第九十六話 殿様の家
翌朝、蒼真が目を覚ますと、遮光カーテンの隙間から差し込んだ光が、ホテルの床へ細長く伸びていた。
隣のベッドでは、昴が掛け布団を蹴り落とし、結衣の脇腹へ片足を載せたまま眠っている。夜中に何度か転がったらしく、眠りについた時とは頭と足の向きまで逆になっていたが、蹴られている結衣も疲れているのか、眉間へ皺を寄せながら眠り続けていた。
窓際では、すでに着替えを終えた美咲がカーテンを少しだけ開け、朝の町を眺めている。昨日は夕暮れの中に浮かんでいた城が、朝日に照らされた町並みの向こうへ、白い壁と黒い屋根をはっきり見せていた。
「おはよう」
蒼真が声を抑えて呼びかけると、美咲は窓から振り返り、眠っている子どもたちを一度見てから小さく笑った。
「おはよう。今日は起こすまで寝かせておこうと思ったんだけど、結衣はそろそろ危ないかも」
その言葉に蒼真が時計を見ると、朝食会場へ向かう予定まで三十分を切っていた。
いつもの朝なら、結衣が寝坊していても、美咲が何度か声をかけるうちに自分で起きてくる。しかし今日は自宅ではなく、制服へ着替える必要もないため、本人も気を抜いているのだろう。
蒼真はベッドへ近づき、結衣の肩を軽く揺らした。
「結衣、そろそろ起きないと朝食の時間に遅れるよ」
「起きてる……」
目を閉じたまま答えた結衣の声に合わせ、脇腹へ載っていた昴の足が動いた。踵が腹へ落ちると、結衣は身体を折るようにして目を開き、そのまま弟の足首を掴んだ。
「昴」
「んぅ……」
「起きてるなら、自分のベッドに戻って」
「ここ、すばるの」
「昨日は私が寝てたの」
「いま、すばるの」
寝ぼけたまま領有権を主張する昴から足を退けると、結衣は髪を乱した姿で上体を起こし、窓の外へ目を向けた。視線の先に城を見つけた途端、眠気の残っていた表情が少しだけ変わる。
「今日、あそこに行くんだよね」
「その予定だよ。だから先に顔を洗っておいで」
「分かってる。あと何分?」
「二十七分」
「先に時間を言ってよ!」
結衣がベッドから飛び降り、洗面所へ駆け込む。閉まった扉の向こうで水音が響き始めると、昴もようやく目を開き、自分だけが布団へ残されていることに気づいた。
「ねぇね、どこ?」
「顔を洗ってるよ」
「すばるも」
両腕を伸ばしてきた昴を蒼真が抱き上げると、美咲はテーブルの上へ置いていた子ども服を手に取り、二人の後ろから洗面所へ向かった。
自宅でも旅行先でも、結局、朝の慌ただしさは変わらなかった。
*
城下町の入口までは、ホテルから路面電車で二駅だった。
車窓を流れていた新しい商業施設が次第に低くなり、軒を揃えた建物や白壁の塀が増えてくると、昴は座席へ膝をつき、窓へ額を近づけた。
「おしろ、ない」
「建物に隠れてるだけ。降りたら見えるよ」
結衣が昴の服を引いて座らせようとするものの、電車が曲がるたびに城を探して身体を揺らすため、最後には諦めて背中を支えていた。
停留所を降りると、城下町の大通りには格子戸を備えた店が並び、その向こうから天守の上半分だけが覗いていた。通りの中央を流れる細い水路には朝の光が揺れ、軒先に吊るされた風鈴が、風を受けるたびに違う高さの音を鳴らしている。
蒼真たちは予約していた人力車へ乗り、城下町を一周することになった。
二台に分かれ、蒼真と昴、美咲と結衣がそれぞれ乗り込むと、昴は座席の高さに驚いたらしく、蒼真の腕を掴みながら足元を覗き込んだ。人力車が動き出してからも緊張した顔をしていたが、通りを歩く人に手を振られると、すぐに片手を上げて応え始めた。
「すばる、えらいひと?」
「乗っているだけで偉くはならないよ」
「でも、手を振ってもらってるじゃん」
隣の人力車から結衣に言われ、昴はさらに背筋を伸ばした。
車夫は、昔ながらの商家が残る通りを抜けると、武家屋敷の塀に沿って速度を落とした。瓦を載せた土塀の途中には、外側から敷地の中を見通せないよう屈曲した門があり、その先の道も、奥へ向かって緩く曲がっている。
「真っすぐ入れないんだ」
結衣が門の奥を覗き込みながら呟くと、車夫が振り返った。
「外から屋敷の中を見えにくくするためですね。万一、敵が入ってきても、勢いをつけたまま奥まで来られません」
「それだけではないと思います」
蒼真は門の横に残された石積みと、反対側へ張り出した塀を見ていた。入口から入った人間は、正面の壁へ突き当たってから右へ曲がらなければならず、その間、塀の内側からは身体の左側を狙える。
言いかけた蒼真に、美咲が隣の人力車から視線を向ける。
「仕事ではありません」
「まだ何も言ってないよ」
「説明を始めそうな顔をしていました」
「お父さん、昨日も建物の避難口を数えてたからね」
「数えていたわけじゃない。見えたから確認しただけだよ」
結衣が疑うように目を細めたところで、前を向いていた昴が両手を広げた。
「おしろ!」
通りの先で建物が途切れ、石垣の上に建つ天守が姿を現していた。
城は町を見下ろす小高い丘にあり、その手前を、夏の光を反射する広い堀が囲んでいる。対岸の石垣は水面から急角度で立ち上がり、上へ向かうほど僅かに反っていた。遠くから見れば穏やかな水辺に見えるが、舟を使わずに渡るのは難しく、岸へ辿り着いても石垣を登れる場所はほとんどない。
人力車を降りた昴は、堀の向こうを指差した。
「あれ、だれのおうち?」
蒼真が説明板を確認しようとすると、昴は答えを待たず、覚えたばかりの言葉を大きな声で続けた。
「とのさまのおうち!」
「そうだね」
美咲が笑って答えたため、蒼真も説明板から目を離した。
「大きく間違ってはいないと思う」
「細かいことを言うと、何が違うの?」
「住む場所だけではなく、政務を行う場所でもあったから」
「難しいから、殿様のお家でいいよ」
結衣に話を終わらされ、蒼真はもう一度城を見上げた。
正面の橋を渡った先には大きな門があり、観光客が横に並んで入れるほどの幅がある。ところが門をくぐると道はすぐに左へ折れ、石垣に挟まれながら緩い坂を上り始めた。
その先で道は右へ曲がり、幅も一段狭くなる。前を歩く団体客が立ち止まると、後ろにいた人々は追い越すことができず、自然に長い列ができた。
蒼真は足を止め、曲がり角の上に築かれた櫓と、石垣の途中に開いている細い穴を見上げた。
最初の門は大人数を受け入れられるほど広い。しかし、入った者は曲がるたびに横へ広がれなくなり、前が止まれば後ろも動けなくなる。その間、城内からは高い位置を取ったまま、道へ集まった敵を狙えるようになっていた。
「よく考えてあるね」
蒼真が呟くと、前を歩いていた美咲が振り返った。
「何が?」
「入口では人を入れているのに、奥へ進むほど人数を絞る構造になってる。ここで先頭を止められたら、後ろは何もできない」
「お父さん、楽しそうだね」
結衣に言われ、蒼真は石垣から娘へ視線を戻した。
「楽しんでいるわけではなく、どうしてこうなっているのかを考えていただけだよ」
「旅行中にまで、全体の動きを見なくてもいいと思う」
「見ようとしたわけじゃないんだけど」
弁解しながら歩き出した蒼真の横を、昴が小走りで追い越していく。道がまた曲がったところで、美咲に呼び止められた昴は不満そうに戻ってきたが、壁に開いた小さな穴を見つけると、今度はそちらへ顔を近づけた。
「ここ、なに?」
「狭間だって。昔、ここから弓や鉄砲で外を狙ったみたい」
説明板を読んだ結衣が答えると、昴は穴の向こうを覗いたまま手を前へ出した。
「どーん?」
「多分、それで合ってる」
「結衣まで簡単に説明しないでよ」
「二歳に火縄銃の仕組みを説明するの?」
美咲に問われ、蒼真は昴の横へ屈み込んだ。
「ここから外にいる人を見ていたんだよ」
「ぱぱも、みる?」
「見ないよ」
「もう見てたじゃん」
結衣に指摘されると、美咲が笑いを堪えるように口元へ手を添えた。
*
天守の中には、城主が使用した部屋の再現や城下町の模型に加え、刀や火縄銃、甲冑などが並べられていた。
昴は甲冑を見るたびに足を止め、顔を覆う面頬を怖がりながらも、離れるともう一度見たがった。結衣は刀の刃よりも、柄や鞘に施された細かな装飾へ興味を示し、展示ケースへ顔を近づけている。
美咲は、古い柱へ残された深い傷の前で立ち止まった。
説明には、城内の建物から回収された部材であり、傷がいつ、どのような事情でついたものかは分かっていないと書かれている。刀傷と呼ばれているものの、実際に戦いの中でついたのか、後世についたものなのかまでは断定されていなかった。
美咲は傷へ触れようとはせず、少し離れた位置から眺めたあと、そのまま次の展示へ歩き出した。
結衣も一度だけ傷へ目を向けたが、何も尋ねなかった。代わりに、甲冑の前から動こうとしない昴の手を取り、蒼真たちのところまで連れてくる。
「次、上だって」
天守の上階へ続く階段は、普段使う建物のものより急で、横幅も狭かった。昴は最初こそ手すりを掴み、自分で上ろうとしたものの、一階分を上がったところで足を止めた。
「ぱぱ」
「どうしたの?」
「だっこ」
「さっき、自分で上るって言ったよね」
「もう、のぼった」
「一階しか上ってないよ」
昴は返事をせず、両腕を蒼真へ伸ばした。
後ろから別の観光客が来ているため、その場で話し合いを続けることもできない。蒼真が抱き上げると、昴は当然のように首へ腕を回し、残りの階段を自分の足で上る意思を完全に失った。
「訓練より大変そうだね」
前を歩く結衣が振り返った。
「訓練なら、途中で重量が増えることはないからね」
「おもり、ない!」
蒼真の腕の中で、昴が不満そうに身体を揺らした。
「重くない、って言いたいの?」
「すばる、おもり、ない!」
「聞こえてたんだ」
昴がもう一度強く言い返したため、前を歩いていた結衣が階段の途中で笑い出した。
最上階まで上り切る頃には、蒼真の額へ汗が浮かんでいた。
四方を見渡せる展望階には涼しい風が抜け、眼下には城下町の屋根と、そこを貫く大通りが広がっている。先ほど渡った橋は小さく見え、その向こうでは新しい町の高層建築が夏空へ伸びていた。
蒼真が昴を下ろすと、今まで疲れた様子を見せていた息子は、何事もなかったように窓際へ走っていった。
「ぱぱ、ちっちゃい!」
「ここにいるよ」
「おうち、ちっちゃい!」
「家は見えないと思うよ」
昴が指差している方角は、橘家とはまるで違っていた。
結衣が笑いながら隣へ立ち、美咲も二人の後ろから町を眺める。蒼真は少し遅れてその横へ並び、昴がどの建物を自宅だと思っているのか説明しようとしたが、誰も正しい方角を求めていなかったため、言うのをやめた。
*
天守を下りた先には、時代衣装を身につけて撮影できる体験場所が設けられていた。
入口に並べられた衣装を見つけた結衣が足を止め、昴も色鮮やかな陣羽織へ引き寄せられる。二人が揃って振り返った時点で、蒼真には、このまま通り過ぎる選択肢が残されていないことが分かった。
「お父さんたちも着るよね」
「子どもだけでいいんじゃない?」
「家族写真なんだから、全員着ないと意味ないでしょ」
結衣に押されるまま受付へ向かうと、係員は四人分の衣装を手際よく選び始めた。
昴には深い青色の着物と、小さな陣羽織が用意された。柔らかな布で作られた烏帽子を頭へ載せてもらうと、本人も気に入ったらしく、鏡の前で何度も自分の姿を確認している。
結衣は姫装束を勧められたが、隣に掛けられていた袴を選んだ。髪を後ろで結び直し、撮影用の薙刀を受け取ると、柄の中央を持って軽く重さを確かめる。
「振らないでね」
蒼真が声をかけると、結衣は呆れたように父親を見た。
「こんなところで振らないよ」
「一応、言っておこうと思って」
「お父さんじゃないんだから」
「自分も振らないよ」
二人が話している間に、美咲は係員から女性用の甲冑を渡されていた。
「私も着るんですか?」
「ご家族で並ばれるなら、ご両親はこちらの方がまとまりますよ」
係員の笑顔に押され、美咲が蒼真へ目を向ける。その視線を受けた蒼真が隣を見ると、自分のために用意された甲冑が、すでに台の上へ置かれていた。
「自分もですか?」
「お父様には、こちらをお願いします」
蒼真が断る理由を探しているうちに、美咲は諦めたらしく、係員の案内に従って甲冑を身につけ始めた。自分だけ着ないわけにもいかず、蒼真も胴を着け、肩を覆う袖を紐で留めてもらう。
実用品ではなく撮影用に軽く作られているものの、身体の動きが制限される感覚は、操縦席で固定具を装着する時とはまるで違う。蒼真が腕を動かして可動範囲を確かめていると、甲冑姿になった美咲が隣から見上げていた。
「何をしてるの?」
「どこまで動かせるのか確認してた」
「写真を撮るだけです」
「分かってるよ」
撮影場所へ移動すると、若君姿の昴が中央へ立ち、その左右を甲冑姿の蒼真と美咲が固めた。結衣は美咲の隣で薙刀を立て、姿勢を整える。
撮影係は四人を見渡し、思わず漏れたように言った。
「強そうなご家族ですね」
結衣が薙刀を持ったまま美咲を見る。
「実際、一番強いのはお母さんだから」
「結衣?」
「間違ってないでしょ」
昴も意味を理解しないまま、美咲を見上げて両手を上げた。
「まま、つよい!」
蒼真が頷くと、美咲の視線がすぐに隣へ移る。
「蒼真まで?」
「家族の中では、そうだと思う」
「外ではお父さんの方が強いんじゃない?」
「比べるものではないよ」
結衣はしばらく蒼真を見たあと、美咲へ向き直った。
「でも、お父さんに甲冑は似合わないね」
「そう?」
「守る方が似合ってるから、盾を持たせた方がいい」
撮影用の小道具に盾はなかったが、係員は何がおかしかったのか、小さく吹き出した。
美咲も堪えきれずに笑い、昴は周囲につられて声を上げる。最後まで真面目な顔を保とうとしていた蒼真も、家族全員から見られているうちに表情を崩した。
その瞬間に、撮影係がシャッターを切った。
出来上がった写真には、幼い若君を守る戦国武将の一家ではなく、甲冑や袴を身につけたまま笑っている橘家の四人が写っていた。
*
三日目は城下町を離れ、路面電車の終点近くにある民芸館を訪れた。
古い倉庫を改装した館内では、土地に残る織物や木工品、焼き物などが展示され、その一角では簡単な絵付けを体験できた。結衣は小皿へ城と夏空を描き、美咲は小さな花をいくつも重ねている。
昴にはまだ細かな絵を描くことが難しく、最初は蒼真が手を添えていた。しかし途中から自分だけで筆を動かしたがり、青や赤の線を皿いっぱいに広げていく。
「これは何を描いたの?」
美咲が尋ねると、昴は迷わず答えた。
「りぽる!」
蒼真には、どの線がリポルなのか分からなかった。
「紫を使ってないよ」
「りぽる!」
「本人がそう言うなら、リポルなんじゃない?」
結衣に言われ、蒼真はもう一度皿を見た。青い線が中央から外へ何本も伸び、その上へ赤い丸が重なっている。
「どの部分が?」
「説明を求めたら駄目だよ。芸術なんだから」
結衣は自分の皿へ筆を戻しながら、もっともらしいことを言った。
完成した皿は焼成後に自宅へ送られることになり、昴は持って帰れないと知って少しだけ不満そうな顔をした。それでも商店街へ入ると、店先に並ぶ菓子や玩具へ意識を奪われ、皿のことはすぐに忘れてしまった。
昼食を終えてホテルへ戻ったあとは、約束していた屋内プールへ向かった。
結衣は先に水へ入り、端から端まで泳いでみせたが、昴は浅い子ども用プールへ足を入れたところで立ち止まった。昨日まで楽しみにしていたはずなのに、水面が揺れると蒼真の手へ両腕でしがみつき、離れようとしない。
「怖い?」
「こわくない」
「なら、少し歩いてみようか」
「ぱぱも」
「一緒に入ってるよ」
「だっこ」
結局、昴は蒼真に抱かれたまま水へ入り、身体が浮く感覚へ慣れるまで胸元から離れなかった。美咲はその様子をプールサイドから見守り、結衣は何度も近くを泳いでは、昴の顔へ水をかけない距離で止まった。
しばらくすると、昴は蒼真の腕に支えられながら足を動かし始めた。水を蹴るたびに自分が進んでいると思っているらしく、少しずつ得意そうな顔になる。
「すばる、およいだ!」
「ほとんどお父さんが運んでるけどね」
「ねぇね、みて!」
「見てたよ。すごい、すごい」
結衣が両手を叩くと、昴はさらに強く水を蹴り、蒼真の顔へ水滴を跳ね上げた。
夕食の席へ着く頃には、四人とも一日の疲れが出ていた。
それでも昴だけは、若君の写真と絵付けの皿とプールの話を順番もなく繰り返し、途中から何を説明しているのか分からなくなる。結衣は何度か訂正しようとしたが、最後には諦め、美咲と一緒に頷きながら聞いていた。
*
四日目の朝、蒼真たちは時間をかけて朝食を取り、荷物をまとめてからホテルを出た。
昴は名残惜しそうに何度もロビーを振り返ったが、車へ乗って十分もしないうちに眠ってしまった。結衣も最初は窓の外を眺めていたものの、高速道路へ入る頃には座席へ深く身体を沈めている。
助手席の美咲は、後ろで眠る二人を確認してから、鞄の中に入れていた写真を取り出した。
甲冑姿の蒼真と美咲、薙刀を持つ結衣、若君姿の昴が、揃って笑っている。
「これ、居間に飾る?」
「結衣が嫌がるんじゃない?」
「聞こえてるよ」
目を閉じていた結衣が後部座席から答えた。
「嫌なの?」
「別に嫌じゃないけど、友達が来た時は片づけて」
「だったら、普段は飾っていいんだね」
「小さい写真なら」
美咲は写真を封筒へ戻し、折れないよう鞄の内側へ入れた。
「楽しかった?」
蒼真が運転しながら尋ねると、結衣は少し間を置いてから答えた。
「楽しかった。今度は寝坊しない」
「そこを反省するんだ」
「旅行に来ても、朝から急ぐとは思わなかったから」
「学校がある日と同じ時間に寝て、同じ時間に起きれば急がないよ」
「旅行でそれをするのは、お父さんくらいだよ」
美咲が小さく笑い、蒼真は前を見たまま反論を諦めた。
昼を過ぎて自宅へ着くと、昴は玄関へ入るなり、自分の玩具が元の場所にあることを確認した。結衣は荷物を部屋へ運び、美咲は洗濯物を分け始める。
蒼真が車から最後の鞄を持って戻る頃には、旅先で過ごしていた四日間が嘘のように、家の中へいつもの音が戻っていた。
居間へ入ると、昴が床へ座り、城の売店で買った小さな木刀を両手で持っている。振り回さないよう何度も言われたため、今は膝の上へ置いていたが、蒼真を見るなり片手で持ち上げた。
「ぱぱ」
「何?」
「すばる、とのさま」
「若君じゃなかった?」
「とのさま!」
旅行中に昇進したらしい。
蒼真が頷くと、昴は満足そうに木刀を膝へ戻した。その後ろでは、美咲が甲冑姿の家族写真を棚の上へ置き、少し離れた場所から傾きを確かめている。
結衣は自分の部屋へ入る前に写真を見て、何も言わず、ほんの少しだけ位置を直した。
*
夜。
日記。
―――
家族で三泊四日の旅行へ行った。
城下町を人力車で回り、城と民芸館を見学した。ホテルのプールにも入った。
城は外から見ると大きな建物だったが、中へ入る道は何度も曲がり、奥へ進むほど狭くなっていた。大勢で攻めても、同時に動ける人数を減らすためだと思う。
説明を始める前に、美咲から仕事ではないと言われた。
仕事として見ていたつもりはない。
ただ、どうしてその形になっているのかが気になった。
昴は城を、殿様の家だと説明していた。大きく間違ってはいない。
家族で時代衣装を着て、写真を撮った。
自分と美咲は甲冑、結衣は袴を着て薙刀を持ち、昴は若君の姿になった。
撮影を担当した人から、強そうな家族だと言われた。
結衣と昴は、美咲が一番強いと言っていた。
自分も、家族の中ではそうだと思う。
帰宅後、美咲が写真を居間へ飾った。
結衣も嫌ではないらしい。
評価試験が終わってから、自分が今後どの仕事をするのかは、まだ決まっていない。
旅行中は、そのことを考える時間が少なかった。
考えなかったから問題がなくなるわけではない。
明日になれば、連絡が来る可能性もある。
それでも、四日間は家族で旅行をした。
城へ行き、人力車へ乗り、絵付けをして、プールへ入った。
全員で家へ帰った。
今は、それでいいと思う。
以上。
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また、いいね。評価もしていただけたら執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。
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