第138話:面接後のアレコレ
氷室竜が静かに退室し、完全に二人きりとなったブックカフェの個室。
カイトと九条院紗夜は、どちらからともなく同時に「ふぅ……」と深く長い息を吐き出し、椅子の背もたれに身体を預けた。
二時間おきに一人ずつ、合計三人の候補者を相手にした対話は、身体的な疲労よりも、脳のエネルギーを激しく消費する類の心地よい緊張感をもたらしていた。
「……お疲れ様、九条院さん。さすがに緊張したね」
「本当にお疲れ様、結城くん。でも、とても有意義な時間だったわ。冷たいものでも飲みながら、さっそく三人の評価を整理しましょうか」
九条院は卓上の呼び出しボタンを押し、追加のアイスコーヒーを二つ注文した。それが運ばれてくるまでの短い間、二人は手元に並べられた三枚の評価シートを改めて見つめる。
そこに並ぶ経歴と、先ほどまでこの部屋で交わされた熱量のある言葉の数々。二人の共通する最初の評価は、完全に一致していた。
「結論から言うけれど……三人とも、本当に、信じられないくらい優秀だったわね」
「ああ。正直、立ち上げたばかりの俺たちのクランに応募してくれるレベルを遥かに超えてるよ。誰か一人を選ぶなんて、贅沢すぎる悩みだ」
カイトは腕を組み、最初の一人目のシートを指で叩いた。
「一人目の山本さんは、税務のスペシャリストとしての実績が申し分ないのはもちろんだけど、高校時代にレベル20まで冒険者を経験しているのがやっぱり大きい。事務方として数字を管理する上で、『現場のルール上、何が可能で何が不可能なのか』という折衷案を、他の二人よりも一番正確に、現実的なラインで挙げてくれそうな気がするんだ。熱意もあるし、ティロフィのファンっていうのも、うちのクランにとっては親しみやすくてプラスだしね」
「ええ、同感よ。理想論だけじゃなく、冒険者ギルドの規約と一般的な法律の狭間で、しっかりと地に足の着いた妥協点を見つけてくれそうな安心感があったわ」
九条院は微笑みながら頷き、次に二人目の朝日ひかりのシートへと視線を移した。
「二人目の朝日さんは、なんと言っても元上級職のレベル55という前線経験が唯一無二の強みね。彼女自身も言っていたけれど、私たちが命懸けでダンジョンに潜った後のあの独特の精神状態や、装備一つ選ぶときの妥協したくないこだわりを、誰よりも『自分のこと』として理解してくれる。事務のプロではないかもしれないけれど、私たちの気持ちに寄り添って、今何ができるのかを自発的に探して動いてくれる貴重な存在になると思うわ。あの明るさは、クランの雰囲気も良くしてくれるでしょうし」
「うん。冒険者の痛みが分かる裏方っていうのは、それだけでメンバーにとってめちゃくちゃ救いになる。システムや数字だけじゃ割り切れない現場のケアは、彼女が一番得意なはずだ」
そして二人の視線は、最後の一人、氷室竜のシートへと注がれる。非の打ち所がない完璧な書類と、思い出すだけで背筋が伸びるようなあの佇まい。
「三人目の氷室さんは……もう、経歴からして破格よね。大手のシンクタンクで財務コンサルをやっていただけあって、私たちの求めている事務作業全般や法人化の手続きなんて、彼からすれば朝飯前でしょうね。そつなく、完璧に、すべての業務をマニュアル化してこなしてくれる姿が容易に想像できるわ。九条院家からの紹介という点を除いても、組織の基盤を創る上での処理能力は頭一つ抜けているわね」
「ああ、ビジネスとしてのクラン運営を完全に任せられる。彼が一人いれば、事務手続きの遅れや財務のミスなんてリスクは、文字通りゼロにできるんじゃないかな」
三者三様の突出した強み。誰を採用してもクランにとって大正解であり、同時に、誰を落としても大きな損失になることは明白だった。
一人目の山本による現実的な折衷案の提示、二人目の朝日による冒険者目線の細やかなケア、三人目の氷室による圧倒的にそつがない完璧な事務処理――。
誰を選ぶべきか、二人はシートを見比べながらしばらくの間、真剣に悩み、沈黙が流れた。
だが、ふとカイトが何かを閃いたように顔を上げ、手元のシートを三枚横一列に並べ直した。
「……ねえ、九条院さん。これ、いっそのこと全員採用でいいんじゃないかな?」
「え……?」
九条院は驚いたように目を丸くし、アイスコーヒーのグラスを持った手を止めた。
「全員って……三人とも、ということ? でも、今回の募集は一人、多くて二人の予定だったけれど……」
「うん。でもさ、今話していて思ったんだ。みんながみんな、各々得意としている内容やベクトルが全く異なっているじゃない? 税務の山本さん、現場ケアの朝日さん、組織構築の氷室さん。この三人が同じオフィスに揃って、うまく歯車がかみ合えば、一人よりも二人、二人よりも三人と、相乗効果が生まれてとんでもないバックオフィスができると思うんだよね。これから俺たちのクランはどんどん規模が大きくなる。それなら、最初からこの最強の三人に基盤を固めてもらった方が、絶対に将来のためになると思うんだ」
カイトの熱を帯びた提案に、九条院はハッとしたように三人のシートを見つめ直した。確かに、役割が完全に分散しているため、三人が同時に存在しても業務が衝突することはない。むしろ、お互いの弱点を完璧に補い合える理想のチームが完成する。
「確かに……結城くんの言う通りね。その三人が揃ったら、新設クランとしてはこれ以上ないくらい強固なバックが完成するわ。それができるのが、一番の理想であることは間違いないけれど……」
九条院は少しだけ表情を曇らせ、現実的な問題へと懸念を向けた。
「全員採用となると、どうしてもお金の問題が出てきてしまうわ。皆さんこれだけ優秀な方々だし、クランの命運を預かる多岐にわたる業務を任せる以上、世間一般以上の一定の報酬はしっかり支払わないと向こうからの辞退だってあり得るわよ? 今、私たちみんなで出し合って集めたクラン資金の総額は1200万円あるけれど……これから拠点となるクランハウスを借りて、設備を整えることまで考えたら、最初から三人の人件費を抱えるのは財政的に少し厳しくないかしら……」
現実的な計算に基づく九条院の指摘は、極めて真っ当だった。初期費用で資金の大部分が消える立ち上げ期において、固定費である人件費を三倍に膨らませるのは大きなリスクだ。
しかし、カイトの決意は揺らがなかった。彼は静かに、しかし確信に満ちた笑みを浮かべて答える。
「うん、その点なんだけどさ。それなら、足りない分の資金は俺が個人で出すよ」
「結城くんが……!? でも、それは――」
「元々さ、みんなが十全に、何不自由なく使用できるような最高のクランハウスにしようと思ったら、今の1200万じゃ少し足りなくなるかなって思ってたんだ。だから丁度いいよ。俺はほら、みんながまだ行けていないような深層や、未踏破のダンジョンも個人で探索しているじゃない? だから魔石やレア泥の宛てはあるし、資金に関してはいくらでも調達できる手段があるんだ。それよりも俺は、ここで、こんなに優秀で信頼できる人たちを雇うチャンスを逃す方が、クランにとって絶対に良くないと思うんだよね」
カイトの言葉には、自身の圧倒的な実力に裏打ちされた絶対的な余裕と、クランリーダーとしての強い覚悟が宿っていた。
九条院は言葉を失い、カイトの真っ直ぐな瞳を見つめ返した。彼はただの学生冒険者ではなく、すでに一つの組織を率い、その全責任を背負うだけの大器へと成長している。その事実が、心地よい高揚感と共に九条院の胸に突き刺さった。
「……ふふ、そうね。わかったわ。じゃあ、三人とも雇う方向性で考えましょう。ほかでもない、私たちのクランリーダーであるあなたの考えですし、何よりその方が絶対に面白い未来になるものね」
九条院は降参するように微笑み、シートをトントンと綺麗に揃えた。しかし、すぐに真剣な表情に戻って言葉を続ける。
「でも、資金の負担についての件は、今度みんなが集まった時にちゃんと相談しましょう。いくら結城くんに稼ぐ実力があるからといって、クラン全体の運営費に関わる負担をリーダー一人に背負わせるというのは、組織としてあまり褒められたことじゃないと思うの。他のみんな……佐藤くんや美紀ちゃんたちだって、それを知ったら『自分たちももっと頑張って稼ぐから、カイトだけに負担させるな』って絶対に怒るはずよ?」
「あはは、確かに。佐藤たちなら、めちゃくちゃ食ってかかってきそうだな」
仲間の顔を思い浮かべ、カイトは苦笑した。皆、仲間の好意に甘えるだけの軟弱な性格ではない。むしろ、全員で背負ってこそ真のチームだと主張するだろう。
「今日の面接の評価や所感、そしてこの三人を全員雇いたいという方針についても、結局はクランメンバー全員にきちんと話して承認を得ないといけないことだから。その会議の時に、資金の件も含めてまとめてみんなに相談しましょう。それでいいかしら?」
「うん、それが一番いい。ありがとう、九条院さん。そうしてもらえると助かるよ」
方針が完全に決まり、個室内の空気は一気に晴れやかなものへと変わった。これから始まる新クランのバックオフィスが、最強の三人の歯車によって駆動していく未来を想像し、二人の胸には確かな高揚感が広がっていた。
「じゃあ、方針も無事に決まったところで、そろそろ私たちも解散にしましょうか。お茶代はクランの経費……と言いたいけれど、まだ動いていないから、ここは九条院家の名前で落としておくわね」
九条院が少しお茶目に笑いながら立ち上がる。カイトもそれに合わせて荷物をまとめ、スマートフォンの画面で時間を確認した。
「うん、今日は本当にありがとう、九条院さん。面接の段取りから何から、全部君が準備してくれたおかげだよ。これからもよろしくね」
「こちらこそ、これからもよろしくお願いね、クランリーダー」
二人はブックカフェを後にし、夕暮れ時の都内の雑踏へと歩き出した。
四十層のボスを倒し、最高の裏方スタッフの候補が揃った。カイトたちのクランは、今まさに、地上でもその産声を力強く上げようとしていた。
『現在のジョブ:魔人(Lv.41)』
『使役モンスター:イスト(Lv.7・天空騎士)、ティロフィ(Lv.8・黒白龍)』




