27話 最後の子守唄
すさまじい音と共に、アタシは目を瞑る。目の前の光景が見たくなかった。見るのが怖かった。拳の感覚が戻ってくる。冷たい中に、血の生暖かさが伝わってきた。目頭が熱くなる。こんな感覚は初めてだ。
「ど……どうして……」
ムウムウの途切れ途切れの声が聞こえる。その声に、アタシは目を開けた。目の前にはかろうじて息をしているムウムウと、驚いてアタシを見つめているカレンがいる。そして二人の真横には、アタシの拳があった。アタシの手は、鉄柵を殴って出血している。アタシは震えて、その拳を戻せなかった。
「できねぇ……。どうして……どうしてお前らを殺さなくちゃいけねぇんだよ……」
情けねぇ声だ。とてもアタシの口から出たものとは思えないぐらい。お前らが純粋に悪い奴らだったら、心置きなく殺れたのに……。お前らが血も涙もねぇ化け物だったら、顔がめちゃくちゃになるまでぶん殴れたのに……。ムウムウを殴るのを止めた途端、拳の傷が刺すように痛んだ。アタシは全身の力が抜け、地面に倒れ込む。
「クリス!!」
二人がアタシの側に駆け寄ってきた。……本当に馬鹿だよ。あんなアタシを見ても、心配してくれるなんてさ。どいつもこいつも本当にお人好しだよ。
「ク……クリス……。とどめを刺さないのかい? 私を倒さないと、この先には行けないよ」
ムウムウが傷口を押さえながら、アタシが投げ捨てた花を手に取る。そしてその花を、刑の執行を頼むようにアタシに渡してきた。ムウムウはよろけながらも、優しげな顔つきでアタシを見ている。顔にある、生々しい傷からは絶え間なく出血していた。これはアタシがやったんだ。人でなしのアタシが。その傷を見る度に、アタシの胸は酷くざわつく。アタシはその花をしばらく受け取れないでいた。それでもムウムウは、花を渡すのを諦めようとはしない。畜生、どうしてこんな優しい奴らが門番なんだよ。
「ば……馬鹿野郎……。無抵抗の奴らにとどめを刺せるわけがねぇだろ!」
アタシは胸が張り裂けそうになった。すかさずムウムウが手に持っている花を弾く。花は虚しく地面に落ちた。怒りが冷めて、激しい後悔が背中を伝う。まるで長い夢から覚めたように。どうしてこんなことをしちまったんだ。ムウムウは命の恩人だって頭の中では分かっていたのに。助けてくれた記憶は嘘じゃなかったじゃねぇか。
「いいの、ワタシがキミ達を騙したのは事実だし、もうワタシはこれ以上戦えないもの」
カレンも鎧が砕けて露わになった肌を押さえて、澄んだ黄色い目でアタシを見ている。もう少しで、アタシはこの二人を永遠に会えなくさせるところだった。怪物だからって言う理由で。でも、騙したのも理由があるんだろ? じゃなかったらあんな悲しい顔もしねぇし、手加減なんてしねぇはずだ。アイツらはその気になればアタシみたいな小娘一人、簡単に殺せた。それなのにしなかったんだ。まるでアイツらが、門番という役目に囚われているみたいにな。どうにかしてやりてぇ。でも、とどめなんて刺せるわけがねぇよ。その時、アタシの手から白い光が溢れた。アタシは驚いて、止めどなく溢れる光を見つめる。光はムウムウとカレンを包んだ。すると、あれだけ酷かった二人の傷が徐々に塞がっていった。コーラが元に戻ったときと同じ光だ。光はアタシの傷も癒やした。でも、二人を殴った感触はまだ残っている。アイツとコーラも茫然としていた。カレンは自分の体をなで回して、傷がないか確認している。
「これは、癒しの魔法?」
ムウムウも埃を振り払って立ち上がる。アタシは疲れて、息を荒くする。怒りで忘れていたけど、ここまでの疲労が一気に押し寄せた。ふらつくアタシを、アイツが小さい体で支える。
「大丈夫? クリス」
重さで手を震わせながら、アイツがアタシに呼びかける。アタシは目眩がして、返事ができなかった。やっぱりコイツはお人好しだ。馬鹿が付くほどのお人好しだ。アイツはゆっくりと、アタシの体を地面に降ろす。
「カレン、これ以上戦う必要はないよ。これ以上、君達が傷つく必要はないだろ?」
アイツはいつも通りの気弱な口調で、カレンに訴えかける。カレンは頷きこそしなかったけど、首を横にも振らなかった。ただ、その手はもう斧を握っていない。
「…………やっぱり、リアムは優しいね。でも、ごめん。ワタシ達は魔王様の使命には逆らえないんだ。ずっとここで戦わなくちゃいけない。それを破ったら……ワタシ達はこの世界から消えちゃうんだ」
「そんな……」
カレンは明るい口調でアイツに答える。その顔は笑顔だったけど、目は泣いていた。震える手で、斧を握ろうと手を伸ばす。嘘だろ……。戦わないと消されるなんて。そんなのありかよ!! 畜生! どうしてこんな優しい奴らが、戦わなくちゃいけねぇんだよ。消えなくちゃいけねぇんだよ。
「ふざけんなよ! 消える必要はねぇだろ!!」
やりきれなくなって、いつの間にかアタシはカレンの胸ぐらを掴んだ。その肩には水滴が落ちていた。カレンは自分より大きな人間に掴まれて驚いたが、にっこり笑ってアタシの手を握る。
「ありがとう。リアムの言ったとおり、クリスは良い子だね」
カレンはアタシの顔を大きな手で拭う。その指は濡れていた。アイツがそんなことを言っていたのか。いかにもお人好しな奴が言いそうな言葉だ。悪い気はしねぇが、なんか複雑な気持ちになるな。カレンはアタシの手を下ろすと、斧を手に取る。そして、自分の方に刃を向けた。斧の刃は、持ち主の怯えた顔を、ありありと映している。何かを察したのか、コーラが慌てて斧を光の帯で押さえる。
「カレン!! 何をするつもり!?」
「ワタシも……もうキミ達とは戦いたくないの。だから、終わりにするよ」
「駄目だよ! そんなこと……」
アイツもカレンの斧を押さえる。カレンの斧を握る手は終始震えていた。カレンだってそんな事はしたくないはずだ。その時、ムウムウが静かにカレンの斧を降ろさせた。髭だらけの口角を上げて、ムウムウはカレンの体を抱きしめた。
「もういいよ、カレン。これ以上役目に囚われる必要はないんだ」
ムウムウは緑色の瞳から大粒の涙を浮かべている。カレンも斧を落として、ムウムウのお腹に顔を埋めた。
「……うん。パパ……ワタシ気づいちゃったの。リアム達と冒険して、パパが本当のパパじゃないって分かっちゃったの」
「…………パパも知っていたよ。でも、カレン。パパは一度もカレンを嫌いになったことはないよ」
しゃくり上げるカレンの肩を、ムウムウはふさふさの手で撫で続ける。うすうすアタシも気づいちまったんだ。ムウムウはアタシが家族の話をするとき、いつも遠くを見るような目をしていた。アタシがアイツを実の兄じゃないって言ったとき、カレンの顔が曇っていた。アイツとコーラも、顔を俯けている。
「君達、どうかこの先へ行ってくれ。これ以上この子みたいな悲しい思いをすることがないように」
ムウムウはアタシ達に懇願する。本気だ。それと同時に、アタシの中には迷いがあった。ここを守る役目を捨てた二人は、消えちまう。本当に、それでいいのか。二人もそのまま動かないでいた。それを見ると、カレンとムウムウは顔を見合わせて、微かに笑う。そしてムウムウはボロボロになった杖を取り出した。
「二人とも、クリスは優しい心の持ち主だ。どうか、あの子を信じてあげてね」
「キミ達は絶対くじけないでね。大切な人がいるんだから」
そう言うと、満足げな笑みを浮かべる二人。そして、ムウムウの杖から突風が放たれた。突風はアタシ達を宙へ攫う。抵抗しようとするも、体は突風に翻弄されるばかりだ。目まぐるしく回る視界の中で、光に包まれていく二人の体が見える。何だよ、ずるいよ。アタシ達の意見も聞かないでサヨナラなんて。消えちまうなんて! アイツとコーラの張り裂けそうな叫びが、真上から響いてくる。だけど、それに答えは返ってこなかった。アタシ達の体は、そのまま門を超えて魔王の城の方向へ舞い上がる。
「ねぇ、パパ。ワタシ、思い出したの。パパが図書館でワタシのために本棚の上にある本を取ってくれたこと」
「ああ、そうだったね。その後、一緒に本を読んだこともあったね」
「……ワタシ、パパがパパで良かったわ。いつか、パパみたいに立派な鬣が生えたら良いな」
「ああ……きっとできるよ。なんたって、私の自慢の娘だからね」
「パパ、最後に子守歌を歌ってくれないかな? パパの歌、もう一度聞きたいの」
「…………もちろんだとも。おやすみ、私の可愛いカレン。……パパももうすぐ眠るからね」
城の前に落ちても、二人の姿を見る勇気はなかった。二人も、きっと見られたくなかっただろう。アタシはそのまま、動けないでいた。アイツとコーラも、黙って微かに聞こえる子守歌を聴いている。優しい声音の子守歌だ。気を抜けばすぐに眠ってしまいそうなほど。でも、アタシはその歌が聞こえなくなるまで、目を潰れなかった。涙が瞬きをすることを許してくれなかった。子守歌は終わらないうちに、弱々しく消えていく。たまらずアタシは、二人がいる方へ振り向いた。
「カレン! ムウムウ!」
振り向いたときにはもう既に、二人はいなくなっていた。ただ、二人の斧と杖が、虚しく荒野に転がっている。アタシは喉が枯れるまで二人の名前を呼び続ける。鼻水と涙を顔中に飛び散らして、情けないのをお構いなしに。途中から、叫びが嗚咽に変わっていく。体中の力が抜けて、アタシは地面にへたり込む。
「……クリス、あの……その……あの時は…………ごめん。僕、君の意見も聞かずに、ルシアンの言葉を信じちゃって……」
アイツが言いよどんだ口調で、アタシの肩をさする。何だよ、アンタだって本当は泣きたいんだろ? 悔しいだろ? どうして何度も酷いことを言ったアタシに構うんだ。この荒野に独り置き去りにしてくれて良いのに。コイツもあの門番達と一緒だ。お人好しで、馬鹿正直で…………優しくて……。
「…………謝る必要なんかねぇよ。アタシだって悪かったし。その……アンタの優しさが、時に必要な時だってあるしな……」
慌ててアタシはくしゃくしゃになった顔を拭う。アタシは突然のことに、頭の中からどんな言葉を引き出したら良いのか分からなくなった。柄にもないことを言っちまったよ。アイツも、リアムも驚いてアタシの顔を見る。コーラも驚いて、せわしなく瞬きをした。
「……行こうぜ。アイツらのためにも、元の世界に帰らないと」
アタシはぶっきらぼうに言う。でも、リアムとコーラはアタシの顔を見て、微かに笑ってうなずいた。アタシはゆっくりと魔王の城の扉を開ける。アイツらの気持ちを無駄にできない。アタシの耳には、まだ二人の子守歌の残響が残っていた。




