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第二十話 止める権限

四月八日。


結衣が中学生になった。


朝、玄関の前で、真新しい制服の襟を気にしている。


紺色の上着。


少し長い袖。


まだ履き慣れていない革靴。


鏡を見る回数が、去年までより増えた。


「曲がってる?」


結衣が聞く。


「何が」


「リボン」


「分からない」


「見てよ」


見ている。


だが、正しい形が分からない。


「少し右じゃない?」


美咲が近づき、結衣の胸元を直す。


「お父さんに聞いても無駄だよ」


「聞かれたから見た」


「見るだけなら昴でもできる」


居間から、小さな声がした。


「あー」


昴。


二歳。


椅子へ座り、パンを握り潰している。


俺たちの息子。


生まれた時、家の中が、また一から作り直された。


夜中に泣く。


朝方に眠る。


結衣が学校から帰れば起きる。


美咲が抱く俺が代わる、腕の中で泣き止まない。


機械の操作より難しかった。


現場の判断より分からなかった。


最初の三か月は。


日記にも仕事より昴のことを書いていた。


ミルク。風呂。発熱。寝返り。つかまり立ち。初めて歩いた日。初めて俺を見て、おとう、と言った日。


仕事の記録の間にそういうことが増えた。


「お父さん」


結衣が呼ぶ。


「何」


「今日、早く帰れる?」


「多分」


「多分?」


「現場がある」


結衣の顔が少しだけ変わる。


小学生の頃ならモンスターがいるの。


戦うの?


怖くないの?


そう聞いた。


今は聞かない。


代わりに。


「連絡して」


と言う。


「分かった」


「本当に」


「する」


「忘れないで」


「忘れたことは」


「ある」


あった。


一度現場が延び、端末の充電も切れ、帰宅が三時間遅れた。


美咲は怒らなかった。


怒らなかったことが一番怖かった。


それ以来遅れる時は必ず連絡する。


「今日の場所は?」


美咲が聞く。


「旧南部環状処理場」


「モンスターは」


「今のところ確認されていない」


「今のところ」


美咲が繰り返す。


「警戒部隊はいる」


「第三中隊?」


「違う。第六警備中隊」


美咲は少し黙った。


第三中隊ではない。それだけで何かを感じたのかもしれない。


「乗るの?」


「乗らない」


「本当に?」


「予定にはない」


「予定には」


最近。


美咲も俺の言い方を覚えた。


「作業用機は現地にある」


「乗る可能性はある?」


「緊急時だけ」


「それは、乗るってことでしょう」


「乗ることを前提にはしていない」


「同じに聞こえる」


「違う」


「あなたの中ではね」


美咲は昴の手から、潰れたパンを取り上げる。


不満がないわけではない。


現場へ出ること。


モンスターがいる可能性。


緊急時にはフレイムワーカーへ乗ること。


どれも好きではない。


それでも以前のように仕事を辞めて現場へ行かないで。とは言わなくなった。


藤堂さん。


久我さん。


森下さん。


三人の名前を知っている。


時々家へ来る。


結衣の誕生日。


昴が生まれた時。


美咲が寝込んだ日。


藤堂さんは子供用の防災用品を持ってきた。


久我さんは役所の手続きを一覧にした。


森下さんは、何も言わずに食材を置いて帰った。


俺が一人で仕事を抱えていないこと。


家に帰れば怖かったと言えること。


現場のことを隠さないこと。


戦果を自慢しないこと。


それを何年も見て美咲は、俺がまだ変わっていないと多分信じている。


「行ってきます」


結衣が靴を履く。


「写真」


美咲が端末を出す。


「今?」


「今しかない」


「遅れる」


「一枚だけ」


結衣は嫌そうにしながら玄関前へ立つ。


俺も呼ばれ、昴を抱く。


昴は姉のリボンを引っ張ろうとする。


「ちょっと」


結衣が避ける。


美咲が笑う。


写真。


一枚。


もう一枚。


三枚目で結衣が怒る。


普通の朝。


この普通が。


何年も続いていることが有り難い。


それを言うと多分大げさだと笑われる。だから。言わない。



数年で俺たちの班は変わった。


藤堂さんは一人で設備復旧の可否を判断するようになった。


現場の業者から橘ではなく藤堂を寄越してくれと言われることもある。


本人は良い意味だとは限りません。と言っている。


多分半分は恐れられている。


図面と違う設備。未記録の改修。保守記録の空白。


一つ見つけるたびその場で関係者を呼ぶ。


逃がさない。


久我さんは。


現場調整の中心になった。


以前は電話を切れないから現場が嫌だと言っていた。


今は現場の方が相手の顔を見て黙らせられます。と言う。


改善なのか悪化なのか分からない。


森下さんは。


俺が判断する前に作業を止める。以前より増えた理由は短い。


「危険です」


それだけ。


俺が聞く。どこが。何が。誰に。全部答える。


三人はもう俺の補助ではない。


それぞれ自分の判断を持つ。


現場監督も一人でできる。


それでも俺は現場に出ていた。


モンスターと遭遇したこともある。


何度か撃破したこともある。


一体。二体。小型個体。負傷個体。


第三中隊が来るまでの間。


作業員の退避中。


毎回偶然。


毎回緊急。


毎回戦闘任務ではない。


スコアには一度も入らない。


俺は常任搭乗者になることを拒み続けている。


「乗らないとは言っていません」


何度も課長へ言った。


「乗ることを前提に配置するなと言っています」


課長は毎回同じことを返す。


「結果として年に三回は乗ってる」


「全部予定外です」


「予定外が続けば実績だ」


「事故を実績にしないでください」


「搭乗記録は実績だ」


話が通じない。


AIも毎回変わらない。


搭乗者認証。


任務分類。


敵性個体確認。


排除推奨。


俺が怖いと言えば、正常です。と答える。


何が正常なのか分からない。


恐怖は消えない。


慣れてもいない。


機体の操縦は上達した。


退避経路の見方も。


射線の確認も。


敵の進行方向の読み方も。


少しずつ上手くなった。


だがモンスターが動く音。


装甲へぶつかる衝撃。


発砲後の静けさ。


どれも毎回怖い。


撃破した夜は今でも眠れない。


AIはそれを記録している。


俺は知らない。



旧南部環状処理場は都市外縁の低地にあった。


もともとは下水処理と廃棄物選別を兼ねた巨大施設。


戦災後二つの処理塔が倒壊し地下導水路も一部が埋没。


復旧が遅れていた。


今回の作業は東側沈殿槽の封鎖解除。


地下設備の排水。


配管区画の再確認。


規模は大きい。


作業員。


四十三名。


消防。


十二名。


設備会社。


十五名。


管理局。


俺たち四人。


警戒。


第六警備中隊。


第三中隊と同じ戦闘部隊だが。


復旧現場で組むのは初めてだった。


現地へ着くと空気が湿っていた。


昨日の雨が地面に残っている。


処理場の巨大なコンクリート壁。


錆びた配管。


黒い水。


沈殿槽から漂う臭い。


腐敗ではない。


薬品。


泥。


金属。


それが混ざっている。


「嫌な場所ですね」


藤堂さん。


「設備担当が言いますか」


「設備として嫌なのではありません」


「では」


「臭いです」


正直だった。


久我さんが現地指揮所へ向かう。


森下さんは退避経路。


藤堂さんは東側設備。


俺は全体確認。


第六警備中隊の指揮官。


城戸一尉。


年齢は俺より少し若い。


体格がいい。


声が大きい。


初対面。


「管理局の橘です」


「第六警備中隊、城戸です」


握手。


「本日の警戒配置を確認します」


「外周二機。地下搬入口一機。予備一機」


「地下導水路の走査は」


「済んでいます」


「結果は」


「敵性反応なし」


「旧西側通路は」


「崩落で閉鎖」


「閉鎖確認は」


「図面と遠隔走査」


嫌な組み合わせ。


「現地確認は」


「不要と判断しました」


「図面が正しい保証はありません」


城戸の目が少し細くなる。


「こちらは戦闘部隊です」


「分かっています」


「敵性個体の確認は、我々の判断で行います」


「現場全体の安全確認は俺の担当です」


「戦術判断へ口を出さなければ問題ありません」


最初から距離がある。


第三中隊とは違う。


片瀬たちは。


俺が止めろと言えば理由を聞く。


納得できなければ反論する。


それでも一度は止まる。


長く組んできた。


俺が意味もなく現場を止めないことを知っている。


第六中隊は知らない。


知らない相手を信用しないのは正しい。


俺も同じ。


「敵性反応がなくても、異常があれば作業停止を提案します」


「提案は自由です」


城戸が言う。


「受けるかどうかはこちらが判断します」


「現場作業については管理局が」


「作業員は止められても、部隊運用は止められません」


分かっている法的にも命令系統上も管理局職員に戦闘部隊を動かす権限はない。


俺はお願いする。


調整する。


納得させる。


それしかできない。


「連携をお願いします」


俺は言った。


城戸は。


短く頷いた。



午前九時。


作業開始。


東側沈殿槽。


大型排水ポンプが動く。


低い振動。


地面へ伝わる。


水位が少しずつ下がる。


設備会社が配管圧力を確認。


消防が有毒ガス測定。


第六中隊の機体は。


外周。


北側。


南側。


一機ずつ。


地下入口に一機。


配置は。


図面通り。


「橘さん」


森下さんが呼ぶ。


「何ですか」


「南側退避路を変更します」


「理由は」


「地面が緩いです」


「朝の確認では」


「雨水が地下へ回っています」


「沈下は」


「二センチ」


僅かだが作業員が一斉に走れば足を取られる。


「変更してください」


「久我さんには」


「共有済みです」


いつもの流れ。


藤堂さんから。


「東側ポンプ一号、振動値が高いです」


「停止?」


「まだ許容範囲。ただし、上がっています」


「原因は」


「配管内の空気か、軸ずれ」


「現地確認を」


「しています」


俺は中央通路を歩く。


耳。


音。


ポンプの低い唸り。


水の流れる音。


機械の駆動。


作業員の声。


遠く。


鳥の声。


……。


止まる。


「森下さん」


『はい』


「鳥」


『何ですか』


「さっきまで鳴いていましたか」


少し間。


『いました』


「今は」


『聞こえません』


空を見る。


処理塔。


配管。


灰色の空。


鳥がいない。


珍しいことではない。


大型機械。


人。


騒音。


逃げたのかもしれない。


足元の小さな水たまりの表面が僅かに揺れている。


排水ポンプの振動。


そう見える。


だが間隔が合わない。


ポンプは一定。


水面の波は不規則。


「藤堂さん」


『はい』


「ポンプの振動は地面にどの程度伝わっていますか」


『現在計測中です』


「中央通路まで来ますか」


『来る可能性はあります』


「可能性ではなく」


『一分ください』


しゃがんで手を地面へ。


冷たい。


微かな振動。


一度止まる。


また二秒。三秒。遠く。


下から。


「地下です」


自分で言う。


『何がですか』


久我さん。


「振動」


『ポンプでは』


「間隔が違う」


『第六中隊へ確認します』


城戸の回線。


『こちら第六』


「地下反応を再確認してください」


『敵性反応なし』


「振動があります」


『大型ポンプの作動中です』


「周期が一致しません」


『地下走査では異常なし』


「旧西側通路は」


『閉鎖されています』


「再走査を」


『不要です』


即答。


「理由は」


『敵性反応がないからです』


「反応がない場所から出たことは何度もあります」


『それは他部隊の記録です』


「同じモンスターです」


『同じ施設ではない』


声が。


少し強くなる。


「作業を一時停止します」


俺は言った。


『管理局判断でどうぞ』


「部隊配置を西側へ寄せてください」


『必要ありません』


「一機だけでも」


『現在配置が最適です』


「何を基準に」


『敵性反応です』


「現場の異常を」


『橘調整官』


遮られる。


『戦術配置は我々の権限です』


通信が短く切れる。


相手に切られた。


「久我さん」


『聞いていました』


「作業停止」


『復旧公社へ伝えます』


「森下さん」


『退避準備に入ります』


「藤堂さん」


『ポンプ停止します』


三人は動く。


迷わない。


だが現場全体はすぐには止まらない。


大型排水ポンプは急停止できない。圧力を抜き流量を落とす。


設備会社が順番に操作。


作業員が工具を置く。


復旧公社の責任者が走ってくる。


「橘さん、何がありました」


「地下振動です」


「ポンプでは」


「周期が違う」


「測定値は」


「藤堂さんが確認中」


「確定していないんですね」


「確定していないから止めます」


「今日の工程は」


「人が死ぬより安い」


言葉が強くなった。


責任者が黙る。


その時藤堂さんが


『橘さん』


声がいつもと違う。


「何ですか」


『ポンプの振動ではありません』


「発生源」


『西側地下』


やはり。


「第六中隊へ」


『もう共有しています』


久我さん。


『返答、敵性反応なし』


「城戸一尉」


回線を繋ぐ。


「西側へ一機移動してください」


『却下します』


「設備振動ではありません」


『なら構造異常です。消防と設備会社の範囲でしょう』


「モンスターの可能性があります」


『反応なし』


「過去に」


『過去の話は聞いています』


城戸の声に。


苛立ち。


『しかし、反応のない場所へ戦力を割けば、現在警戒中の外周が薄くなる』


「作業員を退避させています」


『それなら問題ありません』


「全員退避まで時間が掛かる」


『我々は配置を維持します』


「西側出口の近くに作業員がいます」


『敵性反応はありません』


何度目だ。


敵性反応。


それだけ。


「城戸一尉」


自分の声が低くなる。


「頼みます」


沈黙。


『要請は受けました』


「では」


『却下します』


回線終了。


権限がないその事実が今形になる。


俺には頼むことしかできない。


「全員退避!」


拡声器で現場へ叫ぶ。


作業員が動く。


東側。


中央。


南側。


四十三人。


一斉ではない。


設備停止をしている者。


工具を回収する者。


状況が分からず。


立ち止まる者。


「工具は置いて!」


森下さんの声。


「南側退避路は使わないでください! 中央経路へ!」


久我さんが。


各責任者へ指示。


「点呼は班ごと! 走らせないでください!」


藤堂さんがポンプを止める。


大型機械の音が少しずつ下がる。


唸りが低くなる。


その下から。


別の音が現れる。


ご。


ご。


鈍い。


地中。


何かがコンクリートを押している。


一度、二度、足元の水たまりが跳ねる。


作業員も気づく。


顔が変わる。


「何だ」


誰かが言う。


「走らないで!」


森下さん。


だが人は怖い音を聞くと走る。


列が乱れる。


靴が濡れた床を叩く。


「落ち着いて!」


声が届かない。


ご。


次は近い。


西側の閉鎖通路。


巨大なコンクリート壁。


表面に細い亀裂が見える。


「西側から離れて!」


俺は叫ぶ。


亀裂が伸びる。一本。二本。蜘蛛の巣のように灰色の壁を走る。


中から低い擦過音。


石を刃物で削る音。


城戸の声。


『西側に異常確認。三番機を向かわせる』


遅い。


「もっと早く!」


『指揮に口を』


その言葉は最後まで聞こえなかった。


壁が膨らんだ。


コンクリートの中央が外へゆっくり押し出される。


あり得ない。厚さ一メートル以上の鉄筋でできた補強壁。


それが内側から呼吸するように動く。一度戻る。次に爆発した。


轟音。


白い粉塵、砕けたコンクリート。


鉄筋の破片。


衝撃波。


身体が後ろへ押される。


耳が鳴る。


視界が白い。


誰かの悲鳴。


金属が落ちる音。


「伏せて!」


叫んだつもり。


自分の声が聞こえない。


粉塵の中黒い影。


大きい壁の穴から何かが、身体を押し出してくる。


最初に出たのは頭ではない腕。


太い節がある。


先端に鉤爪。


コンクリートへ食い込む。


引く。


壁の穴がさらに広がる。


次に頭部。


左右に裂けた顎。


目は頭の上に小さくいつも。


濡れた黒い皮膚。


粘液。


土。


砕けた石。


全部を纏っている。


大型掘削種。


資料でしか見たことがない。


体長。


八メートル。


地中を進み、構造物を破壊する。


地上での動きは遅い。


そう記録されている。


嘘だ。


速い。


前脚を地面へ身体を引く。


一瞬で壁の外へ出る。


作業員たちの目の前。


「逃げろ!」


誰かが叫ぶ。


列が崩れる。


大型個体が音へ反応する。


頭を人の集団へ向ける。


顎が開く。


口の奥、円形に並ぶ歯が回転する。


機械のような音を不気味に奏でる。


ぎ。


ぎぎぎ。


空気を削る。


「第六中隊!」


『交戦許可! 三番機、前へ!』


機体が来る。


西側ではなく。


北側から。


遠い。


大型個体が先に動く。


腕を振る。


作業員の近く。


コンクリートが抉れ、破片が舞い人が飛ぶ。


一人。


二人。


頭の中が。


冷える。


「森下さん!」


『負傷者! 中央西側!』


「消防!」


『入れません! 対象が近い!』


「藤堂さん、作業機は」


『東側に一機!』


「起動できますか」


『できます!』


走る。


足が勝手に。


東側。


五十メートル。


遠い。


背後で発砲音。


第六中隊。


機関砲。


大型個体の外殻に火花。効かない。


個体が機体へ向きを変える。


作業員から離れたのは良い。


そう思った。


次の瞬間地面が、別の場所で盛り上がる中央退避路。


森下さんの近く。


「下!」


俺は叫ぶ。


地面が割れる。


小型個体。


一体。


二体。


三体。


大型の後を地下から追ってきた。


事前走査。


敵性反応なし。


作業員へ飛ぶ。


森下さんが。


人を押す。


爪。


防護服を裂く。


赤。


「森下さん!」


『大丈夫! 腕だけ!』


大丈夫ではない。


小型個体。


次。


藤堂さんの方へ。


藤堂さんは工具箱を投げる。


個体の顔へ。


意味はない。


だが一瞬向きが変わる。


「藤堂さん、逃げて!」


『作業機を起動します!』


「俺が乗る!」


『間に合いません!』


作業機。


近いのは藤堂さん。


適性は最低限ある。


何年も訓練した。


俺だけではない。


そうするために育てた。


「乗って!」


叫ぶ。


藤堂さんが梯子へ。


小型個体が追う。


第六中隊の二番機。


射撃をするが弾を小型個体が弾く。


藤堂さんが乗り込む。


俺は近くの負傷者へ。


倒れた作業員。


脚。


コンクリート片。


挟まれている。


「聞こえますか」


返事はない。


息はある。


消防はまだ入れない。


大型個体と第六中隊。


正面で交戦。


機体が。


大型の腕を受ける。


装甲が凹む。


後退。


「橘さん!」


久我さん。


「西側班、四名未確認!」


「位置は」


「崩落壁の近く!」


大型個体の後ろ。


行けない。


「城戸一尉」


『交戦中だ!』


「西側に四名残っています」


『確認できない!』


「救助路を開けてください」


『今は無理だ!』


「大型を北へ誘導して」


『戦術指示をするな!』


「人がいる!」


『こちらも死ぬ!』


発砲。


衝撃。


通信が途切れる。


俺は負傷者の上のコンクリート片へ手を掛ける。


動かない。


「橘さん!」


森下さん。


腕から出血しているが、それでも来る。


「持ち上げます」


「腕は」


「動きます」


二人で持っても重い。


全く動かない。


作業機が必要。


「藤堂さん!」


『今行きます!』


作業機。


起動。


五メートル。


黄色い機体。


戦闘用ではない。


藤堂さんがぎこちなくだが、走らせる。


小型個体が機体へ飛びつく。


左腕の装甲を掻く。


藤堂さん。


振り払えない。


「藤堂さん、防盾で壁へ押し付けて!」


『防盾がありません!』


作業用アーム。


違う機体。


装備。


確認できていない。


「右腕で掴めますか」


『無理です!』


小型個体が操縦席へ登る。


「第六中隊!」


返答なし。


俺は近くの緊急火器箱を見る。


施設警戒用。


携行銃。


人間用。


小型個体には効きにくい。


それでも走る。


箱を開ける。


銃。


重い。


安全装置。


訓練は受けた。


何年も前。


使いたくない。


「藤堂さん、頭を下げて!」


『何を』


撃つ。


一発。


二発。


小型個体の背、外殻に当たるが。玉は弾ける。


効かない。


向きが変わる。


俺を見る。


まずい。


機体から離れ地面へ降りる。


こちらへ。


足。


速い。


銃を構える。


腕が震える。


照準は合わないが撃つ。


外す。


個体が近い。


十メートル。


八。


六。


口を開く。


「橘さん!」


作業機のアームが横から個体を殴る。


藤堂さん。


小型個体が飛ぶ。


壁へ。


叩きつけられる。


「乗ってください!」


『俺が?』


「救助を!」


理解する。


藤堂さんは。


機体を負傷者へ向ける。


俺は小型個体を見る。


動く。


立つ。


また来る。


銃。


残弾。


少ない。


第六中隊機。


遠い。


大型。


まだ。


止まらない。


現場が広い。


敵が多い。


声は悲鳴になっている。


発砲。


警報。


全部が重なる。


情報が切れる。


誰がどこにいるか分からない。


「久我さん、全体人数!」


『退避完了三十四! 負傷確認五! 未確認四!』


四十三。


三十四。


五。


四。


合う。


未確認。


大型の向こう。


「森下さん、負傷者を」


『消防を誘導しています!』


「俺は西側へ行きます」


『駄目です!』


「四人いる」


『大型がいます!』


「分かっています」


分かっている。


怖い。


行きたくない。


銃しかない。


フレイムワーカーはない。


俺は現場監督で指示を出す。


それだけ。


だが。


その指示が。


通らなかった。


人が。


倒れた。


「城戸一尉」


もう一度。


『何だ!』


「西側に四人」


『把握した!』


「救助路を」


『大型を固定できない!』


「第三中隊は」


久我さん。


『要請済み! 到着まで七分!』


七分。


長い。


「第六中隊、煙幕は」


『ある』


「大型の視界を切って、西側へ救助班を」


『音で追う個体だ! 煙幕は意味がない!』


「音を北へ誘導」


『誰が囮になる!』


誰が?権限があれば命じるのか。


誰かに囮になれと言えるのか。


分からない。


でも今誰も決めない。


大型個体が。


第六中隊機を弾く。


機体が倒れる。


地面が揺れる。


操縦席と警告灯が動かない。


「一番機、応答!」


城戸。


返事なし。


大型個体が倒れた機体へ向かう。


「救助!」


別の機体が前へ。


小型二体が側面から足へ噛みつく。動きが止まる。


崩れる。


配置。


崩壊。


「撤退させてください」


俺は言う。


城戸へ。


「一度、北側広場まで」


『撤退すれば作業員へ流れる!』


「作業員は中央から退避中」


『未確認四名が西側だろう!』


「だから誘導を」


『指揮は俺が取る!』


怒鳴り声。


「なら取ってください!」


自分も怒鳴った。


一瞬通信が静かになる。


「人が死にます」


息が震える。


「もう負傷者が出ています」


『分かっている』


「西側へ救助路を」


『できない』


「なぜ」


『戦力が足りない』


その言葉。初めての本音。


敵性反応なし。


配置最適。


異常なし。


全部。


崩れた後。


戦力が足りない。


「管理局の作業機を使います」


『戦闘用じゃない』


「救助用です」


『大型の近くへ入れるな』


「では部隊で救助を」


『できないと言っている!』


「なら俺たちがやります」


権限がない。


だから勝手にやる。


「藤堂さん」


『はい』


「負傷者を消防へ渡したら、西側へ」


『行きます』


「森下さん」


『同行します』


「駄目です。腕を」


『動きます』


「久我さん」


『現地責任者へ退避確認を任せます』


全員来る。


駄目だ三人とも守るべき。


でも俺一人では何もできない。


「支援作業です」


自分へ言う。


「戦闘ではありません」


誰も返事をしない。



作業機。


一機。


藤堂さんが操縦。


俺と森下さんは。


機体後部の簡易搬送台。


本来は資材を載せる。


久我さんは地上から誘導。


西側大型個体の向こう。


第六中隊が何とか足止め。


機関砲。


杭撃ち。


防盾。


どれも決定打にならない。


大型は地面へ潜ろうとする。


潜ればどこから出るか分からない。


「藤堂さん、右へ」


『瓦礫があります』


「越えられますか」


『やります』


作業機が瓦礫を踏む。


揺れて落ちそうになる。


森下さんが片手で俺の防護帯を掴む。


負傷した腕からの出血がまだ止まっていない。


「無理を」


「橘さんもです」


「俺は怪我していません」


「同じです」


前。


粉塵。


煙。


西側壁。


崩落。


人影。


いた三人。


一人は瓦礫の下。


一人は立っている。


一人はしゃがみ込む。


四人目が見えない。


「見つけました!」


俺は叫ぶ。


「久我さん」


『位置確認!』


「西側壁から十メートル、三名視認! 一名不明!」


大型個体がこちらを見る。


目は小さい。


いくつも頭上で光る。


作業機の音に気づいた。


「止めないで!」


藤堂さん。


『向かってきます!』


「止めない!」


言葉が逆。


大型が第六中隊機を振り切る。


こちらへ向かってくる。速い。


地面が震える。


一歩。一歩。処理場全体が沈むように。


「第六中隊!」


『射線が通らない!』


俺たちが邪魔。


「撃たないで!」


言わなくても撃てない。


大型は近づく。


二十メートル。


作業機。


「藤堂さん、作業アームを下げて」


『何を』


「瓦礫を押しながら進む」


『大型が』


「救助まであと少し」


十五。


大型の口が開く。


歯が回る。


高い金属音。


耳が痛い。


「森下さん、降ります」


「まだです」


「近づけません」


「待って」


十メートル。


作業機が急停止。


大型が腕を振る。


藤堂さんが作業アームで受ける。


衝撃。


機体が横へ滑る。


搬送台から身体が浮き安全帯が食い込む。


森下さんが壁へぶつかる。


「森下さん!」


「平気!」


大型の爪が作業アームを掴む。


金属が軋む。


引きちぎられる。


警報。


藤堂さん。


『右腕損傷!』


「後退!」


『救助は』


「後退!」


作業機が下がらない。


大型がアームを押さえている。


「切り離せますか」


『緊急分離!』


爆発ボルト。


小さな衝撃。


右腕が外れる。


作業機が後退。


大型が切り離された腕を地面へ叩きつける。


もう一度。


瓦礫が飛び視界が塞がる。


「今です!」


森下さん。


何が?


彼女が搬送台から飛び降りる。


「待って!」


俺も続いて走る。


大型の横。


粉塵。


見えていない。


音で。


作業機を探している。


俺たちは。


西側の三人へ。


「管理局です!」


一人の作業員が泣いている。


「助けて」


瓦礫の下に男性。


脚を挟まれている。


もう一人は肩を負傷。


「四人目は」


「穴の向こう」


指す。


崩落壁。


小さな空間。


奥に手。


動かない。


「森下さん、三人を」


「橘さんは」


「奥を確認」


「一人で行かないで」


「大型が戻る前に」


地面が揺れる。


すぐに戻る


「藤堂さん、機体を大型の反対へ動かして音を」


『囮にします』


「逃げられる範囲で」


『分かっています』


作業機がエンジンを上げる。


金属片を地面へ叩く。


大型が音へ向く。


怖い。


藤堂さんが狙われる。


「早く!」


森下さん。


狭い瓦礫の奥を這う。


粉塵が舞い暗い。


携帯灯を手に持つ。


作業員は若い。


頭部に血。


呼吸がない。


脈は分からない。


「聞こえますか」


返事なし。


肩を掴む。


身体が冷たい。


いや。まだ分からない。


体を引くが動かない。


脚が鉄骨に挟まっている。


一人では無理。


「森下さん!」


返事がない。


通信。


雑音。


外。


大型の咆哮。


初めて声を聞く。


低い。


腹の底を揺らす。


空気が震える。


狭い空間の粉塵が天井から落ちる。


怖い。


ここが崩れる。


出たい。


作業員を置いて出れば生きられる。


でも手がまだ温かい気がする。


「藤堂さん、救助アームは」


『右腕を失っています!』


「左は」


『把持だけなら!』


「ここまで来られますか」


『大型が』


発砲音。


第六中隊。


大型が怒鳴る。


地面が大きく揺れる。


天井の欠片が頭へ落ちる。


防護帽を被っているが当たると痛い。


「橘さん!」


久我さん。


『第三中隊、到着まで二分!』


二分は長い。


「四人目を確認。瓦礫に挟まれています」


『生体反応は』


「分からない」


『撤退してください』


久我さんが言った。


「まだ」


『崩落危険があります』


「生きているかもしれない」


『橘さん』


「二分待てない」


『あなたが死にます』


「分かっています」


分かっていない。


怖い。


死にたくない。


昴。


朝。


パン。


結衣。


制服。


美咲。


写真。


全部。


頭に出る。


帰りたい。


今すぐ。


でも目の前に人。


「藤堂さん、来て」


『行きます』


「森下さんは退避」


『嫌です』


「怪我をしています」


『だから何ですか』


久我さん。


『三人とも、命令を聞いてください』


「命令権は」


言ってから苦くなる。


誰にもない。


俺にも彼女にも現場にも全員。


自分で決めている。


「すみません」


俺は言う。


「助けます」



第三中隊が到着した時。


大型個体は第六中隊の二機を損傷させていた。


小型個体。


三体のうち二体排除。


一体は地下へ逃走。


第三中隊。


四機。


片瀬。


大庭。


他二名。


現場へ入る。


『橘、位置』


「西側崩落壁。要救助者一名」


『大型はこちらで引く』


「作業機が近くに」


『藤堂機を確認』


「救助アームを」


『大庭、援護。片瀬機、牽引』


返答が早い。


説明が少ないが通じる。


片瀬の機体が大型へ突進。


防盾。


正面から受ける。


第六中隊とは違う。


倒すためではない。


向きを変える。


大型の頭を北へ押す。


大庭機が脚部へ射撃。


前脚が崩れる。


大型が片瀬機へ噛みつく。


片瀬は後退しない。


杭撃ちで顎の付け根を叩く。


『今だ!』


藤堂さんの作業機が左腕を瓦礫へ入れる。


森下さんと俺で鉄骨をずらす。


作業員の脚が抜ける。


重いが引いて外へ。


「消防!」


待機していた消防隊入る。


担架に作業員を載せる。


脈。


確認。


心肺蘇生。


「呼吸なし!」


胸骨圧迫。


一。


二。


三。


機械音。


大型咆哮。


第三中隊は交戦。


全部が同時。


俺は作業員の顔を見る。


若い。二十代に見える。


口元には血が。


「戻って」


誰かが言う。


俺かもしれない。


「戻ってください」


消防。


電気ショック。


身体が跳ねる。


「再開!」


圧迫。


一。


二。


三。


長い。


「脈拍確認!」


声があがる。


「搬送!」


少し息を吐く。


生きている。


まだ生きている。


他の負傷者。


森下さん。


腕。


第六中隊員。


機体内で意識不明。


作業員二人。


大型の最初の攻撃。


一人は頭部。


もう動かない。


防護シートが掛けられている。


靴だけ見える


助からなかった。


俺が止めろと言った時。


西側へ一機動いていれば。


作業員がもっと早く退避していれば。


壁の近くにいなければ、死ななかったかもしれない。


俺の判断は間違っていなかった。


なのに遅かった。


通らなかった。


俺には止める権限がなかった。



事故調査。


四日。


会議。


七回。


現場検証。


三回。


報告書。


百八十六頁。


原因。


大型掘削種一体。


小型掘削種三体。


旧西側導水路から侵入。


崩落で閉鎖されているとされた区画。


実際には地下側に空洞。


走査波が大量の水分と金属配管で減衰。


複数個体の反応が大型排水ポンプの振動へ重なった。


第六警備中隊。


規定上の走査を実施。


異常なし。


規定上の配置。


適切。


管理局。


振動異常を確認。


作業停止を指示。


一部退避開始。


適切。


戦闘部隊への配置変更要請。


権限外。


第六中隊。


要請を却下。


規定違反なし。


結果。


死亡者。


一名。


重傷。


三名。


軽傷。


九名。


第六中隊員。


重傷二名。


管理局職員。


軽傷一名。


森下さん。


腕を十二針。


本人は軽傷ですと言った。


俺は現場での判断は妥当。


報告書にそう書かれている。


妥当。


正しかった。


意味がない。


人が死んだ。


「橘さん」


久我さんが会議室で机を叩き


「休んでください」


「休めません」


「四日寝ていません」


「寝ています」


「何時間」


「分かりません」


「休んでください」


「報告書が」


「終わっています」


藤堂さんが腕を組んでいる。


「設備記録も出しました」


森下さんは腕に包帯。


「安全評価も」


「では」


俺は何をすればいい。


何もない。


事故は終わった。


死者は戻らない。


報告書は正しい。


誰も明確に違反していない。


城戸一尉は処分なし。


俺も処分なし。


全員適切だが一人死んだ。


「第三中隊なら」


口から出る。


三人が見る。


「第三中隊なら、止まりました」


誰も否定しない。


片瀬なら理由が薄くても一度西側へ機体を動かして、

作業を止めた。多分。


「でも」


久我さん。


「第三中隊だから通じたんです」


「分かっています」


「橘さんの判断が、常に戦闘部隊へ通るわけではありません」


「分かっています」


「管理局には」


「権限がない」


自分で言う。


「お願いするしかない」


藤堂さんが低く。


「今回、お願いはしました」


「通らなかった」


「はい」


「次も」


誰も答えない。


次も別部隊、別現場。同じ様な異常が有ったら俺は止めろと言う。


部隊は敵性反応なし権限外。却下。


そして人が死ぬ。


「俺たちが現場監督をする意味は」


声が掠れる。


「判断しても通らないなら」


「管理局内では通ります」


久我さん。


「作業員も、設備会社も、消防も」


「戦闘部隊だけ通らない」


「命令系統が違います」


「モンスターが出たら、戦闘部隊が一番重要です」


「はい」


「そこへ何も言えない」


「要請はできます」


「今回しました」


「はい」


「人が死にました」


沈黙。


森下さんが包帯の腕を見る。


「橘さん」


「何ですか」


「自分のせいだと思っていますか」


「思っていません」


即答。


嘘。


「判断は正しかった」


「はい」


「止めようとした」


「はい」


「救助もした」


「はい」


「でも」


言葉が続かない。


でも足りなかった。


権限が足りなかった。


立場が足りなかった。


「正しくても」


ようやく言う。


「人は助からないことがあります」


森下さんは何も言わない。


それが一番正しかった。



課長の部屋。


窓の外は暗くなり始めていた。


机の上には書類。


課長は俺が入ってもすぐには話さなかった。


「報告書」


俺は言う。


「提出しました」


「見た」


「判断は妥当と」


「そうだ」


「城戸一尉も規定違反なし」


「そうだ」


「第六中隊の配置も適切」


「規定上はな」


「俺も適切」


「そうだ」


「全員正しい」


課長がこちらを見る。


「正しくはない」


「報告書には」


「規定に反していないことと、正しいことは違う」


「でも、処分は」


「違反がない」


「なら」


「処分と責任も違う」


難しい言葉。


役所らしい。


「死亡した作業員の家族へ」


俺は言う。


「説明は」


「局長が行く」


「俺も」


「行かない」


「現場監督です」


「だから行かせない」


「なぜ」


「お前は謝る」


「謝るべきです」


「何を」


答えられない。


止められなかったこと。


助けられなかったこと。


権限がなかったこと。


全部。


俺のせいではない。


でも謝りたい。


「お前が謝れば」


課長が言う。


「遺族は、お前が悪かったと思う」


「実際」


「違う」


「でも」


「違う」


強い。


「お前の判断は正しかった」


「人が死にました」


「正しい判断が通らなかった」


その言葉。


「それが問題だ」


課長は机の引き出しを開ける。


書類を一枚出す。


俺の前へ。


辞令。


名前。


橘蒼真。


所属変更。


復興管理局特殊区域連携調整班。


から。


第三戦術機動中隊付。


職務。


支援ワーカー兼現場連携官。


「何ですか」


読んだまま。


聞く。


「辞令だ」


「見れば分かります」


「なら聞くな」


「拒否します」


「辞令だ」


「俺はワーカーではありません」


「支援ワーカーだ」


「同じです」


「違う」


「第三中隊です」


「そうだ」


「モンスターを倒す部隊です」


「お前も何体か倒してる」


「緊急時です」


「向こうも緊急時に倒す」


「毎日です」


「毎日ではない」


「近いです」


課長は椅子へ座る。


「討伐要員としてではない」


「支援と書いてあります」


「現場判断。復旧作業との調整。避難判断。戦闘区域の設定」


「戦術部隊の中で?」


「そうだ」


「俺に何をさせるんですか」


「止める」


「今もしています」


「お願いしてるだけだ」


胸の奥で何かが痛む。


「第三中隊付なら」


課長が言う。


「現場連携官として、作業停止と部隊配置変更を正式要請できる」


「要請」


「中隊運用規定へ入る」


「命令ではない」


「一定条件下では、緊急停止権限も付く」


辞令の下に付帯権限。


戦闘区域内復旧作業停止。


非戦闘員退避命令。


連携部隊への警戒配置再検討要求。


再検討要求。


拒否する場合現地指揮官は理由を記録。


管理局職員の提案ではない。


第三中隊所属者の正式要求。


重さが違う。


「今度は」


課長が言う。


「止めろと言った時に、止められる」


その言葉。


分かっていた。


言われる前から。


辞令を見た瞬間。


分かった。


だから嫌だった。


「俺を戦場へ入れるためですか」


「今までいた場所も戦場だ」


「違います」


「死者が出た」


「だからです」


声が強くなる。


「だから、これ以上近づきたくない」


「近づかなくても、向こうから来る」


「俺は現場監督です」


「第三中隊でもそうだ」


「ワーカーではありません」


「肩書きに支援と付けた」


「言葉を変えただけです」


「権限も変わる」


「責任も」


課長が黙る。


「増えますよね」


「増える」


即答。


「俺が止めろと言って、部隊が止まる」


「そうだ」


「それで討伐に失敗したら」


「責任がある」


「配置を変えて、別の人が怪我をしたら」


「責任がある」


「退避を命じて、救助が遅れたら」


「責任がある」


「嫌です」


「知ってる」


「知っていて」


「渡す」


課長は辞令を指す。


「権限だけ欲しいとは言えない」


「欲しいと言っていません」


「でも、なければまた同じことが起きる」


人。


防護シート。


靴。


戻ってくる。


「第三中隊なら」


課長。


「お前の判断が通る」


「片瀬さんたちが信頼しているだけです」


「信頼だけでは、他部隊との合同任務で通らない」


「だから所属を」


「そうだ」


「俺を」


「部隊側へ置く」


「誰が決めたんですか」


「上だ」


「上の誰です」


「複数だ」


「課長は」


「推薦した」


腹が立つ。


「俺に聞かずに」


「聞けば断る」


「今も断ります」


「辞令だ」


また同じ。


「家族に」


言葉が止まる。


美咲。


結衣。


昴。


「説明できません」


「しろ」


「何と」


「正直に」


「モンスターに近づく仕事へ変わると?」


「そうだ」


「権限が欲しいから?」


「それは違う」


「では」


課長が少しだけ声を落とす。


「同じ死者を出したくないからだ」


言われたくなかった。


それを言われれば返せない。


俺は辞令を机へ戻す。


受け取らない。


「考えます」


「辞令だ」


「考えます」


「明日からだ」


「早すぎませんか」


「手続きは進んでる」


「本人より先に?」


「役所はそういう場所だ」


昔も聞いた。


「最低です」


「知ってる」


部屋を出る。


辞令は机の上。


持っていない。


だが、返したことにもならない。



帰宅は遅くなった


約束通り連絡はした


美咲は起きている。


結衣も居間に。


制服ではなく部屋着。


昴は寝ている。


「話がある」


俺は言う。


美咲の顔が固くなる。


「事故のこと?」


「その後」


「辞める?」


結衣が聞く。


中学生になって言葉が少し鋭くなった。


「違う」


「じゃあ」


「異動」


「どこへ」


美咲。


「第三中隊」


音が消える。


美咲は何も言わない。


結衣も意味は分かっている。


ニュース。


父の話。


第三中隊はモンスターを倒す部隊。


「ワーカーになるの?」


結衣。


「支援ワーカー」


「同じじゃないの」


美咲と同じことを言う。


「討伐が主ではない」


「でも乗るんでしょう」


「増えると思う」


「戦う?」


「分からない」


「嘘」


結衣が言う。


「戦うんでしょう」


「可能性はある」


「今までだって戦ってた」


「緊急時だけ」


「じゃあ、これからは緊急じゃなくても?」


答えられない。


美咲がようやく口を開く。


「断って」


声は静か。


「嫌だ」


少し震えている。


「第三中隊は嫌」


「俺も嫌だ」


「じゃあ断って」


「辞令だ」


「辞めればいい」


結衣が美咲を見る。


俺も。


「仕事を?」


「そう」


美咲は俺を見る。


以前何年も前、現場監督になった時も同じような顔をしていた。


でも今は違う。


怒りだけではない。


分かっている。


俺がなぜ断れないか。


多分、事故の話も知っている。


「一人、亡くなった」


俺は言う。


「知ってる」


「俺は止めろと言った」


「聞いた」


「通らなかった」


「あなたのせいじゃない」


「分かってる」


「分かってない顔してる」


「俺のせいではない」


「なら」


「でも、次も同じ立場なら」


止まる言葉。


「また通らない」


美咲が目を閉じる。


「第三中隊に行けば」


「止める権限が付く」


「その代わり」


「責任も増える」


「モンスターに近づく」


「うん」


「乗る」


「うん」


「撃つ」


「可能性はある」


「嫌だ」


「俺も嫌だ」


「同じこと言わないで」


「本当に嫌なんだ」


「じゃあ」


「でも」


声が小さくなる。


「また、止められない方が嫌だ」


美咲は何も言わない。


結衣も黙る。


昴の寝息が隣の部屋から微かに聞こえる。


普通の家。


普通の夜。


ここへ帰りたい。


毎日帰りたい。


第三中隊へ行けば帰れない日が増えるかもしれない。


モンスターとの距離が近くなる。


俺は戦いたくない。


乗りたくない。


撃ちたくない。


それでも止める権限が欲しいのではない。


必要だと知ってしまった。


「すぐには納得できない」


美咲が言う。


「うん」


「応援もできない」


「しなくていい」


「嫌だって言い続ける」


「分かった」


「帰ってきて」


「帰る」


「絶対?」


絶対。


言えない。


現場では絶対を言わない。


でも家では言わなければいけない時もある。


「帰る」


俺は言う。


美咲が泣きそうな顔で頷く。


結衣は俯いたまま。


「お父さん」


「何」


「怖い?」


「怖い」


「今も?」


「今も」


「何年もやってるのに?」


「何年やっても」


結衣は少し安心したような悲しいような変な顔をした。


「変わってないね」


「何が」


「怖いって言うところ」


それが良いことなのか分からない。


美咲は結衣を見る。


それから俺を見る。


「変わらないで」


言う。


難しい人は変わる。


結衣は中学生になった。


昴が生まれた。


美咲との関係も。


俺の仕事も。


全部変わった。


でも。


「怖いものを怖いと言うことは」


少し考える。


「変えない」


それなら言える。



夜。


日記。


---


四月八日。


結衣。


中学校。


入学。


制服。


少し大きい。


写真。


昴が。


リボンを引っ張った。


仕事。


旧南部環状処理場。


大型掘削種。


一体。


小型掘削種。


三体。


死亡。


一名。


重傷。


五名。


軽傷。


九名。


自分の判断。


妥当。


報告書。


そう書かれた。


敵性反応なし。


第六中隊。


配置変更を拒否。


規定違反なし。


自分。


作業停止。


規定上適切。


全員。


規定通り。


一人。


死んだ。


正しかった。


意味がない。


止められなかった。


お願いした。


頼んだ。


却下された。


権限がなかった。


第三中隊なら。


止まったと思う。


長く一緒にいたから。


自分が意味もなく止めないことを知っている。


でも他の部隊は知らない。


知らない人間の判断を信用しない。


それは正しい。


だから制度が必要。


権限が必要。


今日。


辞令。


第三中隊付。


支援ワーカー。


現場連携官。


嫌。


行きたくない。


モンスターに近づきたくない。


フレイムワーカーに乗りたくない。


戦いたくない。


撃ちたくない。


権限も欲しくない。


責任も嫌。


でも次同じことがあった時は止めたい。


止めろと言いたい。


お願いではなく。


正式に止めたい。


それで誰かが助かるかもしれない。


誰かが傷つくかもしれない。


分からない。


権限があれば正しいとは限らない。


自分が間違えることもある。


今までは通らないことを怖がった。


これからは通ることを怖がる。


課長はひどい。責任まで渡した。


美咲は嫌だと言った。


自分も嫌だと言った。


結衣は怖いかと聞いた。


怖い。


何年経ってもモンスターは怖い。


撃つのも怖い。


人が死ぬのも怖い。


命令するのも怖い。


AIはいつも恐怖反応は正常と言う。


正常ならどうしてこんな仕事を続けているのか。


分からない。


明日第三中隊へ行く。


辞令だから。


それだけではない。


止めるため。


それも全部ではない。


亡くなった人のため。


そう書くのは卑怯な気がする。


その人は自分に何も頼んでいない。


家族も自分に行けとは言わない。


だから自分で決めたと書く。


嫌だけど。


行く。


怖いけど。


行く。


今度は止めろと言った時に止められる場所へ行く。


以上。


---


日記を閉じる。


隣の部屋。


昴が泣く。


美咲が起きる気配。


俺も立つ。


「俺が行く」


小さく言う。


昴を抱く。


泣く。


背中を叩く。


寝ない。


第三中隊。


辞令。


事故。


全部。


頭にある。


それでも。


腕の中の重さ。


温かさ。


今はこれだけを見る。


しばらくして昴が泣き止む。


俺の胸へ顔を押し付ける。


小さな手が服を掴む。


帰らなければと思う。


何度でもここへ。



同時刻。


中央戦術支援統合網。


非公開解析領域。


観察対象。


橘蒼真。


経過観察期間。


四年六か月。


モンスター遭遇。


十一件。


搭乗。


七件。


撃破。


四体。


公式戦闘スコア。


零。


恐怖反応。


全件で高値。


経験による低下。


確認されず。


操縦精度。


上昇。


退避判断速度。


上昇。


射線管理。


上昇。


保護対象優先率。


維持。


撃破後高揚。


全件で検出されず。


戦闘継続欲求。


なし。


搭乗回避傾向。


維持。


AIは。


再計算する。


通常。


経験は。


恐怖反応を減衰させる。


あるいは。


精神的損耗を増大させる。


橘蒼真。


恐怖反応。


減衰せず。


精神判断能力。


維持。


家族関係。


安定。


職務継続。


安定。


自己認識。


非戦闘員。


維持。


解析結果。


«恐怖を克服していない。»


«恐怖を保持したまま、行動技術のみを更新。»


«既存モデルとの一致率、二・一パーセント。»


再評価。


«特異性、確定。»


新規記録。


旧南部環状処理場。


判断。


作業停止。


適切。


部隊配置変更要求。


却下。


結果。


死傷者発生。


心理変化。


自責傾向上昇。


権限要求。


本人は否定。


実際には。


権限そのものではなく。


判断実効性を要求。


第三中隊編入。


公開人事記録。


上層部推薦。


管理局推薦。


第三中隊受け入れ承認。


非公開処理。


AI推薦値。


加算済み。


本人への通知。


不要。


配属分類。


戦闘ワーカー。


不適切。


支援ワーカー。


適切。


理由。


«戦闘頻度増加による恐怖減衰リスク。»


«ただし、権限不足による保護失敗は、精神損耗を増加させる。»


«第三中隊付与権限により、保護判断の実効性向上を予測。»


«戦闘任務への直接投入は制限推奨。»


«現場判断権限は付与推奨。»


矛盾。


戦闘から遠ざける。


戦闘部隊へ入れる。


AIは。


矛盾とは分類しない。


目的。


観察対象の特性維持。


保護行動の成功率向上。


職務継続率の維持。


結論。


«第三中隊編入を承認。»


«観察段階を更新。»


«非戦闘環境下観察から。»


«権限保有下観察へ。»


記録保存。


本人への通知。


不要。

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