第128話:天龍激闘
遮るもののない岩山の頂上。広く平らな円形の広場の中央で、天龍は雄大な姿のままとぐろを巻いていた。
薄緑色の鱗が陽光を弾いて神秘的に輝き、口元から伸びる長いひげが、ピりピりと張り詰めた大気を敏感に捉えている。
カイト、イスト、ティロフィの三人が身構えた、まさにその瞬間だった。
天龍の細められた双眸が、明確な敵意をもって侵入者たちを射抜いた。
――動く。
巨体に見合わぬ絶大な俊敏性だった。天龍はその長い身体を爆発的に引き伸ばし、文字通り天へと昇るような軌道で垂直に飛翔した。
凄まじい風圧が広場を圧する。上空数十メートルにまで一瞬で到達した天龍は、空中を泳ぐように身を翻すと、地上を見下ろし、その巨大な顎を大きく裂いた。
開幕の先制攻撃。それは、予備動作をほとんど挟まない、極大のブレス放射だった。
「ガァァァァァァァァッッッ!!!!」
放たれたのは、ただのエネルギーの奔流ではない。
暴風の魔力によって限界まで圧縮され、視認することすら困難な無数の「かまいたち」で構成された、不可視の惨劇。直撃すれば、肉も骨も分子レベルで微塵切りにされるであろう凶悪なブレスが、広場全体を覆い尽くすほどの範囲で降り注いできた。
「【流剣】――ッ!」
誰よりも早く反応したのはイストだった。
長年、カイトの前衛として堅実な盾であり続けた彼女は、主へと迫るブレスを遮るように一歩前へ踏み出す。直剣に濃密な魔力を込め、その刃の軌道で敵の攻撃の威力を受け流す防御剣技――【流剣】の構えを取った。
だが、相手が悪すぎた。
「っ! 待て! ダメだイスト――ッ!!」
カイトの鋭い静止の声が響いたが、一歩遅かった。
天龍の放ったブレスは、物理的な打撃でも、単一の指向性を持つ魔法でもない。広範囲に猛り狂う、無数の刃の渦なのだ。
キィィィィィィィンッ!! と大気を引き裂く金属音が響く。イストの放った【流剣】の魔力の軌道は、降り注ぐかまいたちのほんの一握りを逸らすことしかできなかった。
流し切れなかった圧倒的な暴風の刃が、イストを、そしてその後方に位置していたティロフィとカイトを容赦なく襲う。
「グルゥッ!」
刹那、ティロフィがその巨体を強引に割り込ませ、二対四枚の大きな翼を広げてカイトを包み込むように庇った。
進化したばかりの【黒白龍】の強固な鱗が、ガガガガガガッ! と火花を散らしてかまいたちを弾く。ティロフィが盾となったおかげで、カイトとティロフィの二人はそこまで大きなダメージを受けずに済んだ。
しかし、正面からブレスの直撃を浴びたイストの被害は甚大だった。
「くっ、あ……っ……!」
白銀の美しい鎧は無数に切り刻まれてひび割れ、隙間から魔力の光がパチパチと漏れ出している。辛うじて膝を突くのは免れたものの、その身体は文字通りボロボロだった。立っていることすら奇跡に近い。
「申……し、訳……ありま…せん……」
兜の奥の炎を風前の灯火のように揺らしながら、イストが悔しげに声を絞り出す。レベル70の【銀騎士】であっても、二十六階層の固有種が放つ全力の初撃をまともに受ければ、こうなる。
「気にするなイスト、前衛として最高の反応だった! ――ティロフィ、【黒白反転】! 白龍形態になってイストの回復に努めてくれ!」
「グルォォッ!」
カイトの指示を受け、ティロフィの全身の鱗が漆黒から瞬時に純白へと反転する。
ティロフィは【白龍の誇り】を宿した白い翼を羽ばたかせ、イストの足元へ【癒しの風】をまき散らした。緑色の柔らかな光がイストを包み込み、刻まれた無数の傷を急速に塞ぎ始める。
「よし、イストが戦線に復帰するまで――俺が時間を稼ぐ!」
上空の天龍が、仕留め損ねた獲物を見下ろして次の魔法を紡ぎ始めている。
カイトは『魂吸の杖』を強く握り締め、地面を蹴った。
「【短距離テレポート】!」
音すら置き去りにするように、カイトの姿がその場から消え去る。
直後、カイトが数瞬前までいた地面へ、天龍の放った不可視の風の槍が突き刺さり、岩肌を爆散させた。
上空へと転移したカイトは、空中から天龍の側面を捉える。
「こっちを見ろ、トカゲ野郎! 【内包の巨槍】――属性『雷』!」
魂吸の杖の先端から、紫電を激しく迸らせる巨大な雷の槍が射出された。バリバリと大気を引き裂きながら飛んでいく一撃は、空中を泳ぐ天龍の胴体へと直撃する。
「ギャァッ!?」
天龍が不快そうに身をよじった。ダメージ自体はそこまで深くはないが、カイトの狙いはヘイトの強引な引き付け(タゲ取り)だ。
天龍の双眸が完全にカイトをロックする。
迫り来る次の風魔法。カイトはすかさず【ディメンション・シフト】を発動させ、自身のヘイトを完全リセットすると同時にターゲットを強制的に外し、数秒の自衛時間を確保。着地と同時に再び【短距離テレポート】を駆使して、岩山の広場を縦横無尽に駆け巡った。
一人で二十六階層のトップエネミーの攻撃を捌き続ける、極限の綱渡り。
しかし、二ヶ月の周回で磨き上げられたカイトの立ち回りに、一切の無駄はなかった。敵の熾烈な風魔法の嵐を、紙一重の転移とステップで躱し続け、確実に時間を稼いでいく。
そうして一人で天龍の相手をすること数分。
「――主! 大変長らくお待たせいたしました!」
凛とした、そして怒りを孕んだ力強い声が戦場に響き渡った。
カイトが視線を向けると、そこにはティロフィの【癒しの風】によって傷を完全に癒やし、白銀の甲冑の輝きを取り戻したイストの姿があった。
「最初の失態、この剣にて必ずや雪いでみせます!」
「頼むぞイスト! ティロフィ、そのまま白龍形態を維持! イストに【龍の加護】をかけろ!」
「グルゥゥッ!」
ティロフィが咆哮を上げ、新スキル【龍の加護】を発動する。
聖なる光の筋がイストへと降り注ぎ、彼女の全能力値を「大上昇」させた。
さらに、ここでティロフィの新境地が発動する。パッシブスキル【白龍の誇り】。他者に与えたバフ効果を、すべて自身にも適用する。
カイトへの直接の指示ではなかったが、カイトは即座にその意図を汲み取った。
「ティロフィ、そのバフを俺にもかけて全体へ! 反転して自身を強化するんだ!」
バフの波動が戦場を駆け巡る。
【白龍の誇り】による劇的な能力大上昇を得たティロフィ。そして、【龍の加護】によって同じく大上昇の恩恵を受け、さらに【主への誓い】の効果も乗っているイスト。一人と二体の使役獣は、戦闘開始直後とは比較にならないほどの神々しいオーラを全身から吹き荒れさせていた。
「いきます……! 【瞬動】!」
イストの姿が文字通り掻き消えた。
大上昇した敏捷性による【瞬動】は、天龍の動体視力すらも置き去りにする。イストは天龍の背後、その頭上へと一瞬で位置取っていた。
「【百連斬】――ッ!!」
白銀の閃光が、上空で爆発した。
目にも留まらぬ高速の百筋の斬撃が、天龍の硬質な薄緑色の鱗を容赦なく切り刻んでいく。ギチギチギチィッ! と激しい火花が散り、天龍が苦悶の咆哮を上げた。
「グルォォォォッ!」
そこへ合流するのは、二対四枚の白い翼を力強く羽ばたかせたティロフィだ。
空中を自在に飛翔するティロフィは、イストと息の合った完璧なコンビネーションを披露する。イストが斬りつけ、敵が怯んだ隙を突いてティロフィの巨大な尾が【竜鞭】となって天龍の胴体を叩きつける。ドンッ! と重低音が響き、天龍の巨体が地上へと叩き落とされた。
上空を完全に制圧する使役獣二体の近接コンビネーション。
地上の中心、安全圏を確保したカイトが、魂吸の杖を掲げて仕上げに移行する。
「お前たちのコンビネーション、地上から最高の一撃で合わせてやる! 【内包の巨槍】――属性『炎』!」
複製魔法陣を展開する暇すらなかったが、大上昇したカイト自身の魔力と、魂吸の杖の補正があれば単発でも十分だった。大気を陽炎で歪ませる巨大な炎の槍が、地上でもがく天龍の脳頭へと正確に突き刺さる。
ドガァァァァンッ!!
激しい爆炎が岩山の頂上を包み込んだ。
イストの百連斬、ティロフィの猛攻、そしてカイトの魔法。三位一体となった怒涛の連撃を受け、ついに天龍の体力が完全に底を突いた。
「ガ……、アァ…………」
天龍は最後に小さく天を仰ぐような声を漏らし、その場へと崩れ落ちた。
やがて、その長い身体がサラサラと光の粒子へと変わり、二十六階層の強い風に吹かれて完全に霧散していく。
「ふぅ……。一時はどうなるかと思ったけど、何とか勝利、か」
カイトは肩の力を抜き、額の汗を拭った。
開幕の想定外の一撃によるピンチを、個々のスキルシナジーと機転で見事に引っくり返した、薄氷にして完全な勝利だった。
『現在のジョブ:魔人(Lv.39)』
『使役モンスター:イスト(Lv.70・銀騎士)、ティロフィ(Lv.3・黒白龍)』




