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第八話 鳥のいない朝

五月二日。


現場兆候報告制度の試験運用が始まった。


開始から二時間で、廃止したくなった。


「橘さん」


隣の佐伯が、端末から顔を上げた。


「第五復興区画から報告です」


「読んでくれ」


「作業員が、クレーンの動きが昨日より鈍い気がすると」


「整備記録は」


「異常なし」


「風速」


「基準内」


「吊り荷は」


「昨日と違います」


「それだろ」


「でも、現場兆候報告として上がってます」


「確認済みにして、荷重差の可能性を記録」


「第六区画からも来てます」


「今度は何だ」


「休憩所の水が、いつもより鉄っぽい」


「飲料水なら現場兆候報告じゃなく、衛生管理だ」


「申告者が、地下水の変化かもしれないって」


「飲むのを止めて、水質検査へ回してくれ」


「第二区画は、野良猫が来ない」


俺は手を止めた。


「それだけ?」


「いつも弁当の時間に来る猫が、今日は来ないそうです」


「猫にも休みはあるだろ」


「制度理念に、動植物の変化って書きましたよね」


書いた。


確かに書いた。


前日の作業員の経験から、鳥が急にいなくなったことを危険兆候として感じた例があると聞いた。


だから、報告項目へ入れた。


匂い。


音。


振動。


温度。


動植物の変化。


身体感覚。


今、その全てが俺の端末へ届いている。


「現場兆候報告を作った本人として、感想はありますか」


佐伯が聞く。


「自由記述欄に戻したい」


「昨日は、埋もれさせるなって言ってましたよね」


「言った」


「理念は?」


「理念と処理件数は別問題だ」


佐伯が笑う。


午前十時十八分。


制度開始から届いた報告は、すでに四十三件。


そのうち、緊急確認が必要と判断されたものは三件。


一件は水道管から異音。


一件は地面の局所的な温度上昇。


一件は作業員の頭痛。


調べた結果。


異音は古い弁の振動。


地面の温度は地下電力線。


頭痛は寝不足と脱水。


現時点では、重大な危険は見つかっていない。


だからといって、制度が無駄とは言えない。


異常がないことを確認できた。


作業員が言葉にした違和感が、記録として残った。


理念上は成功だ。


実務上は、俺の通常業務が止まっている。


「課長」


俺は声を上げた。


「何だ」


「確認担当を増やしてください」


「試験運用だ」


「試験運用だから一人なんですか」


「作った奴が一番分かる」


「作った奴も、今分からなくなっています」


課長は端末から顔を上げる。


「何が問題だ」


「何でも報告されます」


「報告させる制度だろ」


「多すぎて、重要なものが埋もれます」


自分で言って、皮肉だと思う。


自由記述欄へ埋もれた情報を拾うために制度を作った。


今度は情報が多すぎて、重要なものが埋もれようとしている。


「AIに優先順位をつけさせろ」


「つけています」


「なら問題ない」


「AIが分からない情報を拾う制度なのに、AIだけで優先順位を決めていいんですか」


課長が黙る。


そこが一番の問題だった。


AIは、過去の事故との類似性。


センサー情報。


現場条件。


申告者の過去精度。


そうした情報から危険度を算出する。


だが今回の制度は、AIがまだ知らない兆候を拾うために作った。


既存モデルで価値が低いと判断された報告ほど、本当は重要かもしれない。


だが、人間が全て読むには量が多い。


「橘」


課長が言う。


「制度を作るってのは、仕事を増やすことだ」


「減らすために作る制度もあります」


「これは違う」


正しい。


今まで捨てていた情報を拾う。


拾えば、その分だけ確認が必要になる。


「だから人を増やしてください」


「試験結果を出せ」


「人を増やすために結果が必要で、結果を出すには人が必要です」


「役所らしくなってきたな」


褒められている気がしない。


「一週間」


課長が言った。


「一週間の報告件数と処理時間を出せ。それで増員要求を書く」


「俺が書くんですか」


「思いついた奴が書け」


この部署には、それしか言葉がないらしい。



午前十一時。


報告件数は六十七件。


俺は通常業務を佐伯へ二件回した。


佐伯は、今度こそ本当に机へ埋まりそうな顔をしている。


「橘さん」


「何だ」


「制度やめません?」


「俺もさっき思った」


「本気で」


「でも、昨日の佐藤さんみたいな報告が一つ入っていたら、やめたせいで見逃す」


「一つのために、百件見るんですか」


「多分」


「効率悪いですね」


「知ってる」


端末に新しい通知。


第五十五件目。


«報告場所:第八復興区画・北側仮設道路

兆候分類:音

内容:地面の下から、小さく叩くような音がする。

発生時刻:午前九時四十分ごろ

継続時間:約二分

確信度:低

作業停止要望:なし»


AI評価。


危険関連性:低


周辺には地下配管がある。


工事車両も多い。


振動音の可能性。


俺は確認済みにする。


次。


«報告場所:第三復興区画・廃校舎撤去現場

兆候分類:動植物

内容:校庭に毎朝来る鳥が、今日は一羽もいない。

発生時刻:午前六時三十分以降

確信度:低

作業停止要望:なし»


AI評価。


危険関連性:極低


天候。


気圧。


周辺騒音。


季節変化。


鳥が来ない理由はいくらでもある。


確認担当欄に手を置く。


少し気になる。


だが先ほども野良猫が来ない報告があった。


動物は毎日同じ行動をするわけではない。


「第三復興区画の天候」


«晴れ。風速二・三メートル。気温十八・四度。»


「周辺作業」


«午前六時より大型破砕機二台が稼働。»


「それが原因か」


«鳥類が騒音を避けた可能性があります。»


十分あり得る。


確認済み。


次。


«報告場所:第三復興区画・廃校舎撤去現場

兆候分類:身体感覚

内容:機体へ乗っていると、昨日より重く感じる。

発生時刻:午前七時十五分

申告者:作業支援ワーカー・村瀬誠

確信度:低

作業停止要望:なし»


同じ現場。


俺は手を止める。


「AI、村瀬機の整備状態」


«異常なし。»


「搭載装備」


«昨日と同一。»


「地盤沈下」


«有意な変化なし。»


「操縦者の体調」


«睡眠六時間十二分。心拍基準内。筋疲労軽度。»


機体が重く感じる。


単なる疲れか。


昨日と違う風向き。


足元の材質。


原因はいくらでもある。


だが同じ現場から、鳥がいないという報告がある。


「同地点の兆候報告をまとめろ」


«追加で二件あります。»


表示される。


一件。


«廃校舎北棟付近で、薬品のような匂いがする。»


二件。


«朝から小型センサーの通信が断続的に不安定。»


四件。


鳥がいない。


機体が重い。


薬品の匂い。


通信不安定。


一つ一つは弱い。


合わせると、少し気になる。


「危険度を再評価」


«総合危険関連性:低。»


「変わらない?」


«各事象間の関連性を示す根拠がありません。»


それが問題だ。


関連があるか分からないから、低い。


だが佐藤の匂いも、崩落前は関連性が分からなかった。


「第三復興区画の現場映像」


画面に廃校舎が映る。


古い三階建て。


窓は割れ、外壁は一部崩れている。


周囲にはフレイムワーカー一機。


通常重機四台。


作業員二十六名。


破砕機がコンクリートを砕いている。


映像だけでは異常なし。


「現場責任者へ連絡」


数秒後。


男の声。


『第三復興区画、責任者の野崎です』


「復興管理局の橘です。兆候報告について確認します」


『ああ、あれですか』


少し面倒そうな声。


「鳥がいない」


『破砕機の音でしょう』


「機体が重い」


『村瀬は昨日、残業してます』


「薬品臭」


『旧理科室です。薬品棚が残ってたので』


「通信不安定」


『古い中継器です。前からあります』


全て説明できる。


「現場として異常は感じませんか」


『ありません』


「作業員から、他に何か」


『制度が始まったから、皆、何でも報告してるだけです』


声に不満がある。


現場も疲れている。


報告すれば、確認が入る。


作業が遅れる。


「作業停止は求めません」


俺は言った。


『助かります』


「ただし、北棟周辺の作業員を一度外してください」


『理由は?』


「複数の兆候が同地点へ集まっています」


『どれも説明できます』


「分かっています」


『なら』


「十分間だけです」


昨日の俺と佐藤の会話に似ている。


今度は俺が、曖昧な違和感を理由に止める側だ。


『橘さん』


野崎の声が硬くなる。


『昨日の崩落の件で、慎重になりすぎてませんか』


胸に刺さる。


その可能性はある。


成功体験。


一度止めて人が助かった。


次も止めたくなる。


佐藤が警戒していたことだ。


勘を信じすぎる人間が出る。


俺がそうなっているかもしれない。


「かもしれません」


正直に答える。


『それで現場を止められたら困ります』


「だから全面停止ではありません。北棟から一時退避。機体も距離を取る。十分で再確認します」


『AI評価は低いでしょう』


「低いです」


『なら』


「低いことを理由に捨てない制度を、俺が作りました」


言いながら、自分の首を絞めていると思う。


『何か起きなかった場合は?』


「俺が判断記録を書きます」


『それだけですか』


「作業遅延も俺の監査記録へ入れてください」


沈黙。


『十分ですね』


「十分です」


『分かりました』


通信が切れる。


俺は時計を見る。


午前十一時十三分。


「第三復興区画、北棟から一時退避開始」


端末へ記録。


AIが表示する。


«停止判断の客観的根拠は限定的です。»


「知ってる」


«昨日の地盤崩落事例が、判断へ影響している可能性があります。»


「それも知ってる」


«心理影響として記録しますか。»


「記録してくれ」


自分が慎重になりすぎている可能性。


それを消さない。


「追加で、モンスター活動履歴を確認」


«当該区画では過去九十日間、確認されていません。»


「地下生息型は」


«近隣十五キロ圏内で、小型個体一件。四十三日前。»


「種類」


«掘削型小型モンスター。分類名、クロウラー。»


画面に記録が出る。


地中を移動する。


群れでは行動しない。


電波を乱す微弱な生体磁場を持つ。


接近時、動物が逃げる例。


体表から刺激臭。


地盤へ細かな振動を与える。


俺は背筋を伸ばした。


鳥。


通信不安定。


薬品臭。


機体が重い。


一つに繋がる。


「危険度を再評価」


«クロウラー接近を仮定した場合、関連性が認められます。»


「接近確率」


«二・七パーセント。»


低い。


だが〇・八パーセントの地盤は崩れた。


数字だけでは判断しない。


しかし数字を無視もしない。


「野崎責任者へ再連絡」


すぐ繋がる。


『何ですか』


「クロウラーの可能性があります」


声の向こうが静かになる。


『活動履歴はないはずです』


「四十三日前、十五キロ圏内で一件」


『単独個体でしょう』


「通常は」


『センサーは?』


「反応なし」


『なら』


「生体磁場で通信が乱れる可能性があります。鳥の退避、刺激臭、機体の接地感覚も一致する」


言葉にして並べると、関連性が強く見える。


だが、後から物語を作っているだけかもしれない。


「全面停止へ変更します」


『橘さん』


「全員を建物から離してください」


『待ってください。解体途中です。今止めると壁が不安定になる』


「どの状態です」


映像を確認する。


北棟二階の外壁が、一部切断されている。


今止める方が危険。


現場判断が必要だ。


「安全に中断するまで何分」


『七分』


「人を最小限に。機体だけで固定できますか」


『村瀬機で壁を支えれば』


「村瀬さんの感覚は」


機体が重いと報告した本人。


『だから疲れです』


「本人へ聞いてください」


通信越しに野崎が呼ぶ。


少しして、別の声が入る。


『村瀬です』


「橘です。機体が重いと感じたのは、どの動作ですか」


『歩く時です』


「腕は」


『普通です』


「地面へ足を置いた時?」


『はい。足を上げる時じゃなくて、下ろした時に引かれる感じがします』


引かれる。


地盤ではない。


地下から振動。


あるいは、生体磁場による補助制御への干渉。


「今も感じますか」


『さっきより強いです』


心拍が上がる。


「北棟から下がれますか」


『壁が』


「壁は通常支柱へ移せない?」


野崎が答える。


『三分あれば』


「やってください。村瀬さんは支柱設置後、後退」


『了解』


「作業員は全員退避」


『すでに移動中です』


現場映像。


作業員が走っている。


通常重機が後退。


村瀬のフレイムワーカーが外壁を支えながら、仮設支柱を入れる。


動きがわずかに鈍い。


本当に機体が重そうだ。


AIが姿勢補正の乱れを検知する。


«外部電磁干渉を微量検出。»


「発信源は」


«特定不能。»


「クロウラー反応と一致?」


«一部一致します。»


今さら危険度が上がり始める。


«モンスター接近確率、十一パーセント。»


「警戒部隊へ連絡」


«第三復興区画まで到着予定、十八分。»


遅い。


「近隣のワーカーは」


«作業機一機のみ。»


村瀬。


武装は緊急用の電磁杭。


俺と同じ作業仕様。


戦闘機ではない。


「全員を車両へ」


『まだ村瀬が』


映像。


支柱設置完了。


機体が一歩下がる。


その瞬間、校庭の地面が僅かに盛り上がった。


土が波のように動く。


「村瀬さん、止まるな!」


俺は通信へ叫ぶ。


映像の中で機体が振り返る。


地面が割れる。


黒いものが飛び出した。


細長い胴体。


前肢に大きな爪。


体表は泥と粘液で濡れている。


大型犬ほどではない。


だが、人間を殺すには十分な大きさ。


小型クロウラー。


一体。


村瀬機の脚へ飛びつく。


「振り払え!」


『補助制御が!』


機体が傾く。


生体磁場で姿勢制御が乱れている。


AIの補助に頼るほど、動きが鈍くなる。


「手動比率を上げてください!」


『無理です、俺は』


「完全手動じゃない。補助感度だけ下げる!」


俺は自分が機体へ乗っている時の設定を思い出す。


牧野が調整した手指感度。


姿勢補正。


「右側操作盤、補助制御三番。自動補正を六十まで下げる!」


『六十?』


「今は八十五です!」


『下げた!』


村瀬機の動きが一瞬崩れる。


だが次の瞬間、自分の足で踏ん張るように立ち直る。


クロウラーが再び跳ぶ。


「電磁杭!」


『距離が近い!』


「撃たなくていい。地面へ当てろ!」


作業機の前腕から、短い杭が伸びる。


村瀬はクロウラーではなく、その手前の地面へ突き立てた。


電磁衝撃。


土が弾ける。


クロウラーが吹き飛ぶ。


校庭へ転がる。


「離脱!」


村瀬機が後退する。


クロウラーは起き上がる。


追ってくる。


警戒部隊はまだ十六分。


現場作業員は車両へ乗り始めている。


だが全員の退避には時間がかかる。


「野崎さん、車両を北門から出してください」


『南門の方が近い』


「クロウラーは南側です」


『了解!』


映像が揺れる。


小型センサーの通信がさらに乱れる。


モンスターが画面から消える。


「位置は」


«生体反応、捕捉不能。»


「村瀬さん、動くな」


『え?』


「地面の振動を見てください」


クロウラーは地中を移動する。


機体が歩けば、その振動へ寄ってくる可能性がある。


「作業員車両を先に出す。村瀬機は囮になります」


言ってから、自分の言葉に寒気がした。


囮。


人を使う言葉。


相馬たちワーカー部隊では、普通に使うのかもしれない。


「村瀬さん、搭乗者脱出は」


«地上での降機は危険です。»


分かっている。


「すみません」


俺は言った。


『何がです』


「そこに残ってもらいます」


『俺が決めることですよね』


返された。


少し驚く。


『作業員を先に逃がしてください』


声は震えている。


それでも村瀬は言った。


「分かりました」


責任を全部自分で背負うな。


佐藤の言葉を思い出す。


決めるのは俺だけではない。


「地面の盛り上がりを報告してください」


『分かりました』


車両が北門から出る。


一台。


二台。


三台。


最後の作業員輸送車が動き出す。


地面が盛り上がる。


村瀬の右前方。


『来ます!』


「電磁杭を左へ」


『右じゃなく?』


「車両から離す!」


村瀬機が左の地面へ杭を打つ。


衝撃。


クロウラーが反応し、そちらへ進路を変える。


地面が割れる。


飛び出した個体へ、村瀬が前腕を叩きつける。


直撃ではない。


爪を避け、身体を押し流す。


「上手い」


思わず言う。


『怖いんですけど!』


「俺もです!」


なぜか答えていた。


俺は庁舎の椅子へ座っている。


現場にはいない。


それでも手が震えている。


「車両、退避完了!」


野崎の声。


作業員は全員出た。


残るのは村瀬。


「村瀬さん、北門へ後退」


『追ってきます』


「歩幅を小さく。地面へ強い振動を出さない」


『急げって言ったり、ゆっくりって言ったり!』


「すみません!」


自分でも無茶を言っていると思う。


村瀬機が下がる。


クロウラーは地中へ潜る。


地面の膨らみが、機体を追う。


「電磁杭の残量」


『二回』


「一回、後方へ撃てますか」


『できます』


「正面ではなく、進路の右へ」


『また誘導?』


「多分」


『多分ですか!』


「確信度は低いです!」


こんな時に制度の言葉が出た。


村瀬が笑ったのか、呼吸が乱れただけか分からない。


右へ電磁衝撃。


地面の膨らみが逸れる。


その間に機体が北門を抜ける。


「舗装道路へ出ました!」


土中移動型は、厚い舗装の下では速度が落ちる。


完全に止まるわけではない。


だが時間を稼げる。


「北へ二百メートル」


村瀬機が進む。


今度は歩幅を広げる。


地面の下の反応は、校庭で止まっている。


追ってこない。


数秒。


十秒。


通信に誰も話さない。


AIが表示する。


«生体磁場反応、低下。»


俺はようやく息を吐いた。


「村瀬さん」


『はい』


「無事ですか」


『機体は脚部に傷。俺は……』


少し間。


『手が震えてます』


「俺もです」


『橘さん、庁舎ですよね』


「そうです」


『何で震えるんですか』


「知りません」


本当に分からない。


映像越しだった。


それでも、死ぬかもしれない人の声を聞いた。


判断を間違えれば。


一人を囮にした。


その恐怖が残っている。


「警戒部隊、到着まで六分」


AIが告げる。


「村瀬さん、その場で待機。舗装外へ出ないでください」


『了解』


通信が落ち着く。


俺は椅子へ深く座る。


周囲を見る。


いつの間にか、部署内が静かになっていた。


佐伯も。


課長も。


何人もの職員が、俺の端末と現場映像を見ていた。


「何見てるんですか」


声が少し掠れた。


佐伯が言う。


「橘さん」


「何だ」


「今の、事務仕事ですか」


答えられない。


現場へ行っていない。


機体にも乗っていない。


だが、作業ワーカーへ指示を出した。


モンスターから退避させた。


戦闘だったのか。


救助だったのか。


監督業務だったのか。


「現場兆候報告の確認だ」


俺は言った。


佐伯が少し笑った。


「随分危険な書類ですね」


本当にそう思う。



警戒部隊が到着し、クロウラーを処理した。


一体だけだった。


小型。


本来なら、戦闘ワーカーが到着すれば数分で終わる相手。


人的被害なし。


村瀬機は右脚外装に損傷。


作業員全員無事。


廃校舎北棟は、支柱設置が間に合ったため倒壊なし。


結果だけ見れば、小さな出来事だ。


報告書にはそう書かれる。


小型モンスター一体出現。警戒部隊により排除。人的被害なし。


だが、その前には四件の報告があった。


鳥がいない。


機体が重い。


薬品のような匂い。


通信が不安定。


一件だけなら捨てられていた。


四件でも、最初のAI評価は低かった。


人間が並べた。


過去記録と結びつけた。


それで退避が間に合った。


「橘」


課長が机の横に立つ。


「はい」


「試験運用結果、一件目だな」


「成功事例ですか」


「そう書くかはお前が決めろ」


「人的被害はなかった」


「結果としては」


昨日の報告書と同じ。


結果が出たから正しい。


それだけではない。


「全面停止へ変更した時点では、クロウラー接近確率十一パーセントでした」


「高いか」


「低いです」


「なら止めなくてもよかった?」


「分かりません」


課長は何も言わない。


「ただ」


俺は続ける。


「四件の兆候が、後から一つの原因で説明できました」


「後からな」


「はい」


「次も同じ四件なら止めるか」


考える。


鳥。


臭い。


通信。


機体感覚。


同じなら、今度はAIも関連性を学習しているかもしれない。


だが別の理由で起きることもある。


「確認します」


「停止は?」


「状況次第です」


「便利な答えだ」


最近よく聞く。


「制度は続けるか」


「続けます」


今度は迷わなかった。


「報告が多すぎる問題は」


「人を増やしてください」


「結果をまとめろ」


「一件出ました」


「一件で増員できると思うか」


役所だった。


「今日、人が死ななかった件でも?」


課長の顔が少し硬くなる。


「死ななかったことを、数字にしろ」


「どうやって」


「お前、事務屋だろ」


課長は戻っていった。


死ななかったことを数字にする。


難しい。


予測被害。


停止時間。


機体損傷。


制度がなかった場合の想定。


仮定ばかりになる。


だが、それをしなければ制度は予算を取れない。


人を守った。


それだけでは人員は増えない。


行政には、説明が必要だ。


「佐伯」


「何です」


「増員要求を手伝ってくれ」


「俺の仕事を増やした人が、それを言います?」


「増員が通れば減る」


「通らなかったら?」


「もっと増える」


佐伯は長いため息をついた。


「何をすればいいですか」


「今日の処理件数。平均確認時間。通常業務への影響」


「人的被害回避の想定額も?」


「算出できるか」


「AIなら出します」


「AIが見つけられなかった危険を、AIに金額換算させるのか」


「皮肉ですね」


「でもやる」


使えるものは使う。


AIを否定する制度ではない。


AIが拾えないものを、人間が補う。


人間が処理できない量を、AIが支える。


面倒だが、一緒に考えるしかない。


昨日の日記に書いた通りだった。



午後二時過ぎ。


村瀬から通信が入った。


現場検査を終えたらしい。


『橘さん』


「怪我は」


『なしです』


「よかった」


『機体は怒られました』


「誰に」


『整備士です』


それは仕方がない。


「右脚外装だけなら軽い方です」


『電磁杭、全部使いました』


「命と比べれば」


『そうなんですけど』


声が少し沈んでいる。


「どうしました」


『俺、何もできなかったなって』


「できていました」


『言われた通り動いただけです』


昨日の俺と同じだ。


佐藤の言葉に従った。


AIの情報を見た。


自分では何もしていないと思った。


「村瀬さんが機体を支えなければ、壁が倒れていました」


『それは仕事です』


「作業員が逃げるまで残った」


『他に誰も乗れませんでしたから』


「クロウラーを二回逸らした」


『橘さんの指示です』


「操作したのは村瀬さんです」


通信の向こうが黙る。


「怖かったですか」


俺は聞いた。


『怖かったです』


「それでいいと思います」


『いいんですか』


「俺も、そう言われました」


恐怖で動けなくなるなら問題。


恐怖が確認を増やすなら、必ずしも悪くない。


「機体が重いと報告しましたね」


『あれ、馬鹿にされると思いました』


「俺も最初は疲れだと思いました」


正直に言う。


『じゃあ、何で止めたんです』


「他の報告があったからです」


一つでは弱い。


複数が繋がった。


「村瀬さんの報告がなければ、機体制御への干渉を疑いませんでした」


『役に立った?』


「かなり」


少し明るい声になる。


『次も報告していいですか』


「してください」


『何もなかったら?』


「それも記録します」


『迷惑じゃないですか』


「迷惑です」


本音が出た。


村瀬が笑う。


「でも、必要な迷惑です」


『変な制度ですね』


「作った人もそう思っています」


通信を終える。


必要な迷惑。


制度の説明に書く言葉ではない。


だが、実態としては近い。


人の話を聞くことは、効率が悪い。


確認する。


迷う。


作業が遅れる。


それでも、聞かなければ見えないものがある。



夕方。


第三復興区画から正式報告が届いた。


クロウラーは、廃校舎地下の旧防空設備へ入り込んでいた。


数日前から地中を移動し、校庭付近に巣穴を作ろうとしていた可能性。


鳥が来なくなったのは、生体磁場や微振動を避けたため。


薬品臭は、クロウラーの分泌物。


通信不安定も生体磁場。


機体が重く感じたのは、姿勢制御系への微弱干渉。


四つ全て、関連していた。


AIへ学習記録が追加される。


«新規兆候組み合わせを登録しました。»


「今後は見つけられるか」


«類似条件で警告精度が向上します。»


「確実に?」


«いいえ。»


「別の個体では違う可能性?」


«あります。»


一件の経験で万能にはならない。


それでも、昨日よりは増えた。


AIが知っていること。


人間が報告する方法。


「今日の最初の危険評価は極低だった」


俺は言う。


«はい。»


「間違えたと思うか」


«当時の情報分類では妥当でした。»


「その分類が足りなかった」


«はい。»


AIは否定しない。


「制度について評価してくれ」


少し間。


«処理効率は低いです。»


「知ってる」


«一方、既存評価モデルで関連づけられなかった複数兆候の統合に成功しました。»


「続ける価値は?」


«あります。»


「人員を増やすべき?」


«現在の処理量では推奨します。»


「それを課長へ送ってくれ」


«人員配置案を作成します。»


AIが味方についた。


味方という表現が正しいかは分からない。


だが、少し心強い。



帰宅すると、結衣が玄関へ来た。


「今日は普通の日だった?」


昨日と同じような質問。


俺は靴を脱ぎながら考える。


「普通じゃなかった」


「フレイムワーカー乗った?」


「乗ってない」


「モンスター出た?」


「出た」


結衣の表情が変わる。


「お父さん、戦ったの?」


「戦ってない」


「じゃあ何したの?」


「電話」


結衣は完全に分からない顔になった。


「電話でモンスター倒したの?」


「倒してない。逃がした」


「誰を?」


「作業員と、ワーカー」


「電話で?」


「通信だけど」


「同じじゃん」


子どもには同じらしい。


美咲がリビングから出てくる。


「何があったの」


今日は隠すことではない。


俺は説明する。


現場兆候報告制度。


鳥がいない。


機体が重い。


薬品の匂い。


通信不安定。


クロウラー。


作業員退避。


村瀬の機体。


美咲は静かに聞いていた。


「あなたは庁舎にいたのね」


「ずっと」


「怪我は」


「ない」


「怖かった?」


また聞かれる。


「怖かった」


「現場にいなくても?」


「声を聞いてたから」


村瀬の声。


怖い。


補助制御が効かない。


俺の指示。


囮。


判断を間違えれば、通信の向こうで人が死ぬ。


「電話でも怖いんだね」


結衣が言う。


「怖い」


「でも助けた」


「村瀬さんが動いたから」


「お父さんが教えたんでしょ」


「一緒に考えただけだ」


結衣は少し考える。


「それも戦うなの?」


問いの意味を考える。


「戦ってはいないと思う」


「モンスターいたのに?」


「倒してないから」


「逃げるのも戦いじゃないの?」


子どもの言葉は時々難しい。


戦う。


敵を倒す。


それだけではない。


守る。


逃がす。


時間を稼ぐ。


それも戦闘行為に分類されるのかもしれない。


「俺は、逃がしたかった」


「じゃあ、逃がす仕事」


結衣は簡単に名前をつける。


それが一番近い気がした。


「そっちの方がいい」


俺は言った。


「倒すより?」


「うん」


結衣は頷く。


「私も」


以前なら、倒す方が格好いいと言ったかもしれない。


少しずつ変わっている。


それが良いのか、悪いのか。


分からない。


美咲が夕食を並べながら言う。


「制度を作ったから、見つかったの?」


「多分」


「作らなかったら?」


「鳥がいない、で終わってた」


機体が重い。


薬品臭。


通信不安定。


それぞれ別の問題として処理された。


作業は続いた。


クロウラーが出た時、作業員は校舎の周囲にいた。


「じゃあ、昨日の現場が今日につながったんだね」


美咲が言う。


佐藤の匂い。


報告書。


提案書。


試験制度。


今日の四件。


一つずつ繋がっている。


「現場で人を助けるのは、機体だけじゃないんだね」


結衣が言った。


「そうだな」


「書類も?」


「たまには」


「電話も?」


「今日だけは」


「お父さん、いろいろできるね」


褒められる。


だが今日は、少し素直に受け取れた。


「ありがとう」


美咲がこちらを見る。


前なら、照れて否定したかもしれない。


少し変わったと思われただろうか。


それでも今は、悪い変化ではないと思いたい。



夜。


日記を開く。


---


五月二日

勤務内容:現場兆候報告制度・試験運用/遠隔現場支援

場所:第三復興管理局本庁舎

機体搭乗:なし


制度開始。


午前中に六十七件の報告。


内容。


クレーンが鈍い。


水が鉄っぽい。


猫が来ない。


音が変。


匂いが違う。


機体が重い。


大半は、既存設備、天候、体調、作業条件の変化で説明できた。


現場も管理局も、確認作業で混乱した。


制度をやめたいと思った。


---


少し間を空ける。


---


第三復興区画・廃校舎撤去現場から四件。


鳥がいない。


機体が重い。


薬品臭。


通信不安定。


一つずつでは、危険関連性は低かった。


同一現場で発生していたため、まとめて確認。


地下移動型小型モンスター、クロウラーの兆候と一部一致。


作業停止。


その後、クロウラー出現。


作業員二十六名。


全員退避。


作業支援ワーカー一名。


機体損傷軽度。


搭乗者負傷なし。


---


村瀬との通信を書く。


機体が重いと報告した本人。


確信度は低。


作業停止要望なし。


それでも書いた。


「馬鹿にされると思った」と言った。


制度がなければ、言わなかったかもしれない。


---


今日、現場兆候報告制度が人を守ったと書くのは、少し大げさかもしれない。


制度だけではない。


報告した人がいた。


確認した人がいた。


退避を命じた。


野崎責任者が作業を止めた。


村瀬氏が残った。


警戒部隊が倒した。


全員がいた。


昨日と同じ。


誰か一人が守ったわけではない。


ただし。


制度がなければ、四つの情報は別々に捨てられていた可能性が高い。


だから、制度には意味があった。


---


ペンを止める。


今日、最も怖かった瞬間。


村瀬を囮にすると決めた時。


実際には、本人も残ると決めた。


だが指示を出したのは俺だ。


そのことを書く。


---


作業員を退避させるため、村瀬氏の機体を現場へ残した。


自分は庁舎にいた。


安全な場所から、他人へ危険な役割を求めた。


怖かった。


罪悪感もあった。


だが、必要だったと思う。


責任を持つことと、全て自分のせいにすることは違う。


それでも、指示した事実は残す。


忘れたくない。


遠くから出す命令ほど、人の顔が見えなくなる。


今日は声が聞こえた。


だから怖かった。


もし、声が聞こえない場所で同じ命令を出すようになった時。


自分は今日と同じように怖がれるだろうか。


---


隆志。


戦闘に慣れたワーカー。


相馬。


怖くないように訓練する。


自分。


庁舎にいても震える。


それを弱さだと思っていた。


今は、少しだけ違う。


怖いから、何度も確認した。


逃がす順番を考えた。


村瀬の声を聞き続けた。


AIは恐怖を、判断へ影響する情報として扱っている。


自分も、そう考えていいのかもしれない。


---


今日の結論。


人の勘は、うるさい。


曖昧。


外れる。


仕事を増やす。


それでも、一件だけ本物が混じる。


AIの数字も同じ。


大量の情報の中に、必要なものがある。


どちらも面倒だ。


だから、人が間にいる。


おそらく、それが自分の仕事だ。


戦う仕事ではない。


人とAIの間で、聞こえにくいものを拾う仕事。


少しだけ、そう思った。


---


最後に一行。


---


結衣は、今日の仕事を「逃がす仕事」と呼んだ。


その名前が、一番気に入った。


以上。


---


日記を閉じる。


引き出しへ入れる。


鍵をかける。


その直後。


端末に通知が届いた。


第三機動復興兼防衛中隊より、面談要請。


件名。


現場支援ワーカー候補者・橘蒼真の配置検討について。


正式な話が来た。


相馬の言った通りだった。


俺は通知を閉じる。


消したわけではない。


見ないふりをしただけだ。


引き出しの中には、今日の日記がある。


戦う仕事ではない。


逃がす仕事。


そう書いたばかりだった。


だが組織は、俺を別の場所へ置こうとしている。


戦場に近い場所へ。


そこで人を逃がすためには。


おそらく。


自分だけは、逃げられない。

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