第十話 逃げるための足
五月八日。
第三機動復興兼防衛中隊の訓練場は、復興管理局から車で四十分ほど離れた場所にあった。
元は大型物流倉庫と貨物集積場だったらしい。
今は周囲を高い防護壁で囲まれ、内部に瓦礫地帯、模擬住宅区画、傾斜路、軟弱地盤、近接訓練用の広場が造られている。
正門を通った瞬間から、落ち着かなかった。
遠くでフレイムワーカーが走っている。
五メートル近い人型機体が、地面を震わせながら障害物の間を抜けていく。
一歩ごとに鈍い衝撃音。
金属の脚が地面を踏む音ではない。
地面へ落ちる重量を、関節と足裏の緩衝機構が吸収しきれず、最後に残った振動が空気を叩いている。
右側の区画では、別の機体が横倒しになった車両を持ち上げていた。
腰を落とし。
片膝を地面へつき。
両腕を車体下へ差し込む。
その姿勢は人間に似ている。
だが人間より慎重だった。
数トンの車体を持ち上げる機体が、まるで薄い皿を扱うように、指一本ずつ位置を調整している。
「見すぎだ」
隣を歩く相馬が言った。
「珍しいから」
「もう何度も乗ってるだろ」
「人が乗っているところを見るのは違う」
自分で操縦している時は、機体の外側が見えない。
映像では見た。
だが、目の前で動くフレイムワーカーは、想像よりずっと重い。
同時に、想像より静かだった。
五メートルの鉄の塊。
それなのに、上手い搭乗者の機体は、余計な音を立てない。
足を引きずらない。
膝を伸ばし切らない。
着地の瞬間、腰と足首を使って重さを逃がしている。
「今日、あれをやるんですか」
俺が聞く。
「最初から走らせるわけないだろ」
「安心した」
「まず歩く」
「歩くのはできます」
「そう思ってる奴ほど転ぶ」
相馬はそう言い、訓練棟へ入った。
*
更衣室で薄い搭乗服へ着替える。
身体に密着する。
腕。
脚。
背中。
首。
各部に生体信号を読み取る細い導線が縫い込まれている。
以前の現場監督用搭乗服より、感覚入力が細かい。
指先まで測定端子がある。
「これ、戦闘用ですか」
「訓練用」
相馬が答える。
「動きの癖を見るために、入力が細かい」
「見られたくない癖まで分かりそうだ」
「全部出る」
最悪だ。
「緊張してますか」
後ろから声がした。
振り返る。
神代中隊長。
今日は制服ではなく、現場用の濃灰色の作業服。
その隣に黒崎。
さらに整備担当らしい女性が一人。
「整備主任の牧野千景です」
以前、現場で遠隔補助をしてくれた牧野だった。
「知ってます」
「私は直接会うの初めてですけどね」
確かに、通信だけだった。
牧野は俺の搭乗服の接続部を確認する。
「今日は機体側の補助をかなり下げます」
「どのくらい」
「最初は通常の七十パーセント」
「低いんですか」
相馬が答える。
「一般作業機は八十五前後」
「昨日、村瀬さんへ六十にしろと言いました」
「だから今日は、その六十を体験してもらう」
嫌な予感がする。
「最初から?」
「まず七十。問題なければ六十」
「問題があったら?」
「転ぶ」
相馬は簡単に言った。
「安全装置は」
牧野が答える。
「あります。ただし、転倒直前まで介入しません」
「なぜ」
「介入が早いと、あなた自身の重心感覚が分からないからです」
つまり、本当に転びかける。
「帰っていいですか」
「まだ乗ってもいない」
黒崎が言う。
「一回だけって約束です」
「一回の訓練は最後までだ」
役所より逃げ道がない。
*
訓練機は、倉庫の奥に立っていた。
作業仕様フレイムワーカー。
全高五・二メートル。
薄い灰色の装甲。
両腕は汎用作業腕。
右前腕に電磁杭。
左腰にワイヤー射出機。
戦闘機より装甲は薄く、肩幅も狭い。
だが現場監督用の機体より、脚部が太い。
「脚が違いますね」
俺が言う。
牧野が頷く。
「逃げる機体なので」
「逃げるために太い?」
「止まるためです」
意味が分からない。
「走るだけなら、出力を上げればいい」
牧野は機体の膝関節を指す。
「でも五メートルの機体が高速で走ると、止まれません」
脚部には二重の膝関節。
人間でいう膝の位置に主関節。
その少し下に、衝撃吸収用の補助関節。
足首も前後だけではない。
左右。
回転。
足裏の四隅が独立して動く。
「着地した時、足裏全体を一度に置くと衝撃が上へ抜けます」
牧野が説明する。
「踵、外側、前足部。順番に荷重を流す」
「人間と同じ?」
「似ています。でも重量が違う」
足を置く。
地面から反力が返る。
その力を足首。
膝。
股関節。
腰。
機体全体へ逃がす。
どこか一つが硬ければ、機体が跳ねる。
「あなたは初搭乗時、それを無意識にやっています」
牧野が言う。
「覚えてません」
「ログには残っています」
またログ。
「今日は、無意識を意識的に再現します」
それが一番難しいことだと思う。
*
背部ハッチが開く。
昇降器で胸部へ上がる。
コクピットへ入る。
座席というより、身体を固定する枠に近い。
背中を支える板。
腰。
太腿。
脛。
腕。
それぞれを柔らかい固定具が包む。
操縦桿はない。
腕を動かせば、機体の腕が動く。
脚へ力を入れれば、機体が荷重を移す。
ただし、人間の動きをそのまま拡大しているわけではない。
俺が一歩踏み出す感覚を入力すると、AIと機体制御が五メートルの一歩へ変換する。
補助が高いほど、機体は人間らしく動く。
補助を下げるほど、搭乗者が機体の重量を直接受け持つ。
「接続開始します」
牧野の声。
固定具が締まる。
首の後ろ。
背中。
腰。
脚。
細い振動。
視界が機体外部カメラへ切り替わる。
頭を少し動かすと、視界も動く。
身体が急に大きくなったような感覚。
ただし、足は地面から数メートル上にある。
毎回、この違和感が嫌だった。
«生体接続、正常。
運動補助、七十パーセント。
姿勢補正、訓練設定。
転倒保護、待機。»
「橘、聞こえるか」
相馬。
「聞こえる」
「立たなくていい。まず重心を感じろ」
機体は立っている。
俺も座席内で立っているような姿勢だ。
「今、重心はどこだ」
画面には表示しない。
自分で答えろということらしい。
両足。
腰。
背中。
何となく感じる。
「中央」
「曖昧だ」
「中央より少し右?」
「違う。左前だ」
言われて意識する。
確かに左足の前側へ、わずかな圧がある。
機体は完全に均等に立っていない。
床が僅かに傾いている。
「人間なら無意識に直す」
相馬が言う。
「機体は直さない。補助制御が隠してるだけだ」
「どうすれば」
「右踵へ荷重を移せ」
俺は右足の踵へ重さを乗せる。
つもりだった。
機体が右へ大きく揺れた。
視界が傾く。
「動かしすぎ!」
相馬の声。
姿勢補正が入り、機体が戻る。
「今の入力、どれくらいだと思った」
「少し」
「機体では二百三十キロ分だ」
少しではなかった。
「人間の体重移動を、そのまま入れるな」
「感覚が分からない」
「だから訓練する」
最初から嫌になる。
「一パーセント動かすつもりで」
俺は今度こそ慎重に、右踵へ意識を寄せる。
機体の足裏センサー。
右踵。
荷重増加。
左前足部。
荷重減少。
視界はほとんど動かない。
だが身体の下で、巨大な機体が静かに均衡を取り直した感覚がある。
「そこで止めろ」
相馬。
「今、中央だ」
画面に重心表示が出る。
確かに中心。
「今までAIが全部やってた」
俺が言う。
「そうだ」
「人間は乗ってるだけじゃないか」
「補助が高ければな」
「それで何が悪い」
「干渉されたら、昨日の村瀬みたいになる」
AI補助が乱れる。
機体が、自分の身体ではなくなる。
だから手動比率を上げる。
「歩け」
相馬が言う。
「いきなり?」
「一歩だけ」
前方に白線。
「右足を出せ」
人間なら簡単だ。
俺は右脚を上げる。
機体の股関節が動く。
だが足が床を離れた瞬間、身体が左へ倒れそうになる。
「左脚で受けろ!」
分かっている。
だが、五メートルの機体の右脚を持ち上げたことで、数百キロの重心が移動する。
左足裏へ荷重が集中。
足首が沈む。
膝が僅かに曲がる。
俺は反射的に上体を右へ戻そうとした。
「逆だ!」
相馬の声。
機体がふらつく。
右脚が前へ出たまま空中で止まる。
左膝が外へ逃げる。
転倒警告。
«左方向転倒予測。»
安全装置が介入しかける。
「腰を左へ。肩は右!」
言われた通り動く。
腰で重心を支点上へ戻し。
上体は反対へ開き、右脚の振り出しを保つ。
機体の揺れが止まる。
「そのまま、右足を置け」
ゆっくり下ろす。
足裏を一度に置かない。
踵。
外側。
前足部。
順番。
右踵が床へ触れる。
衝撃が返る。
足首が受ける。
補助膝が沈む。
主膝が曲がる。
腰が少し下がる。
人間なら数センチ。
機体では十数センチ。
視界が沈む。
「左足を蹴るな」
相馬が言う。
「重心を右へ渡せ」
左脚で身体を押し出すのではない。
右足の上へ、機体の重さを落としていく。
腰を前へ。
右膝の上。
胸部を遅らせる。
重心が右足へ移る。
左足の荷重が抜ける。
初めて一歩が終わった。
「これだけ?」
息が上がっている。
実際の身体はほとんど動いていない。
だが全身に力が入っている。
「今の一歩、四秒」
「遅い」
「最初は十二秒かかる奴もいる」
「褒めてる?」
「少し」
相馬に褒められても嬉しくない。
「戻れ」
「後ろへ?」
「同じ動作だ」
後退は前進より怖い。
足元が見えない。
後方カメラはある。
だが自分の踵がどこへ着くのか、感覚で決めなければならない。
左脚を後ろへ。
重心を右へ残す。
左足を床から剥がす。
足裏が離れる瞬間、吸いつくような感覚がある。
磁気固定ではない。
数トンの重量が地面へ押しつけられていたため、荷重が抜けるのに一瞬遅れが出る。
「急に引くな」
相馬。
「膝から抜け」
左膝を僅かに曲げる。
足首。
踵。
つま先。
順番に荷重を抜く。
左脚が自由になる。
後ろへ移す。
床へ置く。
今度はつま先側から。
後退時は、前足部。
外側。
踵。
荷重を流す。
機体が静かに元の位置へ戻った。
「今の方が良い」
「一歩歩くだけでこんなに考えるのか」
「普段は考えない」
「今日は考えろと」
「考えたことを、身体に戻す」
相馬は言う。
「最後はまた無意識にする」
遠回りだ。
*
十分後。
前進。
後退。
左右への重心移動。
片脚停止。
補助率七十パーセント。
最初は一歩ごとに揺れた。
右へ出れば左肩が下がる。
左へ出れば腰が遅れる。
足を置く時、膝が硬い。
衝撃が胸部へ抜ける。
そのたび、機体のフレームが低く軋む。
「橘」
相馬の声。
「足を運ぶな。身体を移せ」
「同じだろ」
「違う」
前へ一歩。
「脚を前に出すから、上体が残る」
「ならどうする」
「先に倒れろ」
「転ぶ」
「転ぶ前に足を出す」
人間の歩行と同じ。
歩くとは、前へ倒れ続けること。
ただし五メートルの機体でそれをやる。
怖い。
「重心を足の前へ」
俺は腰を前へ移す。
機体が前方へ傾く。
転倒警告が薄く点灯。
まだ足は動かさない。
胸が前へ。
腰。
膝。
足首。
機体全体が、支えを失い始める。
「今」
相馬。
右脚を出す。
今度は持ち上げるのではない。
落ちる身体の下へ、足を差し込む。
踵が着く。
膝が沈む。
腰が前へ抜ける。
左脚が自然に浮く。
次の一歩。
左。
右。
左。
一歩ずつ考えていた動作が、連続し始める。
視界が上下する。
機体の頭部は、完全には揺れを消さない。
上下動を消しすぎると、搭乗者が地面との接触を感じられなくなる。
一歩ごとに、胸部が僅かに沈む。
左足。
右足。
左。
「速度を上げる」
相馬。
「まだ早い」
「今の歩行速度、一・八キロ」
人間より遅い。
「三キロまで」
歩幅を広げる。
広げすぎない。
足を遠くへ出せば、その分だけ重心移動が大きくなる。
俺は腰の前方移動を少し増やす。
脚が追いつく。
一歩。
一歩。
機体の足が床を叩く音が、少しずつ一定になる。
重い。
だが不思議だった。
数分前まで巨大なものを無理に動かしていた。
今は、自分の身体が大きくなった感覚に近い。
右足が床へ触れる前に、床の硬さが予測できる。
膝へ返る衝撃。
腰の遅れ。
左肩の揺れ。
全部が一つの流れになる。
「止まれ」
相馬。
俺は身体を止めようとした。
機体は止まらない。
前へ流れる。
「腰を引け!」
反射的に上体を後ろへ。
だが足が前へ出続ける。
一歩。
もう一歩。
「踵を前へ置け!」
右脚を、進行方向へ突き出す。
踵から着地。
膝を深く曲げる。
腰を後ろへ落とす。
左脚を横へ半歩。
支持面を広げる。
機体が前へ沈む。
右足裏が床を擦る。
低い摩擦音。
足首関節が衝撃を吸収。
膝。
股関節。
胸部。
最後に両腕が自然に前へ出る。
機体が止まった。
白線を一・五メートル越えている。
「止まれませんでした」
「だから脚が太い」
牧野の声。
「速く動くより、止まる方が難しい」
人間も同じなのかもしれない。
動き始めたものを止める。
勢い。
期待。
評価。
戦闘。
相馬の言葉が頭をよぎる。
戦い始めれば、周囲は戦わせ続ける。
止まるには、強い脚がいる。
*
「補助六十へ下げます」
牧野が告げる。
「もう?」
「歩けています」
「七十で」
「昨日、あなたは村瀬さんへ六十を指示しました」
「他人に言うのと自分でやるのは違う」
「だからやります」
補助率が下がる。
瞬間。
機体の中から支えが一つ消えたように感じた。
立っているだけで揺れる。
七十では、足裏の小さな傾きをAIが整えていた。
六十では残る。
左踵が少し高い。
右膝が内側。
腰が僅かに右へ回っている。
「立つだけで疲れる」
「それが本当の機体だ」
相馬。
「普段はAIが立たせてる」
「人間いらないだろ」
「判断する奴はいる」
「機体を動かすのもAIで」
「完全自動機の話か」
少し空気が変わる。
完全自動化。
人間判断の必要性。
この世界では、まだ人が乗る理由がある。
だが今日は議論する余裕がない。
「前へ五歩」
相馬。
一歩。
補助が低い。
足を上げるだけで腰が逃げる。
右足が着地した瞬間、足首が外へ倒れる。
自分で内側へ戻す。
膝が硬い。
衝撃が上がる。
胸部が揺れる。
二歩目。
左脚を出す。
今度は腰を先に。
足を下へ置く。
三歩目。
少し安定。
四歩目。
右足裏が床の小さな段差へ乗る。
機体が傾く。
「止めるな!」
相馬が叫ぶ。
反射的に立ち止まりかけた。
だが片脚へ重さが集中している。
止まれば倒れる。
俺は左脚を前へ出す。
傾いた身体の下へ差し込む。
左足の外側が先に床へ触れる。
足首を内側へ倒す。
膝を曲げる。
腰を左へ。
右腕を外へ開く。
機体が横倒しになる力を、腕の慣性で打ち消す。
五歩目。
機体は立っていた。
「今の」
息が詰まる。
「俺がやった?」
「そうだ」
相馬の声が少し変わっている。
「ログと同じ動きだ」
「何が」
「転倒側と逆へ腕を開いて、腰を入れた」
家族旅行時。
俺が瓦礫の上で体勢を崩した時。
同じ補正をしていたらしい。
「考えてない」
「今も?」
言われてみれば。
段差へ乗った瞬間。
相馬の指示を待っていない。
自分で左脚を出した。
右腕を開いた。
何をするか、考える前に動いていた。
「怖かったから」
俺は言う。
「倒れたくなかった」
「それで正しい」
「訓練として?」
「生き残る動きとして」
相馬は笑っていなかった。
*
次は瓦礫地帯。
訓練場の床が開き、屋外区画へ移動する。
崩れたコンクリート。
鉄骨。
傾いた路面。
段差。
人間なら歩ける場所でも、機体には狭い。
足の大きさが違う。
一歩置く場所を誤れば、瓦礫が崩れる。
「目的地点まで移動」
相馬の機体が前に立つ。
黒い訓練機。
俺の機体より一回り装甲が厚い。
「ついてこい」
相馬機が動く。
速くはない。
だが足を置く位置に迷いがない。
右足を、倒れた柱と瓦礫の間へ。
踵ではなく、足裏外側から接地。
荷重を少しずつかける。
瓦礫が沈まないことを確認。
左脚を大きく跨ぐ。
膝を高く上げるのではなく、腰ごと持ち上げる。
機体の重さが片脚へ集中する時間を短くする。
俺も続く。
最初の足場。
コンクリート片。
大きさは十分。
だが表面が斜め。
右足を置く。
足裏の前側が先に触れる。
「外側へ逃げるぞ」
相馬。
地面が右下がり。
そのまま荷重をかければ足が滑る。
俺は足首を左へ傾け、足裏の内側を押しつける。
右膝を少し外へ。
股関節を内側へ回す。
機体の脚全体で、斜面を挟むように立つ。
荷重を三割。
五割。
七割。
瓦礫が軋む。
止まる。
「次」
左脚を前へ。
倒れた鉄骨を跨ぐ。
足先が引っかかりそうになる。
膝を上げる。
だが上げすぎると、重心が後ろへ残る。
腰を前へ。
左足を鉄骨の向こうへ。
着地場所は土。
柔らかい。
踵を下ろす。
沈む。
予想より深い。
左脚が三十センチ近く沈み、機体が前へ傾く。
「右脚を抜くな!」
右足はまだ斜面上。
左脚へ重さを渡せない。
俺は両脚を開いたまま止まる。
股関節へ強い負荷。
警告。
«左脚地盤支持力不足。»
「戻る?」
「前へ行け」
相馬。
「左足を寝かせろ」
足を寝かせる。
意味を考える。
足裏を水平に保とうとせず、つま先側を少し上げる。
踵と外側で土を押し広げる。
接地面積を増やす。
左膝を外へ。
腰を低く。
右脚から少しずつ荷重を渡す。
土が沈む。
だが今度は止まる。
足裏全体が地面を押さえる。
「右脚を抜け」
右膝を曲げる。
足首の荷重を抜く。
斜面から右足を離す。
一瞬、全体重が左脚へ乗る。
機体が沈む。
だが倒れない。
右脚を前へ運ぶ。
硬いコンクリートへ置く。
重心を移す。
抜けた。
「こういう時、走れないな」
俺が言う。
「だから足場を読む」
「モンスターが来てても?」
「来てる時ほど」
急げば踏み抜く。
止まれば追いつかれる。
「逃げる方が難しいですね」
「倒すだけなら、正面向いて撃てばいい」
相馬の声は乾いていた。
「逃げる時は、敵と地面と守る相手を同時に見る」
俺が訓練へ呼ばれた理由。
判断。
避難。
退路。
少し分かってしまう。
分かりたくなかった。
*
瓦礫地帯の中央。
模擬負傷者。
人型の救助用ダミー。
重量百二十キロ。
機体にとっては軽い。
だが軽いものほど難しい。
「回収して、南側出口まで」
相馬。
「持ち上げるだけなら」
「片腕で」
「なぜ」
「もう片方は空けろ」
敵。
瓦礫。
支え。
何かに使う。
俺はダミーの前へしゃがむ。
しゃがむ動作。
腰を落とす。
膝を前へ出しすぎない。
足裏全体へ荷重。
股関節を後ろへ引く。
機体の胸部が前へ傾く。
右手を伸ばす。
フレイムワーカーの指は、人間より太い。
一節だけで、ダミーの胴ほどある。
そのまま掴めば潰す。
「指圧制限を救助設定へ」
牧野。
«救助把持モード。»
指の最大出力が落ちる。
だが、それでも力は強い。
右手の親指と人差し指をダミーの身体へ差し込むのではなく、背中と膝裏へ回す。
手のひら全体で支える。
持ち上げる。
軽すぎる。
機体の腕が急に上がる。
「速い!」
相馬。
俺は反射的に止める。
腕関節が硬く止まり、ダミーが跳ねる。
「人間なら首が折れた」
「すみません」
「謝る相手はダミーじゃない」
救助対象を運ぶ時。
揺らさない。
急に止めない。
俺は右腕を胸の前へ寄せる。
肘を固定しない。
わずかに曲げ、機体の歩行振動を吸収する。
人間が赤ん坊を抱える時に似ている。
「立て」
脚を伸ばす。
腰から。
膝だけで持ち上げない。
重心を足の中央へ。
立ち上がる。
ダミーを持つ右側へ、僅かに重心が寄る。
百二十キロ。
機体全体からすれば軽い。
それでも腕を伸ばしているため、回転力がかかる。
左腕を少し開いて釣り合わせる。
「歩け」
一歩。
右腕の中のダミーが上下する。
肘を柔らかく。
肩関節を固定しすぎない。
歩行と逆方向へ、腕を僅かに動かす。
右足が着く時、腕を一センチ上げる。
左足が着く時、少し下げる。
揺れを打ち消す。
「上手い」
牧野。
「現場で運んだことがある?」
「ないです」
「初搭乗時、相馬を降ろしてる」
そうだった。
意識を失った相馬。
機体から降ろした。
覚えている。
モンスターとの戦闘より、そちらの方が少し鮮明だ。
「相馬より軽い」
俺が言う。
「機体込みでな」
相馬が返す。
「本人は?」
「聞くな」
少し余裕が出た。
その瞬間。
警報。
前方の瓦礫が動く。
黒い模擬モンスターが飛び出した。
全長三メートル。
四脚。
実物ではない。
訓練用無人機。
だが動きが速い。
「聞いてない!」
俺は叫ぶ。
「近接対応訓練だ!」
相馬。
「まだ救助中だ!」
「だからだ!」
模擬モンスターが正面へ。
右腕にダミー。
左腕は空いている。
逃げ道。
後ろは軟弱地盤。
右は鉄骨。
左は狭い。
正面の相手を倒す必要はない。
抜ければいい。
「距離、八メートル」
AI。
速い。
こちらへ接近。
俺は後退しようとする。
「後ろを見るな!」
相馬。
「足場はさっき通った!」
覚えている。
左足後方。
硬いコンクリート。
右足後方。
斜面。
俺は左脚を後ろへ。
つま先から接地。
重心を移す。
右脚を引く。
模擬モンスターが飛ぶ。
「左腕!」
左腕を前へ。
殴らない。
相手の頭ではなく、肩の外側へ手のひらを当てる。
接触。
衝撃。
左肘を固定しない。
曲げる。
相手の勢いを受け流す。
機体の胸部が右へ回る。
同時に腰を左へ。
上半身だけを逃がす。
模擬モンスターが左脇を抜ける。
だが尾部が右脚へ当たる。
機体が揺れる。
右腕のダミーを落としそうになる。
俺は右肘を胸へ締める。
ダミーを抱え込む。
左脚へ荷重。
右脚を横へ。
支持面を広げる。
倒れない。
「離脱!」
相馬。
前ではなく左。
狭い通路。
ダミーを守るには、身体の内側へ置く。
俺は右肩を後ろへ引き、左肩を前へ。
機体を半身にする。
正面幅を狭く。
左脚を通路へ。
右脚を引き寄せる。
横歩きに近い。
足を交差させない。
交差すれば押された時に倒れる。
左。
右。
左。
模擬モンスターが向きを変える。
追ってくる。
「電磁杭は」
右前腕。
だが右腕はダミーを抱えている。
使えない。
「左腰のワイヤー!」
相馬。
左手を腰へ。
ワイヤー射出機。
先端はフック。
敵へ撃つのか。
違う。
左側の鉄骨を見る。
「固定位置、表示」
AIが候補点を出す。
俺は一番近い鉄骨へ射出。
フックが巻きつく。
「引け!」
左腕を後ろへ。
機体の巻き取り機構。
鉄骨が持ち上がる。
完全には動かない。
地面の瓦礫が崩れる。
模擬モンスターの進路へ、細かなコンクリート片が落ちる。
足場が乱れる。
無人機が減速。
「今!」
俺は通路を抜ける。
出口。
硬い舗装。
走る。
いや、走ろうとして止まる。
ダミーを持っている。
速度を上げれば揺れる。
「歩幅を伸ばせ。上下動を減らせ!」
相馬。
走るのではない。
速歩。
腰の高さを一定に。
膝を深く曲げない。
足を前へ滑らせる。
踵から強く着かない。
足裏中央へ。
右。
左。
右。
上体を揺らさない。
右腕のダミーを胸へ固定。
左腕を振らない。
代わりに腰の回転で歩幅を作る。
機体が速度を上げる。
時速四キロ。
五キロ。
六キロ。
模擬モンスターとの差が開く。
出口線。
越える。
警報停止。
訓練無人機が止まる。
俺も止まろうとする。
昨日練習した制動。
右足を前へ。
踵。
膝を深く。
腰を後ろ。
左脚を横。
右腕のダミーを揺らさないよう胸へ。
左腕を前へ。
機体が二歩で止まる。
白線の三十センチ先。
静かになった。
自分の呼吸だけが聞こえる。
「終了」
神代の声。
俺はすぐ返事ができなかった。
全身が震えている。
模擬。
本物ではない。
安全装置もある。
分かっている。
それでも、飛び出してきた瞬間。
家族旅行の日の映像が重なった。
「橘」
相馬。
「ダミーを置け」
忘れていた。
俺はゆっくりしゃがむ。
足を広げる。
腰を落とす。
右腕を下げる。
ダミーを地面へ。
背中。
腰。
頭。
順番に接地。
指を抜く。
救助対象解放。
«救助対象への推定衝撃、許容範囲内。»
「生きてる?」
俺が聞く。
牧野が答える。
「ダミーなら」
「人間なら」
少し間。
「軽い打撲の可能性。致命傷なし」
力が抜けた。
座り込みそうになる。
「機体を立たせろ」
相馬。
「終わったんじゃ」
「救助後に倒れるな」
厳しい。
俺は脚へ力を戻す。
立ち上がる。
膝を伸ばし切らない。
重心中央。
両腕を下げる。
機体が静かに立つ。
*
コクピットを開けた時、外の空気が冷たかった。
昇降器で降りる。
地面へ足を着けた瞬間、自分の身体が小さすぎると感じた。
歩こうとする。
右足が少し外へ出る。
機体の歩幅が残っている。
「ゆっくり」
牧野が支える。
「搭乗後は身体感覚がずれます」
「足が軽い」
「五メートル分の重さがなくなったから」
膝が震える。
相馬が近づいてくる。
「どうだった」
「聞く必要あるか」
「感想は記録する」
「かなり行きたくなかった」
「今は?」
考える。
怖かった。
疲れた。
模擬モンスターが飛び出した時、逃げたかった。
だがダミーを持っていた。
置いて逃げる選択肢は考えなかった。
「やっぱり行きたくない」
俺は言った。
相馬は頷く。
「そうか」
「でも」
言いたくない。
言えば、評価される。
次を求められる。
それでも美咲と約束した。
楽しかった時も言う。
「機体を動かすのは」
相馬が待つ。
「少し面白かった」
言った瞬間、胃が重くなる。
相馬は笑わなかった。
「何が」
「足を置く場所を考える。重さを移す。倒れそうになって戻す」
戦闘ではない。
操作。
巨大な身体を、自分の意志で動かすこと。
「ダミーを揺らさず運べた時も」
少し嬉しかった。
「それは悪いことか」
相馬が聞く。
「分からない」
「機体が好きなことと、戦闘が好きなことは違う」
美咲にも話さなければならない。
「模擬モンスターへ触れた時は」
俺は続ける。
「怖かった」
「殴らなかったな」
「倒す必要がなかった」
「左手で押し流した」
「近づきたくなかったから」
相馬が小さく笑う。
「やっぱり、お前は逃げる方が上手い」
褒められているのか分からない。
「訓練評価は」
神代が端末を持って近づく。
「救助対象保護、A。退路判断、A。機体姿勢制御、初回としてはS」
嫌な文字。
「戦闘評価は」
「なし」
「本当に?」
「条件通りです」
神代が画面を見せる。
配置同意:なし。
訓練継続意思:未確認。
「続けません」
俺はすぐ言った。
神代が記録する。
「理由は」
「一回だけの約束です」
「それ以外は」
「怖い」
「操作は」
相馬がこちらを見る。
美咲との約束。
隠さない。
「面白かった」
神代は少しだけ頷く。
「記録します」
「人事評価へ使わないでください」
「訓練記録には残ります」
完全には避けられない。
「橘さん」
神代が言う。
「今日、あなたは一度も模擬モンスターへ攻撃していません」
「必要なかったから」
「電磁杭を使う機会はありました」
「ダミーを持っていた」
「途中で置けば使えた」
「置いたら救助じゃない」
神代は何も言わない。
「それが、現場支援に必要な判断です」
やはり評価される。
「配置は断っています」
「理解しています」
「でも候補からは外さない」
「今日の記録を含め、審査します」
訓練を受けた。
上手くできた。
それがまた、自分を戦場へ近づける。
止まるための脚。
さっき覚えたばかりなのに。
自分の周囲では、また何かが動き始めている。
*
帰宅したのは夕方だった。
訓練だけだったため、いつもより早い。
玄関を開ける。
結衣が走ってくる。
「訓練どうだった?」
待っていたらしい。
「疲れた」
「逃げた?」
「逃げた」
「上手に?」
「多分」
「誰を逃がしたの?」
「人形」
「人形?」
「救助用の」
「モンスターは?」
「偽物」
「倒した?」
「倒してない」
結衣が笑う。
「やっぱり逃がす仕事じゃん」
「訓練だけどな」
美咲が奥から出てくる。
俺の顔。
歩き方。
手。
何かを確認するように見る。
「怪我は」
「ない」
「怖かった?」
「怖かった」
「楽しかった?」
約束した通り、聞かれた。
俺は少し迷う。
「機体を動かすのは、少し」
美咲の表情が変わる。
不安。
だが隠さない。
「戦うのが?」
「違う」
「本当に?」
「模擬モンスターが出た時は怖かった。倒したいとは思わなかった」
「じゃあ、何が楽しかったの」
「歩くこと」
結衣が笑う。
「歩くだけ?」
「フレイムワーカーで歩くのは難しいんだ」
俺は説明する。
足を出す前に重心を動かす。
倒れ始めた身体の下へ足を置く。
踵から衝撃を流す。
止まる時は、前へ脚を出して腰を引く。
結衣は興味深そうに聞いている。
美咲も。
「人みたい」
結衣が言う。
「人より重い」
「でも、お父さんが動かすんでしょ」
「AIと一緒に」
「お父さん一人じゃない?」
「補助を切れば近くなる」
「全部切ったら?」
「多分、立てない」
本当の完全手動は、さらに難しい。
「でも面白かった?」
「少し」
結衣は嬉しそうだった。
美咲はまだ複雑な顔をしている。
「面白いって言ってくれてよかった」
意外な言葉。
「嫌じゃないのか」
「隠される方が嫌」
「戦闘が楽しくなったら」
「それも言って」
「言いにくいな」
「だから約束したんでしょう」
正しい。
「配置の話は?」
美咲が聞く。
「まだ審査中」
「訓練を続けろとは」
「今は断った」
「今は?」
言葉を拾われた。
「継続意思なしと記録した」
「ならいい」
完全には安心していない。
俺も同じだ。
「お父さん」
結衣が言う。
「どうやって逃げたの?」
俺は訓練の話をする。
ダミーを片腕で抱えた。
模擬モンスターが出た。
左腕で押し流した。
瓦礫へワイヤーをかけた。
道を塞いだ。
走らず、揺らさず運んだ。
結衣は途中から、両手を動かして真似をする。
「こう?」
「それだと転ぶ」
「じゃあこう?」
「腰が残ってる」
「分かんない」
「俺も最初分からなかった」
美咲が笑う。
「すっかり先生みたい」
「一日だけだ」
「でも、説明できるようになった」
無意識を意識的に再現する。
相馬の言葉。
今日、少しだけできた。
「また乗りたい?」
美咲が聞く。
答えに困る。
戦場では乗りたくない。
危険区域も嫌だ。
だが機体を動かすだけなら。
救助訓練なら。
「条件による」
「便利な答え」
皆が言う。
「戦闘じゃなければ」
俺は言い直す。
「また乗ってもいいと思う」
美咲はゆっくり頷いた。
「分かった」
否定されなかった。
それが少し嬉しかった。
同時に怖かった。
以前は、乗りたくないと言っていた。
今は条件付きで、また乗ってもいいと思っている。
変化。
良い変化か。
悪い変化か。
まだ分からない。
*
夜。
日記を開く。
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五月八日
勤務内容:現場支援ワーカー特別訓練
場所:第三機動復興兼防衛中隊訓練場
搭乗機:作業支援仕様フレイムワーカー
機体補助率:七十パーセントから六十パーセント
今日、初めて歩き方を習った。
今までも歩いていた。
だが、実際にはAIに歩かせてもらっていた部分が大きい。
フレイムワーカーの歩行は、脚を前へ出すことではない。
先に重心を前へ倒し、落ちる身体の下へ足を置く。
足を置く順番。
踵。
外側。
前足部。
膝。
股関節。
腰。
衝撃を上へ逃がす。
止まる時は逆。
進行方向へ踵を置き、膝を曲げ、腰を引く。
走るより止まる方が難しい。
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その一文を見て、少し考える。
今日の訓練だけの話ではない気がした。
続ける。
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補助率を六十パーセントまで下げた。
立つだけで難しかった。
床の傾き。
足裏の荷重。
膝の向き。
腰の回転。
AIが普段、すべて隠している。
補助を減らすと、機体が急に重くなる。
正確には。
機体は最初から重い。
今まで、その重さを感じないようにされていた。
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瓦礫地帯。
足場が沈む。
斜面で滑る。
足を止める方が危険な時がある。
倒れそうになった時、考える前に左脚を出し、右腕を開いた。
過去の戦闘ログと同じ動きだったらしい。
自分では覚えていない。
怖かったから動いた。
相馬は、それで正しいと言った。
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救助訓練。
百二十キロのダミーを片腕で運んだ。
機体にとっては軽い。
軽いから難しい。
腕を急に上げる。
急に止める。
それだけで、人間なら怪我をする。
歩行の振動を肘と肩で吸収。
片腕を空ける。
模擬モンスター出現。
倒さなかった。
左手で押し流した。
ワイヤーで瓦礫を落とし、進路を塞いだ。
救助対象を持ったまま退避。
推定損傷。
軽い打撲。
致命傷なし。
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ここでペンを止める。
本当なら、全員無傷が理想。
だが現場では、軽い打撲と死亡の間を選ぶこともある。
「少し悪い」を受け入れ、「最悪」を避ける。
事務仕事にも似ている。
「最も良い答え」がない時。
「より悪くない答え」を選ぶ。
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訓練評価。
救助対象保護、A。
退路判断、A。
機体姿勢制御、S。
戦闘評価、なし。
配置同意、なし。
訓練継続意思、なし。
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記録すると、少し安心する。
条件。
意思。
残っている。
だが今日の正直な気持ちも書かなければならない。
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機体を動かすことは、少し面白かった。
戦闘ではない。
歩く。
止まる。
足場を読む。
重心を移す。
救助対象を揺らさず運ぶ。
自分の身体より大きな機体が、自分の意志で動く。
上手くできた時、嬉しかった。
この感情を隠さない。
美咲にも話した。
機体を好きになることと、戦闘を好きになることは違う。
相馬はそう言った。
その違いを、自分で見失わないようにする。
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最後。
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訓練を受けても、戦いたくない。
ただし。
戦わずに人を逃がすためなら、また乗ってもいいと思った。
昨日までとは少し違う。
変わった。
そのことも記録する。
変化を隠さない。
以上。
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日記を閉じる。
すぐには引き出しへ入れなかった。
机の上へ置く。
右手を見る。
人間の手。
細い指。
百二十キロのダミーを持ち上げることなどできない。
それでも機体へ繋げば、数トンを動かせる。
力が増える。
できることが増える。
同時に、失敗した時の被害も増える。
便利な道具。
強い身体。
俺には過ぎたものだと思う。
だが今日。
初めて少しだけ。
フレイムワーカーを、怖いものだけではなく、自分の身体の延長として感じた。
それが一番怖かった。
机の端末が光る。
新しい通知。
第三機動復興兼防衛中隊。
訓練記録更新。
緊急支援候補者としての即応登録を推奨。
俺は画面を閉じた。
一回だけ。
そう約束した。
配置にも同意していない。
それでも、機体が動いた分だけ。
自分の足元の地面も、少し動いている。
止まるための脚を覚えた。
次は、それを使う時なのかもしれない。
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