第39話:決闘の騎士と四体の竜
この一ヶ月余りでカイトが積み上げた成果は、統合ダンジョン二十層周辺を彷徨う同年代の生徒たちからすれば、もはや理解の範疇を超えた「異常」そのものだった。
しかし、月曜日以降の教室でカイトに注がれる視線は、畏怖よりも、むしろ憐れみと嘲笑が混じったものへと変容していた。
「あいつ、まだ二十一層に潜ってるらしいぜ」
「レベル70にもなって、適正以下の階層で素材集めかよ。やっぱり上級職への道が閉ざされたショックで、チキンになっちまったのかな」
休み時間、背後から聞こえてくる心ない囁きを、カイトは風の音程度に聞き流していた。
彼が相変わらず二十四層以下で活動を続けているのは、臆病風に吹かれたからではない。すべては「魔王」という、前世のゲーマー時代ですら届かなかった至高の職へ至るための、生存戦略だった。
(今の俺が二十五層、三十層と攻略を進めれば、ギルドや政府の『大人』たちの目に留まる可能性がある)
カイトは手にした教科書に目を落としながら、思考を巡らせる。
もし、一ヶ月でレベルを70まで引き上げる「効率」の秘密が漏れれば、彼らは必ずカイトの自由を奪いに来るだろう。レベルアップポーションの存在、単独ダンジョンの座標、そして『複製魔法陣』という理外のスキル。それらは、国家が管理すべき「戦略資源」として徴用され、カイトは彼らの管理下で都合の良い「兵器」として飼い殺されることすらあるかもしれない。
ただの可能性だとしても、それがとんでもないリスクを持っているのならできる限り避けて通りたい。
(そうなれば、俺の目的は果たせない。誰にも邪魔されず、俺はただ『魔王』に辿り着きたいだけだ。そのためなら、今は『無能なカンスト職』を演じるのも仕方のないことだと、割り切れる)
カイトの真の目的は、この世界の誰もが「はずれ」と決めつけている職業を複数極め、その果てに現れるルート、すなわち「複合上級職」を解禁することにある。その過程において、組織の介入は百害あって一利なしだった。
平日は、放課後の短時間で二十一層から二十四層を回り、魔石と素材を淡々と回収する「作業」に徹した。あくまでクラスメイトの視界に入る場所では、行き詰まった『大魔法使い』として、単調な狩りを繰り返す。
そしてやってきた土曜日。カイトは一人、都内某所の古い地下水道に位置する、新たな単独ダンジョン『決闘の間』の入り口に立っていた。
カイトは周囲に気配がないことを確認すると、システムウィンドウを開き、ジョブチェンジを選択した。
『ジョブを変更します:大魔法使い → 剣士』
その瞬間、カイトを凄まじい「喪失感」が襲った。
これまで血管の隅々まで満ち溢れていた濃密な魔力が一気に霧散し、全知全能に近い万能感が失われていく。代わりに襲ってきたのは、鉛を飲んだような倦怠感と、弱者に成り下がったという生理的な不快感だった。
「……くっ、流石にレベル70からレベル1への落差は、身体にくるな」
膝をつきそうになる身体を無理やり支え、カイトは【宝物庫】から「初級レベルアップポーション」を10個取り出した。迷わず、それらを一気に呷る。
喉を焼くような感覚と共に、枯渇していた身体に力が戻っていく。
『レベルアップ:1 → 11』
倦怠感が少しだけマシになったことを確認し、カイトは次の準備に取り掛かる。
指に嵌まった【追憶の指輪】。これまでは盾士時代の「ガードスタンス」をセットしていたが、今回は目的が違う。カイトはスキルセットを更新した。
『スキル変更:【ガードスタンス】 → 【四子竜撃】』
【四子竜撃】。それは大魔法使いの最後のスキルであり、魔力を四属性の破壊エネルギーに変換し、四体の各属性魔力の竜として放つ、攻撃特化型の奥義だ。
「よし。準備は整った」
カイトは剣を片手に握り、コロッセオを彷彿とさせる『決闘の間』へと足を踏み入れた。
円形の広間の中央には、一人の騎士が佇んでいた。
【名もなき騎士】。
銀色に輝く全身鎧に身を包み、手には質実剛健な長剣。その佇まいからは、一切の隙がない、熟練の武人の気配が漂っている。
カイトが一歩踏み込むと、背後の鉄門が重々しい音を立てて閉ざされた。
「……手堅く、堅実な騎士、か。今の俺の剣技でまともに相手をするのは、分が悪いな」
騎士が静かに剣を構える。その所作一つで、相手が基本に忠実でありながら、極限までその精度を高めた強敵であることが理解できた。
だが、カイトに時間をかけるつもりはない。特殊条件「剣士レベル15以下でのソロクリア」を達成するためには、短期決戦こそが唯一の正解だ。
「悪いな、騎士。まともに付き合ってやる余裕はないんだ」
カイトは剣を正面に掲げた。
本来、剣士が使うべきではない魔法を行使するために、カイトは体内の全魔力を剣に無理やり流し込む。
剣士としての未熟な身体が、過剰なエネルギーに悲鳴を上げる。血管が破れそうなほどの圧力がかかるが、カイトはそれを精神力で押さえ込んだ。
「【四子竜撃】!!」
キィン、という音と共に、カイトの背後斜め上に四つの魔法陣が出来上がる。
そこから、炎、氷、雷、無属性の竜の形を成した魔力が飛び出し、咆哮を上げながら騎士へと突撃する。
騎士は驚愕した様子もなく、即座に剣を構え、盾を前面に押し出した。その判断は完璧だったと言えるだろう。
しかし、レベル70で覚える魔法、魔力は大魔法使いと比べごくわずかになっているとはいえ、その一撃は一介の騎士が受け止めきれる領域を遥かに超えていた。
ズドォォォォォォン!!
円形の広間が激しく震動し、石造りの床が粉々に砕け散る。
四体の竜は、騎士の強固な防御ごと、その存在を消し飛ばした。
光の奔流が収まった後、そこにはただ、砕けた石片と、霧散していく魔力の残滓だけが残されていた。
「はぁ……はぁ……、っ」
直後、カイトは崩れ落ちそうになるのを剣を地面に突き刺して杖のようにして体を支えた。
全身の魔力を一滴残らず使い切った「魔力切れ」の症状だ。目の前が暗くなり、肺が焼けるように熱い。レベル11の身体で、これほどの高負荷スキルを放つのは、文字通り命を削る行為だった。
(……だが、倒せたな)
カイトは震える手で【宝物庫】を開き、一本の「魔力回復ポーション」を取り出した。それを一気に飲み干すと、脳を刺すような痛みが引き、徐々に呼吸が整ってくる。
静寂が戻った広間。カイトの目の前に、待望のウィンドウが現れた。
『特殊条件達成:剣士Lv.15以下でのソロクリアを確認』
『報酬:スキル【高貴なる血統】を獲得しました』
カイトはその文字を見つめ、満足げに口角を上げた。
【高貴なる血統】。戦闘が長引くほど能力値が上昇するこのスキルは、今はまだ小さな火種に過ぎないが、将来的に「魔王」へと至るための、最も重要なパッシブの一つとなると考えている。
「……ふぅ。これで、剣士のレベリングも捗るな」
カイトは立ち上がり、ゆっくりと出口へ向かって歩き出した。
【宝物庫】にはまだ、大量の初級と中級のレベルアップポーションが眠っている。
平日は「行き止まりの大魔法使い」として世間を欺き、週末は誰も知らない場所で「真の強者」としての基盤を固める。
世間が、九条院が、教官が、カイトを「才能の無駄遣い」だと笑い続けるのなら、笑わせておけばいい。
カイトは夕暮れ時の都内へと戻りながら、自身の揺らぎ無い思いを胸に、次なる「作業」のスケジュールを練り始めた。
『現在のジョブ:剣士』
『現在のレベル:11』
『獲得スキル:【高貴なる血統】』




