31話 最後の願い
唇を血で濡らして、ルシアンは犬歯を覗かせる。青白い顔に血がべったり付いてて、本当に吸血鬼みたいだよ。僕は肩の痛みを圧し殺して、両手で剣を握る。ルシアンは本当に僕を殺す気だ。僕もルシアンを倒す気で行かないと、殺られる。だけど……。僕が迷っている隙を突いて、ルシアンは火の玉を飛ばした。僕は慌てて伏せて、火の玉を躱す。
「よお、お前さんはどうして諦めようとしないんだ? どうせこの先で魔王にやられて死んじまうのによ」
「僕は元の世界に戻りたいんだ! クリスと一緒に!」
ルシアンの目元が少し痙攣する。ルシアンの手が一瞬止まったけど、すぐに次の火の玉を撃ち出した。僕は盾を作って、火の玉を弾く。そうだ、僕がクリスとコーラを守るんだ。元の世界に帰るんだ。
「決められた役割を演じるのも悪くはないぜ。……何も考える必要がなくなるしな」
なおも続けるルシアン。少し視線を落として、くぐもった声で呟いた。ルシアンはヨーヨーを振って、僕とルシアンの周りに青い炎の円を作り出す。炎の中で、僕とルシアンは向き合っていた。僕を絡め取るように、炎が揺らめく。
「さあ、これ以上抵抗しても苦しむだけだ。火に焼かれるだけだぜ」
ルシアンは目を合わせようともせず、手のひらに火の玉を作り出す。周りの大気を取り込んで、火の玉はどんどん大きくなる。僕も剣を構えて、一歩ずつ進んだ。諦めるもんか。ここで諦めたら、元の世界に帰れなくなる。剣を握る拳が熱くなった。
「なあ……早く諦めてくれよ。その方がオレも仕事が楽になるからさ」
ルシアンは自分の顔より大きくなった火の玉を、震える手で撃ち出せないでいる。僕もその様子を見て、ルシアンに剣を向けられないでいた。ルシアンも迷っているのか? 撃とうと思えば、僕に向かって火の玉を撃てば終わりなのに。しばらくの沈黙の後、ルシアンは覚悟を決めたように炎を纏った拳を振り上げた。琥珀色の瞳が僅かに震える。
「頼むよ……。もう武器を降ろしてくたばってくれよ……」
ルシアンの声も震えていた。炎を纏った拳を、ルシアンはためらうことなく僕に向かって振り下ろす。僕も意を決して、剣をルシアン見向かって振り下ろした。炎が煙をまき散らして、僕らはお互いが見えなくなる。白い煙に覆われて、僕は煙の中に閉じ込められた。煙の中に、ルシアンの影が僅かに見える。僕はそれに目掛けて剣を振った。
「オレだって……。オレだって……お前さんを殺したくないんだ」
煙が止んで、僕とルシアンの姿が露わになる。僕はルシアンの喉元に当たるか当たらないかの距離で、剣を止めていた。ルシアンが驚いた顔をしている。炎の周りに駆けつけたクリスとコーラも、膠着して僕らを見ていた。僕は剣を元の木の枝に戻して、手を下ろす。ルシアンの拳も、殴る相手がいなくなって、力なく崩れ落ちた。
「……どういうつもりだ? ちびっ子。死にたいのか?」
「これ以上戦うのは無意味だよ。僕は戦う気がない人とは戦いたくない」
僕は無防備な状態でルシアンの前に立つ。もう分かったんだ。これ以上の戦いが無益なことを。ルシアンが、僕らと戦う気がなかったことを。じゃなかったら最後の一撃をあんなにためらわないよ。その時、炎の中にクリスとコーラが飛び込んでくる。ボロボロになった体で、僕を守るように二人はルシアンを睨み付けた。
「これ以上戦うなら、アタシが相手になってやる」
「リアムをこれ以上傷付けさせはしないわ」
突然躍りかかった二人の姿を交互に見るルシアン。でも、やがてククッって笑って拳に纏った炎を消した。それと同時に、僕らを包囲していた青い炎も消え去る。
「……全く、お前さん達はどうしてそこまで役割に従わないんだ。……これじゃあ、オレも逆らいたくなっちまうだろうが」
ルシアンは視線を落としたまま、両手を僕らに掲げる。すると、僕らの傷は光に包まれて、どんどん塞がってきた。ルシアンの手から出ているとは思えない、優しい光だ。ルシアンは僕らに道を空けるように端に避けた。
「行きな。お前さん達の勝ちだ……」
ルシアンはヨーヨーを地面に落とす。ヨーヨーは役目を終えたみたいに砕け散った。クリスは腑に落ちないように怪訝な顔をする。
「お前を倒さないと、この先にいけないんじゃないのか?」
「……いいさ、たまには命令に背くのも悪かねぇ。お前さん達がどこまで行けるのか興味が湧いてきたんだ」
そう言うと、ルシアンは僕に何かを投げ渡す。僕はそれをキャッチして、手のひらを覗く。バッジ……? 青く光る炎が描かれたバッジだ。バッジを渡すと、ルシアンの足下が淡い光を帯び始めた。
「そいつで嬢ちゃんを守ってやれ。ちびっ子」
ルシアンは僕に笑顔を向ける。まるでその顔は、昔冒険していた頃のルシアンを見ているみたいだった。僕は頷いて、バッジを胸元に付ける。
「なあ、魔王の命令に背いたら、やっぱりお前は消えちまうのか?」
「…………そうだな。だけど、お前さん達が運命を変えてくれるなら、オレは喜んで命令を無視するぜ」
ルシアンは視線を上げて、少し寂しげに呟く。そして、僕の肩を軽く押した。
「行ってくれ。これ以上負け犬を気にかけても何も出ねぇぜ」
「……ありがとう、ルシアン」
僕が頷くと、ルシアンは満足そうな笑みを浮かべる。まるで吸血鬼から人間に戻ったように。ルシアンを包む光が強くなって、僕らはルシアンに背を向けて、階段を重い足取りで上っていく。胸元のバッジが熱くなる。ルシアンが消える姿なんか見たくなかった。体が振り向くのを拒否していたんだ。涙をこらえて、僕は階段を上り続けた。光が収まると、僕らの背中を押すように、煙がたなびく。それに合わせて、気のせいか僕の耳にはルシアンの言葉が聞こえた。
「お前は諦めるなよ、リアム」




