教授と理事長
「どうしたことか…」
もう何度目かわからない言葉が聞こえてきた。
ここには、この学校に勤める教員、そして生徒会のメンバーが集められておる。
その中で、発言権があるのは理事長先生、学園運営における四つの「委員会」の長、特任教授たるわし、そして生徒会長だけなのじゃ。
そしてそれらの者どもは皆悩んでおる。
わしも悩んでおる。
受験番号133の扱いについてじゃ。
『実践』の試験で装甲王亀を倒したのに加えて、あやつは人間には制御がとても難しい魔力弾を使ってみせた。
申し分ない成績じゃの。
わしとしても個人的な理由のことも含め是非とも入学させてやりたいが、あやつは筆記試験の成績が凄まじく悪かったらしいのだ。
百点満点の『魔術論』でなど四点しか取っておらんかったとか。
にわかには信じがたい話じゃ。
ここ数年一桁の点数を取る者などなかったというのに…。
そしてじゃ。この学校の入試においては足切りが毎年適用されておる。
しかも、このことは受験生なら誰もが知るような情報なのじゃ。
さらに、我が校は王政の方針で採点された答案を受験生に返却しておる。
そこで、一桁の点数をとった者が合格したと知れれば?
我が校の信用は駄々下がりじゃろう。
…ふむ、どうしたればよいのやら。
「じゃあ、今年度に限り特待枠を新設するとかはどうです?」
空気を読まずに生徒会長が言った。
口調も軽々しい。
はあ。だからこやつが好きになれんのじゃ…。
わしはため息をついた。
「この学校の理念すら覚えておらぬとは…誉れ高きバルテン王立学校の生徒の代表たる者も廃れたのう…」
理事長先生も続ける。
髪を剃った初老の男性で、どこか優しそうな雰囲気をたたえている。
「そうですね。
『皆等しく、勤勉であれ』
初代様の尊きお考えでございますよ」
わしは理事長先生には二度も大恩がある。
その上、素晴らしくできたお人だ。
数千人の学生を抱えるこの学校の理事長という激務を長年こなしていらっしゃる。
わしより十歳近く若いが、わしが敬わずにはいられない方じゃ。
「あくまで平等を大事にする、ということですね」
生徒会長はようやく腑に落ちたような顔だ。
本当にこんなポンコツで大丈夫じゃろか…。
しかし、生徒会長の誤りを正したからといっていい考えが浮かぶというはずもないのじゃな。
それからも長いこと会議は続いた。
わしは次第に退屈になっていった。
目の奥に思い出されるのは、あの少年が放った赤黒い水晶のような弾丸。
それを思い出すと、胸の奥に微かな痛みが蘇る気がする。
わしがいくら努力しても習得できなかった数少ない魔術。
魔力弾。
…
……
………
———六十年前、中央湖
中央湖とは、魔族圏と人族圏を遮る巨大な湖のことである。
千二百年前の第五次聖魔大戦でできた副産物。
魔族圏と人族圏の間はこの湖のあった場所以外全て高い山脈が聳えているため、実質この湖が魔族圏と人族圏の唯一通行可能なルートだ。
ただ、湖の上を進むことは不可能である。
聖魔大戦終結後、人族と魔族が融和路線を進んだ中で、湖の戦略的な利用ができないように、湖に大量の海龍が放たれたのだ。
海龍は、地上に住む竜とは別種で、魔族にも人族にも敵対しないため、魔物として見なされることが少ない。
ちなみに、『魔物』の定義は人族に積極的に敵対するもののうち、言語を持たないもの、のことである。
そのため、ゴブリンなどは村を作る程度の知能はあるが、音声言語を解さないため、魔物とされる。
閑話休題。
海龍は、人族だろうと魔族だろうと魔物だろうと関係なく、自らの縄張りを侵すものに敵対する。
また、一匹でも敵認定した対象は全ての海龍から敵となる。
この性質があるおかげで、船は全て撃沈され、湖を凍らせようとしても砕かれる。
その程度には海龍は強力な存在だ。
そして、湖上には唯一通行可能なルートが存在する。
それは「海道」と呼称される魔族圏と人族圏を繋ぐ道だ。
道の周囲には海龍の攻撃を防ぐための結界が張られ、安心安全。
幅は約五十メートル。
かなり広いが、聖魔大戦レベルの進軍には多少不便だ。
そして、その中間地点には巨大な砦が建設されている。
「海道」を通るには、必ずこの砦内部を通過しなければならない。
砦の上にも高空まで結界が張られており、そこも通れない。
いわば高い防衛機能を持った関所。
ゼンダル砦。現在魔族軍が手中に収めている拠点だ。
聖魔大戦終結直後は、魔族と人族が共に兵士を出し合って砦を警備していた。
その頃は人魔の交流も盛んだったため、双方向から多くの旅人が行き来していた。
ところが、それから二百年して、魔族と人族の関係は悪化。
しかし、攻めようにも「海道」を通るには砦を落とさねばならない。
早速、魔族軍の先鋒が砦を奪取。
人族の兵士は「海道」を伝って人族圏へ戻る。
この砦の優秀なところは、撤退がしやすいことにある。
自領への唯一の道を砦が塞いでいるので、先回りされる恐れがないからだ。
ところが、魔族は内政の混乱により侵攻を断念。
占領された砦はそのまま魔族が管理することとなった。
これで、人族は魔族圏に行けなくなり、魔族も人族圏へと行くものは一気に激減してしまった。
そして、魔族はいつでも人族圏へ攻め込める手立てを手に入れた。
この事件が、一千年前。
そこから、ゼンダル砦を巡る係争が始まった。
人族と魔族が交互に砦を奪い合う戦いが長く続いたのである。
今日、この瞬間もゼンダル砦には人族軍が駐留を続けている。
一人の青年が、見張り台の柵に腰掛けて呟いた。
その目は魔族領へと向けられている。
「あ〜あ、今日ぐらいに魔族の大軍でも来ないかな〜」
青年——ファビアン・シャウワーは、ゼンダル砦で監視の任務についていた。
魔族は数十年に一度攻めてくるだけだが、彼にはそれが待ち遠しくて仕方がなかった。
自分の力を誇示したいという欲望に駆られていたのである。
ファビアンはまだ十代後半にも関わらず、確かな実力を有していた。
ギルベルト王国内で名の知れた迷宮はかなりの割合を攻略しており、年齢の割に経験も積んでいた。
この若さで既にSランク冒険者に王手を指している。
思い上がってしまうのも無理はなかった。
「不謹慎なことを考えないでくださいよ、ファビアンさん。戦いなんてないに越したことはないんですから」
まだあどけなさを残した少年——ロルフがため息をついた。
彼は六歳の時に時に両親を亡くしている。
彼はまだ十歳だが、彼の兄と共に任務についていた。
なんでも、人助けを信条とする兄に感化されたらしい。
「ちょ、ロルフ…。年上の人には礼儀正しくするんだよ?」
ロルフの兄、カミルが呆れたように言う。
盗賊に惨殺された両親を見て、悪人を滅ぼすことを信条とした彼。
彼もまた、魔族圏に繋がる道を眺めている。
三人はここに赴任して一年近い。
その間、魔族が関所を開けて欲しいとやってくることはあっても、人族の犯罪者が活路を見いだすため魔族圏に逃げようとすることがあっても、魔族の大軍がくることはなかった。
「…まあ確かに、来ないに越したことはないんだけどね」
結局カミルはロルフの考えに同意した。
魔族の脅威は、最前線で戦う兵士にしかわからないものになってから長い月日が過ぎた。
だからこそ、必ず定期的に襲撃に来る魔族に対して恐怖する。
敵がどんなものかわからないのだから。
三人はぼんやりと見張り台の外を眺めながら、談笑を続けた。
一旦昼食休憩として建物の中に戻っていた時、それは起こった。
けたたましい警報音が鳴り響き、一瞬で三人は臨戦体制に間隔を引き戻される。
「何事だ!」
「魔族軍が攻めてきた!即刻応戦!」
「なんてことだ!こんな時に…」
騒がしい周囲の声で、まともに思考が出来ず混乱する。
ロルフが思いついたように言った。
「とりあえず…見に行きません?後はそれからです」
「…ああ。上に戻ろう」
三人は見張り台に戻ってきた。
そこで三人が目にしたのは、数千はいると思われる魔族軍だった。
この砦にいるのは精々三百人程度。
いくら防衛戦だからといっても、この戦力差には無理がある。
「「「………」」」
「…今は慌てる時じゃないさ。まだ向こうも射程に入るまで時間があるから、早めに準備を整えようよ」
「そうだ、な。杖持ってくるか…」
「僕らは…下、ですね…」
先ほどまで魔族軍など余裕と言っていたファビアンも、かなり怖気づいていた。
何せ、敵の数が多すぎるのだ。
自分を取り戻すためにも、今までの経験に基づいて魔法を撃つ。
「万物を遮りし、堅固なる盾——『結晶質基盤』」
敵の行動を阻害する目的でも、味方を守るためにも、盾は必要だ。
敵が進んでくる「海道」沿いに、ファビアンはたくさんの透明な盾を配置した。
当然魔力も足りなくなるので、魔晶石を飲み込んで補給。
体に鋭い痛みが走る。
魔晶石で強制的に魔力を回復させると、大抵こうなるのだ。
もう一度、先程と同じ規模で魔術を構築する。
二回分の防壁が出来上がる頃には、人族軍の前線担当が砦の門の前に整列を済ませていた。
土煙を立てながら、大軍が進撃してくる。
砦からそれを見下ろしながら、ファビアンは震えた。
(…これが、人類の仇敵か)
魔族軍の鬨の声が響き渡る。
数十年ぶりの戦いが、再び始まろうとしていた。
——※——
戦いは激しさを極めた。
魔族軍の数は人族軍の十倍以上。
いくら地の利を考慮しても、かなり大きい。
ファビアンたち魔法職が後衛として攻撃魔法を撃ち、カミルたち戦士が前線を張る。
この戦略で、人族軍は魔族軍をある程度押し返していた。
ただ、数の差に押され、人族軍にも少なくない損害が出始めていた。
今も、ロルフが空から飛んできた鳥の頭をした魔族兵に不意打ちを食らった。
横にいたカミルが驚いて、魔族兵に斬りかかる。
ロルフは命に別状はないが、少し動揺しているようだ。
それも仕方ない。まだ十歳なのだから。
「ロルフ!待て、今助けるよ!」
「ファビアンさんもお願いします!」
「『轟炎弾』!」
時間差なく放たれた炎の弾丸が敵の胸を貫き、断末魔を上げながら倒れ伏す魔族兵。
ロルフの顔はまだ動揺したままだった。
次の瞬間、ロルフ目がけて火矢が降り注いだ。
ロルフは咄嗟に避ける。
ここは戦場、四方八方に死の危険は迫っている。
「ロルフ、気を抜くなよ!カミルについてけ!」
「はい!頑張ります!」
安心したファビアンはまた魔族軍に遠距離攻撃を撃ち始めた。
——※——
一時間後。
数の差は覆し難く、魔族軍は砦のすぐ近くまで接近していた。
ここまで来ると、味方のための防壁が逆に敵に利用されてしまう始末で、損害もさほど与えられない。
ロルフとカミルは既に砦に帰還していた。
砦は、砦というだけあって本体の性能も優秀である。
迷路のように入り組んだ作りが魔族軍の侵入を阻む。
人族軍は籠城、撤退へと方針を転換した。
それからすぐに、魔族軍が砦の攻略を開始した。
堅固な要塞に籠るのは時間稼ぎとしてはとても優秀だ。
そう、時間稼ぎ。
人族軍は撤退までの時間を稼いでいた。
もうすでに先鋒は撤退を始めている。
数分して、砦に炎がついた。
下層階からは、戦いの音や焦げ臭さが漂ってくる。
「カミル、さっさと逃げるぞ。ここは危なすぎる」
「いや…僕はここに残るよ」
「「え?」」
ファビアンとロルフの声が重なる。
その驚きも当然だ。これから敵軍が踏み入ってくる砦に留まるなんて。
「あ、そういう意味じゃないよ。殿をやるだけだから」
「いやお前な、殿やったら死ぬに決まってるぞ…」
「僕一人の命と二百人以上の命だったら、僕一人の方が軽いさ。それに、僕が死ぬと決まったわけじゃない」
そう言いつつも、カミルは既に覚悟を決めているようだった。
弟と生き別れることよりも、より多くの人の命を救うと。
「兄上がそうおっしゃるなら、僕も行きます」
「ロルフは、だめだ。お前はまだ幼い。弟を若くして死なせたとなったら、天国の父さん母さんに示しがつかないだろ?」
「…ですが………。…わかりました」
「…うん。元気に生きろよ」
「…そうか。カミル、無事に帰ってこいよ」
未練を断ち切るように、近くで轟音が響き渡る。
その音と共に、二人は砦から脱出した。
——※——
数分後。
人族圏に向けた「海道」を急いで移動する人族軍は、背後の気配に気がつく。
振り向くと、数百の魔族軍が追いかけてきていた。
地の利を失った人族軍にとっては、絶望的な数だ。
「防壁をできるだけ分厚くしろ!転移で逃げるぞ!」
部隊長の迅速な指示により、魔法職の兵士は次々壁を築いていった。
当然ファビアンも分厚い『結晶質基盤』を築く。
それらの壁が敵の攻撃を防いでいる間に、転移の使える魔法職が兵士を人族圏まで送るのだ。
しかし、その作戦にも当然殿が必要になる。
「…俺が、最後は見ます」
「わかった!頼んだぞ!」
ファビアンは最後まで残ることに決めた。
カミルの命を無駄にしないためにも。
魔族軍の火矢や魔法が次々と防壁に衝突する中、ファビアンはひたすら兵士を転移させ続けていた。
他人を転移させるのは燃費が悪い。
もう何度目かわからない魔晶石にによる回復。
その痛みが体を焼き焦がす。
その間も、続々と防壁は突破され続けていた。
(頼む、もう少しだけもってくれ…!)
目に見えて防壁が減ってきた頃、転移作業も佳境を迎えていた。
既に数十人いた魔法職の兵士も半分以下だ。
そして、残りの兵士もあと二十人ほど。
その時、轟音と共に最後の防壁が砕け散った。
それを見て、魔族軍がなだれ込んでくる。
「くっ…荒れ狂う風よ舞い踊れ!『暴風乱刃』」
なけなしの魔力で、ファビアンは魔法を放つ。
風の刃が魔族兵を切り裂き、その隙に残っていた人族兵があらかた転移で帰還した。
その場にいるのは魔法職の兵士が数人と、ファビアン、そして…ロルフだった。
「お前は帰れって言われただろ!カミルにも!」
「僕だけ逃げるなんて勝手すぎるよ!」
そう言って、ロルフは襲いかかってきた魔族兵に斬りかかった。
しかし、どう考えても多勢に無勢である。
「危ないから!後ろの人達に帰してもらえ!」
「嫌です!ファビアンさんと一緒に帰りたいんです!」
ロルフは一度決めたら覆さない兄に憧れていた。
悪く言えば自分勝手なロルフにファビアンは思わず苦笑する。
その時、ファビアンの目は赤黒く光る何かを捉えた。
「危ない!ロルフ、引け!」
次の瞬間、轟音が響き渡り、ファビアンは大きく吹き飛ばされていた。
全身の痛みで、思わず戦意を失いかけるファビアン。
すぐ近くに魔法職の兵士もいる。
転移して帰りたいという邪な考えが湧いてくる。
だが、魔族兵と懸命に戦う幼い少年を見ると、その気も失せた。
本来魔術師であるファビアンは前線で戦うのに向いてはいない。
そんなことは関係ないとばかりに、ファビアンはロルフの元へと走り出す。
その時、再び赤黒い何かが見えた。
「ファビアンさん!」
「おい!俺のことはいいから…!」
それに気づいてか、ロルフが飛び込んでくる。
次の瞬間、それは炸裂した。
ファビアンが目を開けると、目の前に見えたのは脇腹を抉られた少年の姿だった。
「俺を…庇ってくれたのか?」
「…う、ん。ぶ、じで……よ、かっ…た」
それは見ているだけで痛々しい姿だった。
もう、二人とも戦う力は残っていない。
後ろの三人ほどの魔法職の兵士が転移魔法の構築をしているのが唯一の救いだった。
そして、それはそろそろ完成しそうだ。
下卑た顔で嘲笑する敵兵。
その一人が、また腕を突き出して次の弾を撃つべく構える。
(もう詰んでやがる…これしかない、な)
もう魔力も尽き、考える力も失いかけたファビアンの頭に灯る、一筋の光明。
そこに、全ての希望を賭けた。
赤黒い塊が高速で飛来した瞬間、ファビアンはロルフを全力で後ろに投げた。
そして、魔力弾はファビアンを後方へ派手に弾き飛ばした。
転移が使われようとしている場所へと。
一瞬の後。
青白い光が点滅し、その場から人族兵たちの姿は掻き消えた。
——※——
結論から言えば、わしもロルフ様も助かった。
わしは魔力弾に飛ばされて、転移にうまく混ざり込めたのじゃ。
じゃが、ロルフ様が庇ってくれなければ、わしは今ここにはおらん。
あんな幼い体で、もう大人のわしを庇ったのじゃ。
それからじゃな、わしがロルフ様の元で働きたいと思い始めたのは。
ボケ老人の若い頃の話など、誰も聞きたくなかったじゃろうな。
まあ少しぐらい昔を懐かしんでもいいではないか。
そうじゃ、この学園の理事長先生こそ、ロルフ様なのじゃ。
わしの命を救ってくれたお人よ。
そして、魔力弾。
因縁、というか、何というか、説明しずらいのじゃが…
あれを使える者に出会えたのは何にせよ僥倖じゃった。
じゃが、まだあの者を入学させるのは難しそうだがな。
わしは諦めんぞ!
必ず引き込んでやるぞい!




