5話 洞窟
「ねえ、ここは一体どこなの?」
沈黙にたまりかねて、僕は口を開く。僕は静かなところは好きだ。でも、息が詰まるような静けさは嫌いなんだ。さっきっから耳鳴りのように猛獣の声が聞こえて、そろそろ頭がおかしくなりそう。ただでさえ変な場所にいて、頭がこんがらがっているのに。
「ここはモーガンの洞窟。魔獣、モーガンがうろつく危険な洞窟よ」
「でも、僕達は図書館にいたんだよ。どうしてこんな危険な洞窟にいるの?」
やっぱりあの声は猛獣の声だったんだ。それも魔獣だなんて。にわかには信じ難いけど、あのうなり声を聞いていると不思議と嘘じゃないように思えてくる。自分でもおかしいと思ったよ。魔獣なんて、絵本でしか見たことがないからね。
「それは、あなた達がこの世界に呼ばれたからよ。あなた達は魔王からこの世界を救うことができる存在なの」
「えっ……」
突然告げられた事実に、僕は思わず驚きの声が漏れた。魔王? 世界を救う? 一体どういうことなんだ。僕らにそんなことができるはずがない。
「冗談じゃねぇ! アタシ達はそんな事のためにこんな所に連れて来られたのかよ!?」
クリスティンが地面の石ころを蹴飛ばし、雄叫びのような怒鳴り声を上げる。洞窟が野獣の雄叫びに身を震わせるように振動した。クリスティンがああ言うのも無理もないと思う。僕らはまだ子供だ。それも特別な力も何もない、ただの子供。被っているマリンキャップが、ぶかぶかなほど小さい子供なんだよ。そんな僕らに、絵本で勇者が魔法の剣でドラゴンを倒す真似なんかできっこない。コーラには悪いけど、人違いだと思うんだ。僕らなんかより世界を救うのにふさわしい人間はごまんといるはずなんだよ。
「そうよ、あなた達にしかできないことなの。私は、あなた達を導くべくこの洞窟に来たのよ」
重要な真実を語ったにも関わらず、コーラは態度を全く崩さない。僕はますます戸惑うばかりだ。一刻も早く図書館に戻りたい。こんな所にいたら、この先どんな危険が待ち受けているのか分かったものじゃないよ。それに、パパもママも迎えに来てくれる。図書館にいないと分かったらどんな顔をするだろう。僕の胸は不安でいっぱいになった。
「フン、伝説の勇者ごっこなんかどうでもいい。さっさと図書館に戻せ」
「私は案内人よ。あなた達がいた世界へ戻すことはできないわ」
クリスティンの脅しをきっぱりはねのけるコーラ。クリスティンはコーラに殴り掛かりそうな勢いだった。つくづく融通が利かない宇宙人だ。それじゃあこっちの選択肢は世界を救うしかないじゃないか。
「ぐずぐずしている暇はないわ。魔獣に追いつかれてしまうわよ」
コーラは入り組んだ洞窟の岩肌を縫うように舞う。獲物が見つからず、痺れを切らした魔獣の声が、クリスティンの雄叫び以上に洞窟を揺るがした。聞きたいことは山ほどあるけど、コーラの言うとおりだ。もたもたしていると行き先は図書館どころか魔獣の胃の中になる。僕はスニーカーの紐を結び直して、コーラの方へ歩く。だけど、クリスティンは僕らより先にドタドタ走っていった。
「お前に言われるまでもねぇ。アタシはアタシだけで出口を探す。勇者さんご一行様はゆっくり洞窟探検でもやってな」
クリスティンは吐き捨てるように言うと、僕らのペースなんて気にせず進んでいった。水たまりをブーツで踏みつけているのか、あちこちから水しぶきの音が反響する。困ったな。いくら荒々しい猛獣でも、一応僕の妹だ。妹に世話を焼くのが兄の務めだ、って隣人の長男のジョージ兄さんは言ってた。だけど、実の妹でもないじゃじゃ馬の妹を見たら、いくらジョージ兄さんでも匙を投げ出すだろう。今の僕も同じだ。僕はどうしようもない兄だよ。妹を怖がって、面倒も見れないなんて。
「心配なの? あの子のこと」
コーラに痛いところを突かれて、僕はドキッとする。珍しいな、今まで説明口調だったコーラがそんなことを聞くなんて。人間の感情なんか気にもとめない宇宙人だと思っていたよ。
「……うん。あんなだけど、僕の妹なんだ」
僕はくぐもった声で答える。妹とは言ったけど、僕にクリスティンを妹と呼べる資格はあるのかな。
「きっと大丈夫だわ。この洞窟は一本道よ」
無表情のまま僕を励ますコーラ。実のところ淡々としていて励ましているのかどうかは分からないけど、僕にとっては少し嬉しかった。僕は頷き、コーラに向かって笑ってみせる。コーラは訳が分からなそうにしていた。分からなくても大丈夫だ。これは僕なりのお礼だからね。
魔獣の声がどんどん近くなる。僕はぬかるみに足を取られつつも、一歩ずつ歩を進めていた。乱暴に水たまりを弾く音はだんだん遠ざかっていく。その代わり、レンガを引きずるような音がだんだん近づいてきた。それと同時に、圧迫するような空気が辺りを包む。コーラは空中を漂っていたけど、重い空気を感じ取ったのか後ろを振り返る。
「大変だわ。すぐそこまで来ている」
コーラの声は心なしか普段より少し不穏だ。体を包む光も少し弱まっている。洞窟の奥の方から、魔獣の唸り声のような音が、すきま風に運ばれて聞こえてきた。苔むしたかび臭い匂いが、一層強くなる。僕はその場から離れようとするけど、苔が僕らの行く手を阻むように足にへばりつく。僕は足を振ってしきりに苔を落とそうとした。レンガを引きずる音が大きくなる。その時、洞窟の奥から二つの緑色の目玉がこっちをみてギラギラ輝いていた。僕はたちまち全身の毛が逆立った。あれは確かに猛獣の目だ。猛獣の目なんだけど、作り物のように無機質な目だ。石をすり砕くような唸り声が、天井の岩を揺さぶる。唸り声に混じって、僅かに言葉のような音が聞こえてきた。
「ヴォォォ……ン……。……ドコ……。ガァァ……ゴ……イヨ……」
良く聞き取れなかったけど、甲高い子供みたいな声だ。唸り声と一緒に聞こえたせいか、言葉の一つ一つは意味をなしていなかった。僕は声を聞くなり恐怖で足がすくんだ。……動けない。
今すぐにでも逃げたいけど、足が言うことを聞かないんだ。まるで蛇に睨まれた蛙みたいに。
「何しているの? 逃げるわよ」




