第143話:急展開とクランリーダーの仕事
ファミレスでの話し合いから数日後。次の火曜日、カイトは九条院紗夜と共に、目当てのクランハウスを管轄している『冒険者クラン専用不動産』の店舗へとやってきていた。
プロの冒険者ライセンスを持つ者だけが利用するその場所は、一般的な不動産屋とは違い、重厚でどこかホテルのラウンジを思わせる落ち着いた佇まいをしていた。前日にしっかりと予約を入れておいてくれたこともあり、受付を済ませると待たされることなく、すぐに奥の個室へとスムーズに案内された。
案内された高級感のあるソファに二人が腰を下ろすと、ほどなくしてスーツをパリッと着こなした担当の職員がやってきて、一礼して対面の席に着いた。
「本日はお時間をいただきありがとうございます。大崎の物件についてのお問い合わせですね。早速ですが、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
職員の丁寧な言葉に、九条院が滑らかな動作で端末を取り出し、目当ての物件情報を提示する。
「ええ。こちらのクラン専用物件について、契約の手続きを進めたいと考えています。事前に私たちのクランの登録情報と、統合ダンジョン四十層のクリア実績はお送りしてあると思いますが、問題ありませんか?」
防犯・防音の会議室、地下十メートルの特注訓練場、男女別の大浴場に洗浄設備、そして大崎という最高の立地。自分たちの理想が全て詰まったあの物件だ。ここに来るまでは、あとは書類を交わすだけの手続きだと思っていた。
――しかし、ここで予期せぬ問題が発生する。
提示された画面と手元の資料を見比べた職員の顔が、見る見るうちに青ざめていった。職員は何度も端末を叩き直し、冷や汗を流しながら、申し訳なさそうに深く頭を下げた。
「……大変、申し訳ございません。こちらの物件なのですが、実はつい先日、管理している国の方針で、契約の制限が引き上げられてしまいまして……」
「引き上げられた、とはどういうことですか?」
怪訝そうに眉をひそめる。職員は恐縮しきった様子で言葉を絞り出した。
「はい……。ウェブサイト側のシステム更新が間に合っておらず、お客様の端末からは以前のまま『四十層突破』の条件で表示されてしまっていたのですが、現在は『統合ダンジョン四十五層を超えた冒険者が所属しているクラン』へと、条件が変更されてしまっているのです」
「四十五層……!?」
驚きに目を見開いた。
四十層と四十五層の間には、その階層数以上の差がある。四十層までと比べても四十一層から先の難易度はこれまでと同じように一気に引き上げられる。当然、国としてもそれほどの階層を攻略できる精鋭クランを優先して優遇したいため、設備の素晴らしいあの物件のハードルを上げたのだろう。
「こちらの確認不足とシステムのタイムラグが原因でございます。本当に、本当に申し訳ございません。ですが、国が定めた実績の基準ばかりは、私どもの裁量ではどうしようもできず……」
何度も頭を下げる職員の姿に、嘘や誤魔化しがないことは明白だった。
条件を満たしていない以上、どれだけ金を積もうが契約の判を突くことは許されない。それが国の管理する専用物件の絶対的なルールだった。
九条院は唇を噛み、隣に座るカイトへと視線を向けた。その瞳には、せっかく全員で盛り上がった計画に冷や水を浴びせられたことへの悔しさが滲んでいる。
「……結城くん、どうしましょう。今回のことは向こうの不手際とはいえ、ルールとなると覆すのは難しいわ。一旦諦めて、またみんなと別のクランハウスを探してみる?」
もう一度、一から探し直す。それも一つの選択肢だ。だが、あれほど全員の希望が完璧に合致し、立地まで通い慣れた大崎という物件が、そう簡単に見つかるとは思えなかった。他の物件に妥協すれば、誰かの理想を削ることになる。
カイトは静かに目を閉じ、一瞬だけ思考を巡らせた。そして目を開けると、その瞳には諦めや落胆の色など微塵もなく、むしろ確固たる決意の光が宿っていた。
「いや、ここほど俺たちにぴったりの場所は、もう二度と見つからないと思う」
カイトはそう言って九条院を安心させるように微笑むと、正面で硬直している不動産の職員へと真っ直ぐに向き直った。そのあまりに堂々とした佇まいに、職員は思わず背筋を伸ばす。
「あの、一つ提案なのですが――ここを『予約』、のような形で、一時的に押さえておいてもらうことはできませんか?」
「え……? 予約、ですか?」
職員が目を丸くする。カイトは淡々とした、しかし絶対の自信を感じさせる声で、とんでもない宣言を口にした。
「はい。近く、俺たちが四十五層を突破してきます。条件を満たして戻ってくるので、それまで待ってほしいんです」
「四、四十五層を……近く突破、ですか!?」
職員の口から、驚愕のあまり裏返った声が出た。
学生上がりの新設クランのリーダーが、まるで「ちょっと買い物に行ってくる」とでも言うような気軽さで、一流冒険者にとって一つの壁である四十五層の突破を宣言したのだ。常識で考えれば大言壮語の極みだが、カイトの纏う圧倒的なオーラと、すでに四十層を突破しているという事実が、その言葉にどこか現実味を与えていた。
「本来は……そのようなキープのような形は、他のお客様との兼ね合いもあり、一切認められてはいないのですが……」
職員はゴクリと唾を飲み込み、手元の端末のスケジュールを確認した。
「今回は、完全にこちらのシステム上の不手際でご迷惑をおかけしたこともございます。……わかりました。一ヶ月、最大で一ヶ月でしたら、当店の責任において『契約予定物件』として一般の募集を止め、内々に抑える措置を取らせていただきます」
「一ヶ月、ですか」
「はい。これ以上の期間は、国からの監査が入るため不可能です。一ヶ月以内に四十五層の突破実績がギルドカードに同期され、再度こちらへお越しいただけるのであれば、その場で契約手続きを進めさせていただきます。いかがでしょうか」
提示されたタイムリミットは三十日。普通の中堅クランであれば、四十層から更に五階層進むのには、一生届かないことすらある過酷な道のりだ。
だが、カイトにとってはその数字は十分すぎた。
「ありがとうございます。それで構いません。一ヶ月以内に、必ずまた来ます」
カイトはそう言い残し、まだ呆然としている職員に見送られながら、九条院と共に不動産屋を後にした。
ビルの外に出ると、春の少し冷たい風が二人の頬を撫でた。
隣を歩く九条院は、心配そうな面持ちでカイトの横顔を覗き込んでくる。
「結城くん、本当に大丈夫? 四十五層となると、出現するモンスターの強さも今までとは桁違いになるわ。一ヶ月でそこまで攻略を進めるなんて、いくら何で危険じゃ……」
仲間の命を預かる立場として、その心配はもっともだった。しかし、カイトは少しも揺らぐことなく、悪戯っぽく笑ってみせた。
「あはは、大丈夫だよ。それにさ、トラブルがあったからってすぐに諦めて別の場所にするより、みんなが一番喜ぶ最高の城を確実に手に入れる方がいいでしょ? これは、クランリーダーとしての最初の大仕事だと思って、俺がしっかりこなしてみせるよ」
その言葉には、ただの強がりではない、底知れない実力に裏打ちされた絶対的な余裕があった。
カイトの頼もしすぎる背中を見つめながら、ふっと緊張を解き、あきらめたように、けれどどこか嬉しそうに微笑んだ。
「……もう、本当に結城くんには驚かされてばかりね。わかったわ。リーダーがそう言うなら、私も全力でついていくわ。みんなには、なんて説明しようかしら?」
「そうだね、まずは……」
二人はこれからのスケジュールを練りながら、駅へと向かって歩き出した。最高の拠点を手に入れるための、カイトたちの新たな戦いが今、幕を開けようとしていた。
『現在のジョブ:魔人(Lv.41)』
『使役モンスター:イスト(Lv.7・天空騎士)、ティロフィ(Lv.8・黒白龍)』




