第九十七話 辞める理由がなくなりました
旅行から戻った翌朝、橘家の居間には、まだ旅先の名残が残っていた。
棚の上には、城で撮影した家族写真が飾られている。甲冑姿の蒼真と美咲、袴を着て薙刀を持った結衣、その中央で若君になった昴が、全員で笑っていた。
昴は写真の中の自分を気に入ったらしく、城の売店で買った木刀を抱えたまま、朝食の席へ着こうとしている。
「昴、ご飯を食べる時は置いてきて」
美咲が味噌汁を食卓へ運びながら声をかけると、昴は木刀を胸へ抱き締め、椅子の横で首を横へ振った。
「とのさま、これいる」
「殿様も、ご飯の時には刀を置きます」
「いる」
「置いてきてください」
美咲の声は穏やかなままだったが、これ以上は認められないと分かったらしい。昴は不満そうに唇を尖らせながら、木刀を居間の隅にある玩具箱まで運んだ。
その背中を眺めていた結衣が、トーストを口へ運ぶ。夏休み中なので制服へ着替える必要はなく、まだ部屋着のままだった。旅行の疲れが残っているのか、髪も後ろへ簡単にまとめただけで、時折欠伸を噛み殺している。
「殿様なのに、お母さんには勝てないんだ」
「橘家では、お母さんが一番強いことになったからね」
蒼真が答えると、美咲が味噌汁の椀を置く手を止めた。
「誰が決めたの?」
「結衣と昴」
「お父さんも頷いてたよ」
「家族の中では間違っていないと思ったから」
「朝から、確認しなくてもいいことを確認しないでください」
美咲に言われ、蒼真は味噌汁へ視線を落とした。
木刀を置いて戻ってきた昴は、自分の椅子へ座り直すと、皿に載っている卵焼きを指差した。
「とのさま、たまご」
「殿様ではなくても食べられるよ」
「とのさまの」
「昴の分だから、食べていいよ」
蒼真が皿を少し近づけると、昴は満足そうに卵焼きを掴んだ。
旅行で使った鞄は昨夜のうちに片づけられ、蒼真の出勤鞄も、いつもの場所へ戻っている。端末には復興管理局への出勤予定と、その後に中央防衛局で行われる面談の時刻が表示されていた。
美咲が自分の椅子へ座り、蒼真の端末へ一度目を向けた。
「今日だったよね」
「うん。十時から」
「最初は管理局?」
「一度出勤してから、中央防衛局へ行く。十回の評価結果と、これからの運用について話すらしい」
結衣がトーストを持ったまま蒼真を見る。
「また、リポルに乗れって言われるの?」
「その話は出ると思う」
「今回は分からないって言わないんだ」
「十回の評価は、リポルを今後どう運用するか決めるためのものだったから。搭乗を続けられるかは聞かれると思う」
「お父さんは、何て答えるの?」
「必要な時に乗ることと、リポルへ乗ることだけを仕事にするのは違うと話す」
蒼真は、すでに何度か同じことを記録へ残している。
戦闘を望んでいないことも、できれば復興現場でノストスへ乗りたいことも、必要性があるなら評価を拒否しないことも、すべて報告してきた。
それでも上層部が改めて本人へ聞き取りを行う以上、何かを確認したいのだろう。
「ちゃんと断れる?」
結衣が尋ねた。
「専任搭乗者になれと言われたら断るよ」
「命令だったら?」
「軍人として在籍している間は従う」
「それだと、断れてないんじゃない?」
「命令と、自分の意思を聞かれることは別だから」
結衣は蒼真の答えを聞き、少し考えてからトーストを皿へ戻した。
「お父さん、分かってるならいいけど」
「何を?」
「うんって言わせるために、聞き方を変える人もいるから」
「その場合は、何への同意か確認するよ」
蒼真が答えると、結衣はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、美咲が時計を確認したため、朝食へ戻った。
蒼真が出勤する時間になると、美咲と昴が玄関まで見送りに来た。結衣も居間の入口へ寄りかかり、片手を上げている。
「決まったことは、帰ってから話してね」
美咲が言った。
「うん」
「決まっていないことを、決まったように話さなくてもいいから」
「分かった」
「でも、あとから決まっていました、は駄目だからね」
「それも分かってる」
結衣が蒼真の顔を見ながら念を押す。
「余計な仕事を増やさないでよ」
「今日は、自分から提案する場ではないと思う」
「聞かれたことに、必要以上に答えないでね」
「必要な分は答えるよ」
「それが心配なんだけど」
昴も会話へ加わろうとしたのか、蒼真のズボンを掴んだ。
「ぱぱ、りぽる?」
「今日は乗らないよ」
「のすとす?」
「それも今日は乗らない。話をしに行くだけ」
「おはなし、つよい?」
「強くはないと思う」
蒼真は靴を履き、玄関の扉を開けた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
美咲の声に続いて、結衣と昴も蒼真を送り出した。
*
中央防衛局の面談室には、四人の軍関係者が待っていた。
正面に座るのは作戦運用部の責任者で、その右側には人事部門と搭乗者制度を担当する者が並び、左端には監察部門の上級士官が座っている。
机の上には、十回分の評価記録をまとめた資料が置かれていた。市街地奪還作戦や、その後の営巣地駆除の記録まで含まれているらしく、端末に表示された項目は一度に確認できないほど多い。
蒼真が指定された席へ座ると、作戦運用部の責任者が手元の資料を閉じた。
「橘蒼真二尉。まずは、十回に及ぶ評価への協力に感謝する」
「職務でしたので」
「その職務によって得られた成果が、当初の想定を大きく上回ったことは理解しているかね」
「評価結果は読みました」
「自分の能力について、どう考えている?」
最初から、答える範囲の広い質問だった。
「リポルを動かせることについてですか?」
「それだけではない。戦闘、救助、情報処理、AIとの連携を含めた総合的な能力についてだ」
「評価で必要とされたことは、できたと思います」
「ほかの搭乗者より優れているとは?」
「比較する内容によります。三浦一尉のようには戦えません」
「しかし、第十回評価で大型個体へ決定打を与えたのは君だ」
「三浦一尉と第一中隊が大型の注意を引き、第二、第三中隊が周囲の敵性個体を止めていたから近づけました。自分だけで同じことはできません」
人事担当者が、蒼真の返答を端末へ記録していく。
作戦運用部の責任者は表情を変えず、次の質問へ移った。
「評価を終えた現在も、戦闘への抵抗はあるかね」
「あります」
「大型個体を倒したことへの達成感は?」
「作戦が終わり、全員が帰還できたことには安心しました」
「倒したこと自体には?」
「ありません」
「怖かったか?」
「はい」
「それでも戦った」
「止めなければ、作戦を終えられなかったので」
「命令されたからではなく?」
蒼真は第十回評価を思い返した。
八神隊長から作戦命令を受けたことは間違いない。しかし、大型を止める必要があると考えたのは、命令を聞く前からだった。
「命令もありました。ただ、大型を残したまま撤退すれば、生活圏へ移動する可能性がありました。営巣地にいる段階で止める必要はあったと思います」
「敵性個体の討伐が、より多くの市民を守ることにつながると理解した?」
「はい」
「ならば、今後も同様の任務へ就くことに問題はないだろう」
質問ではなく、結論に近い言い方だった。
「必要な時に出動することと、討伐を主な仕事にすることは違うと思います」
蒼真が答えると、四人の視線が集まった。
人事担当者が、資料を一枚進める。
「そこで、今後の処遇について提案がある。現状、君は第三中隊へ所属しながら復興管理局へ出向し、常設即応搭乗者として必要時にはリポルへ搭乗している。複数の立場が重なり、職務の所在が不明確だ」
「はい」
「これを整理し、特別機リポルの専任搭乗者として正式に配置する案が検討されている」
予想していた言葉だった。
蒼真は驚かなかったが、そのまま受け入れることもできなかった。
「専任というのは、リポルへの搭乗を主な職務にするという意味ですか?」
「そう考えてもらって構わない。所属も専任部隊へ変更し、階級、特殊勤務手当、家族への保障についても、現在より良い条件を用意できる」
「任務の内容は?」
「生活圏周辺に確認された営巣地の駆除、敵性個体の集団が確認された場合の即応、大型個体への対処が中心になるだろう」
「復興支援や救助は?」
「任務に含まれる可能性はある。しかし、君とリポルの能力を最も有効に活用するなら、討伐を中心とした運用が適切だと考えている」
提示された条件は悪くない。
階級も手当も上がり、家族への保障も増える。専用機の搭乗者として、組織の中で明確な立場も与えられる。
しかし、その条件が良いかどうかと、その仕事をしたいかどうかは別だった。
「専任搭乗者になるつもりはありません」
蒼真が答えても、面接官たちは驚かなかった。
記録には、蒼真が前線配置や討伐任務を望んでいないことが何度も残されている。断る可能性も、最初から想定していたのだろう。
「理由を聞かせてもらえるかね」
「戦闘を主な仕事にしたくありません。復興現場で、ノストスに乗って工程を管理する仕事を続けたいです」
「君が復興管理局で構築した管理手順は、すでにほかの職員へ引き継がれていると聞いている」
「はい」
「通常の工程管理は、君がいなくても行えるようになった」
「そのために作りました」
「ならば、君が復興管理局へ残る必要性は、以前より低くなっているのではないかね」
蒼真は、相手の意図を確認するため、少し間を置いた。
管理手順によって、机上の工程管理を誰でも追えるようになったことは事実である。しかし、現場で起きる予定外の事故や、複数の作業を同時に調整する仕事までなくなったわけではない。
「ノストスで行っている現場監督は、管理業務に含めないんですか?」
「代替できないとは考えていない」
「自分がいなければ、現場が止まるとは思っていません」
「ならば、ほかの職員へ任せても問題はないだろう」
「はい。引き継ぐことはできると思います」
蒼真が答えると、人事担当者が続けた。
「対して、現行のリポルを実戦運用できる搭乗者は、事実上、君一人だ。代替可能な業務へ君を置き続け、代替困難な任務へ投入しないことは、人員配置として合理的ではない」
一つずつの説明に誤りはなかった。
復興管理局の仕事は、蒼真がいなくても続けられるようになった。リポルへ乗れる人間は限られている。営巣地を放置すれば、生活圏への被害が増える可能性もある。
それらをつなげれば、蒼真を専任搭乗者へする方が合理的だという結論になる。
面接官たちが、何を確認しようとしているのかも分かってきた。
「自分がリポルへ乗りたくないことは、評価に入っていますか?」
「入っている。しかし、軍人が本人の希望だけで任務を選ぶことはできない」
「それは分かっています」
「では、正式に命令された場合はどうする?」
「在籍している間は従います」
「ならば、専任配置にも問題はないはずだ」
蒼真は、その言葉を聞いて確信した。
リポルへ乗れるか。
命令へ従うか。
営巣地へ出動できるか。
市民を守るために戦えるか。
一つずつ聞かれれば、答えはすべて「はい」になる。
しかし、その回答を重ねた先で、専任搭乗者になることまで受け入れた形にされるのは違う。
「これは命令ですか?」
蒼真が問い返すと、面接室が静かになった。
作戦運用部の責任者は、すぐには答えなかった。隣に座る人事担当者と視線を交わし、椅子へ深く座り直す。
「現時点では、君の意思を確認している」
「では、希望しません」
「命令であれば従うが、自分の意思では選ばない?」
「はい」
「矛盾しているとは思わないかね」
「思いません」
監察担当者が、そこで初めて口を開いた。
「説明してもらえるか」
「軍人として在籍している間は、正当な命令に従います。ただ、今後も軍人として在籍し続けるかは、自分で選べると思っています」
「命令の内容によっては、退職するということか?」
「専任搭乗者になることしか認められないのであれば、考えます」
「君には常設即応搭乗者としての責任がある」
「その責任があることは理解しています。必要な時にリポルへ乗ることも、これまで拒否していません」
「しかし、営巣地駆除が継続的に必要となれば、出動回数は増える」
「増えると思います」
「それでも専任にはならない?」
「専任になる必要性とは別です」
蒼真は、面接官たちが示した条件を頭の中で分けた。
復興現場の仕事を続けながら、必要な時だけ招集される。
討伐を主な仕事とし、常に次の営巣地へ備える。
どちらもリポルへ乗ることには変わりない。しかし、任務の合間に戻る場所があるかどうかは、蒼真にとって大きく違った。
「君が辞めれば、リポルを運用できる者がいなくなる。それによって救えなくなる市民や隊員がいるとは考えないのか」
監察担当者の問いに、蒼真はすぐには答えなかった。
結衣の友人の父親のことが浮かんだ。
詳しい状況は知らない。自分がそこにいたとして、本当に助けられたかも分からない。それでも、力を持つ者が早く到着していれば、帰れた可能性まで否定することはできない。
大型を営巣地で止めることが、生活圏にいる誰かを守ることにつながる。そのことも、もう理解している。
「必要な時に出動しないとは言っていません」
「専任を拒めば、継続的な即応体制を構築できない可能性がある」
「自分一人が辞められないことを前提にした即応体制を作るんですか?」
面接官の表情が、僅かに変わった。
「どういう意味かね」
「自分一人しか乗れない機体を作り、自分が辞めれば救えない人が出るから、辞めるべきではないと言われても困ります。自分しかできない状態を直すのは、組織の仕事ではありませんか?」
「現行リポルへ、ほかの搭乗者を乗せるべきだと?」
「乗れる人を増やす必要はあると思います。自分と同じ動きをさせる必要はありません。その人ができることに合わせて、AIと機体側を調整すればいいので」
「それには時間がかかる」
「はい」
「その間に、大型個体が生活圏へ出現した場合は?」
「命令が出れば出動します」
「専任にはならないが、必要な戦闘には参加する。それでは、結果として同じことではないかね」
「違います」
蒼真は、今度は迷わなかった。
「戦闘だけを仕事にすることと、ほかに方法がない時に戦うことは同じではありません」
作戦運用部の責任者が、蒼真の顔を見たまま尋ねた。
「復興管理局での業務が、君でなければならない仕事ではなくなっている。それでも、そちらを続けたい?」
「はい」
「第三中隊へ戻れば、君の能力を考慮し、営巣地駆除を主な任務とする可能性が高い。それでも軍へ残るのか?」
質問の先にある答えは分かっていた。
曖昧に答えれば、専任配置を受け入れたものとして扱われる可能性がある。必要な時には乗るが、戦闘だけを仕事にはしない。その線を明確にするには、受け入れられない場合の選択まで示す必要があった。
「復興管理局への出向を終え、リポルの専任搭乗者になる以外の選択肢がないということであれば、辞めさせていただきます」
面接室から音が消えた。
人事担当者が端末へ向けていた指を止め、監察担当者は椅子へ身体を預けたまま、蒼真を見ている。
蒼真は視線を逸らさなかった。
脅しのつもりはなかった。相手が条件を変えなければ、本当に辞める。
軍人である間は命令に従う。しかし、戦闘を続けるためだけに軍人であり続けるつもりはない。
「搭乗者を引退する、という意味か?」
人事担当者が確認した。
「それだけではありません。復興管理局へ戻る意味もなく、軍でできる仕事がリポルの専任搭乗者だけであれば、現在の職を辞します」
「条件を改善してもかね」
「待遇の問題ではありません」
「家族への保障が増えるとしても?」
「自分が帰れない可能性を増やし、その代わりに保障を増やしてもらう必要はないと思います」
「階級や権限についても、希望はない?」
「ありません」
作戦運用部の責任者は机上の時計を確認したあと、手元の資料を閉じた。
「分かった。ここで一度、休憩にしよう」
蒼真が立ち上がろうとすると、責任者が片手を上げた。
「その前に、済まないね。君のことを把握しておく必要があったものでね」
蒼真は椅子へ座ったまま、相手を見る。
「自分が辞めるか確認していたんですか?」
「辞職そのものを求めたわけではない。君が命令をどのように受け止めるのか、待遇や地位で判断を変えるのか、組織が示した結論へそのまま従う人間なのか。それを確認する必要があった」
「先ほどの聞き方なら、自分が専任搭乗者になると答えると思っていたんですか?」
作戦運用部の責任者は、一度だけ息を吐いた。
「その可能性は高いと見ていた」
「そうですか」
「怒らないのかね」
「聞き方が意図的だったことは、途中で分かりました」
今度は、人事担当者が僅かに目を上げた。
「分かっていた?」
「一つずつの質問には、はいと答えられます。その答えをつなげて、専任搭乗者への同意にしようとしているように見えました」
「だから、これは命令かと確認した?」
「はい。命令であれば従います。意思を聞かれているのであれば、断ります」
「辞職を口にしたのも、意思を明確にするためかね」
「専任になる以外の選択肢がないと考えているのであれば、自分がその条件を受け入れないことを伝える必要があると思いました」
「本当に辞職を認められた場合は?」
「辞めます」
面接官たちは、しばらく何も言わなかった。
やがて監察担当者が、端末へ新しい記録を加える。
作戦運用部の責任者は、閉じた資料の上へ両手を置いた。
「三浦一尉の専用機に関する計画がある」
話が変わったため、蒼真は相手の次の言葉を待った。
「現行量産機では、三浦一尉の入力速度と機体制御が競合し始めている。第十回評価でも、搭乗者より機体側の限界が先に現れた。そこで、リポルの運用記録を基礎に、三浦一尉の操縦特性へ合わせた機体を開発する案が出ている」
「自分は設計の専門ではありません」
「承知している。君は設計については畑違いだからな。求めるとしても、機体そのものの設計ではなく、AI制御と搭乗者入力の分担についての意見だ」
搭乗者制度の担当者が、蒼真の前へ新しい資料を表示した。
そこには、三浦機へ入力された操作と、AIによる補正が重なった箇所が、時系列で記録されている。
「君はリポルのAIへ、戦闘時の判断と、退路や避難状況の管理を分担させた。補正が操縦を妨げる場合には介入範囲を変更し、機体の主導権も移譲させている」
「はい」
「同じ考え方を、三浦一尉の機体へ応用できる可能性がある。君へ制御記録を見せる以上、信頼に足る人物か確認しておく必要があった」
面接の意図は理解できた。
その方法が適切だったかまでは、蒼真には判断できない。しかし、自分が断ったにもかかわらず専任搭乗者へ同意した形にはなっていない。
「復興管理局への出向は、終わるんですか?」
蒼真が尋ねると、作戦運用部の責任者は首を横へ振った。
「現時点で、その決定はない」
「ノストスで行っている現場監督は?」
「継続する」
「リポルの専任搭乗者には?」
「しない」
「営巣地へは行かないんですか?」
「第三中隊所属の常設即応搭乗者である以上、必要な場合は出動を命じる。営巣地駆除も、その任務に含まれる可能性がある」
蒼真は、その条件がどこへつながるのか考えた。
専任搭乗者ではないというだけで、営巣地へ行かなくて済むわけではない。ほかの部隊だけでは対応できない大型個体が確認されれば、リポルの整備が終わり次第、自分へ命令が届く。
それは、今回の評価で証明したことでもある。
自分とリポルを投入すれば、営巣地を駆除できる。生活圏へ現れる敵性個体の数を減らせる可能性もある。
この条件を受け入れれば、軍は今後も必要に応じて自分を呼ぶ。
蒼真には、それが分かっていた。
「今までと同じですか?」
「基本的にはね」
「なら、辞める理由はありません」
人事担当者が端末へ記録を加えながら尋ねる。
「専任搭乗者にはならない。しかし、必要時の出動命令には従う?」
「はい」
「営巣地駆除であっても?」
「ほかに対応できる手段がないのであれば、従います」
「その回答によって、今後も君へ招集命令が出る可能性があることは理解しているかね」
「理解しています」
自分の希望だけを考えるなら、営巣地駆除には出動しないと答えればいい。
しかし、その判断によって、ほかの隊員や生活圏にいる人間が帰れなくなる可能性まで無視することはできなかった。
専任搭乗者にはならない。
戦闘だけを仕事にもしない。
それでも、必要な時まで乗らないとは言えない。
蒼真は、自分で残したその線が、今後も危険な場所へつながっていることを理解したうえで、答えを変えなかった。
*
休憩後の面談では、三浦専用機について、さらに幾つかの質問を受けた。
蒼真は、自分が設計者ではないことを改めて伝えた。しかし、三浦の操作記録を見せられると、AIの補正が遅れを生んでいる箇所は分かった。
「三浦一尉は、機体が傾く前に次の入力を始めています。AIが現在の姿勢を戻そうとすると、その入力と反対へ補正することになります」
「補正を切るべきか?」
「全部切る必要はないと思います。転倒する可能性が高くなった時だけ介入させれば、普段は三浦一尉の入力を優先できます」
「安全性が下がる」
「三浦一尉の場合は、補正が入ることで回避が遅れています。今の設定が安全とは限りません」
搭乗者制度の担当者が、資料へ新しい注釈を加える。
「武装については?」
「自分が使った短槍型パイルは合わないと思います」
「大型個体へ有効だったが」
「固定して撃つために動きを止めます。三浦一尉は、動き続けた方が戦いやすいので」
「では、何が適している?」
「剣か刀です。機体の動きを妨げず、持ち替えなくても小型と中型へ対応できるものがいいと思います」
「大型への決定力が不足する」
「一機で全部を倒す必要はありません」
蒼真は、三浦が大型の注意を引きつけ、その周囲から小型と中型を切り離していった第十回評価を思い返した。
「三浦一尉が大型を動かし、自分が短槍型パイルを使える場所へ誘導できれば、役割を分けられます」
「二機を同じ任務へ投入する前提かね」
「そうしなければ、大型を一機で倒すことになります」
「不可能ではないのだろう?」
「できるかもしれません。ただ、機体が帰れない可能性は高くなります」
「君が三浦一尉と組むことには、異議はない?」
「必要であれば」
答えたあと、その言葉が新しい運用へつながることも分かった。
三浦専用機が完成し、自分と同じ現場へ投入されれば、二機で大型個体へ対処できる。これまで大隊でしか対応できなかった営巣地へ、より少ない部隊で向かえる可能性も生まれる。
それでも、三浦を現在の機体へ乗せ続ける方がいいとは言えなかった。
「ただし、三浦一尉の機体を、自分の機体へ合わせる必要はないと思います」
「理由は?」
「三浦一尉には、三浦一尉の動きがあります。リポルと同じ制御にすると、今と同じように補正が邪魔になります」
「別の機体にするべきだと?」
「同じ基礎構造を使っても、制御は変える必要があります」
搭乗者制度の担当者が、その回答も記録へ加えた。
話を終える直前、作戦運用部の責任者が資料を閉じた。
「最後に、もう一点伝えておく」
蒼真は相手へ視線を戻した。
「君の搭乗する紫色の機体が、パープルファントムと呼ばれ始めていることは、こちらでも把握している」
「はい」
「報道機関から、搭乗者についての問い合わせも来ている。今のところ、氏名や所属へ辿り着いた者はいない。しかし、今後も同じとは限らない」
蒼真の指先へ、僅かに力が入った。
「家族についても調べられますか?」
「可能性はある。だからこそ、明言しておく。軍が君の氏名を公表することはない」
「今後もですか?」
「君の同意なしには行わない。君を報道機関へ売るような真似はしないし、会見へ出すこともない。パープルファントムの搭乗者を、入隊募集や戦意高揚のための広報へ利用するつもりもない」
「家族の情報は?」
「保護対象とする。軍が外部へ提供することはない。取材や接触が確認された場合も、必要な対応を行う」
蒼真は、それまでより深く息を吐いた。
専任搭乗者にされないと確認した時よりも、胸の奥に残っていた力が抜けていく。
自分が何と呼ばれるかより、その名前を追った者が美咲や結衣、昴へ辿り着くことの方が怖かった。
「ありがとうございます」
蒼真が頭を下げると、作戦運用部の責任者は短く頷いた。
「そこは安心してくれ」
*
中央防衛局を出たところで、蒼真は端末に届いていた相馬からの連絡へ気づいた。
《終わったら連絡をくれ》
送信された時刻は、面談が始まる少し前だった。
蒼真が終了したことを伝えると、すぐに返事が届く。
《西側の連絡棟にいる。五分だけ来られるか》
連絡棟へ向かうと、相馬は一階の自動販売機の前で待っていた。軍服姿ではあったが、上着を脱いで片腕へ掛け、紙コップの飲み物を片手に持っている。
「長かったな」
「途中で休憩が入ったから」
「何を聞かれた?」
「一度、辞めると言った」
相馬は紙コップへ口をつけかけた姿勢で止まった。
「何があった?」
「リポルの専任搭乗者になるよう誘導されたから、その条件しかないなら辞めると答えた」
「誘導されたのは分かったのか?」
「途中で分かったよ」
「分かってて辞めるって言ったのか」
「専任にはならないと何度も答えた。それでも、その前提で話を進めるなら、受け入れないことを明確にする必要があったから」
相馬は紙コップを口から離し、蒼真をしばらく見た。
「お前、高校の頃から、たまに思い切りが良すぎるんだよ」
「辞める時は、辞めると伝えた方がいいと思う」
「それが良すぎるって言ってるんだ」
相馬は呆れたように息を吐いたが、口元には僅かに笑みがあった。
「それで、本当に辞めるのか?」
「辞めない。今までどおり、普段は復興管理局で働くことになった」
「営巣地は?」
「必要な時には行く」
「結局、今までと同じじゃないか」
「うん」
「お前、専任は断ったのに、呼ばれたら行くとは答えたんだな」
「必要なら」
相馬の笑みが消えた。
「それを言ったら、また呼ばれるぞ」
「分かってる」
「分かってるのかよ」
「専任になることと、必要な時にも行かないことは違うから」
相馬は何か言いかけたが、最後には首を横へ振った。
「お前が分かって決めたなら、俺からは何も言わない」
「ありがとう」
「褒めてないぞ」
相馬は紙コップに残っていた飲み物を飲み切ると、周囲を確認し、蒼真を自動販売機の横へ促した。
「ここからは、オフレコで頼む」
「何?」
「山で捕まえた幼体、三匹とも生きてるぞ」
蒼真は、回収用の檻へ入れられた一体と目が合った時のことを思い出した。
「解剖は?」
「しない。親と思われる大型の死骸が残ってるから、身体を調べるだけなら、そっちで足りるらしい」
「そう」
蒼真の返事が短かったため、相馬が顔を覗き込む。
「驚かないのか?」
「処分したとは聞いてなかったから」
「じゃあ、こっちはどうだ。三匹とも、人間に慣れ始めてる」
蒼真は相馬を見た。
「慣れるの?」
「最初は檻の奥で固まってたらしい。でも、餌を持ってくる人間を覚えた。今は時間になると、三匹揃って柵の前で待ってるそうだ」
「大型になる個体だよね?」
「遺伝的にはな」
「攻撃しないの?」
「今のところは。柵を壊そうともしないし、担当者が近づいても威嚇しなくなった。水場を作ったら、三匹とも入ったまま出てこなくなったらしい」
「どうするの?」
「それが決まらない」
相馬は苦笑し、空になった紙コップを回収箱へ入れた。
「軍施設で育てるのか、研究施設へ移すのか、誰が責任を持つのか。敵性個体のまま扱うのか、別の分類を作るのか。会議は始まったが、本気で困ってる」
「処分は?」
「今のところ、その案は採らない。生きた状態で、成長や行動を確認する方が情報を得られるからな」
理由は研究上の必要性だった。
それでも、三体が生き続けることに変わりはない。
蒼真は、自分の肩から僅かに力が抜けたことに気づいた。
「生きているなら、それでいいと思う」
「そう言うと思った」
「どうして自分に教えたの?」
「お前、気にしてただろ」
「相馬が教えると決めたの?」
相馬は蒼真から視線を外し、廊下の奥を見た。
「そこもオフレコで頼む」
「八神さん?」
「答えない」
「今ので分かったと思う」
「分かったとしても、俺は何も言ってない」
相馬は片腕へ掛けていた上着を着ると、襟元を整えた。
「まだ正式な扱いは何も決まってない。家族にも話すなよ」
「分かった」
「本当に話さないよな?」
「オフレコなんでしょう」
「お前の場合、そこは心配してない。ただ、美咲さんに聞かれた時、変な顔をしそうだから」
「変な顔はしないと思う」
「自分では分からないだろ」
相馬は最後にそう言い残し、連絡棟の奥へ戻っていった。
*
蒼真が帰宅すると、居間の食卓には結衣の夏休みの宿題が広げられていた。
旅行から帰った翌日くらい休ませてほしいと訴えたらしいが、美咲から、旅行前にも同じことを言っていたと返され、逃げ道を失ったらしい。
昴は結衣の隣へ座り、白い紙へ青と赤の線を何本も描いている。民芸館で作った皿とよく似ていたため、蒼真には何を描いているのか分かった。
「リポル?」
「りぽる!」
昴は嬉しそうに紙を持ち上げた。
「今回は紫も使ってるね」
「むらさき、ない」
「それは青だよ」
「りぽる!」
「本人がそう言うなら、リポルでいいんじゃない?」
結衣は昨日と同じことを言い、問題集へ視線を戻した。
台所にいた美咲が火を弱め、蒼真を見る。
「おかえり」
「ただいま」
「話は終わった?」
「終わったよ」
「何か決まった?」
「今までどおりになった」
美咲は一度頷いたが、蒼真の顔を見たまま、すぐには料理へ戻らなかった。
「それだけじゃなさそうね」
相馬が言ったとおり、自分では分からない顔をしていたのかもしれない。
「食事の時に話すよ」
「分かった」
夕食の支度が整い、四人が食卓へ揃う。
昴は煮物の人参を箸で挟もうとして、何度も皿の端へ逃がしていた。結衣は旅行明けに宿題を再開させられたことへ不満を漏らしていたが、蒼真が箸を持たないまま座っていることに気づくと、言葉を止めた。
美咲が蒼真の前へ小鉢を置く。
「今日の話、聞かせて」
「一度、辞めさせていただきますと話した」
美咲の手が、小鉢から離れる直前で止まった。
煮汁の表面が小さく揺れ、やがて静まる。
結衣も味噌汁の椀から顔を上げた。昴だけは意味が分からず、逃げ続ける人参を追っている。
「何を辞めるの?」
美咲の声は静かだった。
「軍と、復興管理局の仕事」
「朝は、そんな話をしてなかったよね」
「朝は、辞めるつもりがなかったから」
「面談で、何があったの?」
蒼真は、専任搭乗者として提示された条件から順番に説明した。
階級や手当、家族への保障が増えること。復興管理局では、自分が作った管理手順によって事務管理をほかの職員へ引き継げるようになったこと。リポルを実戦運用できる搭乗者は、今のところ自分しかいないこと。
話を聞くうちに、美咲の表情が少しずつ変わっていった。
「それで、軍人なら命令に従うのが当然だと言われたの?」
「任務は本人の希望だけで選べないと言われた」
「蒼真は?」
「在籍している間は、命令に従うと答えた」
「そしたら、専任搭乗者になっても問題ないって?」
「うん」
美咲は箸を置き、食卓の向こうから蒼真を見つめた。
「それ、蒼真に『なります』って言わせようとしてるよね」
「途中で分かったよ」
美咲の目が、僅かに見開かれた。
結衣も、父親が気づいていなかったと考えていたのか、黙って蒼真を見る。
「分かってたの?」
「一つずつ聞かれれば、はいと答えられる質問だった。その答えをつなげて、専任搭乗者への同意にしようとしているように見えたから、これは命令なのか確認した」
「命令だって言われたの?」
「意思を確認していると言われた」
「なら、断ったのね」
「うん。でも、復興管理局へ置く必要性は下がっていて、第三中隊へ戻れば営巣地駆除が主な任務になると説明された」
美咲の眉間へ、僅かに皺が寄る。
「戻る場所をなくしてから、もう一度、専任になるか聞いたの?」
「そう見えた」
「それで辞めるって言ったの?」
「専任になる以外の選択肢を認めないのであれば、自分がその条件を受け入れないことを、はっきり伝える必要があると思ったから」
「本当に退職を認められたら?」
「辞めてたよ」
蒼真が迷わず答えると、美咲はしばらく何も言わなかった。
怒っているというより、蒼真がどこまで考えてその言葉を使ったのかを確かめているようだった。
「家族への保障を増やすと言われても?」
「自分が帰れない可能性を増やして、その代わりに保障を増やしてもらう必要はないと思う」
美咲の視線が、結衣と昴へ動いた。
結衣は両親の会話を黙って聞いている。昴はようやく人参を挟むことに成功し、箸を持ち上げたまま、三人を順番に見ていた。
美咲は、蒼真へ視線を戻した。
「それなら、私でも軍に三行半を突きつけるわね」
「三行半って、離婚する時の言葉じゃないの?」
結衣が口を挟むと、美咲は少しだけ考えた。
「気持ちとしては同じです」
「軍と離婚するの?」
「前線の専任搭乗者にするならね」
美咲の返事があまりにも真面目だったため、結衣の口元が僅かに緩んだ。
蒼真も力を抜きかけたが、美咲の視線が戻ってくると、もう一度背筋を伸ばす。
「専任搭乗者を断ったことも、その条件しかないなら辞めると伝えたことも、私は責めないよ」
「うん」
「でも、本当に退職届を出す前には、一度家へ持ち帰って」
「まだ退職届は出してないよ」
「だから、そこまでは正解」
「正解なんだ」
「子どもが二人いるんだから、実際に辞めたあとのことは家族で話します」
結衣が、自分も忘れないでほしいと言うように片手を上げた。
「私も、もう中学生だからね」
「分かってるよ」
「分かってるなら、辞める前に言って」
「今回は、辞める条件を伝えただけだよ」
「そのまま認められたら辞めてたんでしょ?」
「うん」
「やっぱり、帰ってから話して」
結衣に言われ、蒼真は頷いた。
「次からは、正式に手続きを始める前に話す」
「次があるの?」
「ない方がいいと思う」
「お父さんの場合、またありそうなのが怖いんだよ」
美咲は結衣の言葉を否定せず、話を先へ進めた。
「それで、今はどうなったの?」
「復興管理局への出向は続く。普段はノストスで現場監督をして、必要な時だけ第三中隊の搭乗者としてリポルへ乗る」
「専任にはならないのね」
「ならない」
「営巣地へは?」
「必要な場合は行く」
美咲の表情から、戻りかけていた笑みが消えた。
「それを言ったら、また呼ばれるって分かってるよね」
「分かってる」
「分かっていて、答えたの?」
「専任になることと、必要な時にも行かないことは違うから」
「行きたいの?」
「行きたくないよ」
「なら、どうして?」
「ほかに対応できる部隊や機体があるなら、自分が行く必要はない。でも、リポルしか間に合わない時に、自分は乗らないとは言えない」
美咲は、すぐには言葉を返さなかった。
結衣も食卓の下へ両手を下ろし、父親の顔を見ている。
「お父さん、自分で危ない方へ行く道を残したんだ」
「危ない方を選んだつもりはないよ」
「でも、その道を消さなかったんでしょ」
「必要になるかもしれないから」
「それを、自分で自分の首を絞めてるって言うんだよ」
結衣の言葉に、蒼真は少し考えた。
「でも、専任搭乗者にはならなかったよ」
「そこだけ見ればね」
「普段の仕事も続けられる」
「分かってる。分かってるけど、お父さんって、頭がいいのか悪いのか分からなくなる」
「考えた結果だよ」
「それが分かるから困ってるの」
結衣は呆れたように息を吐いたが、父親が何も考えずに返事をしたとは思っていない。そのことが、表情からも分かった。
美咲は俯きかけた顔を上げ、蒼真を見る。
「本当にほかに方法がなければ、行くのね」
「うん」
「帰る方法も考えてから?」
「帰れない条件なら、行かない。自分だけではなく、一緒に行く隊員も帰れなくなるから」
「なら、それは忘れないで」
「忘れないよ」
美咲はそれ以上、行かないでとは言わなかった。
言えば蒼真が困るからではない。営巣地を放置した先で、誰かの家族が帰れなくなる可能性を、美咲も理解してしまっているからだった。
昴は三人の話が途切れたことを確認すると、蒼真へ顔を向けた。
「ぱぱ、おしごと、ない?」
「あるよ」
「のすとす?」
「明日からは、ノストスで現場へ行く」
「りぽる?」
「リポルは修理中だよ」
「こわれた?」
「少し損傷したから、整備してもらってる」
昴の眉が下がり、蒼真の袖を小さな手で掴んだ。
「りぽる、いたいいたい?」
「機械だから、痛くはないと思う」
「まきの、なおす?」
「牧野さんたちが直してくれるよ」
昴は少し考えたあと、袖から手を離した。
「じゃあ、だいじょうぶ」
「そうだね」
昴の中では、リポルの問題は解決したらしい。
美咲も小さく息を吐き、食卓へ置いていた箸を取り直した。
「ほかに、今日決まったことは?」
「軍は、自分の名前を公表しない。パープルファントムの搭乗者として、広報にも使わないと言われた」
美咲の箸が、煮物を挟む直前で止まった。
「家族のことは?」
「個人情報を外部へ出さず、取材や接触があった場合も対応すると説明された」
「本当に?」
「本人の同意なしには、自分のことも公表しないと言われた」
美咲の肩から、ゆっくり力が抜けていく。
結衣も棚に飾られた家族写真へ目を向けた。写真の中では、甲冑姿の父親と母親、薙刀を持った自分、若君姿の昴が、揃って笑っている。
「学校で、お父さんのことを聞かれたりしない?」
「軍から情報が出なければ、すぐには分からないと思う」
「絶対ではないんだ」
「誰かが調べる可能性はある。でも、その時は対応してくれる」
「なら、少しは安心かな」
結衣が写真から視線を戻す。
美咲も完全に不安を消したわけではない。それでも、自分たちの知らないところで夫や家族が広報へ利用されることはないと分かり、張りつめていた表情は少しずつ普段のものへ戻っていった。
「ほかには?」
美咲から尋ねられ、蒼真は相馬から聞いた話を思い出した。
三体とも生きている。
解剖される予定もなく、人間に慣れ始めている。
話せば、美咲も結衣も安心するだろう。しかし、正式な扱いが決まっていないため、家族にも話さないよう相馬から言われている。
蒼真が答えずにいると、美咲がその沈黙へ気づいた。
「まだ何かあるの?」
「あるけど、話せない」
「危険な話?」
「危険ではないと思う」
「仕事の秘密?」
「オフレコで聞いた」
美咲は蒼真の顔をしばらく見つめたあと、それ以上は尋ねなかった。
「なら、聞かない」
「ごめん」
「危険なことなら、話せる範囲で教えて。でも、そうじゃないなら、決まってからでいいよ」
「うん」
結衣は気になっている様子だったが、美咲が聞かないと決めたため、自分も尋ねなかった。
昴だけが、話せないという言葉へ反応する。
「ぱぱ、ないしょ?」
「そうだね」
昴は自分の口へ両手を当てた。
「すばる、ないしょ、できる」
「今回は、昴にも話さないよ」
「できる!」
「聞いてから秘密にするんじゃなくて、最初から聞かない秘密なんだよ」
昴には違いが分からなかったらしく、不満そうに頬を膨らませた。
その顔を見て、結衣が笑う。美咲の口元にも小さな笑みが戻り、食卓に残っていた緊張が、ようやく薄れていった。
*
夜。
日記。
―――
休暇が終わった。
朝、家族で食事をした。
昴は城で買った木刀を食卓へ持ってきたが、美咲から置いてくるように言われた。
殿様でも、食事の時には刀を置くらしい。
本日、中央防衛局で、十回の評価結果と今後の運用について面談を受けた。
リポルの専任搭乗者になる意思があるか聞かれた。
ないと答えた。
リポルへ乗れるか。
命令へ従うか。
営巣地へ出動できるか。
市民を守るために戦えるか。
一つずつであれば、すべて、はいと答えられる。
ただし、その回答を重ねて、専任搭乗者になることまで受け入れた形になるのは違うと思った。
命令ではなく、自分の意思を確認していると説明されたため、専任搭乗者になる意思はないと伝えた。
復興管理局への出向を終え、リポルの専任搭乗者になる以外の選択肢を認めないのであれば、現在の仕事を辞めるとも伝えた。
脅すためではない。
その条件であれば、本当に辞めるつもりだった。
面談では、自分が命令をどのように考えるのか、待遇や階級によって判断を変えるのか、確認していたらしい。
三浦一尉の専用機を開発する計画があり、自分にも運用記録を見せる可能性があるため、信用できるか確認する必要があったと説明された。
自分は設計者ではない。
ただし、三浦一尉の入力とAIの補正が競合している箇所は確認できると思う。
復興管理局への出向は継続する。
ノストスで現場監督を行い、必要な場合は第三中隊の搭乗者としてリポルへ乗る。
専任搭乗者にはならない。
今後も営巣地へ行く可能性はある。
この条件を伝えれば、軍が必要に応じて自分を招集することも分かっている。
ただし、必要な時にも出動しないと答えることはできなかった。
そのため、辞める理由はなくなった。
軍は、自分の氏名を公表せず、パープルファントムの搭乗者として広報へ使うこともないと説明した。
家族の情報も保護される。
安心した。
帰宅後、美咲と結衣へ、一度仕事を辞めると答えたことを話した。
美咲は、同じ条件であれば、自分も軍へ三行半を突きつけると話していた。
三行半の使い方は少し違うと思う。
ただし、本当に退職届を出す前には、一度家へ持ち帰るように言われた。
次からは、正式な手続きを始める前に家族へ話す。
結衣から、自分で自分の首を絞めていると言われた。
専任搭乗者にはならず、復興現場の仕事も続けられるため、希望した条件にはなった。
間違ってはいないと思う。
相馬から聞いた話は、記録へ残さない。
生きているなら、それでいい。
明日はノストスで現場へ出る。
以上。
―――
同じ頃、中央防衛局では、橘蒼真への面談記録が正式な評価資料へ追加されていた。
命令と提案を区別して理解する能力に問題はない。
複数の質問が、専任搭乗者への同意を得るために構成されていることを面談途中で認識。
命令であるか、本人の意思確認であるかを明確にしたうえで、専任配置を拒否した。
在職中の正当な命令には従う。
一方、本人が受け入れられない職務のみを提示された場合には、地位、待遇、階級、家族保障へ固執せず、退職を選択する。
辞職発言は衝動的なものではない。
提示された条件への拒否を明確にするための意思表示であり、実際に退職を受け入れる意思も確認された。
組織への依存、戦闘行為への執着、名誉欲は認められない。
自分のみが運用可能な状態を、組織上の問題として認識している。
代替搭乗者の育成および搭乗者ごとのAI調整を提案。
軍人としての規律に問題はない。
状況を理解したうえで、組織の判断と自身の意思を分けて回答できる。
独立した状況判断を必要とする任務への適性は高い。
特別機リポルの専任搭乗者配置案。
不適。
復興管理局への出向を維持したまま、第三中隊所属および常設即応指定を継続する現行運用。
適。
必要時、営巣地駆除任務を含む招集命令への服従意思。
確認済み。
本人は、同回答によって今後も招集対象となることを理解している。
説明不足による同意ではない。
本人の意思による選択と判断する。
三浦直人一尉専用機の開発に伴う運用記録の閲覧およびAI調整への協力。
支障なし。
本人の氏名、所属、家族情報は非公開を継続する。
本人の同意なく、パープルファントムの搭乗者として報道対応および広報活動へ使用しない。
橘蒼真の運用について、新たな専任部署を設ける必要はない。
現行運用の継続が、最も合理的である。
記録を閉じる直前、作戦運用部の責任者は、蒼真が答えた言葉をもう一度確認した。
専任搭乗者にはならない。
戦闘だけを仕事にもしない。
それでも、ほかに対応できる手段がない場合は出動する。
本人が守ろうとした境界を維持することで、必要時の招集にも応じさせることができる。
十回の評価を終えた現在、橘蒼真を最も安定して運用できる形は、すでに完成していた。
本人が、その条件を明確にした。
追加の通知は不要。
現行運用を継続する。
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