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ep.1 プロローグ 当たり前になった巨人たち

 この社会では、フレイムワーカーと呼ばれる人型作業機械が、当たり前のように街を歩いている。


 全高、およそ五メートル。


 大型車両よりも高く、二階建ての家屋へ手が届くほどの巨体でありながら、その姿に足を止める者はほとんどいない。


 朝の通勤時間帯。


 道路脇では、黄色い作業用フレイムワーカーが崩れかけた歩道を持ち上げている。


 少し離れた工事区画では、青い機体が鉄骨を抱え、ゆっくりと旋回していた。


 交差点では警備員が旗を振り、巨体の足元を人々が急ぎ足で通り過ぎていく。


 子供が指を差すことはある。


 若者が端末を向けることもある。


 けれど、大人たちの多くは見上げようともしない。


 巨大な鋼鉄の人影が、瓦礫を持ち上げること。


 道路を均すこと。


 河川の護岸工事をすること。


 災害現場へ入ること。


 そして時には、モンスターと呼ばれる異形と戦うこと。


 それらはもう、日常の中へ溶け込みすぎていた。


 便利な機械。


 危険な仕事を代わりにする道具。


 復興の象徴。


 人類の盾。


 呼び方はいくつもあった。


 けれど、その中へ人が乗っていることを意識する者は少ない。


 フレイムワーカーが転倒すれば、道路が塞がる。


 腕が壊れれば、修理費が掛かる。


 戦闘で大破すれば、映像がニュースで流れる。


 その程度の認識だった。


 操縦席で何を見ているのか。


 攻撃を受けた時、どれほどの衝撃が身体へ伝わるのか。


 モンスターを倒した後、乗っていた人間がどんな顔で機体から降りてくるのか。


 そんなことを立ち止まって考える人間は、ほとんどいなかった。


 それが正しいのか。


 どこか歪んでいるのか。


 誰も答えを求めてはいなかった。


 答えがなくても、街は動く。


 生活は続く。


 そして、AIは次の最適解を示す。


 都市計画。


 物流管理。


 食料供給。


 行政処理。


 災害予測。


 避難経路。


 復興計画。


 人間が何日も掛けていた計算を、AIは数秒で終わらせる。


 複数の予測を比較し、損失を抑え、最短の工程を組み上げる。


 人間より速い。


 人間より正確。


 人間よりも疲れない。


 それでも、最後まで人の手は残った。


 数字の向こうにいる生活者。


 想定から外れた現場。


 規則では処理できない事情。


 誰かの人生を変える判断。


 そして。


 その決定に、誰が責任を負うのか。


 AIは答えを示す。


 だが、その答えを採用すると決めるのは人間だった。


 だから、人はまだ働いている。


 正確には。


 働かされている、と言った方が近いのかもしれない。


     *


 橘蒼真は、その最後に残った部分を担う部署にいた。


 三十代半ば。


 背は平均的。


 体格も平均的。


 目立つ特徴はない。


 髪型にこだわりもなく、服装も規定通り。


 職場では、穏やかな人だと言われることが多い。


 それを褒め言葉として受け取るべきか、判断を避けているだけだと思われているのか。


 蒼真自身にも、よく分からなかった。


 復興管理局。


 被害補償・復旧調整課。


 名前だけ聞けば、立派な仕事に思える。


 だが、実際に蒼真が毎日向き合っているのは、数字と報告書だった。


 モンスター被害報告。


 建物損壊申請。


 復興予算の再配分。


 人的被害に対する補償額の算定。


 修繕業者から提出された追加費用。


 避難中に破損した私物。


 営業停止による損失。


 後遺症が残った場合の継続支援。


 死者が出れば、遺族への給付。


 AIが算出した金額を確認し、現行制度に当てはめ、現実に即して微調整する。


 表面だけ見れば、誰にでもできる仕事だった。


 画面に表示された数字を読む。


 条件を確認する。


 誤りがなければ承認する。


 不足があれば差し戻す。


 ただそれだけ。


 けれど、数字には必ず人がいた。


 住宅全壊、一件。


 重傷者、二名。


 死亡者、一名。


 その文字の向こうに帰る家を失った人がいる。


 昨日まで歩けていた人がいる。


 家族を失った人がいる。


 AIは、その悲しみを金額へ変換する。


 人間は、それが妥当かどうかを確認する。


 蒼真は、この仕事が好きではなかった。


 かといって嫌いだと言えるほど、距離を置くこともできなかった。


「橘さん」


 隣の席から声を掛けられ、蒼真は画面から顔を上げた。


 佐伯だった。


 年齢は蒼真より少し上。


 以前は現場へ出る部署にいたらしいが、今は蒼真と同じ補償課で働いている。


「何ですか」


「これ、見てもらっていいですか」


 佐伯が端末を差し出す。


 表示されていたのは、モンスター襲撃によって半壊した集合住宅の補償申請だった。


「二階の住人だけ、追加支給の対象外になってるんです」


「避難命令前に退去済みだからでは」


「そうなんですけど」


 佐伯が画面を指で動かす。


「退去した理由が、建物の揺れです。警報の前に異常を感じて外へ出て、その後に建物が潰れた」


「自主避難扱いですか」


「AI判定では」


「それだと、避難命令に基づく損失にならない」


「はい」


「でも、結果として正しい判断をした」


「そうなんですよ」


 蒼真は記録を読む。


 住人は高齢の夫婦。


 異音と微震を感じ、室内にいるのが怖くなって建物の外へ出た。


 その十一分後、地下から出現した小型モンスターの移動によって地盤が沈下し集合住宅は半壊した。


 命令を待たずに避難したから、助かった。


 命令を待たなかったため、制度上は一部補償の対象外。


 妙な話だった。


「避難準備情報の発令時刻は」


「十四時十二分」


「異常通報は」


「十四時一分」


「本人たちの退去は」


「十四時四分」


「では、異常通報後の安全確保行動として扱えませんか」


「AIは否定しています」


「理由は」


「公式な避難行動ではないから」


「そうでしょうね」


 AIは規則通りだ。


 間違ってはいない。


 けれど、間違っていないことと、納得できることは別だった。


 蒼真は補足欄を開く。


「人的危険回避のための緊急退去。現場状況との因果関係あり。特例審査へ回します」


「通りますか」


「分かりません」


「ですよね」


「でも、通さなければ、正しい判断をした人ほど損をする」


 佐伯は少し笑った。


「橘さん、そういうところ変ですよね」


「何がですか」


「普通は、規則だからで終わります」


「規則だから終わらせるなら、俺たちは要らないでしょう」


「AIだけでいい」


「はい」


 蒼真は申請を送信した。


 特例審査。


 承認されるかは分からない。


 上席から余計な仕事を増やすなと言われるかもしれない。


 それでも何もしないよりはましだった。


 この部署は、世間から花形とは正反対の場所だと思われている。


 戦えない者。


 戦いに敗れた者。


 現場から外された者。


 戦うことを選ばなかった者。


 そんな人間が集まる場所。


 実際、完全な誤解でもない。


 元ワーカー。


 適性不足。


 負傷による配置転換。


 精神的な理由。


 家族の事情。


 さまざまな理由で、前線にいられなくなった者たちが働いている。


 だから落伍者の部署。


 そう陰で呼ばれていた。


 蒼真は、その呼び方を気にしていない。


 正確には気にしないようにしていた。


 誰かに何かを言われても家へ帰ればいい。


 妻がいる。娘がいる。給料が出る。


 危険な現場へ行かなくていい。


 それで十分だった。


「橘さんは、現場へ戻りたいとか思わないんですか」


 佐伯が唐突に聞く。


「戻る?」


「いや、橘さんは元々現場じゃないですけど」


「では、どこへ戻るんですか」


「例えば、フレイムワーカーに乗りたいとか」


「ありません」


 即答だった。


「早いですね」


「乗る理由がないので」


「男なら一度くらい憧れません?」


「佐伯さんは乗っていたでしょう」


「乗っていたから聞いてるんですよ」


「また乗りたいですか」


 佐伯は黙った。


 僅かに表情が変わる。


「……時々」


「そうですか」


「でも、毎日ではないです」


「毎日乗りたい人もいるんですか」


「いますよ。あれに乗ってないと、自分じゃないみたいになる人」


 蒼真には理解できなかった。


 五メートルの機械。重い装甲。高い出力。巨大な腕。大きな物を持ち上げる。


 人間にはできないことをする。


 憧れる気持ちがないわけではない。


 けれど、その中へ自分が乗る姿は想像できなかった。


「俺は、外から見ているだけでいいです」


「娘さんは憧れてるんでしたっけ」


「はい」


「ワーカーに?」


「フレイムワーカーにです」


「同じでは」


「違うらしいです」


 蒼真は苦笑する。


「機体が格好いいだけで、中の人には興味がないそうです」


「現代っ子ですね」


「怖いことだと思います」


「何が」


「中に人がいることを、忘れられることが」


 佐伯は何も答えなかった。


     *


 仕事を終え、蒼真が帰宅したのは午後七時を少し過ぎた頃だった。


 玄関を開けると廊下の奥から、娘の声が聞こえた。


「お父さん、遅い!」


「いつもより早い」


「今日は早く帰るって言った」


「七時までには、と言った」


「七時二分」


「細かい」


 居間へ入る。


 娘の結衣が、床へ広げた旅行案内を指差していた。


 小学三年生。まだ幼さが残っている。


「見て。ここ」


 結衣が示したのは、山間部に作られた観光施設だった。


 温泉。


 展望台。


 湖。


 旧式の水力発電設備を利用した博物館。


 近くには復興記念公園もある。


「フレイムワーカーの展示がある」


「旅行で機械を見るのか」


「本物だよ」


「街にもいる」


「作業機じゃなくて、戦闘用」


「戦闘用を見に行く旅行ではない」


「ついで」


「それが一番楽しみなんでしょう」


「違うよ」


 結衣は一瞬だけ目を逸らした。


 分かりやすい。


 台所から、美咲が顔を出す。


「着替えてきたら」


「ただいま」


「おかえり」


 美咲は温厚な人だ。


 怒ることもある、不満も言う。


 ただ、感情を相手へ叩きつけることはほとんどない。


 蒼真の争いを避ける性格を優しいと呼んだ。


 昔、蒼真自身は、ただ臆病なだけだと思っていた。


 殴り合いが嫌い。


 怒鳴り合いも嫌い。


 誰かと競うのも得意ではない。


 揉めそうなら引く。


 譲れるなら譲る。


 美咲はそれを優しさだと言った。


 結婚した理由の一つでもあると。


 蒼真は今でもその評価は少し甘すぎると思っている。


「旅行の準備、全然してないでしょう」


 美咲が言う。


「明日やる」


「明日は出発」


「では今夜」


「結衣に言われなかったら忘れてたでしょう」


「旅行に行くことは覚えてる」


「場所は」


「山」


「施設名は」


 蒼真は答えられない。


 結衣が呆れた顔をする。


「お父さん、興味ないの?」


「ある」


「嘘」


「家族旅行には興味がある」


「場所には?」


「美咲と結衣が行きたい場所なら」


「そういうところだよ」


「何が」


「何でもいいって言うところ」


 結衣は少し不満そうだった。


「お父さんが行きたい場所も言ってよ」


「家で寝たい」


「最悪」


 美咲が笑う。


「温泉で寝ればいいでしょう」


「それならいい」


「決まりね」


 夕食。


 焼き魚。


 味噌汁。


 煮物。


 結衣は旅行先の話を続ける。


 展望台から湖が見える。


 昔の発電設備を見学できる。


 復興公園に戦闘用フレイムワーカーが展示されている。


 そこだけ声が少し大きい。


「実際に動くの?」


「展示だから動かないんじゃないか」


「週末は実演があるって」


「作業実演でしょう」


「模擬戦闘」


 美咲の箸が僅かに止まった。本当に僅か。


 結衣は気づかない。


 蒼真は気づいた。


「模擬なら危なくないよ」


 結衣が言う。


「見学区域から見るだけだし」


「そうね」


 美咲は答える。


 声は普通。


 だが、視線は料理へ落ちている。


 美咲はフレイムワーカーを嫌っている。


 正確には恐れている。


 理由を蒼真は詳しく知らない。


 美咲の親戚に、元ワーカーがいる。


 それだけは聞いたことがある。


 乗る前と乗った後で人が変わった。美咲はそう言った。


 それ以上。蒼真は聞かなかった。聞いてほしくなさそうだったから。


「嫌なら、見なくていいよ」


 蒼真が言う。


 美咲は顔を上げる。


「私?」


「模擬戦闘」


「大丈夫」


「無理をしなくても」


「結衣が見たいんでしょう」


「うん」


 結衣は無邪気に頷く。


「本物のワーカー、近くで見てみたい」


「機体じゃなくて?」


「機体も」


「中の人も?」


「有名な人が来るかもしれないって」


「有名なワーカー」


「そう」


 結衣の目が輝く。


 子供らしい。


 テレビや配信映像の中でフレイムワーカーは格好いい。


 巨大な怪物へ向かい人々を守る。


 攻撃を受けても立ち上がる。


 最後には勝つ。


 編集された映像では、操縦席の血も、震える手も、負傷した人間の声も映らない。


 蒼真はそのことを知っているつもりだった。


 実際の戦場を見たことはない。


 ただ、補償報告書を読んでいる。


 戦闘後の写真。


 破損した操縦席。


 ワーカーの診断書。


 遺族への通知。


 数字だけでも格好いいとは思えなかった。


「お父さんは、フレイムワーカー嫌い?」


 結衣が聞く。


「嫌いではない」


「じゃあ好き?」


「道具としては」


「格好いいと思わない?」


「大きいとは思う」


「それだけ?」


「整備する人は大変そうだと思う」


「夢がない」


「仕事だから」


「ワーカーって、格好いい仕事だよ」


「そういう人もいる」


「お父さんには無理だね」


「そうだな」


「怖がりだし」


「そうだな」


 認めると結衣は少し困った顔をする。


 否定してほしかったのかもしれない。


 でも蒼真は嘘をつけなかった。


「怖いものは怖い」


「モンスター?」


「モンスターも」


「フレイムワーカーも?」


「戦うことが」


 結衣は首を傾げる。


 まだ分からないだろう。


 倒さなければ人が襲われる。


 モンスターは危険。


 だから戦う。


 学校ではそう教わっている。


 理屈としては正しい。


 蒼真も否定する気はない。


 ただ戦えば何かが壊れる。


 機械。


 建物。


 人。


 命。


 そういうものを格好いいの一言では片付けられなかった


「まあ、明日は仕事の話は禁止ね」


 美咲が言う。


「旅行なんだから」


「俺はしていない」


「顔が仕事」


「どんな顔」


「報告書を読んでる顔」


「同じ顔だよ」


 結衣が笑う。


「お父さん、いつも難しい顔してる」


「普通だ」


「普通じゃない」


「そうか」


「写真でもそう」


「笑ってる」


「口だけ」


 美咲も笑う。


 蒼真も少し笑う。


 この時間がずっと続けばいい。


 大げさではなく本当にそう思った。


     *


 翌朝。


 三人は予定より二十分遅れて家を出た。


 原因は蒼真だった。


 充電器を忘れ。


 財布を探し。


 最後に戸締まりをもう一度確認した。


「昨日準備するって言ったよね」


 結衣が言う。


「した」


「何を」


「着替えを入れた」


「それだけ?」


「大事だ」


「お母さん、やっぱりお父さん置いていけばよかったんじゃない」


「運転する人がいなくなるでしょう」


「自動運転」


「山道は手動区間があるの」


「じゃあ必要」


 必要。


 その評価で十分だった。


 車は都市部を離れ。


 徐々に建物が減る。


 高架道路。


 防壁。


 農地。


 復旧途中の地域。


 遠くに。


 巨大な作業用フレイムワーカーが見える。


 崩れた法面を補強している。


「見て」


 結衣が窓へ張り付く。


「近い」


「座って」


「分かってる」


「シートベルト」


「してる」


「ならいい」


 機体の足元に作業員。


 人間が玩具のように見える。


 フレイムワーカーの腕が土砂を掴み持ち上げ回転する。鋼鉄の指が慎重に資材を置く。


「すごい」


 結衣が呟く。


 確かにすごい。


 人間の身体ではできないことをする。


 けれど、蒼真の目には操縦席の中の人が無理な姿勢で腕を動かしている姿が浮かぶ。


 適性がある者は機体と自分の身体の境界が曖昧になるという。


 歩けば機体が歩く。


 手を伸ばせば鋼鉄の腕が伸びる。


 人間の感覚を機械へ拡張する。


 それを気持ちいいと表現する人もいる。


 蒼真には怖いとしか思えなかった。


 自分の手が人間より大きくなる。


 簡単に物を壊せる。


 その感覚に慣れることが。


「お父さん」


「何」


「また難しい顔」


「運転中だ」


「自動運転じゃん」


「監視は必要」


「便利なのに」


「便利だから任せきっていいわけではない」


「仕事の話は禁止」


 美咲が助手席から言う。


「仕事ではない」


「AIの話も仕事と同じ顔になるから禁止」


「分かった」


「本当に?」


「多分」


「多分は禁止」


 そんな会話をしながら車は山へ入った。


     *


 観光施設は想像していたより人が多かった。


 週末で晴天。復興記念公園での特別展示。


 条件が重なっている。


 駐車場から既にフレイムワーカーの頭部が見えた。


 灰色と青。


 戦闘用。


 展示用に武装は外されているが作業機とは明らかに違う。


 装甲が厚い、肩が広い、脚部も衝撃に耐える形。


「すごい!」


 結衣が走り出す。


「走らない」


 美咲が呼ぶ。


 結衣は歩く。


 しかし速度はほとんど変わらない。


「先に受付」


「展示だけ見てから」


「受付」


「少しだけ」


「結衣」


「はい」


 美咲には逆らえない。


 三人で受付をして宿泊確認。


 荷物を預ける。


 施設案内。


 避難経路。


 緊急時の集合場所。


 観光地でもモンスター対策の説明はある。


 今ではどこでも同じ。


 警報レベル。


 避難表示。


 地下シェルター。


 誘導灯。


 人々は聞いているように見える。


 実際にはほとんど聞いていない。


 自分に起きるとは思っていないから。


 蒼真も同じだった。


 警報はある。


 避難設備もある。


 警備部隊もいる。


 だから旅行先でモンスターに襲われるなど考える必要はない。そう思っていた。


 午前中。


 旧水力発電施設を見学。


 巨大なタービン。


 制御盤。


 かつて人の手で管理されていた機械。


 結衣は最初こそ退屈そうだったが。


 案内役がこの設備が災害時に都市の一部へ電力を供給したと説明すると、少しだけ真剣に聞いていた。


「古いのに使えたんだ」


「古いから直しやすかったらしい」


 蒼真が言う。


「新しい方が便利じゃないの?」


「便利だけど、複雑になる」


「AIが直せば」


「部品がなければ直せない」


「じゃあ古い方がいいの?」


「場合による」


「お父さん、何でも場合によるって言うよね」


「大抵そうだから」


「ずるい」


 昼、湖を見ながら食事。


 結衣は早く食べ終え。


 展示開始時間を何度も確認する。


「まだ一時間あるよ」


 美咲が言う。


「並ぶかもしれない」


「指定席でしょう」


「前で見たい」


「席は決まってる」


「写真」


「逃げないよ」


「フレイムワーカーは逃げるかもしれない」


「展示機が?」


「動くから」


 蒼真は窓の向こうを見る。


 湖面。


 山。


 復旧された遊歩道。


 遠くに展示会場。


 戦闘用フレイムワーカーの回りには観客。


 平和だった。


 あまりにも。


 普通の休日だった。


 午後。


 三人は復興記念公園へ向かった。


 展示会場の中央。


 フレイムワーカーが立っている。


 近くで見るとさらに大きい。


 足だけで蒼真の背丈を超える。


 装甲には補修跡。塗装の下には細かな傷。


 展示用に綺麗にされている。


 それでも実際に使われていた機体だと分かる。


「触っていいんだって」


 結衣が足元へ近づく。


 係員が安全柵の内側へ案内している。


 装甲へ結衣は小さい手を置く。


「冷たい」


「金属だから」


「当たり前のこと言わないで」


「感想を求められたから」


「言ってない」


 結衣は笑う。


 美咲は少し離れて見ている。


「近くで見ると、怖い?」


 蒼真が聞く。


「少し」


「戻る?」


「大丈夫」


 美咲はフレイムワーカーを見上げる。


「動いていないから」


 その言葉。


 意味を聞く前に会場アナウンスが流れる。


『まもなく、フレイムワーカー機動展示を開始いたします』


 結衣の表情が明るくなる。


 観客が指定区域の安全柵の内側へ係員の指示で移動する。


 子供たちの声。


 端末を構える人。


 蒼真たちも席へ向かう。


 機体の操縦席へワーカーが乗り込む。


 観客から拍手。


 機体が起動し低い駆動音が響く。


 地面へ僅かな振動。


 結衣が息を呑む。


 フレイムワーカーがゆっくり顔を上げる。


 右腕、左腕、脚が動き一歩進む。


 地面が揺れる。


 子供たちが歓声を上げる。


 結衣も同じ。


 美咲は手を膝の上で握っている。


 蒼真は機体を見る。


 動きは人間のように滑らか。


 だが人間ではない。機械だ。中には人が居る。


 機体が障害物を跨ぐ。片足で立つ。腕を伸ばす。見事な制御。


 拍手が起こる。


 次に模擬戦闘。


 無人標的に向かい突進。


 攻撃を回避し防御する。


 訓練用武器。


 軽い衝撃音。


 観客は喜ぶ。


 結衣は身を乗り出している。


 蒼真はその横顔を見る。


 楽しそうだ。それでいい。


 今日くらい何も考えず楽しめばいい。そう思った。


 模擬戦闘が終わり。


 機体が観客へ向けて腕を上げる。


 拍手。


 歓声。


 その時だった会場の照明が一斉に赤へ変わった。


 最初は演出だと思った者もいた。


 結衣も笑ったまま周囲を見ている。


 次の瞬間耳を刺す警報音が短く三度なる。


 間を置いてもう三度。


 施設全体へ響くアナウンス。


 機械的な声。


『警戒区域内に、敵性生物反応を確認しました』


 歓声が止まる。


『来場者の皆様は、係員の指示に従い、速やかに避難してください』


 誰もすぐには動かなかった


 現実感が追いつかない。


 展示。


 模擬戦闘。


 警報。


 どこまでが演出でどこからが現実なのか分からない。


 蒼真も理解するまで数秒掛かった。


 遠くの山の向こうから低い音がした。


 雷ではない。爆発でもない。地面の下を。何か巨大なものが走るような重い地響き。


 展示中のフレイムワーカーが観客へ向けていた腕を下ろす。


 機体の姿勢が変わる。


 演技ではない。


 操縦席のワーカーが何かを見た。


 戦闘姿勢。


 美咲が立ち上がる。


「蒼真」


 声が震えていた。


 結衣はまだフレイムワーカーを見ていた。


 憧れていた巨人が今初めて人を楽しませるためではなく、人を守るために動こうとしている。


 もう一度地響き。


 今度は近い。


 湖の向こうで木々が不自然に揺れた。


 人々がようやく走り出す。


 悲鳴、怒鳴り声、係員の誘導、転ぶ子供。落とされる荷物。


 蒼真は。美咲の手を掴む。


 反対の手で結衣の腕を掴む。


「行くぞ」


 自分の声が思っていたより低く落ち着いていた。


 けれど心臓は痛いほど速く打っていた。


 そして湖の向こうで森が割れた。

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