第40話:一気飲み
土曜日の夜。
『決闘の間』での命を削るような一撃を終え、帰宅したカイトは、温かい食事と風呂を済ませて自室のベッドに腰を下ろしていた。
窓の外では、現代日本の夜景が静かに広がっている。だがカイトの視界にあるのは、この世界に転生してから必死に集めてきた知識の集大成だった。
壁際の本棚には、『ダンジョン深層の生態系』、『初級・中級職の相関図』、『都営ギルド公認:モンスター図鑑』といった、この世界ならではの実用書が整然と並んでいる。一方で、テレビの脇には幼少期に遊んでいたレトロなゲーム機が置かれていた。それらは、彼が前世の記憶を保持したまま、この新しい理に適応してきた証でもあった。
「ふぅ……。さて、これからの作業を確認するか」
カイトは空中に指を滑らせ、【宝物庫】のインベントリを展開した。
青白く輝くウィンドウの中に並ぶのは、あの『鍛錬道場』で吐き気がするほどの反復作業の末に手に入れた、大量の「努力の結晶」だ。
(目下の課題は、剣士のカンスト、そしてその先にある『騎士』への昇格だ)
カイトの計画は極めてシンプル、かつ強引なものだった。
条件付き攻略のためにLv.11で止めていた『剣士』を、まずは初級職の限界であるLv.50まで引き上げる。その後、上位の中級職である『騎士』へと昇格させ、さらにそれを最高レベルである70まで一気に押し上げる。
だが、ここで一つの物理的な問題がカイトの前に立ちはだかった。
(ポーションの、物理的な「量」だ……)
カイトは手元に一本、青い小瓶を実体化させた。
一瓶あたり約50ミリリットル。栄養ドリンクほどの小さなサイズだ。しかし、カイトがこれから飲まなければならない本数は、計算したくもなかった。
(剣士をLv.50にするために、初級ポーションが39本。その後、騎士Lv.70にするために、中級ポーションが69本。……合計108本)
頭の中で計算が弾き出されてしまう。
一本50ミリリットルとして、108本分。総量は約5,400ミリリットル。つまり、5.5リットル近い液体を身体に流し込むことになる。
「……流石に、一気に飲むのは無理があるな」
どれほど強力な経験値の塊であろうと、物理的にはただの液体だ。5.5リットルの水分を一晩で摂取すれば、魔力酔い以前に、ただの「水の飲み過ぎ」で体調を崩しかねない。
カイトは苦笑しながら、まずは手始めに初級ポーションの栓を抜いた。
グイッ、と一口。
液体が喉を通るたびに、喉は熱くなり、身体の奥底で魔力が弾け、肉体の強度が書き換えられていく感覚が走る。
十本。二十本。三十本。
カイトは無表情で作業のように飲み続けた。一本飲むごとにステータスが一段階跳ね上がるが、それと同時に胃が液体で満たされていく。
『レベルアップ:49→50』
「……っ、今日は、ここまでだな」
剣士の限界レベルに到達したところで、カイトは一旦手を止めた。初級ポーションを使い切り、胃がパンパンに膨れているのを感じる。レベルアップの万能感よりも、腹が重いという至極人間的な不快感が勝っていた。
翌朝。
昨夜の腹部への違和感がようやく引いた頃、カイトは再び作業を再開した。
まずはシステムを通じ、『剣士』から上位職である『騎士』へと昇格を済ませる。
『ジョブを変更しました:剣士 → 騎士』
カイトは深呼吸をし、本命である「中級レベルアップポーション」の入った箱を目の前に並べた。
昨夜の反省を活かし、今回は午前と午後に分けて、少しずつ胃に流し込んでいく作戦だ。
昼食を抜き、ひたすらにポーションを呷る。
中級ポーションは初級よりも魔力の密度が濃く、喉を通るたびに脳を揺さぶるような高揚感が襲ってくる。レベルが一つ上がるごとに、大魔法使いの時とはまた違う、強靭な「武」の力が肉体に刻まれていくのがわかった。
二十本。四十本。六十本。
次第にカイトの身体から、魔力が溢れ出し、仮にここに一般人がいたらピリピリとした空気がその肌を刺して威圧されていただろう。
そして。
ついに最後の六十九本目を飲み干した。
『レベルアップ:69 → 70』
『条件達成を確認しました』
カイトはベッドに倒れ込み、天井を見上げた。
全身を巡る魔力は、数日前とは比較にならないほど肥大化し、洗練されていた。
『大魔法使いLv.70』と『騎士Lv.70』。
この世界の常識では、中級職を一つ極めるだけでも優秀だと称えられ、二つを極めるなどという無駄な真似は誰も選ばない。
だが、その無駄の果てに、奇跡は起きた。
『条件の解放を検知しました』
『ジョブ【大魔法使い】と【騎士】の魂が共鳴しています』
『複合上級職:【魔騎士】への転職が可能になりました』
カイトの瞳が、暗い部屋の中で鋭く光った。
魔騎士。
それは、大魔法使いの広範囲殲滅力と、騎士の強固な守護・近接戦闘技術が融合した、文字通り「一人で戦場を完結させる」職業だ。この世界の記録には存在しない、複合職という概念の結晶。
「……行き止まり、じゃなかっただろう? 九条院さん」
カイトは誰に聞かせるでもなく、小さく独り言ちた。
周囲の冷笑も、九条院の落胆も、教官の憐れみも。すべては、この瞬間のために耐え忍んできた「伏線」だ。
だが、これはまだ序章に過ぎない。
カイトは膨れ上がった魔力と腹部を落ち着かせるように目を閉じ、ゆっくりと意識を沈めていった。
魔騎士という職へとなったことはまだ誰にも見せない。
明日からはいつも通り大魔法使いとして演習をこなしていこう。
誰も見たことのない高みを目指す、孤独な先駆者としての歩みが、さらに加速していく。
『現在のジョブ:魔騎士』
『現在のレベル:1』




