表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/36

22話 羊の子守唄

「こっちから音がしたぞ!」

「あの子供が脱走したのかも知れない。探せ!」

通路の奥から無数の足音が聞こえてくる。鎧のガチャガチャと鳴る音が、ひっきりなしに牢屋に響いた。見つかったらどうなるんだ。今度こそ殺されるかも知れない。

「さあ、行こう」

ムウムウは迷子の手を引くようにアタシの手を取る。信用できないが、一人でいても魔王の手下に殺されるだけだ。アタシはためらいつつも、ムウムウの手を取る。羊のくせに、ムウムウの手には蹄の代わりに肉球が付いていた。アタシとムウムウは牢屋の外に出て行く。我ながらでかい穴を開けたんだな。鉄格子は衝撃波のすさまじい跡を残すように穴が開いていた。残った鉄格子もクリスマスの棒付きキャンディのように曲げられている。こんなすさまじい力だったなんて。何よりもその魔法を放ったのがアタシなのが信じられなかった。

廊下に灯る白い炎の光を頼りに、アタシ達は歩いて行く。と言っても、ムウムウの一歩は大きくて、アタシは駆け足だったけど。追っ手の足音はどんどん迫っていた。だけどムウムウは顔色一つ変えないで、とぼけた顔をしている。さすがにずっと手を掴まれるのは嫌だ。スーパーで迷子になった子供みたいだからな。

「おい、もう手を離せよ。馴れ馴れしいのは嫌いだ」

「ああ、すまないね」

ムウムウは案外すんなり離してくれた。ちょっと肉球の感触が恋しいな。あんなに手を握られたのは、植物園で迷子になって母さんに見つけられて以来だ。あの時の母さんは、泣き腫らして顔が真っ赤になっていたな。どうしてかこの毛むくじゃらと一緒にいると、昔のことを思い出すんだろう。ずっと前に忘れたはずなのに。

「いたぞ!」

ふいにアタシの背後から、鋭い声がした。振り向くとそこには、鎧を着た白い幽霊のような兵士がいる。兵士は紺色の鎧を鳴らして、アタシの肩に手を伸ばした。アタシは抵抗しようとしたが、向こうの方が速い。その時、不思議な音が廊下に響き渡った。何かの歌みたいだ。歌を聴くと、兵士の体はぐらつく。なんだか安心するような歌声だ。母さんがアタシを寝かせるときに歌った子守歌みたいに。母さんはいつも、アタシが寝るときは柔らかい唇でおやすみのキスをして、透き通るような声で子守歌を歌ってくれた。そう、フカフカのベッドに腰を下ろして、電気スタンドの光に照らされながら本を開いてくれたっけ。茶色の長い髪を揺らして、吸い込まれそうなほど澄んだ焦げ茶色の目で……。

「おっと、大丈夫かい?」

アタシの体を、何かフカフカしたものが包んだ。ハッとして、アタシは辺りを見回す。周りには幽霊みたいな兵士が何人も倒れている。これはアタシがやったのか? それともムウムウがやったのか? 

「私の眠りの魔法は強力だからね。今度使うときは耳を塞いだ方がいいよ」

ムウムウがアタシから手を離す。このフカフカしたものは、ムウムウの腕だったのか。アタシは目をこする。いつの間にか寝ていたみたいだ。周りにいる兵士も死んだかと思っていたけど、気持ちよさそうな寝息を立てている。ずいぶん懐かしい夢を見ていた気がした。あと一歩で兵士に殺されていたのかもしれないのに。ムウムウに助けられたな。

「……ありがとよ。助けてくれて」

アイツの真似事をするように、アタシはムウムウに礼を言う。なんか小っ恥ずかしいな。アイツはこんな思いでアタシに礼を言ったのか。海兵の真似事みたいな青いマリンキャップを自信なさげに揺らして、そばかすだらけの頬を赤く染めて。アイツは悪い奴じゃないことは、アタシでも分かる。でも、弱いくせに兄貴ぶったり戦おうとしたりするところがムカつく。そんなことをするなら、部屋の隅で震えていればいいのに。ムウムウはしばらくアタシの様子を見ていたが、やがてにっこりと微笑んだ。

「兵士達もいずれは起きる。今のうちに行こう」

ムウムウは廊下を進んで、アタシを手招きする。アタシは眠っている兵士を起こさないように、忍び足で進んだ。暗闇の中で炎に照らされているムウムウの後ろ姿は、なんだか大きく見えた。そういえば、もう手はつないでくれないのか。手をつないでいる間だけは、ムウムウが怪物だっていうことを、忘れられたのに。

廊下を抜けると、階段があった。階段は螺旋状になっていて、アタシ達を翻弄するように渦巻いている。石造りの壁を触ると、酷く冷たかった。小綺麗ではあるけど、逆にそれが無機質で不気味だ。ムウムウは追っ手が来てないか後ろを確認する。兵士達はまだ寝ているのか、足音一つ聞こえない。でも、ムウムウはどうしてこの城に来たんだ? こんな薄暗いところ、普通だったら来るはずがない。

「なあ、お前はどうしてここに来たんだ?」

アタシの質問に、ムウムウは一瞬顔が曇る。何か言えない理由でもあったのか? 気のせいか、その様子が少し心苦しげに見えた。

「実は、娘とはぐれてしまってね。魔王に攫われたんじゃないかと思ってここに来たんだ」

ムウムウは悲しげな顔をする。“娘”という言葉を聞いて、アタシの体は凍り付いた。ムウムウが“父親”だったなんて。頭の中には、思い出したくもない記憶がどっと溢れる。違う、ムウムウはそんなことをする奴じゃねぇ。そうだったらあの時兵士からアタシを助けてくれるはずがないじゃねぇか。心の中で必死に自分に言い聞かせる。だけど、思い出は頭の中でしきりにフラッシュバックした。たまらず、アタシはそれをムウムウに悟られまいと、先に進もうとする。

「あっ、待ちなさい。この階段は走ると危ないよ!」

階段を上るアタシを、ムウムウは手を引いて引き留めようとする。まずい、このままだと様子がおかしいことがバレる。ムウムウは嫌な奴じゃない。分かってる。……分かってんだ!

「そんなことは分かってる! アタシに構うな!」

気持ちとは裏腹に、強い口調でアタシはムウムウを突き放した。手を払いのけようとして、その弾みでアタシは階段から足を踏み外す。階段の角に腕がこすれ、二の腕の部分が破けて血が出た。鋭い痛みに、アタシは膝を押さえて丸くなる。それを見て、ムウムウは慌ててアタシに駆け寄った。

「ほら、言ったとおりだろう? 傷口を見せてみなさい」

ムウムウはアタシの袖をまくって傷口を見ようとする。アタシは必死に隠そうとあいている方の手で抵抗した。差し伸べた手を弾かれて、ムウムウは困った顔になる。

「止めろ! 手当てなんかいらねぇ!」

強い口調でアタシはわめき散らす。惨めなのは分かっている。恩知らずなのも分かっている。自分を助けてくれた人にこんな仕打ちをするなんてどうかしてる。そうだとも、アタシはどうかしているんだ。頭から吹き出す忌々しい記憶に支配されているんだ。

「! ……これは……」

ムウムウの驚いた顔が飛び込んでくる。その手元からは、めくれ上がったアタシのジャンパーの袖が見えた。ああ、ついに見られちまった。アタシの手を。ずっと見たくなくて隠していた自分の手を。目の前にある傷だらけの腕。点々と付く火傷の跡に黒ずんだ痣。さっき付いた切り傷よりよっぽど目立つ大きな傷跡。……何年ぶりに見ただろう。ムウムウは言葉を失っている。そうだ、この顔をされるのが嫌なんだ。アタシの腕を見る度に、みんなそんな顔をする。それがたまらなく嫌だった。アタシは観念して、抵抗するのを止めた。自分の腕を見て、さらに鮮明に溢れる記憶。それがいっぺんに、アタシの胸を突き刺した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ