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第三十話 帰るための機体

五月二十六日。


午前七時五十分。


第三中隊の格納庫には、五機のフレームワーカーが並んでいた。


神代機、片瀬機、安西機、御堂機。そして、支援機ノストス。


そのうち、出動準備が進められているのはノストスだけだった。


四機の戦闘型は待機架台に立ったまま、整備員による朝の点検を受けている。敵性個体の出現が確認されない限り、戦闘中隊に出撃命令は出ない。神代たち四人も基地内で通常待機し、管制からの連絡に備えることになっていた。


一方、蒼真とノストスは復興作業中の旧商業施設へ向かう。


現場支援隊員制度の実証運用である。


モンスターが出現していない復興現場に支援隊員と支援機を先行配置し、作業中断、退避経路の維持、負傷者の搬送、瓦礫や車両の除去などに、どの程度の効果があるのかを検証する。


戦闘能力を確かめるための運用ではない。


今日も、予定されているのは地下作業中に負傷者が出た場合を想定した救助訓練と、牽引装置による資材搬送だけだった。


「右側の牽引装置を予備品へ交換しました。以前のものより巻き取りが僅かに速いので、現地で左右を一度に動かして確認してください」


ノストスの足元で、牧野が交換記録を表示していた。


四月十四日の実戦で損傷した牽引装置は修理を終えていたが、今朝の最終点検で右側の巻き取り速度に小さな変動が見つかった。規定範囲内ではあるものの、救助台車を牽引した際に左右の差が出る可能性を考え、出発前に交換したらしい。


「操作に影響するほど違いますか」


「通常の牽引なら、ほとんど分からないと思います。ただ、橘さんは左右の差を細かく修正されることがありますから、先にお伝えしておこうと思いまして」


「自分では、そこまで細かく操作しているつもりはありません」


「無意識でしたら、なおさらお伝えしておいた方がいいですね」


牧野は柔らかく笑い、端末を閉じた。


「今日は戦闘の予定はありませんよね」


「ありません。周辺では一か月以上、モンスターの目撃情報も出ていません」


「それは何よりです。救助装備の検証はしていただきたいですけれど、運ぶのは訓練用の人形だけにしてくださいね」


「本当に負傷者が出たら、そうはいきません」


「ですから、出ないことを願っています」


牧野はそう答えると、蒼真の搭乗服を確認した。現地へ到着して作業前の打ち合わせを終えた後、蒼真はノストスへ搭乗する。実証運用中は、機体の操縦席から現場全体を監視し、必要に応じて資材の移動や通路の確認を行う予定だった。


「搭乗服も綺麗に着られるようになりましたね」


「今日は一回で着られました」


「最初は二回やり直していましたものね」


「覚えていたんですか」


「整備記録には残していませんから、安心してください」


褒められているのか、少し笑われているのかは分からなかった。


ノストスの輸送準備が終わり、整備員たちが機体の周囲から離れていく。牧野は基地へ残り、現地で機体に問題が出た場合は、藤堂を通じて遠隔支援を行うことになっていた。


神代が格納庫へ入ってきた。


「もう出るのか」


「はい。九時から現地打ち合わせです」


「中隊回線は常時接続しておけ」


「敵性反応が出ていない間もですか」


「お前は第三中隊の隊員だ。復興現場へ出ている間も変わらない」


「分かりました」


「何か気になることがあれば、結論が出る前でも連絡しろ」


蒼真は少し迷った。


復興現場では、図面との不一致や設備故障、作業員の配置変更など、小さな問題が頻繁に起こる。そのすべてを報告すれば、基地側へ不要な情報を増やしてしまうかもしれない。


その考えを察したのか、神代が続けた。


「必要かどうかを判断するのは、情報を受け取った側だ。お前一人で止めるな」


四月八日の旧南部環状処理場では、蒼真が見つけた異常と、城戸が見ていた戦術情報が最後まで十分に繋がらなかった。互いに結論だけを伝えたことで、なぜ配置を変えてほしいのか、なぜ警備を動かせないのかを共有できなかった。


同じことを繰り返さないためには、結論が出る前の情報も伝える必要がある。


「迷った段階で報告します」


「それでいい」


神代は輸送車両へ固定されたノストスを見上げた。


「今日は戦うな」


「戦う予定はありません」


「それは予定の話だ」


「必要にならなければ、戦いません」


「必要になった時は?」


蒼真は少し考えた。


「帰るために必要なことをします」


特別な意味を込めたつもりはなかった。


復興現場へ行き、予定されている作業を終え、全員が帰る。そのために支援するのが、今日の仕事だと思っている。


神代は短く頷き、蒼真の肩を一度だけ叩いた。



午前九時五分。


中央第二区画にある旧東央商業施設は、かつて三棟の大型商業施設と地下街が連結していた場所だった。


南棟はすでに解体され、基礎と鉄骨の一部だけが残っている。中央棟は外壁の半分を失い、上層階が僅かに東側へ傾いていた。北棟は比較的原形を保っているものの、内部の安全が確認できていないため立入禁止となっている。


今回の作業区域は、その三棟の地下を繋いでいた共同搬送路だった。


幅九メートルほどの中央通路から、北、南、東へ三本の荷捌き通路が延びている。かつては商品を積んだ車両が行き交っていたが、現在は湿ったコンクリートの床に瓦礫が点在し、天井には使われなくなった案内板や配線が垂れ下がっていた。


共同搬送路の下には、電力線や給水管、排水設備を収めた設備層がある。


今日の作業は、設備層に残された旧送電設備の切り離しと、二基ある排水ポンプの状態確認だった。地下搬送路そのものも、将来的には周辺の復旧工事で使う資材置き場と車両通路へ転用される予定になっている。


現場へ入る作業員は三十二名、設備会社から九名、消防から十名が参加していた。


管理局から来ているのは、設備を担当する藤堂、危機管理を担当する久賀、安全管理を担当する森下の三名である。


蒼真は管理局員としてではなく、第三中隊所属の現場支援隊員として参加している。


ノストスは西側搬入斜路の外へ降ろされ、救助用台車と瓦礫除去用の器具が準備されていた。


現地に戦闘部隊は配置されていない。


事前に行われた地中走査では敵性反応が確認されず、周辺でも一か月以上モンスターの目撃情報がなかったためだ。敵性個体が見つかった場合は中央管制へ通報し、管制が近隣の戦闘中隊へ出撃を命じる。


第三中隊の基地から現場までは、緊急出撃でおよそ八分だった。


作業開始前の打ち合わせでは、地下構造と人員配置が中央画面へ表示された。


設備班九名のうち六名が設備層へ入り、残る三名は地上で電力遮断と機材操作を担当する。設備層へ下りる経路は、中央通路西側にある階段だけだった。


南側には地上へ通じる非常階段があるものの、設備層から直接出ることはできない。設備層にいる人間が地上へ戻るには、西側階段で中央通路へ上がり、そこから西側搬入斜路か南非常階段へ向かう必要があった。


「設備層から中央通路へ上がれる階段は、一か所だけですか」


蒼真が尋ねると、藤堂が構造図を拡大した。


「人が安全に通れるのは西側階段だけです。東側にも保守階段はありますが、昨日の調査で腐食が見つかりました。今の状態では荷重をかけられません」


「保守階段の隣にある区画は何ですか」


「資材昇降口です。設備を交換する時に使っていたようですが、現在はシャッターが閉じていて、電源も落ちています」


「手動で開けられますか」


藤堂は旧設備の資料を開いた。


「開閉軸が残っていれば動かせます。ただ、十年以上使われた記録がありませんので、案内溝が錆びついている可能性があります。開けられることを前提にはできません」


「ノストスで持ち上げることはできますか」


「歪みの程度によります。下端へ補助アームを入れられれば、持ち上げられる可能性はあります」


蒼真は昇降口の位置を端末へ記録した。


「通常の退避経路には使いません。ただ、西側階段が通れなくなった時に、開放を試せる場所として残しておきます」


久賀が構造図を見ながら確認した。


「橘さん。開けられることが確認できていない以上、第二退避経路として数えない方がいいと思います。緊急時に使えると思い込むと、西側階段へ異常が出た時の判断が遅れる可能性があります」


「はい。退避経路ではなく、代替手段の候補として記録します。通常は西側階段を使い、そこへ異常が出た時点で設備班を上げます」


「それなら問題ありません」


森下が人員配置を確認する。


「設備班が西側階段を上がっている時に、中央通路の作業員と重なる可能性があります。退避を指示する場合、設備班を先にしますか」


蒼真は西側階段と搬入斜路の幅を見比べた。


「異常が設備層で起きた場合は設備班を優先します。中央通路で起きた場合は、搬送路の作業員を先に斜路へ入れます。原因が分からない場合は、危険に近い班から移動させます」


「分かりました。各班の責任者にも伝えておきます」


今回の検証では、蒼真に現場全体の作業を中断し、退避を指示する権限が与えられている。しかし、設備、危機管理、安全のすべてを一人で判断するわけではない。


設備の状態は藤堂が確認する。異常がどこまで広がる可能性があるかは久賀が考える。森下は作業員の位置を把握し、退避中の事故を防ぐ。


蒼真の役割は、それぞれが持つ情報を繋ぎ、現場を動かすことだった。


打ち合わせを終えると、蒼真はノストスへ搭乗した。


操縦席の映像へ、地下構造図、人員配置、消防と管理局の通信が表示される。中隊回線も常時接続され、基地で待機する神代たち四人にも現場情報が共有されていた。


午前九時二十分。


蒼真はノストスを西側搬入斜路の手前へ配置し、作業開始を許可した。



午前十時三十六分まで、作業は予定どおりに進んでいた。


設備層へ下りた六名は、二基ある排水ポンプを順番に確認していた。一号機の制御盤には強い腐食が見つかり、通電試験を中止したものの、想定していた設備劣化の範囲内だった。二号機は補助電源による動作確認を終え、部品交換後に使用できると判断されている。


地下搬送路では、作業員たちが残された資材を分類し、再利用できるものを地上へ運んでいた。消防は西側斜路の外で待機し、地下班との通信を定期的に確認している。


ノストスは斜路付近で、搬出される資材の移動を補助していた。


蒼真は右側の牽引装置が左側より僅かに速いことを確認し、巻き取り出力を調整した。牧野から事前に聞いていたため、操作に戸惑うことはなかった。


その後は機体を斜路の脇へ戻し、操縦席から人員配置と作業の進行を監視した。


敵性反応は出ておらず、地下水位と中央棟の傾斜にも変化はない。このまま午前の作業を終えられれば、午後には訓練用人形を使った救助台車の運用試験へ移る予定だった。


そこへ、久賀から通信が入った。


『橘さん、地盤観測に小さな変化が出ています。こちらの画面を共有します』


操縦席へ波形が表示された。


地下の一部で圧力が瞬間的に上昇し、数秒後に元へ戻っている。


「作業による振動ですか」


『まだ分かりません。ただ、資材を動かした時の波形とは違います』


藤堂も設備情報を確認する。


『中央棟の傾斜に変化はありません。地下水位も同じです。大型機材も動かしていませんので、作業が原因とは考えにくいと思います』


「発生位置は特定できますか」


久賀は複数の観測点を比較した。


『中央通路と設備層の間です。正確な深さまでは出ませんが、設備班がいる区画の上か下だと思います』


原因は分からない。


それでも、設備班の近くで作業とは異なる圧力変化が起きたという事実は、無視できなかった。


蒼真は中隊回線を開いた。


「神代隊長、現場の地下で小さな圧力変化を検出しました。敵性反応はありませんが、作業や地下水によるものではない可能性があります」


基地にいる神代から、すぐに返答が来た。


『人員は』


「設備層に六名、地下搬送路に二十六名です。設備班の作業を止め、移動準備へ入れます。他の地下班も作業を中断します」


『分かった。回線は開けておけ』


「了解しました」


結論が出るまで待たずに情報を共有した後、蒼真は設備班へ連絡した。


「設備班、作業を停止してください。近くで原因不明の圧力変化を検出しました。機材を安全な状態へ戻し、すぐ移動できるよう準備してください」


『地上へ退避しますか』


「現時点では、西側階段と中央通路に異常はありません。慌てて移動すると、狭い通路で転倒する可能性があります。まず通電を完全に止め、工具を回収してください。原因を確認した後、退避するか判断します」


『了解しました』


森下も地下作業員へ作業中断を伝えた。作業員たちは資材の移動を止め、班ごとに集合する。すぐに退避できるよう、中央通路へ置かれていた機材も壁際へ寄せられた。


最初の変化から四十秒後、二度目の圧力上昇が観測された。


今度は最初より明らかに大きかった。


久賀は複数の波形を重ね、その変化が地下水の流れによるものではないことを確認した。


『同じ場所で、下から上へ向かう力が出ています。何かが押し上げている可能性があります』


藤堂が旧図面を確認する。


『この下に空間はないはずです。四十年以上前に、排水暗渠を埋め戻した記録があります』


「現地で完了を確認した記録はありますか」


『完了と記載された管理記録はあります。ただ、施工写真も、使った材料の記録も残っていません。実際に埋め戻されたかどうかまでは確認できません』


図面に存在しないはずの空間が、設備班の下に残っている可能性がある。


敵性反応はまだ出ていなかったが、安全だと判断できる根拠は失われた。


「全面退避へ切り替えます」


蒼真は全体通信を開いた。


「地下作業を中止します。設備班は西側階段から中央通路へ上がってください。搬送路の作業員は、班ごとに西側斜路へ移動してください。通路を塞ぐ機材はその場へ残し、走らずに退避してください」


森下が各班の応答を確認し、移動順を伝える。


中央通路にいた十一名が先に西側斜路へ向かい、北通路の八名と南通路の七名がその後へ続く。設備班六名も工具を置き、負傷者がいないことを確認してから西側階段へ移動を始めた。


蒼真はノストスを西側斜路の正面へ移動させ、地下へ向けた。退避してくる作業員の妨げにならないよう、斜路の右側を広く空ける。


全員が動き始めた直後、三度目の圧力変化が観測された。


今度はノストスの脚部にも、地面から突き上げるような振動が伝わった。


同時に、操縦席へ警告が表示された。


《敵性反応を検出》


反応は設備層よりさらに下にあり、最初は一体だけだった。しかし数秒後には三体、さらに五体へ増えた。


蒼真は中央管制へ緊急通報を入れた。


「中央第二区画、旧東央商業施設。地下で敵性反応を五体確認しました。現場では全作業を中断し、退避を進めています」


『敵性反応を確認しました。第三中隊へ出撃命令を発令します』


基地で待機していた神代の声が、中隊回線へ入る。


『第三中隊、出る。橘、到着まで退避経路を維持しろ』


「了解しました。地下には搬送路の作業員二十六名と、設備層の六名が残っています。敵性個体は設備層の下から上昇中です」


『現着まで七分』


ノストスはすでに動ける。


蒼真が現場へ先行配置されたことで、搭乗準備に使う時間は必要なかった。


七分あれば、走らずに移動しても大半の作業員は地上へ出られる。


しかし、敵が七分間待つ保証はない。


地下から、巨大な扉を無理やり押し開けたような音が響いた。


西側斜路の奥から砂埃が吹き上がり、地下映像の一つが大きく揺れる。


中央通路の床へ亀裂が走った。


コンクリートが下から持ち上がり、黒い節のある腕が床を突き破る。続いて六本の脚を持つ個体が、崩れた床を押し広げながら中央通路へ身体を現した。


全高は三メートルほどで、フレームワーカーよりは小さい。しかし、低く広がった六本の脚と硬い背部外殻が、幅九メートルの通路の半分近くを塞いでいる。


その周囲から、小型個体が四体這い出してきた。


小型二体が、退避中の作業員がいる西側へ向きを変える。


敵と最後尾の作業員との距離は、およそ百二十メートルだった。


「藤堂さん、中央通路の防火シャッターを閉められますか」


『二枚ありますが、遠隔操作が生きているか分かりません』


「作業員が通過した側から、一枚ずつ下ろしてください。完全に閉まらなくても、敵の移動を遅らせられます」


『分かりました。操作を試します』


森下は退避中の人数を数え、消防は西側斜路の入口を空ける。久賀は敵性個体の移動と、中央棟の構造変位を同時に監視していた。


『橘さん、小型二体が西へ移動しています。今の速度では、最後尾の作業員が斜路へ入る前に追いつく可能性があります』


「ノストスで斜路を維持します。森下さんは人数確認を続けてください。久賀さんは敵と中央棟の変位をお願いします。藤堂さんは防火シャッターの操作後、機体回線へ入ってください」


三人がそれぞれ応答する。


久賀は、ノストスが地下へ入る前に確認した。


『橘さん、第三中隊が到着するまで七分近くあります。敵を倒すことではなく、作業員が斜路へ入る時間を作ってください』


「そのつもりです。斜路へ通さなければ、倒す必要はありません」


『分かりました。こちらから敵の位置を伝えます』


ノストスは西側斜路を下りた。



地下から上がってくる作業員のため、蒼真はノストスを壁際へ寄せ、右側に人が通れる幅を残した。


湿った斜路は滑りやすく、作業員たちは手すりを掴みながら地上へ向かっている。ノストスが近くを通れば驚かせる可能性もあるため、蒼真は速度を落とし、機体の両腕を身体の前へ畳んだ。


斜路へ入っていなかった作業員は十二名だったが、位置表示は九名、六名と減っていく。


最後尾の六名が中央通路から斜路へ入った。


その後方に、小型個体二体の姿が見えた。


ノストスは斜路の下で中央通路へ向き直り、作業員を背後へ通した。


幅九メートルの通路を完全に塞ぐことはできない。しかし左側は、崩れた資材棚と瓦礫によって狭くなっている。ノストスが通路の中央より右へ機体を置けば、敵が斜路へ抜けるための幅をほとんど残さずに済む。


「最後尾の六名がノストスを通過しました」


『搬送路の作業員二十六名、全員が西側斜路へ入りました』


森下の報告が入る。


「設備班は?」


返答より先に、設備層の方角から大きな破壊音が響いた。


西側階段の映像が激しく揺れ、天井の一部が崩れ落ちる。設備班六名の位置表示が、階段の手前で止まった。


蒼真はすぐに通信を繋いだ。


「設備班、状況を報告してください」


雑音の向こうから、設備班責任者の声が返った。


『西側階段の上部が崩れました。通れません。一名が転倒して、右脚を痛めています』


「意識はありますか」


『あります。二人で支えれば移動できます』


蒼真は、作業前に確認した資材昇降口を表示した。


「東側の資材昇降口まで移動してください。ノストスで外からシャッターを開けます」


『開けられるんですか』


「保証はできません。ただ、他に中央通路へ出られる場所がありません。負傷者を支え、昇降口まで移動してください」


『分かりました』


その通信を終える間にも、小型二体は接近していた。


一体目が低い姿勢で床を蹴り、ノストスの左側にある狭い隙間へ向かう。


蒼真は左補助アームを床の近くまで下げ、瓦礫との間を塞いだ。小型個体はアームへ肩から衝突し、身体を横へ回転させながら床を滑った。


二体目は右側へ回り込み、斜路へ抜けようとする。


ノストスは右脚を半歩外へ出し、進路を塞いだ。


敵の爪が右脚の外装へ振り下ろされる。


完全に避ければ、敵が斜路へ入れるだけの幅を作ってしまう。蒼真は脚部の駆動軸から爪の軌道を外し、厚い外装部分で攻撃を受けた。


衝撃によって機体が僅かに揺れ、装甲表面へ三本の傷が走る。


《右脚部外装損傷。駆動系異常なし》


蒼真は補助アームを敵の胴へ当て、中央通路側へ押し戻した。


敵を倒す必要はない。


作業員が地上へ向かう間、斜路を通さなければいい。


『現着まで一分』


神代の声が入る。


「小型二体と接触しています。西側斜路は維持しています。設備班六名が設備層に孤立し、一名が負傷しました」


『到着後、二体はこちらで引き受ける。お前は救助へ行け』


「了解」


一分は、普段なら短い。


しかし、二体の敵を斜路へ通さないよう機体を動かし続ける間は、長く感じた。


敵は何度も左右へ抜けようとする。蒼真は補助アームと脚部の位置を変え、そのたびに進路を塞いだ。


防御砲は使わない。


地下では跳弾の可能性があり、退避中の作業員全員が地上へ出たことも確認できていない。発射しなくても斜路を維持できるのなら、それでよかった。


やがて地上から、四機分の重い足音が近づいてきた。


最初に神代機が西側斜路を下り、その後ろから片瀬機、安西機、御堂機が続く。


基地を出た四機が現場へ到着し、先行配置されていたノストスと合流した。


第三中隊の五機が地下で揃った。


神代機がノストスの左側へ入る。


『交代する』


「設備班は東側の資材昇降口へ移動中です」


『片瀬、安西。小型二体を引き受けろ。御堂は中央の三体を監視』


『了解』


四機が戦闘線へ入り、ノストスは西側の壁に沿って資材昇降口へ向かった。



第三中隊が戦闘を引き受けたことで、蒼真は設備班の救助へ集中できた。


中央通路では、神代機と片瀬機が小型個体を左右へ分け、安西機が防盾で西側斜路への進路を塞いでいる。御堂機は中央部から近づく大型個体へ射線を向け、その背後にいる二体の動きも監視していた。


戦闘中の通信に、長い説明はなかった。


『右、一体』


『見えてる』


『大型、前進』


『御堂、止めろ』


『了解』


杭撃ちと防御砲の音が地下へ響く。


蒼真は戦闘映像も確認していたが、そちらだけを見続けることはしなかった。設備班の位置、資材昇降口までの距離、崩れた西側階段、天井を支える柱、床へ広がる亀裂を順番に確認する。


ノストスが資材昇降口へ到着した時、設備班六名も内側へ辿り着いていた。


高さ三メートル、幅四メートルほどのシャッターには錆が広がり、右側の案内溝が大きく歪んでいる。設備班が内側から開閉軸を回そうとしていたが、シャッターは動いていなかった。


『手動では開きません』


「シャッターから離れてください。ノストスで持ち上げます」


蒼真は右補助アームを開閉軸へかけ、ゆっくりと力を加えた。


一割の出力では動かず、二割まで上げると壁の内側から金属の軋む音がした。三割で錆びついた軸が回り始め、シャッターの左側だけが数センチ持ち上がる。


しかし、右側は歪んだ案内溝に引っかかり、動かなかった。


遠隔映像を見ていた藤堂が、機体回線から状況を確認する。


『開閉軸だけでは無理です。下端へ補助アームを入れてください。ただし、右側へ荷重が偏っています。片側だけを急に上げると、シャッターが設備層側へ倒れる可能性があります』


「左右の荷重を表示できますか」


『表示します。最初に左を八センチ上げて、その後に右を合わせてください』


ノストスは、シャッターと床の僅かな隙間へ二本の補助アームを差し込んだ。


蒼真は表示された荷重を確認しながら、左側をゆっくり持ち上げる。錆の破片が床へ落ち、シャッターの下に小さな隙間ができた。


続いて右側へ力を加える。


案内溝が強く抵抗し、補助アームの負荷表示が上がった。


『右を一度止めてください。左が先に上がっています』


藤堂の指示に従い、蒼真は左右の出力を調整した。


シャッターは大きな音を立てながら、少しずつ持ち上がっていく。五十センチ、八十センチと開口部が広がり、人が身を屈めれば通れる高さになった。


設備層の内側に、六名全員の姿が見えた。


一人は床へ座り、二人に身体を支えられている。


「負傷者から出してください」


設備班は負傷者を担架へ乗せ、シャッターの下を通した。ノストスの本体右腕で担架を受け、中央通路側の安全な位置へ下ろす。


残る五名も、一人ずつシャッターの下を通った。


蒼真は人数を確認しながら、最後の一人が出るまでシャッターを支え続けた。


その時、中央通路から大きな衝撃音が響いた。


大型個体が御堂機の射撃を受けながら前進し、安西機の防盾へ身体をぶつけた。安西機は数メートル押し戻され、背中から一本の支柱へ衝突する。


支柱の表面に、縦の亀裂が走った。


久賀は構造監視画面に現れた変化を見逃さなかった。


『橘さん、中央棟が東側へ動き始めました。支柱への衝撃で、建物の荷重が隣の区画へ移っています』


藤堂も支柱の状態を確認する。


『C七支柱です。今の衝撃が続けば、中央通路の天井が崩れる可能性があります』


「どのくらいもちますか」


『正確には出せません。数分かもしれませんし、次の衝撃で折れるかもしれません』


最後の一人が、シャッターの下を通り抜けた。


六名全員が中央通路側へ出たことを確認し、蒼真は救助用台車を近づけた。


「負傷者を台車の中央へ固定してください。他の五名は左右へ座り、手すりを掴んでください。移動中に大きく揺れる可能性があります」


設備班は負傷者を担架ごと台車へ固定し、その両側へ分かれて座った。


蒼真がシャッターから補助アームを外すと、支えを失った金属板が床へ落ち、大きな音が通路へ響いた。


六名の固定を確認したノストスは、救助台車を牽いて西側斜路へ向かった。



中央通路では、第三中隊が五体の敵性個体を西側斜路から引き離しながら戦っていた。


小型一体は片瀬機の杭撃ちによって活動を停止している。もう一体は安西機が壁際へ押し込み、神代機が正面から動きを止めていた。御堂機は大型個体と、その背後に残る小型二体を牽制している。


ノストスは西側の壁沿いを進み、救助台車を戦闘区域から遠ざけた。


設備班を乗せた台車には装甲がない。大型個体の攻撃が一度でも届けば、六名を守ることはできない。


大型個体がノストスへ頭部を向けた。


神代がすぐに反応する。


『御堂』


『抑える』


御堂機が大型個体の前脚へ連続して射撃を加え、進路を中央通路の東側へ戻した。その間に、ノストスは西側斜路までの距離を縮めていく。


斜路まで残り九十メートル。


設備班を地上へ出せる。


しかし、中央棟の構造変位は止まっていなかった。


久賀から新しい観測値が共有される。


『中央棟の東側への変位が大きくなっています。C七支柱の亀裂も広がっています』


藤堂が支柱の映像を拡大した。


『神代隊長、中央通路から離れてください。C七が完全に折れた場合、交差部から西側が一度に崩れる可能性があります』


神代は即座に離脱を指示した。


『全機、西へ下がる』


第三中隊の四機は戦闘を続けながら、西側斜路へ向けて移動を始めた。


ところが、大型個体が六本の脚を広げ、中央通路と西側斜路を繋ぐ交差部へ身体を入れた。背部外殻を西へ向けることで、幅九メートルの通路の大半を塞いでいる。


御堂機が側面から射撃を加えるが、硬い外殻に弾かれる。片瀬機は小型個体を押さえており、安西機の防盾は先ほどの衝突で変形していた。神代機が外殻の隙間へ杭撃ちを入れても、短時間で通路を開けるほど大型個体は動かなかった。


『橘、救助を優先しろ』


「了解」


蒼真は前方へ視線を戻した。


今は、設備班六名を地上へ帰すことが先だった。


ノストスが西側斜路へ入ると、上から消防隊員が下りてきた。


「設備班六名を搬送中です。負傷者は一名、意識があります。右脚を負傷しています」


『こちらで引き継ぎます』


斜路の途中でノストスを止め、消防隊員が台車を固定したことを確認する。負傷者の状態が確認され、残る五名も自力で地上へ向かえると判断された。


ノストスは牽引索を切り離した。


「設備班六名を消防へ引き渡しました」


森下が地上で人数を確認した。


『六名全員を確認しました。これで作業員三十二名と設備班九名は、全員が地下から退避しています』


民間人の退避は完了した。


蒼真がそのまま斜路を上がれば、自分も地上へ帰ることができた。


しかし、中央通路には第三中隊の四機が残されていた。西側斜路へ続く交差部を大型個体が塞ぎ、支柱C七の亀裂は今も広がっている。


中隊回線から、短い通信が聞こえた。


『片瀬、先に抜けろ』


『小型が残ってる』


『御堂と交代しろ』


『了解』


『安西、動けるか』


『右脚の出力が低下。歩行は可能です』


蒼真は地下構造図を開いた。


大型個体を活動停止させなくても、南側の荷捌き通路へ三メートル動かせば、交差部に機体一機分の幅を作ることができる。


ノストスには二基の牽引装置がある。


どちらも瓦礫や車両を移動させるための救助装備であり、敵性個体を引くことは想定されていない。それでも、最大荷重は大型個体の推定重量を上回っていた。


「神代隊長」


『何だ』


「設備班を消防へ引き渡しました。ノストスの牽引装置で、大型個体を南側通路へ動かせる可能性があります」


『地上へ戻れ。こちらで排除する』


「C七支柱の変位が続いています。大型個体を排除してから全機が移動するのでは、間に合わない可能性があります」


『藤堂、支柱はどのくらいもつ』


『正確には出せません。ただ、次に大型個体が柱へ接触すれば、その時点で破断する可能性があります』


神代は数秒だけ黙った。


『橘。牽引で動かせる根拠は』


「救助用の最大荷重は、敵の推定重量を上回っています。ただし、六本の脚で抵抗するため、実際に動かせる保証はありません」


『失敗したら』


「索を切り離し、南側通路から西へ離脱します」


『こちらの射線へ入るぞ』


「大型個体の南側面から索をかけます。片瀬さんと御堂さんの射線とは重なりません」


戦闘中に長く話せる時間はない。


それでも、蒼真が何をするのか、どの危険を見ているのかを伝えなければ、ノストスを戦闘線へ戻すことはできない。


やがて、神代の短い指示が返った。


『来い』


「了解」


ノストスは斜路の途中で向きを変え、もう一度地下へ下り始めた。



ノストスが中央通路へ戻ると、仮設照明の半分近くが消えていた。非常灯の赤い光が砂埃の中で揺れ、天井からは細かなコンクリート片が落ち続けている。


大型個体は交差部の中央にいた。


神代機と安西機が正面を押さえ、片瀬機と御堂機が残る小型個体を近づけないよう戦っている。


ノストスは南側荷捌き通路へ入り、大型個体の側面へ回った。


蒼真は敵の動きだけでなく、六本の脚の位置、外殻にある突起、床へ広がる亀裂、牽引する方向を確認した。三メートル南へ移動させれば、第三中隊の機体が一機ずつ西側へ抜けられる。


「片瀬さん、南側を二メートル空けてください」


『二秒待て』


片瀬機は接近していた小型個体へ杭撃ちを入れ、その反動を使って南側通路から離れた。


『今』


ノストスは二本の牽引索を射出した。


一本目は大型個体の背部外殻にある突起へかかり、二本目は脚の付け根を回って反対側の外殻へ食い込んだ。


蒼真は牽引索を巻き取り、機体の脚部を床へ固定した。


一割の出力では、大型個体は動かなかった。


二割へ上げると、牽引索が強く張り、敵の身体が僅かに南側へ傾いた。


三割では、ノストスの足元にあるコンクリートが軋み始めた。大型個体は六本の脚を広げ、床を掴むようにして抵抗する。


神代機が正面から敵を押した。


『引け』


蒼真は出力を四割まで上げた。


大型個体の脚が床を滑り、身体が一歩だけ南へ動く。交差部の西側に、人型機一機が通れる隙間が生まれた。


『御堂、抜けろ』


『了解』


御堂機は小型個体を蹴り離し、空いた隙間を通って西側へ走った。


続いて片瀬機が通過する。


大型個体は身体を捻り、外殻にかかった索を振りほどこうとした。


一本目の牽引索が突起の表面を滑り、負荷表示が急激に上がる。


《牽引索一、固定部損傷》


警告が出た直後、一本目の索が切れた。


反動でノストスの上体が大きく揺れ、大型個体の身体が交差部へ戻り始める。


安西機は、まだ敵の東側に残っていた。


蒼真は残った一本の牽引索を巻き取り、ノストスをさらに南側へ下げた。左脚部の負荷が上がったものの、駆動系はまだ正常に動いている。


安西機が狭くなった隙間へ入る。


大型個体は前脚を持ち上げ、安西機の損傷した右脚へ振り下ろそうとした。


蒼真はノストスを一歩前へ出し、右補助アームを敵の関節外側へ当てた。


巨大な前脚を止められるほどの力はない。それでも、安西機へ向かう軌道を僅かに外側へ流すことはできる。


大型個体の前脚がノストスの右肩を掠め、外装を削った。衝撃で機体が半歩下がったが、補助アームと牽引装置は動いている。


安西機が交差部を抜けた。


『抜けました』


残っているのは、神代機とノストスだった。


大型個体がノストスへ向きを変えようとする。残った牽引索は、まだ敵の外殻へかかっている。


神代機が大型個体の正面へ踏み込んだ。


『索を切れ』


「隊長がまだです」


『先に行け』


支柱C七の亀裂が根元まで達し、天井から大きなコンクリート片が落ちた。


藤堂の声が回線へ響く。


『C七がもちません!』


神代機は大型個体の前脚の間へ入り、背部外殻の下へ杭撃ちを打ち込んだ。


『橘、索を切れ!』


蒼真は牽引索を切り離し、ノストスを西側斜路へ向けた。


神代機の杭撃ちが作動する。衝撃によって大型個体の上体が浮き、神代機はその反動を使って後方へ跳んだ。


ノストスの隣へ着地した神代機が、西側斜路へ向きを変える。


『走れ』


「了解」


二機が斜路へ向かった。


その背後で、支柱C七が折れた。


低く長い破壊音とともに中央通路の天井が沈み、梁とコンクリートが大型個体の背中へ落下した。砂埃が通路全体へ広がり、後方の映像を覆っていく。


先に離脱した御堂機、片瀬機、安西機は、すでに西側斜路へ入っていた。その後を神代機が追い、ノストスは最後尾から全機の位置を確認した。


五機とも動いている。


御堂機が地上へ出た。


続いて片瀬機と安西機が斜路を上がる。


神代機が地上へ到達し、最後にノストスが地下から脱出した。


ノストスが地上へ出た直後、西側斜路の奥から大量の砂埃が噴き出した。消防隊員と管理局員が封鎖線の外へ下がり、地下入口への立ち入りを禁止する。


旧中央棟の鉄骨が東側へ僅かに傾き、大きな軋みを周囲へ響かせた。


それ以上の崩落は起きなかった。



作業員三十二名と設備班九名は、全員の所在が確認された。


設備班の一名は右足首を捻挫しており、消防による応急処置を受けた後、病院へ搬送された。意識はあり、命に別状はない。


現場へ先行配置されていた蒼真と、基地から出撃した神代、片瀬、安西、御堂も、全員が地上へ戻っていた。


第三中隊の五機には、それぞれ損傷が出ている。


神代機の損傷率は二一・六パーセント、片瀬機は二七・二パーセント、安西機は三三・八パーセント、御堂機は一八・四パーセントだった。


ノストスは右脚外装と右肩、牽引装置一本に損傷が確認された。暫定損傷率は七・一パーセントで、内部駆動部に異常はない。


搭乗者に負傷者はいなかった。


敵性個体五体のうち、活動停止を確認できたのは一体だけである。残る四体は地下崩落へ巻き込まれ、状態を確認できなくなっていた。


現場は再走査が終わるまで、立入禁止となった。


蒼真は作業員、設備班、消防、管理局、第三中隊の人数がすべて確認されるまで、ノストスの操縦席に残っていた。


全員が地上へ出たという森下の報告を聞いてから、ようやく機体を停止させた。



午後三時二十分。


第三中隊格納庫。


帰還した五機は、整備架台へ並べられていた。


安西機の防盾は大きく変形し、右脚部の駆動系にも損傷が出ている。片瀬機の右腕には小型個体の爪痕が残り、御堂機は左側装甲の交換が必要だった。神代機も杭撃ち装置の基部へ強い負荷がかかり、分解点検へ回されることになった。


ノストスは、その四機と同じ列に立っている。


牧野は最初に右脚の傷を確認し、装甲の厚さを測定した。


「内部駆動部には届いていません。外装を交換すれば、歩行機能には影響が残らないと思います」


「操縦中にも違和感はありませんでした」


「記録でも異常は出ていませんね。右肩も外装だけですから、こちらも交換で直ります」


牧野は切れた牽引索へ視線を移した。


「最大出力を四一パーセントまで使われたんですね」


「大型個体を交差部から動かすために使いました」


「救助用の牽引装置なので、敵性個体を引くことまでは想定していなかったのですけれど」


「第三中隊の退路を作るためでした」


「皆さんが地下へ残されていたなら、それも救助に含まれるのでしょうね」


牧野は責めるのではなく、困ったように微笑んだ。


「ただ、右側は今朝交換したばかりだったんですよ」


「すみません」


「謝らなくても大丈夫です。機体も装備も、必要な時に使うためにありますから」


牧野は機体の記録をまとめ、暫定損傷率を表示した。


「全体で七・一パーセントです」


「高いですか」


「いいえ。むしろ低すぎるくらいです」


牧野は四月十四日の記録を隣へ並べた。


初実戦では八・一パーセント。


今回は七・一パーセント。


どちらも敵性個体と接触し、味方や民間人を守るために攻撃を受けている。それでも、内部駆動部や致命部位には損傷がなかった。


「また一桁ですね」


「ノストスは支援機ですから、前衛機より低くなるのは普通だと思います」


「第三中隊が到着するまで小型二体を抑え、その後は設備班を救助して、大型個体まで牽引しています。それを後方にいただけとは言えませんよ」


「交戦していた時間は短いです」


「右脚と右肩で、二回攻撃を受けていますよね」


「どちらも、機体の動作に影響しにくい場所でした」


牧野の手が止まった。


「分かっていて、その場所で受けたんですか」


蒼真は当時の状況を思い出した。


小型個体の攻撃を避ければ、西側斜路へ抜ける幅を作ってしまう。大型個体の前脚を流さなければ、安西機の損傷した右脚へ攻撃が届いていた。


「完全に避けると、後ろにいる人や機体へ攻撃が向かうと思いました。ノストスの外装で受ければ、その後も動けると判断しました」


「その判断を、攻撃が来てから行ったんですか」


「多分」


「多分ですか?」


「その時に何を考えたかは覚えています。ただ、どのくらい前から決めていたのかは分かりません」


牧野は四月十四日の映像を表示した。


あの日も、ノストスは安西機へ向かう攻撃を右肩で受けている。


今回も、同じ安西機の右脚へ向かう攻撃を、ノストスの右肩で外へ流していた。


「二回目ですね」


「右肩がですか」


「それもありますが、損傷しても動ける場所を選んで帰ってきたことです」


「偶然かもしれません」


「そうかもしれませんね」


牧野は否定しなかった。


「まだ二回ですから、今の段階で結論を出すべきではないと思います。ただし、機体の損傷だけではなく、橘さんが何を守るためにその位置へ入ったのかも記録へ残します」


「分かりました」


牧野は端末を閉じ、蒼真の顔を見た。


「機体を丁寧に扱ってくださることは、本当に助かっています。でも、搭乗者まで傷ついてしまったら、私には直せませんから、無理はしないでくださいね」


「今日は怪我をしていません」


「今日だけのお話ではありません。次に同じような状況になった時も、ご自分が帰ることを忘れないでください」


「忘れてはいません」


「でしたら、安心しました」


牧野の言葉は柔らかかったが、整備士としてだけではない心配が含まれていた。



午後四時。


現場検証会議には、第三中隊の五名、管理局の藤堂、久賀、森下、消防の現地隊長、設備会社の責任者が参加した。


最初に確認されたのは、事前の地中走査で敵性個体を発見できなかった理由だった。


設備会社の責任者が、旧図面と管理記録を中央画面へ表示する。


「敵性個体は、設備層より下に残されていた旧排水暗渠から現れた可能性が高いと考えています。図面上では四十年以上前に埋め戻されていますが、施工完了を示す写真や、使用した材料の記録が残っていませんでした」


久賀は二つの資料を見比べながら尋ねた。


「埋め戻しが完了したと判断した根拠は、この管理記録だけですか」


「はい。完了と記載されていますが、記入者と現場確認者の情報は、後年の記録移行時に失われています」


「実際には埋め戻されていなかった可能性と、埋め戻し後に別の経路から侵入された可能性の両方が残るわけですね」


「現時点では、どちらとも判断できません」


「今後は、完了を裏づける記録がない地下空間を、閉鎖済みとして調査対象から除外しないでください。敵性反応が出なかったとしても、空間そのものが残っている可能性を確認する必要があります」


「調査手順を変更します」


久賀は責任者を非難するのではなく、不足していた情報と、次の現場で変更すべき手順を順番に整理した。


続いて、最初の圧力変化から全面退避までの判断が検証された。


消防の現地隊長が蒼真へ尋ねる。


「橘さんは、一度目の圧力変化で作業を停止させていますが、その時点では退避を指示していません。その理由を説明してもらえますか」


「一度目の時点では、変化の原因も範囲も分かりませんでした。西側階段と中央通路には異常がなく、設備班を慌てて移動させると、狭い通路での転倒や、通電中の機材を放置する危険がありました。そのため、まず作業を止め、機材を安全な状態へ戻した上で、すぐに移動できる準備を頼みました」


「二度目で全面退避へ変えていますね」


「二度目は数値が大きくなり、久賀さんから、何かが下から上へ動いている可能性を指摘されました。さらに藤堂さんの確認で、設備層の下にある暗渠の埋め戻しを裏づける記録がないと分かりました。敵性反応はまだ出ていませんでしたが、安全だと判断できる根拠がなくなったため、全面退避へ切り替えました」


久賀が補足する。


「橘さんは、モンスターが出ると予測して退避させたわけではありません。原因が分からないまま、作業を続けても安全だとは言えなくなったため、中断しています。この点は報告書へ明記してください」


「結果だけを見ると、敵の出現を予測したように読めるからですか」


設備会社の責任者が聞いた。


「はい。今回の波形と敵性個体の出現を直接結びつけると、次の現場で同じ波形が出た時に、モンスターだと決めつける可能性があります。分からなかったことを、後から分かったことにしてはいけません」


蒼真も頷いた。


「報告には、敵性個体の出現を予測したのではないと書きます。退避を決めた理由は、未確認空間が残っている可能性と、原因不明の圧力変化が続いたことです」


その後、第三中隊が到着するまでの七分間に、ノストスが行った支援について検証された。


神代が蒼真へ尋ねる。


「小型二体に対して、防御砲を使わなかった理由は?」


「地下通路で射撃すると、跳弾が退避中の作業員へ届く可能性がありました。また、小型個体を倒さなくても、西側斜路へ通さなければ作業員の退避時間を確保できると判断しました」


「右脚で攻撃を受けた時、完全に避けることはできなかったのか」


「左へ避ければ、小型個体が斜路へ入る幅ができました。右へ避けると、もう一体と機体の位置が重なる可能性がありました。右脚の外装部分で受ければ、歩行機能を残したまま通路を塞げると思いました」


「敵の活動停止ではなく、退避経路の維持を優先したということだな」


「はい。第三中隊が到着すれば、戦闘は引き継いでもらえます。それまでに必要だったのは、敵を倒すことではなく、作業員を斜路へ入れることでした」


片瀬、安西、御堂は、それぞれ蒼真の説明を聞いていた。


戦闘中隊であれば、敵を発見した時点で活動停止を目指す。しかし蒼真は、最初から敵を倒すまで戦うつもりがなかった。必要な時間と距離を確保した後は、第三中隊へ任せて救助へ向かっている。


次に、設備班六名を救助した後、蒼真が地下へ戻った判断が検証された。


中央画面には、当時の地下配置が再現されている。西側斜路にはノストスがいて、交差部の東側には第三中隊の四機が残されている。その間を、大型個体が塞いでいた。


神代が蒼真を見た。


「俺は地上へ戻れと指示した」


「はい」


「それでも、お前は牽引を提案した。なぜだ」


「設備班を消防へ引き渡した時点で、作業員と設備班の退避は終わっていました。しかし、第三中隊の四機には帰る経路がありませんでした」


「俺たちは戦闘中隊だ。民間人のような救助対象ではない」


「自分も第三中隊です」


蒼真は、強い口調ではなく、当然のこととして答えた。


「自分は第三中隊の支援隊員です。民間人を地上へ出したからといって、同じ中隊の四機を地下へ残したまま、自分の仕事が終わったとは思えませんでした」


「命令より、自分の判断を優先したのか」


「最初の退避指示には従いませんでした。ただ、牽引方法と危険性を説明した後、神代隊長から来いと言われています」


「俺が許可しなければ、どうした」


蒼真はすぐには答えられなかった。


当時の自分が、命令どおり地上へ戻ったのか。それとも、もう一度方法を説明したのか。今になって確実な答えを作ることはできない。


「分かりません。少なくとも、もう一度は説明したと思います」


「それでも戻れと言われたら?」


「その時にならないと、分かりません」


「命令に従えなかった可能性があると、報告へ書けるか」


「はい。起きたことなので書きます」


神代は少し黙った後、中央画面へ視線を戻した。


「俺も、最初に橘を地上へ戻そうとしたことを書く。ノストスまで地下へ残れば、支援機を失う可能性があった。それを避けるための指示だった」


「その判断は間違っていないと思います」


「だが、俺は交差部を塞がれた後も、大型個体を排除してから離脱できると判断していた。構造崩落までの時間を、橘より長く見積もっていたことになる」


藤堂が口を開く。


「こちらも、支柱が破断する正確な時刻は出せませんでした。橘さんの判断にも、確実な根拠があったわけではありません」


「分かっています」


蒼真が答える。


「大型個体を動かせる保証もありませんでした。ただ、倒してから全機が移動するより、三メートルだけ動かす方が短い時間で済む可能性がありました」


「結果として、牽引で三機分の退路ができた」


神代が言った。


「はい。ただ、自分一人で作った退路ではありません。神代隊長と安西さんが正面を止め、片瀬さんと御堂さんが小型個体を抑えてくれなければ、ノストスは索をかける前に攻撃されていました」


「それも報告へ残す。ノストスが大型個体を動かしたことも残す」


「分かりました」


誰か一人が全員を救ったわけではない。


それぞれが自分の仕事をした結果、全員が帰ることができた。


蒼真は、そう考えていた。



会議が終わった後、第三中隊の五人は格納庫へ戻った。


安西は、ノストスの右肩に残された傷を見上げた。


「また助けられたな」


「今回は、安西さんだけではありません」


蒼真が答えると、安西は少し笑った。


「そういう意味じゃない」


「違いますか」


「違う」


安西はそれ以上説明しなかった。


片瀬は切れた牽引索を見ながら言う。


「次は、もう少し早く引いてくれ」


「最大出力の四一パーセントまで使っています。あれ以上は装置がもちません」


「だから一本切れたのか」


「はい。残った一本も交換した方がいいと思います」


「真面目に答えなくていいぞ」


「聞かれたので」


「そういうところだよ」


家でも似たことを言われる。


御堂はノストスの右脚と右肩を順番に見た。


「最後まで防御砲を使わなかったな」


「撃たなくても、作業員の退避時間を確保できましたから」


「大型個体も倒さずに動かした」


「三メートル動かせば、全機が通れました。活動停止させる必要はありませんでした」


御堂は少し黙った後、ノストスを見上げた。


「お前は、敵を倒すために距離を測っていないんだな」


「他に測るものがありましたから」


「そうか」


最後に神代が蒼真へ声をかけた。


「設備班は」


「一名が右足首の捻挫で病院へ搬送されました。他の八名は帰宅できます」


「作業員は」


「三十二名全員、負傷者はいません」


「第三中隊は」


「五機とも帰還しました。搭乗者にも負傷者はいません」


「ノストスは」


「損傷率七・一パーセントです。明日、右脚外装、右肩装甲、牽引装置を交換します」


神代は五機を見渡した。


「なら、今日はそれでいい」


「いいんですか」


「良くはない。命令と現場判断の境界も残っている。地下に埋まった四体の活動停止も確認できていない」


神代は、そこで一度言葉を切った。


「それでも、全員帰った」


格納庫には、傷ついた五機が並んでいる。


どの機体にも修理が必要だったが、失われた機体はない。搭乗者も全員、ここにいる。


蒼真は、自分が皆を帰したとは思わなかった。


神代が敵を止め、片瀬と御堂が小型個体を抑え、安西が大型個体の正面を塞いだ。藤堂は昇降口の開け方を判断し、久賀は中央棟の構造変位を見つけ、森下は全員の退避を確認した。消防は設備班を引き継いだ。


ノストスも、その中で必要な仕事をした。


だから全員が帰れた。


今の蒼真には、そこまでしか理解できなかった。



帰宅したのは、午後七時十二分だった。


遅れることは、美咲へ連絡してある。


玄関の扉を開けると、居間から昴が走ってきた。


「ただいま」


「ぱぱ!」


昴が蒼真の脚へ抱きつき、少し遅れて美咲も廊下へ出てくる。


「おかえり」


「ただいま」


美咲は蒼真の顔を見た。


詳しく聞かなくても、予定どおりの仕事ではなかったことは分かったらしい。


「怪我は?」


「ないよ」


「本当に?」


「本当に」


「夕飯、温めるね」


「ありがとう」


美咲は、それ以上仕事のことを聞かなかった。


昴が蒼真の手を引き、居間の棚の前へ連れていく。


「のすとす、できた!」


棚に置かれた紙のノストスには、朝まで絡まっていただけの紐が、蝶々結びらしい形で結ばれていた。


左右の輪の大きさは違い、片方は途中で捻れている。結び目も緩く、少し引けば解けてしまいそうだった。それでも、朝よりは確かに蝶々結びへ近づいている。


「自分で結んだの?」


「ままと!」


「ほとんど私が結んだけどね」


台所から美咲の声が返ってくる。


昴は紙のノストスを床へ置き、背中に結ばれた紐を持った。


「ひっぱる!」


「何を引っ張るの?」


「みんな!」


今日、ノストスが大型個体を牽引したことは家族へ話していない。昴は単に、背中の紐で何かを引っ張って遊びたいだけなのだろう。


「みんなを、どこへ連れていくの?」


蒼真が聞くと、昴は少し考えてから、居間の奥を指差した。


「おうち!」


「そう」


蒼真は笑った。


「ちゃんと連れてきてね」


「うん!」


昴は紙のノストスを床へ置き、紐を引きながら歩き始めた。機体の後ろには何も繋がっていないが、昴には何かが見えているらしい。


食卓では、結衣が宿題をしながら友人と端末で話していた。


画面の向こうから、聞き覚えのある少年の声がする。


『だから、その式が違うって言ってるだろ!』


「平岡が間違ってるんでしょ!」


『教科書を見ろよ!』


「見てるよ!」


旅行から帰って以降、直哉の声が家の中で聞こえることが増えた。


美咲は夕食を温め、昴は紙のノストスを引き、結衣は直哉と言い争っている。


蒼真も、そこへ帰ってきた。


家族全員が家にいる。


今は、それでよかった。



夜。


日記。



---


五月二十六日。


旧東央商業施設の地下で、敵性個体が五体出現した。第三中隊が到着するまで、ノストスで西側斜路を守った。敵を倒さなくても退避経路を維持できたため、防御砲は使わなかった。


設備層では六名が取り残され、そのうち一名が右脚を負傷した。作業前に確認していた資材昇降口をノストスで開け、六名全員を救助した。負傷者は右足首の捻挫で、命に別状はない。


設備班を消防へ引き渡した後、神代隊長から地上へ戻るよう指示された。しかし、大型個体が交差部を塞いでおり、第三中隊の四機には帰る道がなかった。牽引装置で大型個体を南側へ動かす方法を説明し、神代隊長の許可を受けて地下へ戻った。


牽引索は一本切れたが、大型個体を三メートルほど動かすことができた。第三中隊が交差部を通過した直後、中央通路は崩落した。


ノストスの損傷率は七・一パーセント。第三中隊は五機とも帰還し、搭乗者に負傷者はいなかった。


家では、昴が紙のノストスで「みんなをおうちへ連れていく」と言った。今日のことは家で話していないので、偶然だと思う。


以上。



---


日記を閉じる。


作業員を退避させ、設備班を救助し、第三中隊の退路を作った後、自分も帰った。


どれも、支援隊員として必要な仕事だった。


蒼真は、自分が特別なことをしたとは思っていない。自分一人では、何一つできなかったからだ。


全員が自分の役割を果たした結果、誰も置き去りにならなかった。


その結果だけで、今日は十分だった。


蒼真は日記を引き出しへ戻し、寝室へ向かった。


美咲は布団の中で本を読んでいた。


「書けた?」


「うん」


「今日は長かった?」


「少し」


「何かあったんだね」


「うん」


「怪我はない?」


「ないよ」


美咲は本を閉じたが、それ以上仕事のことは聞かなかった。


「今日は早く寝た方がいいよ」


「そうする」


蒼真が布団へ入ると、美咲の手が右肩へ触れた。今日、ノストスが傷を受けた場所だった。


「本当に痛くない?」


「痛くないよ」


「ならいい」


美咲が手を離してから、しばらくして寝室の扉が静かに開いた。


紙のノストスを抱えた昴が、扉の隙間から顔を覗かせる。


「ぱぱ」


「どうしたの?」


「いっしょ」


蒼真は布団を少し持ち上げた。


昴はその中へ入り、紙のノストスを枕元へ置いた。機体の背中には、不格好な蝶々結びが残っている。


昴は蒼真の胸元を掴み、安心したように目を閉じた。


今夜も少し重い。


それでも、いないのとは違った。



---


第三十話 終

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