35話 魔王の定め
剣が僕を切り裂く寸前で、目の前が真っ白になる。遠くからクリスの声がした。体から意識が引き離された気分だ。僕、死んじゃったのかな。真っ白になった視界に、一つの人影が入り込んだ。不鮮明で誰だか分からない。でも、不思議と怖いとは感じなかった。
「よお、ちびっ子。もう諦めちまったのかよ。お前さんの物語はそんなに小さいモンじゃないだろ」
聞き覚えがあるけど、意識が混濁して誰だか思い出せない。人影は力が抜けたように笑って、僕の元に歩み寄った。
「目ん玉開けて見てみな。お前さんが守るモンはまだ諦めてねぇだろ?」
人影は僕の肩を強く押す。その時、僕の視界はもやが晴れるように一気に開けた。それと同時に人影は煙のように消えていく。魔王の一太刀は、何かに跳ね返されて弾かれる。ルシアンからもらったバッジが、僕を守るように青い炎を撃ち出した。炎は魔王の肩に命中し、魔王は肩を押さえる。それと同時にもやも消えて、クリスは地面に着地して咳き込んだ。バッジは炎を撃ち出すと砕けて、白い煙をたなびかせる。僕は砕けたバッジを見つめた。そうだ……。まだ僕は諦めちゃ駄目だ。僕にはクリスとコーラがいるんだ。魔王は焦げた肩を隠すように、マントをかぶせる。
「なるほど。飼い犬に手を噛まれる……か。皮肉なものだな」
魔王は呼吸が少し乱れている。だけど、膝を付くことはなかった。クリスは杖から衝撃波を数発撃ち出す。魔王は剣で衝撃波を弾いていたけど、一発が肩に当たって片方の剣を落とした。クリスの顔色がだんだん悪くなる。杖の先端の光もだんだん弱くなった。魔王はもう片方の剣を構えて、クリスに近づく。
「疲れが出たな。魔法を酷使しすぎて気力が失われているぞ」
クリスに斬りかかる魔王。守らないと。僕は地面に刺さっている魔王の剣を引き抜いて、魔王の前に走り出る。魔王は突然の刺客に狙いを変えようとするけど、僕の剣の方が速かった。僕は剣で、魔王の脇腹を刺す。肉を斬る嫌な感覚がした。魔王は空いている方の手で、僕を剣ごと引き抜いて、地面に叩き付けた。重油のようなどす黒い血が、魔王の脇腹から漏れ出る。腹を押さえながら、魔王は僕に剣を向けた。ドラゴンの骨越しでも、魔王が苦しんでいるのが分かる。それを見ていると、僕はこれ以上魔王を傷付けるのが嫌になった。僕らはただ、元の世界に帰りたいだけ。なのにどうして、戦わなくちゃいけないんだ。僕らは勇者じゃない。でも、魔王の剣が話し合いは無用と言わんばかりに、僕に真っ直ぐ突きつけられていた。
「まだ迷うか、リアム。言ったはずであろう。お前は勇者、私は魔王。お前は私を倒すしか道はないのだ」
「ま……待ってよ。僕らは勇者じゃない。ただ、うちに帰りたいだけなんだ。もうこんな事は止めようよ……」
僕の言葉に、魔王は剣で返答する。僕は重い剣を力任せに振って、魔王の攻撃を防ぐ。クリスは息を切らしながら、衝撃波を撃ち出した。だけど、衝撃波は小さく、魔王のマントにかき消される。魔王は再び黒い稲妻を撃ち出して、クリスを拘束した。
「お前達にその気がなくとも、お前達はこの世界に呼ばれ、勇者としての役割を与えられたのだ。そして私は、お前達を殺すべき魔王としての役割があるのだ!」
魔王の咆哮と共に、雷雲が叫びを上げるように荒れ狂う。その声は何処か悲しげだった。僕は後ろに飛んで、魔王の剣戟を避ける。黒いブーツを踏みならして、魔王は剣を構えた。その手は少し震えている。まるで後ろ髪を誰かに引かれているように。この魔王、ヴィンセントはコーラを助けてくれた。紅茶に毒なんか入れなかった。だけど、どうして勇者だからって戦わなくちゃいけないんだ。剣がずしんと重くなる。もし彼が魔王じゃなくて、顔が怖いだけの優しい隣人だったら、一緒にピクニックとかも行けたのかな。もし僕が勇者としての役割を与えられていなかったら、彼と図書館でお話もできたのかな。足が鉛のように重くなって、一歩踏み出すことができなかった。
「情けなどいらぬ! 来い、幼き勇者よ!」
魔王が一気に間合いを詰め、僕に斬りかかる。僕はためらいながらも、剣を真っ直ぐ構えた。魔王の脇腹からは絶えず黒い血が流れ出ている。それを見ると、今すぐにでも剣を手放したくなった。でも、僕は倒れるわけにはいかない。熱くなる目頭。唇を噛みしめて、僕は魔王に立ち向かった。魔王の剣が、僕の首目掛けて振り下ろされる。その時、紫色の衝撃波が魔王の顔に直撃した。クリスだ。クリスは黒い稲妻に体を震わせながらも、杖を握り締めている。魔王は手から剣を離し、ふらふらとよろける。その胸元に僕の剣が突き刺さった。黒い血が、僕の手を濡らす。僕の目は恐怖で見開かれた。僕が握る剣は、深々と魔王の胸を貫いている。血がどくどくと流れ、足下の花を黒一色に染めた。僕はおずおずと剣を引き抜いて、地面にへたり込む。それと同時に魔王も膝を突いた。魔王の力が抜けるように、クリスも稲妻から解放される。魔王は被っている骨の間から、血を垂らしていた。空いている方の手で、魔王は剣を取る。どうしてまだ戦うんだ。僕はもう戦えないよ。こんなに傷ついているのに。戦う理由がないよ。僕の目から大粒の涙があふれ出した。
「ま……まだだ……。私は……倒れるわけにはいかぬ。この物語を繰り返させることが……決して死ぬことのない魔王であり続けることが……私の役割なのだ……」
傷だらけになっても、操り人形のように立ち上がる魔王。その頭からは壊れたドラゴンの骨が落ちた。露わになった顔を、魔王は苦しげに歪める。魔王の素顔は輪郭が曖昧になっていたけど、黒いもやのような顔だった。口も鼻もどこにあるか分からず、エメラルド色の目だけがこちらを見ている。体だけ生かされたゾンビのような足取りで、魔王は剣を握って僕の方へ歩いてきた。思わず目を覆いたくなったよ。魔王の体は今にも倒れてしまいそうだ。ただ、何かが魔王を突き動かしているみたいだ。僕はゆっくり剣を降ろした。
「どうして……どうして戦わなくちゃいけないんだ! 勇者と魔王って言う理由だけで、なんで僕らが殺し合わなきゃいけないんだ!」
胸の奥底からこみ上げてきたものを吐き出すように、僕は叫んだ。間違っているよ。役割があるだけで戦うなんて。これ以上誰かが傷つく姿なんて、見たくないよ。クリスも俯いて、杖を元の花に戻す。魔王も目を細めて、一旦剣を降ろした。僕の訴えを聞いて、魔王も視線を落とす。
「……それがこの世界における、君と私の役割だからだよ。この世界が作られたときから、私はこの世界に来た勇者を滅ぼす魔王ヴィンセントとして、存在し続けたのだ」




