第七話 事務屋とワーカー
四月三十日。
昨日の地盤崩落について書いた日記は、机の上に出したままになっていた。
朝、自室へ戻った時に気づいた。
昨夜、書き終えたところまでは覚えている。
その後、椅子に座ったまま少し眠り、目が覚めて寝室へ移ったらしい。
日記は閉じられていた。
自分で閉じた記憶はない。
机の端に置いていた鉛筆の位置も、昨夜とわずかに違っているように見えた。
だが、それが本当に動かされたものなのか。
自分の記憶が曖昧なだけなのか。
判断できなかった。
日記を手に取る。
最後に書いた一行を思い出す。
結衣に格好いいと言われた。今日、一番嬉しかった。
誰かに読まれたとしたら、その一行だけは消しておきたい。
そう思ったが、ページを開くこと自体が恥ずかしかった。
結局、中を確認しないまま引き出しへ入れた。
鍵はかけなかった。
今後はきちんと管理しよう。
そう思った。
*
台所では、結衣が朝食を食べていた。
昨日までの重い話が嘘のように、テレビを見ながらパンへジャムを塗っている。
画面には、ワーカーの戦果ランキングが映っていた。
巨大なモンスターが倒れる映像。
その前に立つ、何機ものフレイムワーカー。
画面の端には搭乗者名と戦果スコアが並んでいる。
一位のワーカーが、今月だけで大型個体を六体討伐したと紹介されていた。
結衣は以前のように歓声を上げなかった。
パンを食べながら静かに見ている。
「おはよう」
俺が声をかけると、結衣が振り返った。
「おはよう」
美咲は台所で弁当を作っている。
「今日は事務所?」
「その予定」
昨日の朝と同じ答え。
美咲は少し笑った。
「今度は当たるといいね」
「俺もそう思う」
席へ座る。
結衣がテレビを指差した。
「この人、すごいんだって」
「そうみたいだな」
「モンスター倒すの、怖くないのかな」
以前なら、強い、格好いい、という話だった。
問いが変わっている。
「怖くない人もいるかもしれない」
「お父さんは怖い?」
「怖い」
昨日も答えた。
何度聞かれても変わらない。
「でも、フレイムワーカーに乗れるんだよね」
「乗るだけなら」
「モンスターが来たら?」
「逃げたい」
結衣が笑った。
「逃げるの?」
「逃げていい状況なら」
「駄目だったら?」
答えを考える。
昨日の地盤崩落。
逃げたいと思った。
だが責任があった。
作業員がいた。
「その時に考える」
「遅くない?」
「遅いかもしれない」
結衣は少し呆れた顔をした。
テレビの中では、ランキング一位のワーカーがインタビューを受けている。
恐怖はない。
敵を倒すことが使命だ。
そう答えていた。
画面越しには、迷いがない。
社会が求める英雄の姿だ。
美咲がリモコンを取り、テレビを消した。
「朝ご飯の時に見るものじゃないわ」
結衣は文句を言わなかった。
俺も少し安心した。
「昨日の日記」
結衣が突然言った。
心臓が跳ねた。
「見たのか」
思ったより強い声が出た。
結衣が驚く。
「見てないよ」
「そうか」
「机にあったから」
「開いてない?」
「開いてないって」
結衣は不満そうに頬を膨らませた。
疑ったことが申し訳なくなる。
「ごめん」
「何を書いてるの?」
「仕事のこと」
「会社の秘密?」
「秘密もあるから、読まないでくれ」
「じゃあ、鍵かければいいじゃん」
もっともだ。
「今度からそうする」
「お父さん、日記書くんだね」
「最近な」
「なんで?」
自分の考えを整理するため。
忘れないため。
正式な報告書から消えることがあっても、自分の記憶を残すため。
だが、そこまで言う必要はない。
「物忘れが増えたから」
美咲が笑う。
「まだそんな歳じゃないでしょう」
「最近、仕事が増えた」
「それは物忘れとは違うと思う」
結衣は納得していない顔だった。
だが、それ以上は聞かなかった。
家を出る前。
引き出しに日記が入っていることを、もう一度確認した。
誰にも読ませるつもりはない。
少なくとも、今は。
*
復興管理局へ着くと、俺の席が見えなかった。
書類で埋まっていた。
正確には、端末の周囲に紙資料が積み上げられている。
データ化されているものも多いが、本人確認書類、現場写真、手書きの申立書など、紙で残るものはまだ多い。
「何ですか、これ」
隣の佐伯へ聞く。
「橘さんの仕事です」
「見れば分かる」
「昨日回すって言われた分」
「一件じゃなかったのか」
「課長があとから増やしました」
課長の席を見る。
目が合った。
課長は何も言わず、自分の端末へ視線を戻した。
確信犯だ。
「現場で評価されると、元の仕事が減る制度はないのか」
「ありません」
佐伯が即答する。
「むしろ現場で評価されたから、重要案件が増えてます」
「なぜ」
「現場が分かる事務員だから」
全く嬉しくない。
俺は鞄を置き、書類を確認する。
住宅再建補助。
工場操業再開。
重傷者補償。
避難区域変更に伴う追加移転。
どれも簡単には処理できない案件だった。
一番上には、課長からの付箋が貼られている。
午前中に三件。午後、提案書。
提案書。
昨日言われた、現場作業員の感覚報告を正式に記録する仕組みだ。
期限は来週と聞いていた。
「午後って何ですか」
課長へ聞く。
「初稿」
「昨日、来週までと言いましたよね」
「来週完成」
「今日は現場へ行かないんですか」
「行きたいのか」
「行きたくはないです」
「なら書け」
逃げ道はなかった。
自席へ座り、端末を起動する。
通常業務画面が表示される。
その横に、昨日の現場監査評価が出ていた。
総合評価:A
安全判断:S
工程再編:A
事務処理:未完了
最後だけ妙に現実的だった。
「AI」
小さく呼ぶ。
«受け付けます。»
「この評価を消せるか」
«評価記録の削除権限はありません。»
「現場へ行きたくない」
«希望として記録します。»
「希望は考慮されるか」
«人員配置上の参考情報となります。»
「つまり無視される?」
«必要に応じて考慮されます。»
便利な言い方だ。
「今日の案件を優先順に並べてくれ」
«期限、人的影響、金額、復興工程への波及を基準に並べます。»
画面が切り替わる。
最優先は、避難区域変更に伴う追加移転。
対象世帯は十一。
元の仮設住宅が、地盤再調査によって危険区域へ指定された。
つまり、モンスター災害で家を失った人たちが、もう一度移動しなければならない。
「同じ人に二回引っ越せと言うのか」
思わず呟く。
«現行計画では必要です。»
「補償額は」
«基準額、一世帯あたり十二万四千円。»
少ない。
引っ越し費用だけなら足りるかもしれない。
だが、高齢者もいる。
子どももいる。
荷物をまとめる。
学校や通院先が変わる。
生活は金額だけで動かない。
対象者一覧を見る。
七十代の夫婦。
小学生のいる家庭。
車椅子利用者。
単身世帯。
それぞれ事情が違う。
俺は標準補償に、移動支援費と特別生活調整費を追加する案を作る。
AIが警告する。
«標準算定を上回ります。»
「地盤再指定は行政側の再評価だ。住民の責任ではない」
«確認しました。»
「二度目の移転による負担を追加」
«精神的負担は現行算定項目に含まれません。»
「生活調整費として」
«適用根拠を指定してください。»
規定を検索する。
災害後再移転。
同様の事例は少ない。
だが、公共工事による二次移転の項目が使える可能性がある。
「これを準用」
«対象条件が一部異なります。»
「異なる点を列挙」
AIが表示する。
俺は一つずつ理由を書く。
事務仕事はこういうものだ。
AIは基準を示す。
俺は例外を説明する。
ただし、何でも上乗せできるわけではない。
予算は有限。
一件を広げれば、次の案件へ影響する。
だから理由が必要だ。
書類の向こうにいる人間を想像し、それでも数字へ落とす。
午前十時。
一件目を終える。
二件目は、工場設備の損壊。
モンスター討伐時の流れ弾による被害だった。
モンスターではなく、ワーカー側の攻撃が原因。
補償責任の区分が違う。
戦闘映像を確認する。
画面の中で、フレイムワーカーが砲撃する。
モンスターが避ける。
弾が工場の壁を貫く。
戦術上は必要な射撃だった。
被害軽減スコアにも、大きな減点はない。
だが工場側からすれば、壁が壊れた事実は同じだ。
「正当な戦闘行為による付随被害」
AIの分類。
「それで工場は直るのか」
«補償対象です。»
「誰の評価にも影響しない?」
«戦術的必要性が認定されているため、大幅な減点はありません。»
ワーカーは任務を成功させた。
工場は壊れた。
事務方が補償する。
社会としては、それで処理できる。
だが工場の再開が遅れれば、従業員の収入も減る。
俺は設備修理費だけでなく、操業停止補償を確認する。
AIの算定は十四日。
業者の修理予定は二十一日。
差の七日分が認められていない。
理由は、代替設備の借用が可能と判断されているから。
工場へ電話する。
責任者が出た。
代替設備は規格が合わない。
借りても生産できない。
提出資料には書かれていない。
「どうして申請書に」
俺が聞く。
『AI入力欄に該当項目がなかったんです』
電話の向こうから答えが返る。
自由記述欄には書いた。
だが、主要判断項目へ反映されなかった。
昨日の佐藤と同じだ。
書く場所はある。
だが、判断へ届かない。
「設備規格の資料を送ってください」
『いつまでに?』
「今日中なら助かります」
『分かりました』
電話を切る。
AIへ入力。
「自由記述欄の内容を再確認」
«記述:代替設備の仕様適合に懸念あり。»
「なぜ追加調査対象になっていない」
«懸念の確度が不明でした。»
「電話確認で不適合を確認」
«記録します。»
まただ。
人間の言葉が、分類できないまま端に残っている。
現場の匂い。
設備の規格への懸念。
どちらも、適切な項目にならなければ弱い情報として処理される。
俺は提案書のメモへ追加した。
非定型報告を、判断へ接続する確認手順が必要。
午前十一時二十分。
三件目を開こうとした時、受付から内線が入った。
『橘さんに面会の方です』
「誰ですか」
『相馬亮さんです。第三機動復興兼防衛中隊所属』
聞き覚えのある名前だった。
忘れるはずもない。
家族旅行の日。
倒れたフレイムワーカーの中から助け出した男。
高校時代の同級生。
あの出来事のあと、一度だけ言葉を交わした。
短い会話だった。
相馬はまだ怪我の治療中で、俺も事情聴取や検査に追われていた。
互いに何を言えばよいのか分からないまま。
礼と、無事の確認と。
それ以上は続かなかった。
「約束は」
『ないそうです』
「用件は」
『本人から話す、と』
しばらく考える。
相馬が今さら職場へ来る理由が思いつかない。
「応接室へお願いします」
電話を切る。
立ち上がると、佐伯がこちらを見る。
「ワーカーですか」
「元同級生だ」
「仕事で?」
「分からない」
「家族旅行の時の人?」
俺は佐伯を見る。
「なぜ知ってる」
「噂になってます」
嫌な予感がした。
「どこまで」
「事務局の職員が、倒れたワーカーを助けて、その機体でモンスターを倒したって」
「忘れてくれ」
「無理ですよ」
佐伯は笑う。
俺はため息をつき、応接室へ向かった。
*
扉を開ける。
相馬は窓際に立っていた。
三十代前半。
短く刈った髪。
右眉の上に小さな傷。
以前会った時より顔色は良い。
怪我は治っているらしい。
制服ではなく、ワーカー用の簡易勤務服。
俺を見ると、小さく顎を上げた。
「久しぶり」
「そうだな」
最後に会った時から、それほど長い時間が経ったわけではない。
それでも、ずっと昔のことのように感じる。
「体はもう大丈夫なのか」
俺が聞く。
相馬は少し苦笑した。
「前にも聞いただろ」
「その時は、まだ治療中だった」
「あばらはついた。頭も問題なし。搭乗許可も出た」
「そうか」
安心した。
相馬が仕事へ戻れたことを喜ぶべきなのかは迷う。
ワーカーへ戻る。
再びモンスターと戦う。
それを本人は望んでいるのか。
「座るか」
俺が言う。
「お前の職場だろ」
相馬に言われ、向かい合って椅子へ座った。
机を挟む。
前に会った時より、相馬の表情は硬い。
礼を言いに来ただけではなさそうだった。
「今日はどうした」
俺から聞く。
相馬はすぐには答えない。
視線を机の端へ落とす。
「昨日の現場評価を見た」
「地盤崩落の?」
「ああ」
「中隊にも共有されるのか」
「安全管理の事例としてな」
相馬は俺を見る。
「人的被害なし。作業停止判断。現場再編」
「俺一人でやったわけじゃない」
「報告にも書いてあった」
「なら分かるだろ」
佐藤が匂いに気づいた。
AIが微小沈下を検出した。
現場の作業員が避難した。
俺は最後に命令を出しただけだ。
「前に会った時も、そう言ってたな」
相馬が言う。
「何を」
「俺を助けたのも、たまたまだって」
「実際そうだ」
「機体へ乗ったのも?」
「中に人がいたから確認した」
「そのあと、モンスターを倒した」
その話をしたくない。
記憶が曖昧だから。
評価されるたび、自分とは別の誰かの話を聞いているような気がする。
「相馬」
俺は言う。
「礼なら、前に聞いた」
相馬は短く、ありがとうと言った。
俺は、無事でよかったと答えた。
それで終わった。
「今日は礼を言いに来たわけじゃない」
「だと思った」
「でも、あの時は、ちゃんと言えてなかった」
相馬の手が、膝の上でわずかに握られる。
「言っただろ」
「言葉だけな」
「礼にちゃんとも何もない」
「ある」
相馬は言い切った。
「俺は、助けられたことを喜べなかった」
予想していなかった言葉だった。
「なぜ」
「お前だったから」
高校時代の同級生。
親しかったわけではない。
同じ教室にいても、俺と相馬はほとんど別の場所にいた。
相馬は運動部で、人に囲まれていた。
俺は目立たず、頼まれたことだけをする。
「高校の頃、俺がお前をどう見てたか覚えてるか」
「ほとんど話してない」
「腰抜けだと思ってた」
前にも似たことを言われた。
あの時は、治療直後で。
冗談なのか本気なのか分からなかった。
今日は違う。
相馬は、その言葉を自分へ突き刺すように話している。
「争いを避ける。言い返さない。喧嘩もしない。頼まれれば手伝うのに、自分から前へ出ない」
「だいたい合ってる」
「変な奴だとも思ってた」
「それも前に聞いた」
「今も思ってる」
評価が変わっていない。
「そんな奴に助けられた」
相馬の声が低くなる。
「俺はワーカーだ。訓練を受けて、何度も現場へ出て、スコアを上げてきた」
「知ってる」
「お前は事務員だ」
「それも知ってる」
「その事務員に、機体から引きずり出された」
引きずり出してはいない。
できるだけ慎重に降ろしたつもりだ。
だが今は訂正する場面ではない。
「そのあと、俺の機体で、俺が勝てなかった相手を倒した」
「勝ったわけじゃない」
「討伐記録は残ってる」
「記憶にない」
「ログにはある」
相馬は、机の上へ薄い端末を置いた。
画面には、あの日の操縦記録が表示されている。
俺が見たくないもの。
相馬が何度も見たもの。
「前に会った時は、これを見せる気になれなかった」
「なぜ」
「見れば、お前が自分を特別だと思うかもしれないと思った」
「思ってない」
「今は分かる」
相馬は苦い顔をした。
「お前、本当に覚えてないんだな」
「操作が分からなかったことは覚えてる」
「途中で目が覚めた時、お前はずっと独り言を言ってた」
嫌な汗が出る。
「何て」
「動け。違う。何でそっちへ行く。止まれ。どうやって止めるんだ」
ほとんど覚えていない。
だが、自分なら言いそうだった。
「かなり格好悪いな」
「声だけはな」
相馬は端末の映像を動かす。
機体が立ち上がる。
モンスターへ背を向けず。
妻と娘の前へ身体を入れる。
「動きは冷静だった」
「冷静じゃない」
「分かってる」
「矛盾してる」
「だから腹が立った」
相馬は言った。
「怖がってる奴が、俺より動けた」
嫉妬。
悔しさ。
羞恥。
それを隠さず話している。
「俺は、怖くないように訓練してきた」
相馬が続ける。
「恐怖を切る。敵だけを見る。余計なことを考えない」
戦闘ワーカーの訓練。
恐怖を消すのではない。
感じても、動きを止めないようにする。
「それでも俺は負けた」
「相手が悪かった」
「そうかもしれない」
「機体も損傷してた」
「それもある」
「なら比較する意味がない」
「頭では分かる」
相馬は拳を緩める。
「でも、自分の中では終わらなかった」
前に会った時。
相馬がどこか苛立っていた理由。
俺への礼が、妙に硬かった理由。
ようやく少し分かった。
「だから、今日は文句を言いに来た?」
「最初は、そのつもりだった」
「何の文句だ」
「お前が何でもなかった顔で事務仕事へ戻ってること」
「何でもなくはない」
「そう見えた」
俺は今も怖い。
家族旅行の日を思い出す。
機体。
モンスター。
妻と娘。
自分の知らない自分。
「相馬」
俺は言う。
「俺は、あの日のことで褒められても嬉しくない」
「なぜ」
「俺がしたことだと思えないから」
「ログはお前だ」
「気持ちが追いついてない」
「でも結果は残る」
社会は結果で評価する。
討伐。
人的被害。
スコア。
それが相馬を苦しめている。
同じ結果が、俺を戦場へ引こうとしている。
「昨日の地盤崩落も」
相馬は言った。
「お前はまた人を止めた」
「戦ってない」
「分かってる」
「佐藤さんの話を聞いただけだ」
「普通は聞かない奴もいる」
黒崎にも、後で似たことを言われることになる。
だがこの時の俺は、まだ知らない。
「AIは作業続行を勧めていた」
相馬が続ける。
「現場の人間は止めたくない。お前は責任を取って止めた」
「怖かったから」
「それでいいんだろ」
医療担当の河野。
佐藤。
皆、似たことを言う。
怖いまま行動した。
それが俺の評価になっている。
「相馬」
俺は聞く。
「結局、何をしに来た」
相馬は少し黙った。
それから端末の表示を切り替えた。
画面に俺の名前。
適性評価。
家族旅行時の非公式搭乗記録。
復興監査時の操縦データ。
昨日の安全判断評価。
「搭乗者候補評価」
「何だ、これは」
「第三機動復興兼防衛中隊の内部資料」
胸の奥が冷たくなる。
「俺は事務員だ」
「知ってる」
「候補って何の」
「現場支援ワーカー」
「もう現場監督として乗ってる」
「監督じゃない」
相馬が言う。
「危険区域で、部隊と一緒に動く搭乗員だ」
拒否感が一気に湧く。
「戦闘要員か」
「最初は支援」
最初は。
その言葉が嫌だった。
「断る」
「まだ正式命令じゃない」
「なら候補から外してくれ」
「俺にはできない」
「推薦したのは相馬か」
相馬の目が僅かに揺れた。
「違う」
「誰だ」
「AIと上層部」
やはり。
俺の判断。
恐怖反応。
機体操作。
全てが記録されている。
「俺は戦いたくない」
「知ってる」
「前にも言った」
プロローグで会った時。
俺は相馬へ、ワーカーになるつもりはないと話した。
戦いたくないとも。
相馬は、その時は何も返さなかった。
「聞いた」
「なら、なぜこれを持ってきた」
「お前に先に知らせた方がいいと思った」
「知らせてどうする」
「正式な話が来る前に、考えられる」
「答えは決まってる」
「本当に?」
相馬の問いに腹が立つ。
「戦いたくないと言ってる」
「昨日、四十二人を守った」
「戦わずに」
「だからだ」
相馬は言った。
「戦わない奴だから、必要だと思われてる」
AIの評価と同じ。
恐怖を保つ。
他者保護を優先する。
敵を倒すことより、人を逃がすことを考える。
「立派な人間みたいに言うな」
「そういう意味じゃない」
「俺は格好つけたいだけだ」
「家族旅行の時も、そう言ってたな」
相馬は少し笑った。
「妻と娘の前で格好つけたかった」
「それで機体へ乗る奴は、普通じゃない」
「中に人がいた」
「だからだよ」
相馬は俺を見る。
「口では嫌だと言いながら、目の前に人がいたら動く」
「仕事なら誰でも」
「誰でもじゃない」
「相馬は動くだろ」
「俺はワーカーだからな」
「なら俺より向いてる」
相馬は答えなかった。
画面には、俺の候補評価。
総合適性:高
戦闘移行適性:要継続観察
恐怖反応を維持。
本人意思:消極的。
「消極的じゃない」
俺は言った。
「拒否だ」
「資料上はそうなってる」
「訂正できないのか」
「本人確認の時に言え」
「正式な話は来るんだな」
「近いうちに」
相馬は端末を机へ残したまま立ち上がった。
「相馬」
「何だ」
「お前は、俺に部隊へ来てほしいのか」
相馬は扉へ向かいかけた足を止める。
しばらく答えなかった。
「分からない」
俺がよく使う言葉を、相馬が使った。
「来てほしくない気持ちもある」
「なぜ」
「また、お前の方が上手かったら困る」
率直すぎる。
「それだけ?」
「俺が間違えた時、お前なら止めるかもしれないとも思う」
「保険にするな」
「分かってる」
相馬は苦く笑う。
「だから、まだ推薦はしてない」
まだ。
その言葉を聞き逃さなかった。
「今後はするのか」
「昨日の評価を見て、迷ってる」
「やめてくれ」
「お前のために?」
「俺のために」
はっきり言う。
「戦いたくない」
相馬は頷いた。
「前より、ちゃんと分かった」
前も話した。
相馬は俺の言葉を、負傷直後の混乱か。
一時的な恐怖だと思っていたのかもしれない。
「でも」
相馬は続ける。
「お前が戦えることも変わらない」
「それを言うな」
「事実だから」
「事実でも、使うかは別だ」
「そうだな」
相馬は扉を開ける。
「橘」
「何だ」
「戦わないって言い続けろ」
意外な言葉だった。
「なぜ」
「戦い始めたら、周りはお前を戦わせ続ける」
その言葉を残し、相馬は出ていった。
俺はしばらく応接室に残った。
机の上に候補評価端末が置かれている。
相馬は、わざと残したのだろう。
正式な資料なのか。
見せるための複製なのか。
分からない。
画面には俺の名前。
本人意思:消極的。
消極的ではない。
拒否だ。
俺は画面へ入力する。
「本人意思を修正」
«修正内容を入力してください。»
「戦闘任務を希望しない」
«記録しました。»
「現場支援ワーカーも希望しない」
«記録しました。»
「候補から外せ」
«当該操作の権限がありません。»
やはり。
「俺の人生なのに?」
«人事配置は組織権限です。»
腹が立つほど正しい。
「戦わない」
声に出す。
«本人意思として記録します。»
「何度でも記録しろ」
«了解しました。»
俺は候補評価端末を持ち、応接室を出た。
*
自席へ戻ると、書類の山は減っていなかった。
当然だ。
相馬と話している間、仕事は進んでいない。
佐伯が時計を見る。
「長かったですね」
「高校の同級生だからな」
「何の話だったんです」
答えるか迷う。
正式な人事ではない。
だが隠す必要もない。
「現場支援ワーカーの候補になったらしい」
佐伯は数秒止まった。
その後、顔を輝かせた。
「出世じゃないですか」
「違う」
「給料上がりますよ」
「戦闘へ近づく」
「でも高スコア」
「まだ戦ってない」
「家族旅行で倒したんでしょう」
やはり噂は広がっている。
「事務局の人が、初搭乗でモンスターを倒したって」
「忘れてくれ」
「無理ですよ」
佐伯は笑う。
「部署の英雄です」
英雄。
嫌な言葉だった。
「俺は覚えてない」
「でも倒した」
「結果だけだ」
「結果が大事じゃないですか」
そういう社会だ。
スコア。
実績。
討伐数。
結果が人を定義する。
過程や気持ちは、後回しになる。
「橘さんが現場へ行ったら」
佐伯は続ける。
「俺の仕事、もっと増えます?」
「そこか」
「重要です」
俺は書類の山を見る。
現場へ行けば、誰かがこれを処理する。
俺が戦っている間にも、補償は必要になる。
道路を直す。
生活を戻す。
「俺は事務の方が必要だと思う」
俺が言うと、佐伯は少し真面目な顔になった。
「俺もそう思います」
意外だった。
「現場の人は多い」
佐伯が言う。
「橘さんみたいに、現場を見て書類を直せる人は少ない」
褒められている。
フレイムワーカーの操縦ではなく。
事務能力を。
少し嬉しかった。
「だから現場へ行かないでください」
「佐伯が楽をしたいだけだろ」
「半分は」
「残り半分は?」
「本当に必要だからです」
俺は返事をしなかった。
戦えるかもしれない。
だから戦わせる。
事務に必要。
だから残す。
組織は能力を使う。
本人の希望とは関係なく。
どちらも俺の仕事になる可能性がある。
だが身体は一つしかない。
「提案書を書かないと」
俺は言った。
「切り替え早いですね」
「仕事は待ってくれない」
相馬の言葉は頭に残っている。
正式な話は近いうちに来る。
その時まで。
少なくとも今日は、事務員だ。
*
午後は、感覚報告制度の提案書を作った。
名称から悩む。
現場感覚申告制度。
曖昧すぎる。
非定型危険兆候報告。
固すぎる。
AIへ相談する。
「現場作業員が、匂い、音、振動、違和感を報告する制度の名称案」
«候補を提示します。»
複数表示される。
その中から選んだ。
現場兆候報告。
短い。
意味も分かる。
報告項目。
日時。
場所。
感覚の種類。
匂い。
音。
振動。
温度。
動植物の変化。
身体感覚。
過去の類似経験。
確信度。
作業停止を求めるか。
その後の結果。
「確信度は必要か」
«主観情報の整理に有効です。»
「低いと無視されないか」
«運用設計によります。»
だから制度側へ注意を書く。
確信度が低いことのみを理由に破棄しない。
次に、確認手順。
報告があれば、AIが関連センサー情報を再抽出。
現場監督が確認。
必要に応じて追加測定。
すぐ止めるのではない。
だが、自由記述欄へ埋もれさせない。
過去の報告と結果を蓄積。
当たった例だけでなく、何も起きなかった例も残す。
佐藤の言葉を思い出す。
勘を信じすぎる人間が出る。
制度は、勘を正しいものとして扱うためではない。
疑うために記録する。
AIも。
人間も。
「目的」
入力欄で手が止まる。
書く。
«現場作業員が経験により認識した非定型情報を、既存の危険予測から独立して保存し、確認可能な情報へ変換する。»
硬い。
少し変える。
«数値化されていないことを、存在しないものとして扱わないため。»
提案書らしくない。
だが、これが一番言いたい。
課長へ初稿を送る。
数分後、返信。
後半は良い。前半を役所の文章に直せ。
どちらが後半なのかは分かった。
「AI」
«受け付けます。»
「この文章を、意味を変えず行政文書に」
«修正文:現行の定量的評価項目へ反映されない現場情報についても、将来的な検証対象として保存・共有する。»
分かりにくくなった。
だが役所らしい。
二つとも残すことにした。
正式な目的文。
その下に、制度理念。
数値化されていないことを、存在しないものとして扱わない。
課長が消すかもしれない。
それでも書く。
送信。
今度は返信なし。
しばらくして、課長が自席から言った。
「理念は残す」
俺は顔を上げる。
「いいんですか」
「現場向け資料にはな」
内部文書では硬い文章。
現場へ伝える時は分かりやすく。
それでいい。
少しだけ、昨日の出来事が形になった気がした。
*
帰宅したのは午後八時前だった。
昨日より早い。
玄関を開けると、結衣が出てくる。
「今日は地面落ちなかった?」
最初の質問がそれだった。
「落ちなかった」
「モンスターは?」
「いない」
「何したの?」
「書類」
結衣は少し残念そうだった。
「フレイムワーカーは?」
「乗ってない」
「普通の日?」
「普通の日」
だが、相馬が来た。
戦闘支援候補になった。
普通とは言い切れない。
美咲がリビングから俺を見る。
顔を見て、何かを感じたらしい。
「何かあった?」
結衣と同じ質問ではない。
「相馬が来た」
「病院で話した人?」
「ああ」
「元同級生のワーカー」
「そう」
美咲は、すぐに表情を曇らせた。
相馬が来た理由を察したわけではない。
ただ、あの日のことを思い出したのだろう。
「怪我は治ったって」
俺は先に言った。
「搭乗許可も戻ったらしい」
「また乗るのね」
「本人の仕事だから」
美咲は何も言わない。
食卓へ座る。
夕食を取りながら、相馬の話をした。
助けられたことを喜べなかったこと。
高校時代、俺を腰抜けだと思っていたこと。
訓練を受けてきた自分より、事務員の俺が動けたことを受け入れられなかったこと。
そして。
「現場支援ワーカーの候補になった」
箸を持つ美咲の手が止まった。
結衣は逆に目を輝かせる。
「ワーカーになるの?」
「ならない」
すぐ答える。
「候補なだけだ」
「すごいじゃん!」
「すごくない」
「何で?」
説明が難しい。
結衣にとってワーカーは、まだ完全に憧れを失った職業ではない。
疑問は持った。
だが格好良さも残っている。
「戦う場所に近づくから」
俺は言った。
「嫌なの?」
「嫌だ」
「でも、お父さん強いんでしょ」
相馬から見た俺。
冷静。
迷いがない。
実際の俺。
何も分からず叫び、怖がっていた。
「強くない」
「モンスター倒したのに」
「一回だけだ」
「一回できたら、またできるんじゃない?」
子どもらしい論理。
だが組織も同じように考えているのかもしれない。
一度できた。
適性がある。
なら使える。
「できることと、やりたいことは違う」
美咲が言った。
結衣が母を見る。
「でも、人を守れるよ」
「そうね」
「じゃあ、やった方がいいんじゃない?」
俺は答えられなかった。
能力があるなら社会のために使うべきか。
家族を守るためにも。
社会へ貢献する個人としても。
だが、やりたくない。
命を奪いたくない。
その気持ちは身勝手なのか。
「結衣」
美咲が静かに言う。
「お父さんが怖いと思うことを、お父さんが決める前にやらせていいとは思わない」
「でも会社が決めるんでしょ?」
鋭い。
「業務命令になるかもしれない」
俺が答える。
結衣は考える。
「断れないの?」
「簡単ではない」
「じゃあ、お父さんの仕事って、お父さんが決められないの?」
子どもには変に見えるだろう。
大人は自分で仕事を選ぶと思っている。
実際には、選べないことも多い。
「全部は決められない」
「嫌なのに?」
「嫌でも必要な仕事はある」
「昨日の現場監督は?」
「嫌だった」
「でも格好よかった」
その言葉がまた少し嬉しい。
だが今日は、素直に喜べなかった。
戦場へ出た時にも、結衣は格好いいと言うのだろうか。
その言葉を欲しがって、無理をする自分はいないだろうか。
家族旅行の日。
格好いいところを見せたかった。
その気持ちで危険へ向かった。
「お父さん」
結衣が言う。
「戦わないの?」
タイトルのような問いだった。
俺は少し考えた。
「戦いたくない」
「戦わない、じゃなくて?」
違いを見抜かれた。
戦わないと断言できない。
必要なら戦うと、以前自分で言った。
「今は、戦わない仕事をしたい」
事務。
復興。
監督。
人を守る方法は、戦うだけではない。
「今日、現場の人が感じたことを報告できる仕組みを作った」
「感じたこと?」
「匂いとか、音とか」
昨日の話を覚えていたらしい。
「AIに教えるの?」
「AIと人間の両方に残す」
「それで地面が落ちなくなる?」
「すぐには」
「でも、いつか?」
「少しは」
結衣は頷いた。
「じゃあ、それも人を守る仕事だ」
「そうだと思う」
「なら、そっちでいいじゃん」
簡単に結論を出す。
俺もそう思う。
組織が同じ答えを出すとは限らない。
美咲はずっと黙っていた。
結衣が食事を終え、自室へ戻った後。
二人だけになる。
「正式な命令ではないんだよね」
美咲が聞く。
「まだ」
「断る?」
「断る」
即答。
「もし断れなかったら」
答えが出ない。
「行かないでって言ったら、困る?」
家族旅行の日も、美咲は行かないでと言った。
俺は人命がかかっていると行った。
今度は一人ではない。
組織がある。
代わりのワーカーもいる。
それでも俺が必要だと言われたら。
「困る」
正直に言う。
「行きたいから?」
「違う」
「自分が行けば誰かが助かると思うから?」
おそらく。
それが一番厄介だ。
戦いたくない。
だが、自分が行かなかったことで誰かが死んだら。
後悔する。
「あなたは、そういう人だよね」
美咲が言う。
「どういう人」
「行きたくないって言いながら、必要だと思ったら行く人」
「格好つけたいだけかも」
「それもあるね」
否定してほしかった。
「でも、格好つける相手が家族なら、少しくらいはいいと思う」
「今度は格好いいと思ってくれるのか」
美咲はすぐ答えなかった。
「帰ってきたら」
それが条件だった。
格好良く戦うことではない。
生きて帰ること。
「約束はできない」
「分かってる」
「でも、帰りたい」
「それは忘れないで」
頷く。
「それと」
美咲の声が少し硬くなる。
「戦うことが楽しくなったら、教えて」
医療担当の河野。
隆志。
スコア社会。
妻が一番恐れているもの。
「自分で分かるかな」
「分からないなら、私が言う」
「かなり遠慮なく?」
「かなり」
同じ約束。
何度繰り返してもいい。
忘れないために。
*
夜。
日記を開く。
今日の任務は機体搭乗なし。
事務処理。
制度提案。
相馬との面会。
いつもの形式で書く。
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四月三十日
勤務内容:災害補償審査/現場兆候報告制度・初稿作成
場所:第三復興管理局本庁舎
機体搭乗:なし
午前、避難区域再指定に伴う再移転補償を処理。
標準補償では不足すると判断し、追加支援案を作成。
工場損壊案件について、代替設備が使用できないことを電話確認。
自由記述欄には記載されていたが、算定へ反映されていなかった。
昨日の現場と同じ。
人間が書いた情報が、分類できないまま残っている。
現場兆候報告制度の初稿を作成。
目的。
数値化されていないことを、存在しないものとして扱わない。
課長は、この文章を残すと言った。
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一度、ペンを置く。
相馬のことを書く。
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家族旅行時に救助した相馬亮が、職場へ来た。
相馬とは、高校二年時に同じクラスだった。
親しくはなかった。
家族旅行の事故後にも、一度会話している。
その時、礼を言われた。
だが今日。
相馬は、あの時は助けられたことを喜べなかったと言った。
自分を腰抜けだと思っていた。
訓練を受けたワーカーである自分が倒れ、事務員の自分が機体を動かしたことを受け入れられなかったらしい。
正直に言われて、少し困った。
だが、前に会った時の相馬の態度が硬かった理由は分かった。
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相馬は、俺の戦闘ログを見ている。
自分は機体の中で叫び、操作方法も分からず、震えていた。
相馬には冷静に見えた。
記憶と一致しない。
自分の感覚と、外から見た動き。
AIが評価するのは、外に残った記録。
家族が見るのは、家へ帰った自分。
どちらも嘘ではない。
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第三機動復興兼防衛中隊の、現場支援ワーカー候補となっている。
正式命令ではない。
本人意思として、戦闘任務を希望しないと記録した。
現場支援も希望しない。
候補から外す権限はないと言われた。
相馬は、戦いたくないと言い続けろと言った。
戦い始めれば、周囲は戦わせ続けるから。
相馬自身も、自分を推薦するか迷っているらしい。
助けられたことへの悔しさと。
自分がいれば助かるかもしれないという期待。
両方があると言った。
人は、一つの気持ちだけで動くわけではないらしい。
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少し考え、続きを書く。
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自分も同じ。
戦いたくない。
現場へ行きたくない。
事務の仕事を続けたい。
それでも、自分が行けば助かる人がいると言われた時、断れるかは分からない。
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また、分からない。
結衣に笑われそうだ。
最後に家族との会話を書く。
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結衣は、事務の仕事も人を守る仕事だと言った。
その通りだと思う。
戦わずに人を守れるなら、その方がいい。
自分は戦わない男ではない。
戦いたくない男だ。
必要なら戦うと、以前は簡単に書けた。
今は、その「必要」を誰が決めるのかが怖い。
AIか。
上司か。
社会か。
自分か。
家族か。
全員の答えが違った時、最後に決めるのは自分なのだと思う。
その時まで、戦いたくないと言い続ける。
以上。
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日記を閉じる。
今日は引き出しへ入れ、鍵をかけた。
鍵をかけたあと、少し考える。
誰にも読ませない日記。
それでも、自分が何を考えていたかを残している。
いつか、自分でも忘れるかもしれない。
戦いたくなかったことを。
怖かったことを。
事務の仕事を誇らしいと思ったことを。
相馬が、助けられたことを素直に喜べなかったことを。
人の感情は、報告書の項目へ簡単には収まらない。
だから残す。
分類できないままでも。
今日、自分で作った制度の理念と同じだ。
数値化されていないことを、存在しないものとして扱わない。
それは現場の匂いや音だけではない。
人の希望も。
恐怖も。
悔しさも。
同じなのかもしれない。
少なくとも事務員として、そう信じたい。
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第七話 終。
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