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第九十八話 話は終わっていません

 橘家が三泊四日の旅行へ出発した朝、中央防衛局の連絡棟では、相馬が第十回評価の通信記録を開いていた。画面の隅には橘蒼真の休暇日程も表示されているが、今日から四日間、本人への確認を必要とする予定はない。相馬はそれを確かめてから、机の端に置いていた個人用の端末を手に取った。


 旅行に行くと聞いた際には、今度こそちゃんと休めと伝えてある。蒼真からは、休暇なので仕事はしないつもりだ、と返ってきた。つもりではなく、しないと言え。そう送り返したところで、やり取りは止まっていた。


 今ごろは、家族と一緒に目的地へ向かっているのだろう。美咲が隣にいるなら、途中で余計な用事を見つけても止めてくれるはずだった。無事に出たかと聞くだけなら構わない気もしたが、返事をさせることもない。相馬は画面を閉じ、端末を伏せた。


「橘さんに、ご連絡ですか?」


 向かいの席に着いた八神が、資料を鞄から取り出しながら尋ねた。内閣情報局の特別運用評価官として一緒に大隊運用の検証をするようになってから、顔を合わせる機会は随分増えている。最初は質問のたびに返答の根拠まで考えていた相馬も、今では、まず思ったことを口にできるようになっていた。


「いや。あいつには四日間、連絡しない」

「でしたら、その間に進められるところを進めましょう」


 八神はそれで話を終え、相馬の隣へ資料の画面を寄せた。家族旅行の行き先も、休暇中の連絡先も聞いてこない。そのあっさりした切り替えに、相馬は少し笑って椅子を引き直した。


 午前中に見直していたのは、交戦中の中隊へどこまで報告を求めるかという点だった。記録上では、報告の時刻と必要な項目を揃えれば話が済む。しかし、実際に機体へ乗っている人間は、報告のために敵を待たせられない。通信が空いた時間には、その場で何が起きていたかも併せて読む必要があった。


 八神が第三中隊の応答の遅れを示した時、相馬は同じ時刻の機体記録を開かせた。位置を維持できるか、援護が必要か、退くならどちらへ動くか。その三つを先に聞き、撃破数のような報告はあとへ回せないかと提案すると、彼女はすぐに結論を出さず、前後の通信を確かめていた。


「応答がない間も、ここでは交戦を続けていますね」


「ああ。返事を考えている間にも殴られる。返せなかったことと、確認を怠ったことは分けてほしい」


 言い終える前から、八神は記録の横に修正の候補を書き込んでいた。その早さに、相馬は以前の展覧会での件を思い出した。武装のない機体で敵性個体を押さえ、避難の時間を作った時の記録を、彼女は撃破の有無だけでは読まなかった。どれだけの時間を持たせ、その間に何ができたのかを確かめたうえで、評価の理由を問い直してくれた。


 あの時、労いや慰めの言葉をもらったわけではない。それでも、自分が何をしようとしていたのかを見てもらえたことが、相馬には嬉しかった。今も、説明を途中で遮られている感じはしない。必要なところまで汲んでもらえるから、続きを話しやすいのだった。


 昼を少し過ぎた頃、八神が画面を閉じた。相馬はもう一箇所だけ確認しようとしていたが、彼女が鞄へ端末をしまうのを見て、手を止めた。


「食堂へ行きますが、ご一緒にどうですか」

「この続きは?」

「午後にできます。今、同じ箇所を二度読まれていました」


 相馬は画面へ目を戻し、反論を諦めた。確かに、さっきもここを読んでいる。八神は返事を待つ間に椅子を戻し、机の上の紙も揃えていたので、相馬も作業を保存して立ち上がった。


 昼休みの混雑が少し引いた食堂で、二人は窓際の席に座った。資料を持ってこなかったせいか、食事を前にすると、どこから話を始めればよいのか相馬には分からなくなった。午前中はあれほど話していたのに、今さら黙って箸を割っている自分がおかしかった。


「橘さんとは、学生の頃からのお付き合いなんですよね」


 先に口を開いたのは八神だった。相馬が頷くと、彼女は、当時から今のような人だったのかと尋ねた。本人がいないところで何を話すか一瞬迷ったものの、蒼真が昔から自分で必要な用事を見つけてしまう男だったことなら、今さら隠す話でもない。


「頼まれて断れないこともあるが、その前に、自分で気づくんだよ。あそこが空いてるとか、誰か困ってるとか。見なかったことにできれば、もう少し楽なんだろうが」

「相馬さんも、気づかれますよね」


 箸を持ったまま、相馬は彼女を見た。八神は特に追及する顔でもなく、食事を続けている。蒼真の話をしているつもりが、いつの間にか自分のことになっていた。


「俺まで同じにするな」

「同じだとは申し上げていません。気づいたあと、どうされるのかは、お二人で違うと思います」


 その返事に、相馬は少し考えてから、現場へ出る前と出たあとで変わったことを話した。最初から避難支援を得意にしていたわけではないことも、実際に動いてみて、敵を倒せる機体があれば全部済むわけではないと感じたことも、八神は時々尋ね返しながら聞いていた。


 気づけば皿は空き、食堂に残る人も少なくなっていた。仕事の話へ戻ったつもりはなかったのに、自分の話をしていたら、そこへ行き着いてしまった。それを謝ろうとすると、八神は時計を確かめてから顔を上げた。


「お話を伺いたかったので」


 それだけ言って、彼女は盆を持って立ち上がった。相馬もあとに続いたが、連絡棟へ戻る途中、次は自分も何か聞いた方がよかったのかと思った。彼女の担当や権限は知っている。昼に何を選んだかも覚えた。けれど、仕事を離れたところで何を考えているのかは、まだほとんど知らなかった。


 *


 その日の夕方、復興管理局の庁舎を出た久賀は、入口脇で待っていた綾人を見つけた。帰りに少し話をしたいと連絡はもらっていたが、何の用件かまでは聞いていない。綾人が片手を上げると、久賀はまっすぐ彼の方へ歩いてきた。


「何か、確認が必要になりましたか」

「確認というか、お願いというか。先日の蒼真君の家でのことなんだが」

「説明が足りない点がありましたか」

「足す方へ行かないでくれ」


 綾人がすぐに返すと、久賀は口を閉じた。こちらが何を言いに来たかは、少なくとも今の一言で分かったはずである。それでも、彼女は続きが必要なら答えるつもりでいるらしかった。


 出入口を塞がないよう歩き出してから、綾人は、事実を話すなと言いたいわけではないと前置きした。だが、蒼真の家族に説明する時には、もう少し言い方を考えてほしい。あの家族会議では、久賀が正確に補足するたびに、蒼真が今後も必要とされる理由が積み重なっていった。


「頼むから、少しはオブラートに包んでくれないか。家庭にまで、職場と同じ調子で仕事を持ち込まれると困るんだ」


 綾人は、なるべく穏やかに言ったつもりだった。久賀も声を荒らげることはなかったが、返ってきた言葉は、彼の頼みをそのまま受け入れるものではなかった。


「私が尊敬している方の、ご家庭です。昴君にも関わることですから、曖昧な説明で済ませてよいとは思いません」


「それは分かるが、まだ決まっていない話だっただろう」


「決まってから初めてお伝えする方が、困らせる場合もあります。美咲さんは、これからのことを尋ねていらっしゃいました」


 綾人にも、それは分かっていた。蒼真に任せれば、自分がどれだけ必要とされているかという話は抜けやすい。聞いた家族を不安にさせまいとして、本人が小さく扱ってしまうこともある。だからこそ綾人は補足を頼まれたのだし、久賀の説明にも必要な部分はあった。


 ただ、必要だと認めることと、あの場で次々に言ってよかったと思うことは、綾人の中ではまだ繋がらなかった。美咲が黙って聞いていた時の顔を思い出すと、どうしても一度止めたくなる。


「説明を終えれば、俺たちは帰れるんだよ。でも、あの家族は、そのあとも家で暮らす。次に何を頼まれるんだろう、今度も断れないんだろうかって、考え続けることになる」


 久賀の足が少し遅くなった。綾人も歩調を落とし、彼女を見た。手に持っているのはいつもの鞄だったが、あの日、そこに昴への土産が入っていたことを覚えている。記録を広げていた久賀と、床で昴の相手をしていた久賀は、綾人には同じくらいはっきり残っていた。


「昴君が、お父様を待つことは分かっています」


 久賀はそう言ってから、少し間を置いた。


「だから、ご家族にも知っておいていただきたいと思いました。橘さん一人が、必要だからという理由で引き受ける前に」


 綾人は、用意していた言葉をいったん飲み込んだ。彼女が説明したかったのは、仕事上の必要性だけではなかったのだろう。それも分かるので、どうにも文句を言い切れない。


「……俺も、そのつもりであそこへ行ったんだがな」

「存じています」

「知っていて、俺の説明には容赦なく付け足すんだな」

「足りないところがありましたので」


 久賀は真面目な顔のまま答えた。綾人が息を吐くと、今度は彼女がこちらを見て、伝える順番について相談することはできると言った。その言い方が少し慎重になっていたので、綾人も頷いて話を戻した。


 隠すのでも、決まるまで黙るのでもなく、何が決まり、何がまだ本人の判断に残されているかを先に伝える。そのあとで必要性を説明すれば、聞く側も、今すぐ覚悟を求められているのかどうかを整理しやすい。綾人がそう話すと、久賀はすぐには返事をせず、道の向こうへ目を向けて考えていた。


「次に説明する機会があれば、先にお話しします」


 そこまで聞いて、綾人はようやく肩の力を抜いた。ところが、交差点で信号を待っていると、久賀はまだ終わっていない顔で彼を見上げた。


「綾人さんにも、必要な説明を省かないようにしていただきたいです」

「今ので終わりじゃないのか」

「私へのお願いは伺いました」


 自分の分も聞け、ということらしい。綾人は苦笑しかけたが、彼女が何を心配しているかは、やはり分かってしまった。自分は蒼真を前へ出したくないあまり、家族が考えるために必要な話まで減らそうとすることがある。久賀はそれを承知で、引き受けてほしくないのと、知らせなくてよいのとは違うと伝えようとしていた。


 言葉は噛み合っていないのに、どこで引っかかっているかは分かる。そこがいっそう、綾人を困らせた。


「飯は、もう食べたか」


 信号が青になったところで尋ねると、久賀は首を横に振った。帰ってから取るつもりだというので、綾人は近くで食べていこうと誘った。どうせ、彼女の話はまだ終わっていない。


「はい。お腹も空いています」


 今度の返事は、まったく迷いがなかった。久賀が交差点の先の店を示し、二人は並んでそちらへ向かった。文句を言うために待っていたはずが、夕食まで一緒にすることになったが、綾人には引き留められた感じがしなかった。


 店内は、仕事帰りの客でほどよく埋まっていた。向かい合って注文を済ませると、久賀は先ほどの続きを始めたが、料理が運ばれてくる間には、旅行中の橘家の話にもなった。昴が城をどんなふうに見るか、美咲はちゃんと休めるだろうか。聞かれていないことまで話す彼女を見て、綾人は、あの家のことが本当に気にかかっているのだと思った。


 料理が来て、話をいったん止めた時だった。綾人が肩を動かしてから汁椀を持ち上げると、久賀が箸を取る手を止めた。


「肩、まだ張っていますか」


「少しな。机に向かっている時間が長かった」


 そう答えながら、綾人は顔を上げた。まだ、と言われるほど、さっきから気にしていただろうか。久賀は、午前中に見かけた時も同じように肩を動かしていたと説明したが、その時間に彼女と身体の話をした覚えはない。


「よく見ているな」

「気になりましたので」


 何を、とは聞かなかった。久賀は自分の膳へ目を戻し、箸を取った。綾人も汁椀を持ち直したが、先ほどまでのように、すぐ次の言葉が出てこなくなっていた。


 彼女はさっき、家庭へ仕事を持ち込むなという頼みに、家庭のことだから放っておけないと返した。自分の肩を気にするのにも、何かの役割が必要なわけではないのだろう。そう思うと、いつも事実を並べているように聞こえる言葉が、少し違って耳に残った。


 *


 翌日の午前、八神隊長が連絡棟を訪れた。前日にまとめた通信の確認項目について、現場での運用を踏まえた意見を求めてあったからだ。相馬は椅子を一つ増やし、八神評価官が修正案を説明する隣で、元の記録を開いて待った。


 隊長の指摘は具体的で、返答を短くするために省けるものと、短くても必ず残すべきものが整理されていった。妹へ遠慮する様子はなく、彼女も必要があれば問い返す。相馬が間へ入って修正を提案すると、二人ともすぐ資料に目を戻した。仕事をしている間は、兄妹だからと意識することはほとんどなかった。


 予定していた確認が終わり、相馬が資料を閉じようとしたところで、隊長が声をかけた。


「昨日、妹と食事をしたそうだな」


 相馬の手が止まった。向かいで端末をしまっていた八神は、顔を上げただけだった。何か問題があったかと考える相馬へ、隊長は、検証の続きをしたのかと尋ねた。


「いえ。資料は持っていきませんでした」

「何を話した?」


 本人を前にして、相馬がどこまで答えてよいか迷っていると、八神が、蒼真と同級生だった頃の話や相馬自身の話を聞いたのだと説明した。隊長は一度頷き、それでも立ち上がらずに、相馬の方を見ていた。


「妹は、仕事以外でもこんな調子なのか」

「兄さん。何の確認ですか」


 八神の問いに、隊長は返答を少し遅らせた。その間に、相馬はようやく、この質問に作戦記録は関係ないらしいと気づいた。さっきまでの指摘と同じ顔で聞かれるので、切り替わったところが分からなかった。


「俺は、話しやすいと思います」


 そう答えると、兄妹の視線が揃って向いた。相馬は居心地が悪くなったが、言ったことを取り消すつもりはなかった。途中まで話せば聞きたいところを汲んでくれるし、違うと思った時も理由を教えてくれる。昨日も、いつの間にか自分の話を続けていたのだと説明すると、隊長は少し考える顔になった。


「疲れないか」


「兄さん。それは、相馬さんがお決めになることです」


 相馬が答える前に、八神が口を挟んだ。兄へ向ける声も普段と変わらなかったが、質問を続けさせるつもりがないことは分かった。相馬は笑いそうになり、資料を揃えるふりをして目を落とした。


 隊長はそこで席を立ったものの、出入口で一度振り返った。妹にも休む時間を取らせてくれと言われ、相馬は、一緒に作業をしている時には自分も忘れないようにすると答えた。昼食へ連れ出されたのは自分の方だったが、その説明は、今しなくてもよい気がした。


 扉が閉まってから、相馬は向かいを見た。八神はもう資料を開き直しており、兄が残した修正点を確かめている。こちらも仕事へ戻るつもりで椅子を寄せたが、さっきのやり取りが可笑しくて、つい口を開いた。


「最後は、兄さんだったな」

「兄ですから」


 八神は画面から顔を上げ、少し間を置いて続けた。


「相馬さんは、私と話しやすいと思っていらっしゃるんですね」


 今度は相馬が返答を遅らせた。隊長へ言った時よりも、本人に確かめられた時の方が、妙に答えにくかった。だが、彼女は言葉を待っているので、相馬は頷いて、そう思っていると答えた。


「分かりました」


 八神はそれ以上尋ねず、修正箇所へ目を戻した。相馬も隣の画面を覗き込んだが、彼女があの返事をどう受け取ったのか、しばらく気になっていた。


 午後の作業は、各中隊への照会を出したところで一区切りついた。返答を待たなければ進まないため、その日のうちに無理に結論をまとめる必要はない。相馬が翌日の予定を確認していると、八神は鞄を持ったまま、彼の作業が終わるのを待っていた。


「このあと、ご予定はありますか」

「帰るだけだが」

「でしたら、夕食をご一緒できませんか。昨日は私が伺う方でしたので、今日は、私のことも少しお話ししたいと思いました」


 相馬は、途中まで閉じかけていた端末をそのまま伏せた。経歴や担当についてなら知っているが、それを説明するために夕食へ誘っているのではないだろう。昨日の昼、戻りながら考えていたことを、今度は彼女の方から言われた気がした。


「俺も、聞いてみたかった」

「では、ご都合はよいんですね」

「ああ。どこへ行く?」

「まだ決めていません。先に、相馬さんのご予定を確認したかったので」


 相馬は、店まで選んでから誘われるものだと思っていた自分に気づき、少し笑った。八神はそれを急かさず待っている。彼は端末を鞄へしまい、出てから探そうと言って立ち上がった。


 玄関を出ると、八神が通りへ目を向けた。昼とは違い、二人とも急いで戻る必要はない。相馬は近くの店を一つ挙げ、彼女の返事を待って歩き始めた。何から聞こうかと考えているうちに、隣から、普段はこの辺りで食事をするのかと尋ねられた。


 *


 その夜、綾人が自宅で夕食の支度をしていると、久賀から連絡が届いた。画面に出ていたのは、昨日の肩の張りはどうなったかという短い問いだった。


 綾人は一度肩を動かし、昨日よりは楽だと返した。ほどなく、分かりました、と届いて、やり取りは終わった。追加の用件も資料もない。心配して確認し、悪化していないと聞いたので、それで済んだのだろう。


 端末を置きかけてから、綾人は昨夜の食事を思い返した。こちらの肩を見ていたことも、昴の土産を選んでいたことも、本人から大げさに語られることはない。気になりましたので、と言われれば、そのまま受け取ってしまう。だが、自分は彼女が気にかけてくれる分だけ、彼女のことを見ているだろうか。


 昨日、食事をした時には、橘家の話を随分した。仕事の場で意見を交わしたことも数えきれない。それでも、帰宅した久賀がどんなふうに夕食を取るのか、休みの日にどう過ごすのか、綾人はほとんど知らなかった。


 用意した椀を食卓へ置き、久賀に電話をかけた。応答した久賀は、何かあったのかと尋ねてきたので、綾人は先に、肩はさっき伝えたとおりだと言った。


「久賀さんは、もう飯を食べたか」

「これからです」

「なら、長くはかけない。明日の夜、時間はあるか」


 返答まで少し間があった。手元で予定を確かめている音がして、久賀は、あります、と答えた。綾人はそのまま、一緒に食べないかと続けた。


「昨日のお話の続きでしょうか」

「続きもあるが、久賀さんのことも聞きたいんだ。俺の身体を気にするくらいなら、そちらもちゃんと休んでいるのか、気になるだろう」


 言ってから、少し理屈を付け足しすぎたと思った。ただ、彼女が何を思って暮らしているのかを知りたかった。職場で顔を合わせれば分かることばかりではないと、昨日から気づき始めていた。


 久賀はしばらく黙っていたが、綾人が返事を促す前に口を開いた。


「でしたら、私が選んだ店でもよいですか」


「ああ。行きたいところがあるなら、そこにしよう」


 店の名前を聞き、仕事が終わったあとの待ち合わせを決めた。久賀は、そこには以前一度行ったことがあると話し、綾人の苦手なものを確かめてから通話を終えた。仕事の確認をする時と似た口調だったが、明日の夕食について聞かれていると、同じようには聞こえなかった。


 綾人は個人用の予定表を開き、そこへ久賀の名前を入れた。昨日は言い方について頼みがあって、庁舎の前で待っていた。明日は、彼女が選んだ店へ行く。その違いを考えていると、肩を気にされた時から残っていた落ち着かなさが、少し楽しみなものへ変わっていた。


 話し方について、二人の意見が揃ったわけではない。明日もまた、言い返されることはあるだろう。綾人はそれを思って小さく笑い、冷めかけていた汁椀を手に取った。今度は、彼女の話も、ちゃんと最後まで聞いてみようと思った。

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