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第十九話 記録されない撃破

九月二十六日。


現場へ出る人間が増えた。


最初は森下さんだけだった。


安全確認のために現場へ入り、退避路を歩き、防護具の装着を確認する。


次に藤堂さんが出るようになった。


設備図面を机の上で見るだけでは足りない、と言い出した。


実際に配管を叩き、制御盤を開き。


現場の責任者へ、なぜ記録と違う改修をしたのか問い詰める。


最後に久我さんが出た。


本人は最後まで嫌がっていた。


危険だからではない。


現場では、電話を切れないからだと言っていた。


「庁舎なら、話が通じない相手との通話を一度終えられます」


初めて現場へ出る朝。


久我さんは、防護服の襟元を気にしながら言った。


「現地では逃げられません」


「危険からではなく、話し相手から逃げたいんですか」


「どちらもです」


彼女は真顔だった。


だが、現場へ行けば強かった。


消防、復旧公社、設備会社、自治体。


互いに責任を押し付けようとする人間たちの間へ立ち、声を荒らげることなく順番に黙らせる。


現場責任者が、


「契約上、こちらの判断ではありません」


と言えば、


「では、どなたの判断かを今ここで決めましょう」


と返す。


設備会社が、


「その作業は追加費用になります」


と言えば、


「費用の話と安全上必要かどうかの話を分けてください」


と切る。


久我さんが現場へ出るようになってから、俺が人同士の話をまとめる場面は減った。


藤堂さんが設備を見る。


森下さんが安全を見る。


久我さんが組織を繋ぐ。


俺は全体を見る。


そのはずだった。


実際には、俺が見ているうちに、三人が判断することも増えた。


「南側区画は止めます」


森下さん。


「理由は」


「退避路が一本しかありません」


「現場責任者は」


「納得していません」


「では」


「止めました」


俺が言う前に、もう止めている。


「設備の再稼働は午後です」


藤堂さん。


「確認は」


「終わっています」


「消防への共有は」


「久我さんが」


「済んでいます」


久我さん。


三人の会話は短い。


俺の出番は、以前より少ない。


それでいい。


そうなるようにした。


ただ俺の仕事が減った分、別の仕事が増えた。


フレイムワーカーへの搭乗。



「搭乗は必要ありません」


朝の会議で、俺は言った。


誰へ、というより。


全員へ。


「今回は地上倉庫の資材移動です。大型機材は民間ワーカーで対応できます」


「民間機は地下通路へ入りません」


藤堂さんが図面を示す。


「地上倉庫だけでは」


「地上倉庫の奥にある遮蔽扉を開放します」


「扉は人力で」


「開きません」


「なぜですか」


「歪んでいます」


「事前報告には」


「ありませんでした」


また図面にない。


また記録にない。


最近、その言葉を聞くたびに、嫌な予感がする。


「第三中隊は」


久我さんが答える。


「周辺警戒に一機。地下北側で、小型個体の排除を実施予定です」


「同じ施設内ですか」


「区画は分離されています」


「分離されている、という言葉を最近信用できません」


「私もです」


久我さんは否定しなかった。


旧東部物流集積所。


特殊区域の外縁に近い。


戦災前は食料と医療物資を保管していた。


現在は復旧資材の一時集積所として再利用する予定。


地上倉庫。


地下搬入口。


地下二層。


複数の搬送路。


北側区画に、小型モンスターが一体確認されている。


第三中隊が先に処理。


南側区画では、復旧作業を進める。


俺たちは南側。


第三中隊は北側。


隔壁で分離。


図面上は。


「俺が搭乗する理由は」


「遮蔽扉の開放」


藤堂さん。


「作業用機体で十分です」


「作業用機体の操縦適性者がいません」


「民間ワーカーは」


「地下搬入口の傾斜角に対応していません」


「第三中隊に頼めば」


久我さんが首を振る。


「排除任務中です」


「排除が終わってから」


「午後になります」


「午後でいいのでは」


「復旧公社が反対しています」


「では止めましょう」


「橘さん」


久我さんが少しだけ目を細める。


「現場を止める前に、できる方法を探すのが調整です」


正しい。嫌なほど正しい。


「戦闘はしません」


「予定にはありません」


「武装は」


「最低限です」


森下さんが答える。


「左腕防盾。右腕に杭打ち補助具。肩部に緊急信号弾」


「銃は」


「搭載されています」


「なぜ」


「特殊区域内で機体を動かすからです」


「使いません」


「使わないで済むことを前提にしています」


前提。図面上。予定。最近。


信用できない言葉が増えた。



現場へ向かう車両の中。


久我さんは端末。


藤堂さんは設備図面。


森下さんは防護具一覧。


俺は機体仕様書。


搭乗するフレイムワーカーは、復旧公社所有の汎用作業機。


型式は古い。戦闘用ではない。


脚部は安定性重視。動きは遅い。


右腕の杭打ち補助具は、歪んだ扉や瓦礫を動かすためのもの。


左腕には、作業中の落下物を防ぐための大型防盾。


ただし、特殊区域内で運用するため。


最低限の自衛装備として、腰部に小口径機関銃がある。


「弾薬は」


俺は聞いた。


「一弾倉」


森下さん。


「減らせませんか」


「なぜですか」


「撃たないので」


「撃たないことと、積まないことは別です」


「一緒です」


「違います」


誰も味方しない。


「橘さん」


藤堂さんが図面から顔を上げる。


「遮蔽扉は、正面から押さないでください」


「理由は」


「上部レールが歪んでいます。正面から押すと、外れる可能性があります」


「では」


「左下を持ち上げ、右へずらす」


「機体で?」


「はい」


「簡単に言いますね」


「機体なら簡単です」


「乗る人間には簡単ではありません」


「橘さんならできます」


「根拠は」


「前回、倒壊隔壁を動かしました」


「一度です」


「一度できたことは、二度目もできる可能性があります」


「できなかった場合は」


「その場で考えます」


雑だった。


久我さんが通話を終える。


「第三中隊は、既に北側区画へ入っています」


「対象は」


「四脚小型種。一体」


「南側に反応は」


「ありません」


「外周は」


「異常なし」


「地下構造は」


「図面上、分離」


最後の言葉だけ。


少し間を置いて言った。


多分、久我さんも信用していない。



旧東部物流集積所。


建物は大きい。


地上倉庫の屋根は、一部が崩れている。


壁面には、戦災時の焼け跡。


搬入口の上には、錆びた看板。


文字は半分消えている。


現場には、復旧公社と設備会社の作業員。


消防。


第三中隊の連絡員。


それぞれが既に動いていた。


久我さんが現地責任者と話す。


森下さんが退避路を歩く。


藤堂さんは遮蔽扉の状態を確認。


俺は機体の前へ立つ。


五メートル。


近くで見ると、大きい。


戦闘用より幅広い。腕も太い。


作業機らしく、機体の各所に傷が多い。


操縦席へ上がる。


座席。


安全帯。


操作盤。


視界補助装置。


起動。


低い駆動音。


正面画面に、AIの表示。


«搭乗者認証。»


«橘蒼真。»


«任務分類。»


«復旧支援。»


«戦闘任務ではありません。»


「分かっています」


独り言。


«音声確認。»


「返事をしないでください」


«了解。»


返事をしている。


機体を立ち上げる。


脚部が重い。


戦闘用の軽さはない。


一歩進むたび、床へ振動が伝わる。


「橘さん、聞こえますか」


久我さん。


「聞こえます」


「南側区画、作業員十五名。消防四名。設備会社六名」


「第三中隊は」


「北側地下区画で交戦開始」


その言葉と同時。


遠くから低い衝撃音が響いた。


一度。


二度。


北側。


隔壁の向こう。


「作業を止めますか」


森下さん。


「第三中隊から」


通信。


『対象個体と接触。予定通り処理する』


片瀬の声は落ち着いている。


「南側は継続」


俺は言った。


「ただし、地下入口より先へ作業員を入れない」


「了解」


以前なら、モンスターの戦闘音が聞こえた時点で、全作業を止めたかもしれない。


今は違う。


区画。


距離。


退避路。


第三中隊の配置。


情報を確認する。


怖くないわけではない。


遠くの衝撃音が鳴るたび、背中が固くなる。


それでも、止める必要がないなら、止めない。


美咲が知れば、どう思うだろう。


考えないようにする。


今は作業。


遮蔽扉の前へ機体を移動する。


大きな金属扉。


下部が床へ食い込んでいる。


「藤堂さん」


「左下です」


「見えています」


「ゆっくり持ち上げてください」


「簡単に」


「一センチでいいです」


「機体で一センチが難しいんです」


右腕の杭打ち補助具を収納。


左腕で扉下部を支える。


機体の姿勢を下げる。


圧力表示。


ゆっくり。


扉が軋む。


金属音。


「上部レール」


藤堂さん。


「まだ持っています」


「右へ」


「動かします」


少しずつ扉がずれる。


奥に暗い搬送路が見える。


「開きました」


「固定します」


藤堂さんたちが近づく。


設備会社の作業員も入る。


俺は機体を横へ退ける。


「これで終わりですか」


「固定確認後、地上倉庫へ戻ってください」


久我さん。


「戻っていいんですね」


「現時点では」


現時点。


嫌な言葉。


北側からもう一度、衝撃。


今度は近い、気のせいか。


「片瀬さん」


『交戦中』


「位置は」


『北側二層。予定区画内』


「こちらの隔壁に振動が」


『対象が壁面へ衝突している』


「問題は」


『処理可能』


声は冷静。


信じる。


信じすぎない。


「南側、作業一時中断」


俺は言った。


「橘さん」


復旧公社の責任者。


「第三中隊は処理可能と」


「扉固定中です。作業員を一度地上へ」


「工程が」


「五分です」


「五分で済みますか」


「済ませるために、今下げます」


責任者は不満そうだったが、久我さんが間へ入る。


「退避確認後、再開判断を行います」


森下さんが人数を数える。


作業員が地上へ戻る。


藤堂さんも搬送路から出る。


「固定作業が途中です」


「一度出てください」


「あと二分です」


「出てください」


俺が言う。


藤堂さんは少しだけ顔をしかめた。


だが、従う。


全員が南側搬入口から離れる。


その瞬間地下から別の音がした。


北側ではない南側。


開いた遮蔽扉の奥。


何かが床を擦る音。


低い。


重い。


「全員、下がって」


言い終わる前。


暗い搬送路の奥で。


何かが動いた。


最初に見えたのは、脚。


灰色で細長い。


次に頭部は平たい。


目がないが、口だけが大きい。


四脚小型種。


北側で第三中隊が対処している個体とは別。


「南側に個体!」


森下さんの声。


作業員が走る。


久我さんが退避路を指示。


藤堂さんが設備会社の人間を押し戻す。


俺は機体を前へ出す。


考えるより先だった。


遮蔽扉と作業員の間、そこへ立つ。


「第三中隊!」


久我さん。


『交戦継続中。こちらも対象を拘束できていない』


片瀬。


「応援は」


『最短三分』


三分は長い。


モンスターが搬送路から出る。


体高は二メートルほど。


機体より小さい。


だが、人間より大きい。


口の周囲に、硬い突起。


掘削種。


壁や地面を削る。


北側の個体と同種かもしれない。


二体いた。


事前走査で一体しか見つからなかった。


「全員、地上へ!」


俺は叫ぶ。


機体の左腕を上げる。


防盾。


モンスターが止まり、頭部を傾ける。


こちらを見ているように感じる。


目はない。


「橘さん、後退してください」


森下さん。


「作業員は」


「退避中」


「全員確認できていません」


「私が確認します」


「俺が下がると」


言葉が出ない。


下がればモンスターが前へ出る。


その先に作業員がいる。


「第三中隊到着まで時間を稼ぎます」


自分で言う。


戦うとは言わない。


時間を稼ぐ。


三分それだけ。


«緊急状況を確認。»


AI。


«対象個体を敵性認定。»


「足止めだけです」


«了解。»


モンスターが動く。


速い。


正面。


防盾へぶつかる。


衝撃。


操縦席が揺れる。


警告音。


左腕負荷。


「うっ」


機体が一歩下がる。


思ったより強い。


小型ではない。


人間から見れば十分に大きい。


モンスターは防盾へ噛みつく。


硬い突起が表面を削る。


「橘さん!」


藤堂さん。


「大丈夫です」


大丈夫ではない。


左腕の負荷が上がる。


防盾だけでは持たない。


右腕。


杭打ち補助具。


戦闘用ではない。


それでもモンスターの側面へ押し当てる。


作動。


金属杭が突き出る。


鈍い音。


モンスターが横へ飛ぶが倒れない。


着地。


すぐに向きを変える。


「効いていません」


«対象外殻損傷、軽微。»


「聞いていません」


«応答不要設定は解除されています。»


「今それを言いますか」


モンスターが低く身を沈める。


次が来る。


「退避は!」


『残り三名!』


森下さん。


三名はどこ。


「位置」


『南側地上階段。移動中』


モンスターが動いた。


こちらではない右へ。


退避路の方向。


「待て!」


意味のない言葉。


機体を前へ。


遅い。


作業機。


脚が重い。


間に合わない。


腰部機関銃。


視界に照準表示。


«排除行動を推奨。»


「撃てません」


«理由を確認。»


「作業員が近い」


«射線上に非戦闘員なし。»


「撃てません」


«理由を確認。»


「俺はワーカーじゃない」


一瞬。


«現在、搭乗者です。»


腹が立つ。


モンスターは退避路へ近づく。


あと十メートル。


三名の作業員。


階段へ背を向けている。


「止まれ」


モンスターへ言っても意味はない。


引き金へ指。


押せない。


撃てば当たる。


外れる。


跳弾。


誤射。


人へ当たる。


怖い。


「第三中隊!」


『二分』


間に合わない。


モンスターが跳ぶ。


俺は引き金を引いた。


発砲音。


機体が揺れる。


弾が床を叩く。


外れた。


モンスターの横。


作業員が振り返る。


「走って!」


叫ぶ。


モンスターがこちらを向く。


発砲音で注意が戻った。


よかった。


こちらへ来る。


よくない。


「退避継続!」


機体を後退。


作業員から離れる方向へモンスターを引く。


撃つ。


今度は短く。


二発。


一発が胴体へ当たる。


灰色の外殻が欠ける。


モンスターが怯む。


止まらない。


「効いてない」


«効果あり。»


«前脚部損傷。»


「止まってません」


«機動性能、十二パーセント低下。»


数字はいらない。


モンスターが防盾へ突進。


衝撃。


機体が壁へ押される。


警告。


左腕損傷。


防盾の端が曲がる。


口が開く。


硬い突起。


機体の胸部へ。


近い。


怖い。


「離れろ!」


右腕の杭打ち補助具。


モンスターの首元へ押し当てる。


作動。


鈍い衝撃。


外殻が割れる。


黒い液体。


モンスターが暴れる。


右腕を振り払われる。


機体が横へ傾く。


姿勢制御。


足元。


床の亀裂。


転倒すれば終わる。


「橘さん、退避完了!」


森下さん。


全員逃げられる。


今なら後退できる。


作業員はいない。


第三中隊を待てる。


「後退します」


自分に言う。


機体を下げる。


モンスターも下がる。


違う方向。


地上設備。


燃料保管区画。


「藤堂さん!」


「先に仮設燃料槽があります!」


最悪。


モンスターは作業員ではなく。


音か、熱へ。


燃料槽へ向かっている。


燃料槽が近すぎて撃てない。


でも。


放置すれば壊される。


火災。


爆発。


地上に退避した人間も危険。


「進行を止めます」


«排除を推奨。»


「止めるだけです」


«了解。»


嘘。


止めるだけでは。


多分、足りない。


機体をモンスターの横へ回す。


遅い。


動きを読む。


右へ回る。


モンスターは負傷した前脚を庇っている。


速度が少し落ちている。


十二パーセント。


数字が頭に残る。


進路へ防盾を差し込む。


衝突。


押す。


力比べ。


機体の方が重い。


だが、足元が滑る。


「あと何分」


『一分』


長い。


モンスターが防盾の下へ潜る。


機体の脚部を噛む。


警告。


右脚装甲損傷。


姿勢が崩れる。


倒れる。


「まずい」


反射的に腰部機関銃照を構え照準。


近い。


外さない距離。


モンスターの背中。


引き金を短く三発引く。


外殻が割れる。


モンスターが離れる。


倒れる。


動いている。


まだ立つ。


燃料槽の方向へ頭を向ける。


「来るな」


立ち上がろうとする。


右前脚が動かない。


それでも身体を引きずる。


止まらない。


第三中隊。


まだ来ない。


「もう動くな」


聞こえない。


«対象個体、活動継続。»


«致命部位への射撃を推奨。»


致命。


言葉が重い。


「捕獲は」


«現在装備では困難。»


「第三中隊を待つ」


«対象が燃料槽へ到達する予測時間、十一秒。»


十一。


十。


頭の中で数える。


モンスターが這う。


九。


八。


照準。


七。


撃ちたくない。


六。


撃てば死ぬ。


五。


撃たなければ。


四。


燃料槽。


三。


外にいる人。


二。


俺は引き金を引いた。


一発。


モンスターの頭部。


動きが止まる。


反動。


発砲音の後。


静か。


何も動かない。


「……止まりました」


自分の声。


遠い。


«対象個体の生命反応消失。»


«排除完了。»


「言わなくていい」


手が震える。


操縦桿を握っている。


離せない。


息が浅い。


「橘さん!」


森下さんの声。


「聞こえますか」


「聞こえます」


「負傷は」


「ありません」


「機体は」


「右脚と左腕」


「本人は」


「大丈夫です」


「嘘です」


森下さん。


「怖いです」


「分かりました」


それだけ。


大丈夫と言えとは言わない。


第三中隊の機体が搬入口へ入る。


片瀬の機体。


戦闘用。


動きが速い。


倒れたモンスターの横へ。


確認。


『対象沈黙』


「遅いです」


言ってから、自分でも驚く。


片瀬は怒らない。


『悪かった』


「一体では」


『こちらも二体目を確認できていなかった』


「走査は」


『隔壁内の配管層を通っていた。反応が重なっていた可能性がある』


「作業員は全員無事です」


『確認した』


「モンスターは」


言葉が詰まる。


倒した。


俺が。


「俺が撃ちました」


『見れば分かる』


「撃破したんですか」


『そうだ』


片瀬は簡単に答える。


簡単ではない。


「俺が」


『お前が』


繰り返される。


認めたくない。


だが、機体の射撃記録。


床の薬莢。


倒れた個体。


全部俺がやった。


『降りられるか』


「分かりません」


『正直でいい』


「降ります」


機体を停止。


安全確認。


ハッチを開ける。


外の空気。


鉄。


油。


焦げた臭い。


梯子を下りる。


途中で足が震える。


森下さんが下で待っている。


「ゆっくり」


「大丈夫です」


「大丈夫ではありません」


「最近、そればかりですね」


「事実なので」


地面へ降りる。


膝が少し抜ける。


森下さんが腕を掴む。


「座りますか」


「座りません」


「なぜ」


「現場監督なので」


「現場監督は座っても構いません」


「全員の確認が」


「終わっています」


「設備は」


「藤堂さんが確認中」


「関係機関は」


「久我さんが」


全部。


誰かがやっている。


俺は座っていい。


近くの資材箱へ腰を下ろす。


手を見る。


震えている。


「撃ちました」


「はい」


「最後は、動けない個体を」


「燃料槽へ向かっていました」


「でも、動けなかったかもしれない」


「動いていました」


「止まったかもしれない」


「止まりませんでした」


「第三中隊が来ていました」


「到着前でした」


森下さんは一つずつ答える。


慰めるためではない、事実だ。


「作業員は全員無事です」


「はい」


「火災もありません」


「はい」


「機体損傷だけ」


「はい」


「なら、よかった」


言ってみる。


良かったとそう思う。


思わなければいけない。


だが、倒れたモンスターを見る。


灰色の身体。


動かない。


「よかったんでしょうか」


森下さんは、すぐに答えなかった。


「分かりません」


意外だった。


「分からない?」


「人が無事だったことは、よかったです」


「では」


「撃破したことまで、良かったと言い切る必要はありません」


「同じことでは」


「同じではありません」


森下さんは倒れた個体を見る。


「必要だったことと、喜べることは別です」


その言葉で少しだけ呼吸が戻った。



北側区画の個体も第三中隊が排除した。


施設内には二体。


侵入経路は、地下配管層。


図面にはない点検穴。


旧改修時に塞がれた記録になっていたが、実際には一部が開いていた。


また記録と違う。


藤堂さんは怒っていた。


今回ばかりは、声に出していた。


「塞いだことになっている穴から、二体入っています」


設備会社の責任者へ。


「記録が正しければ、今日の個体は侵入していません」


「当時の施工業者が」


「今ここにいない業者の話ではなく、現状を記録しなかった理由を聞いています」


久我さんが横に立つ。


「責任追及は後です。まず全施設の同型箇所を確認してください」


「全施設ですか」


「同じ施工記録が使われた施設、すべてです」


「相当数あります」


「モンスターが入る穴より少ないでしょう」


久我さん。


強い。


俺は少し離れた場所で聞いていた。


現場監督の仕事。


もう俺がしなくても進んでいる。


森下さんが近づく。


「医療確認を」


「怪我はありません」


「搭乗後の確認です」


「必要ありません」


「必要です」


簡易医療車へ連れて行かれる。


血圧。


脈拍。


瞳孔。


手の震え。


「異常な緊張状態」


医療員。


「異常ですか」


「現場後なら正常範囲です」


どちらか分からない。


「休養を推奨します」


「報告書が」


「久我さんが作っています」


また仕事がない。


「射撃記録は」


俺は聞いた。


医療員ではなく。


森下さんへ。


「第三中隊が確認しています」


「スコアに入りますか」


「多分、入りません」


自分でも安心する。


はっきり分かるほど。


「よかった」


「なぜですか」


「戦果にならないからです」


「撃破した事実は変わりません」


「記録上、戦闘要員にならない」


「そうですね」


「それでいいです」


戦闘要員。


ワーカー。


そういうものに近づきたくない。


今日はたまたま現場監督として、作業員を守るため仕方なく、一度だけ。


そう整理できる。


スコアが付けば数字になる。


評価される。


次を期待される。


嫌だ。


「誰が撃破した扱いになりますか」


「第三中隊では」


「俺が撃ったのに」


思わず言う。


スコアに入ってほしくない。


だが、自分がやったことを、別の人のものにされるのも変な感じがする。


「気になりますか」


森下さん。


「気になりません」


「今、聞きました」


「制度上の確認です」


「そうですか」


多分気になっている。



帰庁。


報告会議。


課長。


第三中隊。


復旧公社。


消防。


設備会社。


俺たち。


映像記録。


射撃記録。


個体情報。


順番に確認。


第三中隊の報告書には。


北側個体一体。


南側個体一体。


計二体。


排除。


撃破者欄。


北側。


第三中隊。


南側。


共同対処。


「共同?」


俺は画面を見る。


片瀬も見る。


「橘が撃破した」


片瀬が言う。


久我さんも。


「現場記録では、その通りです」


担当官が端末を操作する。


「戦闘任務外の機体による緊急保護射撃です。通常スコアの対象外となります」


「それは分かります」


「撃破者欄は」


「第三中隊到着後に安全確認と対象処理を実施したため、共同対処となっています」


「撃ったのは橘だ」


片瀬。


「規定上、非戦闘員の単独撃破として登録する分類がありません」


非戦闘員。


少し安心する。


「では、それで」


俺は言った。


片瀬がこちらを見る。


「いいのか」


「スコアに入らないなら」


「そういう話では」


「そういう話です」


戦果はいらない。


評価も。


称賛も。


いらない。


ただ作業員が無事だった。


それだけでいい。


「機体ログには残りますか」


久我さん。


「保守記録として残ります」


担当官。


「戦闘評価は」


「行われません」


「AI解析も?」


一瞬担当官が画面を見る。


「任務外ですので、通常評価対象ではありません」


通常。


また嫌な言葉。


「何か問題が」


俺は聞く。


「ありません」


担当官。


会議は続く。


侵入経路。


施工記録。


全施設への再調査。


再発防止。


俺の撃破は。


議題の中心ではない。


それでいい。


終わる。


課長が残る。


「撃ったな」


「はい」


「どうだった」


「嫌でした」


「倒した感想を聞いてる」


「同じです」


「怖かったか」


「かなり」


「動けた」


「作業員がいたので」


「いなければ」


「逃げました」


即答。


課長は少し考える。


「そうか」


「戦闘要員にはしないでください」


「俺に決定権はない」


「推薦しないでください」


「しない」


「本当ですか」


「お前を戦闘要員にしたら、現場監督が減る」


理由が現実的すぎる。


「安心しました」


「ただし」


「嫌です」


「まだ何も言ってない」


「ただし、の後に良い話はありません」


「モンスター出現可能性のある現場では、搭乗を増やす」


「戦闘要員にしない話は」


「現場監督としてだ」


「今日と同じです」


「今日、お前がいなければ作業員が死んでいたかもしれない」


「第三中隊が」


「間に合わなかった」


「別の現場監督を」


「搭乗できない」


「育ててください」


「育てる」


また同じ。


「その間は」


「お前だ」


最悪。


「今日は偶然です」


「現場の事故は、全部偶然から始まる」


「毎回戦えるとは」


「戦えとは言っていない」


「撃ちました」


「帰ってこいと言っている」


前にも聞いた。


「帰るために、撃つ場合があります」


「今日みたいにな」


「それを戦闘と言います」


「分類上は緊急保護行動だ」


「言葉を変えただけです」


「役所はそういう場所だ」


腹が立つ。



家へ帰る。


玄関に美咲が来る。


いつもより早い。


多分連絡が入った。


「乗った?」


「乗った」


「戦った?」


答えに詰まる。


美咲の顔が変わる。


「戦ったの?」


「モンスターが出た」


「聞いてない」


「予定外だった」


「怪我は」


「ない」


「本当に?」


「医療確認も受けた」


「何をしたの」


結衣がリビングから来る。


「お父さん?」


隠さない。


約束した。


「撃った」


美咲が動かない。


「倒したの?」


「うん」


言葉にすると、また胸が重くなる。


「どうして」


「作業員が逃げていた」


「第三中隊は」


「別の個体と戦ってた」


「逃げられなかったの?」


「俺だけなら」


美咲の目が揺れる。


「あなたは逃げられたの?」


「機体なら」


「じゃあ」


「後ろに人がいた」


美咲は何も言わない。


責めたい。


でも、責められない。


そういう顔。


「全員、無事だった」


「あなたも?」


「うん」


「怖かった?」


「怖かった」


「撃った時は」


「もっと怖かった」


「倒した後は」


答えが出ない。


「安心した」


少し考える。


「でも、よかったとは思えなかった」


美咲がゆっくり息を吐く。


「仕事なの?」


「現場監督の仕事ではない」


「じゃあ」


「仕事を守るために、やった」


「同じじゃない?」


「違うと思いたい」


自分でも苦しい。


結衣が聞く。


「モンスター、死んだの?」


「うん」


「お父さんが?」


「うん」


「怖くなかった?」


「怖かった」


「モンスターも怖かったかな」


考えていなかった。


答えられない。


美咲が結衣を見る。


止めようとする。


でも俺は首を横へ振る。


「分からない」


結衣へ。


「でも、逃げていたようには見えなかった」


「怒ってた?」


「分からない」


「お父さんを食べようとした?」


「多分」


「じゃあ、仕方ない?」


「それも分からない」


全部分からない。


「人が無事だったのは、よかった」


それだけ。


「モンスターを倒したことは?」


「必要だった」


森下さんの言葉。


「でも、嬉しくはない」


結衣は黙る。


美咲が、俺の手を見る。


「震えてる?」


「もう止まってる」


「見せて」


手を出す。


少しまだ指先が揺れている。


美咲が両手で包む。


「止まってない」


「少しだけ」


「今日は、話して」


「うん」


「全部」


「うん」


「仕事のことも」


「うん」


「撃ったことも」


「うん」


「何を考えたかも」


「分からないことが多い」


「分からないままでいいから」


その言葉で少し楽になる。



夜。


日記を開く。


---


九月二十六日。


旧東部物流集積所。


地下区画。


小型掘削種。


二体。


一体。


第三中隊。


一体。


自分。


搭乗。


汎用作業機。


戦闘任務ではない。


遮蔽扉を。


開けるため。


モンスターが。


出た。


予定外。


第三中隊は。


別個体と。


交戦中。


作業員が。


逃げていた。


自分だけなら。


逃げられた。


機体だった。


でも。


後ろに。


人がいた。


防盾で。


止めた。


杭打ち補助具を。


使った。


効かなかった。


銃を撃った。


最初は外した。


次は当たった。


最後は頭を撃った。


止まった。


死んだ。


自分が倒した。


スコアには入らない。


戦闘任務ではない。


緊急保護射撃。


共同対処。


そう記録された。


よかった。


戦果にならなくてよかった。


数字にならなくてよかった。


次を期待されなくてよかった。


課長は搭乗を増やすと言った。


よくない。


現場監督として。


搭乗する。


戦闘要員ではない。


言葉を変えただけに聞こえる。


今日撃つ前に逃げたいと思った。


作業員がいなければ逃げた。


本当に逃げたと思う。


戦いたくなかった。


倒したくなかった。


第三中隊を。


待ちたかった。


でも待てなかった。


撃った後。


最初に見たのは。


モンスターではなく。


作業員だった。


全員無事。


それで安心した。


その後倒れた個体を見た。


必要だった。


森下さんが言った。


必要だったことと喜べることは別。


多分その通り。


喜ばなくていい。


誇らなくていい。


忘れなくていい。


次も撃てるとは思わない。


撃ちたいとも思わない。


ただ同じ状況なら、また撃つかもしれない。


それが一番怖い。


自分は戦える人間ではないと思っていた。


今日戦った。


だから戦える人間になったのか分からない。


戦いたくないまま戦っただけ。


それを何と呼ぶのか分からない。


美咲に話した。


結衣にモンスターも怖かったかと聞かれた。


分からない。


考えたくない。


でも考えないまま次を撃つのはもっと嫌だ。


スコアに残らない。


公式には共同対処。


それでも自分の中には残る。


一体自分が倒した。


以上。


---


日記を閉じる。


眠れない。


目を閉じると。


最後の一発。


照準。


動く身体。


止まる瞬間。


何度も戻る。


隣で美咲が起きている。


何も言わない。


手だけこちらへ伸ばす。


強く握る。


少しずつ呼吸が戻る。



同時刻。


中央戦術支援統合網。


非公開解析領域。


旧東部物流集積所。


搭乗機記録。


全ログ同期。


公開記録。


«任務分類:復旧支援。»


«搭乗者:橘蒼真。»


«緊急保護射撃:実施。»


«対象個体:第三中隊との共同対処により排除。»


«戦闘スコア:対象外。»


«搭乗者評価:実施せず。»


記録確定。


外部送信。


上層管理網へ同期。


完了。


その下。


公開されない領域で。


別の記録が生成される。


«観察対象:橘蒼真。»


«非公開戦闘評価を開始。»


機体視線。


心拍。


呼吸。


操縦圧。


視線移動。


発砲までの時間。


退避者確認回数。


自機損傷への反応。


敵性個体への反応。


全てが再生される。


«初期逃走選択:確認。»


«非戦闘員存在確認後、逃走選択を破棄。»


«撃破より進路制御を優先。»


«自機損傷後も、保護対象確認を継続。»


«恐怖反応:高。»


«判断精度:維持。»


«攻撃性:低。»


«生存欲求:正常。»


«自己犠牲傾向:中。»


«保護行動傾向:極高。»


«戦闘継続欲求:なし。»


«撃破後高揚反応:なし。»


«撃破後、保護対象の安否を最優先確認。»


評価処理。


比較対象。


現役ワーカー。


退役ワーカー。


戦闘経験者。


初回搭乗者。


全てと照合。


«恐怖状態における判断安定性。»


«既存基準上位、〇・三パーセント。»


«保護対象存在時の反応速度。»


«基準値超過。»


«撃破能力。»


«暫定高。»


«戦闘適性。»


«高。»


評価が停止する。


再計算。


«公開推奨度を算出。»


結果。


«非推奨。»


理由。


«戦闘適性を公開した場合。»


«戦闘任務への転用確率、八十一パーセント。»


«搭乗頻度上昇。»


«戦闘経験増加。»


«恐怖反応低下を予測。»


«恐怖反応低下に伴い、保護判断優先度が変化する可能性。»


«現在確認されている判断特性が損なわれる危険。»


追加計算。


«家族関係悪化確率、六十七パーセント。»


«職務継続率低下。»


«観察対象離脱の可能性。»


«評価資源喪失。»


結論。


«正式な戦闘適性報告は不適切。»


«情報制限を実施。»


公開記録。


共同対処。


第三中隊。


緊急保護射撃。


嘘ではない。


必要な部分だけ欠いている。


AIはそれを偽装とは分類しなかった。


«人員運用最適化のための情報制御。»


内部記録。


撃破者。


橘蒼真。


心理状態。


強い恐怖。


判断精度。


正常。


保護対象確認後の反応速度。


基準値超過。


評価名称。


«戦闘を望まない戦闘適性者。»


一瞬処理が止まる。


名称を修正。


«観察対象、橘蒼真。»


記録保存。


本人への通知。


不要。


上層部への通知。


不要。


観察継続。


承認。

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