3話 不思議な本
クリスティンは誰かを傷付けたわけでもない。本を包装紙みたいにビリビリに破いてもいなかった。ただ、図書館の奥の人目に付かない窓際のソファで、いつも通り寝そべっている。僕は安心とすると同時に一つ困ったことがあった。参ったなあ。あそこは僕にとってもお気に入りの場所だ。人目に付かないから、落ち着いて読書をするのに最適だった。でも、今は眠れる獅子のすみかとなってしまっている。いや、ビクビクしてどうするんだ。相手は僕の妹だぞ。妹を怖がる兄が世界のどこにいるんだよ。僕は思いきってクリスティンの前に進み出た。
「ねえ、クリスティン。君は本を読まないの?」
突然話しかけられ、クリスティンは肩をビクッと振るわせる。だけど声の主が僕と分かるなり、苛立たしげに僕を睨んだ。今になって後悔したよ。僕は虎の尾を踏んでしまったってね。
「……本は嫌いだ」
「ずっとここで寝ているのも退屈だろ? 何か興味あるものとかはないの?」
質問する僕にうんざりしたのか、クリスティンは側にある机を蹴飛ばす。
「……興味あるものなんてない」
「そんなことはないだろ。僕も探すの一緒に手伝うから……」
威嚇するような声に僕もまずいと思ったけど、僕は話題を広げようと積極的に話しかけた。もしかしたら、クリスティンが僕を信用してくれるかもしれない。
言い終わらないうちに、クリスティンはいきなり立ち上がった。眉をつり上げ、赤茶色の瞳は苛立ちで震えている。僕はクリスティンが立ち上がって、恐ろしいことに気づいた。普段は猫背で分からなかったけど、クリスティンは僕より背が高かったんだ。僕はクリスティンに圧倒されて、あまりの恐怖に後ろに下がる。クリスティンは僕のシャツの胸ぐらを掴み、背後の本棚に叩き付けた。背中に鈍い痛みが走って、僕は思わず情けない声を上げる。あまりの衝撃に、本棚にある本が数冊落ちた。
「いい加減にしろ! アンタの詮索なんかいらねぇよ!」
クリスティンは初めて感情を露わにして、僕を怒鳴りつけた。その時のクリスティンの声ったら、本当に猛獣みたいに恐ろしい声だったよ。女の子って言うことを忘れるくらいね。僕はオズボーンさんに助けを求めたかったけど、ここは人目に付かない図書館の奥だ。そんなに声が届くわけがない。恐ろしさのあまり、僕は喉に出かかった声が引っ込んで、気持ちが悪くなった。
「周りの奴らはアンタのことを兄ちゃんとか言ってるけどな、アンタはアタシの兄でもない、ただの赤の他人だ。だからアンタとは関わりたくねぇんだよ!」
クリスティンが僕を掴む力が強くなる。予想はしていたが、やっぱりショックだった。初めは僕も、妹ができたって嬉しかったんだよ。でも、やっぱり猛獣が人に懐くことはないんだ。最初から相手にされてないんだから。でも、じゃあどうしてクリスティンは“赤の他人”のはずの僕らと暮らすことになったんだろう。僕にはクリスティンがよく分からなかった。分からないせいなのか、僕の目からは大粒の涙が零れ落ちる。
「そんなこと言うなよ……クリスティン……。だって……」
「それ以上言うな! それ以上言ったら……っ!」
言葉より先に拳を振り上げるクリスティン。ああ……初日から妹に殴られるなんて。僕はきっとこの先もこの怒れる猛獣のサンドバッグになる運命なんだな。観念して僕は目を瞑る。クリスティンが僕を殴ろうと一歩踏み込んだその時、何かかがクリスティンの足に当たる音がした。
クリスティンはそれに気づいたのか僕を離す。いつまでも拳が飛んでこないから、僕は恐る恐る目を開けた。クリスティンの足に当たったのは、一冊の古い本だ。クリスティンは僕のことなんかすっかり忘れて、本をしげしげと眺めている。読み方を知らないのか、本を地面に叩き付けたり、投げたりと見ちゃいられない扱い方をしていた。やっぱり猛獣だからかな。しばらくして文字が読めないことに痺れを切らしたのか、鼻息を荒くする。僕は思わずクリスティンから本を取り上げた。
「なんだ!?」
「ダ……ダメだよ、そんなことしちゃあ。本はこうやって読むんだよ」
僕は本についた埃を払う。説明を理解したのか、それとも本に興味が湧いたのか、クリスティンは急に借りてきた猫のようにおとなしくなった。僕はいつクリスティンが爆発するのかビクビクしながら、本を開く。今までこの図書館の本を見てきたけど、不思議とこの本を開いた記憶はない。まるで誰にも知られずに、ひっそりと置かれていたみたいだ。僕は本の一ページ目を丁寧に開く。古くなって黄土色に染まったページの中には、何も書かれていない。
「なんだ? ……これ」
クリスティンもさすがに変だと思ったのか、首を傾げる。僕は次のページを開く。文字どころか、絵すら見当たらない。三ページ、四ページ……。どれも白紙だ。この本の作者は賢い人にしか見えない文字でも書いたのかな。でも、ページをめくっていくと、次第に文字が浮かび上がってきた。その文字は明らかにインクで書いた物じゃない。白い光のような文字だったんだ。文字は僕とクリスティンの前に、ありありと移る。
――あるところに、悪い魔王がいました。魔王が引き連れるのは無数の手下。彼は手下を使って、世界を支配していました――
僕は夢中になってどんどん読み進める。すると、恐ろしいことに気づいた。僕とクリスティンの体も光っていたんだ。光がどんどん強くなって、僕とクリスティンは目を覆う。
――誰も魔王に逆らうことができず、人々は魔王に怯えるばかりでした。しかし、それを救うべく、まもなく勇者達が現れます――
光が僕らを包み込み、一層強くなる。あまりの眩しさに、僕は目を閉じてしまった。暗闇の中で薄れていく意識の中、微かに声が聞こえたような気がする。
――リアム、クリスティン。どうかこの物語を救って――




