鋼鉄を刻む刃
Sランク冒険者。
それはこの世界で、たった三人しか認められていない『到達者』の証。
その一人が今、俺の目の前に立っている。鬼の亜人、エンジュ。その圧倒的な武力と暴力で全土に名を轟かせている、生きた英雄だ。
「Sランク冒険者が、いったいなんでこんなことを……?」
俺が呆然と呟いた直後だった。ドッ、と突風が吹き荒れた。
視界からエンジュの巨躯が消える。
次に気づいた時、彼女はその体格に見合わない異常な速度で俺の眼前に迫り、岩のような拳を振り上げていた。
「お前は眠っておけ」
見下ろされる凄まじいプレッシャーに、心臓が鷲掴みにされたように恐怖し、両足が棒のようにすくむ。
「おっさん!! ビビるな!!」
ツバキの鋭い怒声で、俺はハッと我に返った。
慌てて地面にすがりつくように身を沈め、渾身の力で回避行動をとる。俺の頭上すれすれを、空気を削り取るような轟音と共に拳が通り過ぎていった。
「おっと!」
かわしたのも束の間、今度はエンジュの丸太のような足が追撃とばかりに迫り来る。
避けきれない! 俺は咄嗟に背中を向け、背負っていた盾でその蹴りを受ける態勢をとった。
ガァンッ!!
「ごほぉっ……!」
盾越しだというのに、背骨が粉々に軋むような激痛が走る。
だが、俺は蹴りの衝撃に逆らわず、自らボールのように地面を転がって威力を殺し、なんとか致命傷を避けて距離を取った。
「ほぉ、なかなか粘るやつだな」
エンジュが余裕の笑みを浮かべながら、感心したようにこちらを見下ろしている。
俺は震える手で盾を構え直し、荒い息を整えた。
……ツバキとの鍛錬をしてなかったら、今の一撃で確実に落とされていたな。
速度だけでいえば、本気のツバキの方がずっと速い。普段からツバキの動きを目で追うことに慣れていたのが、土壇場で功を奏したのだ。
「お前の相手はこっちだ!」
俺の窮地に、ツバキがエンジュへ斬りかかる。
しかし、エンジュは顔だけをツバキへ向け、悠然と待ち構えていた。そして、神速で薙ぎ払われたツバキの刀を――なんと、無防備な生身の腕で真っ向から受け止めたのだ。
ギィンッ! と、刃と肉がぶつかったとは思えない硬質な金属音が響く。
「鬼の皮膚は、鋼鉄並みに硬いんだよ!」
エンジュはニヤリと笑うと、刀を受け止めたまま、もう片方の腕でツバキの身体を容赦なく殴り飛ばした。
あのツバキが、力負けして圧倒されている!?
俺は信じられない光景に唖然とする。だが――。
「……チッ! 殴り飛ばす前に、何回か斬り刻まれたな」
エンジュが刀を受けた腕をさすりながら、忌々しげにぼやいた。よく見ると、彼女の鋼鉄の腕には幾筋もの浅い切り傷が刻まれている。
そして吹き飛ばされた先には、見事に空中で受け身を取り、特段ダメージを受けていない様子のツバキが静かに刀を構え直していた。
やっぱりツバキも、この最高峰の戦士に食らいつけるだけの、とんでもない強さを誇っている。
二人の強者が静かに睨み合い、その場の緊張感が限界まで張り詰めた。
いつ次の激突が起きてもおかしくない。そう身構えた俺たちの前で――ふと、エンジュが毒気を抜かれたように笑みを浮かべた。
「不意打ちなんてして悪かったな。噂の『狂犬』と、どうしても手合わせをしてみたくてな」
エンジュはひらひらと両手を広げ、敵意がないことをアピールする。
「いろいろと話がしたくてここに来たんだ。どうだい、休戦といかないか?」
ツバキは鋭い視線で少しの間エンジュの様子を窺っていたが、やがてチャキ、と刀を鞘に収めた。
「分かった。ここで休戦としよう」
「おい! 大丈夫なのか!?」
いきなり現れた無差別襲撃犯だぞ。俺は思わずツバキに問い詰める。
「奴の攻撃には加減があった。本気で危害を加えるつもりはないはずだ」
ツバキはエンジュから視線を外さずにそう答えた。
「――少なくとも、この場ではな」
そんな不穏な言葉を付け加えながら。




