28話 かつてあったはずの「物語」
魔王の城の中に入ると、冷たい空気が漂った。牢屋にいたときと同じ雰囲気だ。でも、以外にも魔王の城は生活感に溢れていた。白い炎の灯った燭台。客人を迎えるような紫色の絨毯。黒い外壁さえ気にしなければ、中世の貴族が住んでいそうな城だ。牢屋と違って、警備をしている兵士もいない。それでも油断はできないな。僕は唾を飲み込んで、被っているマリンキャップを整える。
「元の世界に戻るには、魔王を見つければいいんだな」
クリスが拳を握り締めて、階段の先にある黒い扉を睨み付ける。その瞳はカレンとセオドリックさんを喪った怒りで燃えていた。意外な反応だったよ。僕が謝ったときに、クリスも謝ってきたのは。正直言って、もう一緒に冒険できないと思っていた。魔法で狂ったようにカレンとセオドリックさんを痛めつけていたときまではね。でも、クリスもやっぱり根は良い奴だったんだ。そうじゃなかったらとどめを刺すのをためらったりしなかったよ。僕も、カレンとセオドリックさんが武器を構えたときは、すごくショックだった。だけど、カレンと牢屋を脱出して、カレンがそんなことをするような子じゃないことは分かっていた。だからこそ、二人の気持ちを無駄にはできないよ。
「どうしてだろう……? 私は……ここに来たことがある……?」
コーラが城のステンドグラスを見て呟く。ステンドグラスは紺色に白いガラスが散りばめられていて、まるで星空をそっくりそのまま持ってきたようだ。片田舎のグリーンウッドでも、こんなに綺麗な星空は見えないよ。コーラはすっかり城のステンドグラスに目を奪われていた。
「何言ってんだ? コーラはここに来たことがねぇんじゃなかったのか?」
クリスが不思議そうにコーラを見る。コーラの目には、星空が広がっていた。まるでコーラを違う世界に引きずり込むように、ステンドグラスの星は瞬いている。
――寒くないかい? 僕のコートを貸すよ――
体を震わせる私に、オズワルドは自分のコートを着せてくれた。オズワルドのぬくもりが残っているコートを着ると、胸の痛みも少し和らいだような気がする。暗くてお互いの顔はよく見えないけど、時々星明かりに照らされた彼の瞳が見えた。
――ありがとう、オズワルド――
私はコートに体を預ける。もうオズワルドと会ってからどれぐらい経っただろう。オズワルドのコートはひどく大きく感じた。彼は相変わらず青白い顔をしていたけど、目は以前より光を帯びている。
――君の髪飾り、星の光に当たるとキラキラ光るね。とても素敵だよ――
――うん、お母さんがくれたの――
暗闇でもはっきり見える私の髪飾りを見て、オズボーンは言葉を投げかける。この髪飾りは誕生日の時お母さんからもらった物だ。星の形をしていて、光が当たると虹色に光る。オズワルドとこの丘で星を見るときに、絶対に付けていこうと思ったの。
――ねぇ、オズワルド。いつかこの丘で結婚式を開きましょう――
――ええっ!? ぼ、僕と!? ――
私が手を取ると、オズワルドはのぼせ上がったような口調でどもる。冷たいはずの青白い手が、汗ばんでいた。私が空いている方の手を添えると、オズワルドのどもりはますます酷くなる。
――い、いいの? こんな本ばっかり書いている僕なんかで……。君にはもっとふさわしい人がいるだろう? ――
いつもと変わらず、自信なさげな口調のオズワルド。私は彼の肩に寄り添った。華奢だけど、私を支えてくれるのはこの肩しかないわ。
――あなたじゃなきゃ駄目なのよ。あなたあっての私なの――
私は手探りで彼の頬を探し、優しく口づけした。彼の頬は冷たかったけど、私の唇が触れた途端に火照る。暗くて、お互いの顔が見えなくて良かった。だって、こんな顔恥ずかしくてオズワルドには見せられないもの。このまま夜が明けないで欲しい。そうずっと願っていた。このまま二人の顔が見えないまま、この状態のままでいたいと思った。
やっぱり変だよ。最近のコーラは。ふとした拍子に、ああやって上の空になる。何かを思い出すと、取り憑かれたように頭を押さえるんだ。
「そうだわ……あの人も星を見ていた……。彼と一緒に……」
クリスも怪訝な顔をする。また変な夢でも見たのかな。コーラは起きているはずなのに。
「でも、どうしてそれを私が知っているの? 私はあの人達を知らないのに……。私は……一体誰なの?」
体を震わせて、酷く動揺するコーラ。まるで悪夢にうなされているようだ。クリスはコーラの体を軽く小突く。
「おい! お前はコーラだろ!」
クリスに小突かれて、コーラは我に返る。虹色の顔が青くなっていた。クリスは真剣な顔つきでコーラを見ている。あんな表情のクリスは初めて見たよ。セオドリックさんとの旅で、何かあったのかな。コーラは小刻みに呼吸をしている。まだ動揺が抜けきっていないみたいだ。
「どうしたの? コーラ。また悪い夢でも見たの?」
「……いいえ、ちょっと目眩がしただけよ。心配しないで」
平常心を取り戻そうと、冷静なふりをするコーラ。心配しないなんて無理な相談だよ。夢にしては酷い動揺ぶりなんだから。
「お前、何処か良くねぇんじゃねぇのか?」
「私は平気よ」
僕とクリスに問い詰められて、冷たい口調で突き放すコーラ。口調に反して、顔色は悪いままだ。ヒスイ色の瞳が少し曇っている。
「無理は禁物だぜ、お嬢さん。流れ星ははかなく散るって言うからな」
突然響く声に、僕らは辺りを見回す。城の階段にも、通路にも誰もいない。でも、声の主は分かっている。あの飄々とした声色。僕はゆっくり息を吸って後ろを振り向いた。
「おっと、ちびっ子にはバレバレだったか」
声の主は見破られてもいつもの態度を崩さない。余裕げに牙を覗かせていた。クリスは声の主を見た瞬間、嫌悪感をあらわにする。
「テメェはっ!」
「無駄な抵抗は止めときな、じゃじゃ馬ガール。騙したのは悪いと思っているからさ」
声の主、ルシアンはクリスが振り上げた花を降ろさせる。言葉とは裏腹に、なんとも思っていなさそうだ。どこまで面の皮が厚いんだ。でも、意外なことにクリスはそれ以上ルシアンを攻撃しようとはしなかった。ただ悔しげに、唇を噛んでいる。
「それにしても、お前さん方とうとうここまで来ちまうなんてな。運が良いんだか悪いんだか」
皮肉めいた笑いを浮かべるルシアン。でも、琥珀色の瞳は笑っていなかった。僕はそれを見て、不穏な気配を感じ取った。また何かを企んでいるのか?
「……ルシアン、あなたは一体何者なんだ?」
「ククク、言ったはずだろ? オレはちょっと芸達者な遊び人。いや、遊び人になることを仕向けられた男さ」
ルシアンは不敵に笑って、燭台の火を吹き消す。遊び人になることを仕向けられた? 一体どういうことなんだ? 僕も木の枝を取り出す。だけどルシアンに取り上げられた。
「ははっ、チビ助のくせに勇敢な奴だな。前にもそうやってオレに向かってきた奴を見たぜ」
僕が持っていた木の枝を見て、ルシアンは物思いにふけるような顔をする。その横顔は何処か哀愁を感じた。
「一体、何の事?」
「……本当に忘れちまったんだな。まあいいさ。また全部忘れちまうんだからな」
コーラを見て、寂しげに呟くルシアン。コーラはその視線を受けて、困惑していた。忘れた? 一体どういうことなんだろう。ルシアンは、コーラと何か関係があったのかな。ルシアンは視線を落として、僕らに向かって手をかざす。まるで僕らに顔を見られたくないように。
「諦めな。どうせどうあがいても、お前さんらはもう、元の世界に戻れやしない」
「おい……。どういうことだよ!?」
ルシアンの言葉に、僕の全身には電流が走ったようなショックが伝う。いつもとは打って変わって、突き刺すような冷たい口調だ。なによりも、髪の隙間から覗く鋭い琥珀色の瞳が、本気であることを物語っていた。クリスも動揺している。信じたくはなかったけど、あの瞳がそれを許してくれなかった。僕達は元の世界に帰れない……。
「お前さんらもあの本を読んでここに来たんだろ? 世界を救う事を頼まれてさ。そこの星明かりちゃんと一緒にここまで来たんだろ?」
そう言って、ルシアンはコーラを指さす。えっ……? どうしてそれを知っているんだ? ルシアンはこの世界の人のはず。そこまで知っているなんて、普通じゃないよ。まさか……。
「あなたも、僕達と同じ世界の人なのか?」
「…………大当たりだぜ。景品はお前さんらの敗北しかプレゼントできねぇけどな」
ルシアンは大きくため息をつく。嫌な予感が当たった。確かに、僕らに魔法を教えたり、服装もボロボロのジャケットを除けば僕らと変わらなかったし。本の住人らしくない。
「でも、どうしてそれなら僕らを騙したりしたんだ?どうして僕らにアドバイスしてくれたんだ」
「それは先人としてのオレなりの手助けさ。どう頑張っても、この世界から出られないっていう事を教えるためにな」
突っぱねるような口調で答えるルシアン。でも、何かを隠しているようにも見えた。本当にそれだけなのか?
「そんなはずはないわ! リアムとクリスは必ず私が元の世界に送ってみせる!」
声を張り上げるコーラ。コーラは僕とクリスを守るように光の帯を広げた。それを見て、ルシアンは哀れむような顔になる。まるで小さい星に何ができるのかと嘲笑するように。
「……ハハハ。全くお前さんは変わらないな。相変わらず勇者ごっこをしてやがる。オレの時にも同じ事を言っていたぜ。星明かりちゃん……いや、コーラ」
名前を呼ばれて、コーラは顔をしかめる。まるで長いことその名前で呼んでいなかったような口調だ。
「どうして……その名前を……?」
「この世界にはな、今まで世界を救うべき奴なんざ何人も連れてこられたんだよ。そいつに呼ばれてな。そして……誰一人として元の世界に帰れなかった」
ルシアンは悲しげに語る。ルシアンも僕らと同じ世界の住人だったなんて。ということは、ルシアンも元の世界に帰れなかった一人なのか?
「教えてやるよ。この世界の仕組みってやつをな」
ルシアンはニット帽を目深に被る。ニット帽に浮かぶ炎が、寂しげに揺らいでいた。




