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第九話 戦わないという希望

五月三日。


目を覚ました時、最初に思い出したのは、昨夜届いた通知だった。


第三機動復興兼防衛中隊より、面談要請。


現場支援ワーカー候補者・橘蒼真の配置検討について。


正式な命令ではない。


面談。


配置検討。


断定を避けた言葉が並んでいる。


だが、何を話すための場なのかは分かっていた。


俺を、今より戦場に近い場所へ置く。


そのための面談だ。


布団の中で目を開けたまま、しばらく天井を見ていた。


隣では美咲が眠っている。


昨日、面談要請が来たことは話していない。


夕食のあと。


結衣が「逃がす仕事」と名づけてくれた。


美咲も、戦わずに人を守る仕事があると言った。


その直後に通知が来た。


言えば、二人の表情が曇ると分かっていた。


だから黙った。


隠したつもりはない。


話す時間を選んだだけだ。


そう自分へ言い聞かせる。


だが本当は、口にしたくなかった。


言葉にすれば現実になる。


見なければ、今日も事務員として出勤できる気がした。


「起きてる?」


美咲の声がした。


目を閉じていたつもりだった。


「今、起きた」


「嘘」


「なぜ分かる」


「呼吸が寝てる人じゃなかった」


妻には隠せないことが多い。


美咲が身体を起こす。


「何か来た?」


俺も起き上がる。


「昨夜、通知が来た」


「現場?」


「面談」


美咲の表情が変わる。


「何の」


「現場支援ワーカーの配置について」


声に出した。


それだけで、胃の奥が重くなる。


美咲はしばらく何も言わなかった。


怒っているわけではない。


驚いているわけでもない。


来ると思っていたものが来た。


そんな顔だった。


「今日?」


「午後」


「行くの?」


「面談だから」


「断るって言う?」


「言う」


即答した。


美咲は俺を見る。


確かめるような目だった。


「本当に?」


「戦闘任務は希望しない」


「現場支援は?」


そこが問題だった。


現場支援という言葉は広い。


作業員の退避。


危険区域での工程監督。


負傷者救助。


瓦礫除去。


輸送。


戦闘部隊の後方支援。


どこからが戦闘なのか。


昨日、庁舎から村瀬へ指示を出した。


モンスターはいた。


俺は戦っていない。


だが、戦闘へ関わっていなかったとも言い切れない。


「危険区域の支援も断る」


俺は言った。


「今の現場監督も危険じゃない?」


美咲の問いは正しい。


地盤崩落。


地下空洞。


クロウラー。


復興現場にも危険はある。


「戦闘を前提とする場所には行かない」


言い直す。


美咲は少し考える。


「相手が、戦闘は前提じゃないって言ったら?」


「実際にモンスターが出る可能性が高いなら同じだ」


「低いって言われたら?」


〇・八パーセント。


二・七パーセント。


十一パーセント。


最近、低い確率は信用できない。


だが、すべてを危険と考えれば何もできない。


「分からない」


結局、その言葉になった。


美咲は責めなかった。


「あなたは、何を一番断りたいの?」


「戦うこと」


「どうして?」


「怖いから」


「それだけ?」


それだけではない。


殺したくない。


慣れたくない。


評価されたくない。


戦える人間として扱われたくない。


一度戦えば、次も求められる。


相馬の言葉。


戦い始めたら、周りはお前を戦わせ続ける。


「戦う自分を、仕事にしたくない」


俺は言った。


美咲の表情が少し緩んだ。


「それを言った方がいいと思う」


「怖いだけでは駄目か」


「駄目じゃない。でも、怖くても動けるって評価されてるんでしょう」


その通りだ。


恐怖は俺を外す理由ではなく、むしろ適性として見られている。


「なら、怖いから断るだけでは通らない」


「そうかもしれない」


「戦いたくない理由を、ちゃんと話した方がいい」


「話して理解されるかな」


「理解されなくても、記録には残る」


昨日まで俺が作っていた制度と同じだ。


数値化されていないことを、存在しないものとして扱わない。


俺自身の意思も、記録しなければ存在しないのと同じになる。


「美咲」


「何?」


「行かないでほしい?」


妻はすぐには答えなかった。


簡単に言えるはずなのに。


行かないで。


以前もそう言った。


だが今は、俺が仕事として求められている。


「行ってほしくない」


やがて、美咲は言った。


「でも、私が言ったから断ったことにはしてほしくない」


胸が痛んだ。


「自分で決めろってこと?」


「うん」


「厳しいな」


「家族のせいにしてほしくないから」


もし後で誰かが死んだ時。


家族が止めたから行かなかった。


そう考えてほしくない。


逆に、家族を守るために行ったと美化してほしくもない。


「あなたが戦わないなら、あなたが決めて」


美咲は言う。


「戦うなら、それも」


「戦いたくない」


「知ってる」


「でも必要だと言われたら」


「それを決めるための面談でしょう」


俺は笑えなかった。


その通りだった。



朝食の席では、結衣が眠そうに目を擦っていた。


昨夜、何かの本を遅くまで読んでいたらしい。


「今日、学校休みたい」


「駄目」


美咲が即答する。


「一日くらい」


「昨日も同じこと言ってた」


「昨日は行った」


「今日も行く」


いつもの会話。


俺は味噌汁を飲む。


味が少し薄い。


美咲が俺の顔を見る。


「薄い?」


「少し」


「今日は薄めにした」


「なぜ」


「気分」


AIなら、昨日の塩分量と今日の違いを数値で説明する。


美咲は気分で変える。


それでいい。


「お父さん」


結衣が言う。


「今日、フレイムワーカー?」


「乗らない予定」


「また予定」


「今日は面談がある」


「面談って?」


「仕事の相談」


「何の仕事?」


美咲と目が合う。


隠す必要はない。


だが朝から話す内容か迷う。


「現場支援ワーカー」


結衣の眠気が消えた。


「なるの?」


「断るつもり」


「なんで?」


昨日も似た話をした。


「戦う場所に近いから」


「逃がす仕事じゃないの?」


「それも含まれる」


「じゃあ、いいじゃん」


簡単に言う。


「モンスターが出たら戦わないといけない」


「逃げれば?」


「俺だけ逃げられない場合がある」


「みんなで逃げるのは?」


「間に合わないこともある」


結衣は黙った。


子どもなりに考える。


「お父さんがいないと、逃げられない人がいるの?」


「そう言われるかもしれない」


「じゃあ、行った方がいいんじゃない?」


胸が少し痛む。


結衣は悪くない。


純粋な考えだ。


助けられるなら助ける。


能力があるなら使う。


子どもにも理解できる理屈。


「結衣」


美咲が止めようとする。


だが俺は首を振った。


「そうかもしれない」


俺は言う。


「でも、お父さんが行けば助かるって、本当に分かる?」


結衣は首を傾げる。


「分からない」


「お父さんより上手な人がいるかもしれない」


「いるの?」


「たくさんいる」


相馬。


隆志。


第三機動復興兼防衛中隊のワーカーたち。


訓練を受け、現場へ出ている人間。


「なら、その人が行けばいいじゃん」


「そう言うつもりだ」


結衣は納得しかける。


だが、すぐ別の疑問を持つ。


「でも、お父さんが一番上手だったら?」


答えられなかった。


相馬は、俺の動きを冷静だったと言った。


適性は高い。


機体は俺の操作へよく反応する。


それでも、自分が一番だとは思わない。


思いたくない。


「それでも、やりたい人がやった方がいい」


俺は言った。


「仕事って、やりたい人だけがするの?」


鋭い。


「違う」


「じゃあ、お父さんも?」


「嫌でも必要な仕事はある」


昨日、自分で言った。


「じゃあ、何で断るの?」


結衣の問いは真っ直ぐだった。


大人なら、もっと遠回しに聞く。


社会的責任。


組織命令。


人命。


適性。


だが結衣は、矛盾だけを見る。


嫌でも必要な仕事をする。


なのに、なぜこれは断るのか。


「必要かどうか、まだ分からないから」


俺は答えた。


「面談で聞く。俺じゃないと駄目なのか。戦わずにできるのか。誰かの代わりなのか」


「それで必要だったら?」


また同じ場所へ戻る。


俺は味噌汁の椀を置く。


「その時、考える」


結衣は頬を膨らませた。


「また分からない」


「大人は、分からないまま決めることがある」


「間違えたら?」


「謝る」


「それだけ?」


「直せるなら直す」


「直せなかったら?」


答えられない。


人が死ぬ。


壊れたものが戻らない。


その時、謝るだけでは足りない。


「忘れない」


俺は言った。


「何を?」


「間違えたことを」


それが何になるのかは分からない。


だが、忘れて同じことを繰り返すよりはいい。


結衣は完全には納得しなかった。


それでも学校へ行く時間になった。


玄関で靴を履きながら、振り返る。


「お父さん」


「何だ」


「戦わなくても、格好いい仕事あるよ」


昨日の制度。


一昨日の地盤崩落。


結衣は覚えている。


「うん」


「忘れないでね」


その言葉を、日記へ書いておこうと思った。



午前中は通常業務だった。


面談は午後二時。


それまでに、現場兆候報告制度の増員要求書を仕上げる必要がある。


前日分の集計。


総報告数、百二十六件。


重大危険へ関連した報告、四件。


確認に要した平均時間、七分三十二秒。


通常業務への遅延、担当者二名で合計九時間四十分。


佐伯が計算表を見ながら言う。


「人を助けた時間より、書類作ってる時間の方が長いですね」


「人を助けた時間は何分だ」


「クロウラーの件だけなら二十八分」


「それ以外の確認も必要だった」


「でも百二十二件は重大危険じゃなかった」


「重大ではなかっただけで、衛生管理や設備故障が見つかったものもある」


水質異常。


電線過熱。


油圧漏れ。


脱水症状。


モンスターや崩落ではない。


だが放置すれば事故になった可能性がある。


「制度としては成功?」


佐伯が聞く。


「成功か失敗か、一日では決められない」


「増員要求には成果を書かないと通りませんよ」


「だから困ってる」


AIへ、制度がなかった場合の被害予測を出させる。


クロウラー出現時。


作業員二十六名。


北棟周囲に配置予定だった人数、十一名。


出現地点からの距離。


退避時間。


想定負傷者。


«制度が存在せず、作業継続中にクロウラーが出現した場合、推定負傷者三名から九名。死亡者〇名から二名。»


数字が表示される。


仮定。


実際には起きなかった未来。


「これを費用換算」


«治療費、休業補償、機材損傷、工程遅延を含め、推定一億二千万円から三億八千万円。»


佐伯が画面を覗く。


「一人増やす人件費なんて安いですね」


「数字だけなら」


「数字を出せって課長が言ったんでしょう」


「死ななかった人間を金額にするのは、少し嫌だ」


「死んだ後はもっとしますよ」


補償算定。


遺族補償。


葬祭費。


逸失利益。


俺の仕事は、人の生活や死を金額へ変える。


制度を通すためには、それが必要だ。


「書こう」


俺は言った。


「ただし、推定だと明記する」


「役所らしいですね」


「事務屋だからな」


増員要求。


専任確認担当二名。


AI分析補助一系統。


現場への周知担当一名。


佐伯が眉をひそめる。


「三人?」


「最低でも」


「強気ですね」


「通らなければ二人に削られる」


「最初から二人なら一人にされる?」


「多分」


「役所らしい」


午前十一時三十分。


要求書を課長へ送る。


数分後、返信。


二名で提出する。周知担当は既存人員。


予想通り削られた。


だが、専任二名は残った。


「通りそうですか」


佐伯が聞く。


「分からない」


「便利ですね、その言葉」


最近、周囲まで使い始めている。



正午。


食堂へ行く気になれず、自席で弁当を開いた。


美咲が作った弁当。


卵焼き。


煮物。


鶏肉。


少し薄味。


端末には面談資料が届いている。


第三機動復興兼防衛中隊


現場支援ワーカー配置案


読む。


配置目的。


災害現場とモンスター出現区域の境界で、民間作業員の安全確保、工程判断、避難誘導を行う。


戦闘部隊の前方ではなく、後方。


原則として討伐任務には参加しない。


装備は作業仕様。


緊急防御装備のみ。


「原則として」


声に出す。


例外がある言葉。


モンスターが後方へ抜けた場合。


救助対象が戦闘区域内にいる場合。


退路確保のため排除行動が必要な場合。


戦わないとは書かれていない。


むしろ、必要なら戦う役割だ。


候補理由。


高い作業適性。


低遅延の手動操作。


危険下での他者保護判断。


AI推奨と現場感覚を統合する能力。


恐怖反応下でも行動継続。


自分のこととは思えない。


「危険下での他者保護判断」


家族旅行。


地盤崩落。


クロウラー。


三件。


偶然ではなく、実績として並んでいる。


本人希望。


消極的。


修正したはずだ。


戦闘任務を希望しない。


現場支援も希望しない。


候補から外すよう求めた。


「AI」


«受け付けます。»


「本人希望が消極的になっている」


«人事資料上の分類です。»


「拒否と消極的は違う」


«配置検討への参加を完全拒否していないため、消極的と分類されています。»


「面談へ出るから?」


«はい。»


「面談を断れば拒否になる?」


«可能性があります。»


「では、今から断る」


«面談開始まで二時間二分です。辞退手続きを表示しますか。»


画面に選択肢。


辞退。


理由。


本人意思。


業務上の不利益。


正式命令前なら断れる。


指を置く。


押せば、午後も事務仕事を続けられる。


美咲には断ったと言える。


結衣にも。


俺は戦わない。


それで終わる。


だが資料には、現場支援の役割が書かれている。


民間作業員の退避。


現場判断。


後方支援。


昨日、庁舎から行ったことを、現地で行う。


必要な仕事だ。


それも分かる。


「面談は受ける」


俺は選択肢を閉じた。


«本人意思は消極的のまま維持されます。»


「面談で拒否する」


«記録します。»


「必ず記録しろ」


«了解しました。»


弁当を食べる。


味があまり分からなかった。



午後一時五十五分。


面談室は庁舎の七階にあった。


普段、復興管理局の職員は使わない区画。


防衛部門との共用会議室。


扉の前で、職員証をかざす。


認証。


中へ入る。


三人いた。


相馬亮。


黒崎。


そして、知らない女性。


四十代前半くらい。


濃紺の制服。


短い髪。


左胸に第三機動復興兼防衛中隊の記章。


立ち上がる。


「第三機動復興兼防衛中隊長、神代綾香です」


声は落ち着いている。


強くも弱くもない。


俺も名乗る。


「復興管理局、橘蒼真です」


相馬は目を合わせない。


先日とは違い、正式な勤務服。


黒崎はいつもの作業服。


「なぜ黒崎さんが」


俺が聞く。


「お前の現場監督評価を出したのが俺だからだ」


「推薦したんですか」


「評価を出しただけだ」


「その評価が推薦になった」


「そうとも言う」


認めるらしい。


神代が着席を促す。


俺は三人の向かいへ座る。


机の中央に端末。


面談記録中の表示。


「本日は、配置命令ではありません」


神代が最初に言った。


「候補者本人の意思確認と、任務内容の説明です」


「本人意思はすでに記録しています」


「戦闘任務および現場支援任務を希望しない」


「はい」


「その意思を変更するよう強制する場ではありません」


なら、なぜ三人もいる。


「ただし、組織として必要性を説明します」


予想通りだった。


神代が資料を開く。


現場支援ワーカーの不足。


モンスター出現区域拡大。


復興作業と防衛任務の重なり。


戦闘ワーカーは、敵の排除に特化している。


作業ワーカーは、復興作業に特化。


その間。


戦闘中でも民間人を見て、工程を理解し、救助や退路確保を優先する搭乗者が少ない。


「戦闘ワーカーでも救助はするでしょう」


俺が言う。


「します」


神代は否定しない。


「ただし、最優先は脅威の排除です」


「それが仕事では」


「はい」


モンスターを倒さなければ、被害が広がる。


敵へ向かうのは正しい。


だがその間に、瓦礫の下の人間を誰が助けるのか。


避難経路が崩れた時、誰が別の道を作るのか。


「現場支援ワーカーは、戦闘部隊と復興現場の間に立ちます」


「危険な位置ですね」


「危険です」


曖昧にしない。


「死亡率は」


神代は少し黙る。


「過去一年の危険区域支援任務で、搭乗者死亡率一・八パーセント。重傷率七・四パーセント」


数字を聞く。


低いと感じるべきか。


百人いれば、二人近くが死ぬ。


「一般作業ワーカーは」


「死亡率〇・二パーセント」


九倍。


「戦闘ワーカーは」


「三・六パーセント」


半分。


安全ではない。


中間だ。


役割と同じ。


「戦闘しないと言えますか」


「言えません」


神代は即答した。


「原則は支援です。ただし、救助対象を守るために攻撃する可能性があります」


「なら戦闘要員です」


「戦闘能力を持つ支援要員です」


言葉の違い。


だが現場では同じかもしれない。


「俺は戦いたくありません」


「把握しています」


「モンスターを殺したくない」


相馬が僅かに顔を上げる。


神代は表情を変えない。


「理由を聞いても?」


「怖い。それと、慣れたくない」


「慣れることが悪い?」


「分かりません」


正直に答える。


「でも、怖くなくなった時、自分がどうなるか分からない」


隆志。


恐怖を塗り潰した。


妻が恐れた変化。


「戦闘ワーカー全員が、人間性を失うわけではありません」


神代の声が少し硬くなる。


「そういう意味では」


「そう聞こえます」


「すみません」


謝る。


神代は少し驚いたようだった。


「ただ、自分の話です」


俺は続ける。


「俺は、人を数字で見る仕事をしています」


補償額。


死者数。


負傷者。


工程。


「事務でも、慣れると人の顔が見えなくなる」


申請書一件。


死亡一名。


被害額。


「戦闘で同じことが起きるのが怖い」


敵。


目標。


討伐数。


スコア。


「モンスターの顔を見る必要がありますか」


神代が聞く。


「分かりません」


また。


「でも、見ないようにすることで撃てるなら、それを強さと呼びたくない」


部屋が静かになる。


相馬が何か言いかけ、やめた。


神代は数秒考える。


「あなたは、モンスターにも事情があると?」


「知りません」


現時点では、知性があるとは公には分かっていない。


地下の人工設備。


消された報告。


結衣の問い。


モンスターは悪なの。


「分からないから、簡単に殺したくない」


「人間を襲っていても?」


「襲われている人がいれば、守ります」


「そのために殺す必要があれば?」


答えは決まっている。


「多分、やります」


「なら、戦えます」


「戦えることと、戦う仕事に就くことは違う」


神代の目が少し細くなる。


相馬が以前言った。


能力がある。


だから使う。


組織の理屈。


俺の理屈。


「橘さん」


神代が言う。


「あなたの希望は理解しました」


「なら、候補から」


「まだ外せません」


予想していた。


それでも腹が立つ。


「なぜ」


「あなたの適性が高いからです」


「他にもいるでしょう」


「操縦適性だけなら」


「なら何が」


神代が端末を操作する。


家族旅行時の映像。


俺は見たくない。


だが画面に映る。


倒れた機体。


逃げる家族。


モンスター。


俺が搭乗した機体が立ち上がる。


動きはぎこちない。


それでも、妻と娘の前へ入る。


「停止してください」


俺が言う。


映像が止まる。


「この行動が評価された?」


「はい」


「家族だからです」


「次」


地盤崩落現場。


佐藤の申告。


停止判断。


「人命を優先した」


「仕事だから」


次。


クロウラー。


庁舎からの通信記録。


村瀬を残す判断。


退避誘導。


「危険下で、他者の動きを組み立てられる」


「現場責任者なら誰でもします」


黒崎が口を開く。


「しない奴もいる」


「黒崎さん」


「工程を優先する奴。AIの数字だけを見る奴。怖くなって判断を投げる奴」


「俺も投げたかった」


「投げなかった」


医療担当も佐藤も同じことを言った。


逃げたかった。


でも逃げなかった。


俺には、それが適性として見られている。


「戦闘技能より、その判断が必要です」


神代が言う。


「支援ワーカーは、倒すことより、誰をどこへ逃がすかを決める」


結衣の言葉。


逃がす仕事。


「昨日の俺は庁舎にいました」


「現場なら、より早く判断できた可能性があります」


「現場なら、怖くて動けなかった可能性も」


「それを確認する必要があります」


確認。


試験。


「だから配置する?」


「まず訓練です」


正式配置ではない。


訓練参加。


週一回。


通常業務と併任。


危険区域を想定した救助訓練。


戦闘訓練は最低限。


「武器は」


「緊急防御装備のみ」


「攻撃訓練は」


「行います」


やはり。


「断ります」


俺は言った。


神代は静かに頷く。


「理由は記録します」


「候補から外れますか」


「現時点では」


「外れない?」


「訓練を受けていないことを理由に、即時配置はできません。しかし候補記録は残ります」


保留。


消えない。


「正式命令が出る可能性は」


「大規模災害時にはあります」


「訓練を受けていなくても?」


「緊急時は」


それなら、訓練を拒否するほど危険になる。


組織はそれを分かっている。


脅しではない。


事実として。


「卑怯ですね」


俺は言った。


相馬がこちらを見る。


神代は表情を変えない。


「そう感じるのは理解します」


「訓練を断れば未訓練のまま呼ばれるかもしれない。受ければ配置しやすくなる」


「はい」


「どちらを選んでも、戦場へ近づく」


「可能性はあります」


逃げ道がない。


「本人意思を尊重すると言いましたね」


「尊重します」


「外さないのに?」


「尊重と、組織判断は別です」


正しい。


腹が立つほど。


「俺は道具ですか」


口から出た。


部屋の空気が変わる。


神代はすぐ答えなかった。


「組織は、人の能力を資源として見ます」


やがて言った。


「否定しません」


率直だった。


「でも、道具とは考えません」


「違いは?」


「道具には、意思確認をしません」


「確認するだけで、従わないなら同じでは」


神代が僅かに息を吐く。


「私は、あなたを無理に納得させるために来たわけではありません」


「では何のために」


「あなたが断る理由を、上へ持ち帰るためです」


意外だった。


「今の資料では、本人意思は消極的としか書かれていない」


俺が昼に見た分類。


「あなたが今話した内容は、配置判断へ反映されます」


「結果は変わらないかもしれない」


「変わらないかもしれません」


分からないとは言わなかった。


「それでも、記録します」


昨日まで俺がやっていたこと。


曖昧な情報を、判断へ届く形にする。


今度は自分の意思が対象だった。


「数値化されていないことを、存在しないものとして扱わない」


神代が言う。


俺は顔を上げる。


「制度資料、読んだんですか」


「今朝、共有されました」


現場兆候報告制度。


俺の理念。


「あなた自身の希望にも、同じ考えを適用すべきです」


皮肉だった。


自分で作った言葉に逃げ道を塞がれる。


「なら、書いてください」


俺は言った。


「戦闘を恐れている。殺傷行為に慣れることを望まない。支援の必要性は理解するが、戦闘を前提とする配置を職務として受け入れない」


神代が端末へ入力する。


「それと」


「はい」


「家族を理由にしないでください」


美咲の言葉。


家族のせいにしない。


「本人の意思です」


「記録します」


入力。


しばらくして、神代が画面を見せる。


本人意思:配置拒否。


初めて、消極的ではなくなった。


「これで候補から外れる?」


「審査します」


「いつ」


「二週間以内」


「その間、訓練は」


「任意です」


「受けません」


「記録します」


面談は終わった。


そう思った時。


相馬が口を開いた。


「一つ、俺からいいですか」


神代が頷く。


相馬が俺を見る。


「訓練、受けた方がいい」


俺は眉を寄せる。


「さっきの話を聞いてたか」


「聞いてた」


「戦いたくない」


「知ってる」


「ならなぜ」


「戦わないために」


意味が分からない。


相馬は端末を操作する。


別の映像。


作業ワーカーがモンスターに襲われている。


武器を持たない機体。


逃げようとして転倒。


搭乗者は助かったが、近くの作業員が負傷した。


「補助制御への干渉で、何もできなかった」


昨日の村瀬と同じ。


「最低限の訓練があれば、逃げられた」


「戦闘訓練でしょう」


「違う。逃げる訓練だ」


相馬は言う。


「距離の取り方。相手の進路。装備を攻撃じゃなく、退路作りに使う方法」


昨日、俺が村瀬へ指示したこと。


「お前は感覚でやってる」


「AIの情報を見た」


「それだけじゃない」


相馬は家族旅行時の映像へ戻す。


「瓦礫を蹴った」


モンスターへ直接攻撃せず、進路へ瓦礫を転がした。


「どうしてだ」


「覚えてない」


「多分、近づきたくなかったからだ」


逃げるための動き。


怖かったから、距離を取った。


「戦闘訓練を受けると、戦うようになるとは限らない」


相馬は続ける。


「逃げ方を知れば、戦わずに済むこともある」


その理屈は理解できる。


だからこそ危険だった。


「訓練を受ければ、使える人間として評価される」


「もう評価されてる」


否定できない。


「受けなくても候補は消えない」


神代も言った。


大規模災害時には、未訓練でも呼ばれる可能性。


「なら、受けた方がいいと?」


「俺はそう思う」


「部隊に入れたいからでは」


相馬は一瞬黙る。


「それもある」


正直だった。


「お前がいれば助かる人間がいると思う」


「やっぱり」


「でも、戦ってほしいわけじゃない」


「矛盾してる」


「現場はそういうもんだ」


黒崎が言う。


「戦いたくない奴でも、目の前に人がいれば動く。動くなら、方法を知ってた方がいい」


「皆、俺を戦わせたいんですか」


黒崎は首を振る。


「生きて帰らせたい」


その言葉に、返事が止まった。


美咲も同じだ。


帰ってきたら格好いい。


戦うかではなく、生きて帰ること。


「訓練を受けても、配置拒否は維持できますか」


俺は神代へ聞く。


「できます」


「訓練参加が、配置同意として扱われない?」


「明記します」


「戦闘訓練ではなく、退避と救助を優先」


「基礎防御は含みます」


「討伐スコアへ反映しない」


神代が少し驚く。


「訓練評価は必要です」


「討伐数や攻撃成績を、俺の評価に使わないでください」


戦えると証明されれば、それが配置理由になる。


「救助、退避、被害抑制のみ」


神代は考える。


「特別訓練枠としてなら可能です」


「武器は」


「電磁杭と作業装備のみ」


「標的を倒す訓練は」


「最低限の停止行動は必要です」


「殺す訓練ではなく」


「行動不能化と退路確保」


言葉の違いかもしれない。


だが条件はつける。


記録に残す。


「一回だけ」


俺は言った。


「試験参加です」


神代が端末へ入力する。


相馬が少し安堵した顔をした。


「配置同意ではありません」


「分かってる」


「戦いたくない意思は変わらない」


「分かってる」


「相馬」


「何だ」


「俺を推薦したか」


相馬は目を逸らした。


「最初はしてない」


「最初は?」


「昨日の件の後、訓練候補としては推薦した」


やはり。


「なぜ黙ってた」


「言ったら来なかっただろ」


「今、断りたくなった」


「でも受けるって決めた」


腹が立つ。


だが、相馬なりの考えがある。


「一回だけだ」


「一回でいい」


その言い方も信用できない。


一度受ければ、次を求められる。


相馬も分かっているはずだ。


「戦い始めたら、周りは戦わせ続ける」


俺は、相馬が言った言葉を返す。


相馬は苦い顔をした。


「だから、お前自身が言い続けろ」


「面倒だな」


「知ってる」


「候補にした側が言うな」


初めて、黒崎が小さく笑った。


神代も僅かに表情を緩めた。


面談終了。


訓練参加は一回。


配置拒否は維持。


候補審査は継続。


何も解決していない。


ただ、少しだけ条件が増えた。


それを前進と呼ぶべきかは分からない。



面談室を出た後、相馬が追ってきた。


廊下には俺たちしかいない。


「悪かった」


相馬が言った。


「何が」


「推薦したこと」


「悪いと思ってるなら取り下げろ」


「それはできない」


「なら謝るな」


少し強く言った。


相馬は黙る。


「俺はお前を助けたから、言うことを聞けとは思ってない」


「分かってる」


「お前も、俺を必要だと思うからって勝手に決めるな」


「……分かってる」


声が弱くなった。


「本当に?」


「分かってなかったかもしれない」


意外だった。


相馬は壁へ背を預ける。


「俺、あの日から怖いんだ」


「何が」


「また負けること」


ワーカーとして。


機体を操縦し。


訓練も受け。


それでも倒れた。


そこへ、事務員の俺が乗り、モンスターを倒した。


「お前が部隊に来れば、自分が助かると思った」


相馬は言う。


「俺が?」


「判断を間違えた時、止めてくれるかもしれない」


それは救助要員としての期待ではない。


相馬自身の恐怖。


「俺を保険にするな」


「そうだな」


「俺は相馬より弱い」


「操縦は強い」


「戦いたくない」


「知ってる」


「なら、自分で判断しろ」


相馬が少し笑う。


「厳しいな」


美咲にも言われた。


自分で決めろ。


家族のせいにするな。


俺も今、相馬へ同じことを言っている。


「相馬」


「何だ」


「怖くないように訓練するって言ってたな」


「ああ」


「今も怖い?」


相馬はすぐ答えなかった。


廊下の窓から、復興中の街を見る。


クレーン。


仮設道路。


遠くで動くフレイムワーカー。


「怖い」


やがて言った。


「なら、まだ大丈夫じゃないか」


「何が」


「分からない」


俺は笑った。


「医療担当に、怖いことを言葉にしろって言われた」


「そんなので大丈夫になるのか」


「大丈夫とは限らない」


「役に立たないな」


「でも、自分で気づく手掛かりになるらしい」


相馬は少し考えた。


「お前、本当に事務員みたいなこと言うな」


「事務員だからな」


「訓練の日、俺が担当する」


「嫌だ」


「中隊長命令になる」


「今決まったのか」


「これから頼む」


「断られてくれ」


相馬は笑った。


先日の面会より、少しだけ同級生らしく話せた気がした。


仲が良かったわけではない。


今も友人と呼べるかは分からない。


だが、互いに怖いと言えた。


それだけで、以前とは違う。



自席へ戻ると、佐伯が待っていた。


「面談どうでした」


「一回だけ訓練を受ける」


佐伯の顔が明るくなる。


「やっぱりワーカーになるんですね」


「ならない」


「訓練するのに?」


「逃げるための訓練だ」


「そんな訓練あります?」


「作ってもらう」


「特別待遇」


「配置拒否は維持してる」


「でも一回受けたら、次も言われますよ」


佐伯まで同じことを言う。


「分かってる」


「断れます?」


「断る」


「橘さん、人に頼まれると断れないですよね」


学生時代から。


相馬にも言われた。


言い返さない。


頼まれれば手伝う。


「今回は断る」


「本当に?」


「多分」


「弱い」


自分でも思う。


机を見る。


午前中の書類。


増員要求。


通常業務。


面談の間にも仕事は増えている。


「佐伯」


「何です」


「俺が訓練の日、仕事を頼む」


「断ります」


「即答か」


「断る練習を見せました」


少し笑った。


「でも、期限があるものはやります」


結局断らない。


似た者同士かもしれない。


「ありがとう」


「まだ日も決まってないのに礼を言わないでください」


この組織では、礼を言うのが早いと注意される。


俺は端末を開く。


午後の仕事へ戻る。


戦場へ行くかもしれない話をした直後でも、補償申請は待ってくれない。


人の生活は、俺の迷いとは関係なく続いている。



帰宅したのは午後八時半。


玄関で結衣が待っていた。


「どうだった?」


面談のことを覚えていたらしい。


「断った」


結衣が笑う。


「じゃあ行かない?」


「一回だけ訓練する」


笑顔が止まる。


「断ったのに?」


「配置は断った。訓練は受ける」


「何で?」


朝の自分と同じ問い。


「逃げ方を覚えるため」


「逃げるのに訓練いるの?」


「フレイムワーカーは大きいからな」


「走ればいいじゃん」


「地面の下から来るモンスターもいる」


「昨日の?」


「そう」


「じゃあ、逃がす訓練?」


「そうだと思う」


結衣は少し納得した。


「戦う訓練じゃない?」


「最低限はある」


正直に答える。


「倒すの?」


「動けなくする練習」


「同じじゃない?」


言葉の違いを見抜かれる。


「違わない時もある」


美咲がリビングから出てくる。


俺の表情を見て、結果を察したらしい。


「断れなかった?」


「配置は断った」


「訓練は?」


「一回だけ」


「どうして」


「未訓練で呼ばれる可能性がある」


美咲の顔が硬くなる。


「そんな言い方されたの?」


「脅しではない」


「でも、断りにくくしてる」


「そう思う」


「それで受けるの?」


「戦わないために、逃げ方を知っておきたい」


相馬の言葉。


黒崎の言葉。


生きて帰らせたい。


「本当に、それだけ?」


美咲は俺を真っ直ぐ見る。


「必要だと思ったからじゃないの?」


正しい。


誰かを逃がすために必要。


自分が生きて帰るためにも。


「それもある」


「行きたいわけでは?」


「ない」


「少しも?」


少し考える。


訓練で、自分が何をしたのか知りたい。


家族旅行時の動き。


本当に自分に適性があるのか。


逃げる方法を学べるのか。


好奇心がないとは言えない。


「知りたいとは思う」


美咲は目を伏せる。


「戦いたいんじゃない」


「分かってる」


「でも、機体に乗ること自体は」


嫌いではなくなっている。


精密作業。


現場。


人を助ける。


フレイムワーカーに乗る全てが嫌なわけではない。


「少し、慣れた」


美咲が不安そうな顔をする。


「悪い意味じゃない」


急いで続ける。


「怖いのは変わらない」


「それを、私に言い続けて」


「うん」


「楽しかった時も」


「楽しかったら?」


「それも言って」


戦闘が楽しくなったら教える。


以前の約束。


だが、機体操作そのものを楽しいと思う可能性もある。


それまで隠せば、美咲には区別できない。


「分かった」


「隠さないで」


昨夜の通知を朝まで話さなかった。


それも含まれている。


「ごめん」


「怒ってない」


怒っている声だった。


「次は、来た時に話す」


「夜中でも?」


「起こす」


「それは朝でいい」


条件が難しい。


結衣が二人を見比べている。


「喧嘩?」


「違う」


美咲と同時に答えた。


結衣は笑った。


「同じこと言った」


少し空気が緩む。


「お父さん」


結衣が言う。


「訓練しても、戦わない?」


「戦いたくないと言い続ける」


「戦わないじゃないの?」


朝と同じ。


断言できない。


「戦わずに済む方法を覚える」


今の俺に言えるのは、それだけだった。



夜。


日記を開く。


鍵をかけた引き出しから取り出す。


今日は書くことが多い。


---


五月三日

勤務内容:災害補償審査/現場兆候報告制度増員要求/現場支援ワーカー配置面談

場所:第三復興管理局本庁舎

機体搭乗:なし


現場兆候報告制度。


前日報告百二十六件。


専任確認担当二名の増員を要求。


制度が存在しなかった場合の被害予測を金額換算。


推定負傷者三名から九名。


死亡者〇名から二名。


推定損失一億二千万円から三億八千万円。


死ななかった人間を金額へ変えた。


気分は良くない。


だが、数字にしなければ人員がつかない。


人員がなければ、次の報告を拾えない。


事務の仕事は、時々、嫌な形で人を守る。


---


面談について書く。


---


第三機動復興兼防衛中隊。


現場支援ワーカー配置を拒否。


本人意思は「消極的」から「配置拒否」へ修正された。


拒否理由。


戦闘を恐れている。


殺傷行為へ慣れることを望まない。


戦闘を前提とする配置を職務として受け入れない。


家族を理由にはしなかった。


自分の意思として記録した。


---


美咲との約束を守れたと思う。


少なくとも、断った。


だが一回だけ訓練を受けることにした。


矛盾している。


理由を書く。


---


大規模災害時には、未訓練でも緊急配置される可能性がある。


相馬は、戦わないために逃げ方を覚えろと言った。


黒崎氏は、生きて帰らせたいと言った。


訓練内容は、退避、救助、退路確保を優先。


討伐評価には参加しない。


配置同意とは扱わない。


条件を記録した。


それでも、一度訓練を受ければ、次を求められると思う。


相馬自身が言った。


戦い始めれば、周囲は戦わせ続ける。


だから、自分が戦いたくないと言い続ける必要がある。


---


ペンが止まる。


戦わない。


戦いたくない。


この違い。


戦わない。の言葉が頭へ残る。


---


自分は「戦わない男」ではない。


目の前に人がいれば、戦うかもしれない。


家族旅行では戦った。


必要なら戦うと、今も思っている。


なら、「戦わない」というのは事実ではない。


希望だ。


できれば戦わずに済ませたい。


倒すより逃がしたい。


殺すより止めたい。


前へ出るより、帰る道を作りたい。


その希望を持っている男。


それだけなのかもしれない。


---


希望。


弱い言葉に見える。


命令や適性や必要性より、ずっと弱い。


だが言い続けなければ消える。


組織の資料では「消極的」になる。


AIの分類では、数値へ変わる。


周囲からは、できるならやれと言われる。


だから、書く。


---


自分は戦いたくない。


これは恐怖だけではない。


自分がどんな人間でいたいかという希望である。


---


続ける。


---


相馬は、自分を部隊へ推薦した。


理由の一つは、自分がいれば相馬自身が助かると思ったから。


相馬も怖いと言った。


少し安心した。


怖くないように見える人も、怖い。


なら、恐怖があることは特別ではない。


それを隠すか、言葉にするか。


違いはそこにあるのかもしれない。


---


最後に、結衣の言葉。


---


朝、結衣に言われた。


「戦わなくても、格好いい仕事あるよ。忘れないでね」


忘れないように書く。


訓練を受ける。


機体へ乗る。


もしかすると、上手くできる。


評価されるかもしれない。


その時ほど、この言葉を思い出す。


戦わなくても、格好いい仕事はある。


戦えることだけが、自分の価値ではない。


以上。


---


日記を閉じる。


引き出しへ入れようとして、手を止めた。


訓練日は五日後。


通知が端末に届いている。


五月八日、午前九時。第三機動復興兼防衛中隊訓練場。


担当教官。


相馬亮。


やはり断られなかったらしい。


画面の下に、訓練項目が並んでいる。


機体緊急退避。


民間人救助。


補助制御遮断。


追跡対象の誘導。


作業装備による行動阻害。


最後の項目。


模擬モンスターとの近接対応。


近接。


逃げるための訓練にしては、距離が近すぎる。


俺は通知を閉じた。


今度は見ないふりではない。


読んだ。


理解した。


その上で、怖いと思った。


日記へ一行だけ追加する。


---


訓練内容を見た。


今から、かなり行きたくない。


---


今度こそ日記を閉じた。


鍵をかける。


布団へ入っても、模擬モンスターという言葉が頭から消えなかった。


本物ではない。


安全管理もされている。


死ぬことはない。


そのはずだ。


それでも。


家族旅行の日。


自分が何をしたのか。


初めて、正面から見ることになる。

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