8話 黄金の森
洞窟を出ると、暖かい日差しが僕らに降り注いだ。黄金色の木が、点々と生えている。僕はスニーカーに付いた泥を落とす。苔と岩ばっかりだった洞窟内と違って、色とりどりの花やら、見たこともない新種の蝶やら、どこに注目すればいいのか分からなくなるほどの景色の広さだ。
「おい、星クズ。どっちに行けば、アタシ達は帰れるんだ」
クリスがつまらなそうにあくびをする。クリスは泥だらけのブーツで、地面に点々と大きな足跡を残していた。
「さっきも言ったように、私にはあなた達のいた世界に戻す力はないのよ」
“星クズ”って呼ばれて少し不満げなコーラ。クリスも帰る方法が結局分からずじまいだったためか、舌打ちをする。
「じゃあ、どうすればいいんだよ。このまま正義の勇者ごっこでもしろっていうのか?」
「あなた達はこの世界を救うべく呼ばれてやってきた。だから、世界を救えればもしかしたら元の世界に帰れるかもしれないわ」
クリスはコーラに食って掛かる。でも、コーラは何食わぬ顔でクリスをあしらった。本当にこの宇宙人は怖いもの知らずだよ。目の前に鼻息を荒くしている人間がいても、眉一つ動かさないなんて。世界を救えれば、っていうけど、そんなの僕らは一生元の世界に戻れないって言っているようなものじゃないか。さっきモーガンに追いかけられただけでも、死ぬかと思ったんだから。
「……言っておくがアタシは世界を救うつもりなんてねぇぞ。そんな偽善者じみた事なんてやりたくねぇからな」
「でもクリス、どのみち今の僕らにはコーラしか頼りになる人はいないんだよ」
僕の言葉に、クリスは顔をしかめた。まずい、殴られるかな。
「あんな星クズの言うことを信じるなら勝手にしろ!」
言うなりクリスはまた、スタスタと森の奥に行っちゃった。せっかちな妹だ。猪みたいに突っ走っちゃうんだから。クリスの走った後は、草が乱暴に踏み抜かれている。この足跡をたどって行けば、少なくともクリスを見失うことはなさそうだ。僕はやれやれとため息をつく。
「あなたはどうするの? リアム」
コーラが僕を問いただす。いきなりコーラに詰め寄られて、僕は心臓が跳ね上がる勢いだった。どうするって言われてもなあ。妹はああだから心配だし、でも帰り道も知りたいし。
「ごめん、コーラには悪いけど、僕はクリスと一緒に帰らなくちゃいけないんだ。世界を救う勇者なら、他をあたってくれないかな」
僕は申し訳なさそうにコーラに告げる。コーラは僕の言葉を聞くと、残念そうな顔をした。そんな顔をされると、ちょっと身がすくむよ。まるで僕らだけが頼りだと言いたいような視線なんだもの。
「……そう。でも、私はあなた達が世界を救ってくれると信じているわ」
コーラはヒスイ色の目を輝かせて僕を見る。うわぁ、ますます気まずくなるよ。この星の妖精は頭が石みたいに固いのか、僕らが世界を救ってくれると信じてやまない。たとえ僕らにその意思がなくてもね。僕はため息をついて、森の乾いた黄土色の地面を踏み出す。青空に浮かぶ金色の太陽が、木々の隙間から僕らを照りつける。今はクリスの後を追わなくちゃ。あんな犬の石像が出てきたんだ。ここはもう僕らの知っている世界じゃない。さっきは助かったけど、次に怪物と会った時が妹とお別れをする時だなんて縁起でもないからね。
森は思った以上に広かった。金色の木があちらこちらにねじれて、まるで僕らを迷わせるように手招きしているみたいだ。足元も段々木の葉が落ちてきて、金色のカーペットに代わっていく。でも、足跡が消えてもクリスの行方はすぐにつかめた。だってクリスったら、ここはアタシ専用の道だって言わんばかりに落ち葉のカーペットを踏み抜いているんだもの。カーペットが泥まみれの大きな足跡をくっきり残していたよ。僕の前を蝶々の様にひらひら舞う星がいる。コーラだ。あんなことを言ったにもかかわらず、コーラは相変わらず僕を案内するように漂っている。
「ねえ、コーラ。どうしてコーラは僕に付いてきたの? 僕は世界を救う人間じゃないんだよ」
「あなたがそう思わなくても、私はあなた達を導く使命があるのよ」
コーラは聞き分けのない子供に言い聞かせるように僕の目を見る。こんな世界を救えるわけがない人間についてくるなんて。しかも何の力もないただの子供に。
「他にやりたいこともあるだろう? 何も僕なんかのために道案内しなくてもいいじゃないか」
「私にあるのはあなた達を導く使命だけよ。それ以外には何もないわ」
コーラは冷たくきっぱりと僕の言葉を突っぱねる。今まで見てきたコーラの中で一番冷たく、本当に得体のしれない宇宙人みたいな目つきだった。僕は反論しようとしたけど、コーラの顔を見て出かかった言葉を飲み込む。聞きたかったけど、あんな顔をされたら聞く気にもなれなかったよ。やっぱり宇宙人は宇宙人だった。僕が説得できるほどの相手じゃなかったんだ。僕はそのまま黙ってコーラの傍を歩く。コーラも話そうとしない僕の様子を察したのか、いつも通りの無機質な顔でいた。しんと静まり返って、風で木の葉が揺れる音しか聞こえなくなる。クリスとはだいぶ離れちゃったのかな。今頃彼女が踏み散らしているであろう落ち葉の音も聞こえない。それとも、怪物に食べられたから足音がしないのかな。僕は抵抗むなしくクリスが大きな怪物に食べられている姿を想像して、身震いする。いくら狂暴な猛獣とは言えど、所詮は人間だ。しかも、仮にも女の子だ。そんな妹が怪物を倒す姿なんて思い浮かばないよ。
「何陰気臭い顔してるんだ? ちびっ子」
突然、背後から不気味な声が聞こえてくる。僕は慌てて振り向くけど、そこには誰もいなかった。コーラもキョロキョロと辺りを見回している。周囲の木が、風に煽られたようにざわついた。ひょっとして、怪物? 僕は足を震わせて、その場に立ち尽くす。
「こっちだぜ、ちびっ子」
声が別方向から聞こえて、僕は慌てて振り向いた。木の傍に、クリスより少し大きいぐらいの人影がいた。人影はゆっくりと僕らのほうに近づいてくる。木漏れ日に照らされてはっきりとわかったけど、それは人の影なんかじゃなかった。形は僕達人間にそっくりだけど、被っている紫色のニット帽の隙間からはみ出る白い髪は、炎みたいに揺らいでいる。ボロボロの黒いジャケットの袖から覗く手は、死人みたいに青白い。まるで、映画に出てくる吸血鬼みたいだ。ニット帽の吸血鬼は足音一つも立てず、不気味な笑みを浮かべながら歩いてくる。その猫みたいな琥珀色の目は吸血すべき相手を見つけたように、ギラリと輝いていた。僕は歯をがたがたいわせて後ろに下がる。コーラも得体のしれないものでも見るように、警戒していた。
「そんなカスタネットみたいに歯をガタガタいわせるなよ。別にお前さんを取って食いやしないさ」
ニット帽の吸血鬼は僕の口角を無理矢理上げさせる。突然のことに、僕は金縛りにあったみたいに硬直した。口の端に保冷材でもつけられた気分だよ。炎みたいな髪型をしているけど、顔を近づけられても不思議と熱くなかった。吸血鬼は悪ガキのようないたずらっぽい笑みを浮かべる。ジャケットと同じぐらい黒いズボンには、所々灰のような模様がついていた。こうしてみると、吸血鬼は木の傍にいた時以上に大きく見える。大学生のジョージ兄さんぐらい大きい。
「あなたは誰?」
「ごきげんよう、ちびっ子と星明かりちゃん。オレはルシアン、ただのしがない遊び人さ」
吸血鬼、ルシアンは飄々とした口調で名乗る。口調とは裏腹に声はジョージ兄さんみたいな、声変わりした男の人の声だ。ルシアンは僕から手を放して、コーラに丁寧に会釈する。どうやら子供の血はお気に召さないのか、僕に顔を近づけても首筋に歯を立てようとはしなかった。そもそも、本当に吸血鬼かどうかも分からないけど。痩せぎすで顔も青白いし、口からはみ出る鋭い牙さえなければただの顔立ちの整ったゾンビだ。コーラは突然会釈されて、ひどく困惑している。
「ごめんなさい、あなたが何の目的で私たちに話しかけたのかは分からないけど、私たちは先を急いでいるの」
「おやおや、つれないねぇ。ひょっとして、あのじゃじゃ馬ガールフレンドを探しているのかい?」
ルシアンはナンパに失敗したジョージ兄さんみたいに、大げさな手ぶりをする。コーラはルシアンのつかみどころのない態度が気に入らないのか、疑い深い視線を向けていた。
「じゃじゃ馬ガールフレンド?」
「そう、茶髪でおっかない目つきのお嬢ちゃんさ。オレなんか気にも留めないで、突っ走っていっちまったぜ」
ルシアンはそう言うと、そのじゃじゃ馬が走っていった方角を指さす。落ち葉を踏み散らした跡が、ちょうど一本道になっている。やっぱりクリスだ。
「困ったもんだ。あの先には気難しい門番がいるんだぜ」
「えっ……」
ルシアンの言葉に、僕は全身に電流が走ったように身震いした。クリスは間違いなく、話し合いでその門番に通してもらえるように頼めるはずがない。挨拶代わりにパンチを繰り出してきそうだ。
「どうした、ちびっ子? 顔色が悪いぞ」
「あれは僕の妹なんだ。止めに行かないと」
僕はいてもたってもいられなくなって、足跡のほうへ走ろうとする。でも、コーラは石像みたいにその場を動かなかった。ずっと疑い深い目つきで、ルシアンを睨んでいる。
「……怪しいわね。目的はいったい何?」
「全く、星みたいに刺々しいレディだ。オレはただ、じゃじゃ馬ガールの危険を知らせに来ただけだぜ」
冷淡な口調のコーラなんか気にも留めず、ルシアンは冗談めいた口調で茶化す。この吸血鬼はサーカスのピエロみたいに口を開けば冗談しか言わないみたいだ。口を開かなきゃドラマに出てくる若い俳優みたいにかっこいいのに。どこまでが本気なのか信じられないよ。でも、クリスが危ないのは事実だ。
「まあ、オレの話を信じるか信じないかはお前さんたちの自由だ。じゃあな」
ルシアンは言うなり、煙のように姿を消した。僕はまた木の傍にいるんじゃないかとあたりを見回す。でも、そこには黄金色の茂みしかなかった。コーラは呆気にとられて、目をビー玉みたいに丸くしている。
「つかみどころのない人ね。調子が狂うわ」
コーラは不機嫌そうに呟く。星の宇宙人とピエロみたいな吸血鬼だからね。仲良くなるはずがないよ。でも、結局彼が何者なのか分からなかった。ふらっと現れたかと思ったらまたふらっと消えちゃった。まるで風みたいだ。いや、煙なのかな。
「行こう、コーラ。クリスが危ない」
「……そうね。あの人が言っていたことはにわかに信じられないけど、クリスを見つけないと」
コーラは調子を取り戻したのか、僕を見てうなづく。その顔を見て、僕も少し安心した。多分コーラはこの先も、自分の使命に忠実に動くと思うけど、クリスを探すっていう目的は一緒みたいだ。僕は騒がしい吸血鬼がいなくなった森を、コーラと足並み(コーラに足はないけど)をそろえて歩く。そういえば、コーラはいつも僕の先を行ってたけど、今は僕と並んでいるな。宇宙人にも並んで歩くっていう文化があったのかな。僕もそのほうが、軍隊の列に並ばされているような感じがなくて少し嬉しいけど。




