第二十六話 境界線
四月二十日。
目覚ましが鳴る少し前、蒼真は自然に目を覚ました。
まだ朝の光は弱く、カーテンの隙間から差し込む白い光が、寝室の床へ細長く伸びている。隣では美咲が静かな寝息を立てていた。
蒼真はしばらく天井を見ていたが、やがていつもと何かが違うことに気づいた。
胸の上が軽い。
ここ最近、昴は夜中になると自分の布団を抜け出し、ほとんど毎朝のように蒼真の胸か腹の上で眠っている。重いし、寝返りも打てない。朝になると首や肩まで凝っている。
それなのに、いなければいないで気になる。
身体を起こして美咲の向こうを見ると、昴の布団は空だった。
「……またか」
蒼真は美咲を起こさないよう静かに布団を抜け出した。
廊下へ出ると、居間の方から小さな声が聞こえてきた。
「ここ、いく」
少し間が空く。
「ぱぱも。おかあさんも。おねえちゃんも」
誰かと相談でもしているような声だった。
居間を覗くと、昴がテーブルの前へ座っていた。その横には、右肩を透明なテープで何重にも補修した紙のノストスが置かれている。
テーブルには昨日、美咲と結衣が買ってきた旅行雑誌が開かれていた。
昴が指差しているのは、海沿いの旅館だった。
「もう旅行先を決めたの?」
声をかけると、昴が嬉しそうに振り返った。
「ぱぱ!」
「おはよう」
「ここ!」
挨拶を返すと、すぐに雑誌を指差された。
蒼真も隣へ座って覗き込む。
写真には、海を見下ろす大きな露天風呂が写っていた。
「お風呂?」
「おっきい!」
「大きいね」
「ここ、いく!」
どうやら昴にとっての家族旅行は、大きな風呂へ入ることらしい。
「お姉ちゃんにも聞かないと」
「おねえちゃんも、いく」
「そうじゃなくて、お姉ちゃんがここに行きたいか聞くの」
昴が不思議そうに首を傾げた。
家族旅行なのだから家族全員で行く。それ以上、何を確認する必要があるのか分からないのだろう。
「じゃあ、ここも候補にしておこうか」
「こうほ?」
「行くかもしれないところ」
「いく!」
候補という考え方は、まだ少し難しいようだった。
「朝から何してるの?」
寝室の方から美咲の声がした。
少し乱れた髪を整えながら、美咲も二人のところへ来る。
「昴が旅行先を決めてた」
「もう?」
「大きいお風呂があるから、ここがいいんだって」
「へえ。どれ?」
美咲も雑誌を覗き込んだ。
「あら。いいところじゃない」
ページを捲ると、周辺の観光施設も紹介されている。その中には、結衣が昨日から行きたがっている水族館もあった。
「ここ、水族館からも近いよ」
「じゃあ、ちょうどいいんじゃない?」
「まだ空いてるか分からないでしょ。ゴールデンウィークなんだから」
「高い?」
「あなたはすぐそれね」
「大事でしょ」
「昨日は『みんなが行きたいところならどこでもいい』って言って、結衣に怒られてたくせに」
「あれから考えたよ」
「何を?」
「海が見たい」
美咲が蒼真を見る。
「……それだけ?」
「うん」
「本当に欲がないわね」
「家族で行くなら、それで結構満足だよ」
美咲は呆れたような顔をした後、少しだけ笑った。
「じゃあ、海が見えて、昴の大きなお風呂があって、結衣の水族館が近いところ」
「美咲は?」
「私はご飯を作らなくていいところ」
「旅館なら大体そうじゃない?」
「だから旅館でいいの」
どうやら家族四人の希望は、これで一応揃ったらしい。
*
朝食の途中で、寝癖をつけた結衣が居間へ入ってきた。
中学校へ入学してからまだ日が浅い。以前より朝が早くなった生活に身体が慣れていないのか、目も半分しか開いていなかった。
「おはよう……」
「おはよう」
蒼真が声をかけると、結衣はぼんやりとしたまま椅子へ座った。
「今日、朝練じゃなかった?」
美咲に聞かれ、結衣の手が止まる。
「……ある」
「何時?」
「八時……」
美咲は何も言わず時計を指差した。
七時十二分。
一瞬で目が覚めた。
「えっ!? 何で起こしてくれなかったの!」
「六時半から三回起こした!」
「嘘!」
「三回とも返事までした!」
「覚えてない!」
「それはお母さんのせいじゃないでしょ!」
朝の食卓が急に騒がしくなった。
結衣はパンを口へ入れたまま立ち上がろうとして美咲に止められ、髪も直していない、時間がないと慌てている。
蒼真は味噌汁を飲みながら、その様子を眺めていた。
すぐに見つかった。
「他人事みたいな顔してないで、お父さんも何か言って」
「もう少し早く寝た方がいいよ」
「今言うこと!?」
結衣に怒られた。
「じゃあ、早く食べた方が」
「それは分かってる!」
何を言っても駄目らしい。
蒼真が味噌汁へ戻ると、隣にいた昴が姉を見ながら言った。
「おねえちゃん、おそい」
「昴まで言わないで!」
昴が楽しそうに笑う。
少しして、昴は思い出したように旅行雑誌を引き寄せた。
「おねえちゃん、ここ!」
「何?」
「いく!」
結衣が雑誌を覗き込む。
露天風呂を見て、その周辺案内へ視線を動かし、水族館を見つけた瞬間に眠気が完全に消えた。
「ここ、水族館近いじゃん!」
「昴が選んだ」
蒼真が言う。
「昴、分かってるじゃん!」
「わかってる!」
絶対に分かっていない。
「ここにしようよ、お母さん!」
「だから、まだ空いてるか分からないでしょ」
「今見よう!」
「朝ご飯中」
「ゴールデンウィークだよ? 絶対埋まるって!」
結衣の勢いに押され、美咲も携帯端末を手に取った。
「空いてるか見るだけね。予約するなら、お父さんの休みを確認してから」
三人の視線が蒼真へ集まった。
「三日と四日は休み」
「本当!?」
「今の勤務表ではね」
結衣は喜びかけたが、すぐに少し不安そうな顔になった。
「急に仕事入ったりしない?」
「可能性はあるよ」
「入れないでよ」
「僕が決められることじゃないから」
「でも旅行じゃん」
「分かってる」
以前の蒼真なら、そこで話を終わらせていたかもしれない。
仕事が入る可能性がある以上、絶対に行けるとは約束できない。だから約束しない。それは蒼真なりの誠実さだった。
けれど、今は少し寂しそうな結衣の顔が目に入った。
中学校へ入ってから、初めての家族旅行になる。
結衣は水族館を楽しみにし、昴は大きな風呂へ行くつもりでいる。美咲も昨夜から旅館を調べていた。
そんな家族を前にして、「仕事だから仕方がない」の一言で終わらせるのは、何か違う気がした。
「できる限り、行けるようにするよ」
結衣が顔を上げる。
「本当に?」
「うん」
「約束?」
蒼真は少し考えた。
仕事が入らないことは約束できない。
けれど、旅行へ行くためにできることをする。それなら約束できる。
「旅行へ行けるようにする。それは約束する」
結衣は父親の顔をしばらく見た後、ようやく納得したように頷いた。
「じゃあいい」
そのやり取りを、美咲は何も言わずに見ていた。蒼真と目が合った時だけ、ほんの少し嬉しそうに笑った。
そこから先は、旅館と水族館の話になった。
蒼真も、今日の仕事については話さなかった。
美咲も聞かなかった。
家の朝は、それでよかった。
*
午前八時四十一分、蒼真は管理局の会議室へ入った。
今日の会議は、支援隊員制度そのものを説明するためのものではない。
支援隊員として複数の現場へ入り、ついには実戦まで経験した蒼真の動きを材料に、管理局と警備部隊の境界をもう一度確認するために開かれたものだった。
長机には課長、藤堂、久賀、森下が座っている。
警備側からは二人。
第三中隊長の神代。
そして第六警備中隊の城戸一尉。
四月十四日の実戦を指揮した神代と、四月八日の旧南部環状処理場で蒼真と何度も意見をぶつけた城戸。
二人が同じ会議室にいる理由は、蒼真にもすぐ分かった。
「お久しぶりです」
城戸へ声をかける。
「おう」
城戸は蒼真を見るなり、少し笑った。
「今日は西側に一機寄越せとは言わんのか」
挨拶より先に、それだった。
「今日は現場じゃないので」
「そういう意味じゃない」
「なら、どういう意味です?」
城戸が大きな声で笑った。
「相変わらずだな、お前は」
神代が横から言う。
「現場でもそんな感じだったのか」
「もっと面倒だった」
「城戸さんも結構面倒でしたよ」
「何だと?」
課長が手を叩いた。
「昔話するなら後にしろ。始めるぞ」
蒼真は藤堂の隣へ座った。
会議室の窓からは、復旧工事の続く市街地が見える。ビルの間で何基ものクレーンが動き、少し離れた工事区画では一機のフレームワーカーが資材を運んでいた。
長机の端末には、二つの現場記録が表示されている。
四月八日。
旧南部環状処理場。
四月十四日。
北東第五再開発区。
課長が口を開いた。
「支援隊員制度を変える話じゃない。今回は運用の話だ。実際に動かしてみて、管理局側と警備側の境界が曖昧なところが出た」
最初に表示されたのは、四月八日の配置図だった。
「城戸」
課長に促され、城戸が話し始める。
「この時、橘は西側へ警備機を一機動かすよう要求した。俺は断った。理由は外周を薄くできなかったからだ」
「はい」
蒼真も覚えている。
「その時、お前は何を見てた?」
城戸に聞かれる。
蒼真は画面を見る。
記録と一緒に、あの日の光景が戻ってきた。
最初に気づいたのは、鳥だった。
現場へ入った時には聞こえていた鳴き声が、途中から消えた。
次に沈殿槽の水面が不規則に揺れ始めた。
ポンプ由来ではない振動が西側地下で続き、さらに南側の退避路が二センチ沈下した。
敵性反応はない。
それでも、現場そのものが少しずつ「何かがおかしい」と伝えていた。
だから蒼真は、西側へ一機寄せてほしいと頼んだ。
何度も。
だが城戸は断った。
「敵性反応以外の異常が積み重なっていました。西側地下が原因かもしれないと思っていました」
「俺はそこまで知らなかった」
城戸が言った。
「お前が西側を気にしてることは分かってた。でも、俺が持ってた情報は敵性反応なし。外周警戒を削るほどじゃないと思った」
蒼真は城戸を見る。
「自分も、城戸さんが何を警戒して外周を動かさなかったのか知りませんでした」
「あの時は、戦術権限だとしか言わなかったからな」
城戸はあっさり認めた。
「現場が終わった後、お前らの報告を全部読んだ。鳥、水面、振動、退避路。あれを最初から全部聞いていれば、俺の判断が違った可能性はある」
「西側へ動かした?」
「それは分からん」
城戸は迷わず答えた。
「結果を知った後なら、いくらでも正解を作れる。西側へ一機寄せておけばよかったと言うのは簡単だ。でも、あの時点では別の場所から敵が出る可能性もあった」
久賀がそこで口を挟んだ。
「つまり問題は、橘さんの要請が通らなかったことではない?」
「違う」
城戸が頷く。
「お互い、持ってる情報を全部渡さないまま判断してたことだ」
その言葉に、蒼真も納得した。
同じ現場にいても、見ているものは違う。
城戸は敵を見る。
蒼真は現場を見る。
どちらかが間違っているわけではない。
問題は、相手も自分と同じものを見ているつもりになっていたことだった。
「次に同じことがあったら」
城戸が蒼真を見る。
「何が起きてるのか全部寄越せ。危ない気がする、じゃなくて、何を見てそう思ったのか」
「分かりました」
「こっちも、動かせないなら理由を返す」
「それでも必要だと思ったら?」
「もう一度言え」
「それでも駄目なら?」
「断る」
蒼真は少し考えた。
「結局、断れるんですね」
「最終判断は俺だ!」
城戸の大声が会議室に響いた。
藤堂が笑いを堪えきれずに俯く。
神代まで笑っている。
「確認です」
「お前の確認は細かい!」
「理由が分かれば、別の方法を考えられるので」
「別の?」
「警備機を動かせないなら、作業員を先に下げる。作業区域を変える。退避路を増やす。こちら側でできることを変えます」
城戸が一度黙った。
やがて、少しだけ笑う。
「本当に現場屋だな」
「支援隊員なので」
「前は現場監督なのでって言ってなかったか?」
「両方です」
「面倒くさいな!」
また笑いが起きた。
四月八日。
あの日の現場では、こんなふうに笑う余裕などなかった。
意見は今でも違う。
けれど、相手が何を守ろうとしているのかは、以前より分かる。
それだけでも。
蒼真には十分だった。
*
次に表示されたのは、四月十四日の旧物流倉庫だった。
空気が少し変わった。
初実戦。
ノストス。
損傷八・一パーセント。
安西。
無傷。
民間人。
全員退避。
神代が当時の配置を表示する。
「こっちは俺から話す」
東側で片瀬機が一体と交戦。
安西機は正面個体に組み付かれていた。
御堂は西側。
神代は南東。
ノストスは後方。
「ここで安西の右後方から、もう一体出た」
神代が指す。
「橘が先に見つけた」
「はい」
「俺は救援を頼んだ」
久賀が聞く。
「戦闘部隊ではなく、支援隊員の橘さんへ?」
「他に間に合う機体がなかった」
神代の返答は早かった。
久賀は責めるような言い方をしなかった。
「結果についてではなく、運用上の確認です。橘さんが前へ出たことで、後方救助線が一時的に空いています」
「分かってる」
「もし民間人側へ別個体が出ていれば?」
「対応が遅れた」
「それでも救援を?」
神代は画面を見た。
「同じ情報しかなければ、今でも頼む」
蒼真は神代を見る。
即答だった。
「安西を放置すれば、二体に挟まれて転倒する可能性が高かった。後方に残す危険と、橘を出す危険を比べた。それで出した」
「戦術判断?」
「そうだ」
神代は、そこで蒼真を見る。
「だから、お前が勝手に前へ出たことにはなってない」
「はい」
「ただ」
神代が続ける。
「お前が前に出てから何をしたのかは、俺も説明できない」
そこだけは。
やはり。
残る。
補助アーム。
敵の脚。
御堂の射線。
右肩。
八・一。
「それは自分も分かりません」
「そこは今日の話じゃない」
課長が言った。
「今日は、支援隊員を前へ出す判断をどこで切るかだ」
久賀が画面を見ながら言う。
「私は、明確な線を作りすぎない方がいいと思います」
城戸が意外そうな顔をする。
「危機管理がそれを言うのか?」
「現場条件が毎回違いますから」
久賀は落ち着いて答えた。
「『支援隊員は絶対に前へ出ない』と決めれば簡単です。でも、それで救助できる人を見捨てる状況が出ます。逆に『必要なら出ていい』だけでは広すぎる」
「なら、どうする?」
「判断者を明確にする」
久賀が神代を見る。
「交戦開始後、戦術指揮は警備側です。支援隊員を戦闘区域へ入れる必要があるなら、原則として戦闘指揮官が判断する」
「原則?」
蒼真が聞く。
「目の前で民間人が瓦礫に挟まれているのに、通信が切れて指示を待てない場合まで止まれとは言えません」
「なるほど」
「その場合は、後から理由を残す」
蒼真には。
分かりやすい。
これまでと。
同じ。
判断したなら。
理由を残す。
迷ったなら。
迷ったことも残す。
「橘」
城戸が呼ぶ。
「はい」
「もし十四日、神代が『頼む』じゃなくて『待て』と言ってたら、お前どうした?」
蒼真は。
すぐには答えられなかった。
記憶の中で、もう一度あの日を見る。
正面の小型個体に組み付かれた安西機。
その右後方から、二体目が跳ぼうとしていた。
片瀬は別個体へ対応している。
御堂の射線は通らない。
神代も間に合わない。
あの状況で。
もし神代から返ってきた言葉が。
『待て』
だったら。
自分は。
待っただろうか。
安西機が倒される可能性を理解したまま。
後方に残れただろうか。
今。
安全な会議室で考えても。
分からない。
「その時にならないと、分かりません」
蒼真は正直に答えた。
城戸が腕を組む。
「支援隊員としては、従えって言われてるんだろ?」
「はい」
「なら、従いますと言うところじゃないのか?」
「言ってもいいですけど」
「けど?」
「本当にできるか分からないので」
しばらく。
静かになった。
神代が先に口を開いた。
「それでいい」
蒼真が見る。
「いいんですか?」
「会議室でできると言うのは簡単だ」
神代は当日の映像を閉じた。
「現場でできるかは別だ。だから判断するのが指揮官の仕事でもある」
城戸も頷く。
「一人助けに行って二人死ぬなら、一人で止める。それを命令するのは、こっちの仕事だ」
蒼真は。
その言葉を。
ゆっくり飲み込んだ。
「嫌ですね」
「何がだ?」
「その判断をするの」
城戸が少し笑った。
「俺も好きでやってない」
意外な返事だった。
城戸なら。
迷わずできる。
そんなふうに思っていた。
違うらしい。
「覚えとけ」
城戸が言う。
「指揮する側だって、別に平気なわけじゃない」
蒼真は頷いた。
「はい」
その言葉が。
なぜか。
強く残った。
*
昼休み。
食堂へ行く前に端末を見ると、美咲からメッセージが届いていた。
《朝の旅館、まだ空いてるよ。どうする?》
予約画面の画像も付いている。
五月三日。
一泊。
大人二名。
中学生一名。
幼児一名。
蒼真は勤務表を確認した。
三日。
休み。
四日。
休み。
今のところ、臨時予定もない。
《取ろう》
送る。
すぐに返ってくる。
《本当に?》
《うん》
少しして。
《じゃあ予約するね》
さらに数分後。
今度は結衣。
《お父さんありがとう!!!!》
感嘆符が多い。
蒼真は少し笑った。
《楽しみにしてるよ》
送信。
端末を閉じる。
午前中は。
現場の話。
昼休みは。
旅行。
それでいい。
*
午後の会議では、二つの現場を基に具体的な運用方法が整理された。
新しい権限が追加されたわけではない。
支援隊員が作業を止める。
警備部隊へ配置変更を要請する。
戦闘が始まれば、戦術判断は警備側へ渡す。
支援側は後方から退避、救助、退路を管理する。
どれも、制度上は既に決められていた。
今日変わったのは、その間にある情報の渡し方だった。
なぜ止めるのか。
なぜ動かしてほしいのか。
なぜ動かせないのか。
なぜ前へ出すのか。
判断だけではなく。
理由も。
渡す。
蒼真には。
そこが一番大きく感じられた。
会議の最後。
課長が聞いた。
「橘。今日の話で何かあるか?」
「あります」
「やっぱりあるのか」
「聞いたんだから答えます」
「分かった。言え」
蒼真は少し考えた。
「支援隊員って、思ってたより自分で決める仕事じゃないんですね」
室内の何人かが、少し意外そうな顔をした。
久賀が聞く。
「どういう意味です?」
「自分が全部決めるんじゃなくて、それぞれが持ってる情報を集めて、どこを誰が決めるか分ける仕事なんだなと」
藤堂が小さく頷いた。
「設備なら設備」
「はい。安全なら森下さん。危機管理なら久賀さん。戦闘なら神代隊長や城戸さん」
「お前は?」
城戸が聞く。
蒼真は少し考えた。
「その間、ですかね」
誰も。
すぐには答えなかった。
課長が椅子へ背を預ける。
「まあ、今はそれでいい」
「今は?」
「そのうち自分で分かる」
「説明してくれないんですか」
「お前は全部説明させる気か」
「分からないので」
課長が嫌そうな顔をする。
「今日はもう終わりだ」
藤堂が笑った。
会議は。
それで終わった。
*
帰宅したのは午後六時十二分だった。
玄関を開けると、今日は昴より先に結衣が飛んできた。
「お父さん!」
「ただいま」
「予約取れた!」
「おかえりより先?」
「あっ。おかえり!」
結衣が慌てて言い直し、端末を蒼真へ見せた。
朝に見ていた旅館。
五月三日。
一泊。
予約済み。
「本当に取ったんだ」
「取るって言ったじゃん!」
「おかえり」
居間から美咲も声をかける。
「ただいま」
少し遅れて昴も走ってきた。
「ぱぱ!」
「ただいま」
「おふろ、いく!」
やはり。
昴にとっては。
旅行ではない。
風呂。
「行くよ」
「おっきい?」
「大きいと思う」
「やった!」
蒼真が着替えて居間へ戻ると、テーブルの上は朝よりずっと賑やかになっていた。
旅行雑誌の隣には水族館の案内が増え、あちこちに色違いの付箋が貼られている。
「これ何?」
「結衣」
夕食の準備をしていた美咲が答えた。
「絶対に見たいものなんだって。最初は五つくらいだったのに、どんどん増えてるの」
「今十五個!」
部屋にいたはずの結衣が顔を出した。
「一日で全部見るの?」
「見る!」
「疲れない?」
「疲れても楽しいからいいの!」
そこまで言われてしまえば、蒼真に反対する理由はない。
夕食の支度を続けながら、美咲がふと思い出したように聞いた。
「今日、遅くならなかったね」
「会議だけだったから」
「そう」
それだけだった。
何の会議だったのか。
美咲は聞かない。
蒼真も説明しない。
代わりに美咲が水族館の案内を持ってきた。
「昴、イルカが見たいんだって」
「いるか!」
話を聞いていた昴がすぐに反応する。
「結衣も?」
「絶対見る!」
「じゃあ最初に行く?」
「駄目。その前にペンギン!」
「十五個、全部順番決めるの?」
「決める!」
そこから四人で、水族館をどう回るかという話が始まった。
結衣は最初にペンギンを見たい。
昴は何を聞かれてもイルカと答える。
美咲は展示より先に昼食の時間を決めようとする。
蒼真は全部回るなら効率のいい順番を考え始めた。
「お父さん」
結衣が嫌そうな顔をする。
「何?」
「仕事みたいに考えないで」
「でも全部見るんでしょ?」
「見るけど、そうじゃないの!」
「どう違うの?」
「分かんないけど違う!」
美咲が笑い出した。
「蒼真、旅行でまで効率考えなくていいの」
「全部見られなかったら?」
「また来ればいいでしょ」
その発想は。
蒼真にはなかった。
「また来るの?」
「楽しかったらね」
結衣も頷く。
「そうそう」
「じゃあ、今回は全部見なくてもいい?」
「それは駄目」
「何で?」
「全部見る!」
分からない。
でも。
楽しそうだった。
それなら。
いい。
*
夜。
日記を開く。
---
四月二十日。
管理局。
支援運用検証。
四月八日。
第六警備。
城戸一尉。
西側配置。
自分。
現場を見る。
城戸一尉。
敵を見る。
情報。
共有不足。
次。
理由まで渡す。
四月十四日。
第三中隊。
神代隊長。
救援。
後方。
空いた。
結果。
成功。
でも。
危険。
戦闘中。
判断。
警備指揮官。
支援。
後方。
原則。
従う。
城戸一尉。
一人助けて二人死ぬなら。
一人で止める。
指揮官の仕事。
嫌な仕事。
本人も。
好きではない。
覚えておく。
支援隊員。
全部決める仕事ではない。
それぞれの間。
情報。
繋ぐ。
今は。
そう思う。
以上。
---
日記を閉じる。
今日。
新しい役職に就いたわけではない。
新しい権限をもらったわけでもない。
それでも。
支援隊員として。
今までより。
少しだけ。
自分の立っている場所が分かった気がした。
敵を見る人。
設備を見る人。
安全を見る人。
現場を見る人。
全員。
違う。
だから。
繋ぐ。
その仕事が。
どこへ続くのか。
今はまだ。
蒼真には分からなかった。
机の横には、水族館の案内が置かれていた。
結衣が忘れていったらしい。
付箋の一つには、大きな字で、
《ペンギン 最初!》
と書かれている。
別の付箋には、美咲の字で、
《イルカ 11:00》
昴の希望。
だろう。
蒼真は少し笑い、仕事用の端末を開いた。
五月三日。
《休》
その下へ、一つ予定を追加する。
《家族旅行》
保存して。
端末を閉じる。
仕事のことは。
今日は。
もう終わり。
「蒼真、まだ?」
寝室から美咲の声。
「今行く」
返事をして、立ち上がった。
明日になれば。
また仕事へ行く。
それまでは。
家にいる。
それで。
よかった。
面白いと思われたら、ブックマークして頂ければ幸いです。
また、いいね。評価もしていただけたら執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。
感想も頂けましたらありがたいです。
よろしくお願いします。




