる人間も怖い。
当然だった目の前にいるのは模擬標的ではない。
動く。
襲う。
殺す。
生き物。
それでも機体は前へ出た。
結衣がその姿を見ていた。
歓声はない。
もう格好いいとも言わない。
ただ見ていた。
フレイムワーカーが両腕を構える。
右腕には訓練用の打撃装備。
展示機。
実戦武装は外されている。
火器も刃もない。
それでも立たなければならない。
モンスターが斜面を下り切る。
地面が大きく揺れる。
湖畔の舗装路へ爪が食い込む。
黒い甲殻。
泥。
折れた枝。
呼吸のたびに白い蒸気が鼻孔から漏れる。
頭がゆっくり左右へ動く。
人間の匂いを探している。
フレイムワーカーが一歩前へ出る。
『来い』
操縦者が小さく言った。
外部スピーカーが拾う。
誰に向けた言葉か。
モンスターか自分か分からない。
次の瞬間モンスターが走った。
速い。
巨体とは思えない。
地面を蹴り、頭を下げる。
牙がフレイムワーカーの胴体へ。
機体は横へ避けるが完全ではない。肩をかすめる。
金属が潰れる音。
装甲板が空中へ飛ぶ。
観客から悲鳴。
結衣の身体が蒼真の腕の中で跳ねた。
「走るぞ!」
出口は人が詰まっている。
通常の避難路たが細い。
観客数に対して広さが足りない。
係員が別方向を指す。
『東側の補助通路を開放します!』
蒼真は周囲を見る。美咲。結衣。出口。補助通路。モンスター。フレイムワーカー。
距離をはかり、どちらが早いか考える。
通常出口近い。
しかし人が多い。
補助通路は遠いが空いている。
「東へ行く」
「出口はあっち」
結衣は指差す。
「詰まってる」
「でも」
「こっち」
美咲の手を引くが動かない。
「美咲」
「……あれ」
美咲の声。
「兄さんも」
「今は」
「あんなふうに」
「美咲!」
強く呼ぶ。
美咲の目が蒼真へ戻る。
「今は結衣を見ろ」
美咲が娘を見る。
結衣は怯えている。
母親の服を掴んでいる。
「行こう」
今度は美咲が先に歩いた。
三人補助通路へ向かう。
背後では衝突音。フレイムワーカーがモンスターの頭部を両腕で受け止める。脚が舗装路へ沈む。
機体が押される。
『う、うおおおっ!』
操縦者の恐れ、苦しみが声になって現れている。
それでも押し返す。
機体の片足が滑るりモンスターの牙が胸部装甲へ食い込む。
警告音。
外まで聞こえる。
フレイムワーカーが拳をモンスターの首へ振り下ろす。
一度、二度、甲殻へと叩き込む。
鈍い音が響くが効いているのか分からない。
モンスターが首を振るとフレイムワーカーの巨体が持ち上がる。そして、人間が投げられるように空中へ舞う。
結衣が振り返る。
蒼真も見てしまう。
機体は観客席の端へ轟音と共に落ちた。鉄骨、座席、屋根、全部が潰れる。
地面が揺れる。
衝撃波が三人の身体を押す。
美咲が倒れる。
結衣も。
「大丈夫か!」
耳鳴り。
自分の声もよく聞こえない。
結衣の膝に擦り傷ができ出血している
美咲は肩を押さえている。
「立てる?」
「……うん」
「結衣」
「痛い」
「歩ける?」
「歩ける」
泣いている。
でも立つ。
背後のフレイムワーカーは動かない。
上半身が観客席の残骸へ埋まっている。
操縦席の有る胸部の装甲が変形している。
中に人がいる。
結衣の表情が凍り付く。
「中の人」
小さい声が震える。
「お父さん」
「行くぞ」
「中に人がいる」
「分かってる」
「助けないと」
「警備が来る」
「でも動いてない」
「結衣」
「死んじゃう」
その言葉が胸へ刺さる。
蒼真も同じことを思っている。
中に人がいる。
動いていない助けなければ。
でも、モンスターがいる。
家族を連れている。
行くべきではない。
係員がいる。
救助班も来る。
自分には何もできない。
そう考える。
正しい。
逃げるべき。
家族を守るべき。
蒼真は補助通路を見る。
あと三十メートル。走れば。数十秒。
そこで爆発音。
遠くの山側に別のフレイムワーカーが現れる。
警備部隊。二機。
実戦装備。
肩部機関砲。
防盾。
観客から安堵の声が洩れる
助かった。
そう思う。
しかし一機が斜面の上を指す。
そこは木々の間。
別の影があり一体だけではない。
小型が三体。大型の後ろにいる。
警備部隊はそちらへ向きを変える。
展示会場、倒れた機体、避難中の人々全部を二機では守れない。
『一番機、北側小型群を抑える! 二番機、大型へ!』
二番機が。
大型モンスターへ突進。
防盾で正面からぶつかる。
大型の進行が止まる。
だが完全ではない。
一番機は小型群へ射撃。
けたたましい発砲音が響き木々が弾ける。
人々はさらに混乱する。
補助通路の係員が怒鳴る。
『こちらへ! 止まらないで!』
蒼真は美咲と結衣を押す。
「先に行って」
「お父さんは」
「後ろを見る」
「一緒に」
「行って」
結衣の肩を掴む。
目を見る。
「お母さんと行く」
「でも」
「いいから」
美咲が蒼真を見る。
何を考えたか分かった。
「行かないで」
低い声。
「まだ行くとは」
「その顔」
「どんな顔」
「誰かを助けようとしてる顔」
「倒れている」
「警備がいる」
「間に合わないかもしれない」
「あなたが行って何ができるの」
正しい。
何もできない。
救助訓練を最低限職場で受けた。
事故報告を扱う部署だから。
止血。搬送。意識確認。機体の緊急開放。
講習を一度受けている。
実物に触れたこともある。
でもモンスターがいる。
「何もできないかもしれない」
蒼真は言う。
「なら行かないで」
「でも、生きてるかもしれない」
「あなたが死んだら」
美咲の声が震える。
「私たちはどうするの」
答えられない。
父親であり夫。自分の役割と責任。
倒れた機体の中の男も誰かの父親かもしれない。夫かもしれない。息子かもしれない。同じだ。
「ごめん」
震える声で言う。
最低だと思う。
「先に行って」
「蒼真」
「警備部隊が大型を押さえてる。今なら」
「お父さん!」
結衣は泣いている。
「すぐ戻る」
「嘘」
「戻る」
「絶対?」
「戻る」
絶対とは言わなかった。
でも結衣には同じに聞こえたのかもしれない。
美咲が強く蒼真の腕を掴む。
「死なないで」
「うん」
「変なことしないで」
「救助だけ」
「乗らないで」
一瞬何を言われたか分からない。
美咲の視線は倒れたフレイムワーカー。
「乗らない」
蒼真は答える。
その時は本当にそう思っていた。
*
人の流れに逆らい走る。
係員が止める。
「そちらは危険です!」
「救助訓練を受けています!」
「警備隊が来ます!」
「中の人を確認します!」
「戻ってください!」
無視する。
自分でもなぜ走っているか分からない。
怖い。足が重い。口の中が乾く。
地面の振動が一歩ごと。モンスターと近付いていることを教えてくる。
警備機とモンスターが押し合っている。
金属。爪。牙。防盾が激しくぶつかり合う。
その衝撃が、音が身体の中へ響く。
倒れた展示機に近づく。
大きい遠くから見ていた時とは違う。
装甲の傷。泥。油。破損した配線。火花。焦げた臭い。
操縦席の位置の胸部は装甲が歪んでいる。
外側にある赤い表示の緊急開放レバー。
講習で見たものと同じ。
ただし訓練機は横倒しではなかった。
蒼真は残骸へ足を掛ける。金属は滑る。手を切る。
痛みを無視しレバーを掴み引くが動かない。
「くそ」
もう一度レバーを全体重を掛けて引く。
警告灯が赤く点滅している。
油圧が死んでいる。
手動開放しかない。
足元のカバーを外す。
固かったから蹴る。
一度。
二度。
カバーが外れる。
中にはハンドルがあり、回す。
重い。腕が痛い。
「動け」
何に言っているのか。
自分にか機械にか分からない。
ハンドルが少しずつ回る。
操縦席ハッチにようやく隙間ができ、コックピットが開き始める。中は熱気と血と焦げた樹脂の匂い。
暗い。
「聞こえますか!」
返事がない。
さらに開き身体をコックピットへ入れる。
操縦者は頭が横になり、ヘルメットにはヒビが入っている。顔には生気がなく血が流れている。
「聞こえますか!」
肩を叩くが反応がない。
首に指を添えて脈をみる。脈はある。
「生きてる」
声が漏れる。
安堵すると一瞬力が抜けた。
呼吸は浅い。
拘束具を外す。
身体をコックピットから引き出そうとするが、力が入っていない人間は重い。拘束具もしっかりとついている。
蒼真よりも大柄で簡単には動かない。
背後で衝撃。機体全体が揺れる。
大型モンスターが警備機を押し飛ばす。
二番機が地面を滑る。
『避難者の方! 機体から離れてください!』
外部スピーカーから指示が出るが操縦者をまだ出せない。
「待ってくれ!」
届くか分からない。
拘束具の最後の一つが歪んでいる。
解除できない。
非常切断具が座席横にあり手を伸ばす。
拘束具のベルトを切る。
操縦者の身体が前へ倒れてきた為、受け止める。重い。
「すみません」
謝ってしまう。何に?分からない。
ハッチの外へ引きずり出す。
残骸が散乱し足場が悪い。
落としそうになる。
背後でモンスターの咆哮。かなり近い。
警備機二番機が再び立ち大型モンスターの前へ出る。
しかし小型群の一体が一番機の警戒を抜ける。
一番機は別の二体へ射撃中。
小型モンスターは展示会場へ走る。
体高は二メートルほど。
人間より大きい。
犬のような四足。
だが、頭部に目がない。口だけ。裂けた顎。
美咲と結衣が居る補助通路に向かっている。
「おい」
声が出ない。
小型モンスターに係員が警棒型の音響装置を使う。
高い音。
小型モンスターが向きを変え係員へ飛びかかる。
警備機は遠い。
射線は人が多く撃てない。
蒼真は操縦者を地面へ下ろす。
何をする。
走って間に合うか?無理。
武器はない。
フレイムワーカーは倒れている。
操縦席は空いた。
いや無理。乗らない。
美咲へ言った。
乗らない。
操作方法も知らない。
適性はない。
動かせない。
でも小型モンスターは補助通路の結衣の美咲の方に。
係員が地面へ倒される。
腕を噛まれ悲鳴をあげる。
小型モンスターが頭を振る。
次は美咲と結衣
蒼真の身体が先に動く。
操縦者の腕を自分の肩へ乗せる。
「すみません」
もう一度機体の外へ引きずる。
距離を少しでも離す。
その時操縦者が僅かに呻いた。
「聞こえますか」
反応はない。
意識は戻らない。
時間がない。
蒼真は操縦者を瓦礫の陰へ置く。
ヘルメットを外す。
顔を見る。一瞬何かが引っ掛かる。
知っている。
誰か?昔に?でも考える時間はない。
蒼真は操縦席へ戻る。
ハッチは歪んでいるが身体を押し込む。
中は狭い。熱い。血の臭いがする。
座席はまだ温かい。
計器は赤。警告文字が多い。
何を見ればいいか分からない。
『搭乗者認証を開始します』
AIの声。
平坦。
この状況で異様に落ち着いている。
「動かせ」
『登録搭乗者と一致しません』
「分かってる」
『緊急搭乗者として生体認証を実施します』
「早く」
『姿勢を正してください』
「無理だ」
機体が横倒しで座席も傾いている。
拘束具を自分で締める。
手が震える。
『上肢を前方へ』
「何」
『上肢を前方へ伸ばしてください』
言われるまま腕を前に。
操縦桿がない。
空間。
何もない。
『下肢を可動範囲内で伸展』
「日本語で」
『脚を伸ばしてください』
伸ばすが狭い。
『神経接続補助を開始』
頭部。首。背中。防護服ではない接続装具。
どうする。
『簡易接続へ移行』
座席から複数の帯が自動で伸び、腕、脚、胸を固定する。
頭部の左右に軽い圧迫。
「待て」
『待機時間は推奨されません』
「分かってる!」
『緊急搭乗適性を確認します』
視界が暗転し、次に光が戻ると機体外部映像が目の前へ広がる。
自分の目ではない。
地面は斜め。瓦礫。大型もモンスター。警備機。小型モンスター。避難者が全部一度に見える。
吐きそうになる。
『歩行試行を推奨』
「倒れてる」
『起立動作を開始してください』
「どうやって」
『ご自身の身体を起こすように動いてください』
意味が分からない。
でも身体起こすつもりで腹へ力を入れ右手を地面へつく。そう想像した次の瞬間、巨大な鋼鉄の腕が地面へ叩きつけられる。衝撃が自分の腕へ返ってくる。
「うわっ」
『右上肢反応、正常』
「何が正常だ」
『起立動作を継続してください』
左手を地面につき、膝を立たせる。自分の身体を起こす。
機体が軋む。
損傷警告。
それでも動く。
ゆっくり上半身を持ち上げる。
観客席の機体から落ちる。
鋼鉄。
椅子。
屋根。
地面へ。
轟音。
小型モンスターが。
振り返る。
目はない。
でもこちらを認識する。
「立て」
蒼真は自分へ言う。
機体へ言う。
もう一度。
「立て」
脚を曲げ踏ん張る。自分の身体は。座席へ固定されている。
なのに立ち上がる感覚が太腿。膝。足裏にある。
機体の脚、自分の脚。境界が薄くなる。
怖い。
気持ち悪い。
自分が大きくなる。
五メートル。
重い。
壊せる。
それでも立つ。
フレイムワーカーが片膝をつく。
さらに上体を起こす。
損傷した肩からは火花がちり、胸部装甲への警告音がなる。
『立位姿勢を確認』
AIが淡々と作業を行う。
『緊急搭乗適性値を更新』
「いらない」
『周辺に敵性個体を確認』
「見えてる」
『武装接続なし』
「分かってる」
『回避を推奨』
「できない」
小型モンスターが補助員を襲っている。
美咲と結衣のその間に自分が乗るフレイムワーカーを滑り込ませるべく
「前に出る」
『推奨されません』
「知るか」
一歩機体が動く。
右脚が重い。
地面が揺れる。
小型モンスターが係員を放す。
こちらへ頭を向ける。
口が開く。
血のついた牙。
蒼真の心臓が速い。
逃げたい。
機体から降りたい。
家へ帰りたい。
でも後ろに家族が居る。
蒼真は両腕を上げる。
構え方なんか分からない。
殴り方なんて分からない。
ただ人間の身体で誰かを庇うように腕を広げる。
フレイムワーカーも同じ動きをした。
巨大な鋼鉄の身体が小型モンスターと避難者の間へ立つ。
外部スピーカーが自動で繋がる。
蒼真の呼吸が会場へ響く。
結衣がこちらを見る。
美咲も顔を上げる。
機体の中に誰がいるか分からない。
分からないはず。
それでも美咲の表情が変わった。
気づいたのかもしれない。
「逃げろ!」
蒼真は叫ぶ。
外部スピーカーから巨大な声。
人々が動く。
小型モンスターが低く身を沈める。飛びかかる姿勢。
『敵性個体、接近』
「分かってる」
『戦闘回避不能』
「それも分かってる」
小型モンスターが走る。
速い。
正面に牙が。
蒼真は。
目を閉じそうになる。
閉じるな。
見る。
怖い。
怖い。
怖い。
それでも腕を前へ出す。
巨大な手が開く。
小型モンスターの頭部が掌へぶつかる。
衝撃。
腕。
肩。
身体。
全部へ。
痛みではない。
でも痛みに近い。
「うあっ!」
機体が押される。
一歩後退。
後ろには避難者がいる。下がれない。
蒼真は。踏ん張る。
脚が地面へ沈む。
小型モンスターは口を広げ鋼鉄の指へ噛みつく。
警告。
右手損傷。
「離せ!」
腕を振る。
小型モンスターの身体が地面へ叩きつけられる。
まだ動く。
立つ。
速い。
もう一度来る。
蒼真は何も知らない。
戦い方も、機体も、モンスターも。
ただ、家族の前に立っている。
それだけだった。
面白いと思われたら、ブックマークして頂ければ幸いです。
また、いいね。評価もしていただけたら執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。
感想も頂けましたらありがたいです。
よろしくお願いします。




